マルセル・デュシャン,ピエール・カバンヌ 岩佐鉄男・小林康夫(訳) 1995 デュシャンは語る 筑摩書房
本書はおそらく1966年にフランスのヌイイーで行われた対談を編集したもので,会話の端々に今ではもはや歴史となった現在が見え隠れする(たとえば,ケネディについて)。
すでに伝説となった様々な「作品」が制作された裏の話がゆったりと語られているのだが,彼の場合,その語ること自体もなんだか作品の一部のようでいて,額面通りに受け止めきれないところにおもしろさがある。
■作品
―あなたの『泉』は『階段を降りる裸体』と同じくらい有名になりました。
その通りだ。
―この名声は、あなたにとって,商業面での反響をもたらすものではなかったようですね。
ええ,全然!
―あなたはそれを望んでいらっしゃいましたか。
私は望みも求めもしなかった。(p.112)
私が腰掛の上に自転車の車輪をさかさまにのせたときには,レディ・メイドという考えも,あるいは何かほかの考えも,全然なかったのです。それは単なる気晴らしでした。そんなことをすると決めた理由も,あるいは展示したり,叙述したりしようという意図も,私にはありませんでした。(p.91)
芸術史においてデュシャンの名は,『泉』とともにある。それほど,この「作品」のもつ印象は強い。
『泉』(Fountain. 1917/1964)
http://www.abcgallery.com/D/duchamp/duchamp26.html
すでに作られた工業製品を,「作品」としてドンと置く。こうした作品群は,「レディ・メイド」と呼ばれた。
1914年につくられた『壜掛け』は,デパートで買われたものだった。デュシャンはそこに銘を入れただけである。1915年の『折れた腕にそなえて』は彼が渡米後につくった最初のレディ・メイドである。それは雪かきシャベルに銘を入れたものだった。
シャベルと『壜掛け』との違いは,題もつけたことだった。どこにでもある日用品とタイトルが同時に提出されることで,わたしたちはそこにどうしても意味を見いだそうとしてしまう。しかしデュシャンは「それが何の意味ももたないことを望んでいた」(p.106)と述べる。
『自転車の車輪』(Bicycle Wheel/Roue de bicyslette. 1913)
http://www.abcgallery.com/D/duchamp/duchamp20.html
『壜掛け』(Bottle Rack/Egouttoir (or Porte-bouteilles). 1914/64)
http://www.abcgallery.com/D/duchamp/duchamp21.html
『折れた腕にそなえて』(In Advance of the Broken Arm. 1915)
http://www.abcgallery.com/D/duchamp/duchamp22.html
1916年4月にニューヨークで開かれた展覧会に,デュシャンは陶器の小便器に“R.Mutt”と署名して出品した。しかし展覧会にその作品の姿はなかった。「『泉』は仕切りの後にぽんと置かれていて、展覧会の間中、私はそれがどこにあるのか知りませんでした」(p.108)。便器を放っておくのは,「常識ある人」からすれば当然の反応であろう。
レディ・メイドには,どんなものが選ばれたのか。
それはものによります。一般には、《外見》に惑わされないようにしなければなりません。あるオブジェを選ぶというのは、たいへんむずかしい。半月後にそれを好きなままでいるか、それとも嫌いになっているかわかりませんからね。。美的な感動を何にも受けないような無関心の境地に達しなければいけません。レディ・メイドの選択は常に視覚的な無関心、そしてそれと同時に好悪をとわずあらゆる趣味の欠如に基づいています。
-あなたにとって趣味とは何ですか。
ひとつの習慣です。すでに受けいれたものを反復すること。(p.93)
現代芸術における彼のレディ・メイドは燦然と輝く。だが,本人にとって最も重要だったのは,それとは違う2つの作品だったようだ。一つは『階段を降りる裸体』,もう一つは『大ガラス』と称される未完の作品である。
『階段を降りる裸体』(Nu descendant un Escalier. No.2. 1912)
http://www.abcgallery.com/D/duchamp/duchamp2.html
『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも/大ガラス』(The Bride Stripped Bare By Her Bachelors, Even or The Large Glass. 1915/23)
http://www.abcgallery.com/D/duchamp/duchamp29.html
大ガラスの制作年に1915/23とあるのは,8年間かかったという意味である。しかしそれでも未完成のまま,作者はそれを手放した。
前者を描くにあたって影響を受けたものとして,デュシャンは2つを挙げる。一つは明らかなキュビズムの影響である。もう一つは,エチエンヌ・ジャン=マレイによる高速度写真,要するに連写された写真である。デュシャン本人の言葉を借りれば、「古典的な裸体とは違った裸体」を「運動の中に置く」(p.53)ことがこの絵の出発点であった。
ところがこの絵は、1912年のアンデパンダン展に出展を拒否された。
-このような事態も、あなたを後に反芸術的な態度へと押しやった一因となっているのでしょうか。
それは、個人的な意味での過去から私自身を完全に解き放つ助けにはなりました。(p.56)
1912年にニューヨークで展示された際には支持・不支持両側からの大きな反響をもって迎えられたようだ。インタビュアーの言葉を借りれば一種の「スキャンダラスな成功」(p.86)であった。
『泉』後のデュシャンは,何かをつくる作業としては『大ガラス』だけにかかることとなった。この作品は,彼が実験的に製作したものの言わば「集大成」(p.130)である。彼が「関心を持っていた唯一のもの」(p.132)でもある。
『大ガラス』は1926年にひびが入る。これについて「ひびがはいって,ずっと良くなりました。百倍も良くなった。」(p.157)とデュシャンは述懐する。
■特別なことをするのではない
私には《創造》という言葉は恐ろしい。普通の社会的な意味では,創造というのはたいへんやさしいものなのですが,実を言えば,私は芸術家の創造的機能などというものは信じません。(p.18)
-あなたは絵画の道に進まれた。そこに何を期待なさったのですか。
わかりません。…(中略)…モンマルトルのボヘミアンのようなものでした。生き,そして描く。絵描きであるということには,実際何の意味もないのです。(p.38-9)
芸術家とは誰のことなのだろうか。芸術作品とは何かという問いとともに,現代芸術の文脈において,この問いをつきつけた一人は,間違いなくデュシャンだろう。
で,芸術家とは誰のことなのだろうか。
デュシャンのしたことを胸のすくような思いで見た者にとって-ぼくも含めて-デュシャンは英雄であった。しかし自らを語るデュシャンは英雄ではなく,日々の糧を得るために何かを作る職人であり,そこがなんだかみみっちくて嫌であった。
誰でも何かをつくっています。そしてカンヴァスに向かって,額付きの何かをつくっている人が,芸術家(アルティスト)と呼ばれるのです。かつては,彼らは私のもっと好きな言葉で呼ばれていました-職人(アルティザン)です。われわれはみんな職人です。(p.18)
実際のところ,デュシャンは誰かから頼まれて作品を作ることが多かったようだ。
―あなたの人生のうちのかなりの多くの出来事について,あなたはただ、ひとの頼みに答えることだけに甘んじている,という印象がありますが?
普通,ただそれだけです。自分からひとに頼んで何かをする,いわゆる野心家では,私はないのです。…(中略)…芸術家が自分は何かをつくる義務があると信じたり,大衆に尽くすべき義務があるとしたりするような社会的役割,それを芸術家に割り振るのは嫌なのです。
もしかするとデュシャンは,作品の作品であるゆえんを,ただ「芸術家ひとり」のうちに置くのではなく,芸術家も含む実践のエコノミーに委ねていたのかもしれない。であるから,むしろデュシャンは芸術家である自分の趣味(テイスト)に基づいてではなく,ルールや科学の方法,ありものの「レディ・メイド」など,きわめて他律的な制約への微細な抵抗のなかで制作をしてきたように見える。
「数学」(p.72)「反網膜的な態度」(p.82)「機械製図」(p.94)「あらゆる絵画の約束事の外にありますから,いかなる趣味も負っていません」(p.94)
-技術的な問題以上に,あなたが取組まれたのは,科学的な問題でしたね。比率や計算の問題。
すべての絵画は,印象主義以来、スーラも含めて,反科学的なものになっています。それで私は科学の正確で厳密な面を導入することに興味を持ちました。…(中略)…私がそれをしたのは,科学に対する愛からではありません。むしろ科学を,おだやかで軽い,取るにたらないやり方でけなすためだったのです。(p.74)
私が好まないのは,まったく非-観念的であるもの,純粋に網膜的なものです。(p.160)
最後に,作品を他律的に制作した芸術家として,デュシャンとともに,ジョン・ケージを挙げておかねばならないだろう。実際に,デュシャン自身,ケージに対するシンパシーを示している。
―ハプニングについては,どう思われますか。
ハプニングはとても私の気にいっています。それは,はっきりと画架の上のタブローに対立するようなものなのですから。
―それは,あなたの《観客》の理論と実にピッタリと対応していますね。
まさにその通りです。ハプニングは,芸術のなかに,それまで誰も置いたことのないひとつの要素を導入しました。退屈(アンニュイ)です。…音楽におけるジョン・ケージの沈黙も,実際,それと同じ考えです。誰もそれを考えたことがありませんでした。(p.210)