煩悩は消えず

 百八煩悩を追い払うとのことで、今夜あちこちの寺院で鐘が撞かれるのだが、身辺にはいまだ瑣事の多く、心安らかにして新春を迎えるとまではいかぬ。

 家人共々いまだに頭やら腹やらの調子があがらない。月曜に食った生牡蠣がどうもいけなかったのではとの噂あり。

 今朝方奥歯の詰め物が取れてしまった。正月休みにつきいきつけの歯医者は開いていない。4日を待って駆け込むか。

 そして、大学の先輩の訃報を聞く。にこにことしていたご尊顔を思い出す。残念。

 かように煩悩は消えず、ただ消そうとする煩悩が残るのみ。

風邪

 昨日の朝方家人がトイレでうめく声で目が覚めた。激しく吐き気がするらしい。子どももいることだし、1日休むことにして病院へ付き添った。

 医者の診断では風邪だろうとのことで薬を処方してもらい家に戻る。なにも口に入らないと言うので、せめて流動食でもと、雪の降るなかゼリーを買ってくる。これがいけなかったか、ぼくまでぞくぞくしていた。熱をはかると7度7分。家人は7度5分。熱はたいしたことないのだが、なにしろ気持ちが悪い。

 ウイルス性の風邪だったら子どもにうつすといけない。泣いたらどうしてもだっこしてあやさねばならない。ところがこの日はあまりぐずらなかった。親がへばっているのに気付いたのだろうか。けなげなものである。

 夜10時には消灯。2人してうーふー言いながら寝た。おかげで一晩寝たらぼくの方は復活。家人はまだ気持ちが悪く頭も痛いようである。

61年目の子ども

 朝から北海道医療大学へ。N先生の実験に、アマネを参加させるためだ。母親とのインタラクションをさまざまな角度から調べるというもの。脇で見学させていただいた。

 実験終了後、札幌駅の東急で食事。そのあとロフトの紀伊国屋へ。妻の実家から図書カードをいただいたので、有益に使わなければと、欲しかった写真集を買う。

 日本の子ども60年

 1945年から2005年の60年、広島に原爆が炸裂した3時間後の写真から、ゴスロリまで。子どもを写した写真204点を集めたもの。表紙の写真は土門拳の撮ったあの筑豊の子である。

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 これまでの60年をかかえた子が、これからの60年を生きていく。ぼくらはそのための道をならしていく役目を負っている。60年後、もしもまた同じような写真集が出たなら、その表紙には今度は笑顔の子の姿がありますよう。

 帰宅したら、嬉しいことが。K田さんよりアマネにクリスマスプレゼントが届いていた。ありがとうございます!

頭を英語に

 ただいま英語で論文を書いているところ。

 しばらく作っていなかった頭のモードなので、取り戻すのに苦労している。リハビリと称して、いままで貯めていたものの読む暇のなかった英語の先行研究をガシガシと読んでいる。そんなわけでじわじわとモードの切り替えを行なっている。

 ふと気になって、TOEFLの無料オンライン模試というのを受けてみた。リスニング、構文、リーディングがそれぞれ10問ずつ出題される。

 構文、リーディングはなんとかなるが、問題はやはりリスニングである。何を言っているのか聞き取れない。結局170点しかとれなかった。

 やはり、勝負すべき舞台を見定めるならば、言葉の問題はクリアしたい。最近、ささやかな楽しみや幸せばかりで満足して、大きな目標を失っていたけど、ちょっと本気で考えておきたい。

ドーナツ

 今年(今年度、ではなく)最後の非常勤。

 クリスマスも近いし、札幌駅のミスドでドーナツを買って行く。学生といっしょに食べながら講義をするため。人数が少ないからできる芸当である。本日は3名だった。ドーナツがあるぞと言うと、3人とも諸手を挙げて喜んでいた。

 先週の講義で性同一性障害について話題を振ってみたのだけど、学生からそのことについて、ちょっと考えさせられる話を聞いた。

 そのあとつらつら考えたことがあった。思うに、性の同一性のありかたはそう単純ではない。

 ここに、身体的には男性である人がいるとしよう。その人が身体的性に違和感をもつとして、「性指向として男性を指向すること」と「身体的性としての男性を嫌悪すること」は違うと思う。もう少し簡単に言うと、「女性になりたいと考えること」と「自分が男性ではないと考えること」は同じではない。同じではないかと思われるかもしれないが、そうではない。

 このことは、ジェンダーあるいはセクシュアリティが3種類あった場合に明らかになる。男性ではない場合、女性と第三の性のどちらかを選択することとなる。すると、女性になりたいことは、選択肢のひとつに過ぎないことが分かる。ジェンダーあるいはセクシュアリティが2種類しかない場合には、男性でない場合は女性になるしかないから、女性になりたい願望と男性性の否定とを同じことと考えて不都合がないというだけの話なのである。

 ここでは、3種類あるいはそれ以上あるものが「ジェンダー」であることが、ひとつのポイントとなるかもしれない。

 てなことをつらつら考えながら帰途についた。

『失踪日記』文化庁メディア芸術祭漫画部門大賞受賞!

だ、そうだ。

平成17年度文化庁メディア芸術祭

『PLUTO』をおさえての受賞。こちらには原作があるから、とはいえ。

昔(と言ってもたかだか十数年前からだが)からのファンとしては、嬉しい反面、なんだかこそばゆい感じがする。けど、素直に喜ぶべきなのだ!おめでとうございます!!

成長を遠くに聞く

 ココログのサービスで、検索サイトからのアクセスについては、どのような単語で検索されたのかを教えてくれるというものがある。

 YUMENOKIの場合、「緑便」を検索してアクセスされる方がけっこういる。緑便はもう出ていないようです。心配ないと分かっていながら、心配してしまうものなのですよね。

 緑便はもう出ていないという情報は、妻の実家から電話越しにもらったもの。最近では、口から泡を吹いたり(別に病気じゃなくて、唇を開けたりしめたりができるようになったということ。これができると、/m/や/p/音が出せる)、ひとみしりをしたり、首がすわったりしているらしい。

 そんな妻と息子も今週末に帰ってくる。おれを見て泣きやしないだろうか。泣かれたら悲しいなあ。

Nスペ

 現在NHKに対する視聴者の風当たりが強まっているようだが、ぼくはいくつかの理由で、なんとかNHKにはがんばっていただきたいと思っている。

 理由のひとつが、タイトルに挙げたNHKスペシャルをはじめとするドキュメンタリーを見たいからである。受信料を投げ銭と考えたら、払うに値する、良質なものを観ることができると思う。

 先日放送された、免疫学者の多田富雄さんの現在を取材したNスペもよかった。脳梗塞で倒れてから右半身不随に。喉の辺りの麻痺も残ったようで、言葉も出ないし、食べ物を飲み込むのも難しいようだ。よだれをたらした姿はお世辞にも格好いいとは言えなかった。

 それでも多田先生は(謦咳に接したことなどあるはずもないが、あえて先生とお呼びしたい)倒れるまでは使わなかったというパソコンを覚え、それから6冊も本を書き、新作能も(この方は能もするのだ)数本書いた。

 5年越しの原稿がどうだとか言ってる場合じゃない。俺はこんなことでいいのか。泣けてくるよまったく。

 そのあとで観たNHKアーカイブスの宮沢賢治もよかった。1992年の放送だそうだが、賢治の教え子さんが矍鑠としておられ、農学校時代に賢治が作って学生と歌ったオペレッタを再現してくださっていた。『星めぐりの歌』など、賢治は歌もいいのである。

ひとりもんの暮らし

 ずうっと書けずにいて、もう義理も礼儀もなんもなくしてしまっているような原稿の目処をなんとかつける。首と尾っぽがなんとかくっついた格好で、胴体も埋められた。目鼻は週末、家にこもってくっつける。

 帰りがけ、もう1年近くごぶさたしていた居酒屋「かんろ」へ。相変わらずの繁盛、カウンターにかろうじて空いていた1席にねじりこむ。マスターはきちんとぼくのことを覚えていてくれた。なんでもないことかもしれないけど、すごく嬉しい。ここのやきとんは肉の部分が大きくて食べでがある。

 蕎麦屋でしめたあと、ふと思いつき、ひとりカラオケを決行。CKBの「タイガー&ドラゴン」を6回くらい歌う。歌はいろんなものが発散できてよろし。

 思ったよりも体力を消耗した模様で。家にたどり着いて意識を失い、気がついたら朝10時だった。