串かつ千里、こなから、蔵漆紅

 研究室にてSさんと打ち合わせ。小学生は学校の授業中の会話にどのようなものとして自らを位置づけるのか。また、教師は子どもがどのような会話者となることを期待するのか。

 観察をさせていただける学校を探して、夏までになんとか目処をつけることに。

 いったん別れ、夕方過ぎにふたたびすすきので待ち合わせ。

 串かつ「千里」へ。串かつ、串貝(貝はホタテだった)、フライ盛り合わせ、たこ酢味噌、刺し盛り、冷や奴などを平らげる。「串かつもう1皿いいすか」とSさん。古き良き酒場の名残、冷蔵庫の上にある小さなテレビ(もちろんブラウン管のやつ)に映し出された日ハム-ヤクルト戦に見入る酔客たち。こちらもついつい野球談義になってしまう。

 これだけ食べて、2人で5700円くらい。安いよー。 

 せっかくなのでと、Mさんをお誘いしておいた。当日の朝のメールにもかかわらずご賛同いただく。お仕事を終えて2軒目から合流していただくことに。

 千里を出て大通公園を抜ける。ライトアップされた噴水、テレビ塔にSさんが「おお、おお」とカメラを向ける。もちろん時計台にも。ここで写真を撮ると、たいていの場合、「撮ってくれませんか」と観光客に頼まれる。今回もそうだった。

 ホテル時計台そばの「こなから」へ。8時半の入店でだいたい8割の入り。運良くテーブル席が空いていた。1軒目でそうとう腹にたまるものを食べておいたので、軽めに。きたあかりのコロッケ、牛すじ煮こみ、ぬか漬け、ドライカレー。

 Mさん合流。Sさんとはお互い初めてだそうだが、共通のお知り合いが多く、あまりそういう感じもしない。話もスムーズに進む。

 ラストオーダーが妙に早く、11時には閉店。大急ぎで平らげて店を出る。

 ちょっと物足りないが、かといって、札幌駅周辺には深夜過ぎて空いているなじみのバーもなし。ではと、北12条の「蔵漆紅」へ。ちょうどJRを挟んで線対称の位置にある。

 店に足を踏み入れるとクラブのような重低音。久々だけど、こんな感じの店だったっけ?ぼくはジンリッキーをちびちびとなめながら、意識が遠のくのを抑えつつ。

 ブログでご挨拶するのも変ですが、Mさん、突然のお誘いにもかかわらず、ごちそうまでしてくださり、ありがとうございました。Sさん、遅くまでつきあわせてしまい申し訳ありませんでした。研究がんばりましょう。

三徳六味、円山ママ、夜光虫

 今後の研究についてお知恵をいただくというか、ご相談申し上げるために、東京からSさんにお越しいただいた。Sさんはジェスチャー研究の若手ホープ。お互い、小学校での子どもが展開するコミュニケーションの具体的なところに関心があり、どのような研究ができそうか話し合いをすることに。

 話し合いは金曜日に行うことにして、鋭気を養うために北海道の美味いものを食べるべく、円山に。

「三徳六味」を訪れるのは本当にひさびさ。もう1年ぶりになるのではないか。「忘れないでいてくださることが一番ですよ」と、店主の亮さん。いやもう、本当にごぶさたして。

 食事なしのコースとありのコースの2パターンがある。今回は「なし」のコースで。カウンターに陣取り、まずは生ビールで乾杯。

 先付けは、地の山菜の山葵和え。笹竹、浜ぼうふうなどが入る。(詳しくは失念)

 甘鯛の昆布締め。煎り酒でいただく。何重もの仕事がきちんと反映されている。

 八寸。胡麻豆腐、卵焼き、大角豆の胡麻和え、つぶ貝煮、ナス田楽、蛸の柔らか煮、四万十川の天然沢蟹唐揚げが、ひょうたん型の皿に。ひと品ひと品で、味の確認。

 焼き物は二品。さきほど先付けで出た笹竹を皮ごと焼いたもの。あまーい。もうひと品は、サクラマスの脂ののったところ。皮まできちんと平らげる。

 最後に、里芋の唐揚げと餅に蟹の身の入ったあんをかけたもの。山のものと海のものの取り合わせだが、何をどう組み合わせるかに心配りが見える。蟹の豪華さを楽しみながら、だしの確かさと芋の素性で安心する一品。

 帆立の山椒煮をいただく。酒のおつまみにぴったり。

 亮さん、ミキさんは相変わらずの様子。忙しそうだが、楽しそう。板場にこの4月で専門学校を卒業したという女性が見習いで入っていた。堀北真希似の、芯の強そうな方。厳しい親方のもとでしっかり修行してください。

 店を出て、もう少し酒を飲むことに。円山公園駅までの通り沿いにある不思議な飲み屋、「円山ママ」へ。

 カウンターの中にいるのはママではなくお兄ちゃん。ママというのは「インパクトのある名前にしたかったから」だそうだ。「飲みマニア」の心をくすぐる酒の揃え。Sさんは梅ワイン、ぼくは亀甲宮(いわゆるキンミヤ)のホッピー割り。おつまみに生ラム刺身と枝豆。ラムのくせにクセがなく食べやすい。

「すすきのに行きましょう」とSさん。ではと、一番の繁華街をご案内。迫り来る黒服(のような人たち)を追い返してぐるりと見て回る。

 カクテルっぽいものをとのご所望で、いつもながらの「夜光虫」へ。ぼくもいつもながらのジントニックを。それと、締めのラーメンも。1人前を2人で分けてちょうどいい分量。

 明日の話し合いに備えて終電前に切り上げる。

長崎紀行その8~軍艦島上陸編

 すでに島に上がっていた、海運会社の係員だろうか、船着き場の上で船からのロープを岸に結わえる作業をしている。次第に波が高くなってきた気がする。大丈夫だろうかと心配になってきたとき、客が下船し始めた。船から伸びるはしけの上を歩いて上陸。ヘルメットに作業着を着た係員が、「見学時間がなくなってしまいますので、すみやかに下船してください」とメガホンで呼びかけている。

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 1階船室の出口から、コンクリで固められたドルフィン桟橋に立つ。桟橋は、最近になって市により修復されたもののようで、まだ真新しい。そこから、足下が鉄網の橋を渡り、堤防をくりぬいた短いトンネルを抜けると、島内に入る。ついに軍艦島に上陸した。

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 クルーズ参加者は、小高い丘を見上げる広場に集められる。ターミナルでもらったパンフによれば、島内には第1から第3まで、計3つの見学広場とそれらをつなぐ歩道が南側の堤防に沿って設けられているようだ。参加者はそこから島の建物を眺めることになるらしい。

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 下船を誘導していた係員がメガホンで参加者にあいさつ、次に諸注意。上陸後の行動はすべて係員の指示に従うこととなる。3つの見学広場それぞれにガイドさんがつき、回ってくる参加者に受け持ちの場所からの眺めや近くの施設について解説してくれるようだ。ガイドさんはみな「長崎さるく」と背中に書かれたウィンドブレーカーを来ている。後でいろいろお話を伺っていると、そのうち何人かはここ軍艦島で生まれ育った方のようだ。

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 見学は勝手に行ってはならない。班またはグループでの行動を求められる。参加者はすでに4つのグループに分けられていた。船中にて、4種類に色分けされた、首から下げるカードケースを渡されていたのである。わたしは緑色のケースをもらった。緑グループである。そのように分けられた上で、2つのグループをさらにひとまとめにして、2班に分かれて別々の順番で見学スペースをめぐる。わたしのいる緑グループを含む班は第1→第2→第3の順で。もうひとつは第2→第3→第1の順で回る。

「それでは移動してください」という係員の合図で班ごとに行動開始。

 第1見学広場でまず目につくのは、島の北東端にある7階建ての建物。かつての端島小中学校である。4階までが小学校、5階と7階が中学校(6階は講堂)だったそうだ(パンフレットによる)。その手前にある、屋根の崩れた建物は体育館。

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 目を岩山の頂上に転じると目に入るのが、三菱幹部用の職員住宅。なにしろ住むのが幹部であるため、一番の山の手に作られたのだそうだ。建物の屋上には独自の貯水タンクも設けられ、部屋には風呂があった。

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 職員住宅から南よりにある直方体の構造物が、島民共用の貯水タンク。かつては海水を蒸留して真水をとっていたらしいが、後には給水船で水が運ばれてこのタンクに貯蔵されたものを利用した。そのうち、本土との間で海底水道管が敷設されて、水不足という問題はなくなったのだそうだ。第2広場から第3広場への通路の脇にある堤防には一部穴が空けられているのだが、それは水道管を通すためのものだった。島にいたことのあるガイドさんによれば、小学校高学年になると、ここのパイプを滑り降りて海で泳いでいたそうだ。

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 第2広場へ移動。ここから正面には、かつての石炭産業の名残を見ることができる。まず正面右手にある第二竪坑坑口桟橋が目につく。鉱山で働く方たちは、この階段をいったん登り、地中深くもぐっていったのだろう。その左手に、レンガ作りの壁が残されているが、これは鉱山の事務所跡。壁をよく見ると、スプレーの落書きがのこっている。もちろん往時のものではなく、最近こっそりと上陸した人がつけていったものだろう。

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 堤防が崩れた個所から、岩の間に赤茶色の土がのぞいている。これは天川(あまかわ)と呼ばれるもので、漆喰の一種である。濡れるとかえって固く締まるという性質があるようだ。

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 第3広場へ。広場に行く途中にはプールの遺構がある。海水をはっていたようだ。

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 広場は島の南端に位置する。そこから北側正面に見えるのは、右から30号、31号アパート。30号アパートは大正5年に建てられた、日本最古の鉄筋コンクリート造りのアパート。俯瞰図を見ると、30号アパートは中庭を取り囲むような「ロ」の字型をしている。 31号アパートは堤防の曲線に沿って建てられているため、「ク」の字型をしている。

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 第3広場手前にある小さな建物は仕上げ工場。操業用の機械は本土で製造され、船に積めるようバラバラに分解された後、陸揚げされてこの工場で再び組み上げられたのだそうだ。

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 これでひととおり、見学コースはおしまい。それぞれの広場でガイドさんが見える景色について説明してくれるのだが、かけられる時間は10分弱ととても短い。トータルの上陸時間が1時間にも満たないのだから仕方ないものの、やはりもう少しゆっくりと眺めていたい。

 もちろん、もう少し島の奥にまで入って見学したいのはやまやまだが、建物はすでにぼろぼろでいつ崩落してもおかしくないのだそうだ。崩れるのを防ぐ工事をすることも選択肢ではあったろうが、市としては「風化するままの保存」とすることに決めたようだ。確かに、それがいいようにも思う。

 見学通路の傍らには、赤錆びた機械の一部がごろごろと転がっている。その脇には、どこから運ばれてきたのか、若木が地に根をおろしている。近未来SFにありそうな光景。

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 参加者たちはめいめい楽しんだ後、係員に船に戻るよう指示されて、再び船内に。

 この後、船で島を一周する予定だったのだが、そのまま引き返すとのアナウンスが。島の反対側の波が高くて危険と判断したようだ。比較的波の静かな桟橋側でしばらく停泊し、船はそのまま港へと向かった。

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 軍艦島とは外部からの呼び名である。外部とは、当時であれば島外の者、現在であれば当時を知らぬ者すべてを指す。そこで生まれ暮らしていた人々は、この島を正式な「端島」と呼んでいた。ここは確かにある人にとっては故郷なのである。その故郷に対する感じ方はそれぞれだろうが、それは「端島」についてのもので、決して「軍艦島」についてのものではないはずである。

 聞くところでは、閉山した後の炭坑夫たちの中には、まだ操業を続けていた外の鉱山に散らばっていった者もいたかもしれないとのこと。その中には、石炭で栄えたかつての北海道も含まれていただろう。万が一、この札幌でそうした人に会うことができたなら、そのときには「軍艦島」ではなく、「端島」のことについて聞いてみたい。

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タネとホネ

 保育園で野菜を育てることになったようで、アマネが急に「タネ」に興味を示し始めた。保育園ではダイコンの担当になったらしい。

 日曜の今日、温泉に入りがてら、由仁町のゆにガーデンに行ってきたのだが、その売店にサカタのタネが売られていた。「タネタネ」と言うので、ミニトマトと二十日大根とヒマワリのタネを買ってきた。

 当然ながら、タネを買うだけでは芽は出ない。それなりの土壌が必要だが、団地ではそれは難しい。仕方なくホームセンターに行って、芽を出させるための小さな容器と土を買ってきて、ベランダに置いた。土を入れるのは父親の役目、そこにタネをまいてじょうろで水をやるのはアマネの役目。

 何かを「育てる」のは実はわたしも久々のこと、けっこう楽しい。

 ところで、来週は東京に行く。Tくんの結婚式に呼ばれたのでのこのこ出かけていくのだが、どうせならと前泊して行くことにした。披露宴は夕方からなので日中どう時間をつぶそうか考えていたのだが、こういうのが開かれていることを知り、ちょうどいいので行くことに。

 21_21 Design Sight

 第5回企画展 山中俊治ディレクション 「骨」展

 30日の2時からオープニングトークで明和電機社長が来られるとのこと。昨年のお礼かたがたご挨拶しに行く。

 六本木と新宿って、地下鉄でつながってるんだねー。

長崎紀行その7~軍艦島発見編

 長崎港ターミナルでもらったパンフレットには、こうある。

長崎港から南西に約19㎞の沖合いに位置する「端島(はしま)」。
端島は、南北に約480m、東西に約160m、周囲1,200m、面積約63,000㎡という小さな海底炭坑の島で、 塀が島全体を囲い、高層鉄筋アパートが建ち並ぶその外観が軍艦「とさ」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになりました。

 その軍艦島への上陸クルーズを企画するやまさ海運の船、「マルベージャ1号」のデッキの上でわたしは揺られていた。

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 軍艦島のことを知ったのは確かネット上だったと思うが、 74年に無人島となる前には最大で5300人もの人々の生活があったことを知らせる廃墟の写真を見かけたのだった。

 明治から昭和初期にかけて世界のエネルギーを一手に担っていた石炭。それを掘り出すには膨大な労力と巨大な施設を必要とした。炭坑を中心として人が集まり、町が作られた。エネルギー革命にともない、石炭はその役割を終え、ヤマからは人の姿が消えたわけだが、施設は残った。そうした例は北海道にも数多く、特に見栄えのする建物などは近代化遺産と呼ばれている。最近では保存の声が高まっているとも聞く。軍艦島もその一つと言える。遺産と言えば聞こえはいいが、要は廃墟である。

 世間には廃墟マニアと呼ばれる人たちがいる。わたしは廃墟にはまったく興味がない(むしろオバケが出そうで敬遠したい)のだが、なぜか軍艦島を撮した写真には惹かれたのだった。

 しばらく前に、軍艦島に合法的に上陸するクルーズが開始されたとのニュースを聞いた。これ幸いと、GW明けの平日に有休を取って参加することにしたのである。

 クルーズの内容は、長崎港を出て軍艦島まで1時間の航海、島に上陸して1時間弱の見学、そしてまた1時間かけて港へ戻るという3時間。1日のうち、午前に1便、午後1便の2回。参加するには事前の予約が必要。料金だが、1回のクルーズで4000円。さらに、上陸できた場合は長崎市の施設の見学料という名目で300円かかる。

 上陸できた場合は、と書いたが、上陸できないこともあるようだ。実際のところ、今年から始まったクルーズの初日は天候の関係で上陸できず、島を外から一周して帰ったそうだ。なにしろ外洋にぽつんと浮かぶ島のこと、波の揺れを消してくれるものは辺りに何もないため、荒れていると船を桟橋につけておくことができないのである。話によると、1年のうち上陸可能なのは100日程度ではないかと言われているそうである。ちなみに、上陸できなかった場合は、施設見学料300円は返却されるらしい。

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 らしい、と書いたのは、返却されなかったから。そう、わたしは運良く、上陸することができたのである。こういうことの運はなかなかに強い。

 クルーズ受付のある長崎港ターミナルに到着したのは午後1時10分。参加するには、事前に「誓約書」なるものにサインをしなければならない。誓約書には以下の項目が書かれており、それに承諾して初めて乗船を許される。

1 見学施設区域以外の区域に立ち入らない。
2 見学施設においては、次の行為をしない。
(1) 柵を乗り越えるなど危険な行為
(2) 施設を汚す、破壊する行為
(3) 飲酒(船内外、島内を含む)
(4) 喫煙
(5) 他人の迷惑となる行為
(6) その他
3 安全誘導員その他の係員の誘導・指示に従う。
4 見学施設を安全に利用するのに適した衣服・靴を着用する。
5 ごみは持ち帰る。

  やまさ海運ウェブサイト(http://gunkan-jima.com/)より

 ターミナル2階には、軍艦島を説明するパネル展示があった。かつての島の生活を撮した写真。見る限り、当時の日本の、どこにでもある風景のようだが、やはりどこか違う。台風で押し寄せる波。波はしばしば島を飲み込む勢いだったらしく、「潮降り町」と呼ばれた区画もあったようだ。

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 余裕を持って乗船しておく。乗船口のあるフロアと、階段登ったフロアにそれぞれ客室があるが、わたしは迷わず潮風に当たることのできるデッキにしつらえられたベンチに座った。

 どやどやと他の乗客が乗り込んでくる。層はさまざま。若い男性数人組、カップル、女性2人組。若い女性1人という方も。中年の方による団体さんも。外国から来られたご夫婦も。長崎市役所の担当者数名も。手にするカメラと機材が明らかにプロ(だって、照度計なんて持ってるんだよ)という女性。出張のついでに来たという中年男性。みな、目的は廃墟を見ることなのである。

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 出航。船は長崎港を南へ。わたしの座る左舷真横、小山の上に、あのグラバー邸が見える。

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 最近完成したという、入り江を横断する女神大橋の下をくぐり抜ける。すぐ左手に、三菱の100万トンドックが見える。3連のアーチが巨大だ。

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 よい天気だが、風がびゅうびゅうと吹き付けてくる。シャツ1枚で来たのだが、想像以上に寒い。風が立っているために波が高い。船は左右に激しくローリング。立っている人はどこかにつかまっていないと、下手すると海中へぽちゃんである。船酔いに備えて船員が黒い袋をもって客の様子をうかがっている。わたしは不思議とこれまで船には酔ったことがないのでわりかし平気。

 リゾート島として有名になったという伊王島を過ぎる。やはりかつては海底炭坑があった高島にさしかかったころ、水平線の向こうにうっすら、建物の影らしきものが見えた。軍艦島ではなかろうか。

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 高島を越えるともうはっきりと姿を見せ始めた。団地だろうか、高い建物が建っているのが見える。

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 船はぐらんぐらん揺れながら軍艦島に近づく。コンクリの塀の脇をすーっと進む。風は、さいわい船着き場のある側の反対側から吹いており、こちら側の波は比較的穏やか。これなら着岸、上陸できそうだ。

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 というところで、待て次回。

長崎紀行その6~丸山徘徊編

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 平戸から帰ってきた翌日の夕方は、かねてより計画していたのだが、わたし一人で長崎市街の飲み屋をめぐらせてもらうことにした。

 昼食をとった後、少し横になり、夜に向けて鋭気を養う。たかが酒を飲むのに鋭気も何もあったもんじゃないのだが、まあそこはそれ。

 4時過ぎに実家を出て、電停赤迫までてくてくと歩く。熱を帯びた西日に焼かれて体から水分がぬけていく。これでこそ最初の一杯がうまいというもの。

 赤迫から正覚寺下行きの車両に30分ほど揺られ、思案橋で降りる。さあ、どこに行こうか。

 まずは、気になっていた一軒、一口餃子で有名な「雲龍亭本店」へ。思案橋横丁の入り口近くにあるので、場所は分かりやすい。

 がらがらと扉を開けるとLの字型のカウンターにおじさんが1人、テーブル席には家族連れが1組。家族連れはもう帰ろうとしていたところ。カウンターにおもむろに座ると同時に、餃子1人前と生ビールをお願いする。生はサッポロだそうだ。のぞむところ。

 供された生ビールをのどに流し込む。しみこむ。そこへ小振りの餃子が10個、無造作に皿に盛られて出てきた。小皿に専用のタレを入れる。そこに好みで真っ赤な柚子胡椒をつけてもよい。まずはタレのみ。一口なのでゆっくり味わう間もなく飲み込んでしまう感じ。今度はよく噛んでみるものの、皮の中から出てくる脂が変に臭う。うーん、好みが分かれるところか。食べつけると病みつきになるのだろうか。

 次に向かうは、浜の町アーケードから細い路地を入ったところにある、おでんの「はくしか」。中洲の「はくしか」はここの支店である。

 入ると、店の中央にコの字型のカウンター、壁に沿ってテーブル席が5~6つほど。コの字の奥まったところにおでんの浮かぶ舟。カウンターの中には着物にかっぽう着、日本髪に結った年配の女性が立ち、フロアをもう一人の同様の格好をした女性が受け持っていた。

 どうも口開けの様子。そりゃあそうだよ、今はまだ5時半。カウンターの入り口に近い端に座り、まずは瓶ビール。壁に掛かったホワイトボードを見て、白和えも。おでんは、里芋、ギョウザ(また!)、それに自家製はくしか揚げ。芋とギョウザはまだ味がしみていないそうで、ではと、たまごをもらう。

 常連らしきおじさんが1人、入ってきた。ちらりとわたしの方を見やりながらコの字の反対端に座る。女性陣と打ち解けた感じで賑やかに会話が始まる。こちらも、札幌から来たことなど話す。頼んでおいた芋とギョウザを平らげる。昨年おじゃました「桃若」といい、長崎にはおでんの名店がそこここにありそう。ごちそうさまでした。

 次は、浜屋の裏にある大衆割烹「案楽子(あらこ)」。年配のご夫婦と、なにやら玄人風のカップル(?)の間に空いていたカウンターの一席に通される。ここでは最初から焼酎をもらう。「お湯割りで」「麦?芋?」「麦で」。長崎では麦焼酎のシェアがなかなか大きいらしく、見た感じではあるが、飲み屋にキープされているボトルの半分が黒霧島、残り半分が壱岐の麦焼酎。

 カウンターの目の前にあるガラスケースには、アジ、サバ等々の魚。魚にまじって、はじっこにネギ巻きが山と積まれている。細ネギ(わけぎである。九州ではこれを普通の「ネギ」と呼び、根深ネギなどを「太ネギ」と言うらしい)を湯がいて、白い部分に青いところをくるくるとまきつけたものだ。熊本に行った時には「一文字グルグル」とか呼んでいたと思う。懐かしかったので頼むと、酢味噌が出てきた。口の中で噛むとキュッキュと心地よい。

 ネギ巻きの後ろにはなにやらふわふわした白いものが。「なんですか」「鯨のオバです」。いわゆる、さらしくじらである。長崎、特に、昨日訪れた平戸の方は昔から鯨漁で有名であったため、今でも長崎では鯨を食わせる店は多い。ここはぜひひとつと、オバをもらう。ネギ巻きの酢味噌で食べてみる。口の中でぷりぷりとしてまた乙なもの。

 最後に刺身盛り合わせをもらう。厚く切られた身はプリプリ。おいしいなあ。

 店を出ると、夕陽はとうの昔に沈んでいた。

 銅座通りを冷やかしながらふらふらと。目についた、「雲龍亭籠町店」についつい。さっき食べたではないか。本店との味比べである。

 壁のメニューを見ると、本店よりも50円ばかり高いのが気になる。目と鼻の先なのだが、何が違うのだろうか。ここではまずは焼酎お湯割り、それに「キモテキ」(レバーのソテー)を。キモテキうまい。勢いをつけて、餃子も1人前もらおう。うん、ここのはさほど脂が臭くない。が、やっぱり餃子が小さくて物足りない。後から店に入ってきたおじさんは、テーブルに着く前に「餃子3人前」とオーダー。ここではそれくらいの量を食べなければ満足できないということだろう。

 店のある船大工町から正覚寺のある小高い丘はびっちりと建物で埋まっている。その間隙を縫う路地をぶらぶらと登る。ほどよいところで折り返し、丸山町へ。古い建物が並ぶ情緒のある通り。ここは江戸の昔、花街のあったあたり。今でもその名残はそこかしこに残っている。さあ、そろそろ締めにかかろう。

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 再び思案橋横丁へ。さきほどの「はくしか」で聞いていた、「昔ながらのちゃんとしたちゃんぽんを食わせる」という「康楽(かんろ)」にふらふらと入る。長崎らしく、ちゃんぽんで締めようと思ったのだ。黄色い、太い麺をぞろぞろとすすりながらテレビにぼうっと眺め入る。

 酔い覚ましに、誰もいない中華街を抜け、出島まで歩く。港からの風が心地よい。

長崎紀行その5~平戸編

 ハウステンボスで遊び終えた一行は、一路北へ。平戸へ向かう。そうそう、車は実家のお義父さんから借りたワーゲン。絶対にぶつけないように慎重の上に慎重を重ねる。

 数日前に歩いた気がする佐世保駅前を通り過ぎ、ひたすら田舎道を走る。併走する鉄道はすでにJRから松浦鉄道に変わっている。この路線にあるたびら平戸口駅は日本最西端の駅として知られる、が、そこには行かない。

 ガソリンスタンドのおじさんから「あと30分ひたすらまっすぐ」と聞いてから本当に30分、平戸への入り口、平戸大橋の料金所にやっと到着。ハウステンボスを出てからここまで2時間弱。

 平戸は島である。唯一の道である橋を渡るには普通車で100円かかる。真っ赤に塗られた橋の下には海と島。夕陽に照らされて美しく輝く。

 渡り終えてすぐに平戸の街がある。街の入り口にある、平戸脇川ホテルが今晩の宿。通された部屋の窓からは港。左手の小高い丘の上には平戸城の天守閣が見える。

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 部屋で夕食のあと、温泉につかりバタンキュー。

 朝、早めに動き出す。まずは広々とした草原が広がるという川内(かわち)峠へ向かう。

 うねうねとした山道を抜けると、確かに草原が広がる丘に出た。眼下では海が島を囲み、九十九島もはるかに見える。島の浜辺に目をやれば、海の水が妙に明るい。

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 明るい色をしていたのは千里ヶ浜海水浴場。峠からそこへ降りてゆくと、黄色い砂地に透明な水の打ち寄せる浜辺。むちゃくちゃきれい。 きれいきれいとは聞いていた(と言うか、聞いていたために来てみたかった)が、ここまでとは。

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 さいわいこの日はそれほど寒くなかったので、アマネとふたりで靴を脱ぎ、水の中へ。遠浅なので、ずんずんと沖まで歩いていくことができる。足下の水の中をよく見ると、ちょこんと盛り上がった砂の山があちこちにある。山の頂上にはぽこんと穴が空いている。何だろうと思って手で山の下の砂ごとさらってみると、中から出てきたのは小さな貝殻に入ったヤドカリだった。よく見ると穴に潜っていないのもゴロゴロといる。砂の色と同化して見分けづらかったが、こんな波打ち際にも、目をこらすと小さな魚が群れをなして泳いでいる。

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 こんなに美しい海ははじめて。海と言えば波の荒い太平洋の海水浴場しか知らなかったので、正直なところあまり海には魅力を感じてはいなかったが、ここにはしばらくいたかった。アマネも「まだ遊ぶ」と言って、引きはがすのが大変だったが、実のところわたしが一番楽しんでいたかもしれない。

 島の反対側にある根獅子(ねしこ)の浜へも。こちらもずいぶんと遠浅だ。外洋に面しているため千里ヶ浜よりも波があり、砂浜に洗濯板のような波の跡がのこされている。写真だけ見ればどこぞの南の島のようだ。

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 海パンを準備していたわけではなかったので、アマネのパンツを脱がせて送り出す。すっかり波遊びが気に入り、波が来るごとにきゃっきゃと笑っていた。

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 昼食を食べるため、平戸の街に戻る。小さな商店街の、定食も出す喫茶店で食事を済ます。商店街の通り沿いには「三浦按針終焉の地」の石碑が無造作に置かれていた。

 ことほど左様に、平戸と言えば、日本史の教科書に名前が載るような歴史的人物の縁の地である。見て回ろうと思えばそういった場所も観光できたのだが、まあアマネはひとつも面白くなかろうということで、高い所に。街を見下ろす小高い山に建つ平戸城へ。天守閣からはゆうべのホテルがよく見えた。

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 名物という川内かまぼこをおみやげに買う。帰りは佐世保から高速を通り、2時間半ほどで実家に帰宅。

長崎紀行その4~ハウステンボス編

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 さんざ降る雨があがって真っ青な空が戻ってきた。

 5~6日にかけて、ハウステンボスと平戸に遠出。まずは初日の出来事を。わたしたち家族に義母を加えた4人で出かける。このメンバーでは、ハウステンボス初体験なのは、わたしとアマネ。

 ハウステンボスまでは、途中まで高速を使って、長崎から車で1時間半ほど。山あいの一般道をぬけると、唐突に派手な建物が目に入る。

 入り口のゲートをくぐる。いきなりのテディベアが出迎え。最初に入ることになる建物にはどでかいテディベアが鎮座ましましていた。

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 施設内を張り巡らされた運河を船に乗って移動。途中見かけた風車は、足下に咲く花とあいまってさすがに美しい。

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 下船した場所に立つ、オランダに実際にあるという時計台をモデルにした展望台「ドムトールン」にエレベーターで登る。素朴に高い。

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 ここには別荘の建ち並ぶ一角もあり、それぞれの家屋の面する運河にはクルーザーやらヨットやら船がもやってある。金を持ち、車も家も手に入れると、どうも人は船に手を伸ばすようだ。

 ドムトールン下のレストランで食事をとる。アマネは人の分までギョウザを食べる。ギョウザ食いである。

 メインの入り口から最も遠い最奥にあるのが、美しい庭を擁するパレスハウステンボス。ちょうどバラが盛りであった。

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 普通の日であれば、施設内をバスやらタクシーやらセグウェイ(!)やらで回れるらしいのだが、なにしろGWのまっただなかとあって、人通りが多いために「運休」なのだそうだ。車道と歩道の境がないためなのだろうが、そのせいでずっと歩き通し。

 再び運河を船で下る。アミューズメント系の施設の建ち並ぶ一角、ニュースタッドへ。ここでお義母さんとはお別れ。

 ニュースタッドのすみっこに、本当にちっぽけな遊園地(のようなもの)がある。おさるの電車やら、くるくる回るバスの乗り物やら、おもちゃのようなものだが、子どもたちはきゃあきゃあ言って乗っている。アマネも電車を見ると目の色を変える方なので案の定乗るそうだ。

 ニュースタッドにはほかにもいろんなアトラクションがあるようだが、どうも何かが「へぼい」。どちらかといえば場末感すら漂う。オランダ風浅草花やしきと言えば感じは伝わるだろうか。

 それでも子どもたちは喜んでおり、大人はそれなりに満足している。帰りしな、風車の前でパチリ。

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 日の下で長らく遊んでいたため、アマネがひどい日焼けをしたらしい。その晩泊まった宿で、火ぶくれしたまぶたやら首筋やらが痛がゆいらしく、なかなか寝られず煩悶していた。日焼け止めはぬったのだが、油断した。

長崎紀行その3

 家内の実家に落ち着いた初日はあいにくの小雨。

 アマネのひいおばあちゃんが昼食においしい魚を食べさせてくださるというので近くの食堂へ。生簀の中にイカやらヒラメやら。ハマチの刺身が分厚くてうまい。一切れ食べるごとに口が疲れる刺身というのもたいしたものである。魚の種類と質は確実に北海道を上回る。

 その足で長崎市内の「あぐりの丘」へ。羊を見に行く。その間ぼくは隣接する温泉で一休み。

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 雨はやまない。アマネは昼寝せず、狂ったようにはしゃぎまわる。

 次の日、本格的に降り出す。

 長崎市街へ。近くの電停、赤迫から路面電車に揺られて思案橋まで。

 浜の町アーケードの途切れたところにある「ツル茶ん」に入る。長崎の名物、トルコライスを食べるため。なんでもこの喫茶店がトルコライス発祥の地らしい。トルコライスとは、1つの皿にスパゲティとピラフが並んで盛り付けられ、その上にトンカツなどが乗り、さらにデミグラスソース的なものがかかった料理である。なぜトルコなのかはたぶん調べれば分かる。

 出てきた。結構なボリューム。味は想定の範囲内。昔ながらの喫茶店のメニューをいっぺんに食べられるというお得感はあろう。

 アーケードを通り抜けて出島へ。江戸時代の出島の建物を再現しており、観光客がやたらと歩いている。オランダ商館長の邸宅が復元されていて、内部の様子を見る事ができる。おもしろい。

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出島に入る門にはちょんまげさんが。記念にパチリ。

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 長崎駅では、鉄道のイベント。車掌さんの服を着て、ブルートレイン「さくら」のヘッドマークと一緒に撮影するコーナー。おサルの電車に乗るコーナー。いずれも子ども達がはしゃいでいた。もちろんアマネも。

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長崎紀行その2

 朝から快晴。

 博多から特急みどり号で佐世保へ。途中、有田の陶器市に行く一団に出くわし、列車内は乗車率140%を計上。

 佐世保に到着。

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 まずは腹ごしらえ。佐世保は最近、ハンバーガーの街として売り出しているらしく、やなせたかしによるキャラクターがあちこちにある。キャラクター看板が出迎える一軒、Lucky'sへ。駅でもらったパンフレットによれば、ここは米軍関係者御用達だそうだ。

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 私たちはその前に別の店に行っていたのだが、その店の前には行列ができており入るのを断念した。ハンバーガー人気侮りがたしである。

 テイクアウトにして駅前の港で食べた。レギュラーサイズが大人の男の手の平ほどもある。ベーコンバーガーは標準的にうまかった。

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 駅前から出るバスでパールシーリゾートへ。九十九島を船でめぐるクルージング。船に乗り込み出航。

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 九十九島と言うものの、実際には200以上はあるらしい。何を「島」と認定するかという問題だが、満潮時に顔を出していて、陸の植物が生えていることが定義のようだ。水はエメラルドグリーン。磯を見ると海の水が透明で美しい。

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 船が寄港すると、義父母が迎えに来てくれていた。アマネはサプライズであったらしく、むちゃくちゃ興奮し、帰りの車中ではケタケタ笑い通しであった。