発達心理学会

 21日から茨城の実家へ妻子ともども来ており、2日ばかり家族で過ごしました。

 さて、今年も発達心理学会の季節がやってまいりました。茨城に来たのはそのためです。私は24日の初日からの参加です。
主催は埼玉大学で会場は大宮ソニックシティ。大宮へは実家のそば土浦駅から高速バスが出ているのでそれにて乗り込みます。

 ちなみに学会の後は研究会行脚でじわじわと西へ、伊東経由で名古屋まで向かう予定。その間、妻子は長崎の実家にて過ごします。

 初日、研究会の仲間内で書いた本が出版されたのを題材として、
発達心理学者は発達理論にどう向き合うかについて意見を交わすラウンドテーブルに参加。その本は、「卒論・
修論をはじめるための心理学理論ガイドブック
」といいます。ご関心のある方はどうぞお手にとってください。

 このラウンドテーブル、私はにぎやかし役に回ったのですが、にぎやかすことができないままタイムアップ。
次のシンポジウムの話を聞きながら、私なりに理論について思うところをメモしました(これは次のエントリーにて)。

 夜は執筆者一同プラス数名で大宮駅そばの居酒屋へ突入。気持ちよく飲むことができました。
実家にいったん帰ろうかとも考えていましたが次の日の朝からポスター発表があることを考え、おとなしく駅そばのビジネスホテルへ投宿。

 2日目、ポスター発表です。これは、名古屋短大の松本博雄さんといっしょに考えてきたアイディアを初めて公に問うもので、
「これはいいね」とわれわれが自賛しているストーリーが正しい方向性を持っているのか、
他の人の意見をうかがって確認するという大事な意味があります。

 おかげさまでご興味をもたれた方数名からコメントをいろいろといただきました。ありがとうございます。

 夕方からはヴィゴツキーについて考えるラウンドテーブルに参加。彼の初期の論文「芸術心理学」について、
広島大の岡花祈一郎さんからのご発表を受け、東工大の岩男征樹さんがコメントを返すというやりとりを聞きました。

 ポスター発表での立ち疲れがどっと出て、2日目の全プログラム終了後、よろよろと高速バスに乗り実家へ戻りました。

 今回会ってお話をしてくださったみなさま、どうもありがとうございます。

自転車操業此処に極まる

 日曜から名古屋のhouさんが来ていた。月曜に音韻意識の実験を行なうためである。3歳の子に協力してもらって、
単語の分節の仕方を見るというもの。

 実験の結果については近々、というよりも週末に発表される。なんという自転車操業!仕方がない、
こうでもしないと時間が取れないほどお互い抱えているものが多いのである。

 「最近顔が痛いんだよー」。それは顔面神経痛というヤツですか、houさん。仕事は抑えましょう。

 実験中に撮った映像を見返してデータに起こし、大急ぎでポスターを仕上げて名古屋に送る。

 一仕事終えてもまだ積み残しはある。27日から伊東で身振り研究会の合宿。強面の中堅処がぞろりと来られることが判明しており、
いまから戦々恐々。そのための資料がまだできておらず、今更ながら文献を読み返し、発表の内容を検討する。

 29日からのハンナおばさん読書会のレジメはまだできてない。明日から茨城の実家に帰るが、そこで仕上げる予定。

 かように月末はあちこち飛び回る。先々でお会いする方、どうぞよろしく。

サイコロジスト、ペイ!!

Leo.jpgLeo's Tavern.jpg

 カウンター越しに、コーヒーを注文した。

 どこから来たんだ?

 日本から。

 日本人は何人か来たことがあるよ。今晩そこで演奏するからぜひ来てくれ。宿はどうするんだ。親戚がB&Bをしているからそこに泊まらないか。車で送っていってやるから。

 渡りに船とお世話になることにした。車中、お嬢さんのCDを持っていること、以前NHKで特集をしているのを見たこと、などなどを話す。目元が似ているな、そんな感じがした。

 国道沿いにぽつりと立つ一軒の家がそのB&Bだった。アイルランドではたいていの場合「B&B」というサインが外から見やすいところに掲げられており、だから放浪していても投宿先はすぐに探すことができたのだが、この家には何もしるしはなかった。

 家の中にいたのは、おばあさんが一人と、小太りの中年男性が一人。3人でお茶を飲みながらここまでの行程を説明する。この中年男性氏、オランダから来たのだそうだが、ClannadとEnyaの大ファンだそうだ。自分の部屋を撮った写真を見せてもらったのだが、壁一面びっしりとLeo氏のお嬢さんのポスターが貼ってあった。毎年ここに来ているそうだ。 pilgrimage、そんな言葉が彼の口からついて出た。

 北の夏は夜が短い。7時を過ぎてまだ空に明るさの残る田舎道をぽつぽつと歩いて酒場の戸をくぐった。

 すでにテーブルは埋まり、さざめきが部屋を満たしていた。オランダ氏はすでにグラスを傾けていた。手招きをするのでその向かいに空いていたイスに腰を下ろす。

 Leo氏の演奏は9時半からだという。カウンターでギネスをもらう。およそ2ポンド(当時はまだユーロではなかった)で1パイント。だいたい400円強。日本で飲むと800~900円。なんなんだこの差は(当然酒税である)。

 同じテーブルの斜向かいに座った高齢の男性に話しかけられる。

 お前は日本では何をしている。

 学生であることを言うと、専攻を聞かれた。

 サイコロジーです。

 はは、アイルランドでサイコロジストをやればずいぶん儲かるぞ。

 そう言って男性は杯を空けた。

 どうしてです?

 これだ、と言って差し出すのは空いたグラス。

 アイルランドは飲んだくれが多い、みんなアル中みたいなもんだ、だからサイコロジストが儲かる。そうだろう?サイコロジスト、ペイ!!

 そう叫びながら男性は右手を高く掲げ、やがて目を伏せて揚げた手でグラスをつかんだ。掲題の言葉はこうしてこの男性氏から発せられたものである。

 やがてLeo氏がアコーディオンを持ってステージに登場すると、いつの間にか酒場を埋め尽くした人々は万雷の拍手で迎えた。

 外に出ると半分欠けた月が雲一つない天上から地上を青白く照らしていた。酒場からはまだアコーディオンと歌声、そして喧噪が流れてくる。

 遠くに波の音。ここからは海までほんのわずかなのだ。

 車も通らない道を、ジーンズのポケットに手を突っ込み、宿へと戻った。

 10年経った今、あの夜、Leo氏がどのような演奏をしたのか、実のところあまり記憶にない。しかし、サイコロジスト、ペイ!!という言葉はいまだに耳に残る。

 心理学者というのはほんとうに儲かるのだろうか。

Leo’s Tavernのこと

 あれは1997年のことだから、もう10年も前になる。

 その年の8月、ぼくはアイルランドはカウンティ・ドネゴールの田舎道を独りぽつぽつと歩いていた。
3か月と決めていた放浪の終盤であった。

 ドネゴールはアイルランド島の北の外れに位置し、がらんとした天と荒涼とした地にはさまれた場所である。
丈の短い草に一面覆われたボッグ(湿地)を掘り起こせばピート(泥炭)が取れる。波打って広がる丘陵をまっすぐに突っ切る国道沿いには、
そうしたピートが切り出され、山と積まれていた。

 道ばたで立ち話をした人からLeo’s Tavernのことを聞いた。居酒屋の主たるLeo氏とはClannadのメンバー、
MaireやCiaran、そしてEnyaの父親として知られる。今では世界的成功を収めた音楽家であるかれらの弾き始めは、
父親のパブであったという。

 行きたしと思えど一介の酒場のために道に案内の出ているはずもなし、
逡巡していると背後より走り来た車がすぐそばでキキッと停まった。運転席から顔をのぞかせた男がこちらに何か話しかけるが、
訛りがあまりにもひどくさっぱりである。バックパック背負い途方に暮れるのを見たからだろう、どうやら乗せてくれるらしい。「ありがとう」
と言うが早いか助手席にすべりこんだ。アイルランドを歩いているとよくあることなのである。

 Leo’s Tavernは知っているか。

 運転手氏に話しかけると、おお知っているとも、と言っているかのように(訛りがひどくてやはりはっきりとは分からなかったのである)
ひとしきりまくし立てたかと思うと、国道をそれて丘を登り、その中腹にある一軒の家の前に車をつけた。そこがTavernだった。

 太陽はまだ天高くあり、酒場の開く時間ではなかったが、幸いにドアは開いており中をのぞき込むことができた。

 まだ薄暗い室内にはいくつかのテーブルとカウンターが見える。カウンターにはサーバーの取っ手が並び、その奧にはウィスキーのボトルとグラスが並んでいる。これは見慣れたパブの調度であるが、
よそと違うのは壁に所狭しと飾られたレコードの数々である。後でよくよく見てみれば、
ClannadやEnyaが獲得した何かの賞でもらった品々のようだった。

 やあ。

 こちらに気付いてカウンターの奧から出てきた初老の男性、彼がLeo氏であった。

 (続く)

卒園式

 北大教育学部には附属施設として子ども発達臨床研究センターなるものがあります。
そこでは研究の一環として4~6歳児の保育がなされています。いわゆる「北大幼児園」です。で、今日はその年長さん組の卒園式でした。

 とある事情でぼくの研究に協力してくれた子が卒園生の中にいるので、個人的に感慨もひとしおです。

 2年前の入園直後のその子の様子を振り返ってみると、何をしたらいいのか分からず、ただ突っ立っているだけといったふうでした。
 

 2年経った今では、何事も先頭に立って他の子どもたちと一緒に活動するような、そんな子になりました。

 この変貌ぶりはひとえに保育を担当されている先生方や仲間の子どもたちの力というものが大きいわけですが、当の先生も
「あの子があんなことまで!」とびっくりされていたようです。

 そんな子どもの姿を見るにつけ、言葉の発達がどうとかこうとかなんて、
その子にとってはほんとにちっちゃな側面を切り取ったに過ぎないということが分かってきます。

 しかしまた裏を返せば、そうした大きな、言ってみれば人格的な変化に埋め込まれたものとして、子どもの言葉の発達を見る必要がある、
ということなのでしょう。

 壇上に立ち、先生方から卒園記念品を受け取ろうと待つ。その子の今の「突っ立ち」は、2年前の4月の、
部屋の真ん中での「突っ立ち」とは形式的には同じですが、その子にとっての意味は、おそらく違います。

 当たり前ですが、その子のその変化はもう二度とやってきません。かけがえのない2年間の、そうした貴重な変化のときを、
ほんの少し共有できたことを嬉しく思います。

打ち合わせ

 名古屋からhouさんが来札。研究の打ち合わせのためです。

 もう2年くらい、ああでもないこうでもないと二人で頭をひねってきました。今回も、ホテルのラウンジ、カレー屋、そして研究室と場所を変えながら理論的な骨子をえんえんと相談。いいかげん、とりあえずシンプルなところからやってみようとふんぎりをつけることにしました。最終的に、実験の細部にいたるまでつめることができました。来週、慌ただしく実験を行ないます。

 mouさんとトモちゃんもいっしょにいらしていたので、夕食はうちの家族とともに食事。子ども2人は向かい合って座っていたのでお互いをどうも気にしていた様子。トモちゃんはニコニコと上機嫌で、まわりの大人に愛想を振りまいてました。

 ところでぼくはどうでもいいことに躍起になるタチなのですが、この共同研究のマスコットキャラクターを作ってはどうかと勝手に提案し、勝手に作ってみました。いかがでやんしょ?

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