ネットラジオはじめます

研究会や勉強会などでたいへんお世話になっている岡部大介先生におつきあいいただき,ネットラジオをはじめてみることにしました。状況論という,心理学のなかでも割とニッチな部分に特化した内容なのでニーズがあるのかどうか分かりませんが,ゆるゆると続けていければと思っています。

■どんな配信なの?■

心理学や認知科学においてすでにその一角を成している,状況論(situated approach)という考え方が世に現れておよそ30年が経ちました。

80年代から90年代前半に,先人たちが切り開いてくれた状況論の理論的な面白さを,(90年代後半に)大学生・大学院生であったわたしたちは感じながら研究を続けてきました。

ただその一方で,2010年代以降の,さらには「生まれたときから状況論」の若手研究者や大学院生とその熱狂を展開し,分かち合うことをわたしたちはサボりすぎていたように思います。

いただきものにお返しをしよう。あの,状況論が「生まれた」当時の熱気(本当に「熱気」があったのか?)を「ゆるゆると(コンヴィヴィアルに)」取り戻してみたい。そして,この先30年をちょっとでも前に推し進めていきたい。そんな単純な気持ちから,インターネットラジオを始めてみることにしました。

いきなり始めるのではなく,まずは「準備室」を開室しました。2人の「相談者」が,準備室の中で今後のインターネットラジオ企画についていろいろと画策する様子を一般に公開するのが,この,「コンヴィヴィアラジオ 生まれたときから状況論!(仮) 準備室」です。

■誰が話すの?■

岡部大介 @okabedaisuke
 1973年生まれ。東京都市大学教授。「ボス」(上野直樹先生)との密なつきあいの中で状況論に出会う。

伊藤 崇 @dunloeito
 1975年生まれ。北海道大学准教授。「師匠」(茂呂雄二先生)との衝撃的な出会いとともに状況論に出会う。

■いつどこでやるの?■

2021年9月24日(金) 19:00-20:00
YouTubeLiveにて限定配信します。
ちょっと聞いてみようかと興味を持たれたら, https://youtu.be/foWy95LY7ew にアクセスしてください!

地区懇話会の活動をどうするか問題

私が入会している学会に,日本発達心理学会というのがあります。読んで字の如くで,発達心理学に関心を寄せる方々が集まる学会ですね。

この学会の下部組織として国内の各地区ごとに「地区懇話会」がもうけられています。私を含む3名で共同代表を務めているのですが,今年度は不詳私が幹事を務めることと相成りました。

企画を立てて実施すると学会本体から予算をいただけるようなので,今年度は何かやりたいね,という話をしています。共同代表の先生と話をした中で出たり自分で思いついたりしたのは次の3つくらいでしょうか。

その1 院生を中心とした研究発表会
研究のアウトプットを促進するための集まり。夏に開催して温泉地やキャンプ地をめぐる。

その2 難しい本を読む会,あるいは理論的研究の準備をするための語学講座
こちらはインプットを目指すための集まり。なかなか一人では理解がおぼつかない難しめの本を読む。または,洋書を読むのに必要最低限の語学を身につける勉強会。例えば,ピアジェやワロンを読むためのフランス語講座,ヴィゴツキーやレオンチェフを読むためのロシア語講座。

その3 非常勤講師互助会
北海道という地域ならではですが,専門学校や大学などで発達心理学関連の授業をもつことのできる人材不足という問題があります。いきおい,そうした授業は外部の非常勤講師に依存せざるをえません。そうした人材として大学院生は貴重な存在なのですが,いきなり教壇に立てと言われても難しい。そうした非常勤講師1年生となりそうな院生とともに,「発達心理学を教えるとはどういうことか」を考えたり,教える工夫を紹介し合ったりする。

その3は割と必要なのではと思っているのですが,どうでしょうか。

他にもこんな企画はどうでしょう,というご提案があったらお知らせいただければ幸いです。>関係各位

新刊『革命のヴィゴツキー:もうひとつの「発達の最近接領域」理論』(新曜社)が出ました

サバティカルの成果第2弾です。

フレド・ニューマン、ロイス・ホルツマン 伊藤崇・川俣智路(訳) (2020). 革命のヴィゴツキー:もうひとつの「発達の最近接領域」理論 新曜社

フレド・ニューマン(Fred Newman)とロイス・ホルツマン(Lois Holzman)が1993年に出版した”Lev Vygotsky: Revolutionary scientist” (Routledge)の邦訳です(底本は2014年にPsychology Pressから出たクラシックシリーズの1冊)。

1980年代にアメリカで起きたソビエト心理学の再評価運動においてヴィゴツキーは常にその中心にいた心理学者であり、その動向はヴィゴツキー・リバイバルと呼ばれるほどでした。

当時のヴィゴツキー評価の方向性を、その渦中にあって批判し、新たな実践を模索していたのが著者の2人です。

この批判の仕方がめっぽう面白い。詳細は読んでみていただきたいのですが、一部でも取り上げてみましょう。

たとえば、ヴィゴツキー・リバイバルの立役者、マイケル・コールについて(ちなみに著者のホルツマンはコールがニューヨークのロックフェラー大学に設立した研究所で働いていましたし、共著者にもなっていました)。彼が中心になって模索された「生態学的に妥当な方法論」は、子どもたちが実験室で見せるパフォーマンスの現実場面でのそれとの無関連性を批判するものでしたが、

生態学的に妥当なものであるとしても、科学によって生み出されたものを「見ること」は、結局、社会に規定された行動である。新しい物事を見ることができるようになるかもしれないが、見ている物事そのものを変える(transform)ことはないのだから、革命的活動ではないのである。(第2章 方法論としての実験室 p.35)

ニューマンとホルツマンが志向するのは、現実をただ「見て」「記述する」科学ではありません。さらに言えば、現実をただ「見る」ことなどできない、と考えています。

では何ができるのでしょうか? あとは本書を読んでみてください。

訳注どうするか問題

もうすぐ,Fred NewmanとLois Holzmanの共著,”Lev Vygotsky: Revolutionary scientist” (Psychology Press)の邦訳,『革命のヴィゴツキー:もうひとつの「発達の最近接領域」理論』が出版されます。北海道教育大学の川俣智路さんとの共訳です。

革命のヴィゴツキー:もうひとつの「発達の最近接領域」理論(新曜社)

しばらく,この翻訳作業のことについて書いていきます。今回は「訳注」。

『革命のヴィゴツキー』の原著は注の量で圧倒されます。訳すと30頁となりました。これだけ注をつけてくれているのだから訳注は要らないかな,と共訳者と相談していました。実際,2016年から(!)翻訳作業を始めてだいぶ時間がたっており,訳注をつけるとなるさらに納期が遅れるわけです。

そんなとき,伊藤嘉高先生の訳された,ラトゥール『社会的なものを組み直す』(法政大学出版局)を読み,2つ衝撃を受けました。ひとつは,日本語としてとても読みやすいこと(これは,伊藤先生が後書きで書かれているように,強く意識されていたようです)。もうひとつは,訳注の有用性でした。

やっぱり訳注を入れようと共訳者に持ちかけ,言い出しっぺの責任でぼちぼちと作業を始めました。ほとんどは邦訳のある引用文献の,邦訳書の該当頁の情報なのですが,分かりにくい記述や1993年という原著出版年の古さに由来する記述の補足説明など入れているうちに,結局原注と同じ30頁に到達しました。

索引どうするか問題

もうすぐ,Fred NewmanとLois Holzmanの共著,”Lev Vygotsky: Revolutionary scientist” (Psychology Press)の邦訳,『革命のヴィゴツキー:もうひとつの「発達の最近接領域」理論』が出版されます。北海道教育大学の川俣智路さんとの共訳です。

革命のヴィゴツキー:もうひとつの「発達の最近接領域」理論(新曜社)

しばらく,この翻訳作業のことについて書いていきます。今回は「索引」。

『革命のヴィゴツキー』の索引は,人名・事項あわせて21頁あります。これでも削ったのです。電子書籍ならば検索すればよいので索引は不要ですが,紙の本では索引は絶対必要。

校正原稿の索引語候補に蛍光ペンで色をつけていくのですが,原稿が真ピンクになりました。

索引語の中には妙なのもあります。動物もいます。


ハチ
ビーバー
どのような文脈でこれらの生き物が出てくるのか。それは本書をご覧ください。

動物なんて心理学理論の話と関係ないじゃん,と思われるかもしれませんが,エピソードで内容を覚えている人もいます。ヴィゴツキーの『思考と言語』を読んだ人なら,犬と牛の名前交換のエピソードと言えば思い出しますよね。

でもヴィゴツキーがどのような議論で犬と牛を持ち出してきたかはいまいち覚えていないかもしれません。そういう人のために,ヒントとなる語をなるべく多く選び出しました。

編集の方にとっては地獄のような作業だったと思います。申し訳ありませんが,そういう理由だったのです。

新刊『大人につきあう子どもたち:子育てへの文化歴史的アプローチ』(共立出版)が出ました

2016年より細々と続けていた執筆を、昨年からのサバティカルを利用して「えいやっ」と終えたのが年末。

そして、幾度かの校正を終え、ついに出版の運びとなりました。

越境する認知科学シリーズ第4巻『大人につきあう子どもたち:子育てへの文化歴史的アプローチ』(共立出版)

発売は5月26日からとなっておりますが、一足早く私の手元に献本分が届きました。並べてみると壮観ですね。苦労して生み出しただけあり、感動もひとしおです。

ぜひお手にとってください。そしてご高覧いただけましたら、感想・お叱りなど、ぜひお知らせください!!

COVID-19を封じ込めるべくかつての日常生活を犠牲にしている現在、出版業界もまた他の業界と同じくらいひどい損害を受けていると聞いています。そのような中で出版できたことは関係者各位のご尽力の賜です。「あとがき」には書けなかったのですが、共立出版の日比野さん、河原さんには厚くお礼申し上げます。

伊藤崇

サバティカルの成果 その1

2019年10月より1年の間、研究に専念することを本務校よりお許しいただき、筑波大学の高木智世先生のもと、子どもの会話分析について一から学び直しております。

2019年度後期を終えて2020年度前期も引き続きお世話になろうとしていたさなか、ご承知のようにCOVID-19の国内外の流行により、北海道から東京近辺への移動が本務校から止められてしまい、筑波大にうかがうことがしばらくの間できなくなりました。

そのようなわけで、9月末までのサバティカルで行えるのは、家と研究室を往復してなるべく人に会わずにできることに限られます。幸い高木先生のゼミは遠隔で開催される運びとなり、距離的なハンデはまったくなくなりました。また、筑波大学で購入されているリソース(検索システム、オンラインジャーナルなど)も遠隔で利用可能です。半年はおとなしく過ごし、後期からの講義準備と何本かの論文執筆にあてようと思います。

アウトプットにも力を注いでおります。成果の一つとして、2冊目の単著が、2020年5月に出版されます。共立出版にて現在進行中のシリーズ「越境する認知科学」の1冊。書影と目次と概要が共立出版のサイトに出ていましたのでご紹介します。

越境する認知科学シリーズ第4巻 大人につきあう子どもたち:子育てへの文化歴史的アプローチ

この本を仕上げることができたのはサバティカルの大きな成果でしょう。それまでは講義や校務の合間を利用して2019年以前から執筆を続けていたものですが、空いた時間で一気に仕上げることができました。私の執筆スタイル(あるいは認知スタイル)として、100頁を超える原稿に向かうと書いているうちに全体として何を述べたいのか分からなくなってくるというものがあることに気付きました。要するにワーキングメモリが小さいのです。なので、時間をかけて書いていると一貫性がなくなってしまいます。集中して書いたり見直したりする時間が取れたおかげでなんとか書き上げることができました。

現在、もう1冊、翻訳本を仕上げている最中です。こちらはもう5年くらいぼちぼちと作業していたのですが、ようやくまとまった時間ができたので集中して完成させることができました。進展があり次第またお知らせします。

こんなことをしています

札幌とつくばの二重生活をはじめて2か月が経ちました。

筑波大学国際日本研究専攻の高木智世先生のゼミにて、会話分析の基礎を勉強しています。やっぱりひとりで本を読むよりも身につく感じがあります。なにより演習課題を学生たちと一緒に考えるのが楽しい。

それと並行して、アウトプットの1年とすべく、いろいろと作業しています。

当面は、
・共立出版の認知科学シリーズの最終稿を1月上旬までに提出。
・新曜社から出す予定のNewman & HolzmanのLev Vygotskyの最終訳稿の提出と訳注、訳者あとがきの執筆。これも1月を目標に。
・Actor-Network Theoryから見た子どもの発達に関する論考を紀要に載せたい(が、間に合うか)。
・発達心理学研究の特集号に掲載する論文の一部を12月中に。
・小学校における異年齢活動の会話分析を、なんとかサバティカル中に完成させたい。

のんびりできるものかと思いきや(いや、実際には割とのんびりしているのですが)実際に書き出してみると案外忙しいですね。

つくば生活(2)

今日は人文社会系の支援室から駐車場のパスカードをもらい,また別の支援室からコピーカードをもらい,図書館から入館カードをもらいました.これで研究体制が整いました.

平砂と芸専の間にカスミができていたと言いましたが,他にどんな変化があるのか,自分の足で調べてみました.

てくてくと南下していくと,カスミの隣にはサザコーヒーというカフェができていました.なんだか有名なカフェみたいですね.試しに豆を買ってみましたが,さっぱりした飲み口.

平砂を過ぎて追越宿舎に行くと,共用棟に保育所ができていました.なんとびっくり.

確かに宿舎の建物はそれなりにきれいになっていましたが,やはり空き地が荒れ果てていて,なんだかなあという感じです.

つくば生活(1)

本日より,筑波大学人文社会科学研究科の客員研究員として所属することとなりました.正確な所属がよく分かっていないので(ただでさえ筑波大の組織は複雑だ),間違っているかもしれませんが,まあそういうことです.

子どもと大人の相互行為を会話分析の手法を用いて分析する高木智世先生のもとでイチから会話分析について勉強する所存です.できれば,1年間の滞在中に,手元の小学校観察データを分析したいと思っています.

私のことをご存知の方はご承知でしょうが私は17年前まで筑波にいました.少し前に博論の件で何度か大学を訪問したのでまったくの浦島太郎状態ではないのですが,それでもここ数年で大きく変わったと思います.(こういう言い方は関係者しか分からないと思うのですが)平砂から芸専に行く途中に,なんと,カスミができていました.

そういう変化もありながら,ずっと気がかりなのは,道路のあちこちで雑草が伸び放題で荒れた雰囲気を醸し出していることです.雑草を刈る人件費もないのでしょう.

茨城の片田舎に住んでいた幼少期は,筑波というと最先端の未来都市というイメージでした.それがいまでは,80年代的な都市設計の敗北を如実に示していると思います.コンパクトシティの対極ですからね.

それでもそうした町に憧れ,そこで若い時期を過ごした者として再びここで学究生活に打ち込めるのは幸せなのかもしれません.

何かありましたらまた報告します.したっけねえ.