「可動性は必然的に体系の存在を前提としています」
これは,クリスチーナ・ポモルスカとの「言語と文学における時間について」と題された対談においてヤーコブソンが語ったことです。あるものが動き,変化するためには,そのものが内部的に関係的構造をもつことが必要だ,と彼は述べたのです。ちょっと考えると,なにものとも関係しておらず自由であった方が運動は起こりやすいのではないかと思いますが,逆に,結合がなければ変化が起こらないというのです。どういうことでしょう。
先述のように,ヤーコブソンは文学作品の内的ダイナミクス,あるいは文学ジャンルにおける価値の相対的配置の歴史的変化を検討する上でのドミナント概念の有効性を指摘しました。その際に,ソシュール派言語学で言うところの言語の共時態と通時態が,説明の方便として用いられました。
ここには注意が必要です。「言語と文学における時間について」でヤーコブソンが明言しているのですが,共時態と通時態とは切り離すことができません。構造主義言語学は静的な体系としての言語を仮定し,そのダイナミクスを捨象したと批判されましたが,ヤーコブソンはそもそも変化のしくみを説明するものとして,体系,すなわち共時態という概念を採用したのです。
ヤーコブソンの言語機能論をもう一度想起しましょう。言語メッセージを構成する6つの要素は同時に存在しますし,それぞれに対応した言語機能も同時に生起します。ただ,ドミナントとなる要素に応じてある言語メッセージが強く関説的機能を果たすようにも,強く詩的機能を果たすようにもなるのです。
ここで,関説的機能を果たしていた言語メッセージが,いつのまにか詩的機能を果たすメッセージへと変化するという事態を考えてみましょう。さほど難しくないと思います。この変化はドミナントの交代として記述できます。すなわち,潜在的にはすでに存在していた詩的機能が前面にあらわれ,代わりにかつてドミナントであった関説的機能が副次的位置に後退するという変化です。同じことが文学ジャンルにおける価値の変化にも言えます。グレチュコ(2012)にしたがえば,これは単なる変化ではなく歴史的な発展です。「こうして文学はその構造的な予備資源,つまり文学システム内には潜在的には存在するが,ある時期まで積極的な役割を演じない諸要素によって発展することになる」(pp.103-104)。
時間的な変化という問題についてヤーコブソンの考えていたことが明らかになってきたのではないでしょうか。彼はこのようにも述べています。「詩的形式の進展という点から見れば,進化はある要素が消滅し他の要素が出現するという問題ではなく,むしろ,組織を構成する多種多様な要素の相互関係に位置の変化が生ずることを意味する」(ヤーコブソン,1988,pp.224-5)。ここで重要なのは,変化するものはいったい何なのか,という点です。共時的な構造を構成する諸要素そのものが形を変えるのではありません。ヤーコブソンによれば,変化とは,諸要素間の配置の相対的な交代として記述されるのです。
ヤーコブソンのこのような考えに接していくつかの疑問もわきます。今指摘しておきたいのは,ドミナント概念の適用範囲となる対象についてです。彼は,作品の中のドミナント,文学領域の中のドミナントといったように,ドミナント概念をいくつかの言語領域に広げることをしています。こうしたことが可能なのは,言語が必然的に時間の2つの相,すなわち同時性(=共時態)と継起性(=通時態)をもつからだということはすでに述べたとおりです。では,そのような時間的二重性のもとで理解するのが適切な現象であれば何にでも適用可能なのでしょうか。
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文献
ヴァレリー・グレチュコ (2012). 回帰する周縁:ロシア・フォルマリズムと「ドミナント」の変容 貝澤哉・野中進・中村唯史(編著) 再考ロシア・フォルマリズム:言語・メディア・知覚 せりか書房 pp.97-109.
ロマン・ヤコブソン 浅川順子(訳) (1995/2012). 言語芸術・言語記号・言語の時間 法政大学出版局
ロマン・ヤーコブソン 岡田俊恵(訳) (1988). ドミナント 桑野隆・大石雅彦(編) ロシア・アヴァンギャルド6 フォルマリズム:詩的言語論 国書刊行会 pp.222-227.