熱発

 ここのところアマネの食欲がなく、ずっとぼうっとしているので心配になって体温を測ってみると39度もあった。熱には夕方気づいたので、夜間も開業している小児科へ急ぐ。

「カゼということで処方しておきますが熱が続くようでしたら病院へ」

 とのこと。薬をもらって帰宅した。

 ふとんに入ってすぐに眠ったが、眠り浅く、ひいひいとかぼそい声でしょっちゅう目を開ける。かわいそうだがしかたない。

ちんちん

 ブーブーを買ってはや1週間、これまで遠い遠いと感じていた市内のあちらこちらが突然近く感じられるようになった。
サッポロビール園のすぐ隣に大型ショッピングセンターができたので1度行ったことがあった。
そのときは電車とバスを乗り継いでようやっとたどり着いたのである。午前中から「行くぞ」と決心を固めなければならなかった。

 それがどうだろう。午後3時くらいに「ちょいと行ってみようか」と気軽にブーブーに乗り込み、
ものの30分ほどでショッピングセンターに到着。たくさんの買い物をしても、
ビニール袋を両手にひっかけてアマネを抱えながら地下鉄駅の階段を上り下りする必要もない。ブーブーのうしろにポイと放り込むだけである。

 ビバブーブー。

 ところで、タイトルのちんちんとは、あのちんちんである。最近のアマネは自分のちんちんがお気に入りで、
しじゅうおむつの中に手を突っ込んでもぞもぞやっている。もぞもぞ触るだけならまだしも、
ときおりそれがおむつの中から顔を出していることがある。そんなときに「ちー」とやられると床が大変なことになるわけである。

 トイレットトレーニングもいよいよである。

ブーブー

 ブーブーを買いましたよ。家族用と、アマネ用と。

 家族用は、ホンダのキャパ。下取りされた中古車をディーラーから諸経費もろもろ込みで62万円で。
今のところは快適に街の中を走っています。

 アマネ用は、おもちゃの一輪車。一輪車といってもピエロが乗ってそうなヤツではなくて、箱のしたにタイヤが1本ついていて、
その後ろに取っ手が2本突き出ていて、押して進むヤツ。こちらはホーマックで900円。
彼はこれをころころ転がしながら押していくのが大好きなようです。

 おかげでこの週末はアマネはいたくご機嫌で、うちの外でも中でも「ブーブー、ブーブー」と言って大喜びしていました。

ケータイ非使用時のケータイ使用について

 人目につくようなかたちでケータイを持つことが可能となるためには、2つの条件が満たされていることが必要だろう、という話をした。

 持つことが可能であるとして、では実際にどうやって持っているのか。このことについて街の中の人々の行動を眺めてみよう。

 そのつもりで眺めていると、人々はケータイを実にさまざまな仕方で「持って」いることが分かる。

「ケータイの持ち方」に注目したのは、JRの駅にいたある若い女性の振る舞いを見たせいである。
彼女は折りたたみ式ケータイを右手に持ち、画面が見えるようそれを広げたまま、画面のある側の縁を自分のあごの先につけて立っていた。

 彼女はケータイの主な機能を使ってはいなかった。メールも電話もしていなかった。ただ、ケータイにあごを「載せて」
視線を遠くに投げかけていただけだった。

 しかし、まぎれもなく彼女はケータイを使っていた。手に持つことが可能なモノとして使っていた。
われわれが傘やステッキに体ごともたれかかるように、ケータイにあごがもたれかかっていたのである。

 タイトルの、「非使用時の使用」とはこのことを指す。確かに主機能は使われていない。しかし「あご載せ台」
として使われていたのである。

 「あご載せ台」としての使用法の他に、どのようなものがありうるのか。同じく駅にいた男子高校生の10分間の観察から、
以下のような行動レパートリーが得られた。ちなみに彼が持っていたのは折りたたみ式ケータイであった。

 ・ 頻繁な開閉。
 ・ 開閉の一バージョンとして、ケータイを開いたまま、持った手の肘を支点にして勢いよく上に上げ、その勢いで画面側を閉じる。
「ケン玉型開閉」。
 ・ 閉じたケータイの両横を、手の親指と中指を使ってはさみ、
別の手の指でケータイのアンテナ側とその反対側の端をはじいてくるくると回す。
 ・ 開いた状態で画面側を体の一部にこすりつける。観察された動作としては、ケータイを持っていない側の膝頭が服の上からこすられていた。

 ・ 同様に、開いた状態で、画面側で体の一部をぽんぽんとたたく。同様に膝頭をポンポンとたたいていた。
 ・ アンテナを延ばし、手の指ではじく。アンテナはびよんびよんとしなる。

 彼は待合所のベンチに腰を下ろしており、そのことが多様な行動を可能にした側面もあろう。
たとえばケータイの画面でこすられたりたたかれたりしていた体の部位が膝頭だったのは、座っていたからだと言えそうだ。
もしも立位であったら、他の場所(腿の脇とか)が選ばれていたはずである。

 いずれにせよ、ケータイとは使っていないときにも使われるモノなのである。「もてあそび」という用途を満たすモノとして。

 前のエントリからの話をまとめると、ケータイとは「もちはこび」と「もてあそび」を可能にするモノだということが言える。ここで、
人が人前でケータイを「もてあそぶ」ことが可能となるための条件に、「もちはこび」
が可能となるための諸条件が含まれていることは言うまでもない。

 蛇足だが、ケータイのもてあそび行動を見て取りやすいのは、乳幼児においてである。わが子は1歳前後の頃、
親の使うケータイをしきりに持ちたがった。持っては、パタパタ開いたり閉じたりしてみたり、アンテナを延ばしたり、
キーをプチプチと押したりしていた。

 もてあそび行動のレパートリーとして他に何があるのか、もう少し観察を続けてみようと思う。
今和次郎の考現学のような感じになるだろうか。

持ち運び可能なモノとしてのケータイ

 ケータイを使った行動について興味をもっている。ケータイとは、携帯電話やPHSを含む移動通信機器をここではまとめてそう呼ぶ。

 ケータイにかんする研究というと、電話やメールなど、それを使ったコミュニケーション行動に焦点があてられている。その一方で、
ケータイのケータイたる所以、すなわち、持ち運ぶことのできるモノという性質にはあまり焦点があてられていないように思われる。

 カバンや衣服のポケットに収納した持ち運びはもちろんのこと、文字通り手にケータイを持ちながら街を歩く人のなんと多いことだろう。
ケータイはコミュニケーション・ツールである以前に、我々が人々のいる社会的環境の中を持ち運ぶことの可能なモノなのである。

 社会的環境の中を持ち運ぶことが可能、とは2つのことを意味する。一つは、
人間が持ち運びできるくらいの形状や重さだという意味である。30kgもあるケータイは物理的に持ち運ぶことが不可能である。

 もう一つは、ある個人が他の人々を前にしている際に、持ち運んでいてもかまわない、おかしくない、という意味である。
これはたとえば、衆人の中を鶏もも肉の塊やむきだしのナイフを手に持って歩いている姿を想像してもらえればよい。
獣の肉の塊を手に持ち歩く人が駅の構内を歩いていたら「変」であるし(「変」とならないための工夫としては、食肉業者的な格好をする、
という手がある)、ナイフをむきだしで持って歩いていると、「変」である以前に銃刀法違反で捕まる。

 面白いことに、紙幣をむきだしのまま手に持って歩くのも「変」である(これはぼくだけの感想か?)。ところが、
びらびら広げた状態だと変なのだが、折りたたんで手の中に入れておくと「変」でない。というか「変」かどうかという判断が、
第三者にはできない。隠れて見えないのだから。だが、容易に想像がつくように、
街を歩く多くの大人は紙幣を身体のどこかに持ち運んでいるはずである。

 このように、他者から見て持ち運びが許されているモノは、実はそんなに多くない。日本のこれまでの歴史の中では、
思いつくままにたとえば傘、ステッキ、うちわ、タバコ、ペット、財布(紙幣は変なのに財布は許される)、
カメラなどが持ち運び可能なモノの一覧に入れられてきた。

 繰り返すが、人間にとって身につけた状態での自力移動が可能な程度の物理的な大きさや重さである、という条件(条件1としよう)
とともに、人目につくようなかたちで所持したまま社会的環境の中を移動することが適切だと考えられている、という条件(条件2とする)
がそろってはじめて、手にそれを持って歩くことが可能になる。

 ケータイに話を戻すと、1990年代初頭までのケータイは、条件1も満たされていなかったが、
条件2もまた満たされていなかったのである。

 いわゆる自動車電話と呼ばれていた時代は、確かに鈍重な形をしており、手に持ったまま長時間歩くことは至難の業だったろう。
NTTドコモによれば、1985年に世に出たショルダーホンは3㎏近くあったようである。
1987年のケータイ専用機TZ-802型ですら、
900gあった。

 これまでのケータイの歴史の語られ方では、この条件1がいかに満たされていくかという観点が中心になっていたように思われる。
軽薄短小を理想のゴールとする歴史観である。

 ところがその陰で、いかにして条件2が満たされるようになっていったかという歴史観はほとんど語られてこなかった。

 面白いことに、初期のケータイは、人目につくような形で持ち運ぶことが快く思われていなかったのである。たとえば松田・伊藤・
岡部編(2006)「ケータイのある風景
所収の松田論文には、金持ちの鼻持ちならなさを象徴するものとして、ケータイをこれ見よがしに持っている人への嫌悪感を語った、
1990年代初頭の文章が引用されていた。条件2が満たされていなかったのである。

 ところが、いつの間にか、条件2は満たされていた。こちらの歴史をきちんと解かない限り、
移動通信機器と人間とのかかわりを理解することは難しいだろう。

 なぜこんなことをつらつらと書いているかというと、ひとつには学部の心理学実習でケータイをテーマに取り上げていることがある。
先日も駅でケータイを使う人の行動を観察しに出かけた。もうひとつは、それとの関連なのだが、ぼく自身、
高校生や大学生のケータイ使用をよく観察するようになったことがある。観察していて気付いたのだが、
ケータイをカバンや衣服のポケットにしまうという時間がほとんどないのである。

 たとえば、駅構内のベンチに座っていたある男子高校生の場合、メールを打ったあと服の胸ポケットにケータイを入れた。
20秒ほどたって取り出し、ふたたび画面に見入った。折りたたみ式ケータイの場合、たたむことはあってもどこかにしまうことはほとんどない。
人目につくところに出しっぱなしなのである。

 こういう光景を見て、世の中には人前で出しっぱなしにできるモノとできないモノがあって、
ケータイは前者の範疇に入るのだなあと考えた次第。

 (もうちょっと続く)

羊ヶ丘でYOSAKOI

 札幌は今日もカラッと晴れたよい天気。こんな日は遠出をしたくなります。今日は羊ヶ丘に行ってみることにしました。ぼくは2回目ですが、妻は初めてとのこと。

 羊ヶ丘といえば、腕を上げたあのクラーク像のある場所です。というか、あれしかない場所であります。

 我が家のそばにあるバス停から市バスに乗って15分ほど、羊ヶ丘展望台入り口にやって来ました。バスの中に受付のおばちゃんが乗り込み、入場料を徴収に来ました。入場するのには通常500円かかります。ところが、今日は200円でよいようです。

 小高い丘の上にある展望台にバスが到着すると、なにやらにぎやかです。そう、先週末から市内各所でYOSAKOIソーラン祭りが開催されていて、ここも会場の一つだったのです。別にそれを目当てに来たのではないですが、もののついでに見物しました。

 踊り子さんたちが踊っているのを見て、アマネも最初は腰をカクカクと上げ下げしてまねをしているようでしたが、すぐにやめてしまいました。彼には「ぐるぐるどっか~ん」くらいがちょうどいいようです。

動機の対象としてのクルマ

 札幌に来て5年目、とうとうクルマを買うことにした。理由は1点、子どもといっしょにあちこちに行くためである。

 なにしろ、安い買い物ではない。買ってみて失敗したと思うのも癪であるから、いろいろと調べてみている。

 クルマの知識はまったくない。トルクがどうこうという知識もない。アドバイスをもらおうにも、何について知りたいかも分からないので、結局アドバイスをする方も途方に暮れるしかないだろうから、もらえずにいる。

 それでもこの週末に近所の中古車屋をまわって、安くて良さそうなのを見つくろった。書類を揃えて来週にも買うような勢いである。

 さて、「クルマを買う」というのは初めての経験である。学生時代は親に頼り切っていた。

 そうこうしているうちに、どうだろう。道を走っているクルマ、駐車場に停まっているクルマのいちいちがどうも気になり始めてきた。メーカー、車種、ボディの色など、とてもとても気になってしまう。歩いていてもつい目がいくし、停まっていればじいっと眺めてしまう。

 これもまた、自分にとっては初めての経験である。もちろん、これまでだってクルマは腐るほど見てきたし、18のときから27までの10年間ほぼ毎日自分でも乗っていた。しかし、そのときは他人の乗っているクルマを見てはいなかったのだろう。いざ自分で、懐を痛めて買うとなると、クルマが急に視界に飛び込んできたのだ。ここまでクルマの「見え方」が変貌するとは思わなかった。

 ちょうど、活動理論の解説を翻訳していたところで、今回のぼくのこの経験にぴったりと符合することがあった。クルマを買うという動機とともに、クルマが行為の目標として、ぼくという行為主体に相関した対象として、発生したと言えるのではないか。世界への志向の仕方が変わると、唐突にモノや人同士の連関の様相が変わる。これまでにぼくの人間関係の網の目の中には絶対に入ってこなかった人々(中古車屋の人、クルマを売る人、買う人)がクルマという対象で結節した大きな活動のシステムをなす。アクターネットワーク風に言うなら、クルマはもちろん、駐車場や印鑑証明といったものもアクターとしてぼくの新たな動機に形を与える。

 みずからの動機が変わることによって世界の見え方そのものが変わったわけだが、実はこのような経験をすでに小説の形で書いている人がいる。夏目漱石である。

「それから」に登場する主人公、長井代助は裕福な父親からの援助で定職に就かずにぶらぶらと過ごしている。ところが、その父からの援助を絶たれ、はじめて自ら職を探さねばならなくなったとき、代助の目には世界にあるさまざまな「赤」が唐突に見えるようになる。青空文庫から引用してみようか。

門野かどのさん。 僕は一寸ちよつと 職業をさが して る」 と云ふや否や、とり 打帽をかぶ つて、 かさ さずに日盛ひざか りのおもて へ飛び出した。
 代助はあつなか けないばかり に、 いそ ぎ足にある いた。 は代助のあたま の上から真直まつすぐ に射おろ した。 かは いたほこり が、 火の の様にかれ素足すあしつゝ んだ。 かれ はぢり/\ とこげ る心持がした。
こげる/\」 とある きながらくちうち で云つた。
 飯田橋へ て電車に つた。 電車は真直にはし した。 代助は車のなかで、
「あゝうごく。 世の中が動く」とはた の人に聞える様に云つた。 かれ あたまは電車の速力を以て回転し した。 回転するに従つて の様にほて つて た。 是で半日乗りつゞ けたら焼き尽す事が出来るだらうと思つた。
 忽ちあか い郵便筒が いた。 すると其赤い色が忽ち代助の あたま なかに飛び込んで、くる/\と回転し始めた。 傘屋かさやの看板に、 赤い蝙蝠傘かうもりがさ を四つかさ ねてたか るしてあつた。 かさ の色が、 又代助のあたま に飛び込んで、くる/\と うづ いた。四つ かどに、大きい真赤な風船玉を売つてるものがあつた。 電車が急にかどまが るとき、風船玉は追懸 おつかけ て、代助の あたまに飛び いた。小包 こづゝみ郵便を せた赤い車がはつと電車と れ違ふとき、又代助の あたま なかに吸ひ込まれた。烟草屋の暖簾が赤かつた。 売出しの旗も赤かつた。電柱が赤かつた。赤ペンキの看板がそれから、それへと つゞいた。 仕舞には世の中が真赤まつかになつた。さうして、代助の あたまを中心としてくるり/\ とほのほいき を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きる迄電車に乗つて行かうと決心した。

 はじめてこの箇所を読んだとき、ちょっとこれはすごいなと慄然としたことを覚えている。そして代助の赤とぼくのクルマはおそらくはおなじ枠組みでうまく説明できるのではないか。そんな気がしている。

海鞘

 海鞘の季節である。

 母親が三陸は釜石の出身で、その血が流れているせいかどうか、海産物はたいていのものは好物である。
その独特の香りから敬遠する人の多い海鞘も好物の一つ。

 先日、近所のスーパーに海鞘が売られていた。晩酌の肴にと1つ買った。

 とはいえ、海鞘をさばいたことはない。インターネット情報によれば、「けっこう簡単」「殻はライチみたいに剥ける」
「内臓は取っておく」らしい。やってみると、確かに簡単であった。オレンジ色の身をぶつ切りにして酢でしめて、ポン酢で食べてみたが、
酢がきつすぎたか、あの海鞘の香りはあまりしなかった。

 仕事帰り、三徳六味に寄った。メニューに、「根室産 生ホヤ」の文字が。一も二もなく注文。

 「今日のはいいですよ」と亮さん。「はい、とれたてホヤホヤです」

 目の前のガラスの器に盛られた鮮やかなオレンジ色の身を口に放り込んで広がった顔の笑みは、マスター会心のギャグがなせるわざか、
あるいは根室の海と海鞘の力によるものか。