a memorandum for analyzing conversation of children (2)

 Goffman(1961)において提起された、状況的活動システム(situated activity system)と状況的役割(situated role)という2つの概念を見ておきたい。

 状況的活動システムとは、活動の目標を共有する参加者たちが構成するある程度閉鎖的なまとまりであり、状況的役割とは、そうしたシステムが反復されることで形成される、参加者が遂行すべき行為のパターンである(Goffman, 1961, 邦訳 p.98-100)。

 状況的活動システムの身近な例は会話であろう。会話の「輪」がシステムの境界を指し示し、「話し手」や「聞き手」といった会話上の役割が、「輪」の中での適切なふるまいを参加者にとって予期可能なものとする。


文献
Goffman, E. 1961 Encounters: two studies in tehe sociology of interaction. New York : The Bobbs-Merrill Company. (佐藤毅・折橋徹彦(訳) 1985 出会い:相互行為の社会学 誠信書房)

a memorandum for analyzing conversation of children (1)

 GoffmanとSacksのそれぞれの相互行為についての見方には、安易に統合できない違いのあることが指摘されている。高原・林・林(2002)は、Goffmanにさかのぼるコミュニケーション研究のパラダイムを「相互行為分析」、Sacksにさかのぼるそれを「会話分析」とそれぞれ呼び、その発想の違いに触れている。

 たとえば、相互行為分析と会話分析のひとつの違いは、ある行為の「原因」をどのように説明するかにある。前者の見方によれば、「原因」の一部は参与者の内的な認識に求められる。ある発話が起こるのは参与者がそれを用いてなんらかの効果を相互行為の場にもたらそうと「意図した」ことによる。

 一方、後者の会話分析では、参加者たちは行為の「原因」なるものを互いに提示し、承認しあいながら相互行為を進めていくという見方を取る。相互行為分析では「原因」の一つとされた参加者の「意図」の扱いに関して、Sacksに影響を与えたエスノメソドロジーでは、その実在の真偽を問わない。むしろ、相互行為において参加者が実際に何を「意図」や「動機」と見なし、またそれらについていかに語るかを明らかにすることを目指す。

 行為の「原因」なるものをいかに捉えるかは興味深い問題である(「原因」としての知覚と行為に関する議論として、高木(2000)がある)。


文献
高木光太郎 2000 行為・知覚・文化:状況的認知アプローチにおける文化の実体化について 心理学評論, 43(1), 43-51.
高原脩・林宅男・林礼子 2002 プラグマティックスの展開 勁草書房

音韻意識研究徐々に始動

  ああ、今週もなんだかあっという間に過ぎ去っていったことであるよ。

 水曜、非常勤を終えたその足で新千歳空港へ。名古屋に向かう。共同で音韻意識の発達過程について研究しているhouさんと打ち合わせのため。

 中部国際空港に降り立ったのが夜中だったため、金山のカプセルホテルに投宿。寝るにはまったく不自由しないが、仕事をする環境ではないことが身にしみて分かる。

 明けて木曜、houさん宅におじゃまする。お嬢さんのtomoちゃんと必死になって遊ぶ。本題の打ち合わせが煮詰まるとtomoちゃんと遊ぶ。おかげでだいぶ慣れてくれたのではないかな。

 音韻意識の形成の発達をどのようにモデル化すればよろしいか、欧米で大量に生産される研究が立脚するモデルはむぁったくなっとらんと二人で憤慨しながらレビューを書く算段をたてる。さらには、口ではいくらでも耳に良いことが言えるわけで、そうすると実際にデータを取らねばならないわけで、そのために来年1月の調査開始に向けて、具体的に実験素材選定に入る。いよいよ、である。

 すやりすやり寝ているtomoちゃんに別れを告げ、飛行機で帰った札幌には雪が舞い降りていた。気持ちよいので白石駅から歩いて家まで帰った。

 明けて金曜、九州大の学会からずっと長崎に戻っていた妻子が帰ってきた。アマネはちょっと背が高くなった。きゃあきゃあ叫んでは部屋のすみずみを冒険し、札幌の家の感触をじわじわと取り戻しているよう。

 さあ、これから雪の季節である。今年は3人でそり遊びをしよう。

An individual as a grin

 ようやっと原稿を書き上げた。関係各位にはひどくご迷惑をおかけしました。ここに謹んでお詫び申し上げます。

 嬉しくなり、帰途東急に寄ってギネスと獺祭を買い晩酌とした。

 何に苦しんでいたかと言うと、ジェイムズ・ワーチを短大生・学部生向けに紹介するという作業に心底苦労していたのである。
苦しんでいたのだが、正確な紹介が必要なのではなく、分かりやすいこと、
自分にも社会文化的アプローチを理論的枠組みとして使えそうだと思わせることが重要だと考え直し、正確さは多少犠牲になろうとも、
具体的な例をふんだんに混ぜながら書いて何とか脱稿した。

 で、PCを開いてみると、かつて苦しんでいたさなかに書いていた一文を発見した。
学部生に分かりやすい例えはないかと呻吟していた頃のものである。結局使わずじまいだったのだが、
もったいないのでここにご披露する次第である。


 どうも昨日からアマネが激しく下している。夜中、寝ているときまでぷっぷとやっているので、妻は対応に追われて寝不足気味、
こちらは手伝いに起きたまま眠れず、このような時間に仕事をしている。

 個人と環境の描き方をめぐって、苦しんでいる。

 ワーチの社会文化的アプローチは、近代西欧的自我論の前提である個人と環境の二分法を超克せんとするものである。
どう超克するかと言えば、個人と環境をあらかじめ措定することが認識論的な錯誤だとすることによってである。それらは、
行為によって事後的に生まれる。行為とは、あたかも、真白き紙を切り裂く鋏のようなものだ。
鋏による裂開が単一の紙を二つのパートを生み出していく。私がイメージするところの、
社会文化的アプローチにおける行為観はこのようなものである。

 近代西欧的自我論の失敗は、事後的に生まれるはずの個人を説明の出発点としたことにある。これはあたかも、
「ネコなしのにやにや笑い」である。アリスのチェシャネコは、にやにや笑いだけを残して消えていった。これがナンセンスだと理解できるのは、
にやにや笑いはネコの属性だということを私たちが知っているからにほかならない。ところが人間の知について説明する段になると、
私たちはにやにや笑いだけを見ようとしてしまう。ネコがにやにや笑いを作ったように、自然が個人を作ったにもかかわらず。

 個人と環境とのこうした錯誤をチェシャネコに例えたのは、これが言葉遊びだからである。

 ここまでのところですでに明らかなように、行為から説明を出発するにせよ、「個人」「環境」という言葉をそこに含めざるをえない。
「個人が環境に対して行為する」といったように。ここで、個人とにやにや笑いをアナロジカルにとらえるなら、「行為が個人し、環境する」
と言い換えることができる。こんなの言葉遊びではないか、と思われるだろう。しかし、
社会文化的アプローチが念頭に置く現実とはまさにこのようなものなのである。こうした表現がおかしいと思うのは、
社会文化的アプローチがおかしいのではなく、まさに言語が個人中心主義を構成していることの明白な証拠なのである。


 なるほど。かつての私はこのようなことを考えていたのか。

 かつて、ヴィゴツキーやポリツェルは、抽象的カテゴリを心理の本質とする古典的心理学を非難し、
かわりに具体的個人の動態を描くドラマ心理学の構想を提示した。ワーチはその批判を再び繰り返しているのである。
そのことを私はここでチェシャネコに託したのだった。

尻に火がつき

 この国の研究者のみなさんは毎年この時期にしこしこと書類を書くこととなる。科学研究費補助金、いわゆる科研費の申請のためである。

 ご多分に漏れず私も申請書を作成した。昨日今日と2日間で「えいやっ」と書いてしまった。

 助成申請は楽しい。どんな調査ができるか、どんな機材を買うか、どこの学会に行くか、風呂敷を広げるだけ広げるからである。どうせ申請額が満額降りてくることなどないのだから、このときとばかりに大言壮語を並べ、ふだんは指をくわえているだけの機材名をリストアップする。

 事務に提出してチェックをしてもらっているが、特に問題はなさそう。来年をお楽しみに。

 これから尻に火がついている原稿を書く。「え、これから?」とびっくりされる方も読者のなかにはおられようが、事実である。片付けねばならぬ用件を先に回しているうちに、このようなことになってしまった。

 この原稿は「質」が求められているようで、2日間で「えいやっ」とはゆかぬのである。

 札幌はもう寒い。冬へまっしぐらである。

 夏からかかっていた原稿が、とうとう晩秋にもつれこんだ。ため息が出るのは、落ち葉がはらりと舞い落ちるのを見たせいか、あるいは。

はこだて未来大学に行ってきた

 卒論生といっしょに、はこだて未来大学へ行ってきました。目的は、人工物とインタラクションを広くご研究されている南部美砂子先生にお会いするため。

 卒論生の一人、わーさんの研究テーマが、「母子間相互行為場面におけるケータイ」というもの。ケータイ研究の動向はこちらはとんとさっぱりなので、ここはご専門の方にうかがうのが最良と、南部先生の門をたたいたのでした。

 札幌からはスーパー北斗で函館入り。駅にて、今回の参加者、めぐくん、わーさんとともにレンタカーに乗り込みました。函館の駅は最近新しくしたのでしょうか、6年前に学会で来たことがあるのですが、そのときはもっとぼろっとした印象でした。ところがいつのまにか近代的な建物に変貌していました。

 街から大学までは車で20分くらいです。函館の内陸になだらかに盛り上がる山の上に大学は建てられました。函館山からの夜景は有名ですが、大学からは「裏夜景」と呼ばれる街の灯が望めるのだそうです。

 大学の駐車場に車を停めると、南部先生と東工大の岩男征樹先生が出迎えにいらしてくださいました。

 今回は研究のヒントのようなものをいただければと考えていたのですが、先方は研究交流会のような形でセッティングして下さっていました。南部研からはゼミ生2人が参加してくれました。彼/女は、わーさんと同じくケータイについての研究をしているそうです。違う点は、一人は小学3年生のケータイ使用、もう一人は高齢者のケータイ使用と、お二人とも機械のユーザビリティの点から見ているところでした。

 研究会は、わーさんのここまでの調査内容の報告に続いて、南部研の2人の発表という順で行なわれました。ケータイそのものが新しいメディアであるだけに、ユーザの視点からの研究は本当に少ないのですね。これから若い3人にはいろいろな視点から具体的なデータを集めてもらいたいと思います。

 ところで、北大の学生は、はこだて未来大学の建築デザインにいちいち驚いていました。なにしろ新しい大学ですから、きれいなのです。僕が岩男先生と日心でのRTの打ち合わせをしている間、めぐ、わーの両氏には大学のなかを探検してきてもらいました。 

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 この大学のように、新しいカリキュラム編成をデザインするとともに、それにみあった建築のデザインもしてしまう、というところは少ないと思います。カリキュラム編成のデザインにあたっては、ヴィゴツキーに由来する学習観も大きな影響を与えたと聞きます。そのあたりは、下の本に詳しいです。

「未来の学び」をデザインする―空間・活動・共同体
美馬 のゆり 山内 祐平
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 研究のヒントをたっぷりといただいて、大学をあとにしました。南部さん、岩男さん、そして学生の皆さん、どうもありがとうございました。

 このあと、ぼくが予約した宿の名前をど忘れして、1時間ほどうろうろと探し回るという失態を演じたりもしましたが、無事に投宿。函館の夜の駅前をぶらぶらと3人でそぞろ歩きしながら打ち上げです。

 1軒めは「根ぼっけ」。海のなかであちこち動かず、居着いてしまったホッケのことを根ぼっけというのだそうですが、その魚の名を店名にしているだけあって、根ぼっけ料理がウリのようです。貧乏な3人でしたので、根ぼっけ焼き半身(小)を頼みましたが、3人だとそれでも十分なくらいでかいものが来ました。その他、刺身も活きがよくたいへんおいしい。実は、ここは南部先生に教わったお店なのでした。感謝であります。

 2軒めは「杉の子」。ここは居酒屋好きには知られた古いバー。柱にかかった操舵輪をはじめ、年季の入ったオブジェが壁一面を埋め尽くしています。函館という観光地にありながら、地元の方らしき人がひっきりなしにドアを開けてくるのは良いお店の証拠。ここでは、オリジナルのカクテル「八甲田丸」をいただきました(その他に、青函連絡船の名を取ったとおぼしきカクテルが3種類ほどありました)。卵を使ったリキュール(名前、失念)を使っているそうで、グラスのなかのクリーム色をなめると甘酸っぱくコクのある味が舌にまとわりついてきます。めぐ、わーの両氏は「うまいうまい」と感動してお酒を飲んでいました。

 宿の門限は11時、現在10時半です。大急ぎで戻ったところが、すでに共同浴場は終了。部屋でめぐくんの卒論指導をしたのち、汗くさいままふとんのなかで気を失いましたとさ。

なんとか

 アマネの誕生日を祝ってからだいぶ間が空いてしまいましたが、その間何をしていたかというと、仲間内で出す本の原稿を必死こいて書いていたのです。

 分担する分量としてはそれほど多くなかったのです。ただ、担当した章に書く内容が、自分にとっては思い入れの強い対象だっただけに、何をどう書こうかと最後までねちこく悩んでいたら、締め切りが過ぎてしまいました。編集担当のお姉様から、最終締め切りは25日朝6時というお達しをいただき、ようやくたったいまなんとか筋だけはつけてメールで送りました。肩の荷が5トンくらい落ちました。

 日曜から名古屋へ飛んで、そこで編集会議です。暑いんだろうなあ。

 それにしても、8月はずっとこの本のことが頭にあって、ちょっとしんどかったです。卒論のときもこんな感じだったなあと思い出しました。

 でもいいこともありました。「ヴィゴツキー『思考と言語』は○○○である」という仮説を思いついたのです。○○の中はひみつです。近日、このブログでそのネタを公開します。

 そうそう、9月なかばまでにY草先生にラウンドテーブルの原稿を送らなければ。やることはたくさんあるのう。一難去ってまた一難じゃ。

沈黙を見ねばならない

 沈黙は多様である。このことを分かりやすく示しているのが、小津安二郎の映画『お早よう』(1959年、松竹)である。

 高度経済成長期の日本の庶民生活をユーモラスに描いたこの映画は、「黙っていること」が主要なモチーフだと思われる。そこでは2種類の沈黙が登場する。

 第一の沈黙は、発話の不在という形式をとる。映画に登場する林家の2人の子どもは、テレビを両親にねだる。そのあまりのやかましさに、父親の笠智衆は「男の子は黙っていろ」としかる。へそを曲げた子どもたちは、誰とも口をきかなくなる。

 家族や隣近所の人々とも口をきかないし、学校の授業中にもしゃべらない。結局このストライキは、父親がテレビを買ったために終了する。ここで、子どもたちのしたことが第一の沈黙である。

 一方、第二の沈黙の場合、発話が存在する。子どもたちはある青年(佐田啓二)の家に英語を習いに通っていた。その青年の元へ、子どもたちの若き叔母(久我美子)が仕事を依頼しにたびたび訪れる。青年の姉は彼に、彼女に対する好意を指摘するが、青年は答えをはぐらかす。

 こうして映画のラストシーン、当の2人が駅のホームで偶然出会う。天気のことなどたわいない話題を交わすだけで、結局2人のお互いに対する気持ちははっきりとは語られない。ここで観客が、2人の会話の背後にあると感じるものが、第二の沈黙である。

 第一の沈黙が典型なのが狭義の沈黙、すなわち不在の発話である。一方で、第二の沈黙の場合、発話は存在するものの、聞く者にとってその発話は、会話の核心だとは思われず、結果的に、「話し手が話すべき核心」の存在が浮かび上がる。つまり、聞き手は話し手について、あることについては話し、それとは別のあることについては沈黙している、と推測するのである。こうして第二の沈黙は、未遂の発話として捉えられる。

 ひるがえって、言語発達研究、あるいは相互行為研究の文献を読むと、沈黙が単にデータの不在としてしか捉えられていないことが分かる。人々にとっては話すことが至上の命題なのであって、沈黙とは「話す」という必死の作業の合間の止まり木のようなものでしかない。そのように描かれるのだ。

 しかし上で見たように、沈黙はシンプルなものではない。そこでも人々はいろいろなことをしているのである。ある人は、生命について知るには死についても知らねばならないと言ったそうだが、発話について知るには、沈黙についても知らねばならないようだ。

houさんへの私信だな、こりゃ

 連休を利用して、名古屋のhouさんとmouさん夫妻がお嬢さん(3か月)を連れて札幌にいらした。

 この機会に、共同研究の打ち合わせを進める。方向はおおまかにかたまった、ように思う。metaではなくepiを見る、というところで落ち着く。

 打ち合わせのときには言う機会がなかったですが、どうでしょう、metaとepiの話というのは、ヴィゴツキーの発達理論からするととてもよく分かるようにも思うのですね。

 Metsalaたちのlexical restructuring theoryでは、子どもが似たような音の単語を急速にたくさん覚えるほど、記憶コストを下げるために、分節単位が自然に細かくなっていく、と想定されていました。そのようにしてphonologyが発生するのだ、と。ところがこの理論は個人の頭の中だけを問題として、いわば純粋なepiというものを想定しているように思うのです。

 一方で、レキシコンというのはソーシャルでフィジカルなものでもある。そもそも、メンタルレキシコンというのも、外的なブツとしてあるレキシコンに基づいたメタファであるわけですから。私たちは、モノとしてのレキシコン内の単語と単語が区別しやすくなるよう、歴史的に協同的に、単語のよけいなバリアントを整理してきたという経緯もあるのではないかと思うのです。要するに、一種の淘汰の過程があった、と。

 とすると、現代の子どもたちは、あらかじめ整理された単語を再整理するという作業をしている、とモデル化できるのかもしれません。ヴィゴツキーのいう二重の発達モデルからすると、MetsalaやGoswamiの考えていることは一種の主知主義であり、要は不十分なのです。

 こういう議論もアリではないでしょうか、houさん。

バフチンにおける対話概念について: 桑野隆先生講演会まとめ

 と冠する集まりが東京茗荷谷の筑波大学で開かれた。

 ミハイル・バフチンは20世紀ソ連を生きた思想家である。彼の提出した概念には、コミュニケーションを分析しようとするときに援用できそうなものがふんだんにある。そのように考える研究者が一堂に会した形で、 100名近くが集まった。

 一番の目玉は、早稲田大の桑野隆先生のご講演である。先生はバフチンに限らず20世紀初頭のロシア文化、特に芸術運動をご専門に研究されておられる。今回初めてお姿を拝見した。なんとなく、厳しい感じの方のようにイメージしていたのだが、あにはからんや、柔和なたたずまいの方だった。

 壇上のお話は、「対話」概念をバフチンの著作の歴史を追って跡づけることに割かれた。

 バフチンのいう「対話」とは、人間という存在のありようについての考え方である。この考え方によれば、人格とは孤立した個人で完結したものとみなすことはできない。そうではなく、相容れないものとの並存において現れてくるものとして、人格が理解される。この考え方は、アメリカのロシア思想研究者ホルクイスト以降、「対話主義(dialogism)」と呼ばれ、バフチンの思想を一貫して枠づけるものとして捉えられてきた。

 たとえば、『ドストエフスキーの詩学の諸問題』(1963)では、こう書かれる。「在るとは対話的に交通することを意味する。… 生き、存在していくには、最低限二つの声が欠かせない」。ここに言われているように、対話という概念が強調するのは、複数の言葉が並置されている状態である。これを多声性(ポリフォニー)と呼び、誰にも向けられていないモノローグ的発話と対立させられる。 

 今回の桑野先生のご講演は、しかし、バフチンが執筆活動のはじめから「対話」という言葉を使っていたわけではなかった、というお話から始まった。以下、ご講演の内容をレジュメやぼくのとったノートに基づいてメモしておく。

 対話主義は、バフチンが一から創造した思想ではない。そもそも、日常会話に見られる対話形式が根元的なことばのありかただ、という認識はロシアの伝統的な考え方としてあった。それを「対話」というタームとして取り上げたのはフォルマリストのヤクビンスキイだった。バフチンはロシア・フォルマリズム最後の世代と目されることがあるが、フォルマリズムの担い手にも論争を挑んだ。したがって彼の対話主義は、ロシアの伝統的言語観を前提としながら、当時の芸術論やマルクス主義との対峙の中で磨き上げたものだと言える。桑野先生によれば、そのように当時のロシア人思想家なら誰しもが手の届くところにあった対話主義を、芸術のみならず他の領域にも利用可能な理論として練り上げたところに彼のオリジナリティがある。

 「対話」という言葉が頻出するのは、1929年に書かれた『ドストエフスキーの創作の諸問題』である。このテクストには、 1963年に書かれたヴァリアント(『ドストエフスキーの詩学の諸問題』)があり、邦訳で読めるのはこちらの方である。後に書かれた方には、いわゆる「カーニヴァル論」と呼ばれるパートが加わっているため、「対話」概念にもカーニヴァル論に合わせた形で登場するものがいくつか現れる。桑野先生はまず、29年版ドストエフスキー論と、 63年版のそれとの間にある、対話という言葉の使い方の異同をていねいに洗い出してくださった。レジュメにずらりと並んだ「対話」用法のリストは壮観である。

 一方で、1920年代初期に書かれたいくつかの著作、たとえば『芸術と責任』『行為の哲学によせて』『美的活動における作者と主人公』『言語芸術作品における内容、素材、形式の問題』(いずれも邦訳は水声社刊『ミハイル・バフチン全著作 第1巻』に所収)には、「対話」という言葉がほとんど出てこない。また、バフチンには1920年代中頃から後期にかけて他人名義で書かれた著作があるのだが、たとえば『生活の中の言葉と詩の中の言葉』『マルクス主義と言語哲学』(ヴォロシノフ名義)、『文芸学の形式的方法』(メドヴェジェフ名義)にも、同様に「対話」という言葉はほとんど出てこない。

 出てこないものの、対話主義の萌芽のようなものは見て取ることができる。

 たとえば『行為の哲学によせて』で述べられる、「理論的であること」と「参加的であること」の対比はモノローグとポリフォニーの対比につなげて読むことが可能である。理論的であることとは、「生きた唯一の歴史性に無縁の」抽象的統一体を指す。一方で参加的な意識とは、唯一の存在へと人を関わらせる活動を指す(レジュメより)。ここで、参加的とはロシア語でучастныйである。ところで、63年版『ドストエフスキー論』では、このような表現が見られる。「ただ対話的な共同作業への志向のみが、他者の言葉を真剣に受け止め、一つの意味的な立場、もうひとつの視点を表すものとして、それに近づくことを可能にするのである」(強調は伊藤)。ここに見られる「共同作業」は、 участныйに英語でwithを示すсоをつけたсоучастныйである。桑野先生は、この点に対話主義への息吹を感じ取っておられた。

 あるいは、『美的作品における作者と主人公』では、作品の理解が「感情移入」や「共感」に基づくのだと捉える見方を徹底的に批判する。他者と同じ目で物事を見ることはただの他者のコピーにすぎず、真の理解とは言えない、というのである。理解において重要なことは、外部にあることだという。新しい理解は、内部からは生まれないのだから。ここで述べられていることもまた、自己と他者の一致を前提とする態度=モノローグ的、不一致を理解の前提に置く態度=ポリフォニー的という図式で読むことができる。

 このように、対話主義の基本的な考え方は、たとえ「対話」という言葉がほとんど出てこないにせよ、すでに20年代初期の論文に見られるのである。

 対話主義が分かりやすい形で書かれるようになったのは、言語を対象とした議論がなされるようになってからだという。それまでは、つまり1920年代初期の論文では「唯一の出来事」といったような書き方で議論されていたことが、「言語論的転回」とでも呼べるような時期を経て、「発話」という概念に置き換えられた。言語論的転回がもたらしたことは大きく、たとえば「イントネーション」といった概念を容易に理論に組みこむことができるようになった。あるいは、20年代初期の論文では人格を「見る」メタファ(鏡、写真、肖像画)で表現していたものが、後半になると「聞く」メタファで語ることが多くなった。

 これとは少し異なる側面での変化として、文芸作品の批評に新たなカテゴリが導入されたことが挙げられる。すなわち、「聞き手」「読み手」である。それまでは、「美的作品における作者と主人公」といった論題からも分かるように、批評のカテゴリは作者-登場人物という二項がメインであった。そこに、作品を受け取る者という立場が重視されるようになったのである。

 さて、実はひとつ重要な問題がある。バフチンは、『ドストエフスキー論』で次のように述べている。

 対話のもっとも重要なカテゴリーとしての一致(согласие)。…不一致(несогласие)は貧しく、生産的でない。もっと本質的なのはразногласие(さまざまな声があること)である。実際、それは一致へと向かっているが、そこには声の多様性と非融合性がつねに保たれている。

 対話とは、むしろ自他の一致を拒否する概念ではなかったか?桑野先生は最後にこのような宿題を投げかけて壇上からお降りになった。

 ここで一致と訳されているのはсогласие。гласиеとは「声を出す」という意味で、それにwithのсоがついている単語。直訳すれば「ともに声を出す」ということだ。絶対的に相容れない他者への語りかけをしながらも、結果的にその他者の言葉と一致してしまうこと、これははじめから一致を前提とするモノローグ主義とは異なる。あくまでも対話の結果として、対等に声を出し合う者同士として、同じ言葉が発せられてしまう、そのように考えてみたらどうだろうか。言い換えると、表面的にはユニゾンなのだけれども、個々の声はそれぞれはっきりと聞こえており、いずれの声もなんらかの点で対等である状態が起こりうるのだということを、バフチンは言っているのではないか。

 ぼくはなにしろロシア語が読めない。また、テキストのヴァリアントを追って丹念に読み込むという研究方法は、ぼくの身につけていないものである。このたびは「対話」概念にしぼった検討だったが、それでもバフチンを読む上で最重要となるものである。それさえおさえればよいと言えるかもしれない。その意味で貴重なお話を拝聴できましたことに深く感謝する次第です。