電話勧誘への対策と実践

 「ピロピロピロ」

 研究室にいると電話がかかってくる。「賃貸マンションを買いませんか」というものである。

 普段なら「買いません」で切ってしまうのだが、まあ聞いてみることにした。自分が批判的にものを考えられるかどうか、試してみるためである。

 「生命保険を考えてみてください。あれは定額もらったら終わりですが、マンションならば家賃収入が際限なく入ってくるのですよ、お得でしょう。奥様やお子様のためにぜひ」というのが趣旨であった。

 「相続税とか固定資産税は?マンションだったら結構取られるよね。それを差し引いても保険よりもお得だという証拠はあるの?」と尋ねると「勉強不足なもので」と。

 一般に、マンションや車のように、長い期間にわたってアフターサービスを必要とする物件を購入する相手としては、なるべく将来の倒産などの危険性のないところがよいだろう。

 ところで、商品を勧めるメリットについて知識を持たないのは、営業係として失格である。

 しかるに、失格な営業マンしかいないような会社は信用できない(知識のない者を営業に据えるしかないくらい人材が不足していると考えざるを得ないから)。

 信用できない会社には、さきゆきの危険因子がいっぱいあると考えていいだろう。ゆえに電話をかけてきた会社は現在のところ取引するに値しない、以上。

 「ガチャリ」

 ただ、上のロジックでいくならば、人材難が解決して優良企業になれば、取引する余地が出てくることになるな。おれもまだまだアマちゃんである。起業家にはとうていなれないな。

センター試験終了

 平成18年度大学入試センター試験が終了しました。土曜日曜と試験場本部詰めとなり、朝7時半から夜7時まで会場にいました。

 今回の試験で耳目を集めたのは、やはり英語リスニングテストでしょう。はじめての試みということもあり、どのようなトラブルが起きても大丈夫なように、想定される事態について試験関係者には分厚いマニュアルが配られました。

 幸いぼくが担当した会場では再テスト希望者は現れませんでしたが、大学全体では何カ所かで再テストを実施したようです。全国的には400強ですか、リスニング全受験者が40万人強だったので、1%に満たない数なのですが、それでも大学入試センターとしては予想外だったようです。

 あと、リスニングの陰に隠れてあまり話題になっていませんが、気になったのは、高校での教育を新教育課程で習った学生と、旧教育課程で習った学生とが混在していたということです。平成11年に告示が出た新学習指導要領がそれで、附則によれば平成15年4月から実施となっていますので、ちょうど今年が新課程第一世代を対象としたセンター試験だったわけです。

 ぱらぱらと問題をめくってみたところ、たとえば数学や理科で、旧課程の人だけが答えられる問題がありました。同一科目で2つの層ができるわけで、どのような基準で偏差値を出すのか、新と旧で分けるのか、ちょっと分からないのですが、あと少なくとも2~3年はこのような状態が続くでしょう。

 センターの方で考えて作ってはいるのでしょうが、不公平のないようにしたいものです。

吾妻讃

 すーぱーがーるカンパニーから『吾妻讃』(本当は、讃の字が少し違う。夫2つではなく、先2つだ)が届く。

 去年吾妻先生が『失踪日記』で日本漫画家協会大賞を受賞したのをうけて作られたファンジンである。表紙は『失踪日記』にあわせて、オレンジ色。

 お祝いの言葉を述べる執筆者がすごい。新井素子、とり・みき、米沢嘉博などなどなど。受賞式のレポートや、『失踪日記』について書かれた書評一覧まである。

 授賞式でもそうだったようだが、いま、古くからのファンが走り回って吾妻先生を支えようとしているようだ。そうした方々には頭が上がらない。

 漫画家の悲惨さが最近あちこちで喧伝されるようになってきた。稿料の安さもさることながら、人気がなくなれば使い捨てされ、挙げ句の果てには四畳半のアパートでひっそりと息を引き取るといったこともあるらしい。

 声高に言わないだけで同業者はそうした過酷な状況を知っているのだろう。昨年の受賞には、彼岸より戻ってきた人、サバイバーへの敬意もあったのかもしれない。もちろん、作品として面白いのは当然なのだが。

コロン

 物の本によれば、赤ちゃんは腹側と背側の筋肉のバランスが悪いらしく、ことあるごとに反り返るかっこうになるらしい。アマネもそうだった。

 その反り返りが活かされる日が来た。4日、寝返りを打ったのである。これはその一部始終を追った連続写真である。

06010801.jpg  いくぞ~

06010802.jpg  せやっ

06010803.jpg  えびぞりっ

06010804.jpg  ぐぐぐ

06010805.jpg  ころん

06010806.jpg  むぐ

06010807.jpg  むぐぐ

06010808.jpg  できた!

06010809.jpg    天井なんてもう見飽きたのさ~

 写真を見ていただけると分かるのだが、体全体が横を向いた後、反り返るという姿勢がとられる。この姿勢が一般的に寝返りのプロセスに必要なのかどうか分からないが、少なくともアマネにとっては反り返りがここに利用されているようだ。無駄ではなかったのである。

 寝返りを打つのはいいのだが、自分の意志で見える景色を変えることが面白いのか、横にしたとたんにすぐコロンとする。コロンとした後、そこから自力で動くことができないので、どうしても親が抱きかかえにいく。するとそれもまた楽しいらしく、呵々と笑う。親も家事があるので横にする。ダ・カーポ。

鬼ごっこの矛盾

 研究で去年の4月に撮影した幼稚園での自由遊びのビデオを見返している。

 4月なのでまだ園になじめない子も多く、そうした子はおもちゃを持ち出してそれに一人で興じたり、あるいは先生の後をくっついて歩いたりする。

 見たビデオでは、先生と子どもたちがいっしょになって室内で鬼ごっこをしていた。部屋の中をぐるぐると、鬼役の先生に追いかけられて子どもたちが逃げている。

 その先生のあとを入園したばかりの子が追いかける。先生と話をしたくてうずうずしているようでもあり、ときに追いかける先生の先回りをしたりする。

 これを見ていてはっとしたのだが、鬼ごっこという遊びは「好きな人から逃げる」ということなのだ。ここでの「好きな人」とは別に恋愛感情にある人ではなく、いっしょにいたい人、という程度の関係と思ってほしい。先生と子どもたちはちょうどそんな感じの関係だろう。

 入園したばかりの子どもは、好きな人に近づこうとする。だから先生の後を追いかける。しかし、鬼ごっこに参加することのできる子どもは、逆に、好きな人から逃げていく。逃げるという行為が、いっしょにいることの証なのである。

 しかし、逃げるという行為は、当然ながらいっしょにいるという関係性をくずす契機を含む。だから本気になって逃げてしまうと(たとえば絶対に見つからない場所に隠れるとか)遊びが成立しなくなる。

 子どもはこうした矛盾をやすやすと生きている。鬼ごっこにおいて、子どもたちは相反する要求を調和させる能力が試されている。

 きっとこんなことは誰もが思いつくことなんだろうなあと思いながらも、ちょっとおもしろかったのでここに書きつけておいた。