道産子

 保育園に入り,アマネはいろいろな言葉を覚えてくる。

「パパ,ここ,おっちゃんこして!」

 おっちゃんこ,というのはぼくも家でよく使うので違和感がない。ちなみに,おっちゃんこというのは「座る」という意味である。

 ところが,先日アマネが発した言葉には笑ってしまった。

「言ったしょー」

 そんな言葉は家庭では誰も使わないので,保育園で覚えてきたのだろう。

 「~しょ」という語尾は言うまでもなく北海道弁の特徴の1つである。たとえば「うまいっしょ」のように用いる。
ぼくはこの語尾使用にもディープさの違いがあるように感じている。「うまいっしょ」のように,語尾の前に促音が入るものは初心者の証で,
「いったしょ」のように促音が入らないのは熟練者の証のように思うのである。前者はピジン的,
後者はクレオール的といってもよいかもしれない。

 君は道産子なのだなあ。

ラグーン

 昨日は家族で定山渓に行ってきました。

 お目当ては,定山渓ビューホテルの温水プール,ラグーン。こちらの深夜テレビを見ていると「♪らぐーんらぐーん」
という歌とともにちょっと小太りの男の子がボディボードに乗って波乗りをしているCMがよく流れています。あれです。

「プール行く?」とアマネに聞くと,「ぼくも行くー」と胸に人差し指をたててニコニコ。「行こう,行こう」と早くからソワソワ。

 真駒内を抜けて車で40分ほどでホテルに到着。近いもんです。

 大宴会場が休憩所になっていまして,そこに荷物を置いて館内用スリッパにはきかえ,階下のプールへ出発。

 日曜でしたが人出はさほどではありませんでした。やはり家族連れが多いようです。

 アマネは両方の腕にウレタンの浮き輪をつけて,犬かきで泳ぎます。「こわいこわい」「待ってー」と,久々の水が怖いのか,
あまり楽しそうではありません。

 水深の深いプールで,試しに「うひゃー」と言いながら頭までつかりおぼれたふりをすると,彼は「あがるあがる」とビビリまくり。

 滑り台を何回か滑った後,昼近くなったので早々に上がりました。

 ここは温泉もあるので(というか,温泉ホテルなのだからそちらが先なのですが)体を十分に温めてからあがることができます。
露天風呂につかりながら川をながめているとようやく春が来たなあと実感。

 アマネは帰りの車の中ですーっと寝てしまいました。

 来週は北の方にあるプールに出没の予定。

島本和彦講演会

 文学部映像・
表現文化論講座
主催で,札幌在住の漫画家,島本和彦先生による講演会が開催された。

 島本和彦!『炎の転校生』!『吼えろペン』!これは何をおいても馳せ参じなければ。

 教室最前列に陣取る。部屋は学生で満杯である。

 お子さんの通われている学校のPTAとかで,10分ほど遅れて教室に登場。初めて実物を見た。スーツを着ていらしたので,
ごく普通のサラリーマンといった風貌。しかし右手の中指に巻かれた絆創膏を私は見逃さなかった。
おそらくペンを持ったときに痛くならないためのものでは。

 デビューから現在に至るまでの道のり,現在のマンガを批評する概念の提示などなど,マイクを片手に黒板をめいっぱい使ってのお話。
マイクを通して語る声は迫力に満ちていた。

 石森章太郎『サイボーグ009』の読み方を,スライドを使って熱く語る。

 最後に,会場からの質疑応答で終了。

 このような形で毎月講演会を開いてくださるとのこと,来月もまた参加しよう。

2000本

 阪神タイガース,金本知憲選手(お,一発で変換できた!偉いぞATOK!)が,2008年4月12日の対横浜戦にて,
見事2000本安打を達成された。

 おめでとうございます。

 最近とみに涙腺がゆるくなってかなわないのだが,今回もまた鼻の奥がつんとなって困った。

非常勤+ダメでした

 非常勤先での講義1回目。

 お仕事のお声をかけてくださったM先生にご挨拶をした後,教室へ向かう。だいたい80名ほど。去年よりも少なく,
こちらとしてはちょうどやりやすい人数である。

 ほとんど全員1年生ということで,大学で学ぶ上での心得のようなものを開陳する。話の中身は内緒である。

 帰り際,4月に北大から異動されたF先生にご挨拶に行く。まだまだがらんとした部屋で引っ越しの整理に追われていたようだ。

 久しぶりに講義をしたら足がぐたっと疲れた。ついこないだまで,2コマ続けて話をしていたこともあったんだけどなあ。体力のなさ。

 北大に戻る。メールボックスを開けてもダイレクトメールばかり。PCの前に座り,Eメールボックスを開ける。
「科研があたった人にはお知らせ入れといたでよ」のメッセージ。

 お知らせ?

 … えー。

 今年もダメでした。はは。ははは。はははははは。

 気を取り直して別の助成にちょこちょこ応募しようっと。

学級崩壊させない先生とは

 ぼちぼち新学期が始まりましたねー。今年の札幌は妙に暖かく,GW前に桜が咲いてしまうのではというイキオイです。

 授業が始まると気忙しくなりますが,前期は,火曜に2コマ,木曜に2コマ,金曜に非常勤1コマと,週5コマこなせばいいので,
まあのんびりです。後期はちょっと増えますが,水曜3コマ(分担),木曜2コマ,金曜非常勤1コマ,本務校1コマ。2コマ増えるだけか。
そんなに変わりませんねー。まあ偉くもないし,能力もないですから。

 周りにいるのは多忙を極めておられる先生ばかりで,なんだか申し訳なくなります。

 さて新学期最初の演習に行ってきたのですが,そこでお互いに自己紹介してもらったんですね。
そのときに学生さんの口から出た話でおもしろいのがありました。

 大阪の方の調査で,小学校の先生がどういう教科に力を入れているかと,
その人が担任するクラスが学級崩壊しているかどうかの関連を調べたものがあったそうです。

 国語,算数,理科などの主要科目に力を入れている先生の学級には荒れているところが見られた。ところが,体育や音楽,
美術などに力を入れている先生が担任する学級には荒れているところが1つもなかった。

 ネタもとが分からないので申し訳ないのですが,だいたいそういう話でした。素朴におもしろいなあと思います。
どうしてなんでしょうね。

入園後の変化

 アマネが保育園に通い始めて1週間がすぎました。とはいえまだ4日間しか行っていないのですが。

 この間は慣らし保育期間で,迎えに行く時間が,10時半→10時半→昼食後→昼寝後と,徐々にのびています。最終的な目標は5時半です。

 昼寝が一番の鬼門かなあと思っていました。なにしろ,これまではドライブの途中で寝入るのを日課としていましたので,布団の上で昼寝を始めることはなかったのです。どうやら保育園では,泣き疲れて眠ってしまったようです。

 慣れないところで長時間過ごすのは,どうもイライラするのでしょう。家に帰ってきてから,発泡スチロールをむしったり,物を投げたり,お茶をこぼしたりと,先月まではあまり見せなかった行動をするようになりました。

 また,保育園で覚えてきたのでしょうか,なんでも語尾に「ヨ」をつけて話すようになりました。「ネコよー」「イヤよー」「食べないよー」「行こうよー」てな具合です。ヒップホップです。

 平日に家で過ごせない分,土日には家庭で思い切り遊ぶことにしました。とりあえず今週末は,円山動物園に行ってきました。よい天気に恵まれましたがまだ寒く,遊具は使えません。動物も寒そうでしたよー。

maruyama.jpg レッサーパンダもいたよー

幼児に対するバーチャル・マイキングについて(2)

 バーチャル・マイキングに注目するのは,会話の秩序を組織化する技能の発達過程を調べるうえでなんらかのヒントが得られるのではないかと思うからである。

 会話における秩序を社会的秩序のミニマムな単位と見なして研究する会話分析は,その基本的な秩序として「順番取り(turn-taking)」を見いだした。会話において参加者は一度に一人が話す。これは秩序だったやり方で参加者が発話する順番を取ったり与えたりと行為した結果起きた社会的現象である。行為における秩序は,ごく簡単に言うと,「現在話している者が話し終えたら,その人は自分で話し続けるか,ほかの誰かに発話権を与えられる」と体系的に記述できる。これは,社会学者のサックスらが見いだしたことである。

 このような秩序だったやり方は,実は,発達初期の子どもとその母親の間のやりとりにすでに見られるという指摘がある。たとえば赤ちゃんがごきげんで「ああ,ああ」と声を出す。その次に母親が「どうしたの,気持ちいいの」と話しかける。母親の発話の間,赤ちゃんは沈黙する。母親の発話がやむと,赤ちゃんがもぞもぞとしはじめてまた「ああ,ああ」と声を出す。このようにして,卓球のような発声のラリーが母子相互作用に見られることが知られている。

 発達初期の子どもの行動に見られるこうした相互行為上の秩序だったやり方は,大人の会話に見られるような順番取りの萌芽的基盤だとみなす研究者がいる。確かに発達のごく初期の場合,やりとりは秩序だって交互におこなわれるように見える。

 しかし,1歳を過ぎ,4歳に入る頃までの子どもを見ていると,交互になされていたコミュニケーションがなりを潜めていることもあると気付く。たとえば,親同士が会話をしているところに平気で「ねえねえ」と割り込む。あるいは,こちらが話しかけても返事をしない。などである。そうかと思えば,5分くらいしてから「○○だよ」と返事をすることもある。少なくともこの時期の子どもは,声をかけたら必ず返してくれるやまびこのようなものではない。

 あたかも,2~4歳頃の子どもには会話の秩序以上の何か「気がかりなこと」があって,それ以外のことにはかまってられないかのようである。気がかりがあるからこそ「ねえねえ」と割り込むし,他人の言うことをぼんやりと聞き流すのではないか。

 そう考えると,発達初期におけるやりとりに見られた秩序と,後に成長してからのやりとりに見られる秩序の間に単純な線形的関係を想定することはできない。そのあいだには2~4歳頃特有の何か熱っぽさのようなものが挟まっており,それを経由することにより会話の秩序には量的かつ質的な変化があってしかるべきだろう。その変化とは何なのかを明らかにする必要がある。そのためには,2~4歳頃から幼児期後期にいたるまでの子どもが会話の秩序をどのように組織化しているのか,発達的視点からながめなければならない。

 このテーマにはまだまだ分かっていないことがたくさんあり,あらゆることが検討の範囲の中に入ってくる。そこでバーチャル・マイキングである。

 もう一度確認すると,バーチャル・マイキングとは,保育の場などに見られる,話し手が片手を握り自分の口元に親指の方を向けながら発話し,それを終えるとその手を聞き手の口元に向けるという一連の動作を言う。そう呼んでいるのはおそらくぼくだけだろうと思うが,このような動作を見たことのある人は少なくないと思う。

 こうした動作は保育者と子どものやりとりにおいて,いわば「交通整理」(コミュニケーションを交通と訳すこともある)の機能を果たすのではないかと推測している。というのも,マイクを持っているかのように見える手は,発話権を現在誰がもっているのかを視覚的に示すと考えられるからである。握られた手の親指のある方が向けられている側に話す権利がある,というように。

 多くの場合,「質問-応答」というフォーマットと平行して用いられることも,この動作の機能を有効にしていると考えられる。誰かに質問されたら次に答えるのは自分であり,自分が質問したら次に答えるのは誰か他の人である。このように質問という言語形式は相互行為上の役割の交代と深くかかわっている。このような役割交代は,バーチャル・マイキングによって視覚的に明示されるだろう。

 たとえば,複数の子どもと1人の保育者がいる場を想像してみる。そこには話したがりの子もいれば,無口な子もいるだろう。保育者がバーチャル・マイキングを行うことにより,話したがりの子を牽制しつつ,無口の子から発話を引き出すということが可能となる。それでも,保育者にマイキングされても固まったまましゃべらない,という子も何人も見ているのだが。

 いずれにせよ,バーチャル・マイキングは複数の参加者がいるような状況において,発話権の配分を円滑に行うための手段となりうるだろう。

 ただ,ことはそう単純ではないとも思う。保育者と子どもとのやりとりにおいて,握った手を口元に向けることにより,「今,手が向けられた人が話す番ですよ」という文脈が公的なものとなる。そこで実際に話そうと話すまいと,「話す番だったこと」を文脈としてその人の行為が解釈されていく。無口な子どもは「話さなかった」のではなく「話せなかった」ものとして解釈されていく。このように文脈をつくるものとしてバーチャル・マイキングは機能する。

 バーチャル・マイキングとともに現れる言語形式をもう少し検討すると,それが「学校的な語り口」の特徴を備えていることも分かる。学校的な語り口の特徴を網羅したリストがあるわけではないのだが,丁寧体,語末音の上昇調,そして分かりきっていることについての質問がそこには含まれる。

 バーチャル・マイキングは,「学校的な語り口」にある特徴をもうひとつ教えてくれる。それは,「誰かが話しているときは,残りの人はそれを黙って聞く」というコミュニケーションのやりかたである。日本の小学校ではこうしたやり方は低学年の頃から教師によって徹底的に仕込まれる。クラスメイトが発表しているときに隣の子と話していると「今,誰が話してるの?」と怒られた経験のある人は多いだろう。バーチャル・マイキングは,保育においてこれを暗黙的に行っているものとも考えられる。

 もう少し体系的に調べてみたいものである。

幼児に対するバーチャル・マイキングについて(1)

 仕事柄,保育の場におじゃますることがたびたびあるのだが,保育者のみなさんが子どもに対するときに行なう行動で気になるものがある。それが,掲題の「バーチャル・マイキング」である。

 マイキング(miking)は,普及版の英和辞書などには載っていないが,りっぱな英語である。最新版のOEDによれば,

The action, process, or technique of arranging microphones for a recording or performance; the manner or fact of using microphones. Also miking-up.

 とある。用例として,「近づけてmikingすれば部屋の音響をほぼ無視することができる」(1973年Studio Sound誌)などがある。「マイキング」と検索すれば,たとえばこんなページがひっかかる。要するに,マイクを向けるふるまいのことをマイキングと呼ぶようだ。

 保育園や幼稚園にうかがい,自由遊びやお集まり場面に参加すると,たまにこの「マイキング」のような出来事を目にすることができる。たとえば,こんな感じだ。保育者が「あなたのお名前はー?」などと子どもに尋ねる。そのとき保育者は手をにぎり,グーの形にして,親指のある側を自分の口元に近づける。尋ね終わると,その手を握ったまま,今度は子どもの口元に近づけるのである。あたかも,インタビュアーがマイクを持ち,それを自分とインタビュイーに交互に向けているかのようである。 

miking_image2.gif

 これまで,茨城,山形,北海道,愛知の保育園・幼稚園で確認している。ちなみに愛知の事例は,名古屋の友人Mさんのご息女がこの行動をしているのを見て,おそらく同様のことを保育園で経験しているものと間接的に推測した。

 保育者は手を握るだけで実際にマイクを持っているわけではない。なので,「バーチャル」をつけて,バーチャル・マイキングと呼びたい。当初は「エアギター」になぞらえて「エア・マイキング」と呼ぼうかと思ったが,それはスタジオ用語で別のことを指すらしく,無用の混乱を避けるために「バーチャル」(嫌いなことばであるが)とした。

 さてこのバーチャル・マイキング(以下VM)であるが,なぜこの行動に注目したのか。

 それについては以下次号。