卒論決起集会

 と称して、卒論を見ることとなった4年生とともに飲みに行った。今年面倒見るのは3名。メグくん、タヤくん、ワーさん。いずれ劣らぬ壮士である。

 「なに食いたい?」と聞くと、メグくんは「焼き鳥食いたいッス」とのこと。OK、ではあそこへ行こう。

 てな感じで北大正門前の鳥源へ。4人で鳥串36本食い尽くした上、野菜串もたらふく。

 OK、じゃあ河岸をかえて日本酒をがんがんと飲もう。

 てな感じで札幌駅北口の味百仙へ。

 ここは札幌一日本酒のそろえがよろしいと言われている。私は、(確か)早瀬浦、東洋美人など4杯を飲んだ。

 ここで卒論夏合宿を決行することを謀議する。いわく、「韓国は日本より安い」「新幹線に乗りたい」「知床はよい」などなど、候補は挙がったが、結局のところ、大滝で温泉に浸かりながらというセンで固まった。ジャンケンで負けたタヤくんが幹事である。よろしく。

一日体験入学

 土曜日には私の所属する学部で高校生向けに一日体験入学なるものが開かれた。中身は、大学生活の説明とゼミの体験である。市内からの参加が大半だったが、道内(旭川や静内、函館など)や青森、三重からも参加者があった。今年は例年よりも少し人数が増えたようだった。

 私は体験入学を取り仕切る委員というものになっていて、今回は大学生活の説明をするという大任をおおせつかっていた。説明にはパワーポイントを使うのだが、そのファイルを昨年担当された先生から受け継いでいたので、今年度向けに少し修正を入れるだけで済んだ。金曜の夜まで、準備は万全であった、はずだった。

 体験入学当日の朝、妻の叫び声に目を覚まし、時計を見ると午前8時半。体験入学の開始が9時。我が家から大学まで、地下鉄で最低でも30分かかる。

 ?!

 飛び起きるなり4分で支度をして地下鉄駅に走り込んだ。幸い、すぐに列車がホームに入ってきた。学部の事務に電話してみるが、走っている車内なので圏外で切れてしまう。こういうときの10分は本当に長く感じられる。やきもきしながら吊り広告を見上げてなんとか落ち着こうとする。

 さっぽろにて東豊線から南北線に乗り換え。ノートPCを小脇に抱えて構内をダッシュ。ふだん鍛えていないツケであるが、すぐに息が上がる。ホームにたどり着くと、これまた幸いなことに、すぐに列車が滑り込んだ。

 大学そばの駅から会場まで、これまたダッシュ。死にそうである。このとき、すでに時計は9時を過ぎていた。

 会場の文系共同講義棟にたどりついたのが、9時5分。同じ委員の先生方が受付に立っていた。「おはようございます、遅れてすみません」と声にならない声であいさつをすると、どうやらまだ受付中の模様。高校生も教員も全員集まりきっていないようだった。

 た、たすかった。(のか?)

 会は10分遅れで始まり、つつがなく進行。もちろん私の出番もなんとかこなした。ただ、起き抜けにつかんだのが、昨日はいていたジーンズとシャツ、それにジャケットだったので、思いっきりカジュアルな服装で高校生の前に立つことになったのが、いかがなものかと思うけれど。

 全体でのオリエンテーションの後は、ゼミに分かれての体験演習。発達ゼミではC先生とともに「養育性の心理学」というテーマで、子育てについて講義。院生にも協力してもらい、無事終了。

 気付いたときには足がヘロヘロになっており、帰宅してからはぐでーっと寝転がっているほかなかった。

 それにしても、こんなにあせったのは久方ぶり。数日前から胃腸の調子が悪く、おまけに肩が強烈にこっていたのだが、朝の運動ですっかり治ってしまった。怪我の功名である。

深夜特急

 日曜の夜、サッカーW杯日本代表戦がおこなわれているちょうどその頃、私は救急車の中にいました。

 生まれて初めて乗る救急車でした。が、わりと落ち着いていました。それもそのはずで、私は付き添いだったのです。

 当事者はアマネでした。

 日曜の昼間、妻の友人の結婚式に出ていたアマネは、どうもひどく疲れていたようで、風呂上がりに飲んでいたおっぱいを、
夕食とともにすべて吐いてしまいました。それはもう、温泉の湯の吹き出し口のよう。

 これで親がとても心配になってしまいました。寝かしつけてもすぐに泣いてしまいます。あやすと、しばらくは落ち着くのですが、
しばらくするとまたひどく泣き出します。

 「腸重積かもしれない…」

 妻が心配そうにアマネを抱きかかえてそう言います。腸重積とは、腸同士が入れ子になってしまう病気で、
へたをすると入り込んだ部分が腐ってしまいます。「家庭の医学」などを読むと、親が知っていなければならない病気の1つなのだそうです。

 こうして、電話をかけて5分後に到着した救急車に、親子3人で乗り込んだのでした。行き先は、札幌市夜間急病センターです。

 深夜の札幌の街を救急車は特急のごとく駆け抜けます。3人の救急隊員は事細かにアマネの病状を尋ね、妻がそれにてきぱきと答えます。

 で、当のアマネはというと、目をまん丸にして親や隊員、救急車内の設備をかわるがわる見ています。泣くのはとうにやみ、
なんだかおとなしくなってしまいました。

 「元気だね」「ひきかえす?」「ここまできたのに」

 家の中ではあんなに心配していた両親ですが、車内できょとんとしているアマネを見て、急に力が抜けてしまいました。
10分ほどでセンターに到着しました。

 隊員の先導で、センター内の待合に入ります。5分ほどで小児科に呼ばれました。小太りの、
優しそうな感じの先生が机に向かって座っていました。これまでの経過をひととおり説明した後、聴診をしてもらいます。
すでに何度か注射を経験していた彼は、何かされると思ったのか、ぎゃあと泣き始めました。

 「まあ元気だね、よかったよかった」

 けっきょく、なんでもなかったようです。親の早とちりに呆れることなく対応してくださったお医者さんや救急隊の方々に深く感謝です。

 タクシーで帰宅すると、まだサッカーの試合が続いていました。夜中に救急車にタクシーと、2つも乗り物に乗ったためかどうなのか、
アマネはずっと興奮し通しで、けっきょく寝ついたのは日が変わってからでした。

 ところで、子どもの不調が果たして病院にかからねばならない程度のものかどうか判断つかない場合など、
札幌市には電話で看護師と相談するための窓口があります。「小児救急電話相談
がそれです。こういうものが存在することを、恥ずかしくも、センターの待合室で知りました。

 …今度からは、最初にこれを利用します。

きびきびの土日

 この土日は我が家とその近所で過ごした。

 土曜。翌日に妻のお友達の結婚式をひかえ、午前中、彼女は式に着ていく服を貸衣装屋に借りに行った。その間、アマネと二人きりで留守番である。

 ベビーカーを押して買い物がてら近所を散策する。大福とコーヒー豆を所望する。いつのまにかアマネはベビーカーの中で寝ていた。

 アマネ、夕食食べず。しかし、テーブルの上の皿にのっているものには興味があるらしく、大人が食べていると脇から触ろうとする。こちらは触ってほしくないので腕でバリゲードを作ったり、アマネを抱えて脇へどけたりする。すると、びええと喉をからさんばかりの泣き声で抵抗する。

 どうも最近、意のままにならないことがあると泣いて不機嫌さを表す。「やりたいこと」が出てきたのだから、発達の証として喜ぶべきなのだが、見ている方はどうにもほとほと困る。

 日曜。朝から妻とアマネは結婚式へ。

 こちらはひとりで黙々と家事をこなす。天気もよいので、布団を干し、洗濯物を干し、部屋に掃除機をかけ、風呂を掃除する。

 掃除機をかけているとチャイムが。佐川急便。注文しておいた、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットの3rdアルバム『デラシネ・チンドン』届く。早速聞いてみる。あいかわらず、よい。

 昼食は、近所のラーメン屋で。もうすぐ80になろうというおばあちゃんがひとりで切り盛りする小さなお店で、曰く「1週間にひとりも入らないこともある」ようなところであるが、スープが美味しいのでたまに行くのである。予想通りお客さんは私以外誰も来ないので、ラーメンを食べ終わった後、カウンターに座り込んで1時間ほど世間話をしてすごした。

 夕刻、妻たちが帰宅。夕食の準備をした後で、アマネを風呂に入れる。おっぱいをあげて寝かそうとしたところ、噴水のように吐いた。落ち着かせてからあらためておっぱいを飲ませて寝かせる。(おっぱいをあげているのは妻である、為念)

 これから、本を読みながら横目でW杯を観る予定。さてどうなることやら。

 そんなわけで、きびきびとはたらいた土日なのであった。

うとうとの金曜日

 今日は研究室にこもって論文を読みふける。

 VygotskyのConcrete Psychologyと神谷栄司先生の最近の2本。ご所属の佛教大学に紀要のpdfがアップされていたので、直でリンクを張らせていただく。

 神谷栄司 2005 ヴィゴツキー理論の発展とその時期区分について(I) 社会福祉学部論集, 1, 81-98.(pdf

 神谷栄司 2006 ヴィゴツキー理論の発展とその時期区分について(II) 社会福祉学部論集, 2, 15-30.(pdf

 ヴィゴツキーの夭折の先を、意識システム論と人格論によって補完する。おもろい。この枠組みを、どのようにして具体的なコミュニケーション研究に着地させるかが問題。『芸術心理学』における美的反応の分析は、作者、テクスト、読者という三者関係を対象としているので、ヒントになると思うのだが。

 ちんたら読んでいたら教授会の時間。席に座って配付資料とにらめっこ。担当の仕事について進捗状況を報告。

 2時45分に始まって、終わったのは6時半だった。その間、少しうとうとして船をこぐ。1週間の疲れがどっと出てくるのだ。

 今日も帰りの地下鉄駅で区役所勤めの学部OGとすれちがった。就職して3か月でこの時間のご帰宅はよろしくないのではないかな。

 アマネは今日も食べず。時間帯が問題か。今日は10か月検診だったようだが、それでも特に問題はない模様。元気だもんなあ。

 『英語でしゃべらナイト』に明和電機が出演していたのを観てから、来週以降の講義の準備。

ぐうぐうの木曜日

よくて起きられなかった。で、けっきょく朝飯を取らずに大学へ急ぐ。

 ひとりの子どもの胸にiRiver N11をテープで貼り付け、声を録音しながら、自由遊びの様子を遠くから撮影。これによって、会話の様子はmp3で、会話の場の様子は映像で、それぞれ記録が取れる。そのうえ、カメラが遠くにあるため、子どもたちや先生方はさほど圧迫感を感じずにすむ、と思う。

 1時間半ほどで観察を切り上げ、なんちゃら委員会へ。

 ○○と××について(オトナの事情で書けないのである)。昨日の講義ではないが、学生のやる気を高めることを、学部レベルでの取り組みとしてどのように行なうか。これは教育学部ならお手の物ではないかと言われそうだが、なかなかそう簡単にはいかない。教育学部の教員ですら、頭を抱える難問なのである。

 で、どうするか。真剣に考えている教員が何人か集まって、プロジェクトチームを作り、ゲリラ的に動いていくしかないのではないか。で、プロジェクト進行についてはきちんとログを取っておく。それを分析する。論文では何度もたような計画だが、こと自分たちのこととなると、果たしてどうやればいいのか不安になってくる。しかしやらにゃあならんのか。私見では、小さな活動をたくさん作ってあげるとよいように思うのだが。あとはカリキュラムの道行きをもっと見えやすくする、のはどうか。さらには個々人で足跡を作っていく。

 昼過ぎになんちゃら委員会が終わり、弁当を買おうと大講堂の出張販売所へ行くと、売り切れ!へなへなと研究室に戻り、空きっ腹にコーヒーを流し込む。

 1時から大学院ゼミ。WertschのVygotsky and the Social Formation of Mindを読む。北米におけるヴィゴツキー・ルネサンスの原点とも言うべき本。ヴィゴツキーの『思考と言語』を中心に理論の解説をした後、記号学と活動理論の成果をもとに、媒介的行為にもとづく理論拡張を試みる。85年にこのレベルの研究ができたのは、やはり凄い。このレベルの研究だったからこそ、ルネサンスになったのかもしれない。

 ゼミが終わりちょこちょこと仕事をした後、ふらふらとした足取りで帰途につく。

 7時に帰宅、アマネは今日もごはん食べず。昼寝を3時間もしたそうで(昨日円山動物園に行ったそうなのだが、その疲れが今出てきたか)、夜はなかなか寝ない。

 そんなこんなで、腹がぐうぐう鳴りながらの木曜なのだ。

ぜいぜいの水曜日

 4時に就寝、8時に起床。このところ、アマネの叫び声で起こされる。

 9時半に自宅を出てJRで江別市大麻へ。

 札幌学院大で非常勤の講義。本日はカウンセラーの背景をなす理論や技法について。講義の最初に「カウンセラーと呼ばれる人に会ったことのある人」と聞いたら11人中2人だったため、まずカウンセリングの様子を知ってもらうために倉光・宮本編著「マルチメディアで学ぶ臨床心理面接」より、インテーク場面を少し視聴。その後で、精神分析学にはじまり、行動療法、認知行動療法、クライエント中心療法、家族療法について、ざっと説明する。

 学院大を出て、酪農学園大を通り抜けて、同じく非常勤先の北海道情報大学へ。

 この大学の学食はうまい。いつも430円のお好み定食を食してから講義へ向かう。

 学院大とはうってかわって、1年生150人前後を相手に講義。今日は動機づけについて。用意していたレジュメの内容を一部省略して、サッカーワールドカップを素材に話を即席で作り変えた。

 予選リーグのルールをちょっと変えるだけで、選手のモチベーションががくっと下がる、という話をする。たとえば、各グループから決勝トーナメントに出場できるのは2カ国であるが、これを1カ国にする。そうすると、日本のいるグループのようなところに割り当てられた場合、1カ国でも強豪国があれば(今回の場合はブラジル)、他国のやる気は下がる。もちろん、選手だけでなく観客のモチベーションも下がる(興業主としてはこれが一番痛いわけだ)。1リーグ2カ国の意味はここにある。また、勝ち点だけが考慮され、得失点差が判断材料にされない場合、1試合のゴールにかけるやる気が下がる。つまり、あらゆる試合を緊迫した状況に置いておくために、現在のルールはそれなりに考え抜かれているのだ。

 講義を終えて、野幌のSAから高速バスで札幌駅へ。バスの中でぐっすりと眠りこける。気がつくと駅だった。

 大学に寄ってメールに対処した後、駅近くの居酒屋へ。埼玉からいらしたT先生を慰労する会。先生を含めて4人で飲む。

 お開きの後、地下鉄で自宅へ。その途中の駅で下車し、なじみの「三徳六味」へ。お酒をもらって、ずんだ豆腐(枝豆をずんだにしてよせた豆腐)と、細い竹の子を焼いたやつを食べる。どちらもちょっとした仕事がしてあって、嬉しい。お酒の品揃えも、いつの間にか充実していたし、お客さんの入りもよろしい。満足して店を出た。

 帰宅するとアマネはおっぱいを飲んで寝ていた。

 帰りがけにコンビニで買った酎ハイを飲みつつ『どうでしょうClassic』を観る。

 かように水曜はぜいぜいと息切れしながら一日を終えることとなる。

わたわたの火曜日

 朝方までゼミのレジュメを作成。4時でギブアップ、布団に潜り込む。

 8時に起きてアマネと遊びながら朝食を取り、10時過ぎに大学へ。研究室でゼミのレジュメづくりの続き。合間に、研究にご協力いただいている方にマイクとビデオテープをお渡しする。家庭での家族の会話を録音するというもの。

 昼過ぎ、同僚の先生からビデオのキャプチャについてヘルプのメールあり、お部屋へ出かけていく。そこで昨今の学生の就職事情についてやいやい言う。

 再びゼミのレジュメづくり。終わらない。

 2時半から学部ゼミ。講座のボスとともにヴィゴツキーを読んでいる。噛めば噛むほど味がある感じ。今作っているレジュメがヴィゴツキーがらみだけに、なおさら。そのボスから、衝撃的なニュースを聞く。筑波から北大に移るときに、もしかしてあるかもと覚悟はしていたが、こんなに早く来るとは。参加予約申し込みの締め切りを忘れた罰か?まあ、がんばろう。

 4時半から別の演習。学部1年生に書いてきてもらったレポートにだめ出しをする。なんというか、だめ出しのしがいのあるというか、「だめ」の見本がずらずらと出てくる。インデントしないとか、タイトルつけないとか、説明抜きに専門用語を出すとか。「だめ」を丁寧にひとつひとつつぶしていく。

 7時に大学を出て、地下鉄に。家からの最寄り駅に到着。駅の階段で、今年3月に卒業したばかりの学部OGとばったりと出会う。区役所に勤めているとのこと、がんばっていただきたい。

 7時半に帰宅。夕食を3人で取るが、アマネはほとんど食べない。食べないのにむちゃくちゃ元気である。

 アマネといっしょに風呂に入る。風呂からあげて、妻がむりやり寝かせる。

 静かになったところで三度レジュメづくり。とともに非常勤の講義の準備。寝るのは3時くらいか。

 そんなこんなで火曜はいつもわたわたしている。

しまった

 秋の日心に参加する予定です。某先生の某WSにお誘いを受けて、お話しすることになりました。

 例年、教心と発心には参加していたのですが、日心にはどうも都合がつかずに行けずにおりました。ですので、久々です。最後に参加したのって、もしかすると母校がホストをしたときじゃないですかね。そうするとずいぶん前だなあ。

 久々なので、各種申し込みスケジュールが身にしみてないのですね。これが教心とか発心なら、「あ、そろそろ」と体が反応するのですが、日心のスケジュールはそれらとは少しずれている。

 そんなわけで、大会参加申し込み締め切りを忘れておりました。

 今週の水曜だったんですねー。慌てて、ヘルプデスクにメール書きました。

 メールは書きましたが、大丈夫なんでしょうか。これで参加できないとなると某先生や某先生に大変なご迷惑をおかけすることになってしまうので、冷や汗ものです。

 こうして人は信用を失っていくのですね。

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革命いまだ進行中

 トマセロは9か月革命とのたまわったけれど、我が家の革命には、かのバスティイユ牢獄襲撃に比肩するような記念日は訪れていない。ただ、じわりじわりといろいろなことが変わりつつあるのは分かる。おそらく本家革命でもバスティイユは単なる象徴に過ぎず、変化は伏流として常にあったのだろう。それがある日を境に相転移した、と考えるべきか。

 さて我が家の革命。部屋の中にあるもの、たとえばリモコンや電話の子機などボタンがたくさんついているものは特にお気に入りだが、それをいじくっているときに脇から親にそれを取られると、「うーうー」と怒り、手足をじたばたさせる。これは、「ある」しかない世界から、「ある/ない」の二値的世界に移行したと推測される出来事である。あるいは、残像に恋焦がれるようになったわけだ。

 とともに、「隠されたもの」への憧れも出てきた。我が家ではビデオデッキ一体型テレビを使っているのだが、そのビデオスロットの蓋をこじ開けて中を手でまさぐろうとするのである。「こちら側」の世界に「あちら側」が加わったのだろう。そういえば、丸めた紙おむつを入れるゴミ箱の蓋を一生懸命たたく姿も見られる。きっと、中を見たいのだ。

 そう考えると、9か月の革命には、消失と遮蔽という出来事が関わっているのかもしれない。しかしこれら2つの性質は少し異なるようにも思われる。前者には残像への思慕が、後者には彼岸への憧憬がある。

 あっ!過去と未来か!今、彼には時間が生まれつつあるのだ。

 そう思いを新たにした我々の手元に、ビデオデッキの中という未来へ向けて立ち上がらんとする彼の連続写真が届けられた。シャッターの間の時間間隔は同じである。ゆえに、立ち上がるとは瞬間的なことであり、むしろ準備的な運動の方に時間がかけられていることが分かる。

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