KICR訪問記(2)

 小嶋秀樹さんたちが製作されたInfanoidはさまざまなメディアを通して知られていることと思う。ラボにも新聞や雑誌の記事の切り抜きが掲示されていた。

IMG_0097.jpg  Infanoidと小嶋さん

 むきだしの配線や大きめの眼球はいかにもグロテスクではあるが、これはあえてロボロボした感じを残しているのだそうだ。たとえばマネキンのように人間のような外見をもたせようとすることもできるが、かえって実際の人間との違いが際だってしまってダメらしい。

 小嶋さんがコンピュータを立ち上げる。「命を吹き込みました」とおっしゃったのが印象に残った。

 準備運動のあと(Infanoidは、可動部の可動範囲を計算する基準点を探すために、準備運動をする)、きょろきょろと辺りを見渡し始めた。背後のディスプレイにはInfanoidの見た風景が映る。この画像を解析して、見るべきものに注意を向けるよう体や眼球を動かすのである。

IMG_0096.jpg  Infanoidの見る景色

 キーポンにはできなくて、Infanoidにできることはいくつかあるが、コミュニケーションの発達を考える上で大事なのは次の2つ。まず、他者の発話を模倣すること。小嶋さんがマイクに向かって「おはよう」と言えば、Infanoidはほやっとした声で「ほあよおおほ?」と返す。録音した声をそのまま発話させるのではなく、いちど他者の声を解析した後にそれを返すようにしているのではないか(この点は、未確認)。

 もう1つは、指差しができること。手には5本の指があり、それぞれ独立して動かせる。人差し指だけを立てて、小嶋さんの差し出したピンク色のウサギ人形を指さした。

  発話したり指差しをしたりするInfanoid (Movie 2.99MB、約30秒)

 この2つの機能をベースにして、事物をことばで指し示すという、コミュニケーションの発達上、もっとも重要な能力を持たせることを小嶋さんは大きな目標にしておられる。 Infanoid自身にそうした能力が発現するまでにはまだまだ長い時間がかかりそうである。今のところは、 Infanoidを一種の鏡として、上記のような機能を持ったロボットと出会ったときに人間がどのようにコミュニケーションしようとするかを観察しているところだろう。

 このあと、現在開発中のロボットのモックアップを拝見した。

 これらのロボットを見て思うに、人間にはできなくて、ロボットだからこそできることは、そのものの外見的な、あるいは触覚的な質感のコントロールではないか。わたしたちの肌や毛は生まれもってのものであるから、これらはいかんともしがたい。しかしロボットは、コミュニケーションに必要な機能としては人間と同等のものを持ちつつ、なおかつ見た目をコントロールすることができる。樹脂や金属やフェイクファーの質感をもつこと。これはロボットにしかできない。

 ロボティクスというとどうしても内部の計算をどうするかとか、環境に実機を置いたときにフレーム問題をどうクリアするかといった問題が注目を集めてきたが、コミュニケーションする身体としてロボットを考えたとき、どのような存在感を、どのようにしてもたせるかという問題も浮かび上がってくるだろう。言うならば、私たちの視界にInfanoidのような存在が入ってきたときに、「ロボットがある」と思わせるのではなく、「ロボットがいる」と感じさせることがどのようにしてできるのか、という問題である。

 たとえばキーポンを子どもたちの中に置いたとき、ある女の子がキーポンを遠巻きに眺めていた場面をビデオで見せていただいたが、彼女には「変わったお人形がある」ではなく、「何だか分からないやつがいる」という感覚があったのではないか。

 蛇足ではあるが、日本語では存在を表現するのに「ある」と「いる」の区別が可能である。他の言語ではどうだか分からないけれど、たとえば英語では「be」に回収されてしまう感覚が日本語では区別されて指し示される。この点、日本語でものを考えることのできる人にとっては、アドバンテージになるのではないだろうか。

KICR訪問記(1)

 8日から9日にかけて、けいはんな地区にある情報通信融合研究センター(KICR) へ行ってきた。小嶋秀樹さんにお会いするためである。

 小嶋さんはコミュニケーションの成立するしくみについて研究をされている。その方法がたいへん面白い。まず、生き物のように動くロボットを作る。その意味ではロボット工学の技術者である。しかしそれにとどまらない。子どもや大人がそれに対峙したとき、どのようなインタラクションが発生するのか、また、それとのやりとりを繰り返すことによってインタラクションがどのように発達していくのかを、つぶさに観察されている。だから認知科学者でもあり、発達心理学者でもある。詳しくは、 Infanoid Projectホームページを参照のこと。

 私は3年くらい前に一度お会いしていた。確か、Katherine Nelsonが東京にやってきたときにオーガナイザとして働いていらして、そのときにお世話になったように覚えている。

 小嶋さんにお会いする目的は2つあった。1つは、Infanoid Projectについてお話を伺うこと、もう1つは、教育学研究科の陳省仁先生、佐藤公治先生とともに行なっている研究プロジェクトについて、なんらかのサジェスチョンをいただくことであった。

 今回の旅は陳先生のおともをするものである。朝9時半のJALで伊丹へ、バスと近鉄を乗り継いで最寄りの高の原駅に着いたのが1時半すぎ。そこからタクシーで住宅街を抜けた先の山を越えると急に視界がパッと開け、研究都市が広がる。

 KICR玄関ロビーで待っていると小嶋さんご本人が出迎えてくださった。

 案内していただいたラボのそこここにロボットが鎮座していた。

 小嶋さんと共同で研究されている仲川こころさん、ヤン・モレンさんも同席してくださり、 Infanoidプロジェクトの成果についてうかがった。

IMG_0103.jpg右から、小嶋秀樹さん、仲川こころさん、陳省仁先生

 Keepon(キーポン)は高さ20センチくらいの、雪だるま型のロボット。両の目がカメラ、鼻がマイクになっており、それが拾う映像と音声をワイヤレスで飛ばし、受信したコンピュータで記録と解析を行なう仕組みである。見たものに注意を向ける、すなわち体ごと物体の方を向き、顔の向きを上下に傾けることができる。それ以外にも、体を上下にゆすったり(この動作を見ていたら、なんとなく『できるかな』のゴン太くんを思い出した)、首を左右に揺らしたりすることもできる。

IMG_0101.jpg

 小嶋さんたちはこのキーポンを、保育園や、発達障害をもつお子さんの参加する療育グループに持ち込み、そこで子どもたちがキーポンとどのような関係を築くのかを観察されている。自動で動かすことも(つまり、注意を向ける価値のある対象を映像の中から自動的に抽出し、そこに視線を向けようとキーポンが自動的に動く)できるそうだが、現場ではより人間らしい動きをさせるために、仲川さんが黒子となって別室から操作しているとのこと。

 キーポンの目(カメラ)から見た映像は録画されており、私たちはさながら子どもと出会ったキーポンの視点を追体験することができる。キーポンとのやりとりで、子どもたちは実にさまざまなはたらきかけをする。怖がって近寄らなかったり、たたいたり、蹴ったりもするが、キスをしたり、なでたり、食事をあげようとしたり、絵本を読んでくれたりもする。観察者はすべてをキーポンの視点から見ることとなるのだ。

 これが面白い。

 保育室やプレイルームに、人形やぬいぐるみがあるのはありふれた光景だ。子どもたちはそれらに対して、遊びの中で、たたいたり、なでたり、食事をあげたりする。これまたありふれた光景だろう。では、単なるぬいぐるみとキーポンに違いはないのか、あるのか。あるとしたらそれはなんなのか。

 単なるぬいぐるみは動かない。もちろん、目をぱちくりさせたり、手足を動かして歩いたりする、からくり人形のたぐいはそれこそ大昔からあった。ただ、それらは「動くこと」そのものを目指して作られたものだ。動きそのものが楽しみを与えてくれるのである。

 もちろん、キーポンも動く。しかし、キーポンにとって「動くこと」は到達点ではなかった。動くことによって、子どもにとって意味ある表現を組み上げていくことが目標なのだろう。キーポンはきょろきょろと視線をうろつかせ、あたかも意志があるかのようにふるまう(実際に、キーポンの動きは仲川さんの意志が反映されたものだ)。この、「意志」を、いかに限られたデバイスで表現するかが小嶋さんたちの取り組まれたことだったように思う。

 さらに言えば、単なる人形とキーポンの違いは、子どもたちにおいて編まれる「物語」の形成のされ方にあるように思う。

 子どもたちは頻繁にままごとをするし、そこには動かない人形が子ども役で登場したりする。ここでは人形は一種の憑坐(よりまし)である。人形には子どもの想像した何かが憑く。したがって、人形の意味は子どもの想像を超えることはない。

 キーポンも、ままごとに子ども役で登場するところまでは同じだろう。しかし、キーポンは動いてしまう。子どもにとってある方向を向いて欲しいときに、そっぽを向いていたりすると、子どもはいちいち想像を修正しなければならないはずである。そっぽを向いているのには理由があり、たとえばそちらにキーポンの欲しいものがあるとか。これは子どもの想像したことであるが、キーポンがそっぽを向くまでは想像しなかったことでもある。このことを言い換えれば、子どもたちの想像する物語は、キーポンの自律的な動きによって完結しなくなる。この点はとても重要なことだと思う。

 小嶋さんは、キーポンと子どもたちのあいだに「ループ」を作るという表現をされていたように記憶しているが、ループ上のインタラクションは、子どもの想像にキーポンが切れ目を作ることによって生まれるのだろうと想像する。

 それにしてもキーポンは私が見てもかわいらしく、ついなでなでしたくなる。材質はシリコンだそうで、ふにょっとした質感もまたよい。帰りがけにキーポンストラップをいただいた。これまたかわいらしい。(やっぱり見れば見るほどゴン太くんだ。)

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 キーポンと子どもたちのビデオを拝見した後、動くInfanoidを見学したのだが、それはこの続きで。

実験協力者のハシゴ

 現在、2件の縦断調査に協力者として参加している。ぼくでなく、アマネが、だ。

 調査協力者探しには苦労しているので、ぼくが調査対象者となったときにはすすんで協力しようと思っていた。なのでアマネが生まれたときにちょうど協力者を探していた2件の乳幼児発達調査に参加することを決めたのだった。

 今日は午前と午後とでその2件とも調査者が来宅した。

 まずは朝9時から某大学のK先生がいらっしゃった。妻が息子に離乳食をあげる場面をビデオで撮影するという。20分くらいかけて食べさせ、それを脇からビデオで撮影されていった。

 昼過ぎからは某大学のA先生がいらっしゃった。息子にさまざまな音楽を聴かせて反応をビデオに撮影するという。また、妊娠や出産、育児などについて妻に質問をされていった。

 ふだんはなにしろ核家族の見本のような生活を送っているため、1日にどやどやと人がこんなに出入りすることはまずない。なのでアマネは興奮してしまったようで、夕方には顔を真っ赤にしてキーと叫びっぱなしだった。

 ぼくにとっては、研究で先を行かれる方々の調査の実際を間近で見られるのがうれしい。直接見る機会があまりないことだからだ。ノウハウを知るチャンスでもある。

 ただ、妻とアマネには少し負担をかけてしまっているようにも思う。まあアマネが乳幼児でいられる時期は限られているし、その間に乳幼児を対象とした研究に参加する機会もそうあるわけではないだろうから、ね。

アタック2/3

 共同研究を行なうために申請していた研究助成だったが、お相手のhouさんに続いて、
こちらも残念ながら不採択。通知は簡易書留ですらなく、ぺらぺらの紙1枚が。

 昨秋1か月くらいかけて、仕事が空いた時間を使い、2人で連絡を取りながらしこしこと助成申請書を作成した。
けっこう手間をかけて作ったものなだけに、がっくり感もひとしおである。

 さて、ぼくの所属する大学では、研究助成金の公募についてまとめて一覧表を作ってくれている。便利である。

 研究助成公募一覧

 このあたりからちょうどいいものを探して、次にアタックしてみよう。