外食どうしましょう

 先日、近所にあるレストランに親子で行ってきました。「はっぴーママカフェ」というそのお店は、子どもが小さくてゆっくりした食事ができないという親向けに作られています。

※注 はっぴーママカフェは現在閉店しています。2010-01-17追記。

 うちのアマネもそうですが、レストランに行ってもちっともおとなしくしていない、という子どもはいます。もちろん、4~5歳になってもレストランの中を走り回ってるなんてのはどうかと思いますよ。そういう場合は言えば分かってくれますから、きちんと注意すべきだと思う。ただ、言ってもよく分からないくらいの年の子となると、とにかくなだめすかせて座らせ続けなければなりません。ですがそれにも限界があります。

 ちなみに、バイキングなどに行くと、アマネは必ずフリードリンクサーバーをいじりたがります。「チャー」とか言って、コップを持てとせがみ、コーラだのメロンソーダだのが出てくるあのサーバーに連れて行こうとします。ボタンを押すと液体が出てくるところが、水遊びをしている感覚なのでしょう。コーラをやるわけにはいかないので、ウーロン茶を何杯も飲む羽目になります(父親が)。

 まあそんなこんなで、外食に行きたいのだけれど、敬遠せざるをえないという家庭はめずらしくないのではないでしょうか。件のお店は、そういうニーズに合わせる形で現れたものといえましょう。

 店内には広めの遊び場があります。こちらは動き回りたい盛りの子ども向けスペースです。ボールプールとジムが楽しそう。ままごとコーナーもあり、アマネはこちらにご執心でした。このスペースには面倒を見てくれる方(保育士のようですが)が常駐しており、いっしょに遊んでくれたりもします。ちなみに、ハイハイする乳児向けのスペースは、授乳スペースと並んで奥に別にあります。

 はっぴーママカフェでは、お誕生月の子ども向けにバースデーコースを用意してくれています。この日はそれを予約して来ていたのでした。コースは、サラダ、スープ、ローストビーフ、ステーキとローストチキン、ピラフと進みます。いっぺんに料理が出てこない形式は、うちの場合かなりハードルが高い。待てないから。

 アマネは親が料理を食べている間、お腹が減っていなかったのか、はたまた遊びが楽しいのか、ずうっとキッズスペースで走り回っていました。お互いすぐ目の届くところにいるので、安心です。

 コースも終盤、いよいよバースデーケーキのご登場。遊びをやめないアマネの耳元で「ケーキ食べる?」とささやくと、目の色を変えてきょろきょろとあたりを見渡し、ちょうどスタッフが運んできたケーキを見つけるといちもくさん。最後は記念撮影までついていました。

 たとえばベビーシッターが日常的なアメリカのような国なら、外食するならば子どもを見ていてもらうという選択肢がありうるわけですし、日本でも親子三代での同居が可能ならば同様でしょう。このようなお店が成立するには、相応の社会経済的な背景があるのでしょうし、札幌にそれがあるというのも何かを示しているような気がします。

男三人ブラ珍ススキノ旅

 先週のこと。香川からびっけさんが札幌に来るというので、いっしょにお酒を飲むことに。びっけさんの後輩というべーくんさんともごいっしょ。べーくんさんとは初めてお会いしたのでしたが、なんとまあいい男。うつむいたところはキムタクそっくり。

 それはともかく、3人でススキノへ。

 2人にはぜひ北海道の美味しいものを食べていただきたい。しかしススキノは店が多すぎてとんと不案内なのです。そこで、信頼できるサイトの情報を頼りに、たどりついたのが雑居ビルに店を構える「魚菜」。

 店に入るとL字型カウンターに小上がりが3卓。マスターとおかみさんがニコニコと迎えてくれました。

 まずはビールで乾杯。北海道ならではの、サッポロクラシックです。お通しは冷や奴ですが、ただの奴ではなく、上にはカニの外子とワサビがのせられていました。これはいいですねえ。

 では地のものを刺身でいただきましょうか。ツブ貝、サンマ、ソイをお願いします。それと海水ウニもぜひ食べて帰っていただきたい一品です。びっけさんが焼き物にホッケを頼みました。こちらのホッケはまた格別なんですよねえ。

「お酒のおつまみになるようなものでしたら、こんなのはどうでしょう」

 おかみさんがすすめてくださったのは、自家製の、タラコの粕漬け。じゃあそれもいただきましょうね。

 そんなこんなでいろいろ食べましたが、2人とも喜んでくれたようでなにより。

 2軒目は、かねてびっけさんのお目当てのバー「夜光虫」。雑居ビルの4階にあります。ここは人に紹介されてだいぶ前に来て以来、ぼくもちょこちょこ通わせてもらっています。バーと言いながら、ここは食事がおいしいんですねえ。

 テーブルについて、まずはめいめいお酒を注文。ぼくはシャンディガフを。ビールが好きなのですが、1軒目ですでに飲んだいたので、ちょっと気分を変えるのにもってこいです。

 おつまみにはガーリックトースト。ここのは少し変わっていて、斜めに切ったバケットを焼いたものに、オーブンかなにかで焼いたガーリックバターが別に添えられて出てきます。それをスプーンですくって、バケットに乗せていただくのです。

 2杯目のホワイトレディーを飲んだところで少しまわってきたようです。というのも、気分よく饒舌になるので、自分でも分かるのです。

 ここでラーメンをお願いしました。といってもバーに出前してもらうのではなく、このお店で作ってもらうのです。ここを紹介してくださったmouさんによれば、最初はメニューに書いていない、いわば裏メニューとして常連客の密かな楽しみだったそうですが、いまでは立派な「表」メニューになったとのこと。びっけさんはこのお店に以前来たときに食べたそうで、それが忘れられずにいたそう。何度も来ていますが、ぼくは初めて。これは楽しみです。

 小さなどんぶりに入ってやってきたのは、どろっとしたスープのラーメン。一口すすってみますと、おいしい。ベースは豚骨でしょうか、とても濃厚で、麺にしっかりとからみついてきます。いやあ、バーで出すにはもったいないくらい。

 お腹もいっぱいになったところで、2人とはお別れ。次の日から帯広に行くそうです。

 帰りの地下鉄の駅に行くまで、夜のススキノを抜けていくのですが、この街も久しぶりです。ススキノといえば、皆招楼の肉まんは外せません。このお店も、いつ来ても3~4人は並んでいます。子どもが喜ぶので、シューマイも買っていきました。

飛躍への挑戦

 ヴァルシナー教授をかこむ懇親会からの帰路、地下鉄を豊平公園で降りて三徳六味へ。

 このような帰り道のささやかな楽しみが、今月いっぱいで味わえなくなるんですね。というのも、三徳六味が現在のお店を出て、同じ札幌市内の円山地区へ引っ越すためなのです。

 円山といえば舌の肥えたお客さんのよく行くすぐれたお店がひしめくことで知られています。そこにあえて打って出ようというのですから、たいしたものです。

 以前おじゃましたときにすでに引っ越しの話は聞いていたとはいえ、お店に入るとそこにはいつもの空間があり、これからもずっとありつづけるような錯覚にとらわれます。

 円山の以下の住所にて営業を再開するのは10月1日からとのこと。

 三徳六味
  札幌市中央区南4条西23丁目1番36号 アーバン裏参道1F
 (地下鉄東西線: 円山公園駅より徒歩7分)

 飛躍への挑戦に乾杯!

ヴァルシナー教授講演会に行ってきた

 ヤーン・ヴァルシナー教授による講演会が、過日、北海学園大学にて開催された。講演のタイトルは”Ornaments in
our minds and in our worlds”。

 オーナメントとは?装飾、飾りである。我々の住む環境にはさまざまなパターンがある。視覚的なパターン、聴覚的なパターン、
嗅覚的なパターンだってあるだろう。また、そのパターンは人工的なものであるかもしれないし、人の手によらないものかもしれない。
とにかく我々は、反復して現れるパターンに取り囲まれている。これをヴァルシナーはオーナメントと呼ぶ。

 ただし。パターンはそれ自身が反復するのではない。反復しているかのように認識する過程が必要である。
なぜならあちらのパターンとこちらのパターンはそもそも異なるものであり、
それらがそのように置かれているというのは一回きりの出来事だからである。ここには「般化generalization」
という過程が必要である。

 ヴァルシナーによれば、般化はダイナミックな過程だ。一方で目の前の複雑さをひとつのカテゴリーにまとめあげる過程
(schematization)があり、他方で目の前の複雑さがそのまま別の複雑な記号体系に移される過程
(pleromatization)がある。両者は逆向きに働くが、その運動として般化が創発するというのである。

 さて、schematizationは図式化でいいと思うのだが、
pleromatizationはヴァルシナーの独特な用語法であり、分かりづらい。図書館でお目当ての本を探そうとしていて、
その隣にあった本を手にとって読んでみたら出てきた言葉のようだ。由来をたどれば、
プレローマpleromaはキリスト教グノーシス派の言葉で、神の力全体を指す。万物の本質はそこから分岐したものであり、
ゆくゆくは全体性へと統合される。調べてみたらこんなところのようだ。ユングやベイトソンも援用していた概念らしい。

 pleroma–Wikipedia

 話をオーナメントに戻そう。ヴァルシナーによれば、オーナメントははじめ、我々を取り囲んでいた外在的なものに依拠していた。
しかしそれは次第に精神内へ内化される。精神内にあるオーナメントは、外在的なパターンを「どのように」知覚するかを規定する。たとえば、
夜空に輝く星の配列に、ひしゃくを見る人もいれば、熊を見る人もいるだろうし、世紀末救世主を見る人もいるだろう。

 しかしことはそれだけにとどまらない。何かをあるオーナメントとして見るということは、不可避的に、
その人のもつ複雑な記号体系へと結びつけられていく過程も含むのである。北斗七星に熊を見るなら、
それは壮大な神話体系の広がりに位置づけられていることを意味する。また、その神話は悲劇でもあろうし、喜劇でもあろう。このように、
オーナメントは「般化された感情的意味場generalized affective meaning field」を構成する。

 ぼくに理解できたのはこんなところである。

 講演会の後は、サッポロビール園に移動して懇親会。ヴァルシナー教授は3年前にすでに1度来たことがあるため、
ジンギスカンのやり方は手慣れたもののよう。ジョッキをもって、アイライクビア、ハハハ、
と笑うその顔がみるみる赤くなっていくのを隣で眺めていた。

現実の探検、仮想の冒険

 名古屋も暑かったですが、札幌も負けないくらい暑い。34度まで上がるそうですよ。アマネもただ動くだけで水浴びをしたみたいに髪がしとどぬれてしまいます。

 こんなときには川下公園で水遊び。モエレ沼公園にも行ってみたいのですが、メジャーな分だけ人混みもすごかろうと。実際、同じ日にモエレ沼公園に水遊びに行った妻のママ友によりますと、すごい人出だったそうです。

 朝10時に着いてみると、すでにけっこうな人が水遊びに興じていました。前にも書いたことがありますが、ここには人工の滝と川があるのです。

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 アマネを水遊び着に着替えさせて、川にジャブン!流れに逆らって、水しぶきをたてながら上流へとずいずい進みます。さながら川の源流をつきとめようとする探検の旅のよう。 

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 上流には水がこんこんと湧き出してくる場所があります。泉に集まる小魚のように、子どもたちは湧き出る水の感触を楽しんでいました。

 すっかり日焼けしたアマネは、帰りの車の中で夢の国へ。

 夢から覚めたアマネをつれて、今度はBabiesrusへ行きました。ここも、車を買ってからはすっかり常連になってしまいましたね。

 彼が、お店に来ると必ず夢中になって遊ぶのが、きかんしゃトーマスの模型です。満を持してその模型を買いに来たのでした。

 というのも8月12日はアマネの誕生日だったからです。誕生日のお祝いに、と思ったのですね。トーマスで遊ぶ気分が高まればと、「こぐまちゃんのうんてんしゅ」にも手伝ってもらいます。

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 ケーキはLeTAOで買いました。ちょちょいと名前を書いてもらいましたよ。

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 ローソクたてて、「ハッピバースデーツーユー」の合唱をしましたよ。ローソクの火を息でふうっと吹いて消すことができました!これにはちょっと感激です。 

 ケーキをパクついていると、ピンポーン。長崎の義父母から、アイスのお祝いが届きました。アイスはアマネの好物で、言葉のなかなか出ない彼が「あいしゅ」を一発で覚えてしまったほどです。

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 子どもの発達を研究していると、「謎の多い」「魔の年齢」と言われる2歳。彼は彼なりに、与えられた世界にあきたらず、自分で世界の意味を探し始めようとしているのでしょう。具体的には、言葉の世界に生きるということです。

 今日は、そんな彼の、仮想世界への旅立ちをいっしょにことほぐ壮行会だったのでした。

打ち合わせ+ぽち研

 中部国際空港から名鉄を乗り継ぎ、有松の駅を降りた瞬間。

「あ、だめだ」

 とあきらめてしまった。何をか。ジーンズとスニーカーをはくことを、である。それくらい名古屋は暑かった。

 幸い、駅の目の前にスーパーがあったので、そこで短パンとサンダルを買ってはきかえた。こういうときの行動は素早いのである。

 スーパーの出口で女の子が配っていたうちわでパタパタと顔をあおぎながら駅前ロータリーにぼうっと立っていると、ジムニーに乗ってMさん夫妻が颯爽と登場。これからMさんの勤める大学で、共同研究の打ち合わせをするので、迎えに来てくださったのだった。

 昼食は駅から少し離れた「寿限無茶屋」。冷やしうどんに味噌(もちろん、八丁味噌のたれ)をかけた定食を食す。美味なり。

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 研究室には冷房完備。こういうときには札幌を恨めしく思う。9月に開かれる学会での発表の打ち合わせ、来年の学会での発表担当決め、それに実験の確認。言いたいことを言うためのデータを手に入れるには?難しい。

 ぼちぼちと切り上げて、Mさんのご令嬢を保育園に迎えに行く。5月にも会っているが、そのときにはハイハイだった子が、掌を天に突きあげて1歩、また1歩と両の足で大地を踏みしめている!

 ご令嬢を含めて4人で向かった先は、今回のぽち研(発達・(ぽち)理論研究会の表向きの愛称)が開かれる宿のある名古屋港。暑いとはいえ、海へ吹く風が心地よい。

 宿で残りの参加者と合流。Kさん、OTさん、OSさん、Fさん。みなさん忙しそう。

 まずは親交を深めるべく、名古屋港へ来たら毎回行く居酒屋「風来坊」へ。名物手羽先をもりもりと食べる。Mさんご令嬢はスプーンを器用に使ってポテサラ、フライドポテト、トマト、おにぎりを召し上がっていた。たくさんの相対的に若い人たちに囲まれて、終始ごきげんのご様子でなにより。

 宿へ戻って近況を語り合い、また研究会の方針についても語り合った…はずであるが、飛行機に乗るのに朝5時に起きた反動がきてすぐにダウン。夢うつつでみなさんの話を聞いていた。

 明けて研究会の開始。今回は3月に引き続き、アレント「人間の条件」。

 自分の担当する4章は「仕事」。人間は変化に耐える道具を作り出してしまえた-そういう性質をもつ人間を彼女は〈工作人〉と呼んだのだが-がゆえに起きたもの"として"人間の歴史を眺める。

 5章を担当する人がまだ到着していなかったりなんだりするので、とばして6章。の前に昼食。

 名古屋港水族館そばの喫茶店にて。はじめて「あんかけスパ」なるものを食す。ちょっとモダンにおいしくした給食のようだ。

 さて6章。アレントは「現代」をどう理解するのか。彼女にとって現代とは、個人があらゆる社会的出来事の根拠となる時代である。そのときの個人とは、内的水準において世界を観察し、仮説を立てていく存在であり、同時に、至高の目的である生命を「所有する」と目される存在である。と、このように理解した。

 2時になってNさんが途中参加。しかしぼくは飛行機に乗るため3時に宿を発たねばならない。ここでお別れ。

 中部国際空港は夏休みの帰省客やら旅行客やらでごったがえしていた。これまではそういう時期を意図的に避けていたので、「帰省のピーク」なるものを体験したことがなかったのだが、体験しなくてもいいものだということを知った。

第2回ガハ研

 先日、第2回学習と発達研究会を開催しました。東京から、ゲストにもりりんさんを迎え、総勢7人での開催となりました。

 読んだのは以下の本です。

 Sawchuk, P. H., Duarte, N., & Elhammoumi, M. 2006 Critical perspectives on activity: explorations across education, work, and everyday life. New York : Cambridge University Press.

 編者たちのねらいは、次のようなものと理解しました。

 活動理論は、学際的、一般的な視座として、広く受け入れられてきたし、そこからさまざまな現象を分析した研究もすでに蓄積がある。その活動理論の源流は、ヴィゴツキーやレオンチェフといったロシアの心理学者たちにある。さらにさかのぼれば、かれらの思想の源流のひとつはマルクスの哲学である。

 しかし、近年の活動理論の受容の中で、マルクスの哲学を構成していた諸概念、たとえば階級闘争、価値、労働、疎外といった概念は、必ずしも取り上げられていたわけではなかった。編者たちは、これらの概念にもう一度目を向け直すことを、そして、これらを用いて現在の我々の社会的活動を批判的に分析することを提唱する。

 今回は5本の論文を読みました。なお、以下にレポーターが執筆された当日のレジュメを掲載しますが、無断転載はしないでください(07.8.13追記)。

 Is there a Marxist psychology? / Mohamed Elhammoumi

 北大教育学院院生の保坂和貴さんがレポートしてくれました。レジュメはこちら(doc形式)

 編者の一人Elhammoumiによるもの。彼によれば、ヴィゴツキーがうちたてようとした「マルクス主義心理学」はいまだ完成を見ておらず、その鍵はおそらく時間概念だろう、とのこと。

The cultural-historical activity theory : some aspects of development / Joachim Lompscher

 北大教育学院院生の杉山晋平さんがレポートしてくれました。レジュメはこちら(doc形式)

 著者はポツダム大学の先生のよう。CHATのコンパクトな学説史。現在までの歴史を3つの世代としてとらえ、それぞれ、ヴィゴツキーやA・N・レオンチェフによって基礎概念が確立された時代(第一世代)、基礎概念をもとに個別の研究領域を対象とし始めた時代(第二世代)、新たな社会状況に対応すべく現れたエンゲストロムらの時代(第三世代)とした。特筆すべきは、第二世代として、A・A・レオンチェフやD・A・レオンチェフといった、意味論や人格論の部分を引き継いだ活動理論の系譜を取り上げていること。

 上記2本は理論編といったおもむきで、次の3本は少し具体的なところに話を落としています。

Our working conditions are our students’ learning conditions” : a CHAT analysis of College Teachers / Helena Worthen and Joe Berry

 北大教育学院院生の佐藤昭宏さんがレポートしてくれました。レジュメはこちら(doc形式)

 アメリカのある大学で起きた、管理職と非常勤講師の衝突の事例をもとに、「教育の質の向上」という言説が2つの立場にとってまったく異なる意味を持っていることを明らかにしたもの。エンゲストロムの三角形をむりやり使った感が否めない論文。

The importance of play in pre-school education : naturalisation versus a Marxist analysis / Alessandra Arce

 北大教育学研究院附属子ども発達臨床研究センターの川俣智路さんがレポートしてくれました。幼児教育の理念をうちたてたフレーベルの思想と、レオンチェフやエリコニンらの思想とを比較するというのが目的の論文。レポーターも苦しんでいたようですが、著者がなぜそのような目的をたてたのか、ぼくにはよく分かりませんでした。

Values, rubbish and workplace learning / Yrjo Engestrom

 不肖私がレポート。レジュメはこちら(doc形式)

 公金を投資したところで無駄と思われる社会的存在(やめろと言われても飲み続けるアル中患者、勉強を教えても理解できない学生など)は、市場における商品としてみた場合、rubbishつまりは「ゴミ」である。このような動きになんとか抵抗したい。では、「ゴミ」に価値が生じるためにはどのような条件が必要か、そういうことが起きた場合、どのような過程をたどるはずか。エンゲストロムの主張は、以下のようです。まず、「ゴミ」をさまざまな人に公開することで、その使用価値を認める人(要は、拾う神)と出会う機会を増やすこと、次に「ゴミ」とされてしまった人々の「語り」を流通させること、最後に、「ゴミ」にまつわる研究をさまざまな立場の人がバンバン行うこと。

 以上、簡単に内容をまとめてみましたが、詳しくは当日配布されたレジュメをそれぞれアップしておきますので、そちらをご覧ください。ご協力くださいましたレポーターの皆さんに深く感謝申し上げます。

 打ち上げ1次会は、札幌駅北口の「味百仙」。つまみのうまさは言うに及ばず、ここは酒のそろえが非常にすばらしいことで知られています。味にうるさいもりりんさんも大変ご満悦のご様子。

 2次会は紀伊國屋書店そばのビルに入った和風ダイニングのお店で。

 たいへん有意義な時間を過ごしました。またやりましょう!

マ・マー

 もうそろそろ2歳になろうかというアマネが最近覚えた行動が、「マ・マー」と言うこと。もちろん「ママ」のことである。

 1歳頃から「パパ」とは言うことができた。「ジジ」も「ババ」も言っていた。「ママ」だけがまだだったのである。

 どういうときに言い始めたのか。先月の末からだろうが、正確には覚えていない。妻も正確なシチュエーションを記憶していないという。

 「マ・マー」(”・”は、「ん」のような、「っ」のような、そんな空隙)と甘えた声で妻に「こ、こ」をねだりにいく。「だっこ」
のことである。

 これまではどのようにママのことを指示していたかというと、「ん、ん」と言いながら指をさしていた。「ママはどこ?」と尋ねると、
そのような行動をとっていたのである。

 理解語彙と表出語彙という用語がある。かつてのアマネにとっては「ママ」は理解語彙だったが、いまや表出語彙になったわけだ。

 このずれが、なぜ起こるのか。さっぱりわからない。

オープンユニバーシティ

 今朝の朝日新聞朝刊24面に、大学で開かれるオープンキャンパスについての記事が載っていました。そこに掲載されていた「オープンキャンパスの評判がいい大学」ランキングに目が引かれました。07年に河合塾が高校の進路指導教員に実施したアンケートによれば、以下のような順位になったそうです。

 1 東北大
 2 早稲田大
 3 東京大
 3 中京大
 5 関西学院大
 6 東洋大
 6 明治大
 6 立命館大
 9 立教大
 10 青山学院大
 10 関西大

 うーん、何というか、北大はここに入っていないですな。がんばっているんですけどねえ。

 ことさらこの記事に目がいったのは、日曜日にオープンユニバーシティが開かれ、そこに参加したからなんですね。

 教育学部では、学部の簡単な紹介と模擬講義、それに施設見学が加わったメニューを用意しました。これを午前と午後、1回ずつ実施します。午前は130名ほど、午後は90名ほどの参加者がありました。遠くは福岡から、近くは市内から(こちらが大半なのですが)参加してくれました。

 ぼくの担当は学部紹介と施設見学の案内です。30分ほどで「教育学とは何か」「ゼミとは何か」「どのようなコースがあるのか」などを説明。

 その後の質問タイムで多く出るのは、やはり進路の話ですね。うちは教員養成系ではないので、卒業生のうち教員になる人の割合はそれほど多くありません。また、認定校にもなっていないので、臨床心理士の資格を取ることもできません。てなことは毎年繰り返し言っているような気がします。

 参加者もはっきりと別れているように思います。すでに自分の将来についてビジョンを持ち、そのためのステップとして大学を利用しようとしている人。こういう人は、「どのゼミに入れば教職や福祉関係の職につきやすいか」といった観点を持っているようです。

 一方で、「ただなんとなく大学進学」「なんとなく教育学部」という人もやはりいるわけです。ぼくなどはこちらに近かったので、気持ちはよくわかります。体験講義の時に寝ているような剛の者もいて、「なんのために来てるんだろう」と疑問なのですが、まあ気持ちはわかる。言ってみればこの人たちは浮動票なのですね。この票を確保しようと、どの大学、どの学部も躍起になっていると。

 教育学部に入学した人の中で、体験入学やオープンユニバーシティに参加した経験のある人は半数近くにのぼるそうです。日曜の努力は徒労には終わっていない、と思うようにします。

岩手へ家族旅行

 1日から2泊3日で岩手へ家族旅行してきました。釜石が母親の実家で、市内にほとんどの親戚が住んでいるのです。アマネが生まれて、まだ顔を見せていないということで、茨城から父母と伯母にも来てもらい、いっしょに連れて行くことにしました。

 千歳からJALで花巻空港へ。1時間のフライトでアマネは寝付くことができず、着陸時に「コワイコワイ」とソワソワしていました。

 茨城から車で来た父母たちと合流。ここからまっすぐ釜石には行かず、初日は花巻市内の志戸平温泉で1泊です。渓流を眺めながら露天風呂につかって道中の疲れをとります。

 1夜あけて2日目。今日は花巻から東へ車を駆り、釜石へ向かいます。ぼく自身、釜石へ来るのはもう10数年ぶりです。花巻からは、民話で知られる遠野を抜けて、仙人峠という急峻な峠道を越えていかねばなりません。しかしそれは昔の話で、遠野と釜石を隔てる山を掘削してまっすぐに通した仙人峠道路が今年開通しました。確かに小さい頃は、車の中で揺られ揺られて山の麓に釜石の町を望んだ記憶がありますが、だいぶ楽になりましたね。

 さて、釜石に住む祖母と伯父の家にまずはうかがいます。ちょうどいとこの子どもたちも来ており、アマネと一緒に遊んでくれました。子どもは子ども同士がいいように思います。

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 その後、何軒か親戚の家をおみやげを置きながら巡り、今日の宿、浪板観光ホテルに投宿しました。三陸ならではの入り江の奥に位置する浪板海岸を望むホテルで、すぐ外が浜辺になっています。さっそくアマネを海に連れて行きました。はじめは荒い波を怖がっていましたが、波の穏やかな岩場に移動してからはチャプチャプと楽しそうに遊んでいました。

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 どうも旅先では食べる量が増えてしまいます。暴飲暴食がたたり、3日目の朝には腹を下してしまいました。

 祖母の家に寄り、挨拶をしてからふたたび花巻へ。昼の飛行機に間に合わせるためです。アマネは2日間遊んでもらった父母と空港でお別れ。泣くかなと思ったら、ぼんやりとした顔でバイバイと手を振りました。

 ひさびさの岩手でしたが、山の青がうるうると目に映え、川の水がきらきらと輝く、よい風景を堪能してきました。これで夏休みは終わり。9月の学会ラッシュへ向けてがんばります。