言語学習研究の理論的課題(3)

社会的関係性の複雑化による幼児のコミュニケーション能力の創発過程

人間は,社会歴史的な関係性の網の目の中に生まれ,そこで育つ独自な存在としてある。われわれは本質的に社会的な存在であり,個々人に固有な現象としての心理は,このことを前提として解明されなければならない(G. H. Mead,Wertsch)。

さて,この基本的姿勢から出発して幼児の言語発達に関する理論をどのように整備できるのか。本論を通して目指されるのは,複雑化していく関係性への適応と働きかけから,幼児の言語,特にコミュニケーション能力(communicative competence)の発達がいかにして創発するかを解明することである。本論が説明しようと念頭に置いている具体的現象には,たとえば,保育園の砂場で友達が遊んでいるところにやってきた幼児がその輪に入れてもらおうと「いーれーて」と言うこと,あるいは同じく保育園で,仲間内のルールに違反した幼児に対して周囲が「あーららこらら」と声を揃えてはやすことが含まれる。このとき,関係性の構築と確認にあたって,幼児がある発話スタイルを選択することをどのように説明できるか。この問いに答え,言語発達の地平から統一的に理解するのが本論の目的である。

身体の成長や社会文化的制度によって,幼児を取り巻く関係性は複雑化するはずである。そこには二つのレベルでの複雑化,すなわち空間的広がりと歴史的蓄積があるだろう。たとえば自転車乗りが可能になれば,移動の範囲は拡張し,出会う可能性のある他者の数は増える。また,制度的に学年が上がってクラスのメンバーが一新されれば,担任教師や同級生の数は蓄積される。幼児にとっておそらく最も大きな関係性の再編成は,家庭から保育・教育組織への移行において生起する。伊藤・茂呂(印刷中)は,このような生活の場の移行過程にともない,教師や同級生など新たに出会う他者と関係性を結ぶ中で,幼児が,その関係性に適切な話し方を探索し利用し始める概略を論じた[研究1]。

 たとえばアメリカのある小学1年生のクラスでは,日課として生徒が一人前に立って,あるテーマに沿ってスピーチをする(シェアリング・タイムと呼ばれる)。このときに生徒が話す韻律は,日常会話にはほとんど見られない,語尾を上げながら伸ばすスタイルであり(Michaels,1981),似たような韻律型は日本の教室でも宮崎(1996)が見出している。こうした音声面での分化すなわちバリエーションの増加は,学校教室という場や,集団の前で話すという活動と密接に結びついた発達の局面と言えよう。

 ここから示唆されるのは,発話の複雑さが,関係性の複雑化に応じる形で深まっていく方向での変化である。しかしその一方で,このように複雑化した発話機能を内面化した子どもが,能動的に関係性を変化させていく方向性もあるだろう。先の例で言えば,適切な韻律型を用いることは,自己を社会的に「良いスピーカー」として認識させる道具とも言えるし,また,相対する他者と自己との関係を切り分ける表現の媒体でもあるはずだ。このように行為主体として関係性を改変しようと意図し,その道具として発話を駆使する能力も想定できる[研究2として詳説の予定]。ここから,常に一方が他方の原因だ,というのではなく,両者は変化の単位として相互作用的に運動すると仮定できる。

 ここまでの仮説から問題を具体化すると次のようになる。(1)幼児の関係性とそのコミュニケーション能力は相互に影響しあいながら運動する発達の単位だと仮定すると,その運動の具体的な展開と可能性のある振幅はいかなるものか。(2)関係性の複雑化を固定させて見た場合,それにより現れる新たなコミュニケーション・スタイルのバリエーションには具体的にどのようなものが挙げられるか。また,そのコミュニケーション・スタイルに幼児はどのようにして適応し,学習するのか。(3)一方で,コミュニケーション能力の複雑化を固定させて見た場合,それによって創発する新しい関係の在り方とは何か。新しい関係の取り方を,幼児は発話を道具的に用いることでいかにして発展させ,自らの能力として内化させていくのか。※

本論は,(2)に関して,教育組織に特有な多人数による同時的な発声,ここでは「一斉発話」を代表させる。また(3)に関して,他者の発話の「引用」という,言語を媒介とした関係性の在り方に着目し,それが可能となる条件を具体的に明らかにする。(2)(3)の検討を通して,(1)を解明していく。

※筆者メモ:新しい関係性の候補として,発話の引用によって現前する他者とともに歴史的な他者と関係する在り方があるかもしれない。理論的には,対話性(バフチン)を帯びた発話として準備できるか。心理学的には,内的に他者との関係を媒介する心理的道具として内言,内的発話が考えられる。言語学的・文学的には,パロディ,ジョイスやラブレーがある。これらがすべて,複雑化する発話の機能やコミュニケーション能力が準備するものだとすれば,機能と能力の解明がまずすべき仕事としてあり,その後でそれらが関係性と絡む過程を記述できれば御の字。

「言語学習研究の理論的課題(3)」への1件のフィードバック

  1. 伊藤先生、こんにちは。
    記事の内容に全く関係のないコメントで申し訳ありません。
    2年前に先生のご指導のもと卒論を書いた、現在大学院生のSです。
    偶然先生のHPにたどりつき、コメントさせていただきました。
    先生がお元気そうでなによりです。
    現在修論の執筆に追われておりますが、今後学会などにも参加する予定ですので、先生にお会いできる日を楽しみにしております。
    それでは失礼致します。

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