2012年に向けて

もうすぐ今年も終わり,2012年が来ようとしています。

これを書いている今現在,まったく年の瀬の気分がありません。なんででしょうかね。

おそらくは,3月の震災や原発のせいで,身内に直接的な被害が出ていて,気が休まらないということもひとつあるのでしょう。日本や世界も含めて経済の展望がまったく見えず,経済が目的化してしまった社会そのものがうろうろしているというのもあるかもしれません。

それでも暦の上では新しい年が始まるわけで,年度で動く大学に身を置くものとしては4月からのルーティンワークに向けて粛々と準備することもまた必要です。

ですから,来年から何か新しいことを始めるわけでもないのですが,どんな仕事をするのか漠然と構想するのは,行動の指針という意味でも大事かな,と思ってます。

自分の仕事においては,2011年を「アウトプットの年」と位置づけて望みました。そのおかげか,学会発表は国内・国際あわせて4件,シンポなどへの登壇(指定討論含む)は6件,論文は2本(うち1本はまだ印刷中),エッセイみたいなのが2本,1~2章書いた本が2冊と,ほんとうに必要最低限ではあると思いますが,過去最高の出力量でした。

「ブレイクしたね」と言われましたが,すでにスランプなので,一発屋の雰囲気が濃厚です。

2012年は,「分析と総合の年」としたいと思います。

そんなわけで,みなさまよいお年をお迎えください。

064-マルセル・デュシャン、あるいは芸術家がその糧を得る方法について

マルセル・デュシャン,ピエール・カバンヌ 岩佐鉄男・小林康夫(訳) 1995 デュシャンは語る 筑摩書房

本書はおそらく1966年にフランスのヌイイーで行われた対談を編集したもので,会話の端々に今ではもはや歴史となった現在が見え隠れする(たとえば,ケネディについて)。

すでに伝説となった様々な「作品」が制作された裏の話がゆったりと語られているのだが,彼の場合,その語ること自体もなんだか作品の一部のようでいて,額面通りに受け止めきれないところにおもしろさがある。

■作品

―あなたの『泉』は『階段を降りる裸体』と同じくらい有名になりました。
 その通りだ。
―この名声は、あなたにとって,商業面での反響をもたらすものではなかったようですね。
 ええ,全然!
―あなたはそれを望んでいらっしゃいましたか。
 私は望みも求めもしなかった。(p.112)

私が腰掛の上に自転車の車輪をさかさまにのせたときには,レディ・メイドという考えも,あるいは何かほかの考えも,全然なかったのです。それは単なる気晴らしでした。そんなことをすると決めた理由も,あるいは展示したり,叙述したりしようという意図も,私にはありませんでした。(p.91)

芸術史においてデュシャンの名は,『泉』とともにある。それほど,この「作品」のもつ印象は強い。

『泉』(Fountain. 1917/1964)
http://www.abcgallery.com/D/duchamp/duchamp26.html

すでに作られた工業製品を,「作品」としてドンと置く。こうした作品群は,「レディ・メイド」と呼ばれた。

1914年につくられた『壜掛け』は,デパートで買われたものだった。デュシャンはそこに銘を入れただけである。1915年の『折れた腕にそなえて』は彼が渡米後につくった最初のレディ・メイドである。それは雪かきシャベルに銘を入れたものだった。

シャベルと『壜掛け』との違いは,題もつけたことだった。どこにでもある日用品とタイトルが同時に提出されることで,わたしたちはそこにどうしても意味を見いだそうとしてしまう。しかしデュシャンは「それが何の意味ももたないことを望んでいた」(p.106)と述べる。

『自転車の車輪』(Bicycle Wheel/Roue de bicyslette. 1913)
http://www.abcgallery.com/D/duchamp/duchamp20.html

『壜掛け』(Bottle Rack/Egouttoir (or Porte-bouteilles). 1914/64)
http://www.abcgallery.com/D/duchamp/duchamp21.html

『折れた腕にそなえて』(In Advance of the Broken Arm. 1915)
http://www.abcgallery.com/D/duchamp/duchamp22.html

1916年4月にニューヨークで開かれた展覧会に,デュシャンは陶器の小便器に“R.Mutt”と署名して出品した。しかし展覧会にその作品の姿はなかった。「『泉』は仕切りの後にぽんと置かれていて、展覧会の間中、私はそれがどこにあるのか知りませんでした」(p.108)。便器を放っておくのは,「常識ある人」からすれば当然の反応であろう。

レディ・メイドには,どんなものが選ばれたのか。

それはものによります。一般には、《外見》に惑わされないようにしなければなりません。あるオブジェを選ぶというのは、たいへんむずかしい。半月後にそれを好きなままでいるか、それとも嫌いになっているかわかりませんからね。。美的な感動を何にも受けないような無関心の境地に達しなければいけません。レディ・メイドの選択は常に視覚的な無関心、そしてそれと同時に好悪をとわずあらゆる趣味の欠如に基づいています。
-あなたにとって趣味とは何ですか。
 ひとつの習慣です。すでに受けいれたものを反復すること。(p.93)

現代芸術における彼のレディ・メイドは燦然と輝く。だが,本人にとって最も重要だったのは,それとは違う2つの作品だったようだ。一つは『階段を降りる裸体』,もう一つは『大ガラス』と称される未完の作品である。

『階段を降りる裸体』(Nu descendant un Escalier. No.2. 1912)
http://www.abcgallery.com/D/duchamp/duchamp2.html

『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも/大ガラス』(The Bride Stripped Bare By Her Bachelors, Even or The Large Glass. 1915/23)
http://www.abcgallery.com/D/duchamp/duchamp29.html

大ガラスの制作年に1915/23とあるのは,8年間かかったという意味である。しかしそれでも未完成のまま,作者はそれを手放した。

前者を描くにあたって影響を受けたものとして,デュシャンは2つを挙げる。一つは明らかなキュビズムの影響である。もう一つは,エチエンヌ・ジャン=マレイによる高速度写真,要するに連写された写真である。デュシャン本人の言葉を借りれば、「古典的な裸体とは違った裸体」を「運動の中に置く」(p.53)ことがこの絵の出発点であった。

ところがこの絵は、1912年のアンデパンダン展に出展を拒否された。

-このような事態も、あなたを後に反芸術的な態度へと押しやった一因となっているのでしょうか。
 それは、個人的な意味での過去から私自身を完全に解き放つ助けにはなりました。(p.56)

1912年にニューヨークで展示された際には支持・不支持両側からの大きな反響をもって迎えられたようだ。インタビュアーの言葉を借りれば一種の「スキャンダラスな成功」(p.86)であった。

『泉』後のデュシャンは,何かをつくる作業としては『大ガラス』だけにかかることとなった。この作品は,彼が実験的に製作したものの言わば「集大成」(p.130)である。彼が「関心を持っていた唯一のもの」(p.132)でもある。

『大ガラス』は1926年にひびが入る。これについて「ひびがはいって,ずっと良くなりました。百倍も良くなった。」(p.157)とデュシャンは述懐する。

■特別なことをするのではない

私には《創造》という言葉は恐ろしい。普通の社会的な意味では,創造というのはたいへんやさしいものなのですが,実を言えば,私は芸術家の創造的機能などというものは信じません。(p.18)

-あなたは絵画の道に進まれた。そこに何を期待なさったのですか。
 わかりません。…(中略)…モンマルトルのボヘミアンのようなものでした。生き,そして描く。絵描きであるということには,実際何の意味もないのです。(p.38-9)

芸術家とは誰のことなのだろうか。芸術作品とは何かという問いとともに,現代芸術の文脈において,この問いをつきつけた一人は,間違いなくデュシャンだろう。

で,芸術家とは誰のことなのだろうか。

デュシャンのしたことを胸のすくような思いで見た者にとって-ぼくも含めて-デュシャンは英雄であった。しかし自らを語るデュシャンは英雄ではなく,日々の糧を得るために何かを作る職人であり,そこがなんだかみみっちくて嫌であった。

誰でも何かをつくっています。そしてカンヴァスに向かって,額付きの何かをつくっている人が,芸術家(アルティスト)と呼ばれるのです。かつては,彼らは私のもっと好きな言葉で呼ばれていました-職人(アルティザン)です。われわれはみんな職人です。(p.18)

実際のところ,デュシャンは誰かから頼まれて作品を作ることが多かったようだ。

―あなたの人生のうちのかなりの多くの出来事について,あなたはただ、ひとの頼みに答えることだけに甘んじている,という印象がありますが?
 普通,ただそれだけです。自分からひとに頼んで何かをする,いわゆる野心家では,私はないのです。…(中略)…芸術家が自分は何かをつくる義務があると信じたり,大衆に尽くすべき義務があるとしたりするような社会的役割,それを芸術家に割り振るのは嫌なのです。

もしかするとデュシャンは,作品の作品であるゆえんを,ただ「芸術家ひとり」のうちに置くのではなく,芸術家も含む実践のエコノミーに委ねていたのかもしれない。であるから,むしろデュシャンは芸術家である自分の趣味(テイスト)に基づいてではなく,ルールや科学の方法,ありものの「レディ・メイド」など,きわめて他律的な制約への微細な抵抗のなかで制作をしてきたように見える。

「数学」(p.72)「反網膜的な態度」(p.82)「機械製図」(p.94)「あらゆる絵画の約束事の外にありますから,いかなる趣味も負っていません」(p.94)

-技術的な問題以上に,あなたが取組まれたのは,科学的な問題でしたね。比率や計算の問題。
 すべての絵画は,印象主義以来、スーラも含めて,反科学的なものになっています。それで私は科学の正確で厳密な面を導入することに興味を持ちました。…(中略)…私がそれをしたのは,科学に対する愛からではありません。むしろ科学を,おだやかで軽い,取るにたらないやり方でけなすためだったのです。(p.74)

私が好まないのは,まったく非-観念的であるもの,純粋に網膜的なものです。(p.160)

最後に,作品を他律的に制作した芸術家として,デュシャンとともに,ジョン・ケージを挙げておかねばならないだろう。実際に,デュシャン自身,ケージに対するシンパシーを示している。

―ハプニングについては,どう思われますか。
 ハプニングはとても私の気にいっています。それは,はっきりと画架の上のタブローに対立するようなものなのですから。
―それは,あなたの《観客》の理論と実にピッタリと対応していますね。
 まさにその通りです。ハプニングは,芸術のなかに,それまで誰も置いたことのないひとつの要素を導入しました。退屈(アンニュイ)です。…音楽におけるジョン・ケージの沈黙も,実際,それと同じ考えです。誰もそれを考えたことがありませんでした。(p.210)

063-アイルランド現代詩は語る

栩木伸明 2001 アイルランド現代詩は語る:オルタナティヴとしての声 思潮社

口伝とは,実践と模倣に基づく教育法である。この方法には,本質的に,創造性が内在する。口伝えされた歌は,その歌い手によるそれぞれのヴァージョンとして聞かれるのである。

ヴァージョンは,〈オリジナル〉との差分として聞かれるからこそヴァージョンとしての意味を持つ。しかし私たちは〈オリジナル〉を知らない。にもかかわらず,私たちはある歌を聞くとき,同時に2つの歌声を確かに聞くのである。目の前の歌い手の声と,かつて,確かに〈オリジナル〉を歌っていた歌い手のそれと。

まず,アイルランドの伝統音楽はふつう楽譜の介在なしに,演奏者から演奏者へと渡される(演奏者の多くは楽譜がよめない。あるいは積極的によもうとしない)。親から子へ,先生から弟子へ,旅行者から地元の演奏者(歌い手)へと,うたや曲は口移しあるいは聞き覚えで伝達されてゆく。口承文化一般の特徴として,この伝達のプロセスでおこる揺れというか誤差のようなものが,楽譜によって固定されない個々のパフォーマンスの味わいになる。つまり,ひとりひとりの歌い手や演奏者は,どんなによく知られた曲でもそれぞれ自分自身のバージョンを持っていて,それを自分のものとして歌う(演奏する)ことができるし,一回ごとの演奏は文字どおり一回限りの経験となる。聞き覚え,マネすることからはじめて自分のバージョンへと練り上げてゆく習得と改変の流儀を,試みに「替えうた」の詩学と呼んでみようか。(p.232)



こうしてカーソンは,手垢のついたクリシェや先行作家の詩的世界をひねったりすりかえたりして,見事にリサイクルしていく。おもえば,物語が口伝えされてゆくうちに伝言ゲームのように細部が改変され,筋やポイントがよじれてゆく。人々はそうした多数のヴァージョンをあるがままに尊重し,眉につばをつけながら楽しむのだ。(p.172)

ここで「替えうたの詩学」と呼ばれる,アイルランドにおける詩の制作プロセス。果たしてその実際はどのようなものか。

アイルランド語の詩のいちばんの妙味は,音の連なりが持つ豊かな音楽性と単語の多義性を利用した言語遊戯にある。アイルランド語と英語の対訳,あるいはそれに日本語訳を加えて,歪んだ鏡を合わせ鏡にしてのぞきこむようにしながらアイルランド語を読んでいくと,原詩じたいが一種の二重世界をもっていることに気がついてくる。(p.122)

まずもって,アイルランド語の性質があるようだ。一義的な単語による直線的な構造ではなく,ある語が同時にある語を率いて来て,それらを同時に聞くような構造。

そしてさらに重要なのは,肉声を制作の方法の欠かすことのできない一部に組み込んでいることだ。

彼(女)たち(※アングロ・アイリッシュの作家たちのこと,イェイツなど。伊藤注)には外部からの視点ゆえのアドバンテージがあったが,発見し,翻訳し,書き留め,固定することは物語やうたの息の根を止めて標本化してしまう危険性をも,伴っていた。そのため,イェイツらの試みは,ヴァナキュラーであるアイルランド語の文化をロマン化したにすぎないとして,イェイツよりも十五歳以上若いジェイムズ・ジョイスの世代からは批判され,新しく起こったアイルランド共和国のカトリック・イデオロギーが強化されてゆくにつれて,「ケルトの薄明」に内在する外部性/プロテスタント性が批判の対象となっていく。(p.26)

アイルランドの現代文学を全体としてながめてみるとき,伝統音楽に負けず劣らず声の文化にとって幸福だとおもうのは,詩や小説や戯曲に「声」性が残存しているからではない。そうではなくて,書き手たちがむしろ積極的に身近にある声を楽しみ,みずからも声のワザを磨き,さまざまな形で声の可能性を自分たちの作品にとりこみ,生かそうとしているからである。彼(女)たちは,肉声によって伝達されてきた歌やストーリーテリングを「伝統芸能」にまつりあげることなく,使いまわしのきく器として選択し,自分たちに都合のよいようにカスタマイズすることを考えている。肉声に抗しがたい魅力があるのは,それによって話が語られるゆえである。ちょっとおおげさに言えば,ひとびとは日常生活の中で話をやりとりしあうことによって,世界を認識している。アイルランドでは,ひとりの人物は逸話の集積として,また,歴史は反復しつつ連続してゆく物語として,記憶にとどめられ,語りなおされてゆくのだ。(p.234)

現代にあっては,歌はすでに電子的に消費し尽くすもののようでもある。それを可能にするのはある種の複製技術であるが,そもそも歌における「複製」とはどういったプロセスを指すのか,よく考えておかねばならないだろう。

言語学習研究の理論的課題(3)

社会的関係性の複雑化による幼児のコミュニケーション能力の創発過程

人間は,社会歴史的な関係性の網の目の中に生まれ,そこで育つ独自な存在としてある。われわれは本質的に社会的な存在であり,個々人に固有な現象としての心理は,このことを前提として解明されなければならない(G. H. Mead,Wertsch)。

さて,この基本的姿勢から出発して幼児の言語発達に関する理論をどのように整備できるのか。本論を通して目指されるのは,複雑化していく関係性への適応と働きかけから,幼児の言語,特にコミュニケーション能力(communicative competence)の発達がいかにして創発するかを解明することである。本論が説明しようと念頭に置いている具体的現象には,たとえば,保育園の砂場で友達が遊んでいるところにやってきた幼児がその輪に入れてもらおうと「いーれーて」と言うこと,あるいは同じく保育園で,仲間内のルールに違反した幼児に対して周囲が「あーららこらら」と声を揃えてはやすことが含まれる。このとき,関係性の構築と確認にあたって,幼児がある発話スタイルを選択することをどのように説明できるか。この問いに答え,言語発達の地平から統一的に理解するのが本論の目的である。

身体の成長や社会文化的制度によって,幼児を取り巻く関係性は複雑化するはずである。そこには二つのレベルでの複雑化,すなわち空間的広がりと歴史的蓄積があるだろう。たとえば自転車乗りが可能になれば,移動の範囲は拡張し,出会う可能性のある他者の数は増える。また,制度的に学年が上がってクラスのメンバーが一新されれば,担任教師や同級生の数は蓄積される。幼児にとっておそらく最も大きな関係性の再編成は,家庭から保育・教育組織への移行において生起する。伊藤・茂呂(印刷中)は,このような生活の場の移行過程にともない,教師や同級生など新たに出会う他者と関係性を結ぶ中で,幼児が,その関係性に適切な話し方を探索し利用し始める概略を論じた[研究1]。

 たとえばアメリカのある小学1年生のクラスでは,日課として生徒が一人前に立って,あるテーマに沿ってスピーチをする(シェアリング・タイムと呼ばれる)。このときに生徒が話す韻律は,日常会話にはほとんど見られない,語尾を上げながら伸ばすスタイルであり(Michaels,1981),似たような韻律型は日本の教室でも宮崎(1996)が見出している。こうした音声面での分化すなわちバリエーションの増加は,学校教室という場や,集団の前で話すという活動と密接に結びついた発達の局面と言えよう。

 ここから示唆されるのは,発話の複雑さが,関係性の複雑化に応じる形で深まっていく方向での変化である。しかしその一方で,このように複雑化した発話機能を内面化した子どもが,能動的に関係性を変化させていく方向性もあるだろう。先の例で言えば,適切な韻律型を用いることは,自己を社会的に「良いスピーカー」として認識させる道具とも言えるし,また,相対する他者と自己との関係を切り分ける表現の媒体でもあるはずだ。このように行為主体として関係性を改変しようと意図し,その道具として発話を駆使する能力も想定できる[研究2として詳説の予定]。ここから,常に一方が他方の原因だ,というのではなく,両者は変化の単位として相互作用的に運動すると仮定できる。

 ここまでの仮説から問題を具体化すると次のようになる。(1)幼児の関係性とそのコミュニケーション能力は相互に影響しあいながら運動する発達の単位だと仮定すると,その運動の具体的な展開と可能性のある振幅はいかなるものか。(2)関係性の複雑化を固定させて見た場合,それにより現れる新たなコミュニケーション・スタイルのバリエーションには具体的にどのようなものが挙げられるか。また,そのコミュニケーション・スタイルに幼児はどのようにして適応し,学習するのか。(3)一方で,コミュニケーション能力の複雑化を固定させて見た場合,それによって創発する新しい関係の在り方とは何か。新しい関係の取り方を,幼児は発話を道具的に用いることでいかにして発展させ,自らの能力として内化させていくのか。※

本論は,(2)に関して,教育組織に特有な多人数による同時的な発声,ここでは「一斉発話」を代表させる。また(3)に関して,他者の発話の「引用」という,言語を媒介とした関係性の在り方に着目し,それが可能となる条件を具体的に明らかにする。(2)(3)の検討を通して,(1)を解明していく。

※筆者メモ:新しい関係性の候補として,発話の引用によって現前する他者とともに歴史的な他者と関係する在り方があるかもしれない。理論的には,対話性(バフチン)を帯びた発話として準備できるか。心理学的には,内的に他者との関係を媒介する心理的道具として内言,内的発話が考えられる。言語学的・文学的には,パロディ,ジョイスやラブレーがある。これらがすべて,複雑化する発話の機能やコミュニケーション能力が準備するものだとすれば,機能と能力の解明がまずすべき仕事としてあり,その後でそれらが関係性と絡む過程を記述できれば御の字。

言語学習研究の理論的課題(2)

ラングへの接近を言語発達の典型と見なすならば,不完全な言語を話す者同士の相互作用は無視されてしまう。そしてこれが従来の言語発達研究の実際であった。

しかし,現実に,子どもは隣の子どもとやりとりをする。ここから創発するものは重要だ。

親子を典型とする,有能な言語の使い手と未発達の言語の使い手とのやりとりによる言語発達をScollen&Scollenにならって「縦の言語発達」と呼ぶならば,未発達の言語の使い手同士のやりとりから生じる言語発達は「横の言語発達」とでも呼べるだろう。

横の言語発達が促進される機会として,家庭から幼保施設へという,子どもの生活世界の移行に注目すべきだ。なぜなら,隣り合う子どもが大勢いるから。

横の言語発達を見据える道具として「唱えことば」に注目したい。まず,素材の形が変化しないことばを選べば,それがいかにして伝播していくかという点から横の言語発達過程を捉えるよすがとなるからである。さいわいにして唱えことばは幼保施設にいる子どもたちの発話にはよく見られるものだ。

言語学習研究の理論的課題(1)

成人を含む会話に臨場することを通して、 乳幼児は言語を学習する。

乳幼児の臨場する会話は、まさにその乳幼児を構成要素として組織化される。

つまり、乳幼児が学習すべき言語は、言語を学習する途上の存在を構成要素として成立する会話において出現する言語である。

学習の対象が、それを学習する者の存在を前提とする。これが、言語学習の成立の前提となる構図である。

人間ドック

昨日は午前中を使って人間ドックに行ってきました。

3月に脂肪肝と診断され,それからダイエットに励んできました。

おかげで,3月から体重を14kg(82kg→68kg),ウエストを13cm(92cm→79cm)落とすことに成功。食事制限,飲酒制限,そしてとにかく歩くことに精を出した結果です。

お医者さんによれば,腹部超音波の画像では,脂肪肝のようには見えない,とのこと。血液検査の項目についても,いずれも標準値以内。血圧の上が80台(下が60台)と,若干低いものの,問題なし。

晴れて健康体を手に入れることができました。まあ,何が健康なのかは人それぞれでしょうが,今のところ風邪を引く気配もなく,元気であります。

【学会】日本発達心理学会第23回大会に参加します

2012年3月9日(金)~11日(日)に名古屋国際会議場で開催される日本発達心理学会第23回大会にて以下の研究発表を行います。

P4-32 一斉授業において児童は発話をどのように聞いているのか(5)
 伊藤崇(北海道大学大学院教育学研究院)・関根和生(日本学術振興会/国立情報学研究所)
 日程:3月10日(土)10:00-12:00

 また、同大会にて以下のラウンドテーブルに参加します。

RT2-2 特別支援教育における授業づくりの新展開
 企画・司会:赤木和重(神戸大学大学院人間発達環境学研究科)
 話題提供者:村上公也(京都市特別訪問指導員)
 話題提供者:古里章子(京都市立朱雀第二小学校)
 指定討論者:別府哲(岐阜大学教育学部)
 指定討論者:伊藤崇(北海道大学大学院教育学研究院)
 日程:3月9日(金) 13:00-15:00 会場:2号館222

RT6-4 ヴィゴツキー研究の現在:日本の言語教育改革と「リテラシー」を巡る諸問題との関連で―ヴィゴツキー・シンポ(29)―
 企画:百合草禎二(富士常葉大学保育学部)
 ファシリテーター:森岡修一(大妻女子大学)
 指定討論者:伊藤崇(北海道大学大学院教育学研究院)
 指定討論者:加藤弘通(静岡大学教育学部)
 指定討論者:岩男征樹(東京工業大学社会理工学研究科)
 日程:3月10日(土) 16:00-18:00 会場:2号館231