FWSP

 函館からの列車はトンネルに入り、地中へと潜り込んだ。最深部を示す緑色のランプが窓の外をしゅんと通り過ぎていくのを座席に座ったまままどろみながら眺め、眠りに落ちた。

 25日、青森県は弘前にやって来た。津軽海峡を電車で越えたのは初めてである。

 相馬村にある「そうまロマントピア」にて開かれるFWSPに参加するためである。FWSPとはField Work Social Psychologyの略で、その名の通り、フィールドワークから研究を行なっている社会心理学者たちの集まりである。東北大の大橋英寿先生、京都大の杉万俊夫先生、大阪大の渥美公秀先生を中心とした関係者、院生が、年に1度、各地を転々としながら集まる。そこで、院生を含めて研究発表をするという趣旨の会である。今回で8回目だそうだが、途中から筑波大の茂呂雄二先生が参加しはじめ、そのおこぼれに預かってぼくは2度目の参加となった。クローズドな会で、新規参加者には開かれていない。

 北大からは3人の院生が乗り込んだ。ぼくは今回は発表会の司会を仰せつかった。

 相馬村というのは、実はもう存在しない。隣の弘前市、岩木町とともに合併し、現在は弘前市となっている。今回のオーガナイザを務められた作道信介先生の車で弘前大から現地へと行く途中に、広大なリンゴ畑が広がっていた。

 そのリンゴ農家でもあり、長らく村議(現在では市議)を務められた清野一栄さんが、初日のゲストとしていらした。そうまロマントピアを中心とした村づくりを長らく調査されている、弘前大の山下祐介先生(社会学)がまずご発表され、それにコメントするという形だった。

 その後、京大と阪大の院生さんの博論発表があり、夕食。総勢30人強の自己紹介のあと、「ディープセッション」と称する飲み会へとなだれ込んだ。

 2日目、質疑応答含めて30分の研究発表が朝から夕方までぶっ通しで続く。午後から北大の院生さんが発表、司会を務める。子どもの遊びの自然観察データをもとにした分析だが、いかんせん理論の部分が弱いという指摘を受けていたようだ。しかし、院生さんはみな、自分の弱いところを積極的にさらけ出し、それについてのアドバイスに真摯に耳を傾けていたようである。頼もしい限り。

 夕食後のディープセッションで杉万先生と少しお話をする。今進めている研究では1人の子どもを追いかけていますと申し上げると、「1人しかデータを取らないのはさぼっているだけではないか、という批判を受けたらどう反論する?」と問われた。そのときは答えに窮してしまった。「そんなことでどうする」とお叱りを受けた。叱られるというのは貴重な経験である。絶対に大事にしなければならない。これについては近いうちにきちんとここで整理したい。

 3日目、ロマントピアに湧く温泉に朝から浸かる。露天風呂から眺めれば、雪を冠した岩木山が、青空にくっきりと映える。なんと美しいことか。津軽富士とはよくいったもので、両裾はなだらかに対称型をなしている。

 昼まで研究発表が続けられ、昼食後解散となった。

 次回は阪大の渥美先生のオーガナイズで、新潟県で開かれる予定である。先生は阪神大震災以降、ボランティアネットワークのご研究をされているが、先だっての中越地震にも入り込んでいる。その関係である。

 帰りの列車の中で仕事をしようと、グリーン車に乗り換えたが、揺れがひどくPCをのぞき込んでいると気持ち悪くなってきた。あきらめてせっかくの広い座席でぞんぶんに足を伸ばし、夜の9時に札幌に着いた。

 とにかく今回の収穫は、杉万先生から叱られたということである。答えられなかった問いは1つだが、それにだけ答えたからよしというものではない。どんなことを問われても答えを準備しておけということである。そういうことも含まれた叱責だったのだ、と了解した。

 帰ってきてから、ある人から杉万先生に言伝を預かっていたのをすっかり忘れていたことに気付いた。森さんごめんなさい。

藍よりも青い君

 今日は卒業式だった。

 学部の祝賀会会場へ踏み入れると、色とりどりの縮緬が視界を覆った。昨日卒業生に会ったので聞いていたのだが、朝5時起きで美容室に入るのだそうだ。どんな服を着ても良いのだが、服にはそれに見合うしゃべり方、笑い方、歩き方があるのだということは覚えておいてほしい。

 ゼミの4年生から色紙と記念品をいただく。みんなの手助けができたかどうか分からないけど、ありがとう。藍よりも青くなってくれ。

 それにしても、と毎年思う。

 昨年の2月頃には卒論など書けるのだろうかと部屋に来て悩みを口にしていた彼/女らが、いつの間にかそれなりに形なすものを書き上げ、それなりの評価を得る。これは目を見張る学習過程である。この過程を傍から眺めて分析できないかとも思うのだが、本人も必死、それを見守るスーパーバイザーも必死とあって、なかなかできないでいる。

 祝賀会を20分で辞し、研究会へ。

 埼玉県立大学から、小児看護を専門とされる徳本弘子先生と添田啓子先生がいらして、先生方が看護学生に行なっている実習の方法について意見交換。学生たちは乳児に触った経験がないか、ごく少ない。そういう現状のなか、実際の病棟に連れて行ってもよいくらいにまで、乳児の扱い方を習得させなければならない。これが先生方の抱えた問題である。

 学生さんたちはグループになって、喘息様の症状が見られるという想定で乳児の人形に対処する、という課題にあたる。体重や身長を測るんでも、体重計にタオルをどうやって敷くか、身長計にどう赤ちゃんを乗せるか、グループのなかで声をかけ合いながら作業を進めていく。ただ、ビデオを見ると、乳児の人形を抱く両腕の形がとにかくあぶなっかしい学生さんもいれば、しっかりと安定した抱き方のできる学生さんもいる。離れたところで作業するために、一次的に人形をテーブルの端に置く学生さんもいて、見ているこちらは思わず「うわ」と声を上げてしまった。

 もちろん子どもに接したことがないのだからできないのは仕方ない。しかし彼女らは(ビデオに出ていたのは全員女性だった)数日間の実習を通して、一通り赤ちゃんの扱い方を身につける。さらには、人形に一個の人格を見出すに至る(それを目論み、はじめから人形には「あっくん」という名前がつけられていた)。

 座学を通して一応の知識と基礎技能を学び、次の段階で演習を通して一連の身体技能を学び、さらに実習を通して現場での総合を試す。このように、場を横断することが看護教育の4年間を通して一貫しているのである。

 乳児保育を担当しているという保育士の方が、会に参加されていた。保育士の中には、2年間の教育を終えて現場に入り、突然生後半年ぐらいの子どもを受け持つことになる人もいる。そうした場合、びいと床で泣く赤ちゃんの枕元に棒のように立ちつくし、どうすればいいのですかという目で見る人もいるそうだ。しかたない、赤ちゃんを実際にあやしたことがなければ、やり方など分からないのは当たり前である。

 たぶん、2年間や4年間というごく短い期間で、「学習することを学習する」ように学生に仕向けなければならないのだろう。難しいけれど、現場に行って動けるようになるためには絶対に必要なことだ。

 研究会の打ち上げで、北大そばの居酒屋「しょうた」へ。これからの大学のあり方について、先生方が杯を傾けながらとりとめなく語り合うのを聞く。

 明日は朝5時起きで、美容室ではなく、青森へ。

博多の風は頬を撫で行く

 20日から22日まで、日本発達心理学会が九州大学で開催された。今、博多に来ている。

 前日の19日から九州に入り、長崎の妻の実家へ。今、妻と子が1か月半ほどの予定で帰っており、ひさびさに会った。アマネはいつの間にかモゾモゾと這って動くようになっていた。だっこすると辺りにあるものをやたら触りたがる。

 20日の早朝、実家の皆様とお別れして、白い「かもめ」に乗って博多へ。

 学会会場は九大箱崎キャンパス。いろいろな方にお会いし、ニコニコしながら歩き回る。

 学会のニューズレター委員会というところで働いているのだが、その懇親会を開いた。幹事である。博多大名にある「寺田屋」にて。目良委員長をはじめとしてみなさんと親睦を深める。懇親会後、残った人々でタクシーに乗り込み、元祖長浜ラーメンにくりだす。やっぱり替え玉だろうと注文したが、量が多く目を白黒させながらなんとか完食。少しスープが水っぽかった気がする。三重大の赤木和重さんと博多駅近くで三次会。

 2日目、ポスター発表である。ある4歳の男の子と、そのご家族の会話を分析したもの。思うに、この学会を含めて言語発達研究は相変わらず盛んなのであるが、発話と同時に非言語的行動まで含めて分析をしているものは非常に少ない。ぼくのものは、会話において子どもが「聞き手」という相互行為上の役割を引き受ける際の、その場での手掛かりを見つけ出そうというもので、その手掛かりには視線やなんやかんや環境にあるあらゆるものが含まれる。そういう分析が必要だと思っているからやっているのだが、言語発達という研究の文脈ではまだまだ少数派である。

 たくさんの知り合いの方々にポスターの前までおいでいただいた。研究の内容をご説明する。こういう機会が貴重であることに最近気づき始めている。発表をする場、反応がすぐに返ってくる場というのが本当に少ない。文句を言う前に自分でそういう場を作ればいいのだが。たくさんのツッコミをありがたく拝聴する。がんばります。

 その日の夜、北大の陳先生にくっついて、九大の橋彌先生ご夫妻がコーディネイトしてくださった、志賀島の民宿で大勢の方々と会食。京大の高田明さんに久しぶりにお会いした。ついこの間アフリカから帰ってきたとのこと。

 さすがにくたびれてきており、ぜいぜい言いながら3日目に。ポスター会場で岡本依子先生と初めてお話しさせていただく。筑波の学部時代、同級生だった澤田匡人君とばったり、近況報告をしあう。がんばっているようでなにより。

 そんなとき、明日帰る飛行機がストのため欠航するという情報が。学部事務から乗る便が振り替えできたとの連絡が来る。助かった。

旅行前夜

 昨夜は同じ団地にお住まいの同僚のUさん宅にお呼ばれ。Uさんには1歳2か月になる女の子がいる。玄関から部屋をのぞき込み、立っちしている彼女と目があった。途端にびえええええと泣いた。そんな彼女も8時過ぎには夢の国へ。

 奥様の手料理をいただきながら、ビールと焼酎の杯を重ねる。どうもごちそうさまでした。雪が溶け、暖かくなったら、一緒に子どもを連れてお散歩しましょうとお約束する。

 本日午後一の飛行機で福岡へ向かう。明日から九州大学で発達心理学会があるからだ。そのため昨夜は早々においとました。

 今回初めてポスター発表で使うポスターをA0サイズの紙そのままプリントしたものにした。院生がそういうポスターを作ろうと意気込んでいて、それに触発された形である。生協で頼んで1万円ちょっと。お高い。研究室、さもなくば研究科単位で大判印刷可能な機械を買うのはどうか。

 旅行には必ず本を数冊持っていく。近く開かれる研究会で読むのと関連するデネットの本『ダーウィンの危険な思想』を持っていこうかと思ったが、分厚すぎるのでやめた。代わりに、デカルト『方法序説・情念論』、廣松渉『哲学入門一歩前』、都築政昭『黒澤明と「七人の侍」』、トマセロ『心とことばの起源を探る』をカバンに詰めた。

職場の世代交代

 いまや転職など当たり前の時代、一つの職場で世代が交代する機会などごく稀であろう。昨日今日とそういう稀な機会があったので感じるところを書く。

 私が奉職している学部の教授お二方が今月で定年を迎えられ、めでたく退官されていく。昨日はそれをお祝いする会が教員親睦会主催で開かれ、本日はお二方合同の最終講義が催された。

 「昭和50年にこの学部に来て云々」とおっしゃっておられたが、私はその年生まれである。そのことを直接申し上げることはしなかった。そんなことは私が言わずとも、もう十分、世代は交代するという事実に戸惑って来られたことと思う。それでもなお、旧世代に属されようがなんだろうが、ご自分で出来うるお仕事をまっとうされ、最後の数年間のお勤めを果たされたのだろう。実に清々しいお顔であった。

 もちろん、自分が古い世代に入るという出来事は誰の身にも起こることである。これを書いている私もそのうち古い人間と呼ばれるわけだ。そんなことは当たり前である。

 そんなときに、無理に新しい世代に合わせようとすることを、新しい世代に属する、少なくとも私は、旧世代の方々には求めていない。時折、新しい世代のことをなんとかご理解なさろうとする御仁、さらにはその表面的な装飾や言説をご自分の身に纏おうとなさる御仁もおられる。あるいはまた、理解できないことに腹を立て、あいつら若い世代はとただ怒ることしかなさらない御仁もおられる。しかし私は、旧い世代の方々にそんなことはしていただきたくはない。

 言い方が正しいのかどうか分からないが、なんらかの「高み」を体現していていただきたいのである。高みとは、私には到底到達しえない場所である。それこそ、「三丁目の夕日」ではないが、その時代、その場所を共有していた世代でないと絶対に理解し得ない何かというものがあるのなら、それは新しい世代には絶対に知り得ないものなのである。それを黙って見せていただければそれでよいのである。媚びていただく必要も、叱っていただく必要もない。

 30年の間、一つ所で多くの学生を世に送り出してこられた先輩に、新しい世代に属する私から何か申し上げることなど、たとえば「長年お疲れ様でした云々」などという表現はとてもではないが畏れ多い。世代の交代に際しては、「どうだ」「分かりました」「うむ」と言うだけのやりとりこそがふさわしいのだろう。そこに至るまでにすべてがあるのである。そうしたやりとりが成立するような関係を築くことは、実は教育というものの到達する一つの極だと思う。

 そしてかく言う私もある世代からすればすでに旧世代なのである。私の一挙手一投足が新しい世代にしてみれば学ぶべき何かなのだ。

 分かりました。かな。

埼玉県立大探訪記

 13日から14日にかけて、陳省仁先生とともに埼玉県立大学にうかがった。先週のKICR探訪と同じく、プロジェクト研究の一環としてである。

 埼玉はひさびさ。午前10時半のANAで羽田へ、そこから京急から都営浅草線、浅草で乗り換えて東武伊勢崎線。越谷の先、せんげん台という駅を降りると、北関東の駅前の風景が広がる。駅前で拾ったタクシーを降りると、目の前に鉄筋とコンクリとガラスでできた巨大なオブジェが現れた。

 埼玉県立大は、大学としては比較的新しい。県立衛生短大を基礎として平成11年に開学した。

 大学の特色はまずその外観であろう。田んぼを埋め立てて造られた広大な敷地にそびえる建築構造物は2つのメインとなる棟から成る。 設計は山本理顕。生活する人々の活動をなにものにも遮られず徹底して透明にするために、外壁をガラスにして、内部を吹き抜けにしてある。

IMG_0025.jpg    大学の内部

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 今回の目的は、看護学科の徳本弘子先生に案内していただいて、乳幼児に対処しなければならない看護師のタマゴを育てるカリキュラムの一部とそのための施設を見学することだった。

IMG_0021.jpg  徳本弘子先生と陳省仁先生

 広い看護実習室には、患者が病院で使うのとほぼ同じベッドがずらりと20台近く並んでいた。同じ部屋の反対側には、グループで座学ができるような設備(テーブル、PC、ビデオデッキなど)がこれまた20台近く並ぶ。学生は、まずビデオやPCなどを通して学習目標を確認し、それから実際に現場でも用いられる器具を使って練習に入る。練習を一通り終えると再びグループ学習に戻り、何が問題だったのか、どうすれば良くなるのかを検討する。これの繰り返しだそうだ。

 小児看護の実習室では、就職を間近に控えた4年生が集まって自習をしていた。心臓に異常のある子どもの心音ばかりを集めたテープを一生懸命聴いている姿は真剣そのものだった。

 徳本先生、それに同じ看護学科の西脇由枝先生と駅近くの豆腐料理屋へ。患者の身になって看護を行なうことを、どうしたら大学教育として学ばせることが可能かと、熱く議論されていた。

 次の日、急遽朝から陳先生の研究発表会が開かれることとなった。渡部尚子副学長にもおいでいただき、10名ほどの先生方が参加してくださる。

 午後から、教員研修会が開かれる。教員がいかにして学生の学習を促進できるのか、テューターとしての役割をどのように演じればよいのか、まずはみずからが学生になってテュータに必要なふるまいを知ろうという趣旨であるらしい。何回かに分けて行なわれるようで、今回は10名程度の方が参加されていた。

 1時間ほど見学してそそくさと大学を後にする。帰りの飛行機に間に合わせるためである。

 札幌に着いたのは7時頃。近くの居酒屋で夕食とした。

KICR訪問記こぼれ話

・おこぼれ1 飛行機

 往きに乗ったJAL機は通路をはさんで横4人がけしかできない小型のやつだった。これがまた強烈に揺れる。正直言って怖かった。

 往きの飛行機の話でもうひとつ。陳先生のチケットに書かれていた座席番号は「11H」。ぼくのは「12C」。こう書かれていたら、「ABDEFG」という並びのCとHだと思うのが当然だろう。外から見た機体はずいぶん小さいのに、なぜ座席が横にそんなに並ぶのだろう。混乱してしまった。

 実際には、「ACHK」という4席並びのCとHだった。ウィトゲンシュタインの言う「規則」の話を思い出した。そうだよなあ、勝手に規則的だと思いこんでいることってあるよなあ。

・おこぼれ2 タクシーのなかで

 タクシーの運ちゃんの話。けいはんなの学術文化研究都市は、山を切り開いてむりやり造られた計画都市である。どうやら元代議士のノナカさんが引っ張ってきたらしい。山の持ち主は一晩で億万長者となったそうだ。ただ、いかんせん交通の便が悪い。

 むりやり作られた計画都市という意味では筑波も似たようなものである。学園都市が生まれて30年、ようやく昨年東京と電車が通じた。あと20年くらい待てばけいはんなにも電車が走るだろうか。できるとしたら、高架のモノレールかな。

・おこぼれ3 梅田の夜と朝

 帰りの伊丹空港に行きやすいように、ホテルは大阪梅田に取った。泊まったOSホテルのすぐ裏にはお初天神がある。

 一仕事終えた陳先生とぼくはホテル裏のアーケードをさまよい、鍋料理屋で舌鼓を打った。陳先生からは台湾からイギリスへ渡ったいきさつや、イギリスでの学生生活についてうかがった。

 あまりに眠く、11時には就寝。

 次の日、朝食後に街を散歩した。お初天神は2回目だ。最初に来たのは、『アタック25』に出場したときで、確か近くのお好み焼き屋でメシを食った覚えがある。

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 出勤途中のサラリーマンが神社の敷地内を斜めに突っ切っていく。その途中、賽銭箱の前で立ち止まり、小銭をそこに投げ入れて上にかかった鈴を振り、手を合わせてから足早に去っていった。ふと、アイルランドのゴールウェイで見た光景を思い出した。朝の教会の前を出勤途中の女性が足早に通り過ぎながら、胸の前ですばやく十字を切るのだ。宗教というのはけして観念的なものではなく、こういう、日頃の暮らしに埋め込まれた些細なことなのだろう。

 バー「北サンボア」の前の日だまりに子猫が2匹、うずくまっていた。

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KICR訪問記(2)

 小嶋秀樹さんたちが製作されたInfanoidはさまざまなメディアを通して知られていることと思う。ラボにも新聞や雑誌の記事の切り抜きが掲示されていた。

IMG_0097.jpg  Infanoidと小嶋さん

 むきだしの配線や大きめの眼球はいかにもグロテスクではあるが、これはあえてロボロボした感じを残しているのだそうだ。たとえばマネキンのように人間のような外見をもたせようとすることもできるが、かえって実際の人間との違いが際だってしまってダメらしい。

 小嶋さんがコンピュータを立ち上げる。「命を吹き込みました」とおっしゃったのが印象に残った。

 準備運動のあと(Infanoidは、可動部の可動範囲を計算する基準点を探すために、準備運動をする)、きょろきょろと辺りを見渡し始めた。背後のディスプレイにはInfanoidの見た風景が映る。この画像を解析して、見るべきものに注意を向けるよう体や眼球を動かすのである。

IMG_0096.jpg  Infanoidの見る景色

 キーポンにはできなくて、Infanoidにできることはいくつかあるが、コミュニケーションの発達を考える上で大事なのは次の2つ。まず、他者の発話を模倣すること。小嶋さんがマイクに向かって「おはよう」と言えば、Infanoidはほやっとした声で「ほあよおおほ?」と返す。録音した声をそのまま発話させるのではなく、いちど他者の声を解析した後にそれを返すようにしているのではないか(この点は、未確認)。

 もう1つは、指差しができること。手には5本の指があり、それぞれ独立して動かせる。人差し指だけを立てて、小嶋さんの差し出したピンク色のウサギ人形を指さした。

  発話したり指差しをしたりするInfanoid (Movie 2.99MB、約30秒)

 この2つの機能をベースにして、事物をことばで指し示すという、コミュニケーションの発達上、もっとも重要な能力を持たせることを小嶋さんは大きな目標にしておられる。 Infanoid自身にそうした能力が発現するまでにはまだまだ長い時間がかかりそうである。今のところは、 Infanoidを一種の鏡として、上記のような機能を持ったロボットと出会ったときに人間がどのようにコミュニケーションしようとするかを観察しているところだろう。

 このあと、現在開発中のロボットのモックアップを拝見した。

 これらのロボットを見て思うに、人間にはできなくて、ロボットだからこそできることは、そのものの外見的な、あるいは触覚的な質感のコントロールではないか。わたしたちの肌や毛は生まれもってのものであるから、これらはいかんともしがたい。しかしロボットは、コミュニケーションに必要な機能としては人間と同等のものを持ちつつ、なおかつ見た目をコントロールすることができる。樹脂や金属やフェイクファーの質感をもつこと。これはロボットにしかできない。

 ロボティクスというとどうしても内部の計算をどうするかとか、環境に実機を置いたときにフレーム問題をどうクリアするかといった問題が注目を集めてきたが、コミュニケーションする身体としてロボットを考えたとき、どのような存在感を、どのようにしてもたせるかという問題も浮かび上がってくるだろう。言うならば、私たちの視界にInfanoidのような存在が入ってきたときに、「ロボットがある」と思わせるのではなく、「ロボットがいる」と感じさせることがどのようにしてできるのか、という問題である。

 たとえばキーポンを子どもたちの中に置いたとき、ある女の子がキーポンを遠巻きに眺めていた場面をビデオで見せていただいたが、彼女には「変わったお人形がある」ではなく、「何だか分からないやつがいる」という感覚があったのではないか。

 蛇足ではあるが、日本語では存在を表現するのに「ある」と「いる」の区別が可能である。他の言語ではどうだか分からないけれど、たとえば英語では「be」に回収されてしまう感覚が日本語では区別されて指し示される。この点、日本語でものを考えることのできる人にとっては、アドバンテージになるのではないだろうか。

KICR訪問記(1)

 8日から9日にかけて、けいはんな地区にある情報通信融合研究センター(KICR) へ行ってきた。小嶋秀樹さんにお会いするためである。

 小嶋さんはコミュニケーションの成立するしくみについて研究をされている。その方法がたいへん面白い。まず、生き物のように動くロボットを作る。その意味ではロボット工学の技術者である。しかしそれにとどまらない。子どもや大人がそれに対峙したとき、どのようなインタラクションが発生するのか、また、それとのやりとりを繰り返すことによってインタラクションがどのように発達していくのかを、つぶさに観察されている。だから認知科学者でもあり、発達心理学者でもある。詳しくは、 Infanoid Projectホームページを参照のこと。

 私は3年くらい前に一度お会いしていた。確か、Katherine Nelsonが東京にやってきたときにオーガナイザとして働いていらして、そのときにお世話になったように覚えている。

 小嶋さんにお会いする目的は2つあった。1つは、Infanoid Projectについてお話を伺うこと、もう1つは、教育学研究科の陳省仁先生、佐藤公治先生とともに行なっている研究プロジェクトについて、なんらかのサジェスチョンをいただくことであった。

 今回の旅は陳先生のおともをするものである。朝9時半のJALで伊丹へ、バスと近鉄を乗り継いで最寄りの高の原駅に着いたのが1時半すぎ。そこからタクシーで住宅街を抜けた先の山を越えると急に視界がパッと開け、研究都市が広がる。

 KICR玄関ロビーで待っていると小嶋さんご本人が出迎えてくださった。

 案内していただいたラボのそこここにロボットが鎮座していた。

 小嶋さんと共同で研究されている仲川こころさん、ヤン・モレンさんも同席してくださり、 Infanoidプロジェクトの成果についてうかがった。

IMG_0103.jpg右から、小嶋秀樹さん、仲川こころさん、陳省仁先生

 Keepon(キーポン)は高さ20センチくらいの、雪だるま型のロボット。両の目がカメラ、鼻がマイクになっており、それが拾う映像と音声をワイヤレスで飛ばし、受信したコンピュータで記録と解析を行なう仕組みである。見たものに注意を向ける、すなわち体ごと物体の方を向き、顔の向きを上下に傾けることができる。それ以外にも、体を上下にゆすったり(この動作を見ていたら、なんとなく『できるかな』のゴン太くんを思い出した)、首を左右に揺らしたりすることもできる。

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 小嶋さんたちはこのキーポンを、保育園や、発達障害をもつお子さんの参加する療育グループに持ち込み、そこで子どもたちがキーポンとどのような関係を築くのかを観察されている。自動で動かすことも(つまり、注意を向ける価値のある対象を映像の中から自動的に抽出し、そこに視線を向けようとキーポンが自動的に動く)できるそうだが、現場ではより人間らしい動きをさせるために、仲川さんが黒子となって別室から操作しているとのこと。

 キーポンの目(カメラ)から見た映像は録画されており、私たちはさながら子どもと出会ったキーポンの視点を追体験することができる。キーポンとのやりとりで、子どもたちは実にさまざまなはたらきかけをする。怖がって近寄らなかったり、たたいたり、蹴ったりもするが、キスをしたり、なでたり、食事をあげようとしたり、絵本を読んでくれたりもする。観察者はすべてをキーポンの視点から見ることとなるのだ。

 これが面白い。

 保育室やプレイルームに、人形やぬいぐるみがあるのはありふれた光景だ。子どもたちはそれらに対して、遊びの中で、たたいたり、なでたり、食事をあげたりする。これまたありふれた光景だろう。では、単なるぬいぐるみとキーポンに違いはないのか、あるのか。あるとしたらそれはなんなのか。

 単なるぬいぐるみは動かない。もちろん、目をぱちくりさせたり、手足を動かして歩いたりする、からくり人形のたぐいはそれこそ大昔からあった。ただ、それらは「動くこと」そのものを目指して作られたものだ。動きそのものが楽しみを与えてくれるのである。

 もちろん、キーポンも動く。しかし、キーポンにとって「動くこと」は到達点ではなかった。動くことによって、子どもにとって意味ある表現を組み上げていくことが目標なのだろう。キーポンはきょろきょろと視線をうろつかせ、あたかも意志があるかのようにふるまう(実際に、キーポンの動きは仲川さんの意志が反映されたものだ)。この、「意志」を、いかに限られたデバイスで表現するかが小嶋さんたちの取り組まれたことだったように思う。

 さらに言えば、単なる人形とキーポンの違いは、子どもたちにおいて編まれる「物語」の形成のされ方にあるように思う。

 子どもたちは頻繁にままごとをするし、そこには動かない人形が子ども役で登場したりする。ここでは人形は一種の憑坐(よりまし)である。人形には子どもの想像した何かが憑く。したがって、人形の意味は子どもの想像を超えることはない。

 キーポンも、ままごとに子ども役で登場するところまでは同じだろう。しかし、キーポンは動いてしまう。子どもにとってある方向を向いて欲しいときに、そっぽを向いていたりすると、子どもはいちいち想像を修正しなければならないはずである。そっぽを向いているのには理由があり、たとえばそちらにキーポンの欲しいものがあるとか。これは子どもの想像したことであるが、キーポンがそっぽを向くまでは想像しなかったことでもある。このことを言い換えれば、子どもたちの想像する物語は、キーポンの自律的な動きによって完結しなくなる。この点はとても重要なことだと思う。

 小嶋さんは、キーポンと子どもたちのあいだに「ループ」を作るという表現をされていたように記憶しているが、ループ上のインタラクションは、子どもの想像にキーポンが切れ目を作ることによって生まれるのだろうと想像する。

 それにしてもキーポンは私が見てもかわいらしく、ついなでなでしたくなる。材質はシリコンだそうで、ふにょっとした質感もまたよい。帰りがけにキーポンストラップをいただいた。これまたかわいらしい。(やっぱり見れば見るほどゴン太くんだ。)

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 キーポンと子どもたちのビデオを拝見した後、動くInfanoidを見学したのだが、それはこの続きで。

疲れてるのかなあ

 札幌の自宅に戻ると、当たり前だが誰もおらず、静かなものである。

 帰省中の疲れが出たのか、独り身の感覚が戻らないのか、ポカをやってしまった。

 ポカ1 風呂に湯をはろうとしてガス釜に火をつけ湯を出した。浴槽の底の水抜きの穴に栓をするのを忘れて、2分ほどたあたあと流しっぱなしにしていた。

 ポカ2 湯をはったので、風呂に入った。浸かっているときから「なんか臭いなあ」と感じていた。4日間風呂を使っていなかったわけで、そのせいかとたいして気にせずにいた。
 風呂から上がってはっと思い出したことがあった。
 風呂に湯をはる前に、浴槽を洗おうとその内側の壁にバスマジックリンを吹きつけなかったか、おれ。
 で、吹きつけたのはいいけど、そのあとスポンジでこすった記憶も、マジックリンを洗い流した記憶もないぞ、おれ。

 臭いのは、風呂の湯に溶けてまざったマジックリンのにおいでした。
 そのせいかどうなのか、これを書いている目がヒリヒリするし、腕がかゆい。