晝の札幌は初夏の陽気であります。
道の上から汗ばむ額に手をかざしてふと見遣ると、冬の抑圧をやぶってよろこび咲きほこる桜花。
生ぬるい夕暮れどきは、大学構内のあちこちから、肉と煙の薫りがただよってくるころ。
こうして考えると、風情というのは少なくとも3年ぐらいで学習できるものなのですね。
4年目の春に思うわけです。
Finnegans tavern Annex
伊藤家ではひとつの問題が持ち上がっていました。長男、アマネくんのハイハイです。
なんでも、すばやく、どこにでもと、3拍子の揃った好奇心で移動するのです。運送会社なら満点ですが、お父さんとお母さんは困っていました。
台所はお母さんが立ち仕事をする場所なので、アマネくんも特に気になってのぞきに行きます。ですがそこには、危険なものがいっぱい。かといってずっとアマネくんを見ているわけにはいきません。
そこで、この家族の問題を解決する、「匠」の登場です。
(中略)
なんということでしょう!
冬の間リビングルームの隅に鎮座していたストーブはいまやカバーをかけてしまわれ、ストーブのあった場所にベビーサークルが置かれました。お父さんやお母さんがベランダに出たり、トイレに行ったりして、目を離さざるをえないときには、ここがアマネくんの居場所となります。アマネくんが退屈しないように、ベビーサークルの壁には匠手作りの不思議おもちゃがはめ込まれています。
このベビーサークル、ジョイント部分を外せば、このようにフェンスとしても使うことができます。これで、アマネくんは台所で働くお母さんを見ることができますし、お母さんもアマネくんがハイハイで台所に出張するのを防ぐことができます。
こうして伊藤家に、ふたたび笑顔が戻ったのでした。
いやあ、GWが過ぎて仕事に復帰した途端、めまぐるしく1週間が過ぎてしまいました。実家でちょっとは仕事を片づけられるかと思っていましたが、そんなことはまったくありません。というわけで今日も今日とて自転車操業なのです。
そういえば実家では、妹夫婦が1歳半になる甥っ子を連れて1日遊びに来ました。父母ともども、隣町にある公園施設に子どもたちを連れて行くためです。青空が広がるよいお天気の日でした。
以上、青空乳児・幼児でした。
3日から茨城の実家に来ています。
さすがにゴールデンウィーク、駅も空港も激混みでしたが、羽田からの高速道はガラガラでした。
3月に来たときのアマネはひとみしりの真っ最中だったので、じいさんばあさんに抱っこされるとすぐに泣き出していましたが、今回はニッコリとしておとなしく抱かれていました。いかった。
部屋の中をずりずりと闊歩し、あちこち触りまくるのは札幌と同じですが、目と手が普段の倍あるので安心です。ぞんぶんにずりずりさせております。最近では新技つかまり立ちを覚えましたが、まだおぼつかないので、柱の角やテーブルの角におとなが手を当てて倒れるのに備えます。
明けて4日、この日の夜、10歳年上の飲み友だち、S氏とつくばで飲む約束を取り付けました。アマネの世話はじいさんばあさんに任せて、妻の愚痴を背に受けながら家を出ます。
S氏とは10年前、アイルランドの片田舎ドゥーリンという村で知り合いました。ぼくはアイルランド放浪、彼は世界放浪の途中だったのですね。そこで意気投合し、日本に帰ってからも年に1~2度のペースで飲んでいました。ぼくが札幌に越し、子どもができてからの2年はまったくお会いしていなかったので、この機にと無理言ってお呼びしたのでした。
つくばには「くいだおれ」という飲屋街があるのですが、そこで居酒屋を2軒、バーを1軒はしごしました。しゃべる話と言えば近況報告に始まり、世評から下世話な話にいたるまで。S氏はかつて雑誌編集の仕事をしていたこともあり、話の懐が実に広い。ぼくもなけなしの引き出しを開陳して応戦します。
茨城の片田舎に来ることなどめったにないS氏、つくばに1泊して次の日は霞ヶ浦見物に行くのだそうです。「面白くもないですよ、臭いですよ」とアドバイスをしておきました。
11時にはお開きにして、S氏をホテルに送った後、実家へはタクシーで帰りました。
乳児がふたりでW(ダブル)にゅうじ。
名古屋からhouさんmouさん夫妻とその愛娘トモちゃんが札幌へやってきた。
ぜひともアマネに会わせたいということで、カミさんに大学まで来てもらう。数日前からアマネはハナミズじゅるじゅる状態で、おまけにまぶたや口のまわりにポツポツができてきたため、午前中に小児科へと診てもらいに行った帰りである。具合のほうは、幸いどうということもなかったようだ。
houさんと研究の打ち合わせをしているあいだ、奥さんのmouさんとトモちゃん、カミさんとアマネは、北大幼児園の一室で待機していてもらった。3か月と8か月の2人の乳児がじゅうたんの上でころころしているのはかわいらしいね。アマネはトモちゃんが気になるらしく、何度かハイハイをして近づき、手を伸ばそうとして止められていた。
その晩、汚い我が家にご招待した。といっても準備している暇もなく、すぐそばのスーパーで総菜を買ってきてそれをテーブルに広げた程度だった。
トモちゃんはおとなしく座布団の上で寝ながら両手をぴょこぴょこと動かす。ひきかえ、アマネは珍しいお客さんにすっかり興奮していた。ひとみしりするかと心配だったが、 houさんの手に両脇を支えられてぴょんこぴょんことジャンプをしながらご機嫌であった。
かえってくたびれさせてしまったかもしれませんが(特にトモちゃんは心配でしたが)、乳児がふたりでとても楽しい夜でした。
大正ブログ寄席 次回登場は青空乳児・幼児です。
連休を利用して、名古屋のhouさんとmouさん夫妻がお嬢さん(3か月)を連れて札幌にいらした。
この機会に、共同研究の打ち合わせを進める。方向はおおまかにかたまった、ように思う。metaではなくepiを見る、というところで落ち着く。
打ち合わせのときには言う機会がなかったですが、どうでしょう、metaとepiの話というのは、ヴィゴツキーの発達理論からするととてもよく分かるようにも思うのですね。
Metsalaたちのlexical restructuring theoryでは、子どもが似たような音の単語を急速にたくさん覚えるほど、記憶コストを下げるために、分節単位が自然に細かくなっていく、と想定されていました。そのようにしてphonologyが発生するのだ、と。ところがこの理論は個人の頭の中だけを問題として、いわば純粋なepiというものを想定しているように思うのです。
一方で、レキシコンというのはソーシャルでフィジカルなものでもある。そもそも、メンタルレキシコンというのも、外的なブツとしてあるレキシコンに基づいたメタファであるわけですから。私たちは、モノとしてのレキシコン内の単語と単語が区別しやすくなるよう、歴史的に協同的に、単語のよけいなバリアントを整理してきたという経緯もあるのではないかと思うのです。要するに、一種の淘汰の過程があった、と。
とすると、現代の子どもたちは、あらかじめ整理された単語を再整理するという作業をしている、とモデル化できるのかもしれません。ヴィゴツキーのいう二重の発達モデルからすると、MetsalaやGoswamiの考えていることは一種の主知主義であり、要は不十分なのです。
こういう議論もアリではないでしょうか、houさん。