娘のことをぜんぜん書いてませんでした。
おかげさまで順調に育っていまして,2ヶ月で体重が倍になりました。
雪もだいぶ融けてきましたので神様にご報告をとお宮参りに北海道神宮に行ってきました。
写真スタジオで着物を借りて,神宮へ。ちょうど入学式直前の日曜でしたので,ランドセルを背負った新1年生を連れた家族がたくさん来ていました。
お祓いはしてもらわずに,お詣りだけ。つつがなく完了しました。
Finnegans tavern Annex
小学生の頃の同級生で,タキシタくんという子がいた。背がひょろっとして首と足が長かった。
ぼくの住んでいた村は田舎だったけど,タキシタくんのたたずまいは町の子という感じで,一緒に遊ぶこともあまりなかったような気がする。
一度,腕を折ったかで大けがをしていたことがあった。なんだかかわいそうだなあ,と,そのときはそれくらいだった。
タキシタくんは村の中学校に行かなかったのでそれっきりだった。以来数十年,すっかり頭の中から消えていた。
今日,妹からタキシタくんが亡くなった,という知らせを聞いた。
実はぼくはそのことをすでにネットで見ていたのだが,あのタキシタくんのことだとまったく気がつかなかったのである。俳優になっていたことすら知らなかった。
滝下毅くん,さようなら。ご冥福をお祈りいたします。
石川晋先生より,ご著書『学び合うクラスをつくる!「教室読み聞かせ」読書活動アイデア38』をご恵送いただいた。ありがとうございます。
「読み聞かせについてだったらいくらでも話します」という石川先生の言葉尻をつかまえて,本当にゼミに来ていただいたのが数年前。今はもうないが,幼児園の子どもたちにも絵本を数冊読み聞かせしていただくことができた。ぜいたくな時間だった,と今にして思う。
そのときに石川先生から読み聞かせについての考え方をうかがっていてだいたいは理解できたと思っていたものの,やはりまとまった文章の形で書かれたものを読むとつかみそこねていたことが分かった。例えば,読み聞かせを核とした授業を,ぼくも実際に拝見したことがあるのだが,そのいちいちの根拠についてはこうして書かれてあるのを読むと実に分かりやすい。
ふとよぎったのは「もって生まれたもの」とどう向き合うか,である。
石川先生と読み聞かせの関係についてはこの本の中でご自身の生い立ちから丁寧にお話しされているので措くとして,読み聞かせをする際の最大の道具であるところの「声」も,もって生まれたものである。先生はご自身の声をどのように意識されておられるのだろうか。
この本を開く前に,ぜひ,石川先生の実際の声を聞いてもらうのがよいと思う。たとえば,DVD「明日の教室」シリーズの1本に石川先生が登場しておられるので存分に声を聞くことができる。紹介されている「第2・3部ダイジェスト版」の方には読み聞かせをされている姿も映っている。
ぼくは石川先生が読み聞かせをするときの,なんだか飄飄とした読み方が好きで,その読み方はやはりその声をもってしてのものだろうなと思う。おそらくはもって生まれた声をそのまま出しているのではなく,磨いた上で,授業で発しているのだろう。そのこと自体が,子どもたちには,もって生まれたものを磨くというメッセージとしてどこかで受け取られているのかもしれない。