068-ピーター・ゴドフリー=スミス『タコの心身問題』(みすず書房)

ピーター・ゴドフリー=スミス 夏目大(訳) (2018). タコの心身問題:頭足類から考える意識の起源 みすず書房

タコの心身問題――頭足類から考える意識の起源

積ん読消化運動第2弾。原題は”Other minds”。「もう一つのこころ」とは,表紙に鎮座する (エルンスト・ヘッケルの図録から採用された) タコに代表される頭足類のこころのことである。

著者ゴドフリー=スミスはダイビングも行う哲学者である。その著者がオーストラリアの海で出会った頭足類(タコやジャイアント・カトルフィッシュ)の生態をじっくりと眺め,そこに「こころ」を見いだした。

神経系がこころの機能と深い関係にあることは間違いない。神経系を構成する神経細胞(ニューロン)の規模は,こころの働きを規定する,とは言わないまでも,それを制約すると考えることは誤りではないだろう。

そうしてみると,タコのニューロンの数は約5億個なのだそうだ(p.59)。人間の1000億個にははるかに及ばないものの,イヌと同じ程度らしい。

人間を含む脊椎動物のニューロンは脳という部位に集中する。しかし,タコは違う。

タコの場合,脳は独立した存在というよりも,「脳を含めた神経系全体」が一つになっている。タコはどこからどこまでが脳なのかがそもそもはっきりしない。ニューロンが密集している箇所が身体のあちこちにあるからだ。タコは身体中が神経系で満たされていると言ってもいい。タコの身体は脳や神経系にただ制御されるものではなく,脳や神経系と完全に対置させられるものではない。

p.92

むき出しになり,それ自体が動く脳=身体。身体の表面そのものが外界を知覚し,知覚されたことがそのまま身体に表示される。そのような出来事として,タコの驚くべき擬態能力が理解されるのだろう。

067-石川晋『学校とゆるやかに伴走するということ』(フェミックス)

学校とゆるやかに伴走するということ

石川先生のことはこのブログでも何度か書いてきた。小学校での教室談話を新たな研究テーマとするに際して右も左も分からないとき,帯広のセミナーにうかがってお話をしていただいたのが石川先生だった。エントリーを確認してみたら,2009年のことだった。

教師力Brush-upセミナー

爾来10年,ご著書をお送りいただいたり,北大にお越しいただいたり(この11月にも来ていただけることとなった),たいへんお世話になっている。

10年の間に学校に対する私の客観的な立ち位置も変わってしまった。どういうわけだか,私のような者が,とある小学校の校内研修の「助言者」となった。教室の様子を知らないのでぜひ教えてくださいと言って参観していたのだけれども,こうした方がよいのではないですかと言う立場になってしまったのである。

校内研修という活動がどのようなものか,それは『学校とゆるやかに伴走するということ』の「『評論家』のいない授業検討会をつくる」(pp.81-86)に書いてある。

同様の役目に就いたことのある他の方はどうかは存じ上げないのだが,少なくとも私は,「助言者」という役割は正直に言えば荷が重い。私の話を聞くよりも,授業の様子を撮影したビデオをもう一度見直した方が,授業者にとっては何倍も気づくことがあるだろうと思う。授業がうまくいったかどうかを知るには,なにより,子どもの様子を見ればいいに決まっている。

期待されたことには精一杯応えたいのも確かだ。すると不思議なことに,かつては授業というコミュニケーションを批判的に見ていたものが,「先生ガンバレ」という視点に変わってしまうのである。つまり,授業に参加する子どもの視点をいつの間にか忘れてしまう。これではまずい。

石川先生が北海道の学校を辞めてから全国の学校に入って試みていることに,まずは驚く。「砂に水をまくような仕事」という表現が本書には出てくるが,おそらく,石川先生がどこかの学校に入って次の日から劇的に何かが変わりましたなんていうことはないだろう。

石川先生の授業を何度か受けたことがある(模擬的な授業だけれども)。そのときにいつも感じるのは,教室の中の人々が目の前にして共有する「教材」に対し敬意を払い,そのものの「価値」を丁寧に考えていきましょう,という先生の態度である。この態度をとると,学習者はもちろん,授業者も「教材」の背後に退くこととなる。

たぶん,学校を訪問される際も同じような感じなのではないか。その学校の価値,そこで働く先生ひとりひとりの価値,学校に通う子どもひとりひとりの価値とは何か。それを外から値踏みするのではなく,あくまでも自身が見いだす,その過程を伴走すること。

授業の助言ってなんなんだろうと悶々とする人と一緒に読みたい一冊。

066-小林標『ラテン語の世界』(中公新書)

小林標 (2006) ラテン語の世界:ローマが残した無限の遺産 中央公論社

ラテン語の世界―ローマが残した無限の遺産 (中公新書)

積ん読を消化すべく,仕事への行き帰りなどで少しずつ読み進めていた一冊。ページをめくる手がなかなか進まなかったのだが,ようやく読了。

ラテン語はすでに話す人の絶えた死語である,という認識が大きく変わる。

ラテン語に由来する語を,フランス語やイタリア語,スペイン語はもちろんのこと,英語の中から見つけることはたやすい。言い換えると,世界の多くの人々はラテン語の恩恵をいまなお享受して言葉を使っているということだ。

そうしたラテン語を実用のための言語として学ぶのに,日本語話者は向いている,というのが著者の評。なぜならラテン語では母音の長短の区別が音韻論的な価値をもっているからである。こうした特徴はヨーロッパの多くの言語には見られないものである。

levisという綴りは,母音の長短を考慮に入れると4通りの発音が可能である。そして,この場合,その四つの発音が意味を区別してしまうのである。
 短短(レウィス)「軽い」単数主格
 短長(レウィース)「軽い」複数対格
 長短(レーウィス)「なめらかな」単数主格
 長長(レーウィース)「なめらかな」複数対格

p.84

「おおおばさん」「いりえへいく」のように,母音を重ねることに慣れた耳をもつ日本人には難なく聞き取ったり話したりすることができるだろう。

さらに,アクセントも強弱ではなく高低アクセントだったのではないか,と著者は推測する。実際に,ラテン語のラジオ放送Nuntii Latini(なぜかフィンランドのラジオ局が制作している)を聞いてみると,のっぺりとした音調がなんだか日本語に近いような気がする。

本書はラテン語初学者のための入門書というよりも,ラテン語を学ぶ上で必要な地理的,歴史的,文化的背景の入門書として書かれている。著者もラテン語文学を専門としているようだ。言語としてのラテン語の説明は必要最低限に抑えられているが,文中や巻末に言語学的な入門書・専門書が挙げられているのでそちらを参照すればよいのだろう。

065-学習論としての古典(1) アリストテレス「心とは何か」

アリストテレス 桑子敏雄(訳) (1999). 心とは何か 講談社

Peri Psyche,英語ではOn the Soul。永らく「霊魂論」「心理学」と訳されてきたこの書物を,ばっさりと「心とは何か」と訳したのはまず英断だったと思う。なにより,わかりやすいし,とっつきやすい。

心理学を含む近代科学の祖がデカルトだとするなら,それよりさかのぼった時代のあらゆる学問の祖はアリストテレスであった。実際のところ,デカルトはアリストテレスを否定することを通して近代の幕を開けたところがある。心と身体とが別物だと言ったのも,アリストテレスへの反逆だった。

身体はギリシャ語で「ソーマ」と言う。この「ソーマ」は訳しにくい言葉らしい。日本語の「物質」も「身体」も同じ「ソーマ」だというのである。

現代の生命科学であれば,身体は単なる物質として扱われることの方が多いだろうから,むしろ同じ言葉であってもかまわないのかもしれない。しかし,アリストテレスは,「ソーマ」と呼ばれるものの中に2種類を区別した。1つが生きることのないものであり,もう1つは生きることのできるものである。この言い方はすこし回りくどいかもしれない。しかし,アリストテレスの思想を理解する上で必要な概念がここにある。

アリストテレスは,現象がとりうる3つの状態を区別した。デュナミス,エネルゲイア,エンテレケイアである。桑子敏雄の訳では,それぞれ「可能態」「実現態」「終局態」となっている。例えば,大工。雨が降って家で子どもと遊ぶ大工と,晴れて家をせっせと造っている大工は,アリストテレスによれば,状態が異なる。前者は家を造る可能性をもっている(が,実際には造っていない)状態にある大工であり,これをデュナミスとしての大工と呼ぶ。後者はその能力をいかんなく発揮している状態にある大工であり,これはエネルゲイアとしての大工である。エンテレケイアはエネルゲイアとだいたい同じなのだそうだが,能力の潜在的な限界にまでいたるまで力を出し切った状態とでも言おうか。エンテレケイアには「テロス(目的)」が含まれているのである。

さて,ソーマ(=物質・身体)には生きることのないものと生きることのできるものの2種類があるとされた。これを3つの状態を示す言葉で言い換えると,生きるデュナミスのないソーマとそれがあるソーマである。生きるというデュナミスは,エネルゲイアとしては,動くこと,および感覚することして発揮される。そして,アリストテレスにとって,心とはこのように「可能的に生命をもつ自然的物体の第一の終局態」(p.71)のことなのである。

ここで言う「第一の終局態=エンテレケイア」は,学習という問題と深くからむ。第一の,と言うからには,第二のエンテレケイアもある。それは,心に関連した諸能力を行使し,何らかの結果に至った状態のことを指す。簡単な例で言えば「考えて,分かる」ような状態のことである。考える可能性をもつ存在が,実際に考え,そしてなんらかの考察にいたる,という3つの状態が展開していく過程を想像すれば分かりやすい。これは考える能力をもつ存在において起こりうる過程であるが,そもそも考える能力をもつにいたるまでの過程というのもあるだろう,というのがアリストテレスの考えで,そういう能力を持つにいたった状態を第一のエンテレケイアと呼んだのである。

この考え方を学習にあてはめてみると,次のようになろう。我々は学習が可能な存在の一員として生まれてくる(デュナミス)。そのような存在が実際に学習する(エネルゲイア)ことを通して,なんらかの状態にいたる(第一のエンテレケイア)。このようにして学習という変化の過程が完了するわけだが,もちろんそれで終わりではなく,第一のエンテレケイアをもとにした次なる過程が始まっていき,第二の,そして第三のエンテレケイアが生起するという図式として説明できるのである。

064-マルセル・デュシャン、あるいは芸術家がその糧を得る方法について

マルセル・デュシャン,ピエール・カバンヌ 岩佐鉄男・小林康夫(訳) 1995 デュシャンは語る 筑摩書房

本書はおそらく1966年にフランスのヌイイーで行われた対談を編集したもので,会話の端々に今ではもはや歴史となった現在が見え隠れする(たとえば,ケネディについて)。

すでに伝説となった様々な「作品」が制作された裏の話がゆったりと語られているのだが,彼の場合,その語ること自体もなんだか作品の一部のようでいて,額面通りに受け止めきれないところにおもしろさがある。

■作品

―あなたの『泉』は『階段を降りる裸体』と同じくらい有名になりました。
 その通りだ。
―この名声は、あなたにとって,商業面での反響をもたらすものではなかったようですね。
 ええ,全然!
―あなたはそれを望んでいらっしゃいましたか。
 私は望みも求めもしなかった。(p.112)

私が腰掛の上に自転車の車輪をさかさまにのせたときには,レディ・メイドという考えも,あるいは何かほかの考えも,全然なかったのです。それは単なる気晴らしでした。そんなことをすると決めた理由も,あるいは展示したり,叙述したりしようという意図も,私にはありませんでした。(p.91)

芸術史においてデュシャンの名は,『泉』とともにある。それほど,この「作品」のもつ印象は強い。

『泉』(Fountain. 1917/1964)
http://www.abcgallery.com/D/duchamp/duchamp26.html

すでに作られた工業製品を,「作品」としてドンと置く。こうした作品群は,「レディ・メイド」と呼ばれた。

1914年につくられた『壜掛け』は,デパートで買われたものだった。デュシャンはそこに銘を入れただけである。1915年の『折れた腕にそなえて』は彼が渡米後につくった最初のレディ・メイドである。それは雪かきシャベルに銘を入れたものだった。

シャベルと『壜掛け』との違いは,題もつけたことだった。どこにでもある日用品とタイトルが同時に提出されることで,わたしたちはそこにどうしても意味を見いだそうとしてしまう。しかしデュシャンは「それが何の意味ももたないことを望んでいた」(p.106)と述べる。

『自転車の車輪』(Bicycle Wheel/Roue de bicyslette. 1913)
http://www.abcgallery.com/D/duchamp/duchamp20.html

『壜掛け』(Bottle Rack/Egouttoir (or Porte-bouteilles). 1914/64)
http://www.abcgallery.com/D/duchamp/duchamp21.html

『折れた腕にそなえて』(In Advance of the Broken Arm. 1915)
http://www.abcgallery.com/D/duchamp/duchamp22.html

1916年4月にニューヨークで開かれた展覧会に,デュシャンは陶器の小便器に“R.Mutt”と署名して出品した。しかし展覧会にその作品の姿はなかった。「『泉』は仕切りの後にぽんと置かれていて、展覧会の間中、私はそれがどこにあるのか知りませんでした」(p.108)。便器を放っておくのは,「常識ある人」からすれば当然の反応であろう。

レディ・メイドには,どんなものが選ばれたのか。

それはものによります。一般には、《外見》に惑わされないようにしなければなりません。あるオブジェを選ぶというのは、たいへんむずかしい。半月後にそれを好きなままでいるか、それとも嫌いになっているかわかりませんからね。。美的な感動を何にも受けないような無関心の境地に達しなければいけません。レディ・メイドの選択は常に視覚的な無関心、そしてそれと同時に好悪をとわずあらゆる趣味の欠如に基づいています。
-あなたにとって趣味とは何ですか。
 ひとつの習慣です。すでに受けいれたものを反復すること。(p.93)

現代芸術における彼のレディ・メイドは燦然と輝く。だが,本人にとって最も重要だったのは,それとは違う2つの作品だったようだ。一つは『階段を降りる裸体』,もう一つは『大ガラス』と称される未完の作品である。

『階段を降りる裸体』(Nu descendant un Escalier. No.2. 1912)
http://www.abcgallery.com/D/duchamp/duchamp2.html

『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも/大ガラス』(The Bride Stripped Bare By Her Bachelors, Even or The Large Glass. 1915/23)
http://www.abcgallery.com/D/duchamp/duchamp29.html

大ガラスの制作年に1915/23とあるのは,8年間かかったという意味である。しかしそれでも未完成のまま,作者はそれを手放した。

前者を描くにあたって影響を受けたものとして,デュシャンは2つを挙げる。一つは明らかなキュビズムの影響である。もう一つは,エチエンヌ・ジャン=マレイによる高速度写真,要するに連写された写真である。デュシャン本人の言葉を借りれば、「古典的な裸体とは違った裸体」を「運動の中に置く」(p.53)ことがこの絵の出発点であった。

ところがこの絵は、1912年のアンデパンダン展に出展を拒否された。

-このような事態も、あなたを後に反芸術的な態度へと押しやった一因となっているのでしょうか。
 それは、個人的な意味での過去から私自身を完全に解き放つ助けにはなりました。(p.56)

1912年にニューヨークで展示された際には支持・不支持両側からの大きな反響をもって迎えられたようだ。インタビュアーの言葉を借りれば一種の「スキャンダラスな成功」(p.86)であった。

『泉』後のデュシャンは,何かをつくる作業としては『大ガラス』だけにかかることとなった。この作品は,彼が実験的に製作したものの言わば「集大成」(p.130)である。彼が「関心を持っていた唯一のもの」(p.132)でもある。

『大ガラス』は1926年にひびが入る。これについて「ひびがはいって,ずっと良くなりました。百倍も良くなった。」(p.157)とデュシャンは述懐する。

■特別なことをするのではない

私には《創造》という言葉は恐ろしい。普通の社会的な意味では,創造というのはたいへんやさしいものなのですが,実を言えば,私は芸術家の創造的機能などというものは信じません。(p.18)

-あなたは絵画の道に進まれた。そこに何を期待なさったのですか。
 わかりません。…(中略)…モンマルトルのボヘミアンのようなものでした。生き,そして描く。絵描きであるということには,実際何の意味もないのです。(p.38-9)

芸術家とは誰のことなのだろうか。芸術作品とは何かという問いとともに,現代芸術の文脈において,この問いをつきつけた一人は,間違いなくデュシャンだろう。

で,芸術家とは誰のことなのだろうか。

デュシャンのしたことを胸のすくような思いで見た者にとって-ぼくも含めて-デュシャンは英雄であった。しかし自らを語るデュシャンは英雄ではなく,日々の糧を得るために何かを作る職人であり,そこがなんだかみみっちくて嫌であった。

誰でも何かをつくっています。そしてカンヴァスに向かって,額付きの何かをつくっている人が,芸術家(アルティスト)と呼ばれるのです。かつては,彼らは私のもっと好きな言葉で呼ばれていました-職人(アルティザン)です。われわれはみんな職人です。(p.18)

実際のところ,デュシャンは誰かから頼まれて作品を作ることが多かったようだ。

―あなたの人生のうちのかなりの多くの出来事について,あなたはただ、ひとの頼みに答えることだけに甘んじている,という印象がありますが?
 普通,ただそれだけです。自分からひとに頼んで何かをする,いわゆる野心家では,私はないのです。…(中略)…芸術家が自分は何かをつくる義務があると信じたり,大衆に尽くすべき義務があるとしたりするような社会的役割,それを芸術家に割り振るのは嫌なのです。

もしかするとデュシャンは,作品の作品であるゆえんを,ただ「芸術家ひとり」のうちに置くのではなく,芸術家も含む実践のエコノミーに委ねていたのかもしれない。であるから,むしろデュシャンは芸術家である自分の趣味(テイスト)に基づいてではなく,ルールや科学の方法,ありものの「レディ・メイド」など,きわめて他律的な制約への微細な抵抗のなかで制作をしてきたように見える。

「数学」(p.72)「反網膜的な態度」(p.82)「機械製図」(p.94)「あらゆる絵画の約束事の外にありますから,いかなる趣味も負っていません」(p.94)

-技術的な問題以上に,あなたが取組まれたのは,科学的な問題でしたね。比率や計算の問題。
 すべての絵画は,印象主義以来、スーラも含めて,反科学的なものになっています。それで私は科学の正確で厳密な面を導入することに興味を持ちました。…(中略)…私がそれをしたのは,科学に対する愛からではありません。むしろ科学を,おだやかで軽い,取るにたらないやり方でけなすためだったのです。(p.74)

私が好まないのは,まったく非-観念的であるもの,純粋に網膜的なものです。(p.160)

最後に,作品を他律的に制作した芸術家として,デュシャンとともに,ジョン・ケージを挙げておかねばならないだろう。実際に,デュシャン自身,ケージに対するシンパシーを示している。

―ハプニングについては,どう思われますか。
 ハプニングはとても私の気にいっています。それは,はっきりと画架の上のタブローに対立するようなものなのですから。
―それは,あなたの《観客》の理論と実にピッタリと対応していますね。
 まさにその通りです。ハプニングは,芸術のなかに,それまで誰も置いたことのないひとつの要素を導入しました。退屈(アンニュイ)です。…音楽におけるジョン・ケージの沈黙も,実際,それと同じ考えです。誰もそれを考えたことがありませんでした。(p.210)

063-アイルランド現代詩は語る

栩木伸明 2001 アイルランド現代詩は語る:オルタナティヴとしての声 思潮社

口伝とは,実践と模倣に基づく教育法である。この方法には,本質的に,創造性が内在する。口伝えされた歌は,その歌い手によるそれぞれのヴァージョンとして聞かれるのである。

ヴァージョンは,〈オリジナル〉との差分として聞かれるからこそヴァージョンとしての意味を持つ。しかし私たちは〈オリジナル〉を知らない。にもかかわらず,私たちはある歌を聞くとき,同時に2つの歌声を確かに聞くのである。目の前の歌い手の声と,かつて,確かに〈オリジナル〉を歌っていた歌い手のそれと。

まず,アイルランドの伝統音楽はふつう楽譜の介在なしに,演奏者から演奏者へと渡される(演奏者の多くは楽譜がよめない。あるいは積極的によもうとしない)。親から子へ,先生から弟子へ,旅行者から地元の演奏者(歌い手)へと,うたや曲は口移しあるいは聞き覚えで伝達されてゆく。口承文化一般の特徴として,この伝達のプロセスでおこる揺れというか誤差のようなものが,楽譜によって固定されない個々のパフォーマンスの味わいになる。つまり,ひとりひとりの歌い手や演奏者は,どんなによく知られた曲でもそれぞれ自分自身のバージョンを持っていて,それを自分のものとして歌う(演奏する)ことができるし,一回ごとの演奏は文字どおり一回限りの経験となる。聞き覚え,マネすることからはじめて自分のバージョンへと練り上げてゆく習得と改変の流儀を,試みに「替えうた」の詩学と呼んでみようか。(p.232)



こうしてカーソンは,手垢のついたクリシェや先行作家の詩的世界をひねったりすりかえたりして,見事にリサイクルしていく。おもえば,物語が口伝えされてゆくうちに伝言ゲームのように細部が改変され,筋やポイントがよじれてゆく。人々はそうした多数のヴァージョンをあるがままに尊重し,眉につばをつけながら楽しむのだ。(p.172)

ここで「替えうたの詩学」と呼ばれる,アイルランドにおける詩の制作プロセス。果たしてその実際はどのようなものか。

アイルランド語の詩のいちばんの妙味は,音の連なりが持つ豊かな音楽性と単語の多義性を利用した言語遊戯にある。アイルランド語と英語の対訳,あるいはそれに日本語訳を加えて,歪んだ鏡を合わせ鏡にしてのぞきこむようにしながらアイルランド語を読んでいくと,原詩じたいが一種の二重世界をもっていることに気がついてくる。(p.122)

まずもって,アイルランド語の性質があるようだ。一義的な単語による直線的な構造ではなく,ある語が同時にある語を率いて来て,それらを同時に聞くような構造。

そしてさらに重要なのは,肉声を制作の方法の欠かすことのできない一部に組み込んでいることだ。

彼(女)たち(※アングロ・アイリッシュの作家たちのこと,イェイツなど。伊藤注)には外部からの視点ゆえのアドバンテージがあったが,発見し,翻訳し,書き留め,固定することは物語やうたの息の根を止めて標本化してしまう危険性をも,伴っていた。そのため,イェイツらの試みは,ヴァナキュラーであるアイルランド語の文化をロマン化したにすぎないとして,イェイツよりも十五歳以上若いジェイムズ・ジョイスの世代からは批判され,新しく起こったアイルランド共和国のカトリック・イデオロギーが強化されてゆくにつれて,「ケルトの薄明」に内在する外部性/プロテスタント性が批判の対象となっていく。(p.26)

アイルランドの現代文学を全体としてながめてみるとき,伝統音楽に負けず劣らず声の文化にとって幸福だとおもうのは,詩や小説や戯曲に「声」性が残存しているからではない。そうではなくて,書き手たちがむしろ積極的に身近にある声を楽しみ,みずからも声のワザを磨き,さまざまな形で声の可能性を自分たちの作品にとりこみ,生かそうとしているからである。彼(女)たちは,肉声によって伝達されてきた歌やストーリーテリングを「伝統芸能」にまつりあげることなく,使いまわしのきく器として選択し,自分たちに都合のよいようにカスタマイズすることを考えている。肉声に抗しがたい魅力があるのは,それによって話が語られるゆえである。ちょっとおおげさに言えば,ひとびとは日常生活の中で話をやりとりしあうことによって,世界を認識している。アイルランドでは,ひとりの人物は逸話の集積として,また,歴史は反復しつつ連続してゆく物語として,記憶にとどめられ,語りなおされてゆくのだ。(p.234)

現代にあっては,歌はすでに電子的に消費し尽くすもののようでもある。それを可能にするのはある種の複製技術であるが,そもそも歌における「複製」とはどういったプロセスを指すのか,よく考えておかねばならないだろう。

062-赤ちゃんの不思議

開一夫 2011 赤ちゃんの不思議 岩波書店

発達心理学では,無力で無能な赤ちゃんという枠組みから,能動的で有能な赤ちゃんという枠組みへシフトして久しい。

そのような枠組みのシフトは,巧妙に工夫された数々の実験によってもたらされたものである。

ともすると私たちは,そうした実験の結果のみを知ろうとし,そこから考えを広げていってしまう。しかし著者は,結果とともに方法にも同じくらい重点を置いて読者の意識を向けようとする。本書はこの点でユニークである。赤ちゃんの認知能力を調べる実験方法はいろいろある。本書20ページには9つの手続きや指標が紹介されている。そこにも掲載されている選好注視法や馴化-脱馴化法は,先の枠組みシフトを牽引したいくつもの研究で用いられたものである。

結果を盲信するのではなく,それを疑うという態度は科学リテラシーの基礎にあるべきもので,その疑いを形にするためには方法が最も重要である。その意味で,赤ちゃん研究の方法について事細かに紹介し,同時にそれらの方法についても批判を加える本書は読者にとって大事な視点を提供してくれる。

著者は,これらの手続きで採用されるロジックの巧妙さを評価しつつ,同時に,その結果には実験者がどうしても解釈をしなければならない部分があることを指摘する。それをふまえ,脳活動のイメージングに活路の一つが見出される。要は,赤ちゃんのふるまいの源を脳に仮定し,それを直接的にのぞくという方法である。研究者の関心が,赤ちゃんの脳に向かう流れはもう止められないだろう。しかし,そうなるととたんに,実験の方法が一般的な読者の手には届かない場所へ行ってしまう。

このことは,不幸にも,研究結果の盲信につながってしまうのではないか。杞憂かもしれないが,一家に一台脳波計なんてことはありえない以上,普通の家庭では先行研究の追試などできないのだから,読者としては相矛盾する結果が出たときに「どっちを信じればいいの?」という水準で悩んでしまうかもしれない。

個人的には,選好注視法や馴化-脱馴化法などで用いられる行動指標で赤ちゃんの心理を調べる方向性をもう少し探っていった方がよいのではと思っている。この手続きの利点は,「誰でもできる」というところである。

開先生はいみじくも「日曜ピアジェ」というキャッチフレーズを提唱しておられる。ぼくはこのフレーズはとてもいいと思う。一週間のうち,せめて日曜くらい,ピアジェにでもなったように,赤ちゃんとじっくりと向き合う。眺めるだけでなくいろいろとはたらきかけ,赤ちゃんの中で起きていることを推測する。基本はここにあるのであって,まだまだ新しい発見も出て来るのではないか。ぼくはそう思っている。

061-カーニバル論

ミハイール・バフチーン 川端香男里(訳) 1980 フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化(新装版) せりか書房

 2009年の教育心理学会ではバフチンに関するシンポジウムに出席した。指定討論を「その日に」仰せつかったので、真剣に話を聞き、いろいろと考えた。

 当日はバフチンのカーニバル論に依拠した研究が発表される予定だったのだが、発表者がご欠席とのことで、その点は触れられずじまいだった。

 バフチンの思想は周知のように対話主義とも呼ばれる。まったく相入れない「他者」との対峙から出発する認識論と考えてよい。当日の発表も、いずれも対話主義に依拠したご研究だった。

 さて、バフチンの理論体系には、もうひとつ、カーニバル論と呼びうるような思想がある。ラブレーに見られるような民衆の笑いを聖俗の転倒とグロテスク・リアリズムという概念で読み説くというものである。

 このカーニバル論を、心理学の立場から積極的に読み直してみたいと思う。そうするとどのようなパースペクティブが開けるだろうか。

 カーニバル論の要諦は以下のように読み解くことができるだろう。すなわち、既存の社会的な価値秩序が解体され、その上で、秩序の再構成が行われるということである。

 そのときに、先行して存在していた既存の秩序は、実は消滅していない。再構成された新しい秩序と併存している。

 人々は、古い秩序と新しい秩序の両方を「同時に」生きる。同時に生きるからこそ、新しい秩序において「笑い」が生じる。もしも、古い秩序が完全に消滅したのなら、新しい秩序は単なる現実であり、そこには何の笑いも起こり得ないだろう。

 複数の秩序を同時に生きること。それによって生じる情動的な変化。これはバフチンのカーニバル論の核心にあると私はふんでいる。

 この論点は、既存の発達理論や学習理論と比較的容易に接続することができる。たとえば実践共同体論は整合性が高いと思う。実際に、「多重成員性」(multiple membership)という概念を彼は提案している。

 ウェンガーらは保険請求処理係の実践をエスノグラフィックに明らかにした。会社の組織秩序、職場の組織秩序、職場の人々の組織秩序、家庭を含む共同体の組織秩序、会社の置かれた社会秩序、これら複数の社会秩序に同時にいること、すなわち多重に成員であることが、請求処理係の実践を導くとともに、アイデンティティと情動のダイナミックな形成過程をも導いていくのである。

060-子どもの学び 教師の学び

宮崎清孝 2009 子どもの学び 教師の学び:斎藤喜博とヴィゴツキー派教育学 一莖書房

 早稲田大学の宮崎清孝先生より、ご著書を拝領いたしました。ご恵与くださいまして誠にありがとうございます。

 

 本書『子どもの学び 教師の学び』は、カナダの教育学者キーラン・イーガンと、日本の教師・教育学者である斎藤喜博の、それぞれの教育思想をもとにして、授業における教授学習理論のあるべき方向性を探る一冊です。

 斎藤喜博の著書を何冊か読んだことはありますが、詳しくありません。イーガンについてはなおさらです。おそらく、イーガンの思想の核心を日本語で紹介した初めての本ということになるのではないでしょうか。

 さて、おそらく当人同士はまるで接点がなかっただろうこの2人に共通する教授学習理論とはどのようなものでしょう。共通点にしぼって大雑把に言えば、子どもを学習に誘うためには教師自身による学習がきわめて重要だというものです。

 では、教師は何を学習するのでしょうか。子どもたちのことでしょうか。それももちろん大事でしょう。何を知らないのか知らなければ、そもそも教えることができないのですから。しかし、イーガンと斎藤が言うのはその点ではありません。重要なのは、授業で用いる「教材」についての学習です。

 なぜ教材について教師は学習しなければならないのでしょうか。教えるべき内容をすでに習得した人間が教師となっているはずなのでは?たとえば、円周率が3.141592…という数学的知識は当たり前すぎて教師にとっては退屈なものかもしれません。しかしよくよく考えてみると、そこには数の不思議さ、数学の歴史の蓄積が潜在しているのです。ある種の「文化財」と呼んでもよいでしょう。教師は教材の学習を通して人間が積み重ねてきた文化に「新たに、全人間的に対決する」のです(p.223)。

 それを通じて明らかになるのは答えではありません。むしろ「謎」(p.223)なのです。教師が当たり前と思っていたことが、教材研究を通して不思議なものとなる。それは大人である教師にとって「知的に面白い、追求する価値のある謎」(ibid.)なのです。大人にとって面白ければ子どもにとっても面白いはずですし、なにより子どもは教師の探求する姿を見てそれを模倣しようとするでしょう。

 本書によれば、イーガンは「ファミリア」なものを「ストレンジ」にすることが教育だと唱えているそうです。「謎」を解消するのではなく「謎」を作っていく授業。それでこそ子どもは、教材に対して「面白い」という感情を持つようになるのだというのがイーガンの主張です。このような感情をもっていれば、少なくとも授業を傍観するような姿勢をとることはなくなるでしょう。

 しかし、教材に謎を見いだしたとして、教室に多様な子どもたちがいる限り、見いだす謎も多様であるはずです。このような多様性をどのように扱うかが一斉授業のポイントとなることを斎藤喜博は何十年も前に指摘していました。彼によれば、多数挙げられる謎とそれへの回答のうち、まとめられるものはまとめ、対立軸を明らかにしていく作業が授業者の役割として重要となってきます。

 まとめると同時に、議論の活性化につなげられそうな発言は単独で拾い上げることも必要だと斎藤は言います。とすれば、個々の発言の価値を瞬時に見きわめる「目」を、教師はあらかじめ養っていなければなりません。そうした「目」を育てるためにも、教師は事前に教材と対決している必要があるのです。自前の頭で想像できることは限られるでしょうが、子どもの発言のうち「予想していたもの」が「思ってもいなかったもの」よりも多ければどのような話の流れにも対応できるわけです。

 ヴィゴツキー派に代表される社会的構成主義は、学習という概念を人々の間のやりとりをベースにして再構築してきました。それは卓見であったわけですが、変化するのは生徒の方という前提は根深くあったようにも思います。それは本書にも指摘されている点です。生徒が変化するに先だって、教師の方も変化しているはずなのに、そちらの方はほとんどかえりみられてこなかったというわけです。この点は重要な指摘です。

 また、現場の教師の感覚からすれば、この指摘はおそらく賛同を得られるものだと思います。義務教育をめぐる政治的、社会的環境はコロコロと変わるが、やはりひとつひとつの授業をどうするかが大事だ、というのは先日参加した教師による自主的なセミナーで出た発言です。著名な教師で大学の教授もされている方の書かれた授業づくりについてのご本を読んでも、斎藤喜博のそれを読んでいるかのような錯覚にとらわれます。それだけ、根幹は不易だということでしょう。

059-25年の開き

吾妻ひでお 2009 地を這う魚:ひでおの青春日記 角川グループパブリッシング

 吾妻ひでおの新刊『地を這う魚』を入手、さっそく読了。

 過去に国内の主要な賞を総なめして話題となった『失踪日記』と版元は異なるものの装丁は同じオレンジ色を基調としている。タイトルよりも著者名の方がでかい。ちょっと前に新井素子との共著『交換日記』を文庫で復刊させ、最近では『うつうつひでお日記』を立て続けに出す。カドカワは吾妻ひでおで何をしようとしているのだろう。

 出版業界の事情はさておき、中身である。

 ざっとまとめてしまえば、60年代に北海道は浦幌から東京へ出てきた青年が、マンガで生きていこうと決心し、同郷の仲間とともに暮らしながら明日をも知れぬ日々を送る自伝的作品、とでもなろう。デビュー前後のこのころのことについては、吾妻ひでおは何度も作品に反映させている。

 84年にSFマンガ競作大全集に掲載された(倉田わたる氏資料による)「夜の魚」「笑わない魚」は、タイトルを見れば分かるように、本書の内容とリンクしている。登場人物の造形も同じであり、84年発表の2本は本書のなかのエピソードとして含めてよいはずである。

 しかし、84年の作品と、09年の本書との、読後感の違いはずいぶん大きかった。素朴に言えば、かつての「魚」はとにかく重たく暗く、現在の「魚」はひたすら明るく感じられた。

 どうしてそう感じるのかは明白で、本書のすべてのページ、すべてのコマに、異形ではあるが生命をもつ者たちが充溢しているからである。かつての「魚」シリーズにはそれがまったくない。死の香りすらただよう。

 84年に想起された60年代後半と、09年に想起された60年代後半。人生の同じステージであったとしても、想起する現在の違いによってこんなにも表現の内容が変わるものなのだなあ。