スピーチ怖い

 先日、この4月に新たに着任された先生方の歓迎会があって(要は飲み会です)参加してきました。

 食事が進む中、「ご歓談中ではございますが」と司会より一言あり、
新しく来られた方々からひとことずつ壇上よりご挨拶をいただきます。

 ひととおり終えた後、「では残りの皆さんにも、1~2分ずつスピーチをお願いします」とのこと。

 前もって準備をしていない状態で、しかも1~2分という制約のもと、気の利いたことを言うのは、私の場合はとても難しい。
他の先生方は堂々と壇上に立って、しかもフロアからの笑いもきちんととっていらっしゃる。こんな状態で、順番が回ってくるまで、
むちゃくちゃドキドキするものです。

 授業だとこういうことはないんですけどね。それはやっぱり話すことを入念に準備しておくからですね。

「何をしゃべろうか」と頭のなかがグルグルしたまま、順番がまわってきてマイクの前に立ちます。そのときに口について出る一言で、
後の内容が決まってきます。

 前の先生方がテレビに出演した話をされていたので、その流れにのって、私もとあるクイズ番組に出場した話を自己紹介がてら。
残りの時間に、ちょっとした業務連絡。場に、なんとも言えないしらける雰囲気がただよい始め、
それを一身に受けながら小さくなってそそくさと退散。自分の席に着いて冷や汗をかきながらうつむいてしまいました。

 どうしたら、気の利いた一言が言えるようになるのでしょうかね。「気の利いたスピーチができるようになる本」
とかいうタイトルの本を読めばなんとかなるでしょうか。

 スピーチは怖い。

アートの分析から得るものは

 9月に静岡大で開かれる教心に行くことになりました。発表はしないですが、シンポジウムの討論者に指定されたので行くことになりました。

 東大の丸山慎先生の企画で、芸術教育、特に音楽の教育を再考するというもの。詳細はプログラムが出てから案内することになります。

 指定討論なのですが、「何か書いて」というお達しをいただきましたので、シンポジウムの企画趣旨のみを読んでから以下のような文章を書きました。

■芸術教育の分析から「武器」は得られないか 伊藤 崇(北海道大学)
 教育の本質が、人・モノを含む「リソースとの動的な対話」にあるという見方は、社会的構成主義に立つ教師・研究者が共有する一般的な観点である。したがって、国語科教育や科学教育などにもこの観点を採用できるし、実際に多くの研究がなされてきた。では、芸術教育から得られる固有の観点はないのだろうか。その観点から、科学教育などをあらためて分析し直すことは有用なのではないだろうか。
 芸術を学ぶ者はまずもって芸術を楽しむだろう。楽しい、気持ちいい、面白い、といった感覚的な側面は、社会的構成主義に立つ従来の教育研究がすっかり見落としている点である。芸術教育の分析から得られた何らかの概念や枠組みが、他の教科における「感覚的体験」(aesthetic experience; Wickman, 2006)に迫るための武器とはならないか。そのあたりを問うてみたい。

 上記文中のWickman(2006)とは、字数制限で詳細にできませんでしたが、この本のこと。

 Wickman, P.-O. (2006). Aesthetic experience in science education: Learning and meaning-making as situated talk and action. Mahwah, NJ.: Lawrence Erlbaum Associates.

 エステティックという言葉をあえて「感覚的」と訳しているのは、次の本を参考にして。

感覚学としての美学
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 シンポの話に戻りますが、発表される方々の話を聞いて理論的に枠づけてみてくださいとのこと、悩んだ末にひねりだしたのが上の文章。何かデータを発表するわけでもなく、ものすごく不安ではありますが、これを機にたまっていた美学関係の文献を読むことができるからよしとしましょうか。

ホッキョクグマとキッドランド

 市内にある円山動物園に併設されたキッドランドが冬期の休業を終えてオープンするというので行ってきました。

 円山動物園と言えばこのところの話題はホッキョクグマの双子の赤ちゃん。妻はなにより赤ちゃんを観に行くと言い、アマネは「まず遊園地」と言い張ります。

 で、ここは親の意見を容れて最初にホッキョクグマを観に行ったのですが、

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 寝てました。

 その後はオープンしたてのキッドランドで存分に乗り物を堪能し、子ども動物園でヤギと戯れて帰ってきました。

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ポメラとvado

 新年度になり、気分一新。身の回りに置くガジェットも新しいのが気になる頃。

 ちょっと気になっていた、キングジムのポメラを買ってしまいました。

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 メモをテキストで打つことしかできないのですが、そこが潔くていいです。ぱかっと広がるキーボードが馬鹿らしくてなおよし。ただ、キーピッチが微妙に狭くて慣れるのに時間がかかりそうではあります。

 あまり気にいらないのは重さ。乾電池入れて370gと、ネットブックなんかと比べれば格段に軽いのですが、サイズの見た目から重さをイメージして実際手にすると、ずしっときて期待を裏切られます。

 あと、以前欲しいなあとつぶやいたことのある、 creativeのvadoとvado HDも入手しました。

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 こちらは激烈に小さいです。大きさを比べてみると、2つ並べてポメラとほぼ同じだと分かります。ケータイとだいたい同じ大きさです。

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 形状だけで言えば2つに大きな違いはないのですが、HDのレンズがにゅっと飛び出ているのが気になります。

 機械の底面には三脚に取り付けるためのねじ穴が空いています。これは私的には重要なポイント。クリップ型のカメラホルダーに取り付けると、こんな感じです。はっきり言って、固定器具の方がでかい。

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 しばらくはこいつらで遊べそうです。

だから、映像なのだ

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 ニコラ・フィリベール監督の『かつて、ノルマンディーで』を観る。

 1976年公開の、ルネ・アリオ監督の映画『私、ピエール・リヴィエール』。フィリベールはかつて助監督としてこの映画の撮影に参加した。映画に登場する多くの役者は、ロケが行われたノルマンディー地方の小さな村の農民たちだった。その役者たちを、撮影から30年たった2005年にフィリベール自身が訪ね歩くドキュメンタリー。

 モチーフとなっている映画のタイトルにあるピエール・リヴィエールなる人物は実在の農夫で、 1835年に実母と弟妹を殺害した罪で捕らえられた。という記録を、ミシェル・フーコーが発掘したのである。

 彼は捕らえられて後、いかにして罪を犯すに至ったかをつらつらと書き残した。この事実から、彼が正気なのか狂っているのかが裁判で争われることになる。「精神病理学」が法の権力と結びついた瞬間であった、とフーコーは捉える(中山元)。ちなみにフーコー自身、 1976年の映画に出演していたらしいが、その場面はあえなくカットされたようだ。

 さて、『かつて、ノルマンディーで』。この映画はブタの出産シーンから始まる。子ブタは大きくなり、つぶされ、解体される。このブタを世話するのはロジェという農夫なのだが、彼も村の一員としてかつての映画撮影に参加していたらしい。が、その出演シーンはフーコー同様、編集でカットされた。しかし新しいドキュメンタリーでの扱いは大きい。映画のクライマックス、ロジェとその妻となる女性が村の教会(らしきところ)で結婚式を挙げる。

 通常のドキュメンタリーならば、リヴィエール役だった青年クロード・エベールを追うだろう。彼はいったんは訳者を志しながらすぐに引退し、カナダに渡った後、ハイチで伝道師となったのである。波瀾万丈ではないか。しかし、エベールはこの映画の中では終盤になってちょろっと登場し、さっさと荷物をまとめてどこかへ去る。それに対する、ロジェの存在感はどうだろう。

 私は、ルネ・アリオにとってのリヴィエールが、フィリベールにとってのロジェなのだ、と理解した。二人とも、フランスの片田舎に住み、糞尿や藁にまみれ、せせこましく暮らす農夫である。時代を超えて、2人の監督は、フランスの農夫のありようを描きたかったのではないか。

 取るに足らないもの、些末なもの、薄汚れたもの、ささやかなもの、できれば避けて通りたいもの。これらを光の下に曝し、そこにひそむ栄光を見いだすこと。ラブレーからフーコーにいたるまで一貫して流れるある感覚に、フィリベールは確かに連なっている。そのことは、彼の他の作品、たとえば『音のない世界で』や『すべての些細な事柄』を観れば分かる。そこに映された聴覚障害者や精神病院の患者は、ある権力構造のもとでは表に出てこない存在だ。なにしろ、彼らには「言葉」がない。

 だから、映像なのだ。

 取るに足らないとみなされた人々は、端的に、言葉がない。もちろん、しゃべるし、独自の言葉を持つ。しかし、ジャック・ランシエールならこう言うだろう、それは端的に「言葉ではない」。動物の「わめき」に等しいのである。そういえば、『かつて、ノルマンディーで』は、ブタのわめきから始まった。

 ピエール・リヴィエールが捕らえられて書いた言葉(「私、ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺しました」)は、法廷において審理の対象となった。農夫の胸のうちの吐露は、精神医と弁護士にとっては、あろうことか「狂気の証拠」だった。農夫の口をつく言葉はまともなものとはみなされない。対して、言葉のない農夫の器用さ、たとえば死にそうな子ブタの蘇生法、牙の抜き方、うまい捌き方(ほんとにあっという間)を、フィリベールの映画の中にわたしたちは確かな言葉として見るのである。実践という言葉。

小さくて安いカメラ

 ただいまビデオカメラを物色中。条件は、(1)小さいこと、(2)安いこと、以上。

 小さいのがいい理由は、目の前に置いてあってもなるべく気にならないようにするため。安いのがいい理由は、大量に買う予定だから。この2つの条件さえクリアしていれば、画質はこだわらないし、音質もさほど気にしない。

 そういう条件の下で出てきたのがこれ。

 creative VADO、VADO-HD

 メモリーが2GBのVADOで1万円を切っている。実物を手に取ってみないと何とも言えないが、どうも気になる。

 メモリー8GBのVADO-HDだと2万円近くなり、値段的にはサンヨーのXactiとさほど変わらなくなる。大きさ的にはいい感じなのだが。

 もっといいのはないか、引き続き物色続行。

すおっ(声にならない叫び)

 2年連続で空振っていた科研費ですが、今年から3年の間、いただくことができるようです。メールボックスに書類が入ってました。どなたに御礼を言えばいいのか分かりませんが、ありがとうございました!!!!

 このところ気分が沈みがちだったのですが、少し上向きになってきました。

 研究計画書ではだいぶ大風呂敷を広げてしまったので、形にするのが今から悩ましいですが、とにかく3年間がんばります。今回の研究の舞台は小学校。さて、どうなるか…。

啓蟄

 このところの日の照り方はすっかり春だ。街場の根雪はほとんど融けて、道路の端に集められていた雪の山の根の方からはちょろちょろと水が流れている。雪に押し潰されて茶色く変色した落ち葉のあいだから薄緑色をしたふきのとうが顔を出す。

 もう冬の装備も要らないだろうと、近所の車屋に行って新品の夏タイヤに履き替えてきた。スタッドレスのあのベタベタとまとわりつくような乗り心地から解放されて気分もいい。

 冬の間巣ごもっていた生き物もぼちぼちとわたしたちの視界に戻り始めた。公園の川にカモが泳いで、必死になにやらついばんでいる。

 動物だけではない、人間の子どももそうだ。

 団地の小さな公園に、地面を覆っていた雪がなくなると、近所の子どもたちがわらわらと戻ってきた。自転車のペダルをぐいぐいと踏み、ぬるんだ空気を切り裂いて駆け抜けてゆく。ブランコには二人乗り、すべり台はすべる方から登る。冬の間できなかったことを、存分にやっている。

 うちの子どもも同様で、外に出たがる。おんもに出たいと泣いていたわけではないが、やはりどこかで春よ来いと思っていたのだろうか(実際は先週まで九州に行っていてすでに春を経験しているわけだが)。

 彼もひと冬でだいぶ成長したようで、昨秋はさほど興味を示さなかった自転車にやたらと乗りたがる(しかし自分でこぐことはできない)。子どもたちの集まる公園に行き、お兄ちゃんお姉ちゃんの集まりにやたらと顔をつっこみたがる。どんな集まりでもみそっかすであるし、相手にもされないわけだが、どう対応するのだろうと親は端から眺めるのみ。

知多でメルポン

 もうしばらく経ちましたが、今週の日月と、愛知県は知多半島で研究会をしてきましたので、そのことを書きます。

 メルロ=ポンティの『意識と言語の獲得』(みすず書房)を輪読しました。ソルボンヌでの講義を学生がノートにとったものを編集した本です。

 意識にせよ、言語にせよ、西欧の哲学においては、あたかも「ふってわいたもの」のように扱う伝統が一方にあり、そちらが主流だった時代が長かったわけです。

 それを、「ありもの」の世界のなかの出来事として記述することが可能なのか、可能だとすればどのようにしてか。これがメルロ=ポンティの考えたかったことなのでしょう。

 彼が頻繁に用いる概念に「スティル」というのがあります。英語で言うとスタイルなので「文体」「様式」とか訳したくなりますが、もう少し一般的に捉えた方がいい。要するに、なにがしかの関係です。文体というのは単語単独ではありえず、それの並べ方によって生まれるものですし、様式も然り。

 意識や言語は、メルロ=ポンティの考え方を察するに、ありものの世界のなかでのスティルのありようにつけられた名なのでしょう。なかなかなじめない発想ですが、彼はさらに、言語の獲得を説明する際には、身体の動かし方の変化(あるいは習慣化)として記述しようとします。つまり、各部位の関係の変化というわけです。

 意識の説明の仕方もやはり変わっています。身体をふたたび例にとれば、ある仕方で身体を動かすことができてはじめて、そこに身体が現れてきます。身体がまずあって、それを中枢が意識し、運動せよという命令をするという図式ではなく、運動できて初めて身体が現れるとするわけです。意識、言いかえれば自分自身についての自覚のようなものは、動いたり、習慣として身につけている言語を発することによってはじめて現れるとするのが、メルロ=ポンティの考え方なのだと理解しました。

 この方向で研究を突き進める自信はありませんが、おさえておきたい発想であることは間違いありません。

 ちょうど、細見和之の『ベンヤミン「言語一般および人間の言語について」を読む』を読んでいて、ベンヤミンの言語論をうーうー言いながら考えていたところでしたが、彼とメルロ=ポンティとを対比させると、言語について面白い発想が浮かんできました。このことについては、時間があれば何かの形で論考したいと思います。できるかどうか分かりませんが。

 そうそう、今回宿泊した知多の民宿は料理が大変すばらしくて、とても満足でした。宿泊費も安かったですし。コーディネートしてくださったMさんはじめ、参加者の皆さんいろいろありがとうございました。