子どもの会話に分け入る

p> 9月1日の読書会では,レポーターを含めて12名が参加。活発に議論が繰り広げられました。参加していただいたみなさんに感謝です。

 読んだのはGardner, H. & Forrester, M. (2010). Analysing interactions in childhood: Insights from conversation analysis. Wiley. この中から5章を選んで読みました。以下,感想です。


3章 Ethnomethodology and adult-child conversation: Whose development? (Michael Forrester).

 トップバッターとして不肖私が紹介したのは,エディターでもあるMichael Forresterの論文。Forresterはケント大学の先生。

 子どもの言語的スキルの発達過程を研究する上で,会話分析の手法が用いられることが増えてきたのはいいとして,会話分析にはもともとエスノメソドロジーという方法論的前提があったはず。発達という概念に対するエスノメソドロジー的な問いは,どのようにして「発達」が構築されるかというもの。そこで,子どもと大人による会話において,子どもが有能なメンバーとして社会的に取り扱われるためにはどういう条件が必要なのかが検討された。

 エラちゃんという女児が事例に出てくるが,1~2歳の頃は家族から「子ども扱い」されている。ところが3歳になると,自分を子ども扱いする親の発話実践に対して「それはおかしい」と異議申し立てをするようになる。

 ここからは,本論文を受けてのぼくの提案だが,子どもを含む人々の実践の帰結として達成される「発達A」と,「発達A」実践を可能にするある個人の「発達B」を分けた方がいいのかもしれない。なにしろ赤ちゃんは,話せない状態から話せる状態にならないかぎり,発達A実践に携わることもできないのだから,どうしたって発達Bは必要(成熟と言ってもいい)。

 では発達Bの帰結としての発話はすぐに「発達A認定実践」の網の目に取り込まれてしまうかというとそうでもなくて,発達Bとしてはなかなか達者なパフォーマンスをディスプレイできているにもかかわらず,発達Aとしてはずっと「子ども扱い」されていたというのがエラちゃんの事例から明らかになったことだった。

 読んでいるときは物足りなかったが,当日参加されていた札幌学院大の森先生からいただいたコメントで「なかなか面白いかも」と見方が変わった論文。なお著者のForresterの大学でのウェブページからこの論文で扱われている事例がムービーでダウンロード可能。

5章 Children’s emerging and developing self-repair practices (Minna Laakso). 

 2本目はMinna Laaksoの「幼児における自発的修復実践の発生と発達」。Laaksoはヘルシンキ大学の先生。所属はDepartment of Speech Sciencesってなかなか楽しそう。

 データは2002年から07年にかけてフィンランドで行われた大規模な縦断・横断研究からのもの。責任者はLaaksoご本人。そういうプロジェクトができてしまうところがまずすごい。

 子ども自身が自分の発話を「言い直す」(repair)事例を整理して示してくれている。早い事例では1歳0ヶ月でそのような場面が観察されたらしい。このことは,言語発達初期から「この言い回しは違うぞ」という気づきのようなものが芽生えていることを示すと述べられる。

 言い間違いの修正という実践は相当に高度で,というのもその前提にはメタ認知的な能力が想定されるから。そんなことは1歳代には無理だろうと一般には思われるかもしれないが,ぼくら大人は必要以上に小さな子どものことを無能扱いしているのかもしれず,この研究もそうした見方を改めさせる。

6章 Questioning repeats in the talk of four-year-old children (Jack Sidnell).

 3本目はJack Sidnellの「4歳児の会話における同じ言葉による問い返し」。Sidnellはトロント大学の先生。

 会話にはたまに同じ言葉を用いて問い返す実践が現れる。「こちら,4000円のご奉仕価格!」「えーっ,4000円?」とか。情報学的には,同じ言葉を繰り返すことには情報的な価値はまったくないが,会話の社会学的には,繰り返すことでいろいろな機能を果たすことができる。たとえば同意とか,批判とか。質問というのもそうした機能の一つだ。

 同じ言葉を繰り返すという言語使用が4歳児と5歳児の自由遊び場面にどのように見られたかを調べたのが本研究だが,結果から言えば,4歳児の方が5歳児よりもそうした問い返しを多く使用していた(約2倍)。この発達的(これは発達Bね)な違いは何によるものだろう?

8章 Feelings-talk and therapeutic vision in child-counsellor interaction (Ian Hutchby).

 4本目はIan Huchbyの「子どもとカウンセラーのやりとりにおけるフィーリングス・トークと治療的なヴィジョン」。Huchbyはレスター大学の先生。

 親の離婚を経験して,そのことでカウンセリングを受けさせられる子どもとカウンセラーの会話が分析される。面白いのは,「どう思う?」とカウンセラーが尋ねても,子どもの答えはたいてい素っ気ないこと。カウンセラーは自分の見立てを押し通し,子どもの発話をその枠組みにおさめて見ようとするが,あくまでも子どもの発話は素っ気ない。それはそうで,カウンセラーには会話を続けていく義務が職務としてあるのだが,子どもにはそんなものはないのだ。

9章 Intersubjectivity and misunderstanding in adult-child learning conversations (Chris Pike).

 最後の5本目はChris Pikeの「大人と子どもによる勉強中の会話における間主観性と誤解」。Pikeはカンタベリー・クライスト・チャーチ大学の先生。

 小学校の先生と1人の6歳児とが,算数の問題を解いているところを分析。子どもは何を話せばいいのかはよく分かっていて順調に会話をこなしているが,問題の構造はまだよく理解できておらず,結局同様の課題を何度も繰り返すことになっている。面白いのは,子どもの手が「誤り」だということが顕在化せずに円滑に会話が進んでいたこと。

 こうして見ていくと,子どもの会話にはまだまだ分け入っていく余地が大いにある感じです。その際に頼みになる理論はと言うと,まだちょっとぴんと来ないですが。このあたりを今後は考えていかねばならないと思います。