先のエントリーにも書きましたが、札幌から茨城へやってまいりました。
帰省前日の関東地方を季節はずれの暴風雨が襲っていたらしく、着陸を目前にした飛行機に名残の横風があたって機体はぐらぐらと揺れていました。うう、気持ち悪い。
ちょうど妹と甥っ子が遊びに来ており、実家に豆台風が発生してしまいました。
甥っ子はちょくちょく遊びに来るので、実家には子ども用のままごとキッチンがしつらえられていました。それを見たアマネも我が物のように遊びはじめました。
本格的なキッチンセットで、ガスコンロのスイッチをひねると「コココ、ゴー」と音がして五徳の下が赤く光るのですね。さらに、専用の鍋をその上に載せると、「くつくつくつ」と音が鳴ります。ふたりとも大のお気に入りのようで、並んで遊んでいました。
アマネの遊んでいる様子を見ていると、面白いことに気付きます。鍋におもちゃのニンジンが入っているのですが、鍋の蓋を取ってから、シウマイ弁当の醤油さしを右手に持って鍋にその中身をふりかけているようなのです。あたかも、料理に調味料を入れているかのように。かのように、ではなく、当人にはそうなのでしょう。なかなか堂に入ったものでした。
さて、ここで気になるのは、彼はいったい何を手掛かりとしてこうした一連の行為を行なっているのだろうか、という問題です。
醤油さしに入っているのが、鍋にふりかける物、すなわち鍋には入れないもの(つまり、食材でないもの)だと考えているのか。鍋にはニンジンが入っており、醤油さしをそれと同等の物と扱って良いはずですが、そうはしていない。逆に、おもちゃのニンジンやピーマンを使って、醤油さしでしたのと同様の行為をすることはない。
仮に、彼が実際、醤油さしを鍋の上で振る物と考えていたとして、料理中に調味料をふるという手順がここでは再現されていたことになります。料理スクリプトとでも呼べばよいでしょうか、彼はそのスクリプトを再現していたようにも見えます。
ここから推測するに、目の前にいる16ヶ月児は、自分の手に持っている物が「調味料」の代替物であり、それを鍋の上で振るということが「料理」の一工程であると認識していた、と言えそうです。そしてこれまでの認知発達心理学はそのように記述することが多かったように思います。
さて、この見方をどう崩していくか。彼の行動をずっと見つめなければ、概念とスクリプトによる説明(これは実際のところ、言い換えをしただけで説明にはなっていないのですが)を越える何かは見えないのだろうなと思いました。