今年もさくらんぼ

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 南区の篠原果樹園が今年もオープンしたというので行ってきました。もちろん、さくらんぼ狩りにです。

 6月の北海道は曇り空が多かったため、いつもの年よりもさくらんぼの色づきが遅れているそうです。

 最近では珍しい晴天のなか、大人800円払って入場します。斜面に立つ木には薄紅色の実がざわざわとぶらさがっていました。でも確かに白っぽい部分の残った実も多いですね。

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 斜面の隅に植えられたいちごは今年も健在。地面を見たり、上の枝を見たり、忙しいです。

 味の方ですが、確かにまだ酸っぱい木が多いようですが、品種によってはちょうどいい甘さのものも。全体として、あと1週間したら食べ頃かもしれません。

 山の方に向けて開いている、かご型の罠を発見。アマネが「これなに?」と聞くので、「タヌキでもでるのかな」と答えておきましたが、果樹園の方に聞いてみるとアライグマだそうです。外来種のため、捕まえたらその場で薬殺するとのこと。

 1時間ほど滞在して、腹一杯食べました。持ち帰りはなし。

【PMF】7月4日(土)

 4日午前に芸術の森アートホールにて札幌交響楽団とPMFオーケストラメンバーによるリハーサル。
次の日にKitaraで開かれるウェルカム・コンサートのリハ。

 本番の演目は、最新パンフによれば、メンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」、モーツァルトの
「フルートとハープのための協奏曲ハ長調」、リヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」。

 10時45分から午前のリハ開始と事前の案内があったので、アートホールに10分前に到着。練習室にはすでに奏者が集まっていた。
弦が65人、木管が16人、金管が19人、ハープが2人、パーカスが5人の計107名。大所帯だ。まだ指揮者は入室していないように見える
(2階席なので、真下にある1階入り口付近の様子は見えない)。個々人がめいめい音を出す。自席に着いている人もいれば、
荷物置き場で音を出す人も。チューニングではない。みなラフな格好。

 コンマスは男性、白い細身の半袖シャツにジーンズ。若い。後で気づいたが、彼だけイスの種類が他の人とは異なる。
他は折りたたみイス、彼はピアノを弾く時に座るようなイス。

 45分になり、長身の男性が指揮台の脇に立ち、奏者たちの方を見ながら手を挙げ、かれらが音を出すのを止める。
「2コマ目の途中で終わります」「フィンガルが」後から気づいたが、彼はバスクラの奏者だった。その日本語での説明の後、
ワイシャツを来た男性が英語で同じ内容を説明。今日の予定を全体に対して説明する機会はこれだけだった。

 47分、指揮者の尾高忠明氏入室。黒いTシャツに黒いパンツ、黒いスニーカー。指揮台に置かれたイスに腰を置き、
「おはようございまーす」。指揮棒を右手に持ち、30度ほど腕を持ち上げ、そのまま振り上げるとすぐさま演奏に入った。
指揮者からは何の説明もない。

 曲目は「英雄の生涯」。40分以上ある曲だが、そのまま最後まで通して演奏。その間、演奏していない奏者たちは退屈そうにしている。
たとえば出番がない時は、腕や足を組み、目をつぶっている人もいる。パーカスはほとんど出番なしのためずっと座って腕を組みっぱなし。
文庫本(?)を読んでいる人も。

 トランペット3人、演奏の途中で席を立ち、後列に置かれた3つのイスに座り直す。何だろうと思っていると、
そこでファンファーレを鳴らした。指揮者はその3人に対して左手で何か合図。元の席にもどれということだろう。

 終了。指揮者、各パートごとに指示を出す。英語で。パートが日本人だけで編成されている場合は日本語で指示。
英語でも日本語でも擬音ばかり。「ティヤーッタッタッタ」「ティヤーティヤー」「ヤカタカタカタカ」「ポンポンポン」「ヤーラリラリ」
「タリラリラリラリラリ」

 譜面のどの個所を吹くのか、ピッコロ間違える。頭を下げ、左手をひょこっと上げる。チューバへの指示の出し方。「もう少し遠くで」。
吹き込む息の量が少なすぎ、音が出ず。「遠すぎです」。

 11時45分、指揮者が15分休憩の指示。建物の外に出てタバコを吸う者、コーヒーを飲む者、本を読む者、音を出す者、話す者。

 11時58分、尾高氏入室。Tシャツが変わっている。汗をかくから?それでもやはり黒。

 「英雄の生涯」の続き。パーカス、座っている席の後ろにあるゴングを鳴らしてしまう。
真正面に座っているトランペットパートの年配の男性、両手を顔の脇に置いて前後に揺らす。スネアの男性(ゴングを鳴らしたのではない人)、
両手を頭の上で合わせる。指揮者に謝っているふう。

 バリトンオーボエの奏者に、指揮者が「○○さん、□□からもう少し大きくできる?できないなら…」。バリトンオーボエ、
「やってみます」。はじめて双方の発話をともなうインタラクションが見られた。これ以外にインタラクションはなかった。たとえば、
セカンドバイオリンの席に座る女性に、指揮者から細かな注文が頻出。例としては曲想について。「老人が天国に行く際の平安を」とかなんとか。
女性はただだまって聞くだけ。練習終了後、隣のセカンドバイオリンの女性と楽譜を見ながら話し合う。

 12時30分、尾高氏がメンバーに「2時に戻ってきてくれ」と英語で言い、午前の練習終了。

 13時からの野外ステージで開かれる開会式を見る。ファンファーレ、市長挨拶、エッシェンバッハ挨拶など。
ウィーンフィルから来た奏者によるモーツァルト「クラリネット五重奏曲イ長調」。そこで立ち、再びアートホールへ。

 14時からのリハーサルはすでに始まっていた。メンバーが減っている。日本人のみ。曲目の違いによる?弦40、木管8、金管4、
パーカス2。午後最初の練習曲目は「フィンガルの洞窟」。午前中最初にバスクラの男性が話していた「2コマ目」とは2つ目のこと?
尾高氏のTシャツが替わっていた。また黒。

 「結婚式が遠くに聞こえる」「モルダウと同じで」

 14時30分頃、「ここで休憩していきましょ」と指揮者が告げる。メンバーのうち三分の一くらいが帰り支度をしていなくなる。

 休憩時間中、指揮台の隣にハープが運び込まれる。コンマスのイスが移動。このあたりの作業をするのは、演奏者ではない男性。
ピンク色のTシャツ。移動させたイスに座って見え方の確認(?)。

 14時45分、練習再開。尾高氏のTシャツがまた違う。今日4着目。ハープとフルートはゲスト。それぞれ、クサヴィエ・ドゥ・
メストレ氏とヴォルフガング・シュルツ氏。指揮者がイスに腰掛けながら左手を2人の方へ上げる。メンバーは足を踏みならす。
ハープとフルート、コンマスと握手。次いで指揮者と握手。

 曲目は「フルートとハープのための協奏曲ハ長調」。指揮者による指示はほとんどない。3曲流す。1度、
曲を止めてセカンドバイオリンに対して指示。

 15時15分、3曲が終了。「どうするんだろう」というようにハープがきょろきょろ。フルート、「ヤンタラータラー」ではなく
「タランタラン」だと指揮者に伝える。「同じことをさきほど伝えていました」と指揮者。フルート、コンマスの楽譜を見ながらコンマスと話す。

 メンバーはほぼ全員帰り支度を始めている。今日はもうリハはないのだろうと判断、帰途につく。

【PMF】リハーサルから見るPMF

 Pacific Music Festival、略してPMFが本日開幕します。PMFとはレナード・
バーンスタインが提唱して開催されるようになった、若手音楽家のための教育音楽祭です(公式サイトより)。
今年で20回目の節目を迎えて関連するイベントも企画されているようです。

 札幌に住んでいますと、毎年この時期になると通りのあちこちに音符の描かれた旗がひらめいて気にはなっていましたが、
これまで足を運んだことはありませんでした。今年はできるだけ音楽を聴く機会をつくりたいと思っています。というのも、
9月の学会で音楽教育に関するシンポに出ることになったのですが、そうした分野にはこれまで触れたことがなかったのです。
なんとか何かひとこと言えるようになっておこうと、PMFに参加することにしたのでした。

 参加と言ってもコンサートを聴くだけでは「音楽教育の成果」しか知ることができません。ですので、リハーサルを聞くことにしました。
申し込むと、開催期間中に開かれる芸術の森やKitaraでのリハーサルを見学することができます。
私は開催期間中すべてのリハーサルを自由に観られる通しチケットというのを取りました。15,000円。

 それに加えて、来週末に学校の音楽教育関係者や学生を集めて開かれる音楽教育セミナーというのにも参加することにしました。
私自身は音楽教育に携わっているわけではありませんが、何か糸口がつかめるかもしれないという思いです。

 先日、芸森でのリハーサルを少しだけ見てきました。弦のみの編成で45人。やはり奏者は皆若い。指揮は(おそらく)ルイス・
ビアヴァ。見るといっても、アリーナ席で上から見下ろすような感じです。近づいて話しかけたり楽譜の書き込みを見ることはできません。

 私自身ブラバンでラッパを吹いていたのですが、練習の様子はオケもあまり変わらないというのが今のところの印象。
実際はだいぶ違うのでしょうね。たとえばビアヴァは「タラリタラララ」「パンパンパン」「ターンターン」「シーパパパパ」
と擬音で欲しい音のイメージを伝えます。また、奏者と指揮者とが楽譜をともに見ながら演奏について相談するという場面は、
いまのところコンマスとだけ見られました。オケと指揮者との関係とはそういうものなのでしょうか。

 知りたいのは、このリハーサルがいかにして「教育」の場として成立しているのかということです。
おそらく奏者は何かを学びに来たのであり、指揮者もまた何かを教えようとして来ているのでしょう。
そこがプロとプロのやりとりとの違いだと思われます。では、その関係性はどういう場面において見られるのか。もしかすると、
私のブラバンでの練習の仕方と同じだなと感じたのは、両者共に「教育であること」を前提として組織されているからでしょうか。
よく分かりません。

 ひとまず今日も終日芸術の森にいりびたってリハーサルを見てきます。楽譜が手に入らないかなあ。