外国語教育の方法について考えるにあたり,導き手が必要ですね,このことについてとても分かりやすく解説してくれているのが,白井恭弘「外国語学習の科学」(岩波書店,2008年)です。以下,白井(2008)に基づいて,どのような外国語教育が効果をもたらしてくれるのだろうかということについて考えてみましょう。
教育再生実行会議の提言を受けて文科省が検討している事項の中には,小学校3年生からの外国語活動の導入,および5年生からの教科化が含まれていました。議論が起こりやすいのはこの点にあります。ある人は,外国語学習を発達のなるべく早い段階から始めたいと考えています。一方で別の人は,外国語学習の早期化には弊害があると考えています。
どちらの考えをとるにせよ,そもそもなぜ,外国語教育の早期化が提言されているのでしょうか。その心理学的な根拠は何でしょうか?
白井(2008)は,外国語学習の成否を左右する要因として次の3つを挙げています。
1 学習開始年齢
2 外国語学習適性
3 動機づけ
このうち,教育開始時期の早期化と関係するのは1番の学習開始年齢ですので,まずはこの点について検討しましょう。なお,2の外国語学習適性については,本講義では取り上げませんが,興味があればぜひ白井(2008)に戻って確認してみてください。
1 学習開始年齢
学習を開始する年齢がどのように外国語学習に影響するのでしょうか。白井(2008)はその可能性を3つ挙げています。
1つは,そもそも生物学的に,ある年齢を過ぎると外国語学習ができなくなってしまう,という可能性です。
大人にとって外国語学習は難しいものですが,私たちは子どもの頃に母語を学習することはできました。それは当然,非常に早い段階から,胎児の頃からすでに,母語を聞いて育ってきたからだと考えられます。
では,何かの理由によって母語に触れる機会がきわめて限定されたまま成長してしまった子どもは,その後であらためて母語を聞かせればそれを学習することはできるのでしょうか。これは,言語習得には「臨界期」があるのかという伝統的な問題に置き換えることができます。臨界期とは,ある時期を過ぎるとある能力の習得が困難になるその時期のことを指す用語で,言語については12歳頃が学習の臨界期ではないかと指摘した研究者(例えば,エリック・レネバーグ)がいました。つまり,12歳を過ぎても自然言語に接することがなければ,その後いくら言語を教えようとしても困難である,というわけです。これを言語習得の臨界期仮説と呼びます。
レネバーグが指摘した12歳頃という年齢が妥当なのか,そもそも言語習得に臨界期があるのかなど,臨界期仮説を支持するには確たる証拠も少なく,いまだに議論のまっただなかです。ただ,小学校高学年以前からの英語学習をすすめる人たちの中にはこの仮説を根拠としている人たちもいることは確かです。
2つめは母語の影響です。年齢が上がるにつれて母語の知識は増加しますので,開始時期の早期化は,母語の知識がまだ未熟な段階から外国語学習を始めることを意味します。この影響には外国語学習を促進する可能性と,阻害する可能性の2つが考えられます。
母語が外国語学習を阻害する背景には,常に「母語のフィルター」を通して外国語を理解しようとしてしまうことが指摘できます。例えば,英語にはaとかtheとかの冠詞がありますが,日本語にはありません。日本語を母語とする者は冠詞を使わないことを学習しているので,冠詞を使う英語の学習は非常に困難だと言えます。
反対に,母語が外国語学習を促進することもあります。例えば,韓国語は日本語と文法がほとんど同じなので,日本語を母語とする者はそれだけで韓国語の学習に有利だということになります。
このような母語と外国語学習の関係について,心理学では「学習の転移」という用語で説明することがあります。転移とは,すでに学習したことが,後の学習に影響を与えることです。転移には,いい転移と悪い転移があります。日本語を学習することが英語の学習を阻害することは悪い影響で,「負の転移」(または干渉)と呼びます。逆に,日本語を知っていることが韓国語学習にいい影響をあたえるのは「正の転移」と呼ばれます。
外国語学習の開始年齢が学習過程に影響する可能性の3つ目は,学習開始の際の年齢によって,学習環境が変わるというものです。具体的に言い直すと,外国語を学習しやすくなる環境が,ある年齢を境に形成されにくくなるという可能性です。
ジアとアーロンソン(Jia & Aaronson, 2003)は,国から国へと移住したときの年齢によって,その後の外国語学習の進度や洗練さに違いが生じることを明らかにしました。中国からアメリカに移民した中国人はたくさんいますが,何歳のときに渡航したかには個人差があります。移民として暮らし始めた後,かれらが英語をどのように学習したのかについて調べられました。ちなみに,調査に協力してくれた人々の中には,5歳の時にアメリカに来た人から16歳のときに移住した人までが含まれていました。
結果として,9歳を境にそれよりも小さいときにアメリカに来た人と,それよりも後で移住した人とでは,移住1年後は使用する言語はどちらのグループも母語(中国語)でした。これは予想通りの結果です。しかし,2年目以降は,移民当時9歳よりも若かった年少グループの方は,母語ではない英語を好んで使っていたのに対して,年長グループの方は反対に中国語を好んで使っていました。
なぜそうなるのでしょう。実は,年齢グループ間で,かれらが形成する仲間関係が異なっていたのです。年少グループは英語を話す友達と多くつきあっており,反対に年長グループは母語の中国語を話す友達と多くつきあっていることがジアらによって明らかにされたのです。すなわち,小学校低学年までの子どもは,自然な発達の姿として,誰とでも比較的すぐに垣根を取り払うことができます。一方で,思春期以降の子どもは自分と似ている人とグループを形成しやすい,という一般的な傾向があります。
また,ここで示されている過程を推測すると,外国語を使う友達と仲良くなる過程で,結果として外国語が学習され,その結果として外国語の友達が増えるという循環が年少グループには起きていただろうと思います。逆に,年長のグループの方は,外国語を使おうとするものの,結局は同じ言語を使う者同士で固まってしまい,結果的に外国語を使うチャンスを失ってしまうという循環があったのではないかと思います。
これらの3つの可能性をまとめますと,人間の生物学的条件,言語の構造的条件,そして社会環境的条件の3つの側面から,外国語学習開始時期を早めることの利点が指摘できると言えるでしょう。
ただし,最後の社会環境的条件については違う見方をすることもできます。と言うのも,現代の日本の学校教育では,多くの子どもが仲間関係を作る相手は日本語を話す人々だからです。たとえ学校の活動や教科として英語に触れるとしても,日本語を使う他者と日常的にコミュニケーションをとるのであれば英語習得は進まないだろう,という予想も先ほどのジアの研究から示唆されることです。
この点を解消するには,2つの方策があるでしょう。1つは外国語学習に対する強い動機づけをもつことです。もう1つは,それと関連しますが,外国語を使うような強い要請がはたらく生活環境に身を置いてしまうことです。
2 動機づけ
学習し対象となる言語を話す人々の文化や,そこに住む人々自身に好意をもち,理解しようとする動機のことを「統合的動機づけ」と呼びます。統合的動機づけの高い人は,好意を持つ人々と同じように振る舞おうとするとするため,外国語学習に向けた動機は強いと白井(2008)は述べています。なお「動機づけ」とは,なんらかの心理的要因または環境にある物理的要因によって,ある人の行動が引き起こされる過程全体を指します。
反対に,お金を手に入れるとか入試に合格するとか,自分にとっての利益を手に入れるための手段として言語を学習しようとする志向のことを「道具的動機づけ」と呼びます。要するに,外国語は自分の利益のための道具だというわけです。ただ,だからといって道具的動機づけが悪者だというわけではありません。そうした欲望あるいは衝動が「何かが欲しい!」という精神の運動をもたらすわけです。ただ,それが持続すれば学習は続くので外国語学習はうまくいくだろうと思われます。
しかし総じて,統合的動機づけを持つ人の方が最終的には外国語を上手に使いこなせるようになるようです。その例として,日本語がうまく話せるようになった外国人の例を出してみましょう。それは,外国人力士です(宮里,2006)。外国人力士は,単身で日本語を母語としない国からやって来て,相撲で強くなるという目標をもって日々稽古をしているはずです。かれらの目標は優勝であり,周囲の人は蹴落とすべきライバルだということでしょう。
大相撲の外国人力士は,日本で金を稼ぐという大きな目的のために日本語を学習します。つまりは道具的動機づけに突き動かされていると言えます。しかし最終的には,自分を日本の文化に同化させてしまうのです。そうでないと,部屋のある地域で生きていけないからでしょう。したがって,自然と,統合的動機づけの方が強くなるのです。
統合的動機づけの高い人にとっては,外国語を使う人々に好意を持ち,そこに文化に飛び込み,同じような人になることが第一義的な目的です。したがって,言語の学習は二次的な目的です。言語の習得は,結果的に起きてしまう現象だというのが統合的動機づけを重視する立場だと言えるでしょう。
3 外国語教育の方法
学習者の特徴については明らかになったとして,では,どのような方法で外国語教育を実施したらいいのでしょう。
従来の外国語教育法としては,オーディオリンガル教授法とコミュニカティブ・アプローチが主流でした。
このうち,時代的に古いのはオーディオリンガル教授法です。これは,言語の形を学習させることを目的とするものです。文の形式的な比較と反復学習が特徴で,これにより,言語的な知識,例えば音声の知識,語彙の知識,文法の知識を学習させるというものです。
しかし80年代ごろより,オーディオリンガルでは結局学習者が外国語を使えないという批判が現れました。むしろ大事なのは,外国語を使って人々と円滑に会話をすることだというのが,この批判の背景にある思想です。そのために必要なのは談話能力(文と文をつないで意味を作り出す能力),社会言語能力(状況でことばを使い分ける能力),方略的能力(コミュニケーションの目的を達成しようとする能力)といった,言語形式の学習以外の能力でした。これら3+1(言語能力)をまとめて,「コミュニケーション能力」と呼びます。
コミュニケーション能力の学習のために現れたのがコミュニカティブ・アプローチと呼ばれる方法でした。これは,語彙や文法知識が不十分でもとにかくそれを使って意味のあるメッセージを相互に伝達し合おうという目的を明確にするものです。現在の大学の英語教育でも同様の進め方をしている先生もいるかもしれません。
コミュニカティブ・アプローチとオーディオリンガル教授法の大きな違いは,コミュニカティブ・アプローチで用いられる文章や活動は学習する人にとって日常生活と近く,その意味が分かりやすいことだと言えます。一方でオーディオリンガル教授法は文の形式に注目させるので,なぜその文を話したり用いたりしなければならないのかが,学習者には分かりにくいのです。学習者は,本人にとって意味のないことについては学習者になることが難しいかもしれません。
これらとは別に,統合的動機づけの重要性に依拠した,言語学習を最終目的としない言語教育法が提案されています。それは「イマージョン教育」と呼ばれます。イマージョンとは「浸る」という意味で,1960年代のカナダで始められた教育法だそうです。何をするのかと言うと,要は,英語はもちろんのこと,英語以外の教科もすべて英語を用いた授業を行うという方法が代表的です。
コミュニカティブ・アプローチとの違いは,コミュニカティブ・アプローチがあくまでも外国語「を」学習することを目的としているのに対して,イマージョン教育は外国語「で」何かを学習することを目的としていることにあると言えます。イマージョン教育ではすでに外国語学習は目的でなくなっているのです。これが,「言語学習を目的としない言語学習」いうタイトルの意味になります。
イマージョン教育はコミュニカティブ・アプローチをさらにおしすすめたものと考えることができます。学習者は強い目的意識に動機づけられて活動に参加しますが,活動に参加する意味は学習者にとって強く意味づけられたものだと考えられます。
4 なぜアキは訛りをすみやかに覚えたのか
このことは,先ほどの概念を使えば,道具的動機づけというよりも統合的動機づけに基づいていると言えます。また,周りに北三陸訛りを話す人たちだらけの環境で,実際にその言葉を使わなければならないわけですから,イマージョン教育的な学習環境であったとも言えるでしょう。もちろん,同じ言語の訛りと外国語とをいっしょにして考えることは相当乱暴です。
一方で外国語学習にとって重要なポイントもここから挙げることができます。それは,「何のために」学習するのかが明確であるだけで,学習が容易に進みうる,ということです。アキにとっての北三陸とは,自分の話す言葉を変えてでも居続けたい,そういう目標であったことが訛りを速やかに学習したというドラマの流れから推測することができるでしょう。
文献
Jia, G., & Aaronson, D. (2003). A longitudinal study of Chinese children and adolescents learning English in the United States. Applied Psycholinguistics,24(1), 131-161.
宮崎里司 (2006). 外国人力士はなぜ日本語がうまいのか(新装版) 明治書院
白井恭弘 (2008). 外国語学習の科学:第二言語習得論とは何か 岩波書店