068-ピーター・ゴドフリー=スミス『タコの心身問題』(みすず書房)

ピーター・ゴドフリー=スミス 夏目大(訳) (2018). タコの心身問題:頭足類から考える意識の起源 みすず書房

タコの心身問題――頭足類から考える意識の起源

積ん読消化運動第2弾。原題は”Other minds”。「もう一つのこころ」とは,表紙に鎮座する (エルンスト・ヘッケルの図録から採用された) タコに代表される頭足類のこころのことである。

著者ゴドフリー=スミスはダイビングも行う哲学者である。その著者がオーストラリアの海で出会った頭足類(タコやジャイアント・カトルフィッシュ)の生態をじっくりと眺め,そこに「こころ」を見いだした。

神経系がこころの機能と深い関係にあることは間違いない。神経系を構成する神経細胞(ニューロン)の規模は,こころの働きを規定する,とは言わないまでも,それを制約すると考えることは誤りではないだろう。

そうしてみると,タコのニューロンの数は約5億個なのだそうだ(p.59)。人間の1000億個にははるかに及ばないものの,イヌと同じ程度らしい。

人間を含む脊椎動物のニューロンは脳という部位に集中する。しかし,タコは違う。

タコの場合,脳は独立した存在というよりも,「脳を含めた神経系全体」が一つになっている。タコはどこからどこまでが脳なのかがそもそもはっきりしない。ニューロンが密集している箇所が身体のあちこちにあるからだ。タコは身体中が神経系で満たされていると言ってもいい。タコの身体は脳や神経系にただ制御されるものではなく,脳や神経系と完全に対置させられるものではない。

p.92

むき出しになり,それ自体が動く脳=身体。身体の表面そのものが外界を知覚し,知覚されたことがそのまま身体に表示される。そのような出来事として,タコの驚くべき擬態能力が理解されるのだろう。

067-石川晋『学校とゆるやかに伴走するということ』(フェミックス)

学校とゆるやかに伴走するということ

石川先生のことはこのブログでも何度か書いてきた。小学校での教室談話を新たな研究テーマとするに際して右も左も分からないとき,帯広のセミナーにうかがってお話をしていただいたのが石川先生だった。エントリーを確認してみたら,2009年のことだった。

教師力Brush-upセミナー

爾来10年,ご著書をお送りいただいたり,北大にお越しいただいたり(この11月にも来ていただけることとなった),たいへんお世話になっている。

10年の間に学校に対する私の客観的な立ち位置も変わってしまった。どういうわけだか,私のような者が,とある小学校の校内研修の「助言者」となった。教室の様子を知らないのでぜひ教えてくださいと言って参観していたのだけれども,こうした方がよいのではないですかと言う立場になってしまったのである。

校内研修という活動がどのようなものか,それは『学校とゆるやかに伴走するということ』の「『評論家』のいない授業検討会をつくる」(pp.81-86)に書いてある。

同様の役目に就いたことのある他の方はどうかは存じ上げないのだが,少なくとも私は,「助言者」という役割は正直に言えば荷が重い。私の話を聞くよりも,授業の様子を撮影したビデオをもう一度見直した方が,授業者にとっては何倍も気づくことがあるだろうと思う。授業がうまくいったかどうかを知るには,なにより,子どもの様子を見ればいいに決まっている。

期待されたことには精一杯応えたいのも確かだ。すると不思議なことに,かつては授業というコミュニケーションを批判的に見ていたものが,「先生ガンバレ」という視点に変わってしまうのである。つまり,授業に参加する子どもの視点をいつの間にか忘れてしまう。これではまずい。

石川先生が北海道の学校を辞めてから全国の学校に入って試みていることに,まずは驚く。「砂に水をまくような仕事」という表現が本書には出てくるが,おそらく,石川先生がどこかの学校に入って次の日から劇的に何かが変わりましたなんていうことはないだろう。

石川先生の授業を何度か受けたことがある(模擬的な授業だけれども)。そのときにいつも感じるのは,教室の中の人々が目の前にして共有する「教材」に対し敬意を払い,そのものの「価値」を丁寧に考えていきましょう,という先生の態度である。この態度をとると,学習者はもちろん,授業者も「教材」の背後に退くこととなる。

たぶん,学校を訪問される際も同じような感じなのではないか。その学校の価値,そこで働く先生ひとりひとりの価値,学校に通う子どもひとりひとりの価値とは何か。それを外から値踏みするのではなく,あくまでも自身が見いだす,その過程を伴走すること。

授業の助言ってなんなんだろうと悶々とする人と一緒に読みたい一冊。

【学会】日本教育心理学会第61回総会に参加します

2019年9月14日~16日の日程で日本大学にて開催される日本教育心理学会第61回総会にて下記のシンポジウムを国立教育政策研究所の山森光陽先生と企画いたしました。 話題提供も担当します。

9月15日(日) 16:00~18:00 3号館3階 3303
JF03 生体情報を用いた教授学習研究の可能性
企画・司会 山森光陽( 国立教育政策研究所 )
企画 伊藤 崇( 北海道大学 )
話題提供 長野祐一郎( 文京学院大学 )
話題提供 神長伸幸( ミイダス株式会社 )
指定討論 河野麻沙美( 上越教育大学大学院 )
指定討論 楠見 孝( 京都大学 )
指定討論 有馬道久( 香川大学 )

貴重な企画だと思いますのでご関心のある方もない方も足を運んでいただけましたら幸いです。

【出版】勤務校の先生方との共著が出ます

まだ書店には並んでいないようなのですが,執筆者一同に送られてきましたので告知します。

私の勤務する北海道大学教育学部の創立70周年の記念事業として以下の本が出版されました。

北海道大学教育学部・宮﨑隆志・松本伊智朗・白水浩信(編) (2019). ともに生きるための教育学へのレッスン40:明日を切り拓く教養 明石書店

私はその中の1章として「社会化」をテーマに短い文章を書きました。

伊藤崇 (2019). 子どもは大人を社会化するか 北海道大学教育学部・宮﨑隆志・松本伊智朗・白水浩信(編) ともに生きるための教育学へのレッスン40:明日を切り拓く教養 明石書店 pp.80-83.

お手にとっていただければ幸いです。

湖と海

子どもたちの学校は夏休みに入ったものの私はなかなか休みがとれない。

どこにも行かないのはアレなので,日曜日は家族で支笏湖へ。湖水の中が見られる遊覧船に乗っていっときの涼を得る。子どもたちはソフトクリームを食べたり,釣りをしたり。釣った魚は持ち帰って唐揚げにして食べた。

火曜水曜は香川県の小豆島に。調査などでお世話になっているとある小学校の先生方が合宿をするというので参加させてもらった。校内で研修をすればすむところ,わざわざ時間を作って,フェリーで移動して小豆島に来て活動するというところがユニークである。その魅力にさそわれて合宿に来るのも3回目となった。

今年はいつになく先生方が「まじめにバカをやる」ことに正面から取り組んでいた。子どもの気持ちを知るには大人だって遊ぶことが大切だと常々考えていた者からすると非常に気持ちがよい。

あるグループは「海賊王になる」と息巻いて砂浜からボートをこいで沖の無人島に行った。かれらの手には「宝物」があった。

066-小林標『ラテン語の世界』(中公新書)

小林標 (2006) ラテン語の世界:ローマが残した無限の遺産 中央公論社

ラテン語の世界―ローマが残した無限の遺産 (中公新書)

積ん読を消化すべく,仕事への行き帰りなどで少しずつ読み進めていた一冊。ページをめくる手がなかなか進まなかったのだが,ようやく読了。

ラテン語はすでに話す人の絶えた死語である,という認識が大きく変わる。

ラテン語に由来する語を,フランス語やイタリア語,スペイン語はもちろんのこと,英語の中から見つけることはたやすい。言い換えると,世界の多くの人々はラテン語の恩恵をいまなお享受して言葉を使っているということだ。

そうしたラテン語を実用のための言語として学ぶのに,日本語話者は向いている,というのが著者の評。なぜならラテン語では母音の長短の区別が音韻論的な価値をもっているからである。こうした特徴はヨーロッパの多くの言語には見られないものである。

levisという綴りは,母音の長短を考慮に入れると4通りの発音が可能である。そして,この場合,その四つの発音が意味を区別してしまうのである。
 短短(レウィス)「軽い」単数主格
 短長(レウィース)「軽い」複数対格
 長短(レーウィス)「なめらかな」単数主格
 長長(レーウィース)「なめらかな」複数対格

p.84

「おおおばさん」「いりえへいく」のように,母音を重ねることに慣れた耳をもつ日本人には難なく聞き取ったり話したりすることができるだろう。

さらに,アクセントも強弱ではなく高低アクセントだったのではないか,と著者は推測する。実際に,ラテン語のラジオ放送Nuntii Latini(なぜかフィンランドのラジオ局が制作している)を聞いてみると,のっぺりとした音調がなんだか日本語に近いような気がする。

本書はラテン語初学者のための入門書というよりも,ラテン語を学ぶ上で必要な地理的,歴史的,文化的背景の入門書として書かれている。著者もラテン語文学を専門としているようだ。言語としてのラテン語の説明は必要最低限に抑えられているが,文中や巻末に言語学的な入門書・専門書が挙げられているのでそちらを参照すればよいのだろう。

【学会】日本質的心理学会第16回大会に参加します

明治学院大学にて開催される日本質的心理学会第16回大会に下記の通り参加します。

9月21日(土) 10:00-12:00 2号館 2202教室
関係を紡ぐ言葉の力/言葉を紡ぐ関係の力:「言葉する人 (Languager) の視点から心理療法・教育・学習を横断的に捉えなおす
企画・司会:青山征彦(成城大学社会イノベーション学部)・石田喜美(横浜国立大学教育学部)
話題提供:松嶋秀明(滋賀県立大学人間文化学部)・加藤浩平(東京学芸大学教育学部)・松井かおり(朝日大学保健医療学部)
指定討論:伊藤 崇(北海道大学大学院教育学研究院)

私,この学会の会員ではないのですが,いろいろとかかわらせていただく機会が多くなっている気がします。

それにしても,Languagerという視点は面白いですね。おそらく,『鏡の国のアリス』に登場するハンプティ・ダンプティはLanguagerのひとりでしょう。

‘When I use a word,’ Humpty Dumpty said, in rather a scornful tone, ‘it means just what I choose it to mean — neither more nor less.’
‘The question is,’ said Alice, ‘whether you can make words mean so many different things.’
‘The question is,’ said Humpty Dumpty, ‘which is to be master — that’s all.’
Alice was too much puzzled to say anything; so after a minute Humpty Dumpty began again. ‘They’ve a temper, some of them — particularly verbs: they’re the proudest — adjectives you can do anything with, but not verbs — however, I can manage the whole lot of them! Impenetrability! That’s what I say!’
‘Would you tell me please,’ said Alice, ‘what that means?’
‘Now you talk like a reasonable child,’ said Humpty Dumpty, looking very much pleased. ‘I meant by “impenetrability” that we’ve had enough of that subject, and it would be just as well if you’d mention what you mean to do next, as I suppose you don’t mean to stop here all the rest of your life.’
‘That’s a great deal to make one word mean,’ Alice said in a thoughtful tone.
‘When I make a word do a lot of work like that,’ said Humpty Dumpty, ‘I always pay it extra.’

Through the Looking Glass, by Lewis Carroll

晴れやかな日々

北海道は一年でもっとも爽快な季節を迎えています。

この2~3年,このブログの執筆を控えておりました。というのも,翻訳と著書の執筆という「仕事」を抱えたまま手放せずにずっとおり,それが終わるまでは,と労力を割かずにいたからです。依頼をしてくださった方も,ブログを書くヒマがあったらこっちを,という気持ちになるでしょうから,なかなか書けずにいたのです。

そのうち1冊はすでにひつじ書房より「子どもの発達とことば」と題されて発行されました。ただ,売れ行きが覚束ないらしく,それもこれも我が身の浅学菲才をただただ恥じ入るばかりです。ともあれ人生初の単著ですからなんとか売れて欲しい。

年末から正月にかけては翻訳にかかりきりでした。最近,パフォーマンスをキーワードとして心理学の刷新を図ろうとする動きがあらわれているのですが,その一翼を担おうかという本です。これも5年前くらいからぼちぼちと訳していたのですが,訳しませんかとお誘いいただいた先生よりハッパをかけられ,実家に帰省したタイミングで家の片隅に引っ込み(子どもの世話を家人に託し)訳していました。それも3月頃,出版社に送ることができ,ただいま訳のチェックをしていただいているところ。

そして,3年前からずっとかかりきりになっていた2冊目の単著を,つい先日,とりあえず頭からおしりまで埋めて,編集担当の先生にお送りしました。現在閲読をいただいているところです。新学期が始まってからというもの,平日休日問わず,午前中はスタバでパソコンを広げ,午後は「書けない!」と叫んでビールを飲んで寝るという生活を送っていましたが,それももう終わりました(実際にはまだ終わっていないのですが)。

こんなに晴れやかな気分はほんとうに久しぶりで,文献やら資料やらが山のように積み重なり魔窟のようになっていた研究室を,ようやっと掃除し終えました。ここで冒頭に戻りますが,季節の爽快感と相まって,いま本当に人生の幸福をかみしめています。

〆切のない人生とはかくもありがたいことか。

それもこれも,とにかく構想ばかり大風呂敷で,そのくせ力量の伴わないことにばかり足をつっこみ,しかも妙な完璧主義もあり,要は遅筆の質が悪さをしているのです。「気楽に書けばいいんです」というアドバイスもいただくのですが,そういう質の人にはかえって「気楽とは何か」を考えさせる悪循環のきっかけにしかならず,まあどうしようもない。

結果的に,白い原稿用紙は残されたまま,ストレスばかりがたまり,酒量は増え,3年前から7キロの体重増となりました。まあ痩せるよりは健康的だろうとよくわからない言い訳をして開き直っています。

4月からは新たなプロジェクトがいくつも立ち上がり,お陰様で年相応に忙しくしております。秋からはサバティカルとかいうやつで,研究だけに専念できるわけです。ちょうどよいタイミングで,これからの1~2年はアウトプットではなくインプットに集中することができます。

まずは(誇張ではなく)300冊近くにふくれあがった積ん読をやっつけ,たまったビデオデータをやっつけ,そして,プロジェクトを方向づけられるようにがんばって参る所存です。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

【学会】日本発達心理学会第30回大会に参加します

2019年3月17日~19日の日程で早稲田大学戸山キャンパスで開催される日本発達心理学会第30回大会にて,下記のシンポジウムに参加します。

BS1 3月17日(日) 15:00-17:00 34号館453
日本発達心理学会企画シンポジウム
デジタルが変える子どもと高齢者の世界:認知・社会性の発達から社会的ネットワークまで

企画:日本発達心理学会編集委員会
司会:坂田陽子(愛知淑徳大学)
司会:島田英昭(信州大学)
司会:久保南海子(愛知淑徳大学)
話題提供:片山敏郎(新潟市立新潟小学校)
話題提供:中島寿宏(北海道教育大学)
話題提供:伊藤崇(北海道大学)
話題提供:日下菜穂子(同志社女子大学)
指定討論:楠見孝(京都大学)

【イベント】シンポジウムに参加します

下記のシンポジウムにて指定討論を仰せつかりました。

心理科学研究会北海道地区・日本発達心理学会北海道地区懇話会・北海道大学子ども発達臨床研究センター 合同企画シンポジウム

縮小する社会のなかで発達をどう捉えるか
-ジャネ・ワロンの発達理論を手がかりとして-

日時:2019年2月23日(土)15時-17時
会場:北海道大学 子ども発達臨床研究センター3階 C302
企画:及川智博(北海道大学大学院教育学院D3/日本学術振興会)・加藤弘通(北海道大学大学院教育学研究院)
話題提供:間宮正幸(北海道大学名誉教授/共育の森学園理事長)
指定討論:伊藤 崇(北海道大学大学院教育学研究院)・石岡丈昇(北海道大学大学院教育学研究院)

●参加方法

参加費用:無料

参加方法:資料や会場の関係から,事前の参加登録をお願いしております。下記URLより参加申し込みをお願いします。

申し込みURL:https://goo.gl/forms/iMEdOfHOGLiLn8Qf1