移歓合宿

 先日、泊まりがけで学部の移歓合宿に付き添いとして行ってきました。

 移歓合宿では、3年次から始まる各ゼミの説明を2年生に対して行い、ゼミ選択の指針としてもらうというのが主な目的です。ちなみに「移歓」とは「移行生歓迎」の略で、かつて文系理系といったおおまかなくくりで大学生が入学していた頃、教養を終えた2年生後半になっていよいよそれぞれの専門の学部に移行する際に、先輩が移行生を歓迎するためにおこなった催しなのだそうです。学部単位で学生を集めている現在も「移歓」という名前は残った形です。

 学生とともに大学からバスに乗り込み、一路、日高青少年自然の家へ向かいます。私がここに宿泊するのは、なんだかんだで5回目くらいですかね。もう慣れたもんです。

 到着後、すぐに各ゼミに別れての説明会です。ゼミごとにお店を広げて、そこを2年生がぐるぐると回るという形式で、人気・不人気がすぐに分かってしまうという恐ろしいしかけになっています。ちなみに、かつては教育心理系が一番人気でしたが、近年は教育社会学系が一番人気です。やはり格差問題にひかれるものがあるようです。

 心理系の人気が落ち込んだことについてはよい傾向だと思うのですが、その理由はなんでしょうかね。卒業後の就職先のなさがその一つかもしれません。ただ、就職活動の一環として「自分の役に立つ」ゼミを選択するという道具主義的な発想はいかがかと思います。大学というのは「現在の私たちの社会にとって役に立たないこと」を思い切り学び、琢磨する場だというのが私の考え方だからです。

 私が所属するゼミのゼミ長さんとともにビデオなどのセッティングを終えると、三々五々2年生が集まってきました。4回同じ説明を繰り返し、トータルで20名ほど来ましたかね。1学年が50名なので、まあまあの入りでしょう。もちろん、このすべてがゼミに入るわけではなく、冷やかしも大半ですが。

 私の出た学部には「ゼミ」なるものが存在しておらず、卒論を書く段になって初めて特定の教員の指導を仰ぐという形式だったように記憶しています。なので、赴任当初はどのように運営していくのかさっぱり分からなかったのですが、最近でもさっぱり分かりません。

ヴィゴツキー『心理学の危機の歴史的意味』の意味について

 以下は、以前執筆しようとした論文の冒頭に置かれるはずであった文章である。書いてはみたものの、結局は使わずに終わった。前後の文脈がないので読む方には何のことだか分からないとは思うが、ヴィゴツキーの理論について理解する一助になるかもしれないと思い、ここに掲載するものである。

 あらゆる時代、あらゆる場所、そしてあらゆる人物において等しく該当する唯一の説明体系を求めようとする人びとがいるとしたなら、ロシアの心理学者レフ・ヴィゴツキーはそこには含まれない。人間のあらゆる精神機能を説明する究極の原理などとたいそうなことを、彼は決して言わなかった。その代わり、ごくごく小さなこと、たとえば目の前にいる子どもに触れて、言葉をかけてみるなど、そうした些細な出来事に目を向けた。

 この文章を読む方も、もしも目の前に誰か知り合いがいたら、何か話しかけてみてほしい。話しかけるという出来事が、いつでもどこでも誰にとっても同じ出来事を引き起こすということがあるだろうか。「やあ、元気?」とのあなたの問いかけに、目の前の誰かは、「元気だよ、君は?」と、いつもどこでも返事をしてくれるだろうか?これには否と答えておいた方がいいだろう。「最近だめなんだ」と悲しい表情をする人、「なんだよ、突然」と訝しがる人、無言であなたの方を一瞥するだけの人、このほかに何が起こるのか筆者には見当もつかないが、とにかく一言で片付けられないことは間違いない。

 話しかけるという出来事の帰結は、確かに多様な出来事である。しかし、こうして発生した多様な出来事のひとつひとつは、この世界に起こり得ることの完全な表現であるはずだ。起きてしまったことは仕方がない。結果の多様性という事実は、決して否定できない。たとえ仮想された唯一の説明体系から見ると互いに矛盾していたとしても。この意味で、多様な出来事はこの世界の可能性を実にみごとに反映している。多様な出来事のなかには、唯一の説明体系から予測されるものも含まれるだろうが、例外もあるはずだ。ひとつの説明体系が予測する出来事も、そうでない出来事も、等しく世界に発生するならば、その説明体系とはいったい何の役にたつのだろう?せいぜい、説明体系にうまくのった人間を正常、のらない人間を異常もしくは人間ではないものとして区別するだけの道具にしかならない。

 起きてしまったことは多様で、そこにいたるまでの道筋も多様である。これが、ヴィゴツキーの言う「具体的多様性」(『思考と言語』邦訳上巻 pp.18-9)であろう。しかし、それが起こるきっかけはどうだろうか。これを読む方々が、それぞれ目の前の人に話しかけた結果としての返事は、確かに多様であろう。しかし、その結果を発生させたのは、あなたが話しかけたという、まさにその出来事にほかならない。多様な返事は、まさにこの「話しかける」という出来事から出発している。

 ところが、単に「話しかける」という出来事は存在しない。実在するのは、誰かが誰かに話しかけるという出来事であり、本章の読み手が異なれば、当然その「誰か」も変わってくる。つまり「話しかける」という出来事も、実際には多様である。にもかかわらず、単一の「話しかけるという出来事」というカテゴリーにまとめあげることは可能である。それはなぜか。

 考えられることは、出来事としては多様でありながら、そこでは「話しかける」という共通の「方法」が採用されていることである。それを採用する人物も異なれば、それが採用される時間的・空間的状況も異なる。この世界に同一の出来事は二つとしてあり得ないのだから当然だ。にもかかわらず、出来事の同一性が保障されるのは、ひとえにひとつの方法が共有されていればこそである。科学者が、みずからの方法論の中で、再現可能性を最も重く見るのはこの限りにおいてである。科学とは、方法の異称のひとつにすぎない。

 話がそれた。以上をまとめると、「話しかけ」というひとつの方法が、さまざまな「話しかけるという出来事」を生み出し、そこからさらに多様な返事が派生する。これは、本書を読む方々と目の前の人との間に生まれた多様な対話を分析する、ひとつの図式である。そして、ヴィゴツキーの『心理学の危機の歴史的意味』での論点のひとつが、将来の心理学はこの図式をパラダイムとして科学的営みを進めるべきだということであるように、私には思われる。

ゆにガーデン&ユンニの湯に行ってきた

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 たまには行ったことのない方へでかけてみようと、祝日の火曜、車で1時間ほどの場所にある「ゆにガーデン」に行ってきました。初めてなのですが、ものの本ではどうもただの広い庭のようです。

 札幌から夕張に行く途中にある由仁町。その山あいに目的地はあります。のんびりと向かったら、昼前に着きました。

 ここのお隣には「ユンニの湯」という温泉施設もあり、ゆにガーデンの入場料と入浴料、あわせて大人1000円でセット販売していました。温泉も入るつもりでしたので、セットの切符を購入。

 朝からぐずついた空で危ぶみましたが、日頃の行いがよろしいのか、園内のレストランで昼食をすませるころには実にいい天気に。

 バスが園内をぐるりと走っています。入場したときにちょうど走っているのが見えていました。アマネはこういうのが大好きで、「急いで急いで」と大人をせかしてバス停に向かいます。

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 のんびりゆられて20分くらいで1周してしまうくらいの広さなのですが、そのあちこちに庭がテーマごとに造られていて、見ていて飽きません。その庭が取り囲むようにして広い広い芝生があります。ただ広いと言うだけでなんだか走りたくなってしまいますね。

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 園内のかたすみにはキノコ汁を飲ませるコーナーがあり、その脇にはウサギに触れられる小屋もありました。

 1時間半ほど遊んで、お隣のユンニの湯に行きます。ここのお湯は、びっくりするほど黒く、しかもぬるぬるとしています。どうも周辺が泥炭地帯のようで、その成分が湯に溶け出しているようです。美容にはよさそう。

 あまり期待もせず訪れたのですが、案外楽しむことができました。なにより高速を使わずに行けて、 1000円でゆっくり遊べれば十分です。

運動会

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 先週の土曜日、学会のまっただなかでしたが、アマネの通う保育園で開かれた運動会に行ってきました。

 快晴のなか、集合時間に園に向かうと、いつもは施錠されている門塀が開かれ、そこを先頭に保護者がずらりと列をなして並んでいました。うーん、聞きしにまさるとはこのこと。とはいえ、ぼくもそのなかの一人。アマネを先生に預けると、最後尾に並びます。

 保育園の園庭は街中にあるため狭く、多くの保護者は園舎の中から観覧することになります。ちょうど、演技をする後ろから見る格好となる場所に陣取りました。

 アマネの出番は、最初のミッキーマウス体操、全園児によるかけっこ、横割りクラスでのお遊戯、縦割りクラスでの障害物競走、横割りクラスでの親子競技です。

 先生の開会の言葉を合図に、縦割りクラスごとに入場行進。赤い帽子をかぶった一団のなかにアマネの姿が。子どもたちの列に添って担任の先生が行進の動きの見本を見せてくれています。が、アマネはどうしても行進「風」の動き。要は、同じ側の手足が同時に出るのです。

 園長先生の挨拶のあと、ミッキーマウス体操。子どもたちはみんなピコピコと踊っていました。アマネはしょっちゅうこちらを振り向いては「ママーパパー」と呼んでいました。いることを確認したかったのでしょうか、そのたびに先生に向きを直されていました。

 さて、アマネの登場するお遊戯は「しまうまダンス」(だったか?)。おそろいの衣装に身を包んで、2~3歳児が1列に並んで踊ります。よく見ると衣装はウニクロの袋。

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 縦割りクラスの障害物競走は、大きい子と小さい子が並んで走り、途中でリュックを小さい子に背負わせ、落ちている動物の札を正面に置かれたパネルに引っかけてきて戻る、というもの。なんだか説明されてもよく分からないでしょうが、これを子どもたちは実にきちんとこなしています。アマネはただただ、年長のお姉ちゃんに手を引かれて振り回されているだけでしょうが、傍目には立派に動いているように思います(親バカ)。

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 最後の出番は、横割りクラスの親子競技。このために、今日は運動しやすい格好で来ました。内容はいたって簡単、親子で手をつないで走り、途中に置かれたバケツを1つ拾い、その先に置かれたタライのなかの「ポニョ」(魚の人形)をシャベルですくってバケツに入れ、ゴール。きばった格好をしてきた意味のあまりない、運動量の少ない競技です。ちょうど先日、当の「ポニョ」を観てきた後だったので、イメージしやすかったでしょうか。

 アマネの年齢のグループは、これにて解散となります。4歳児以上はこの後も残り、よさこいの演舞や対抗リレーなどに参加することになるのです。

 親子競技のあと、子どもたちはみんな、袋に入ったお菓子をもらっていました。「お菓子もらったよー」とアマネも嬉しそうです。

 彼にとっては初めての運動会でしたが、それなりにキビキビと動けるということが分かってとても驚きました。この4月から数えて約半年、ほぼ毎日の集団生活は彼をちゃくちゃくといい意味で集団向きに変えていっているようです。

日心

 先週末、北大で日本心理学会の大会が開催された。文学部の心理関係が主催である。

 2年前より「協力よろしく」と文学部の先生から頼まれていたので、開催日近辺はばっちりと予定を空けていた。が、
開催3日前になっても何の連絡もないので、知り合いの先生に尋ねてみると、「ああ、特にすることはないですよ」。そうですかそうですか。

 初日の午前中、ポスターで発表。知り合いを除いて1人の方が聞きに来てくださった。

 大学院のときの同級生とばったり会い、そのまま昼食へ。話は偽装食品問題から政治へおよび、「心理学なんかやってる場合じゃないよ」
とうなづきあう。

 夕方から、その同級生にもう一人加え、すすきのに出没。「ジンギスカンが食べたい」というのだが、いかんせんうまい店を知らない。
ネットで調べた「ひつじや」へ行こうと思うものの、場所が見つからず。仕方なく、「名前がいいから」ということで「しまだや」
なるジンギスカン焼き肉屋へ。あのジンギスカン鍋を使わず、網の上でラム肉を食う形式のようで、ちょっと申し訳なく思う。

 某大学では教員一人で使える研究費が5万円だそうで、愕然とする。うちは恵まれている。ひとしきり、
どうやって金を取ってくるかで盛り上がる。酔っぱらい、「明日は温泉に行こう」とうなづきあう。

 2日目の日中は、アマネの運動会に参加。このところの寝不足がたたり、昼寝。

 3時から動き出し、約束通り同級生2人をホテルからピックアップして、温泉へ。とはいえ、遠出する時間もなく、
JR苗穂駅前のスーパー銭湯「蔵ノ湯」へ。小1時間ほど湯につかる。腰にタオルをひっかけながら大学の人事について話し合う。

 3日目、名古屋のMさんと落ち合う。ご息女二人と邂逅。研究打ち合わせは遅々として進まず、その代わり、
研究会のあり方について議論が進む。

 夜は家内とアマネを呼んで、札幌駅北口の「焼き鳥ダイニングこっこちゃん」にて。子ども用のグッズがたくさん置いてあり、
いたれりつくせりであった。おかげで子ども3人連れの一行は比較的ゆっくりと食事をすることができた。

 今回は、インプットほとんどなし。学会期間中、会場のそばに研究室があるとそこで仕事をしてしまうということが分かった。

自転車

 最近、アマネは自転車が気になっていました。

 田舎に行けば甥っ子の自転車に乗りたがったり、同じ団地に住む幼稚園くらいの子たちが自転車に乗って上手に近所を走り回るのをじっと見たりしていました。

 実は誕生日プレゼントをあげていなかったこともあったので、先日、自転車を買いに行きました。

 サッポロファクトリーに入っているトイザらスへ。

 出かける前は「自転車買う!」と意気込んでいたのですが、いざお店に着いてみると、自転車コーナーにたどり着く前に他のおもちゃコーナーの前でぴたりと動かなくなってしまいます。

 ようやくひきはがして、ずらりと並ぶ自転車のなかから選ばせようとするのですが、なんだかはっきりしません。

 店員さんに何台か出してもらい、ようやく決めました。ミッキーさん。

 せっかくなので広いところで初乗りといきましょう。てなわけで、モエレ沼公園へ。

 どうもペダルに足を乗せてはいるのですが、くるくると後ろに回しています。これではこいでいることにならない。もっぱら動力は後ろから押す大人です。

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 モエレ沼公園に来たのは別な理由もありました。夏の間だけ水が張られるモエレビーチがどんなものだか見ておきたかったのです。暑い盛りは大勢の人が詰めかけるので来る気になれず、薄ら寒くなった今頃ならと来てみました。

 ひょうたん型の窪地に、大人の腿くらいまでに水が張られています。中程には水がわいて出てくる仕組みがありました。

 水を見ると入りたくなる両生類のようなアマネ。さっそく服を脱いでじゃぼじゃぼと水の中へ踏み込んでいきます。見ているだけで寒い。

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