冬の備え

 天気予報ではここ札幌は明日から雪のようであります。いよいよ冬に備えた準備をしなければなりませんなあ。そうそう、
我が家ではすでにストーブが10月からフル稼働であります。

 去年は冬靴に防水スプレーをかけるくらいで雪対策完了だったのですが、今年はなにしろ夢のマイカーがございますよ。
こいつを冬のあいだ使える状態にするにはいろいろと準備をしておかねばなりません。

 今日は朝から夢のマイカーを買った中古車屋に行ってタイヤの履き替えをしてもらってきました。いっしょに、
冬用のワイパーにも交換です。

 その足でホームセンターへ。ブースターケーブル、牽引ロープ、窓にひっついた雪をかき取る棒っこ、スコップ、手袋、解氷スプレー、
ウォッシャー液、雪に埋まったときにタイヤの下に敷くやつをまとめて買ってきました。後のものはともかく、
最初の2つは夏でも必要ですからね。

 カミさんは自転車を自転車屋に預けてきました。雪が降っているあいだは乗る機会は皆無ですから、春までの預かりサービス(有料)
をしてくれる自転車屋があるんですね。

 さあ来るなら来い。

外食どうしましょう

 先日、近所にあるレストランに親子で行ってきました。「はっぴーママカフェ」というそのお店は、子どもが小さくてゆっくりした食事ができないという親向けに作られています。

※注 はっぴーママカフェは現在閉店しています。2010-01-17追記。

 うちのアマネもそうですが、レストランに行ってもちっともおとなしくしていない、という子どもはいます。もちろん、4~5歳になってもレストランの中を走り回ってるなんてのはどうかと思いますよ。そういう場合は言えば分かってくれますから、きちんと注意すべきだと思う。ただ、言ってもよく分からないくらいの年の子となると、とにかくなだめすかせて座らせ続けなければなりません。ですがそれにも限界があります。

 ちなみに、バイキングなどに行くと、アマネは必ずフリードリンクサーバーをいじりたがります。「チャー」とか言って、コップを持てとせがみ、コーラだのメロンソーダだのが出てくるあのサーバーに連れて行こうとします。ボタンを押すと液体が出てくるところが、水遊びをしている感覚なのでしょう。コーラをやるわけにはいかないので、ウーロン茶を何杯も飲む羽目になります(父親が)。

 まあそんなこんなで、外食に行きたいのだけれど、敬遠せざるをえないという家庭はめずらしくないのではないでしょうか。件のお店は、そういうニーズに合わせる形で現れたものといえましょう。

 店内には広めの遊び場があります。こちらは動き回りたい盛りの子ども向けスペースです。ボールプールとジムが楽しそう。ままごとコーナーもあり、アマネはこちらにご執心でした。このスペースには面倒を見てくれる方(保育士のようですが)が常駐しており、いっしょに遊んでくれたりもします。ちなみに、ハイハイする乳児向けのスペースは、授乳スペースと並んで奥に別にあります。

 はっぴーママカフェでは、お誕生月の子ども向けにバースデーコースを用意してくれています。この日はそれを予約して来ていたのでした。コースは、サラダ、スープ、ローストビーフ、ステーキとローストチキン、ピラフと進みます。いっぺんに料理が出てこない形式は、うちの場合かなりハードルが高い。待てないから。

 アマネは親が料理を食べている間、お腹が減っていなかったのか、はたまた遊びが楽しいのか、ずうっとキッズスペースで走り回っていました。お互いすぐ目の届くところにいるので、安心です。

 コースも終盤、いよいよバースデーケーキのご登場。遊びをやめないアマネの耳元で「ケーキ食べる?」とささやくと、目の色を変えてきょろきょろとあたりを見渡し、ちょうどスタッフが運んできたケーキを見つけるといちもくさん。最後は記念撮影までついていました。

 たとえばベビーシッターが日常的なアメリカのような国なら、外食するならば子どもを見ていてもらうという選択肢がありうるわけですし、日本でも親子三代での同居が可能ならば同様でしょう。このようなお店が成立するには、相応の社会経済的な背景があるのでしょうし、札幌にそれがあるというのも何かを示しているような気がします。

液晶越しのご対面

 夕方5時頃に鳴ったケータイの電話は妻からのものだった。

「今からSTV出るから!テレビ見て!」

 はあ?研究室にいるんだから、テレビはないよ。

「ケータイのワンセグでいいでしょ、じゃ!」

 ああ、そうか。

 STVの夕方情報番組「どさんこワイド」には、絵に描いたものが何かを当てれば数万円もらえるというコーナーがある。
参加者は札幌駅南口をうろうろしている人で、当てるのは電話の向こうの知り合いである。

 一度見たことがあって、そのときの絵のお題は「土(つち)」だった。同じくこのコーナーを見たことのある院生に話を聞いたところ、
そのときのテーマは「虫さされ」だったという。この手のコーナーにしては難しい。

 先ほどのケータイは、そのコーナーに妻が参加者の一人として出るという連絡だったのである。

 この日集まったのは妻含め14人。絵を描くのはこのうち抽選で選ばれた1人のみである。そして選ばれたのは妻だった。
ケータイの画面の遠くから見た顔が2つ(もう一つはアマネである)のしのしと歩いてくるのを見たときは笑ってしまった。
絵を当てるのはぼくの知らない方。ママ友のさらにママ友らしい。

 制限時間は1分間。できたのは謎の一幅の絵。なんだろう?ケータイの画面を見ながら真剣に考えてしまった。

 答えは「きもだめし」だった。

 残念ながら賞金はもらえず。参加賞はまもなく関東に引っ越すというママ友の一人に差し上げたそうである。

 アマネの顔がテレビに写っただけでよしとしよう(親バカ三太郎である)。

ちんちん

 ブーブーを買ってはや1週間、これまで遠い遠いと感じていた市内のあちらこちらが突然近く感じられるようになった。
サッポロビール園のすぐ隣に大型ショッピングセンターができたので1度行ったことがあった。
そのときは電車とバスを乗り継いでようやっとたどり着いたのである。午前中から「行くぞ」と決心を固めなければならなかった。

 それがどうだろう。午後3時くらいに「ちょいと行ってみようか」と気軽にブーブーに乗り込み、
ものの30分ほどでショッピングセンターに到着。たくさんの買い物をしても、
ビニール袋を両手にひっかけてアマネを抱えながら地下鉄駅の階段を上り下りする必要もない。ブーブーのうしろにポイと放り込むだけである。

 ビバブーブー。

 ところで、タイトルのちんちんとは、あのちんちんである。最近のアマネは自分のちんちんがお気に入りで、
しじゅうおむつの中に手を突っ込んでもぞもぞやっている。もぞもぞ触るだけならまだしも、
ときおりそれがおむつの中から顔を出していることがある。そんなときに「ちー」とやられると床が大変なことになるわけである。

 トイレットトレーニングもいよいよである。

ブーブー

 ブーブーを買いましたよ。家族用と、アマネ用と。

 家族用は、ホンダのキャパ。下取りされた中古車をディーラーから諸経費もろもろ込みで62万円で。
今のところは快適に街の中を走っています。

 アマネ用は、おもちゃの一輪車。一輪車といってもピエロが乗ってそうなヤツではなくて、箱のしたにタイヤが1本ついていて、
その後ろに取っ手が2本突き出ていて、押して進むヤツ。こちらはホーマックで900円。
彼はこれをころころ転がしながら押していくのが大好きなようです。

 おかげでこの週末はアマネはいたくご機嫌で、うちの外でも中でも「ブーブー、ブーブー」と言って大喜びしていました。

羊ヶ丘でYOSAKOI

 札幌は今日もカラッと晴れたよい天気。こんな日は遠出をしたくなります。今日は羊ヶ丘に行ってみることにしました。ぼくは2回目ですが、妻は初めてとのこと。

 羊ヶ丘といえば、腕を上げたあのクラーク像のある場所です。というか、あれしかない場所であります。

 我が家のそばにあるバス停から市バスに乗って15分ほど、羊ヶ丘展望台入り口にやって来ました。バスの中に受付のおばちゃんが乗り込み、入場料を徴収に来ました。入場するのには通常500円かかります。ところが、今日は200円でよいようです。

 小高い丘の上にある展望台にバスが到着すると、なにやらにぎやかです。そう、先週末から市内各所でYOSAKOIソーラン祭りが開催されていて、ここも会場の一つだったのです。別にそれを目当てに来たのではないですが、もののついでに見物しました。

 踊り子さんたちが踊っているのを見て、アマネも最初は腰をカクカクと上げ下げしてまねをしているようでしたが、すぐにやめてしまいました。彼には「ぐるぐるどっか~ん」くらいがちょうどいいようです。

海鞘

 海鞘の季節である。

 母親が三陸は釜石の出身で、その血が流れているせいかどうか、海産物はたいていのものは好物である。
その独特の香りから敬遠する人の多い海鞘も好物の一つ。

 先日、近所のスーパーに海鞘が売られていた。晩酌の肴にと1つ買った。

 とはいえ、海鞘をさばいたことはない。インターネット情報によれば、「けっこう簡単」「殻はライチみたいに剥ける」
「内臓は取っておく」らしい。やってみると、確かに簡単であった。オレンジ色の身をぶつ切りにして酢でしめて、ポン酢で食べてみたが、
酢がきつすぎたか、あの海鞘の香りはあまりしなかった。

 仕事帰り、三徳六味に寄った。メニューに、「根室産 生ホヤ」の文字が。一も二もなく注文。

 「今日のはいいですよ」と亮さん。「はい、とれたてホヤホヤです」

 目の前のガラスの器に盛られた鮮やかなオレンジ色の身を口に放り込んで広がった顔の笑みは、マスター会心のギャグがなせるわざか、
あるいは根室の海と海鞘の力によるものか。

ソシュール祭り+助かった

 つくばにいるI君よりメールあり。ドゥルーズの『記号と事件』が河出書房新社から文庫になって出ますよ、とのこと。

 I君は、すでに筑波大を御退官されたK先生のたいへん優秀なお弟子さんである。年齢はぼくよりも下だが、ぼくよりもずっといろんなことを知っているし、なによりきちんとした仕事をしている。それだけでなく、上記のように気になった本が出るとなるとその情報を諜報部員よろしくこっそりと連絡してくれるのである。なんていい人だろう。

 優秀な認知心理学者がほしい大学関係者、研究所関係者の方がここを見ていらしたら、ぜひこちらまでご一報を。

 その諜報部員メールに、ソシュール祭りなる言葉が。どうも岩波がソシュールものをまとめてどばっと出すらしい。最近、ソシュールの講義を聴いていた学生のノートが相次いで翻訳され、1世紀を経てようやく彼の言語学の実像が見えてきたようである。

 前田英樹によるソシュールの読み方にかつて受けたショックがまだ頭の後ろに鈍く残っている。ソシュールに還ろう。

 さて、明日締め切りのはずの日心大会抄録を書こうと、ふと大会ウェブサイトを開いてみると、

 一般研究発表、小講演、ワークショップ企画の投稿締切を4月30日に延長しました。

 の文字が目に飛び込んできた。

 うひょー、助かった。これで時間に余裕ができた。

かーふんふん

 授業が終わって成績も出して一段落というところ。雪不足で雪まつりもどうなるかと思われていたが遅れを取り戻すがごとくどかっと降り積もって帳尻があった。

 昼に食った弁当の飯粒が鼻の奥とのどの奧のちょうどあいだあたりに引っかかったようで午後いっぱい「かー」「ふんふん」とのどをならしっぱなしだった。

 「かー」「ふんふん」と生協のATMに預金しに行こうと背をかがめ左右の手をジャケットのポケットにつっこんで大学の中央ローンを突っ切って歩いているとやってしまった。今年に入って初めて転んだ。その勢いでジャケットの背の縫い合わせがビリリと破けてしまった。

 そのショックを晴らすために「かー」「ふんふん」と書店をのぞく。本日は野崎昭弘『不完全性定理』に廣松渉『もの、こと、ことば』に森本浩一『デイヴィドソン』をふらふらと買う。

 デイヴィドソンのことはよく知らなかったが森本氏の紹介を読むにひさびさに腰を据えて読まねばならない相手を見つけたような感じである。だって「言語が、多くの哲学者や言語学者が考えてきたようなものだとすれば、そのようなものは存在しない」「つまり、学習されたりマスターされたり、あるいは生まれつき持っていたりするようなものは何もない」(”A Nice Derangement of Epitaphs” p.11)だって。それならこれまでの言語発達研究って何なのってわけでしょう。おもしれー。

 去年出たジャッケンドフの『言語の基盤』もようやく買えたしこの春はデイヴィドソンとジャッケンドフで決まりである。「かー」「ふんふん」。

 のどの飯粒は帰宅してからもまだしぶとく残っていたがアマネと風呂に入っている間にいつの間にか取れていた。

早期教育へ誘う言葉

 大学から帰り、たどり着いた団地の地階にある集合郵便受けを開けるたび、早期教育について考えざるを得なくなる。

 たとえば「今回が最後のご案内!」とデカデカと書かれた封書を開くと、親が1歳児とどのように遊べばよいのか、
その指南を教材とともに送ってくれるという案内が、見本教材とともに飛び出してくる。

 「最近、お子様との遊びがマンネリ化していませんか?」
 「1歳頃のお子様は知的能力が急速に発達しています。ワンパターンの遊び方ではお子様が飽きてしまうのです」
 「お子様の成長にあわせた教材を毎月お送り致します」
 「ワタシニデンワシテクダサイ」

 最後のは違うか。

 この会社の案内はまだましである。うさんくさい封書として面白かったのは、「脳活性化」モノ。なんでも、
脳を活性化させる遊びをさせると、IQが160になるのだそうである。

 その他、近所の英会話教室のチラシが入ってくる。1歳頃の子どもには、歌や踊りで遊びながら英語に親しむことから始めるのだそうだ。

 ちょっと前まではどうでもよいものとしてポイポイ捨てていたが、最近はとっておいて集めるようにしている。なぜか。

 「早期教育への誘い」はいかなる語り口によってなされるのか、について調べるためである。

 先日読んだ、苅谷剛彦・増田ユリヤ『欲ばり過ぎるニッポンの教育』には、
早期から子どもを外国語に触れさせようとする親の言葉が紹介されていた。最近は英語ばかりか、中国語に触れさせようとする人もいるらしい。

 こうした親の行動を引き起こすきっかけは、おそらくごく素朴なものだろう。
たとえば郵便受けの中に入り込むチラシやDMの類というのは、地味ではあるが、静かに効いてくるのではないか。
最近そのように考えるようになった。

 第一子を育てている親にとって子どもの発達とはいかなるものか不明である。毎日、
手探りの中で子どもの反応をみながらやりくりしているだけである。もちろんそれしかできないのだし、それでよい。ただ、
先が不明であるということは、ちょうど霧の中をさまよっているように、現在の状態を解釈する手掛かりがないということでもある。

 早期教育へと誘う媒体は、そうした不明の現在を解釈するひとつの手掛かりを与えている。たとえば、先に紹介した「遊びのマンネリ化」
は、親子の現在の状態を枠づける機能を果たすだろう。もちろん、実際のところ、
子どもにとって家庭内の遊びが退屈なものになっていたのかもしれない。それはそうなのだが、重要なことは、早期教育へと誘う媒体は、
子どもに対するオルタナティブなパースペクティブを親に与えるかもしれない、ということである。

 もちろん、親というものはチラシやDMの情報に簡単にひっかかるものだ、などと言っているのではない。
チラシやDMは言語的情報であるがゆえに、それらを読むことにより、
親が子どもについて語ったり考えたりする際に用いる語彙が増える可能性がある、ということを言いたいのである。

 子どもを可能性のかたまりと見なすこと、子どもをその能力によって語ること、そして、子どもを投資の対象と見なすこと。
早期教育とは、子どもに対する見方や語り方となんらかの仕方で結託して成立する活動であるはずだ。

 では、そうしたチラシやDMはどのような語彙を用いて子どもを語ろうとするのか。こうして先の調査目的に戻る。
調査といっても趣味としてやるものなのであるが。

 現在、我が家に届いたDMの一部が研究室に置いてある。これからも増えるだろう。
このようにして私は労せずに資料を手に入れているのである。