北海道心理学会

 北海道心理学会第55回大会が、勤労感謝の日、市内の北星学園大学にて開催されました。昨年に引き続き、
私は事務局を務めている関係上、朝からずっと張り付いて参加していました。

 理事会および総会の進行、会員からの年会費徴収、その他雑用が事務局の業務です。アルバイトの学生さんに手伝ってもらいながら、
なんとかこなしました。

 最大の懸案は、総会で実施された次期会長選挙をつつがなく終わらせることでありましたが、無事に乗り切り、
スムーズに次期体制につなげることができました。よかった。

 懇親会では何人かの先生方より、2年間のねぎらいのことばをいただきました。ありがたいことです。

 ただ、仕事はこれで終わりではありません。2月までに雑誌の発行、会計の締めをして、ようやく次の事務局に引き継ぎです。

 もう一息。

懐かしの雪

 昨晩は札幌に大雪が降った。前日まではそんなそぶりも見せなかったのに。

 また今年も雪かきに明け暮れる日々が始まるのかという暗鬱な気持ちが浮かぶ。

 と同時に、地べたを覆うこの白さを懐かしいとも思うようになった。さすがに6年も札幌にいると感覚がそうなってくるのか。

 雪もまたいいもんである。

 夜空がぼうっと鈍く明るく光るなか、しんしんと降るのをずっとながめているのもいい。

 静まりかえった夜中、もふもふもふと間抜けな音を立てながら雪道を走りぬけていくスタッドレスを聴くのもいい。

 冬というのは空気が乾燥して音がよく響くもんだが、雪の中では跳ね返ることもできず、それが静けさを作るのである。

 そうしたいっさいが懐かしい。

 しかししばらくたてば、白い根雪に隠された土の色を今度は懐かしく思うのだろうな。

フレミングさんありがとう

 木曜の朝から、アマネの調子思わしくなく、日中は9度まで熱が上がった。夜寝ているときも、しょっちゅう目を覚ましては「ママ、ママ」と呼ぶ。

 金曜の朝、家内の調子も悪く、私ものどが痛む。アマネを小児科へ連れて行く。

 「のどが赤いので、ヨーレンキンかもしれないですねえ」
 「何ですか」
 「溶連菌といって、子どもがかかりやすいんですよ」

 のどの奥から検体を取ってみると、ドンピシャリであった。

 「うつりますか」
 「うつります。飛沫感染します」
 「実は家内と私も調子が」
 「ぜひ病院へ。抗生物質で一発ですから」

 薬局で薬をもらい、ついでにマスクも買う。その足で非常勤先へ。授業をこなす。

 休む間もなく本務校へととんぼ返りし、基礎演習。今日は、センターの子どもたちに、学生が劇をして見せるという課題の本番なので休めないのである。

 幕間に劇団の紹介をするおじさん役を急遽することになり、マスクをかけながら子どもたちに元気にお話をする。

 劇はまずまず成功、来週反省会をする。

 教授会。しかしどうも、座っているとぞくぞくする。授業やおじさん役でのどを酷使したせいか、ひどく痛くつばを飲むのもつらい。こりゃだめだと、途中退席。

 急いで帰宅し、近所の内科へ。

 待合室で熱を測ると、8度2分。よく歩けたもんだ。念のため、インフルエンザの検査もしてもらうが陰性。抗生物質をもらって帰る。

 抗生物質を飲んだアマネは元気に飛び回っていたが、家内はひどくしんどそう。こちらも体全体がだるい。でも食欲はある。さっさと薬を飲み、8時には就寝。

 翌朝、私とアマネはすっかり元気になっていましたとさ。家内はまだまだ。

出たー

 またもや尾籠な話で申し訳ありません。お食事中の方はすぐに読むのを止めた方がよいです。

 先週からずっと出にくかったんですね。何がと言うと、アマネのウ○チです。

 まったく出なかったわけではなかったんですよ。ただ、1回に出るのがちょっぴり、石のように固いのが1個ころん、という感じでした。

 本当に固いんですよ。ここまで固くなることができるのか、というくらい。

 数日は静観していましたが、「おなかいたい」「くるしい」と言い始めましたので、病院に連れて行きました。

 浣腸やら坐薬やら下剤やらを駆使して、ようやくちょびちょびと油粘土のようなものが数個出るようになりました。

 それでもやはり苦しそう。腹の上から触っても、大腸の辺りに石ころのようなしこりがあるのが分かります。

 そして本日夜。

 うーうーと5分ほど苦しんだ末、ようやく普段見慣れた感じの柔らかさのブツが排出されました。当人は「出たー」と疲れ果てた顔をしておりましたよ。

 家族がウ○チに振り回された1週間でした。

ミナミの夜

 大阪での大学説明会が終わった夜。居酒屋に行かないわけにはいきません。

 最近は大阪に出張で来ると、キタをめぐってばかりいました。というわけで、今回はミナミをうろつくことに。

 日本橋のワシントンホテルに荷物を置いて、辺りをうろつきます。ただ、道頓堀は人であふれているので、
なるべく胡散臭い方へと足を向けます。

 そんなわけで入った1軒目が、「正宗屋」。
この屋号の居酒屋は大阪には何軒かあるそうなのですが、チェーン店というわけではないそうで。どて焼き、おばけ、きずしがあるあたり、
正しい大阪の大衆居酒屋。カウンターには一人客のおっさんが肩を並べています。

 このどて焼きがうまい。かむほどに味噌の甘みと肉の甘みが混ざり合います。3本で330円。

 刺し盛りの「小」を頼むと、エビ、イカウニ和え、ヒラメ、ハモ湯引き、マグロなど、一人にちょうどいいくらいのてんこ盛り。
しかもエビの頭はちゃんと焼いて出してくれます。いいなあ。

 板場の、出入り口に近い方で、年長の板さんがおでん舟の番をしているのですが、なかなかいい感じに火が通らないようで、
おでんの注文が入ると「まだ浅い!」「おでんの注文受けるの止めといて!」と叫んでいます。食べたかったのですが、残念。

 ビール、サワー、焼酎お湯割りを頼み、たらふく食べて3000円くらいでした。盛り合わせが高かったのかなあ。

 2軒目は「利き酒家
。店の前を通りかかってふらりと入ってみたのですが、日本酒、ワイン、ビールのそろえがすばらしい。店のたたずまいのモダンさと、
忙しく立ち回っているおばちゃんの年季の入り具合のコントラストもまた。

 3軒目は…忘れました。つまんないとこに入っちゃったなあと思い、さっさと引き上げてきました。

 日本橋から難波にかけて歩くと、途中に法善寺横町があります。夜だというのにえらく観光客でにぎわっておりました。どの店も高い!
足元見てんなあ。打ち水された石畳といい、ただよう線香の香りといい、雰囲気はすばらしいのになあ。

 横町に串カツの「だるま」が2軒あったのですが、どちらもえらく行列していたのはいったい何ででしょうか。あれ、
だるまって通天閣の方にあったんじゃなかったっけ?

 そんなこんなで8時には宿に戻りました。ゆうべ3時間しか寝てなかったもので、9時には就寝。

 翌朝、ホテルのバイキングに行くと、卵焼きやらソーセージやらといっしょに、
茶色い球形の物体が整然と並んでいる皿が置いてありました。あれはいったいなんだろうとじっと見ていて、はっと気づきました。たこ焼きだ。
コンテクストがこうまで違うと、知覚すら難しくなってしまうという例ですね。

大学説明会に思う

 今月1日、3日と、大阪と東京へ出張してきました。北大単独開催による大学説明会に説明要員として駆り出されたためです。

 大阪は300人、東京は600人をそれぞれ越える方々がご参集くださいました。半分は高校生、半分は保護者、わずかに大学生、
社会人、教師といった構成。特に保護者の方が本当に多いと思います。まあ、それだけ子どもにかける期待も高いということなのでしょう。

 私が高校の頃にも、こういった催しはあったのでしょうが、まるで気がつかなかったです。進路について深く考えていなかった、
というのもあったかもしれません。行くなら実家の近所、学ぶなら人間のこと、ということで単純に決まったように思います。

 個人的な経験を一般化することはできませんが、説明会にいらっしゃる方々のお話を聞くだに、
一般に高校生というのは進路を深く考えないものなのかもしれません。

 北大の場合、特にその立地条件に惹かれる高校生が多いようですね。つまり、「北海道に住んでみたい」ということです。
北の大地への憧れいまだやまず。その上で、「自分は文系(あるいは理系)だけど、一番入りやすい学部はどこですか」といった尋ね方をされるわけです。

 そうした場合、立場上、「学部に入ってから勉強してみたいことで選んだ方がよいのでは」と返答するわけです。実際に、
「入ってはみたが、こんなことを勉強したいのではなかった」と言って他大学に移る、
あるいは大学に来なくなるといったケースも考えられるわけで。

 ただまあ、勉強したいことがもう決まっているというのもまた、ちょっと考えものではあります。結局、
すでに視野が狭くなってしまっているわけです。関心のなかった領域の事柄にも触れることを通して、
広い視野から一つの問題を総合的に考える力を養うことが総合大学の一つの教育方針なのですが、それをはじめから拒否してしまう可能性がある。
教える側としたら、これではいかんのです。

 結局のところ、どんな高校生に来て欲しいのか、よく分かりません。個人的には、大学に入った後も、
自ら貪欲にさまざまなことを吸収していこうとする素質があればそれでいいかなと思います。その上で、「これだ!」
と勉強したいことが定まってくればよし。結局勉強したいことはありませんでした、ならそれでもよし。ただ、入試では、吸収力ではなく、
記憶力と表現力からしかその人の素質を見ることができないのが残念。

 今は無知であるものの、将来にわたって知的好奇心を発揮できることを、どのように評価すればよいのでしょうか。