かーふんふん

 授業が終わって成績も出して一段落というところ。雪不足で雪まつりもどうなるかと思われていたが遅れを取り戻すがごとくどかっと降り積もって帳尻があった。

 昼に食った弁当の飯粒が鼻の奥とのどの奧のちょうどあいだあたりに引っかかったようで午後いっぱい「かー」「ふんふん」とのどをならしっぱなしだった。

 「かー」「ふんふん」と生協のATMに預金しに行こうと背をかがめ左右の手をジャケットのポケットにつっこんで大学の中央ローンを突っ切って歩いているとやってしまった。今年に入って初めて転んだ。その勢いでジャケットの背の縫い合わせがビリリと破けてしまった。

 そのショックを晴らすために「かー」「ふんふん」と書店をのぞく。本日は野崎昭弘『不完全性定理』に廣松渉『もの、こと、ことば』に森本浩一『デイヴィドソン』をふらふらと買う。

 デイヴィドソンのことはよく知らなかったが森本氏の紹介を読むにひさびさに腰を据えて読まねばならない相手を見つけたような感じである。だって「言語が、多くの哲学者や言語学者が考えてきたようなものだとすれば、そのようなものは存在しない」「つまり、学習されたりマスターされたり、あるいは生まれつき持っていたりするようなものは何もない」(”A Nice Derangement of Epitaphs” p.11)だって。それならこれまでの言語発達研究って何なのってわけでしょう。おもしれー。

 去年出たジャッケンドフの『言語の基盤』もようやく買えたしこの春はデイヴィドソンとジャッケンドフで決まりである。「かー」「ふんふん」。

 のどの飯粒は帰宅してからもまだしぶとく残っていたがアマネと風呂に入っている間にいつの間にか取れていた。

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