【イベント】 “Learning, Culture and Social Interaction”を読む会のご案内

掲題の会を開催いたしますのでご案内いたします。

"Learning, Culture and Social Interaction"(以下,LCSI)は,2012年より刊行が開始された新しい雑誌です。

このVol.1 No.1に掲載された下記の6編を通して読む会を企画いたしました。

日時 9月3日(月) 13時~18時
場所 北海道大学 文系共用棟 W518教室

参加希望者は伊藤(tito@edu.hokudai.ac.jp または @dunloeito)まで,8月31日までに連絡ください。(レジュメ部数確認のため)

1 Institutional culture, social interaction and learning Pages 2-11 Harry Daniels (伊藤 崇)

2 Explaining the dialogic processes of teaching and learning: The value and potential of sociocultural theory Pages 12-21 Neil Mercer, Christine Howe (藤野友紀)

3  The role of common knowledge in achieving collaboration across practices Pages 22-32 Anne Edwards (保坂和貴)

4  Communities, boundary practices and incentives for knowledge sharing?: A study of the deployment of a digital control system in a process industry as a learning activity  Pages 33-44 Anna-Carin Ramsten, Roger Saljo (川俣智路)

5  Whatever happened to process theories of learning?  Pages 45-56 Yrjo Engestrom, Annalisa Sannino (伊藤 崇)

6  Developmental Education: Reflections on a Chat-Research Program in the Netherlands  Pages 57-65 Bert van Oers (寺尾 敦)

※カッコ内は発表者名。敬称は略させていただきました。

53-26の筋道

53-26という式の答えはいくつだろうか。別になぞなぞではない。答えは素直に27である。

では,27という答えはどうやって出せるのだろうか。導き方は,いろいろありうる。

私は先日,小学3年生のとある算数の授業を拝見していて,ある子が発表した導き方にいたく感動してしまった。

その子は,まず,53を6と47に分けた。まずここで私は理解できなくなった。なぜそのような中途半端な分け方をするのか。

次にその子は,引く数26から6を引いた。20残る。

最後に,その20を,53を6と47に分けたうちの47から引いた。答えは27。

これを初めて見たとき,本当によく分からなかった。でたらめに計算して,たまたま答えが正答と一致してしまったのではないか,とも思った。恥ずかしながら。それでも3分間ほど考えて,合理的なやり方だということは納得した。

この子の思考の道筋は,おそらくこうだ。

まず,引く数を「ちょうど」にする。ここで言う「ちょうど」とは,十の位と一の位の数に分けることである。だから,本当に最初に行っている計算は,この子の言うような53=6+47ではなく,26-6だろう。これによって,引く数が「ちょうど」20になる。

その上で,引く数から6を引いたので,引かれる数からも同じ数を引く。最後に,引かれる数のうち残った47から「ちょうど」にしておいた20を引く。

私に理解できなかったのは,「ちょうど」を作るとき,私に関して言えば,引かれる数を「ちょうど」にすることが多いからだと思う。

先の式なら,53を50と3に分ける。そのうち,50から26を引く。残った24と,引かれる数から分けておいた3を足す。で,27。

この先入観がその子の思考の筋道を理解することをじゃましていたのだ。

先ほどの子は,「ちょうど」を作ることをしっかり実行していた。ただし,引かれる数ではなく,引く数を「ちょうど」にしたのである。

最初の方針が異なるのだから,過程が異なるのは当然と言えば当然。その上でよく見ると,その子の思考の筋道は,引く数を「ちょうど」にするという方針で出発したとすればよく考えられていると思う。

私が未熟なのは,その子が「引く数を『ちょうど』にする」という方針を最初に取ったのではないかと気づいたのは,この授業が行われた次の日になってからだという点である。

あらためて,子どもの発想の自由さに心を奪われる。