函館からの列車はトンネルに入り、地中へと潜り込んだ。最深部を示す緑色のランプが窓の外をしゅんと通り過ぎていくのを座席に座ったまままどろみながら眺め、眠りに落ちた。
25日、青森県は弘前にやって来た。津軽海峡を電車で越えたのは初めてである。
相馬村にある「そうまロマントピア」にて開かれるFWSPに参加するためである。FWSPとはField Work Social Psychologyの略で、その名の通り、フィールドワークから研究を行なっている社会心理学者たちの集まりである。東北大の大橋英寿先生、京都大の杉万俊夫先生、大阪大の渥美公秀先生を中心とした関係者、院生が、年に1度、各地を転々としながら集まる。そこで、院生を含めて研究発表をするという趣旨の会である。今回で8回目だそうだが、途中から筑波大の茂呂雄二先生が参加しはじめ、そのおこぼれに預かってぼくは2度目の参加となった。クローズドな会で、新規参加者には開かれていない。
北大からは3人の院生が乗り込んだ。ぼくは今回は発表会の司会を仰せつかった。
相馬村というのは、実はもう存在しない。隣の弘前市、岩木町とともに合併し、現在は弘前市となっている。今回のオーガナイザを務められた作道信介先生の車で弘前大から現地へと行く途中に、広大なリンゴ畑が広がっていた。
そのリンゴ農家でもあり、長らく村議(現在では市議)を務められた清野一栄さんが、初日のゲストとしていらした。そうまロマントピアを中心とした村づくりを長らく調査されている、弘前大の山下祐介先生(社会学)がまずご発表され、それにコメントするという形だった。
その後、京大と阪大の院生さんの博論発表があり、夕食。総勢30人強の自己紹介のあと、「ディープセッション」と称する飲み会へとなだれ込んだ。
2日目、質疑応答含めて30分の研究発表が朝から夕方までぶっ通しで続く。午後から北大の院生さんが発表、司会を務める。子どもの遊びの自然観察データをもとにした分析だが、いかんせん理論の部分が弱いという指摘を受けていたようだ。しかし、院生さんはみな、自分の弱いところを積極的にさらけ出し、それについてのアドバイスに真摯に耳を傾けていたようである。頼もしい限り。
夕食後のディープセッションで杉万先生と少しお話をする。今進めている研究では1人の子どもを追いかけていますと申し上げると、「1人しかデータを取らないのはさぼっているだけではないか、という批判を受けたらどう反論する?」と問われた。そのときは答えに窮してしまった。「そんなことでどうする」とお叱りを受けた。叱られるというのは貴重な経験である。絶対に大事にしなければならない。これについては近いうちにきちんとここで整理したい。
3日目、ロマントピアに湧く温泉に朝から浸かる。露天風呂から眺めれば、雪を冠した岩木山が、青空にくっきりと映える。なんと美しいことか。津軽富士とはよくいったもので、両裾はなだらかに対称型をなしている。
昼まで研究発表が続けられ、昼食後解散となった。
次回は阪大の渥美先生のオーガナイズで、新潟県で開かれる予定である。先生は阪神大震災以降、ボランティアネットワークのご研究をされているが、先だっての中越地震にも入り込んでいる。その関係である。
帰りの列車の中で仕事をしようと、グリーン車に乗り換えたが、揺れがひどくPCをのぞき込んでいると気持ち悪くなってきた。あきらめてせっかくの広い座席でぞんぶんに足を伸ばし、夜の9時に札幌に着いた。
とにかく今回の収穫は、杉万先生から叱られたということである。答えられなかった問いは1つだが、それにだけ答えたからよしというものではない。どんなことを問われても答えを準備しておけということである。そういうことも含まれた叱責だったのだ、と了解した。
帰ってきてから、ある人から杉万先生に言伝を預かっていたのをすっかり忘れていたことに気付いた。森さんごめんなさい。