堀井憲一郎『若者殺しの時代』

 堀井憲一郎『若者殺しの時代』(講談社新書)を、通勤電車の中で読んだ。

 かつてテレビで見た堀井憲一郎は、素朴な疑問に独自に調査したデータを用いて検証するというスタイルを売りにする、ユニークなコラムニストであった。今でもそのようだ。そのユニークさは本書でもちらりと見ることができる。

 本書にはいくつかデータが登場するが、著者「らしい」ものを挙げれば、こんなところがおもしろかった。

  • 女性誌・男性誌クリスマス記事の変遷
    • 1970年アンアン「2人だけのクリスマス」
    • 1983年アンアン「クリスマス特集 今夜こそ彼の心(ハート)をつかまえる!」
    • 1987年ポパイ「クリスマス、今年こそ決めてやる」
  • 月9トレンディドラマでの携帯電話使用場面の変遷
    • 最初に使った俳優→石田純一:1989年1月『君の瞳に恋してる!』(ただし自動車電話)
    • 携帯電話同士による最初の通話場面→1995年『いつかまた逢える』
    • 最初の折りたたみ式ケータイ使用→中山美穂:1996年『おいしい関係』
  • 週刊文春ミステリーベスト10国内部門に入った本の”重量”の変遷(ページ数ではなく、”重さ”というのが、いい)
    • 1983年6冊平均404.0g
    • 2000年10冊平均522.9g

 いずれも、当時の雑誌や録画してあるビデオをかたっぱしからすべて見た(あるいはバイトに見てもらった)り、あるいは本を実際に秤に乗せたりして調べたもの、だそうだ。調査内容はばからしいが、きちんとやろうとしたら、案外こういう調査は難しい。

 こういったサブカル関連の調査をする際、ソースが雑誌や本であれば、国立国会図書館に行くことでなんとか調べがつく。しかし、テレビ・ラジオを媒体とするコンテンツについては、いったん放送されたものをソースとすることが難しい。そういうとき、ビデオに録画したものをきちんと残しておいてくれている人がいると大変助かる。著者はどうも月9ドラマを4作目からすべて保存してあるようで、そういうマニア的な努力は大事だと思う。最近では、 Youtubeやニコ動など動画共有サイトに、えらく昔のテレビ番組が投稿されていることがあり、あるところにはあるんだなと嘆息する。

 もう少し書きたいことがあるが、それはLa biblioteca de Babelの方で。

大雪と前期試験

 先週末、北海道を見舞った大陸からの低気圧は、札幌に大雪を降らせた。けっこうな吹雪で、
車の周りの雪をかいてもかいてもその上からずんずん積もっていった。しまいにはあきらめて寝た。

 明けて日曜、空は見事な晴天、しかし地上は高く積もった雪に白く覆われていた。発表では札幌で90センチは積もったようだ。
朝から車を発掘にかかる。雪かきダイエットと称して、3、40分ひたすら雪をハネる。大汗をかいた頃、ようやく、
動かせるかなという程度にはなった。

 さて、天気の気まぐれがもたらす災厄は平等にふりかかる。こちらが車を発掘していた頃、
北大を受験する高校生たちのなかに悩めるものがいたようだ。

 月曜は予定であれば国公立大学の前期試験の日程であったのだが、雪の影響で飛行機や汽車の運行がガチャガチャに乱れて、
日曜に札幌入りできないものが出てきたようだ。北大はすばやく試験日程をまるごと1日火曜にずらすという決断をした。

 受験生にとっては少し余裕が出てよかっただろう。

 試験を実施する教職員にとっては、しかし、延期という決断はなかなかに悩ましいものであったろう。試験は1日で終わるが、そのあと、
採点、集計、合格者発表と、団子のように連なるスケジュールがすべて1日ずれる(知らないけど、たぶん)。試験担当の先生たちは、
本来のスケジュールであれば試験の仕事が終わった頃に入れていた出張を止めたりなんだりとあわただしかったのではあるまいか。

 試験とは大学に所属するスタッフにとって、ひとたびなんらかの任を命じられたならば、
何はさておいても奉じなければならない職務である。風邪をひいたとしても、はってでも出なければならない。そうしないと、
ほかのスタッフから白眼視される。ほんとだよ。前から出張が入っていたからなどという理由で職を放棄しようものなら、
おそらく誰も口をきいてくれなくなるだろう。たぶん。

 この雪を本当に恨めしく思っているのは、受験生ではなく、北大の試験担当の教職員であったことだろう。がんばってください。

 ちなみにぼくは今年度は何の担当にもなっていない。センターも、前期も、後期も。
去年まで4年連続でなんかかんかやったからお休みである。

ぼくも

 2歳半を過ぎて最近のアマネは饒舌である。

 このところの口癖は「ぼくも」。かれは自分のことを「ぼく」と言う。アマネという発音は難しいらしい。これまで「アマネ」
と発話したことはない。

 「おでかけするよ」と言うと、「ぼくもー」。
 「おいしいの、食べちゃおうかなー」と言うと、「ぼくもー」。

 代名詞「ぼく」+助詞「も」という形式の使用が幼児(2:6)において確認された、というわけである。ペダンチックに書けばね。

 不思議なのは、家庭内では誰も「ぼく」という代名詞を使っていなかったということである。まず父親であるぼくは家庭内では自分を
「ぼく」と言わないし、アマネのことを二人称的に「ぼく」と呼ぶこともない。

 ただ、源泉として可能性があるものはほかにもいろいろとある。テレビ番組、
特に毎日のように見ているアンパンマンの中のセリフにそんなのがありそうだ。カバオくんが山寺宏一の声で「ぼくもー」と言うとかね。あとは、
たまに行く児童館とかスポーツクラブとかかなあ。

 「ぼくも」という言い方はおもしろい。この言葉が出た状況を合わせてその意味を理解しようとするならば、
「ぼくはあなたの真似をしたい」ということになるだろうか。模倣を宣言しているというか。オースティンにならえば発語内行為
(illocutionary act)である。

 もちろん、「ぼくも」という発話をすることそのものも模倣であろう。模倣というか、
過去の状況を現在において丸ごとなぞりなおしているのであろう。同じくオースティンにならえば、模倣として出現する発語行為
(locutionary act)であったといえる。

 要は、模倣の宣言を模倣しているのである。

円山、三徳六味にて

 円山に移転した三徳六味へ行ってきました。

 移転したのが去年の10月ですから、すでに4ヶ月ほど経っているのですね。その間、ぼくはふらりと1度だけおじゃましました。

 地下鉄東西線円山公園駅から歩いて5分ほど。入り口の引き戸を開けるとアプローチがあり、中の様子が見えません。
くぐり抜けると右手にカウンター席、左手に2間の小上がりがあります。天井からの抑えた明かりに照らされたカウンターに座ると、
美園にあったときと比べて一段グレードアップした板場が一望できます。 おそらく、「以前のお店ではやりたくてもできなかったこと」
をできるようにしたのでしょう、店主夫妻の意気込みが隅々まで漲っています。

 さて本日は、学部の同僚のM先生、学部OBのIさん、OGのHさんにぼくを加えた4名での食事会。
ご飯までついたコースをお願いしておきました。

 初めて通された小上がりには真新しい畳が。

「これは和紙畳というんですよ。あせないし、ほつれなくていいそうです」と、ミキさん。へえ、そんなのがあるんですか。

 まずはめいめい飲み物を頼み、乾杯。OGのHさんは現在関東の方にお勤めで、仕事の話などでひとしきりもりあがります。

 1品目はふろふき大根。柚味噌でいただきます。寒い中歩いてきたので、温かいものが嬉しいですね。

 2品目は百合根の茶碗蒸し。上にそぼろあんがかけてあります。これまた温かくて胃にするすると入っていきます。

 このあたりから記憶が少し心許ないので料理の出てきた順序はあやふやです。それくらい話が楽しかった、ということで。

 温かいものが続いた後で出てきた本日のお造りは、鮪、ホタテなど。ホタテに少し仕事がしてあったように覚えています。

 八寸。ひょうたん型の膳の上に、酒肴が少しずつ載って出てきました。覚えている限りで、胡麻豆腐、鴨、からすみののった菜の花、
とんぶりののったもずく、たたみいわし炙りなど。Iさん曰く、「これには感動しました」。

 さてここからお腹にたまるものの登場です。まずは焼き魚。今日はノドグロだそうです。日本海のものだそうですが、
脂がたっぷりとのって美味しい。

 肉料理は少し趣向を凝らして、牡丹鍋でした。和歌山の猪だそうです。野趣あふれる一品。

 だいぶ満腹になってきた頃、締めの炊き込みご飯ができあがってきました。中身は、たっぷりの野菜とアサリです。土鍋で炊かれたので、
いい塩梅で底の方におこげができて見るからに美味しそう。椀物に鯛のあら汁。香の物を添えていただきます。各人2杯は食べましたか。

 デザートでマンゴーソースののったブラマンジェをいただき、ごちそうさまでした。

 7時半に始まり、ゆっくり話しながら食べていたので、お店を出たのはすでに11時近く。他の3人も料理に満足してくれた様子で、
セッティングした者としてはなによりでした。

胃カメラ

 月曜から2~3日、胃の上部がさしこまれるように痛み、なんだろうと不安になった。

 不安なままでいても仕方ないので、水曜に内科に行った。

「胆石の疑いもありますので」

 ということで超音波で腹の中を見てもらったのだが、なんともない。

「じゃあいっそのこと胃カメラやってみますか」
「うちのは鼻から通すやつなので、負担は少ないんですよ」

 ああ、聞いたことはある。だいぶ楽なんだってね。これはよさそうだ。

 とのことで本日胃カメラを生まれて初めて飲んできた。

 感想。もうやりたくない。

 前日は夜9時から飲まず食わず、当日はまず手足のイボを焼きに行き、それから件の内科へ。

 「胃の泡を消す薬」なるものを飲み、しばらく休む。それから麻酔するスプレーを鼻の穴の中にシュッシュ。
今度はケーブルを通す方の穴に念入りに麻酔薬を注入。のどまで降りてきてむせる。

「試しにこの管を入れてみますから」

 看護師さんがストローくらいの長さの管を鼻に入れた。そんなに痛くない。これは楽勝か。

「ではこちらに」

 看護師さんに連れられて内科医のもとへ。寝台に横向きに寝る。

「これが内視鏡です」

 さっき鼻に入れられた管より太いじゃん。そんなの入るの?言う間もなく鼻の穴からするするとのどの奥の方へ。

「これが声帯ですねー、こっち行くと気道なので食道の方へ」

 カメラに映し出される自分の内臓。それよりもなによりも、のどを麻酔していないため、ときどき強烈な吐き気をもよおす。

「はい、胃に到着です。うーん、きれいですねー」

 確かに、きれいなピンク色をしていた。胃の痛みを感じていたときは、潰瘍でもできているのではないかと気をもんでいたのだが、
まったくそんなことはなかった。安心するとともになんだか落胆した。

「十二指腸にもいってみましょう。潰瘍ができやすいとこなんですが、なんともありませんねー」
「胃をふくらませてみますよー」

 そんなことができるのか。どうもエアを送り込むらしい。おお、腹がふくれてきた。

「はい終わりですー」

 胃カメラを抜くときにも強烈な吐き気。それでも実際には吐きはしなかったのが不思議だ。

 結果、異常なし。まあよかったのか。

教育はなぜ難しいのか

 現在の職場に籍を置いてすでに5年が経過しようとしています。そのうち3年間、
対外的に学部を紹介する役回りを担ってきました。ウェブサイトの製作管理が主なのですが、
高校生一日体験入学やオープンユニバーシティへの参加、公開講座や説明会での対応などもちょこちょことしてきました。

 ただいま、学部を紹介する高校生向けパンフレット製作にかかりきりです。
原稿や写真などをもらうのに学部内外の人たちとやりとりをし続ける日々で、
この仕事のために書いたメールは100を越えたのではないかと思います。

 こうした仕事をしていると、「この学部の目標が外部の人たちにいかに伝わっていないか」
ということがいやでも分かってしまいます。

「あなたがたは、何をしているのですか?」

 このご質問に対しては、木で鼻をくくるような感じですが、「教育学を研究しているのです」と答えるしかありません。私は教育学のいわゆる専門家ではないので、
教育学とは何かと聞かれて即答できるものをもっていませんでした。いまだに、コメニウスがどうとか、ペスタロッチがどうとか、
クループスカヤがどうとかいう話はできません(院生時代にもうちょっと勉強しておけばよかったのでしょうし、
それができる環境にあったはずなのですが)。ですから、さらにつっこんだ質問をされてもたじろぐだけですし、質問された方もそれを察して
「ああそうですかごきげんよう」とお帰りになるわけです。

 そんな感じだったのですが、3年間も学部について説明をしてきますと、
あくまでもその固有の体制に即してという限定付きですが、教育学とはいったい何を目指す学問なのか、
そしてそれはどうすれば解決されるのかについて自分なりに言葉にすることができるようになりました。言ってみれば、教育学の専門家ではなく、
「この学部」の専門家になってしまったわけです。

 以下、わたしのいるこの学部はいったい何をするところなのかをできるだけわかりやすく書いてみたいと思います。

 教育とは何でしょうか。簡単に言いますと、教育とは、
次の世代の人々がこの世界で生き延びるために今の世代の人々が行うすべての営みです。では、教育学とは何でしょうか。それは、
教育という営みがうまくいくために必要なあらゆる策を講じる営みです。特に典拠があるわけではないのですが、
ごく一般的にまとめるならばこうなるかと思います。

 学を称してまで、教育に策を講じることがそんなに難しいのか、そんなにこの営みは複雑なのかと思われるかもしれません。そう、
難しいですし、複雑です。なぜなら、
自分には他人の行動を思いのままにコントロールすることが不可能だという自明の事実があるからです。
この当たり前のことが、教育という営みには壁となります。

 教育の目標はとりあえずの定義によれば「次世代という他人が生き延びられるようにすること」であり、
その目標を持っているのは現在の世代=自分なのですから、他人に自分の目標をかなえてもらうのが教育だとも言えます。これは、
他人を思いのままコントロールすることは不可能であるという事実に明らかに反しますね。矛盾です。だから、
あえて策を講じなければならないほど、教育とは難しいのです。

 たとえば子育てを考えましょう。

 1歳くらいの子どもがご飯を食べるとき、彼にとって楽なのは手づかみで食べることです。一方で、
親はスプーンや箸を使って食べてもらいたいと思うでしょう。このとき、親にとって一番楽なのは親がスプーンや箸を使ってご飯をとり、
子どもの口の中にもっていくことです。子どもがスプーンを使って食べることを親がコントロールすることはできません。親にできるのは、
自分で自分の手足をコントロールして子どもに食べさせることです。こちらの方がはるかに楽です。しかし、いつまでも楽をしていては、
子どもがスプーンの使い方を学ぶ機会はなかなか訪れません。

 つまり、自分の能動性をおさえて他人の行動にまかせるという部分が教育には必ず含まれているのです。親になると分かりますが、この部分がとても難しい。親が自分でやる方が、子どもにまかせているよりも早いし上手にできるので、ついつい手を出してしまいます。これは、他人のコントロール不可能性からくる衝動に他なりません。

 ちなみにここまで述べてきたようなことは、俗に「教育のパラドクス」などと呼ばれ、
すでにたくさんの人々が言及したり考えたりしてきたことです。

 人類にとって最大級の難問を専門とする人々が集い、共同して解決を講じようとする場、それが教育を対象とするこの学部なのでしょう。このような学部が存在しているということそのものに意義があると、私は思います。

イボを焼く

 足の指と手の平にイボができた。

 いや、足の指の方は半年くらい前からあるのは知っていたし、手の平の方も3~4ヶ月前から気にはなっていた。

 どうもぼくの足はイボができやすい何かがあるらしく、小学生の頃から数えてもう3代目である。札幌に来てから1つ退治したのだが、
またすぐに違う場所にできてしまった。しかも2つも。どうせできるなら人面瘡でもできてくれれば話の種になるのだが。

 このイボと長年つきあってきたので、治す方法が液体窒素で患部を壊死させることだというのは十分に知っている。もちろん、
その痛さも知っている。液体窒素をつけた綿棒を皮膚にじゅっとつけるのである。サディスティックな医師であれば、間髪入れずに「ぐりぐり」
と綿棒を回転させながら押しつけるであろう。綿棒が皮膚に触れた瞬間はなんてことないのだが、次第に刺すような痛みが脳天を貫くのである。

 これまでの患部はすべて足の指であった。だからまだ我慢できたと言えるのだが、今回は手の平である。手の平。
人生初の根性焼きである。手の平を焼くというのだどうにも嫌で、それで半年近く放っておくこととなったのである。

 イボ自体は、放っておいてもたいした問題はないらしいのだが、やはり気になる。特に手の平のものは、
どうしても何か持つたびにひっかかってしょうがない。しかもこのイボ、どうもウイルス性のものらしく、伝染するらしい。実際、
アマネの手の平にも似たようなのができてしまっている。責任を感じている。このままではアマネもイボだらけになるかもしれない。

 そんなわけで、近所にある皮膚科の扉を開けたのだった。

 この皮膚科、『愛の水中花』を歌っていた方と一字違いの女性が開業されている。多才な方らしく、歌を歌ってCDを出したり、
FMラジオで自分の番組を持ってパーソナリティをしていたりしているらしい。そのせいか、
金曜は平日であるにもかかわらず午前中で診療が終わる。まあそれはよろしい。

 保険証を受付に出し、ソファで備え付けの『北斗の拳』を読んでいるとすぐに呼ばれた。

「どうしましたか」
「イボです」
「またですか」

 前回、札幌に来てから焼いてもらったのはこの方であった。

「足の指と、今回は手の平にも」
「そうですか、じゃあ焼きましょう」
「こちらにうつぶせになってください」

 黒い革張りの寝台に、靴下を脱いで横たわった。靴下の中にあったとおぼしきホコリが足の裏にくっついていて恥ずかしかった。

「それじゃあやりますね」

 液体窒素綿棒の出番であろう。まもなく「ぐりぐり」が始まるのかと恐怖におののいていたが、耳慣れない音が足下から聞こえてきた。

「シュー」

 な、なんだ。液体窒素が沸騰しているのか?そもそも沸騰するのか?沸点は何度なのだ?
何しろうつぶせになっていて足下はまるで見えない。何が行われているのか分からないというのは恐怖である。

「うっ」「うっ」

 しかし心理的な恐怖は身体的な痛みに簡単に圧倒される。大の大人が痛くて声を出してしまうのである。

「今度は手の平ですね」

 寝台の上に座り、手を女医に差し出す。女医がもっていたのは、綿棒ではなかった。なんだろうこれは。スプレーのようなものだ。
ノズルの先から雪女よろしく白い空気が勢いよく噴射されている。後で調べたら「クライオサージ」と呼ばれる器具のようだ。
「液体窒素を安全に効率よく送り出します」だそうだ。

 そのクライオサージから噴射される白い気体が、ついに、手の平のふくらみに襲いかかった。

「うぐう」

 これは痛い。足も痛いが手はもっと痛い。3~4回、ノズルを遠ざけたり近づけたりして施術は終わった。

「ではまた1週間後にきてくださいね」

 冬は焼きイボに限りますなあ。お後がよろしいようで。

基礎ゼミ2007反省

 本日、「基礎ゼミ」と呼ばれる演習が終わりました。これは、2年生が所属するゼミを決めるために半期でおこなわれる、言ってみれば「お試し」のゼミで、3年生が2年生をリードしていく形で進められるものです。

 ぼくは毎年この演習を担当しているのですが、今年は美馬のゆり・山内祐平『「未来の学び」をデザインする』をテキストとして用いました。この本には創設間もないはこだて未来大が取り上げられていて、カリキュラムと学習環境が、状況的学習論を背景としてどのようにデザインされているかが解説されています。

 今年の演習はこのように進めました。14回の演習を前半と後半に分け、前半では「4~6歳の子どもを対象とした、オリジナルのクイズゲームをつくろう」と題したグループ作業を行い、後半に先のテキストを読むこととしました。

 このグループワークの目標は、北大幼児園の子どもたちに15~20分間のクイズゲームをしかけ、なおかつその子たちに「ウケる」ことでした。なぜクイズゲームという素材を選んだかと言うと、就学前の子どもたちが、何を知っており何を知らないか、何ができて何ができないのか、何かをさせるためにこちら側がどのようにすればいいのか、こういったことを学生たちにとことん考えてほしいと思ったからです。基礎ゼミに参加するのは主に2年生なので、ひととおりの基礎的な知識は概説で学んでいるはずなのですが、いかんせん具体的な像として結んでいない。そこで、クイズゲームを製作し、それを子どもたちを巻き込む形で披露するという目標を作ることで、ぜひ主体的に子どもの姿から学んでほしいなと思ったわけです。

 10月にスタートしたこの作業は、12月の前半に最後の班が発表して無事終わりました。本日最後の基礎ゼミで各班に報告書を提出してもらい、すべての作業が終了したわけですが、こうしたフローをこちらで計画する際に参考としたのが、はこだて未来大のプロジェクト学習や、先に挙げたテキストに紹介されているワークショップ型の演習でした。

 基礎ゼミの後半でテキストを読んだのですが、ここで学生さんたちは、自分たちがこれまでグループで行ってきた活動の理論的背景や他の実践例を知ったわけです。

 ただ本の中のこととして受け流すのではなく、実際に目で見て肌で触れてほしい。ということで先日、はこだて未来大にも総勢10名ほどで行ってきました。せっかく同じ道内にあるのですから、行かない手はないですね。大学院の先輩で、現在はこだて未来大で講師をされている南部美砂子先生にコーディネートをお願いし、お休みのところ無理に出てきていただいて実現した見学会でした。

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 未来大の特色であるプロジェクト学習(実際のところ、特色GPをとっています)は、数名の教員がチームを組んでテーマを設定し、そこに興味ある3年生が入っていってプロジェクトを進めていくというもの。学生さんたちはおよそ1年間、結果としてのモノをきちんと作るために相当苦労するそうです。

 今回の訪問では、南部先生のはからいで、今年度のプロジェクト学習の発表会で用いられたプレゼンボードが展示されていました。北大の学生さんたちはそれなりに見入っていたようです。

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 展示会場では大学院生の水野さんが、製作された機械をもって登場。心理学の理論を背景に、具体的なモノの形に落とし込む作業について語っていただきました。また、南部先生からはプロジェクト学習を指導するにあたってのおもしろさやご苦労などをうかがいました。

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  函館には1泊。学生さんたちは部屋に集まって夜中の2時までなにやら話していたようです。ぼくはひとり街をさまよっていました。

  今回の基礎ゼミを振り返って、学生さんたちから「みんな仲良くなれたのがよかった」という感想をもらいました。

 教員を5年やっていてつくづく思うに、学生が何を学習するかはコントロール不可能です。いくらこちらが熱弁をふるっていたとしても、学生は「あの先生は熱弁をふるう人だ」ということを学習しているだけかもしれないのです。ぼくにできることは、こちらの期待する学習内容について学生が学習しやすくするための、環境作りだけだと思います。

 communities of learners、すなわち、学びあう仲間たちの基礎作りだけはできたかなあと、そう思っています。