国際ワークショップと公開講演会

日本発達心理学会が毎年企画しております国際ワークショップと公開講演会ですが,今年はニューヨークからロイス・ホルツマン(Lois Holzman)先生をお迎えして開催されます。

すでに学会ウェブサイトには案内があがっておりますので,こちらでも宣伝します。というのも,私もこの企画には一枚かんでおりますので,できるだけたくさんの方にいらしていただけるとありがたいのです。

どうぞよろしくお願いいたします。

2012年度国際ワークショップと公開講演会のご案内

英語の文献を翻訳してみよう(1)

大学の演習で,William JamesのThe Principles of Psychologyを読んでいる。

この本はちょうど19世紀から20世紀にかけての曲がり角に書かれていて,いかにして心理学を自立した学問として立ち上げるかが宣言された古典的名著とされる。

ちょっとずつ翻訳していってみよう。翻訳しながら,ぼくなりの翻訳のコツをメモしていってみる。ぼくは翻訳の専門家でも何でもないし,むしろ英語に不自由している者だが,それでも18年以上アカデミックな英語につきあってきた中で編み出してきた自分なりのコツというのはある。それを開陳する。

なお以下の原文は,Christopher D. Greenによる,Classics in the History of Psychologyに基づく。


Psychology is the Science of Mental Life, both of its phenomena and of their conditions.
心理学とは,生きるということの精神的側面に関する科学である。精神において起こる現象,および,それがどういう条件で起こるのかを研究する科学である。

The phenomena are such things as we call feelings, desires, cognitions, reasonings, decisions, and the like; and, superficially considered, their variety and complexity is such as to leave a chaotic impression on the observer.
その現象を私たちは,感じる,欲する,認める,考える,決める,などといったふうに呼ぶ。ちょっと考えると,精神現象のこうした多様性と複雑さは,観察する者にごちゃごちゃした印象を与えるような類のものである。

The most natural and consequently the earliest way of unifying the material was, first, to classify it as well as might be, and, secondly, to affiliate the diverse mental modes thus found, upon a simple entity, the personal Soul, of which they are taken to be so many facultative manifestations.
これらの素材を統一する最も自然で,それがゆえに最も古くからあった方法は,まず,そうあるはずだという通りに分類し,次に,そのようにして発見された様々な精神のモードを,個人の「魂」という独立した単一の存在のもとに互いに関係づけるというものである。この魂なるものは,非常に多くの機能として発現するものと考えられている。

Now, for instance, the Soul manifests its faculty of Memory, now of Reasoning, now of Volition, or again its Imagination or its Appetite.
例えば,この魂は,あるときには記憶,あるときには推論,あるときには決断,またあるときには想像とか欲求といったように,多くの機能を発現させる。

This is the orthodox 'spiritualistic' theory of scholasticism and of common-sense.
これがオーソドックスなスコラ哲学や我々の常識における「唯心論」である。

Another and a less obvious way of unifying the chaos is to seek common elements in the divers mental facts rather than a common agent behind them, and to explain them constructively by the various forms of arrangement of these elements, as one explains houses by stones and bricks.
精神現象のごちゃごちゃを統一する,これとは別の,ちょっとひねった方法として,精神に起こる様々な出来事の背後に共通の主体を探すのではなく,共通の要素を探すというものがある。その上で,ちょうど石材やレンガで家を造るように,それらの要素をさまざまに組み替えて精神現象を構成的に説明するのである。

 The 'associationist' schools of Herbart in Germany, and of Hume, the Mills and Bain in Britain, have thus constructed a psychology without a soul by taking discrete 'ideas,' faint or vivid, and showing how, by their cohesions, repulsions, and forms [p.2] of succession, such things as reminiscences, perceptions, emotions, volitions, passions, theories, and all the other furnishings of an individual's mind may be engendered.
ドイツのヘルバルト,イギリスのヒューム,ミル,ベインといった「連合主義」派はこのようにして,魂抜きの心理学を構築した。彼らは,ぼんやりしていたり鮮明であったりする「観念」を区分けし,その結束や排斥,連続の形式によって,回想,知覚,情動,意思決定,情念,観照といった,個々人の精神を構成するものが発生するであろう仕方を示している。

 The very Self or ego of the individual comes in this way to be viewed no longer as the pre-existing source of the representations, but rather as their last and most complicated fruit.
個人の自己とか自我はこのようにして,あらかじめ存在する表象のみなもととしてはもはやみなされず,その代わりに,結果として現れる,最も複雑な果実としてみなされるのである。


以下,上のような訳を作るにあたって,ぼくが気をつけていること。

1 筆者の思考の構造を想像してみよう。
 それこそsuperficiallyに字面をなぞっていても,Jamesが何を言おうとしていたのか分からない。ある単語が使われたとき,それがいったいどのような思考の構造のもとで出てきたのかを「想像」してみるといい。
 たとえば1行目でthe Science of Mental Lifeとあるが,これは,science of physical life,すなわち生きることの物質的側面(Jamesが医者であったことを想起しよう)との対比が背後にあるのでは,とか。physiologyやbiologyに還元されない学問としてpsychologyの独自性を構想していたのだ,と想像する。無根拠な想像は危険だが,根拠のある想像は豊かな読みをもたらす。

2 無理につなげてはいけない。分けて訳そう。
 文章を接続詞や関係詞,あるいはセミコロンでつなげていくのはネイティブの悪い癖である。そんなのにつきあう必要はない。
 たとえば3行目。to affiliate the diverse mental modes thus found, upon a simple entity, the personal Soul, of which they are taken to be so many facultative manifestationsとあるが,これを1文で訳すとthe personal Soulにかかる説明が重たくなる。そういうときは,2つの文に分けてしまう。結果的にthe personal soulが文中に二度出てきてしまうが,その方がずっと読みやすくなるならそうした方がよい。ネイティブジャパニーズの学生もレポートを書くときにだらだらとつなげて書く癖があるので気をつけるべし。

3 直訳は言い足りないのでどんどん補ってしまおう。
 辞書をひきながら訳すしかないのだが,そこに書かれた語釈はあくまでも簡便なもの。その単語が置かれた文脈に沿って,自分なりに補いながら,たまには大胆に,訳してしまった方が分かりやすい場合がある。ぼくの感覚では「やりすぎ」くらいの方が分かりやすい。
 たとえば,先ほども出たthe Science of Mental Life。これをどう訳すかは難しい。「精神生活の科学」?なんだか新興宗教みたい。Jamesの言」わんとすることをふまえると,「生きることの精神的側面に関する科学」と言ってしまった方が分かりやすいのではと思ったのでそうした。こういう工夫は,どんどんしていった方がよい。

4 冠詞(theとa(n))の使い分けに着目すると,一段と読みが深くなる。
 冠詞は日本人にとって最もわかりにくい英語文法要素のひとつ。これを感覚的に捉えられるようになると,英語の見え方や読みの深さが断然変わってくる。
 たとえば3行目。a simple entity, the personal Soulという箇所で,不定冠詞と定冠詞が並置されているけど,Jamesがどういう発想で使い分けたかを考えてみる。simple entityというのは,いくつもそういうものがある中でのひとつなのだ,とか,personal Soulは,1人にひとつしかないからtheを使っているのだとか,考えるポイントはいくつもある。

5 最後にものを言うのは英語力ではない。日本語力の方が翻訳では大事。
 どういう日本語に置き換えるかは,どのような日本語を知っているかに依存する。日本語をたくさん知らなければならない。

入学式

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息子の下の前歯のうち1本,ぐらぐらしていたのがぽきっと抜けました。「下の歯が抜けたら屋根に放り投げて,上の歯が抜けたら縁の下に放り込む」という,絵本で仕入れてきた知識をかたくなに主張する息子は,マンションの最上階に非常階段を使って登ろうとしましたが15階のうち7階に着いたとたん,怖くてやめました。

小さな下の歯をきれいに洗い,雑貨屋でちょうど見つけて買ってきた「乳歯入れ」に入れておきました。赤い帽子が上の歯用,緑の帽子が下の歯用です。

赤ちゃんの頃からのつきあいだった歯が抜けたちょうど次の日,小学校の入学式がありました。

学校の研究をしているので,これまでに入学式には参加させていただいたことはあります。でも,当事者,もとい,当事者の父親としてその場にいるのは初めてです。

教室の一番後ろの席に緊張して座って周りをきょろきょろと見渡しているのを廊下から眺めていますと,頼もしいような,不安なような。

体育館に移動して,保護者席に座って待っていますと,入り口のドアが開き,1組から順に新入生が入場してきました。つい昨日まで保育園や幼稚園の卒園式に着ていた一張羅をもう一度着て,真っ正面を見ながら行進してきました。

校長先生がうまくリードしてくださったので,大騒ぎになることなく,式はスムーズに進みました。

学級全体と保護者とで記念写真を撮って,教室にいったん戻り,次週からの予定を簡単に担任の先生から受けて終わりです。あっという間でした。

その日の夜は,晩ご飯を食べた後少し気持ち悪そうにしていました。やはり緊張していたのでしょう。床についたとたん爆睡。

これからの(おそらく)12年間,学校という枠の中でどのように暮らしていくのでしょうか。仕事柄,いろいろな話を聞くだけに,考えてしまうことも多々ありますが,それ以上に,なんとかする体勢が社会的に整えられていることも知っているわけで,その意味では安心もしています。

がんばろうな。

新年度をむかえて

大学の秋入学が議論されている昨今でありますが,しばらくは4月から新年度が始まるのが続くのでしょう。

4月に入ってからまだ実働3日目ですが,すでにして疲労困憊です。ようやくできた空き時間でこれを書いています。

疲労困憊の主な理由は,転居したからなのです。荷物の移動や転居にかかわる諸手続で文字通り東奔西走しておりまして,休む間がありませんでした。荷ほどきもじわじわと進んで,ようやく住めるようになってきたところ。

それと,息子が小学校に入ります。こちらはまあのんびりと構えています。学校というところに慣れてくれればいいかなと。

これから疲労困憊しそうなのは,職場関係です。先日,准教授の職を拝命し,さっそく全学のなんちゃら委員会委員にも任じられました。何をどうすればよいのか分かりませんが,部局の責任を背負うことになり身が引き締まるとともに先が思いやられる次第です。

そんなわけで今年度もどうぞよろしくお願いいたします。