職場の世代交代

 いまや転職など当たり前の時代、一つの職場で世代が交代する機会などごく稀であろう。昨日今日とそういう稀な機会があったので感じるところを書く。

 私が奉職している学部の教授お二方が今月で定年を迎えられ、めでたく退官されていく。昨日はそれをお祝いする会が教員親睦会主催で開かれ、本日はお二方合同の最終講義が催された。

 「昭和50年にこの学部に来て云々」とおっしゃっておられたが、私はその年生まれである。そのことを直接申し上げることはしなかった。そんなことは私が言わずとも、もう十分、世代は交代するという事実に戸惑って来られたことと思う。それでもなお、旧世代に属されようがなんだろうが、ご自分で出来うるお仕事をまっとうされ、最後の数年間のお勤めを果たされたのだろう。実に清々しいお顔であった。

 もちろん、自分が古い世代に入るという出来事は誰の身にも起こることである。これを書いている私もそのうち古い人間と呼ばれるわけだ。そんなことは当たり前である。

 そんなときに、無理に新しい世代に合わせようとすることを、新しい世代に属する、少なくとも私は、旧世代の方々には求めていない。時折、新しい世代のことをなんとかご理解なさろうとする御仁、さらにはその表面的な装飾や言説をご自分の身に纏おうとなさる御仁もおられる。あるいはまた、理解できないことに腹を立て、あいつら若い世代はとただ怒ることしかなさらない御仁もおられる。しかし私は、旧い世代の方々にそんなことはしていただきたくはない。

 言い方が正しいのかどうか分からないが、なんらかの「高み」を体現していていただきたいのである。高みとは、私には到底到達しえない場所である。それこそ、「三丁目の夕日」ではないが、その時代、その場所を共有していた世代でないと絶対に理解し得ない何かというものがあるのなら、それは新しい世代には絶対に知り得ないものなのである。それを黙って見せていただければそれでよいのである。媚びていただく必要も、叱っていただく必要もない。

 30年の間、一つ所で多くの学生を世に送り出してこられた先輩に、新しい世代に属する私から何か申し上げることなど、たとえば「長年お疲れ様でした云々」などという表現はとてもではないが畏れ多い。世代の交代に際しては、「どうだ」「分かりました」「うむ」と言うだけのやりとりこそがふさわしいのだろう。そこに至るまでにすべてがあるのである。そうしたやりとりが成立するような関係を築くことは、実は教育というものの到達する一つの極だと思う。

 そしてかく言う私もある世代からすればすでに旧世代なのである。私の一挙手一投足が新しい世代にしてみれば学ぶべき何かなのだ。

 分かりました。かな。

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