書き起こし支援ソフト「Voice Writing」

 授業が終わったので、これからたまりにたまった録音の書き起こし作業をはじめる。そこで不可欠なのは、テープリライター向けのソフトである。

 テープリライティング用のソフトはこれまでにいくつかあった。ぼくが利用していたのは「おこしやす」と「SndPlay」。最近ではもっぱら「SndPlay」ばかり使っている。「おこしやす」は、いつの間にかバージョンがあがって「おこしやす2」になっていた。

 これから作業を始めるにあたり、なにか新しいソフトは出ていないかしらとVectorをのぞくと。おお、よさそうなものがリリースされているではないですか。

 Voice Writing株式会社ボイススピリッツ

 キーだけで音声を操作することができるのはもちろんだが、珍しいのはエディタが内蔵されている点。しかもそのエディタは2つのペインに分かれていて、左端には発話者やタイムコードを打ち込むことができる。この辺はすばらしい。

 現在公開されてるのはフリー版とのことで制限が大きい。これは商品版に移行させるための仕掛けだろうが、お金を払っても使ってみたいと思ってしまう。

 テープと格闘することの多い研究者で、お金が余っている方は、購入を検討する余地がおおいにあるだろう。

【PMF】7月24日(金)

 PMFオーケストラはリハーサルの場所を本番が行われるコンサートホールKitaraに移した。

 朝10時からのリハの見学に参加。Kitaraに来るのは実ははじめて。以前、聞きたいコンサートがあって、チケットまで手に入れていたのだが、仕事の都合でキャンセルしたことがある。ようやく、噂のパイプオルガンを拝むことができた。

 ホール客席のライトが落とされ、ステージだけが照らされる。メンバーはめいめい、音を出している。黒いジャケットに黒いジーンズをはいた短髪の男性がステージの下に立ち左手をすっと上げると、音がやんだ。オーボエがAの音を出し、まずはブラスのチューニング。続いて、弦のチューニング。

 左手袖より、指揮のマイケル・ティルソン・トーマス氏が入ってくる。スタッフから、指揮台にイスを置くかどうか尋ねられて、いったんは断ったようだが、結局は置いた。

 今日もマーラーの5番の練習。

 指揮者というのはいったい何を直しているのだろうか。かれらの頭のなかには、自分なりの完璧な音楽が鳴り響いているのだろうか。それと照らし合わせて、今鳴っている音の善し悪しを判断しているのだろうか。おそらくはそうなのだろう。

 理想の音をつくるためにはどんなことでもするようだ。第一バイオリンに迫力がないと、体をそちらに向けて、足をドンガドンガと踏みならす。弦を思い切り甘ったるく歌わせたいと思えば、上半身を腰から曲げて左右にくねらせる。

 対する演奏者の方だが、まだ、まとまっていない感じ。ホルンやトランペット、オーボエなどのソロパートはとてもうまい。弦はというと、曲のイメージを十分に具体化しきれていないように感じる。今日は1度だけだったが、テンポを通常よりもゆっくりにした練習が見られた。第一バイオリン、第二バイオリン、ビオラの順で、同じメロディをタイミングをずらしながら演奏する個所。そのズレをそろえるためだろうと解釈。

 それにしても、Kitaraのシートは危険だ。すべての楽章を通して演奏している最中、座り心地がよくてすっかり眠ってしまった。不覚である。

【PMF】7月22日(水)、23日(木)

 しばらく間が空いてしまったが、PMFリハーサルに行ってきた。

 スケジュールももう終わりに近づいている。各国から指導を受けに集まってきた人たち(アカデミー・メンバーと呼ばれる)が、その成果をコンサートという形で発表する「PMFオーケストラ演奏会」が25日に迫っている。

 25日の公演で指揮をするのは、マイケル・ティルソン・トーマス。曲目はティルソン・トーマスの作曲による『シンフォニック・ブラスのためのストリート・ソング』と、マーラーの交響曲第5番。同じ演目で、大阪・東京でも演奏するらしい。22日、23日とも、私が聴いた時間帯はすべてマーラーのリハに費やされていた。

 芸術の森アートホール内にあるアリーナがリハの場。オープンリハーサル参加者は2階席から眺めることになる。すでに25日の公演の前売りが完売しているからか、参加者の数は20人弱とそこそこ多い印象。

 さて、リハの様子である。

 ティルソン・トーマス氏の指示の入れ方が、まず気になった。とても細かいという印象。ちょっと演奏してはすぐに止めて、指示をする。だから同じフレーズを何度も聞くことになる。しかも同じ部分を繰り返す。1、2度ですむこともあれば、4~5回も重ねることも。止めるやりかたはさまざま。タクトをもっていない左手を高く上げて手の平をひらひらとさせたり、両腕を広げてみたり、ただ単に振るのをやめたり。

 指示の仕方もおもしろい。曲想をイメージした言葉を、指示するパートの演奏するフレーズにのせて実際に歌ってみることがしばしば見られた。言葉によってイメージさせる時も具体的。たとえば、「野犬のように」と言いながら「ぶるぶるぶる」と首を左右に振ってみる。

 振っているときのアクションが大きい。バイオリンに向かって立ち、そのまま小刻みに飛び跳ねる。

 一方の演奏者側では、とてもおもしろいことが起きていた。演奏している最中や、指揮者が指示を出している最中に、演奏者の脇にするすると歩み寄って傍らに立ち、譜面と演奏者を交互に見ながらなにやら話しかける人がいる。1人ではなく、延べでは8人ほどそのような行動をとっていた。おそらくは、メンバーに指導をつけた講師だろう。演奏中は、オケと向き合うようにイスの並べられた客席側に、講師陣が座ったり立ったりしてその様子を眺めている。手には楽譜がある。ルイス・ビアヴァの姿も。

 つきっきりの指導に熱心なのは、ホルン、コントラバス、トロンボーン、トランペット、パーカッションを担当した講師。休憩時間にもメンバーを集めて話しかけていた。また、バイオリン、ホルン、コントラバスの講師はリハの最中にいっしょに演奏もしていた。

 つまりメンバーのなかには、リハの最中、少なくとも2人の指導者から指示を受けていた者がいたことになる。指揮者と、パートの講師。かれらがマラ5の解釈についてあらかじめ議論しているとか、コンセンサスの得られた指導をそれぞれが別々に行っているわけというわけではないだろう。推測でしかないが、おそらくは、指揮者の解釈を講師が解釈し、そのための技術的なアドバイスをおこなっていたのではないかと思う。(本人たちに聞けばいいのだがそれはちょっとできない)

 教育的な音楽フェスティバルならではのリハーサル風景とは何か、と言われればこれがそうなのかもしれない。

連休の過ごし方

 今夏の北海道は実につまらない天気です。先月からずっとどんよりしていて、雨の日もとても多い。おまけに寒い。楽しみにしていた果樹園のサクランボも、雨で割れてしまったようです。

 こういう天気でも休みの日となれば家でのんびりしているわけにもいきません。3連休の中日と最終日に、それぞれ市の施設に遊びに行きました。

 土曜日に行ったのは新さっぽろ駅そばの青少年科学館。さまざまな科学実験ができる市立の施設です。この日は朝から大雨だったので、屋内で思い切り遊べる(しかも安く)とあって、とても混んでいました。

 アマネのお気に入りは、3階にある展示群。水圧実験の展示では昔の井戸につけられていたようなポンプを一生懸命動かしています。奥には、乗り物コーナー。地下鉄を動かしてみたり、ヘリコプターの操縦席に乗ってみたり。双発機のフライトシミュレーターもあるのですが、大人でもなかなか楽しいです。

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 午前中に入り、食事を取りにいったん新さっぽろ駅に隣接するダイエーへ。入場券さえあれば当日なら何度でも再入場できるので、こういうことができます。食べ終えてから「どうする?」と聞くと「実験に行くー」とはりきっています。

 結局この日は、トータルで4時間くらい遊びました。入場料はおとな1名700円。子どもは中学生以下無料です。

 明けて日曜日は雨こそやみましたが薄い雲が広がっています。近場ですませようと、円山動物園に行くことにしました。

 夏の雰囲気がなかったので気がつきませんでしたが、夏の高校野球の予選が行われているのですね。円山公園の野球場で試合があったために、見物する人を乗せた車が公園の駐車場に入る長蛇の列をつくっていました。20分くらいでやっと駐車場に入ります。

 アマネのお気に入りは動物たちではなく、遊園地の方です。100円でモガモガ動く乗り物に乗り、観覧車に乗り、ティーカップに乗り。1時間ほどいましたが、食事をするために園を出ることに。

 午後からは少し空が明るくなってきたので、思い切って水道記念館に行きます。去年まで何度も来ているのですが、今年ははじめて。

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 入り口前にある、水が噴き出す広場は子どもたちの人気。ただ噴き出ているだけなのですが、いろんな遊び方をしています。晴れ間が見えているとは言え、ここは山の上なので風が強く、寒い。もう少し水で遊びたいようでしたが、服がびしょ濡れになった頃をみはからって着替えさせ、館内へ。

 館内には浄水や水道にかかわる展示があり、青少年科学館のように遊べるものも。幼児向けにはキッズルームもあって、ずっと遊んでいることができます。保育園での修行の成果か、だいぶ1人で遊べるようになったので、親はその間イスに座ってぼうっと眺めています。結局、2時間近くいましたか。

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 夕方から札幌ドームそばのつきさむ温泉に入りに行きました。ここのお湯は、ユンニの湯のように黒くてぬるぬるしています。相変わらずアマネは露天と内湯を行ったり来たりで落ち着いて入っていられません。

 こんなかんじで連休は終了。

教室談話の感覚学

 今週はずっと小学校での調査。授業の様子を4台のビデオカメラで撮影し、そこでの子どもたちの発話をひとりひとりにつけたマイクで拾うというもの。発話と動作とが授業のなかでどのように組織化されていくのか、さらには逆に、それらがどのように授業を組織化していくのかを記述することが今回の調査の目的である。授業を即興演奏だとしたら、それをスコア(総譜)に採譜するというわけである。

 一般に、学級というのは少数の大人と多数の子どもによって構成される。こうした集団のありかたが、コミュニケーションの進み方を制約する。

 たとえば、教師による問いかけに、多数の子どもが同時多発的に返答することがある。一人ひとりの子どもにとっては、自分の答えこそが教師の問いに対する返答である。しかしこのとき教師は、複数の返答を同時に自分の返答とすることができない。そこから選ばなければならないのである。

 こうした出来事は、実に些細なものである。おそらく日本のみならず世界各地の教室で見られる普遍的なものであろう。しかし同時にとても興味深い出来事でもある。

 このとき教師が行っていることは、どういうことだろうか。おそらくは、複数の言葉のなかから、自分の発する問いと同格の言葉を「返答」として選択することである。と同時に、それ以外の言葉を「それ以外のもの」として脇に置いておくことでもある。この「それ以外」というのがクセモノだと思われる。

「それ以外」の指すところが「教師の発する言葉以外」であるならば、脇に置かれた言葉は端的に言葉ではない。であるから、たとえ「音声」としては聞こえていたとしても「言葉」としては聞かれない。「それ以外」の指すところが「たまたま選ばれた子ども以外」であるならば、それは「別の機会には『返答』に値するものとして取り上げられる可能性のある言葉」としてみなされる。

 このように、授業中のコミュニケーションにおいては、ある人の発する言葉についての見方や感じ方が複数ありうる。複数ある見方や感じ方のうち、子どもたちはどのような見方・感じ方を選び取っていくのだろうか。ここが問題である。

 言葉についての見方や感じ方についての研究であるから、原義的に「感覚学(aesthetics)」と呼んでよいだろう。エステティクスのこのような使い方は、ジャック・ランシエールによるものである。

 授業中に自分の発する音声が「言葉」として扱われない。教師には自分の発する音声が聞こえている(うるさい!と言ったりするから分かる)にもかかわらず、言葉同士のやりとりが成立しない。もしも子どもが、このような出来事を繰り返し経験した場合、自分の発する言葉についてどのような見方・感じ方を選んでいくのだろうか。

 自分では「言葉」として発している音声が「言葉」にならない恐れ、それは言葉以前の沈黙を選び取らせるのではないか。なぜなら、黙っている限り、自分が「授業の言葉」を発する者かどうかの判断が永遠に先送りされるからである。

【PMF】教育セミナー2日目

 教育セミナー2日目の集合は芸術の森。セミナー参加者には、ここで開催されるトークコンサートと野外コンサートのチケットが前の日に配られている。それを聞くことと、コンサートの合間に開かれる参加者同士の意見交換会が本日のプログラム。

 トークコンサートにはウィーンフィルのメンバーが出演。ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバス、フルート、ファゴット、クラリネット、トランペットの各奏者がひとこと説明をした後に短い曲を演奏。伴奏には昨日講義をしていただいた赤堀さん。昨日の話を聞いていただけに、彼女がどういうタイミングでパートナーの方を見るのか、その視線が気になった。

 昼前のコンサートでもあり、リラックスした雰囲気。メンバーもラフな格好。けっこう人気のあるコンサートなのだそうだ。

 昼食後、芸術の森の山奥にあるアトリエにて、参加者相互の意見交換会。参加者のなかからお一人に司会をお願いして、とにかく言いたいことをしゃべる。

 小中学校の音楽の先生がほとんどかと思いきや、もちろんそういう方が三分の一くらいいらしたものの、多彩な方が参加していたようだ。参加の動機もいろいろ。まあぼくのようなのも混じっているわけだが。

 ぼくの方からは、今回のようなセミナーと、学校での音楽教育実践とがどのように結びつくのか、その結びつけ方についてフロアに問いかけた。それに対して出していただいた意見はどれも貴重なもの。

「指揮者を指導者と読み替えたら毎日のことに使える」
「エネルギーをもらえる」
「できないとはじめから思いこむのではなく、できると思って接するというビアヴァ先生の言葉。どういう視線でものごとを見るのかを学んだ」

 なかには、声楽科を出て教師になったため、他の楽器の良さを知らないので、一番いい音を聞くことにより、楽器について教える際のイメージに役立つというお話も。

 音楽教育者にとって、生徒のパフォーマンスを評価する基準として究極的なものは、教育者の感覚的なものだろう。そこを磨くことに今回のセミナーは貢献している、と参加者は考えている、と理解した。

 ついでに、小中学校で音楽の授業や音楽教師の置かれている現状についても聞いたが、望ましいとは必ずしも言えないようだ。ある中学校では音楽の時間が週に1時間。そこに指導要領で決められていることを盛り込むとなるととても大変。そのうえ、何か学校の行事があるごとに伴奏を求められたり、吹奏楽や合唱の指導を求められたり。

 もっと学校教育における音楽の地位を上げること、そのためには音楽にかかわる素養が他の科目でのパフォーマンス向上や生活態度の改善に寄与すると理論的、実証的に示すことが戦略として必要だろうね。アメリカなんかだと、荒れた学校が合唱で更正しました、なんていう実話がもてはやされるけど、日本ではどうなんだろうか。ともかく現状では、「音楽の時間を増やせ増やせ」と言い続けるだけでは何も変わらないだろう。

【PMF】教育セミナー1日目

 先週の土日で、PMF主催の「教育セミナー」が開催され、それに参加してきた。

 教育セミナーとは、音楽教育に携わる小中学校の先生や学生を対象とした研修会である。PMFのために来日している音楽家と交流したり、その実際の指導の様子を見ることができる。

 スタッフの説明によれば、PMFは3つの柱から構成されている。(1)教育部門、(2)演奏会部門、(3)教育普及部門である。このうち、教育セミナーは3番目の教育普及部門に位置づけられている。そもそもは、音楽教育を取り囲む方々に還元できないかということで始められた企画だそうだ。普及部門には青少年向け、一般向けトークセッションなどのイベントも用意されているが、なかでも教育セミナーは部門のメインに位置付けられているらしい。

 教育セミナーには2つのコンセプトがある。1つは、音楽教員に、指導の技術をつかみとってもらう機会となること。もう1つは、日々の教育実践とは直接関係ないかもしれないが、さまざまな国や地域の人々との文化的交流を図ること。

 初日のプログラムは、指揮者のルイス・ビアヴァによる小学生の金管バンドの指導見学、ピアニストの赤堀絵里子さんの講義、ウィーンフィルのマネージャーをしているザグマイスターさんのトークである。2つのコンセプトがきちんと反映されている。

 初日ということで参加者へのオリエンテーション。金管バンドへの指導が行われる、厚別の青葉小学校に朝9時半集合。校内の会議室に集まった参加者の数は、ざっと20人ちょっと。もう少し多いのかと思いきや、そうでもなかった。

 全員が集まったところでスタッフによるオリエンテーション。最後に名前と所属のみ自己紹介。あちこちから参集されている。栗山、千歳、日高、釧路、東京、福岡。

 体育館へ移動。体育館にはすでにイスが置かれている。ステージ前には扇形に並べられ、それと向かい合うように平行に並べられている。そちらには保護者の方だろう、十数人の女性が座っている。

 共栄小学校の子どもたちが、そろいの青いTシャツを着て、楽器を手に体育館に入場。先頭に指導の女性教諭。各自の席に座る。子どもたち全員の準備ができた頃を見計らって先生が「下のドを出します、よーい」と言うと、ロングトーン、音階練習。

 そこに、ルイス・ビアヴァ先生登場。会場、拍手で出迎え。スタッフの司会でビアヴァ先生の紹介。

 子どもたちによる演奏。全体をまずは通して。演奏終了。ビアヴァ先生「この日のために用意したの?短い期間で練習したにしてはうまいね」。このように、終始、まずはほめるところから指導を始めていた。

 いよいよ直接指導。セクションごとに分けて最初の1~4小節を練習。トロンボーンとユーフォが演奏するスフォルツァンドピアノについて。ピアノを意識、クレッシェンドを意識。指揮者の先生に対しては「最初の音がフォルテだということを見せて」。

 以下、ビアヴァ先生の指導中の言葉。

「導くために指揮者はいます」
「君たちはグループの一員。指揮者というリーダーに合わせることが必要」
「音をはっきりと意識させるためには、楽譜通りのテンポではなく、遅めに演奏させるとリズム感がよくわかるようになる。そうすると自信につながる」
「オケが悪いのではなく、指揮者が悪いのだと敬虔な気持ちを持つことが大事だ」
「子どもにはできないと思いこんではいけない。子どもたちはすごくよくできる」

 全体で記念撮影をしてビアヴァ先生退場。

 午後からは場所を移動して、中島公園そばの渡辺淳一記念館講義室にて。PMFピアニストの赤堀絵里子さんの講義。赤堀さんがPMFに参加するのは5年目だそうだ。今はボストンにいて活動中。

 もともとは作曲を学んでいたものの、室内学に出会ってから演奏をはじめた。人と一緒に演奏することの楽しさを知ったそうだ。

「音楽とは何でしょうか?」という問いかけに参加者は「?」。赤堀さんがホワイトボードに下のような図を書く。

作 ←←← 演
曲 →楽→ 奏 ⇒(音楽)⇒ 観
家 →譜→ 家 ⇒(音楽)⇒ 客

 作曲家が楽譜を書き、演奏家が楽譜を読んで演奏し、それを観客が聞く。重要なのは、どのパーツが欠けても音楽は成立しないということ。

 しかし、楽譜をただ機械的に再現するだけではそれは上手な演奏とは言えない。解釈し、フレーズを作り込んでいく作業が必要となる。その際の解釈は1つではなく、多様に変わりうる。

 独奏ならば解釈は単独の作業だが、コラボレートする場合は解釈をすりあわせて、1つのメッセージとなるようにする必要がある。たとえば2つの楽器が1つのメロディーを交代で奏でるような曲もあるが、その場合、先に演奏していた楽器の音の大きさを、後から演奏する楽器は引き継がねばならない。そうしないと1つのつながったメロディーには聞こえない。

 そうしたことができるようになるために、赤堀さんは相手のパートを歌うようにしている。頭のなかで歌うことで、全体のイメージをつくることができる。

 最後に、参加者のなかでブルガリアからいらしていたビオラ弾きの方と、赤堀さんが1曲披露。まったくの初対面であったらしく、「演奏者同士が初めて出会って楽譜を渡されて一発目の練習」の雰囲気がよく分かった。

医者の前に立つと症状が消える

 昨日まで腰に痛みが走っていました。一度ならず二度三度と、「ぴし」という痛みに「うぐ」とうめいていました。

 これはやばいかもしれんと、今朝から整形外科に行ってきました。この辺りでは比較的大きな、整形外科の単科病院。8時半に受付をして、呼ばれたのが11時半。

 パタパタと担当のお医者さんが診察室に駆け込んできます。相当忙しそう。脊椎関係の患者さんを今朝から1人で何人も診ているようです。

「痛みますか」
「ええ」
「前屈みになってみてください」
「はい」

 ちっとも痛くない。

「後ろに反ってみてください」
「はい」

 なんともない。

「こちらに座ってください」
「はい」
「腰を左右にひねってみてください」

 平気。どういうわけだろう。さっきレントゲンを撮った時には、曲げ伸ばしをすると「ぴし」ときたものだが。

 先生はにやりと笑い。

「医者の役目はね、2つあります。診断をつけることと、不安を取り除くこと」

 そうですね、いや、十分知っています。

「写真を見てもね、骨はきれいなもんです。椎間板にちょっとキズがはいったくらいでしょう。それは自然に治ります。体重に気をつけて」

 どうもすいません。お忙しいところ、お騒がせしました。

 病院の外だと症状がひどく、医者の前にいざ立ってみると症状がまったく出ないということは、今回に限ったことではありません。おそらく、<strong>はじめからたいしたことはない</strong>のでしょう。普段病気をしないだけに、要は大袈裟なのです。

 で、先生の言う通り、夜には痛みはほとんど感じなくなりました。トリアージって大事だねー。

やきとり一真、網元

 伊達紋別の駅を降りたぼくは、歩いて5分ほどの町中にある旅館に投宿。錦旅館といい、ご夫婦2人で切り盛りされているようだ。名前は古風だが建物は比較的新しい。部屋もきれい。

 夕食を兼ねていつもながらの居酒屋へ。旅館のご主人に尋ねると、目の前にある「やきとり一真」を教えてくれた。

 入り口の網戸を開けると、店の奥までのびたカウンター。中にはおかあさん一人。7時前の店内には客の姿はない。カウンターの中程に腰を下ろし、生ビールを注文。

 メニューはやきとり中心。焼き台にはもう炭が熾っている。さっきまでやきとりを焼いていたふうで、焼き上がったのをパックに詰めてビニール袋に入れている。きっと、近所の人が持ち帰るのだろう。せっかくなので、ハツ、カシラ、つくねをお願いする。

 店の中には古い時計が何台も飾ってある。店の外にも動かない巨大な時計が鎮座していた。「あの時計は何ですか」「どこかの学校が廃校になるというので、建物の上にかけてあったのをもらってきたんです」「そうでしたか」

「こちらは古いんですか」「もう30年になりますか」「ではこのあたりでは一番古い?」「スナックなんかは代替わりしたし、そうかもしれませんね」

 むき出しの梁は真っ黒にすすけて、そこから下がったかさのついた裸電球がぼんやりとカウンターを照らす。入り口脇にはなぜか足踏みオルガン。その上には大きなラジオ。「どれもこれも、要らなくなったものを引き取ってくるんですよ」

 今の時間帯はおかあさんだけだが、後からご主人も店にやってくるそうだ。雰囲気のいいところを紹介してもらった。勘定は950円。

 店を出て夕方の街を散歩。人通りはほとんどないが、活気がないわけではない。小綺麗な感じ。

 飲み屋の建ち並ぶ一角からはだいぶ離れたところ、住宅街の真ん中にぽつんと建つ居酒屋「網元」が2軒目。こちらはネットで調べていて見つけた。名前の通り、船をもっているらしい。せっかく海のそばに来たので魚介を食べたかったのである。

 大きなのれんをくぐると下駄箱があり、靴を脱ぐ。先客は若い男性3人組で、すみのテーブルで盛り上がっている。カウンターは6席ほど、客はいない。座椅子のようなものが並べられていて、あぐらをかいてそこに座ると、ちょうどいい高さにカウンターがくる。これはまた不思議なもの。

 お店はご主人とおかみさん、それにお手伝いの女性3人で切り盛りされていた。冷酒をもらう。短冊に書かれたおすすめの中から、しめ鯖とヒラメ刺しを。

 カウンターの向こう側にいるご主人がすっと差し出した皿の上にはぱっくりと口を開けた、真っ黒で巨大な貝が。五回りぐらい大きくしたムール貝のような。中の身も一口では食べられないほど大きい。かじると口の中に磯の香りが強烈に広がる。どうも、このあたりの岩に張り付いている天然のものだそうだ。

 しめ鯖が到着。刺身のようなピンク色で美しい。塩と酢にちょっとだけつけておいたという感じ。鮮烈な味。うまい。ヒラメ刺しにはママからのサービスでミズダコの刺身が添えられていた。ヒラメはもちもちした食感に甘みが豊か。タコも甘い。

 焼酎のお湯割りをもらう。「牛レバ刺しを」「すいません、水曜じゃないと入ってこないので」なるほど、つぶすのが水曜なのか。ではと味噌おでんを頼む。ゆでたまご、こんにゃく、天ぷら(さつまあげ)を串で刺して甘味噌をかけたもの。高速のSAなんかでよく食べるようなものだが、居酒屋では珍しい。素朴でうまい。

 ご主人がまた小さな皿をすっと差し出してくれる。ナマコ酢。ええっ、いいの?という顔をして見ると、いいからいいからと手のひらを突き出して答えてくれる。酢の加減もいいし、なによりナマコがしっかりしている。これは上等。

 とどめは小振りな毛ガニ一杯丸ごと。ちょっとちょっとこれはと手を顔の前で振るが、ご主人もおかみさんもニコニコ笑い、いいからいいからと。手を合わせ、ありがたくいただく。必死になって身をほじくる。甲羅を割ってかに味噌をほじくり、足を割って身をすする。黙々と解体作業。

 大満足。というか、注文したものよりもサービスでいただいたものの方が多かったのでは。お勘定は2500円。いやあ、安い!魚っ食いのみなさん、伊達に来たら「網元」ですよ。

朝から腰が痛い

 ただいま、伊達紋別行きのスーパー北斗の車中です。b-mobileのおかげで車中でもブログの更新ができる。たいしたもんですね。

 行き先の伊達市は、ただいま移住希望者がとても多いことで知られるそうで。市をあげての移住支援を行っているんだそうで。そのあたり、とても面白い調査ネタが転がっていそうです。

 が、今回の目的は市役所ではありません。あしからず。

 それにしても、今朝目覚めたときから妙に腰が痛いです。たいしたことないかなと特に何もしていませんが、立ったり座ったりかがんだりするときに「ぐ」と声が出そうになります。

 腰が痛くなる原因は、もういくらでも思いつきます。一日何時間も座っていますし、座り方も悪いですし。アマネのことを「高い高い」していますし(彼はいま15㎏あります)。最近調査の準備でけっこうしんどいですし。

 歩けなくなったらちょっとしんどいので、ひどくならないうちに対策を練ります。対策を実施する時間がないのが悲しいですが。