カルメン故郷に帰る

 週末に有給をつけて茨城へ帰省した。アマネにとっては初めての茨城である。

 往きはANAで。搭乗受付カウンターで「赤ちゃん連れですが、都合のいい座席を取ってください」と伝えると、「ベビーベッドをお使いになりますか」とのこと。どのようなものか知らないが、とりあえず「はい」と言ってみる。
 座席は、機内映像が映し出されるスクリーンのある壁のちょうど前だった。壁には穴が3カ所空いている。離陸後しばらくすると、フライトアテンダントがやってきて、鉄のフレームに布のはられたかごのようなものを持ってきた。フレームの端を壁の3カ所の穴に差し込んだ。これがベビーベッドなのだそうな。確かに、飲み物を飲むときなど、このかごの中に赤ちゃんを入れておくとだいぶ楽である。

 羽田に到着、実家の父母が車で迎えに来てくれていた。アマネは会う早々大泣きである。ひとみしりが激しい。父母はあまりアマネに顔を合わせないようにしていた。さいわいチャイルドシートのなかでは大人しくしていてくれていた。

 実家には妹夫婦とその子ども(1歳)が来ていた。この子はとにかく走り回り、興味のあるものを手当たり次第触りまくる。夕食は大騒ぎしながら食べた。

 2日目、午前中にアマネをだっこして近所を散歩。目の前の丘を登ったところにあるご先祖様の墓にアマネの顔を見せ、手を合わせる。盆にも彼岸にも来ることができなかったので。
 午後から、妹夫婦とともに、老人ホームに入っている祖父にアマネを見せに行く。だいぶ耳は遠いのだが、それでも受け答えはしっかりしていた。

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 3日目、妻が、筑波時代からながらく懇意にしていただいている美容師さんのところへ、調髪してもらいに行く。ついでにアマネも髪を切ってもらう。生まれたときのまま、ボサボサだったのだ。美容師さんの顔を見て大泣きしながら、顔をぶんぶんとふりながら、ようやく切ってもらう。

  4日目、妻は長崎の実家へ、ぼくは仕事があるので札幌へ。昨年11月のように、また1か月半ほど単身赴任生活である。ふたたび父母に羽田に送ってもらう。アマネも二人にはもうすっかり慣れ、昼食を食べるときにはだっこをされても騒がなくなった。よかった。

 自分の将来のことはさっぱり分からないものの、できれば生まれ育ったこの地で最期を迎えたい。たいした家でもないが、とりあえず代々引き継いできたものもある。アマネは八代目にあたるらしい。君がどう思うかは分からないし、反抗してどこかに行ってしまうかもしれないけど、ここは確かに君の根っこの1つなのだよ。覚えておきなさい。

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 札幌に戻ると、道路の雪はほとんど融けてなくなっていた。

があがあ

 週末から帰省、それから帰ってすぐに京都へ出張するため、片づけなければならないことをがあがあとかたす。

 某学会のなんちゃら委員というのをやっているのだが、そのなんちゃらに書いていただく原稿を、ちょっとした方に依頼してみる(なんと歯がゆい文だろう)。面識はあるし、会えばごあいさつしていただけるし、いっしょに食事をしたこともあるのだが、メールを送るのに勇気が要った。どう返事が来るか。

 午後から会議、じっと我慢の子であった。窓の外の晴れたり曇ったり雪降ったりして顔色が変わっていくのを眺めていた。

 会議後、依頼していた校正がBさん(ハンドルをさらにイニシャルにしてもなあ)より届く。昨日はKさんからも届いた。急がせてしまい、本当にすいませんでした。C先生に校正を渡し、任務完了。

 9時に帰宅、アマネをあやしていたら10時に。ぽそぽそとメシを食う。

 さあ、明日から骨休めである。があがあ。