さっぽろオータムフェスト

 

9月は家を空けすぎました。この3連休は家でのんびりしようと思ったのですが,根が貧乏性なのでじっとしているのももったいなく,結局街に出てきました。

街ではちょうど大通りでさっぽろオータムフェストなる催しをやっています。大通り公園の4丁目から8丁目までを使った食の祭典です。

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上野写真は8丁目の様子ですが,道内各市町村が食材とそれを使った料理を持ち寄って提供してくれています。真ん中で白くもやっているのはサンマを焼く煙のようです。

昼過ぎには激烈に混んで料理を運ぶのもままならなくなるのは目に見えているので,11時過ぎにはもう食べてしまいました。オホーツク塩ラーメンとホッキチャウダー,牛肉巻き。塩ラーメンはまあまあおいしかったですかね。

子どもは人混みを歩くのが疲れてしまいましたが,8丁目の公園に来ると元気に遊び始めます。

イサムノグチのブラックスライドマントラ。10回は滑りましたかね。永久機関のように,滑ったら登り,滑っては登り。

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くたびれたので帰りました。実はテレビ塔の非常階段を展望台まで登るというイベントにも参加していたのですが,子どもも私も高所恐怖症で登れなくて途中で棄権したというのは内緒。

ISCAR Rome 2011 (3)

2日目のキーノートスピーチはルーシー・サッチマンとエレノア・オックス。私としてはこのお二方のお話を一度に聞けるなんてことを想像したこともなかったので感動もひとしおでした。感動しすぎて何を言っていたのかいまいちよく理解していなかったのですが。こっそり録音していたので,あとで英語の勉強がてら書き起こしを作ってみようと思います。

昼からは自分のポスター発表。内容のイメージはこちらで確認いただくとして,ツイッターに書いたのですが,今回はクロス地にポスターを印刷してもらってそれをもってきました。大きな1枚の紙に印刷してポスターを持ってこようとすると,どうしても筒に入れてこなければならず,そうすると飛行機では貨物扱いになり,となると移動途中乗り継ぎなどがあるとロストバゲージの可能性が大いにあって,心配なのです。かといって,紙を鞄に入るように折りたたむとしわになります。クロス地であれば,たたんでプラスチックのケースに入れてしまえばしわはさほど気になりません。今回はその作戦で来ましたが,結果,特に問題もなかったので,学会では今度から全紙サイズのポスターを作る場合そうしようと思います。

私は英語でのやりとりに難があるので,貼ったポスターのそばからなるべく離れて立って,眺めている人がいても積極的に話しかけてこない限り黙ってるという作戦をとろうとしました。それでも何人かの方からは話しかけていただき,いちおう説明はしました。

ぐずぐず言ってないで,とにかく英語の勉強をしなければならないと思います。話をしたい!という動機さえあれば英語は上達する,という話もあります。一番シンプルなのは,英語話者の恋人を探すことだそうで。その一方で,英語の知識をとにかくたたき込んで,自信をつければ話すことそのものに対するおそれはなくなる,という話もありそうです。恐らく万人にふさわしい方法はないのでしょう。

ISCAR Rome 2011 (2)

開会式の前日、プレ企画から参加してきました。Maria Hedegaardの企画による、CHACDOCと呼ばれるグループによるセッションで、1日を通して開かれました。Hedegaardのことやその論文は最近知ったのですが、いわく、ひとつの制度的状況のなかにいる子どものことだけを見ても、その発達や学習を説明することはできない、複数の制度的状況のあいだにある要求されること(demand)の矛盾を通して子どもは発達するのだ、という主張のようです。彼女を中心として開催されている研究グループがCHACDOCなのだそうで、それを今回はプレ企画としてオープンにやってみたということでしょうか。

スピーカーの一人、Anna Stechenkoさんは、自分の態度をTransformative Activist Stanceと呼んでいました。言い換えると、"Change world, simultaneously change themselves"ということだそうです。Charlotte Hojholtさんのテーマは"How children arrange social communities across communities"で、子ども自身で自分の生きるコンテクストを作るという実践を紹介していました。Liv Mette Glbrandsenさんは離婚協議に子ども自身を参加させる実践の話。これらの研究の方向性を見ると、みなやはりレイブの言うような変革的実践に焦点を当てていたことが分かると思います。

あけて初日、会場のひとつローマ大学の講堂で開会式が執り行われ、そのまま2人のキーノートスピーチとなりました。うち一人はフランスのシステムデザイン研究者、もう一人は私にもなじみのあるDavid Olsonでした。オルソンの話は札幌でも聞いたことがありますが、そのときと同じような言語の話でした。続くスピーカーはPascal Begun。お名前は知りませんでしたが、システムのデザイナーということでした。ある道具をデザインすることは、それを用いる社会的なシステム全体をデザインすることでもあるという観点は、すでに普及したものでしょう。あまり具体的な話はなかったかと記憶しています。

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(左:ローマ大学講堂 右:大学内の松の木。これが「ローマの松」か…)

初日の午後からのシンポはたくさん並行して開かれていたので、個人的な興味でうろうろしていました。興味のわき方にもいろいろあると思うのですが、今回はミーハーに徹していました。

ご尊顔を拝見したい先生の一人が、Blum-Kulka。多人数環境への参加過程を子どもの言語発達過程として捉えている方で、関心の重なり方が自分とよく似ていて参考にしているのです。シンポでは、double-opportunity spaceという考え方を知りました。子ども同士の会話をそのように捉えるもので、それは「文化を創り、意味を作る」機会でもあり、同時に「談話の組織化の仕方が発達する」機会でもあるという考え方です(未見ですが、Blum-Kulka, et al. 2004に詳細があるそうです)。

ところで、今回のISCARは会場がローマ市内テルミニ駅周辺に分散していて、期間中毎日午前中に行われるキーノートスピーチは大学内なのですが、昼からのポスターセッション、午後からのシンポと口頭発表はそれとは別の建物で開かれていました。テルミニ駅を挟んで大学と反対側に会場があるのですが、その間がけっこう離れていて、歩いて15分はゆうにかかりました。宿が分科会会場に近い所だったので、朝大学まで15分かけて歩き、昼からまたホテルの方向へ戻るという毎日。荷物を抱えて歩き回っていたおかげで、夜はワインでイタリア料理をばくばく食べていたのですが、まったく体重は増えませんでしたね。

ISCAR Rome 2011 (1)

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院生の頃から来い来いとしきりに勧められていたISCARに、条件がそろってようやく参加することができたのが先週のことでした。

ISCARとはInternational Society for Cultural and Activity Researchの略で、読んで字のごとく、文化や活動といった鍵概念を共有して諸領域で研究を進める人たちの国際的な集まりです。

実際に今回この集まりに参加した人の名を挙げていくと、集まりの特徴が見えてくるかもしれません。たとえば、ジーン・レイブ、ルーシー・サッチマン、エレノア・オックス、ヤーン・バルシナー、ユーリア・エンゲストロームといった研究者たちは中心的な方々です。かつては複数の学会に分かれて開催されていたのですが、参加者が重複していたためにしばらく前に一つにまとまったのだそうです。それからは3年ごとに開かれるようになりました。

さて、そのISCARは今回はローマで開催されました。ローマとくれば、観光に買い物、食事と楽しみなことはたくさんありそうですが、さにあらず、そのような暇はほとんどなく(いちおう、なんとか空き時間を作ってコロッセオとスペイン広場には行きましたが)、ホテルと学会会場の往復で1週間がすぎてしまいました。これほど魅力的な学会というのはそうありません。

さてその内容ですが、最終日にキーノートスピーチをしたレイブの言葉に集約されるかもしれません。いわく、「私たちは、生きて動く人間を研究している」。死んでいない限り人間は生きて動くのですから、人間に関する研究をすることはすなわち、生きて動くものを調べることのはずです。しかし、人間科学の古いパラダイムは人間を生きて動くものとは見てこなかったと。

では、それに代わるのは何かというと、レイブは、マルクスの言う「フォイエルバッハ第三テーゼ」に描かれている人間観が参考になる、と言います。それは、環境が人間を作ると同時に、人間自身も環境を作るというものです。マルクスはこの作り作られというダイナミズムを「変革的実践」(revolutionary practice)と呼んだのですが、この視点で生きた人間の動きを見ようというのが、ISCARに集まった人々の底流にあると思います。ですから基本的には、「人間が何をしているのか、とにかく見てみよう」という発想が方法論となるのです。(上に書いたのは、最低限共有しているであろう枠組みで、実際には細かく見ると異質な部分を含むさまざまな流派が相互に相乗りして開催されています。)

では、実際に私が参加した企画をおさらいしていきます。