市電フェスティバル

 札幌は市交通局の運営する路面電車の走る街です.路面電車のPR企画,市電フェスティバルが開かれたので家族で行ってきました.

 会場は南21条西16丁目の電車事業所とその隣のグラウンド.電車事業所の方では,車両の展示や工場内の見学ができます.グラウンドの方では近隣の小学校PTAや町内会のみなさんが総出で縁日が開かれていました.

 縁日には,市営地下鉄のミニ車両が出展されていて,グラウンドをぐるぐると走り回っていました.当然ただで乗ることができます.

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 電車事業所の方に行きますと,そこは鉄な方々にとっては魅惑の世界.ふだんは触ることのできないものがいろいろとあります.

 まずは転轍機.ポイントに置かれている,あれです.けっこう重たいようで,おじさんに手伝ってもらいながらようやく動かすことができていました.

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 お次は職員さんの制服を着て,冬の名物,ササラ電車を背景に写真を撮るコーナー.アマネは帽子をかぶりたかったようです.お気に入りのアニメ『おさるのジョージ』には,ジョージが駅長の帽子をかぶらせてもらえるシーンがあるのですが,それを思い出したみたい.でもまあ大きい帽子しかなくて,「こまわりくん」になってしまいましたが.

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 整備工場の中にも面白そうなものが.車両の方向幕を手動で動かす装置がありました.「教育大学前」と書いてあるからにはずいぶん昔の方向幕が残っているようですね(現在中央図書館のある場所にかつて北海道教育大札幌校がありました).

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 もうちょっと遊びたいようでした.が,昼ご飯を食べねばならないので引き上げます.

 が,手を引いて抵抗してきたので,「動く電車に乗ろう」と提案.事業所前の電停から幌南小前まで,ママといっしょに乗ることができましたとさ.

ICMPC10

 ただいま,北海道大学にて国際音楽知覚認知学会第10回大会(International Conference on
Music Perception and Cognition)が開催されている.

 国際音楽知覚認知学会
 第10回大会公式ウェブサイト

 大会を取り仕切られているのは文学部の安達真由美先生.安達先生には,学部は違えど,いろいろとお世話になっていることもあり,
「何かあったらお手伝いしますよ」と伝えておいた.これには下心があって,参加費を払わずに発表を聞くことはできまいかという,
非常にせこい動機によるのである.

 そんなわけで,少ない時間数ではあるものの,月曜,木曜とお手伝いとして参加した.

 機材係として参加したオーラルセッションのテーマはsocial interaction.ある研究者は,
ひとりのオペラ歌手にとって音楽とは何なのかをインタビューから解釈していた.またある研究者は,
音楽家が音楽家としてのアイデンティティを構成するにいたるのに寄与していた出来事は何かを,これまたインタビューから分析していた.

 音楽知覚認知というからもう少しゴリゴリしたものを想像していたが,さにあらず.学会としては,
さまざまな領域を広く取り込んでいるようだ.

 水曜日,手伝いの出番はないものの,会場に顔を出す.ポスターをひととおりながめていると,
ぼくの研究室に以前取材に来てくださった某音楽研究所のYさんとお会いする.所長さんとも知己を得ることができた.

 学会は明日から会場をモエレ沼公園に移す.ガラスのピラミッドでシンポっていいね.一方,北大会場は撤去することになるのだが,
その撤去作業を本日の午後いっぱいしてきたのでもうヘロヘロ.アルバイトの学生の皆さんもお疲れ様でした.

 明日から名古屋.11時には市内に入れるので,どこかいいところでメシを食おうか.あ,そーだ.鶴舞に行ってみよう.

お誕生会

 今日は保育園で,8月生まれの子たちのお誕生会が開かれたそうです.アマネは8月生まれですので,今日の主役です.

 お誕生会に限り,家族が参観してよいことになっているそうで,うちからは妻が行ってきました.ですので,以下のお誕生会の模様は,すべて妻から聞いたことです.

 主役の子は紙でできた王冠をかぶり,マントを着るのだそうです.そのマントを着てアマネが一言.「これはマントだけど飛べないの」.

 主役の子たちは一人ずつ先生から名前を呼ばれて,全体に向かって紹介されるそうです.アマネの番になり,先生が「お名前は?」と聞くと,「イトウアマネ王様です」.王冠かぶってるからねえ.

「何歳ですか?」と先生が聞くと,「よんさい」.ついこのあいだ3歳のケーキを食べたので,今度は4歳だと思っていたのでしょうか.

 ひととおり主役の紹介が終わると,先生方がペープサートを見せてくれました.「おばけなんてないさ」の歌にあわせて,いろんなオバケの人形が登場.それを見てアマネは泣いてしまったのだそうです.最近アマネは,『おばけのてんぷら』なんかの「めがねうさぎシリーズ」を読み始めていたり,父親が物陰に隠れて「うひひひひ」と怖い声を出したりしていたので,「オバケは怖いものだ」と思い始めていたのかもしれません.

 部屋に戻って,クラスでの活動に入るときに,おにいちゃんおねえちゃんにまじって,自分でイスを出してきて座ったそうです.着実に,自分でできることが増えているのだなあ.

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三つ子

 と言っても,トン吉,チン平,カン太のことではなく。

 先週からまるまる1週間ほど帰省していたのですが,そのあいだにアマネが3歳になりました。

 じいさんばあさんやおばさん,いとことともにケーキを食べたとさ。

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それでもいいのだ

 赤塚不二夫先生が亡くなられ,先日告別式が執り行われたようだ。その様子をワイドショーがさかんに取り上げていて,タモリの述べた弔辞がしきりに紹介されている。

 その際の映像と後から報道された弔辞を拝見し,しんみりとした気持ちになった。ちょうど,「まんがNo.1」や「ライブ・イン・ハトヤ」など,当時のあのあたりの集まりの活動の成果が復刻され,それらに接して楽しんでいたということもあったので,ひとしおである。

 そうそう,実際に述べられた弔辞の内容と,報道されたその書き起こしの内容が少し違っているのを見つけたので,指摘しておく(って誰に言えばよいのだ)。

赤塚不二夫さん葬儀 タモリさんの弔辞全文

…あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。…

 上記引用のうち,「重苦しい陰の世界から解放され」のところ,実際には「<font color=”red”>意味</font>の世界」であった。そう判断したソースはこちら(映像の3分頃から該当の箇所)。ここを「意味の世界」として理解すると,あのニャロメが60年代の学生とともに「ナンセーンス」と叫んだことにつながる。そしてその「ナンセーンス」は結局のところ赤塚先生の意図とは対極にあった,つまり「これでいいのだ」を忘れていたことに気づくのである。

 さて,弔辞ではこのようにも述べられていた。

 あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘をつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ』と言っているに違いありません。

 その通り,故人が生きていたら(?)おそらくはそのように言うだろう。しかしタモリは笑わせようとしなかったし,笑いは起こらなかった。笑いを狙わなかった理由は,分からない。

 そもそも,弔辞で笑わせること,笑うことはできないのか?

 いや,できる。その一つの例を紹介しておく。イギリスのコメディ・グループ,モンティ・パイソンのメンバー,グレアム・チャップマンが1989年にガンで亡くなったときに,他のメンバーたちが述べた弔辞がそれである。

 最初に登場するのが,ジョン・クリーズ。チャップマンとはケンブリッジ・フットライツ以来の仲間である。彼の言葉に参列者が爆笑する。

 ジョンのあとに歌を歌うのは,エリック・アイドル。歌うのは,”Allways look on the bright side of life”。これは,パイソン映画『ライフ・オブ・ブライアン』のエンディングに流れることで知られる。下の映像を見れば分かるように,磔にされている罪人たちに向けられた歌である。「どうせみんな死んじゃうんだから,楽しくやろうよ,チョンチョン」という広川太一郎(この人も故人だ)の声が聞こえてきそうだ。

 弔辞で笑わせること,笑うことは不可能ではない。では,なぜタモリはそうしなかったのか。そうしたくなかったからだろう。それでもいいのだ。

トイレで○○○

 子どものう○ちについてです。尾籠な話ですみませんね。食事中は読まない方がよいですよ。

 トイレットトレーニング,まあ,おむつはずれですけれども,これがスムーズにいく子もいれば,そうでない子もいるわけでね。スムーズにいく子はいいですが,そうでない子は,というかその親は,いろいろと思い悩む。その証拠に,ほぼ毎月のようにベネ○セから「とらじろう(仮)」の教材のDMが届くのですが,そこには「3年保育に入る前にパンツマン」「薄着になるこの夏がチャンス」などとデカデカと書いてあるわけです。

 これ,ついつい惹かれてしまうのですよ。

 そう,アマネはまだオムツをしています。おしっこはね,だいぶね,保育園で機会あるごとにトイレに連れて行ってもらっているみたいで,朝はいていったオムツを夕方まで使うことが多くなりました。家庭では,例えば朝起きたとき,寝る前,出かける前といった,活動の切り替えのときには抵抗せずに行ってくれます。でもまあ,誘えば,の話なんですが。

 おしっこはこんな感じなのですが,う○ちがねえ。

 寝室の方に行き,隠れながらしゃがみこみ,きばってオムツの中に放出する,というのが,彼なりの処理の仕方なのですね。

 どうしたもんかと妻と思案し,こないだアソパソマソのおまるを買ってきました。

 結果,どうなったか。

 彼は,そのアソパソマソのおまるの「脇」でしゃがんでしています。おまるの意味がない。おいおいおい,どうすりゃいいのさセニョール。

 いくら「さらさらエアスルー」だからといって,この季節,オムツのまま寝ていたら,そりゃああせももできるでしょう。こないだ行った旭山動物園だって,特に準備せずに水浴びをさせたのですが,そういうときはオムツをはいて水の中に入るわけで,そうするとオムツが吸水しすぎて爆発するわけです。すっぽんぽんでもいいのでしょうが,見ているこちらがなんだか照れくさい。こんなときは,やはりパンツマンがいいなあ,と思ってしまう親。

 家庭では,そんなわけで,う○ちをトイレまたはおまるでするように日々アマネを誘い続けていました。

 今朝,彼がそわそわし始めたのを見て,「オムツはいたままでいいから,おまるにまたがってみよう」と妻がだっこして連れて行こうとすると,「いやだー」と抵抗。「じゃあ大きいトイレでする?」と聞くと,「うん」だって。妻がトイレに連れて行きました。

 すると,2人が消えていったその先から「やったー」という声が聞こえてきました。

 急いでトイレに行くと,便器の中に長々としたう○ちが!(すみませんね,ホントに)

 アマネが,人生で初めて便器に座ってう○ちをした瞬間に立ち会うことができました。

 まあ,たぶんまぐれみたいなものだと思いますが,ともかく,やろうと思えばできることは分かりました。

 なぜトイレでう○ちをしなければならないのか,その理由をはっきりと説明することはぼくにもできませんし,だからこそ教えなければならない。これ,無根拠な慣習という意味では,言葉も同じなんですね。彼はまた一歩,慣習の世界へと近づいたわけです。

 3歳になる前に,どうかな,はずれるかな。

オープンキャンパス

 北大では,この日月でオープンキャンパスが開催される。所属の学部も例外ではなく,何かしなければならない。

 日曜,学部のなんちゃら委員であるために駆り出されて,高校生のみなさんを相手に話をしてきた。

 出番はわずか10分程度なのだけど,その間に,心理学とはどんな学問か,教育学部ではどのような心理学の勉強ができるのか,
について話す。

 短い時間でぱっと結果が出るような実験をやろうと,ストループ課題をもっていった。そこそこ受けていたように思う。

 学部生に協力を願い,高校生からの質問に答えてもらった。たまたまなのかどうなのか,教育学部の場合,
男性よりも女性の方がきわめてしっかりしており,質問にもきちんと受け答えしていた。「気丈なお姉さん」であった。

 通りかかった大学院生もむりやり引き込み,仕切りをお願いした。

 経験から思うに,高校生相手のイベントには,教員が出しゃばらない方がうまくいくのである。

 手伝いをしてくれた学生さんに給料は出ない。それではあまりにもひどいので,家からビールと缶酎ハイをもっていったのを渡した。
みな,苦笑いしながら受け取ってくれた。