教育はなぜ難しいのか

 現在の職場に籍を置いてすでに5年が経過しようとしています。そのうち3年間、
対外的に学部を紹介する役回りを担ってきました。ウェブサイトの製作管理が主なのですが、
高校生一日体験入学やオープンユニバーシティへの参加、公開講座や説明会での対応などもちょこちょことしてきました。

 ただいま、学部を紹介する高校生向けパンフレット製作にかかりきりです。
原稿や写真などをもらうのに学部内外の人たちとやりとりをし続ける日々で、
この仕事のために書いたメールは100を越えたのではないかと思います。

 こうした仕事をしていると、「この学部の目標が外部の人たちにいかに伝わっていないか」
ということがいやでも分かってしまいます。

「あなたがたは、何をしているのですか?」

 このご質問に対しては、木で鼻をくくるような感じですが、「教育学を研究しているのです」と答えるしかありません。私は教育学のいわゆる専門家ではないので、
教育学とは何かと聞かれて即答できるものをもっていませんでした。いまだに、コメニウスがどうとか、ペスタロッチがどうとか、
クループスカヤがどうとかいう話はできません(院生時代にもうちょっと勉強しておけばよかったのでしょうし、
それができる環境にあったはずなのですが)。ですから、さらにつっこんだ質問をされてもたじろぐだけですし、質問された方もそれを察して
「ああそうですかごきげんよう」とお帰りになるわけです。

 そんな感じだったのですが、3年間も学部について説明をしてきますと、
あくまでもその固有の体制に即してという限定付きですが、教育学とはいったい何を目指す学問なのか、
そしてそれはどうすれば解決されるのかについて自分なりに言葉にすることができるようになりました。言ってみれば、教育学の専門家ではなく、
「この学部」の専門家になってしまったわけです。

 以下、わたしのいるこの学部はいったい何をするところなのかをできるだけわかりやすく書いてみたいと思います。

 教育とは何でしょうか。簡単に言いますと、教育とは、
次の世代の人々がこの世界で生き延びるために今の世代の人々が行うすべての営みです。では、教育学とは何でしょうか。それは、
教育という営みがうまくいくために必要なあらゆる策を講じる営みです。特に典拠があるわけではないのですが、
ごく一般的にまとめるならばこうなるかと思います。

 学を称してまで、教育に策を講じることがそんなに難しいのか、そんなにこの営みは複雑なのかと思われるかもしれません。そう、
難しいですし、複雑です。なぜなら、
自分には他人の行動を思いのままにコントロールすることが不可能だという自明の事実があるからです。
この当たり前のことが、教育という営みには壁となります。

 教育の目標はとりあえずの定義によれば「次世代という他人が生き延びられるようにすること」であり、
その目標を持っているのは現在の世代=自分なのですから、他人に自分の目標をかなえてもらうのが教育だとも言えます。これは、
他人を思いのままコントロールすることは不可能であるという事実に明らかに反しますね。矛盾です。だから、
あえて策を講じなければならないほど、教育とは難しいのです。

 たとえば子育てを考えましょう。

 1歳くらいの子どもがご飯を食べるとき、彼にとって楽なのは手づかみで食べることです。一方で、
親はスプーンや箸を使って食べてもらいたいと思うでしょう。このとき、親にとって一番楽なのは親がスプーンや箸を使ってご飯をとり、
子どもの口の中にもっていくことです。子どもがスプーンを使って食べることを親がコントロールすることはできません。親にできるのは、
自分で自分の手足をコントロールして子どもに食べさせることです。こちらの方がはるかに楽です。しかし、いつまでも楽をしていては、
子どもがスプーンの使い方を学ぶ機会はなかなか訪れません。

 つまり、自分の能動性をおさえて他人の行動にまかせるという部分が教育には必ず含まれているのです。親になると分かりますが、この部分がとても難しい。親が自分でやる方が、子どもにまかせているよりも早いし上手にできるので、ついつい手を出してしまいます。これは、他人のコントロール不可能性からくる衝動に他なりません。

 ちなみにここまで述べてきたようなことは、俗に「教育のパラドクス」などと呼ばれ、
すでにたくさんの人々が言及したり考えたりしてきたことです。

 人類にとって最大級の難問を専門とする人々が集い、共同して解決を講じようとする場、それが教育を対象とするこの学部なのでしょう。このような学部が存在しているということそのものに意義があると、私は思います。

愛情の欠乏

 アマネが再び微熱を出して鼻風邪をひいた。ずびずび鼻をならしながら寝ていたからかどうなのか分からないが、
昨夜は睡眠の波の周期にそって、何度もびええと夜泣きをした。泣くたびにつきあって起こされていたら、気がつくと夜が明けていた。
6時半にようやくぐっすりと眠りにつくことができた。

 そんななので、本日の非常勤最終講義はもうへろへろ。足ががくがくし、のどは痛くなる。とうとうイスに座って講義をした。
たまには楽をさせていただこう。

 講義が終わるとテストの心配をしに来る学生がちらほら。

「出題はどんな形式なんですかあ」

 チミたち、たまには講義内容について質問にきたまえよ。

 この非常勤、来年も受けることにした。半期半期で1コマずつである。

 思えば、ぼくにとって「心理学」についての概説をしなければならないという必然性は、
この講義の講師を務めることによってもたらされた。
正直なところ心理学については何も知らなかったということを知ることができたのが一番の収穫であった。

 しかし別の思いももたげてきた。果たしてぼくは心理学という学問が好きなのだろうか。
どうもぼくは心理学を愛していないのではないかという疑いが年々増してきているように思う。

 愛しているのならもう少し情熱的に語ることがあってもよさそうなものだが、自分で反省するだにぼくの語り口は冷たい。
「~ってなことが言われてるみたいっすよお」と、教科書に毛の生えたくらいの情報を聞き伝えのように話す程度なのである。授業評価に
「熱心な先生です」と書かれれば嬉しい反面、そんなに熱心でもないけどなあと恐縮する。

 心理学の概論を半期でも通年でも語るネタを確かにぼくはもっている。それは必要に迫られてのことだが、貴重な財産になった。しかし
「心理学なるもの」に対してはあまり関心がない。そんなものあるのか?とも思うし。今日、たまたまナラティヴ・
セラピーについて話をしたからますますそう思うのだろうかね。

 最近では、むしろ教育学におもしろさを見いだすようになってきた。これは多分に、
同僚の先生方のされていることを見たり聞いたり話したりしていることに由来するだろう。
コミュニティにおけるアイデンティティの変化にともなって、有意味と見なす学習内容そのものが変化している。まさにLPPだ!

スポーツ新聞のインタビュー文体

 今年のセは巨人でしたね。応援する阪神にはぜひCSでがんばっていただきたい。

 さて、プロ野球の結果が気になる私はスポーツ新聞をネットでよく読みます。

 最近気になるのは、その独特の文体。それも、地の文ではなく、選手の発話内容の表現。たとえば、2007年10月4日のサンスポ、 タイガース今岡の復活4号ソロの記事には、こうあります。

 二回一死。フルカウントから、グライジンガーの高め144キロだった。自身も納得の一発。最多勝当確の助っ人右腕を叩き、 上園へ8勝目を贈るアーチを手土産に、試合後はただ真っ直ぐ、次の舞台だけを見据えた。

 「いい締めくくりが出来た? これからやからな、俺は。CSでいい仕事を出来るようにな」

 虎党の声援に応えながら、少ない言葉に気持ちを込めた。

 記事に書かれた発話は、当然今岡選手のものと思われます。実はこの記事中、鉤括弧で地の文と区別される3つの発話があるのですが、発話主が誰であるか、明記されていません。

 さて引用された発話は3つのセンテンスから構成されていますが、第一のセンテンス「いい締めくくりが出来た?」は、どうも今岡選手ではなく、インタビュアーの問いかけのように思われます。今岡選手の実際の発話は、2番目と3番目のセンテンスだったように思われるのですが、どうでしょうか。もしもこの推測が正しいとしたら、このカギカッコ内のセンテンスは2つのターンをあたかも1人の発話であるかのようにまとめあげていることとなります。

 一般的に、作文のルールではそのようなことはなされません。前衛小説とかSFでもない限り、発話主の交代は何らかの仕方で明示されるのが普通です。ところが、スポーツ新聞の場合、インタビュアーとインタビュイーのやりとりが1つのターンとして書かれることがしばしば見られる。最近気になると言ったのは、このスポーツ新聞独特と思われる文体のことです。

 さらに気になるのは、一般的なルールは侵犯しているものの、では理解しづらいかというと、そうでもないという点です。先の引用ですと、今岡選手がその通り発話したとしてもおかしくない、と感じられてしまう。つらつら考えてみますと、今岡選手がインタビュアーの質問を「聞き返した」ものとして「いい締めくくりが出来た?」の箇所を理解しているようですね、私は。つまり、「いい締めくくりができたかって?これからやからな…」のように、「かって」を補足して読んでいるようですね、私は。

 いや、作文のルールも知らないのかと怒っているのではないのです。まったく逆で、工夫に富んだおもしろい文体だと感心しているのですよ。

 おそらくはいくつかの理由から生み出されたのではないかと推測します。第一に、いちいち質問と応答を別のカギカッコに入れて書くのは、限られた紙面の無駄遣いという判断があったのではないか。第二に、読者は選手の発話を知りたいのであり、インタビュアーや記者の発話を知りたいわけではない、という判断があったのではないか(結果的には、読者は記者の手を通して知るわけですが)。

 こうしたもろもろの事情の果てに生まれた文体として読むと、また味わいがあります。

翻訳のココロとは

 ただいま縁あって翻訳の仕事を2本かかえていて、しかもどちらも大急ぎで仕上げなければならないもので、「どうしやう」
と頭を抱えております。頭を抱えるくらいなら指を動かせばいいのですが。

 翻訳にもいろいろな方針があると思うのですが、私が翻訳をする上で肝に銘じていることはただひとつ、「日本語として理解できること」
だけです。

 茂木健一郎さんのブログで最近知った話なのですが、ココロに響いたのでご紹介。有名なようですのでご存じの方も多かろうと思います。
ちょいと脚色を交えて。

 中学の英語の時間。教科書に出てきた”I love you.”の一文を学生は「私はあなたを愛しています」と訳した。
完璧な和訳に思われたが、教師は点数をあげなかった。

 「私たちはそんなふうに言わないでしょう」と、その教師。そして出した訳が「月がきれいですね」。

 教師の名は夏目金之助、筆名を漱石といった。

 この話、ぜひ出典を知りたいんですが、ご存じの方はおられませんか。

会話の進化論

 ISCARでのダメダメな発表から立ち直れずにいます。気持ちを切り替えねばなりませんね。

 はてさて、来週日心での発表準備をしなければならないのですが、
某学会の事務作業がこのところ毎日続いていてどうにもこうにもなりません。今日はようやく学会誌の発送作業を終えました。
300人程度の規模の学会で、類似した学会と比べると小さい方だと思うのですが、
会員への案内を手作業で発送するとなるとやたら多く感じます。

 これが終わると大学院の某作業で拘束されます。1日みっちりと拘束されるわけではないところがまた気持ち悪い。

 話を日心で話す内容に戻しますと、家族の家庭における自然な会話を分析したものを出します。

 コミュニケーションを開始するために、話し手は聞き手の注意を獲得するためのいろいろな方法を駆使しなければなりません。この
「呼びかけ」の手段は、家族間会話でどのように用いられているのかという問題について調べました。

 話を言語的な「呼びかけ」に絞ります。「呼びかけ」にはいくつか種類があります。たとえば「お父さん」「太郎ちゃん」
といったように相手の名前あるいは続柄を呼ぶ。あるいは「ねー」や「ちょっと」などの間投詞を用いる。さらには「見て」
など注意を要求する言葉を用いる、などが考えられます。

 簡単に発見を述べますと、第一に、呼びかけに用いられる単語の種類は、それを用いる話し手と聞き手の関係によって異なっていました。
たとえば、「太郎ちゃん」など相手の名前を呼ぶのは圧倒的に両親が子どもに話しかけるときでした。子どもが両親を呼ぶ際に名前(お父さん、
お母さん)を用いるのはそれと比べれば少ないようです。逆に、子どもが親を呼ぶときに「ねー」「見て」といった言葉が用いられるのですが、
これらを両親が用いることはまったくありませんでした。

 第二に、今回分析した家族の会話では、言語的な呼びかけの手段がほとんど見られない関係がありました。
それは両親の間でのやりとりでした。たとえば、同じ室内に、父、母、子どもがいたとして、それぞれ自分の作業(父は新聞を読むこと、
母はスーパーのチラシを読むこと、子どもは人形で遊ぶこと)に没頭していたとします。このとき、父親が突然、「明日は晴れるんだって」
と新聞を読みながら発話したとします。これに対して、母親が「ふーん」と答えていました。父親の発話に対して返答する義務は、
母と子どもの両方に等しくあるはずなのです。宛先が明示的には指定されていないのですから。しかし、父親による「呼びかけ」
のない発話に対して答えていたのは、ほとんどが母親でした。これはどうしてなのか。

 とりあえずの答えは、二人は夫婦なのだ、というものです。馬鹿にするなと言われそうですが。

 考えてみると、話は核家族の場合に限りますが、子どもが生まれる以前、夫婦は二人きりで暮らしていたわけです。この場合、
「呼びかけ」がなくとも、話し出せばその相手はおのずと決まります。このようなコミュニケーション・
パターンが形成されていた二人と突然同居することとなったのが、子どもです。そのうち、「呼びかけ」
のない夫婦間コミュニケーションと区別するために、「呼びかけ」のある親子間コミュニケーションパターンが選択され、
両方のパターンが併存することとなった、というのが読み筋です。言い換えると、「呼びかけあう」というコミュニケーションは、
「呼びかけあわない」というコミュニケーションと区別できるがゆえに有効に機能するということです。

 会話で使用される言語形式の多様性を進化論的に見ているわけですね。

 これが正しいとするなら、いくつか言語発達研究に対するインプリケーションを挙げられると思います。ひとつは、
子どもが日常を密に暮らす社会的環境全体を一度に見ないと、子どもがなぜある特定の言葉を利用するのかを理解できないということです。
もうひとつは、子どもが使用する言語形式や文法構造はかれがその社会文化的状況において「何者であるか」ということに依存するという、
OchsとSchieffelinの言語的社会化理論への貢献が考えられます。

 以上のようなことを、先日北海道に来たヴァルシナー教授に話そうとしたらうまく説明できませんでした。説明できないのは、間違っているからでしょうね。

ヴァルシナー教授講演会に行ってきた

 ヤーン・ヴァルシナー教授による講演会が、過日、北海学園大学にて開催された。講演のタイトルは”Ornaments in
our minds and in our worlds”。

 オーナメントとは?装飾、飾りである。我々の住む環境にはさまざまなパターンがある。視覚的なパターン、聴覚的なパターン、
嗅覚的なパターンだってあるだろう。また、そのパターンは人工的なものであるかもしれないし、人の手によらないものかもしれない。
とにかく我々は、反復して現れるパターンに取り囲まれている。これをヴァルシナーはオーナメントと呼ぶ。

 ただし。パターンはそれ自身が反復するのではない。反復しているかのように認識する過程が必要である。
なぜならあちらのパターンとこちらのパターンはそもそも異なるものであり、
それらがそのように置かれているというのは一回きりの出来事だからである。ここには「般化generalization」
という過程が必要である。

 ヴァルシナーによれば、般化はダイナミックな過程だ。一方で目の前の複雑さをひとつのカテゴリーにまとめあげる過程
(schematization)があり、他方で目の前の複雑さがそのまま別の複雑な記号体系に移される過程
(pleromatization)がある。両者は逆向きに働くが、その運動として般化が創発するというのである。

 さて、schematizationは図式化でいいと思うのだが、
pleromatizationはヴァルシナーの独特な用語法であり、分かりづらい。図書館でお目当ての本を探そうとしていて、
その隣にあった本を手にとって読んでみたら出てきた言葉のようだ。由来をたどれば、
プレローマpleromaはキリスト教グノーシス派の言葉で、神の力全体を指す。万物の本質はそこから分岐したものであり、
ゆくゆくは全体性へと統合される。調べてみたらこんなところのようだ。ユングやベイトソンも援用していた概念らしい。

 pleroma–Wikipedia

 話をオーナメントに戻そう。ヴァルシナーによれば、オーナメントははじめ、我々を取り囲んでいた外在的なものに依拠していた。
しかしそれは次第に精神内へ内化される。精神内にあるオーナメントは、外在的なパターンを「どのように」知覚するかを規定する。たとえば、
夜空に輝く星の配列に、ひしゃくを見る人もいれば、熊を見る人もいるだろうし、世紀末救世主を見る人もいるだろう。

 しかしことはそれだけにとどまらない。何かをあるオーナメントとして見るということは、不可避的に、
その人のもつ複雑な記号体系へと結びつけられていく過程も含むのである。北斗七星に熊を見るなら、
それは壮大な神話体系の広がりに位置づけられていることを意味する。また、その神話は悲劇でもあろうし、喜劇でもあろう。このように、
オーナメントは「般化された感情的意味場generalized affective meaning field」を構成する。

 ぼくに理解できたのはこんなところである。

 講演会の後は、サッポロビール園に移動して懇親会。ヴァルシナー教授は3年前にすでに1度来たことがあるため、
ジンギスカンのやり方は手慣れたもののよう。ジョッキをもって、アイライクビア、ハハハ、
と笑うその顔がみるみる赤くなっていくのを隣で眺めていた。

力業の力強さ

 Yahooのニュースなんかでも紹介されたのでご存じの方も多いと思いますが、Scienceにこんな論文が載ったそうです。

  「女性の方がおしゃべり」はウソ?-米大学研究

 紹介されている論文の書誌情報はこちら。

 Mehl, M. R., Vazire, S., Ramírez-Esparza, N., Slatcher, R. B., and Pennebaker, J. W. (2007). Are women really more talkative than men? Science, 5834, p.82.

 まだ読んでいないので詳細は不明なのですが、方法としてはどうやら大学生に録音装置をつけて、その音声から発話語数を単純にカウントした模様です。6年間で396人の発話が採集されたとのこと。

 得られた結果から、男女ともに毎日およそ1万6千語を話しているものと考えられるそうです。著者たちの関心は発話語数の男女差にあったわけですが、統計的に有意な差はなかったらしい。

 つっこもうと思えばつっこみどころは多々あるのでしょうが、私としてはこの研究に素朴に驚嘆してしまいました。

 人は1日にどれくらいの単語数を話しているのか、疑問に思うのは簡単ですが、これを実際に数えるとなるとそうとう苦労するのは目に見えています。いや、実は数えることそれ自体はそれほど手間ではない。形態素分析ソフトのようなものもありますし。

 この手の研究で一番手間がかかる問題は、コンピュータでカウント可能な形に発話を文字化することでしょう。この作業をやったことがある人なら実感として分かりますが、書き起こしはとにかく時間がかかる。ぼくの場合、1時間の会話を書き起こすのに6時間くらいかかります。それを1日分、しかも396人!1人について1日の発話を書き起こすとして、1日のうち起きている時間(録音された時間)を16時間とすると、396(人)×16(時間)×6(時間)=38016時間! 24時間ぶっとおしで書き起こしをしまくるとして、ぼく一人ではまるまる4年以上かかる計算となります。

 繰り返しますが、まだ元を読んでいないので詳細は分かりませんが、仮に396人分の1日の発話を「すべて」書き起こし、文字化した上で、1日に使用された単語数をカウントしたのでしたら、ぼくは素直に拍手を送りたい。

 「ぼくら、1日でどんだけしゃべってんだろうねー」って、なんだか「トリビアの種」のように素朴な疑問です。これに対して回答する術としては、サンプルとなる時間帯を取り出してそこで用いられた単語数から1日の単語数を推計するか、あるいは実際に1日の単語数を数え上げるかしかないわけです。

 こざかしい計量言語学者ならば前者を採用するのでしょうが、あえて後者というイバラの道を選ぶ。言ってみれば、「力業」ですよ。しかし、得られた数は、異論をはさむ余地のないものであります。この力強さ。

 「数え終わりました!1万6千語でした!」

 うつろな目、髪はぼさぼさ、肩はがちがちになったスタッフが、窓から差し込む朝焼けに照らされながら、集計の終わったメモを読み上げる。同じく目やに混じりの眼をしたまわりのスタッフはパチパチと力強く拍手、そしてかれらはそのままばったりと机に倒れ伏し、安らかな寝息をたてはじめるのでありましょう。なんかそんな情景が頭に浮かびますよ。

 理論もない、技術もない、あるのはただひたすら疑問に素朴に答えようとする執念のみ。いいですなあ。

ケータイ非使用時のケータイ使用について

 人目につくようなかたちでケータイを持つことが可能となるためには、2つの条件が満たされていることが必要だろう、という話をした。

 持つことが可能であるとして、では実際にどうやって持っているのか。このことについて街の中の人々の行動を眺めてみよう。

 そのつもりで眺めていると、人々はケータイを実にさまざまな仕方で「持って」いることが分かる。

「ケータイの持ち方」に注目したのは、JRの駅にいたある若い女性の振る舞いを見たせいである。
彼女は折りたたみ式ケータイを右手に持ち、画面が見えるようそれを広げたまま、画面のある側の縁を自分のあごの先につけて立っていた。

 彼女はケータイの主な機能を使ってはいなかった。メールも電話もしていなかった。ただ、ケータイにあごを「載せて」
視線を遠くに投げかけていただけだった。

 しかし、まぎれもなく彼女はケータイを使っていた。手に持つことが可能なモノとして使っていた。
われわれが傘やステッキに体ごともたれかかるように、ケータイにあごがもたれかかっていたのである。

 タイトルの、「非使用時の使用」とはこのことを指す。確かに主機能は使われていない。しかし「あご載せ台」
として使われていたのである。

 「あご載せ台」としての使用法の他に、どのようなものがありうるのか。同じく駅にいた男子高校生の10分間の観察から、
以下のような行動レパートリーが得られた。ちなみに彼が持っていたのは折りたたみ式ケータイであった。

 ・ 頻繁な開閉。
 ・ 開閉の一バージョンとして、ケータイを開いたまま、持った手の肘を支点にして勢いよく上に上げ、その勢いで画面側を閉じる。
「ケン玉型開閉」。
 ・ 閉じたケータイの両横を、手の親指と中指を使ってはさみ、
別の手の指でケータイのアンテナ側とその反対側の端をはじいてくるくると回す。
 ・ 開いた状態で画面側を体の一部にこすりつける。観察された動作としては、ケータイを持っていない側の膝頭が服の上からこすられていた。

 ・ 同様に、開いた状態で、画面側で体の一部をぽんぽんとたたく。同様に膝頭をポンポンとたたいていた。
 ・ アンテナを延ばし、手の指ではじく。アンテナはびよんびよんとしなる。

 彼は待合所のベンチに腰を下ろしており、そのことが多様な行動を可能にした側面もあろう。
たとえばケータイの画面でこすられたりたたかれたりしていた体の部位が膝頭だったのは、座っていたからだと言えそうだ。
もしも立位であったら、他の場所(腿の脇とか)が選ばれていたはずである。

 いずれにせよ、ケータイとは使っていないときにも使われるモノなのである。「もてあそび」という用途を満たすモノとして。

 前のエントリからの話をまとめると、ケータイとは「もちはこび」と「もてあそび」を可能にするモノだということが言える。ここで、
人が人前でケータイを「もてあそぶ」ことが可能となるための条件に、「もちはこび」
が可能となるための諸条件が含まれていることは言うまでもない。

 蛇足だが、ケータイのもてあそび行動を見て取りやすいのは、乳幼児においてである。わが子は1歳前後の頃、
親の使うケータイをしきりに持ちたがった。持っては、パタパタ開いたり閉じたりしてみたり、アンテナを延ばしたり、
キーをプチプチと押したりしていた。

 もてあそび行動のレパートリーとして他に何があるのか、もう少し観察を続けてみようと思う。
今和次郎の考現学のような感じになるだろうか。

持ち運び可能なモノとしてのケータイ

 ケータイを使った行動について興味をもっている。ケータイとは、携帯電話やPHSを含む移動通信機器をここではまとめてそう呼ぶ。

 ケータイにかんする研究というと、電話やメールなど、それを使ったコミュニケーション行動に焦点があてられている。その一方で、
ケータイのケータイたる所以、すなわち、持ち運ぶことのできるモノという性質にはあまり焦点があてられていないように思われる。

 カバンや衣服のポケットに収納した持ち運びはもちろんのこと、文字通り手にケータイを持ちながら街を歩く人のなんと多いことだろう。
ケータイはコミュニケーション・ツールである以前に、我々が人々のいる社会的環境の中を持ち運ぶことの可能なモノなのである。

 社会的環境の中を持ち運ぶことが可能、とは2つのことを意味する。一つは、
人間が持ち運びできるくらいの形状や重さだという意味である。30kgもあるケータイは物理的に持ち運ぶことが不可能である。

 もう一つは、ある個人が他の人々を前にしている際に、持ち運んでいてもかまわない、おかしくない、という意味である。
これはたとえば、衆人の中を鶏もも肉の塊やむきだしのナイフを手に持って歩いている姿を想像してもらえればよい。
獣の肉の塊を手に持ち歩く人が駅の構内を歩いていたら「変」であるし(「変」とならないための工夫としては、食肉業者的な格好をする、
という手がある)、ナイフをむきだしで持って歩いていると、「変」である以前に銃刀法違反で捕まる。

 面白いことに、紙幣をむきだしのまま手に持って歩くのも「変」である(これはぼくだけの感想か?)。ところが、
びらびら広げた状態だと変なのだが、折りたたんで手の中に入れておくと「変」でない。というか「変」かどうかという判断が、
第三者にはできない。隠れて見えないのだから。だが、容易に想像がつくように、
街を歩く多くの大人は紙幣を身体のどこかに持ち運んでいるはずである。

 このように、他者から見て持ち運びが許されているモノは、実はそんなに多くない。日本のこれまでの歴史の中では、
思いつくままにたとえば傘、ステッキ、うちわ、タバコ、ペット、財布(紙幣は変なのに財布は許される)、
カメラなどが持ち運び可能なモノの一覧に入れられてきた。

 繰り返すが、人間にとって身につけた状態での自力移動が可能な程度の物理的な大きさや重さである、という条件(条件1としよう)
とともに、人目につくようなかたちで所持したまま社会的環境の中を移動することが適切だと考えられている、という条件(条件2とする)
がそろってはじめて、手にそれを持って歩くことが可能になる。

 ケータイに話を戻すと、1990年代初頭までのケータイは、条件1も満たされていなかったが、
条件2もまた満たされていなかったのである。

 いわゆる自動車電話と呼ばれていた時代は、確かに鈍重な形をしており、手に持ったまま長時間歩くことは至難の業だったろう。
NTTドコモによれば、1985年に世に出たショルダーホンは3㎏近くあったようである。
1987年のケータイ専用機TZ-802型ですら、
900gあった。

 これまでのケータイの歴史の語られ方では、この条件1がいかに満たされていくかという観点が中心になっていたように思われる。
軽薄短小を理想のゴールとする歴史観である。

 ところがその陰で、いかにして条件2が満たされるようになっていったかという歴史観はほとんど語られてこなかった。

 面白いことに、初期のケータイは、人目につくような形で持ち運ぶことが快く思われていなかったのである。たとえば松田・伊藤・
岡部編(2006)「ケータイのある風景
所収の松田論文には、金持ちの鼻持ちならなさを象徴するものとして、ケータイをこれ見よがしに持っている人への嫌悪感を語った、
1990年代初頭の文章が引用されていた。条件2が満たされていなかったのである。

 ところが、いつの間にか、条件2は満たされていた。こちらの歴史をきちんと解かない限り、
移動通信機器と人間とのかかわりを理解することは難しいだろう。

 なぜこんなことをつらつらと書いているかというと、ひとつには学部の心理学実習でケータイをテーマに取り上げていることがある。
先日も駅でケータイを使う人の行動を観察しに出かけた。もうひとつは、それとの関連なのだが、ぼく自身、
高校生や大学生のケータイ使用をよく観察するようになったことがある。観察していて気付いたのだが、
ケータイをカバンや衣服のポケットにしまうという時間がほとんどないのである。

 たとえば、駅構内のベンチに座っていたある男子高校生の場合、メールを打ったあと服の胸ポケットにケータイを入れた。
20秒ほどたって取り出し、ふたたび画面に見入った。折りたたみ式ケータイの場合、たたむことはあってもどこかにしまうことはほとんどない。
人目につくところに出しっぱなしなのである。

 こういう光景を見て、世の中には人前で出しっぱなしにできるモノとできないモノがあって、
ケータイは前者の範疇に入るのだなあと考えた次第。

 (もうちょっと続く)

動機の対象としてのクルマ

 札幌に来て5年目、とうとうクルマを買うことにした。理由は1点、子どもといっしょにあちこちに行くためである。

 なにしろ、安い買い物ではない。買ってみて失敗したと思うのも癪であるから、いろいろと調べてみている。

 クルマの知識はまったくない。トルクがどうこうという知識もない。アドバイスをもらおうにも、何について知りたいかも分からないので、結局アドバイスをする方も途方に暮れるしかないだろうから、もらえずにいる。

 それでもこの週末に近所の中古車屋をまわって、安くて良さそうなのを見つくろった。書類を揃えて来週にも買うような勢いである。

 さて、「クルマを買う」というのは初めての経験である。学生時代は親に頼り切っていた。

 そうこうしているうちに、どうだろう。道を走っているクルマ、駐車場に停まっているクルマのいちいちがどうも気になり始めてきた。メーカー、車種、ボディの色など、とてもとても気になってしまう。歩いていてもつい目がいくし、停まっていればじいっと眺めてしまう。

 これもまた、自分にとっては初めての経験である。もちろん、これまでだってクルマは腐るほど見てきたし、18のときから27までの10年間ほぼ毎日自分でも乗っていた。しかし、そのときは他人の乗っているクルマを見てはいなかったのだろう。いざ自分で、懐を痛めて買うとなると、クルマが急に視界に飛び込んできたのだ。ここまでクルマの「見え方」が変貌するとは思わなかった。

 ちょうど、活動理論の解説を翻訳していたところで、今回のぼくのこの経験にぴったりと符合することがあった。クルマを買うという動機とともに、クルマが行為の目標として、ぼくという行為主体に相関した対象として、発生したと言えるのではないか。世界への志向の仕方が変わると、唐突にモノや人同士の連関の様相が変わる。これまでにぼくの人間関係の網の目の中には絶対に入ってこなかった人々(中古車屋の人、クルマを売る人、買う人)がクルマという対象で結節した大きな活動のシステムをなす。アクターネットワーク風に言うなら、クルマはもちろん、駐車場や印鑑証明といったものもアクターとしてぼくの新たな動機に形を与える。

 みずからの動機が変わることによって世界の見え方そのものが変わったわけだが、実はこのような経験をすでに小説の形で書いている人がいる。夏目漱石である。

「それから」に登場する主人公、長井代助は裕福な父親からの援助で定職に就かずにぶらぶらと過ごしている。ところが、その父からの援助を絶たれ、はじめて自ら職を探さねばならなくなったとき、代助の目には世界にあるさまざまな「赤」が唐突に見えるようになる。青空文庫から引用してみようか。

門野かどのさん。 僕は一寸ちよつと 職業をさが して る」 と云ふや否や、とり 打帽をかぶ つて、 かさ さずに日盛ひざか りのおもて へ飛び出した。
 代助はあつなか けないばかり に、 いそ ぎ足にある いた。 は代助のあたま の上から真直まつすぐ に射おろ した。 かは いたほこり が、 火の の様にかれ素足すあしつゝ んだ。 かれ はぢり/\ とこげ る心持がした。
こげる/\」 とある きながらくちうち で云つた。
 飯田橋へ て電車に つた。 電車は真直にはし した。 代助は車のなかで、
「あゝうごく。 世の中が動く」とはた の人に聞える様に云つた。 かれ あたまは電車の速力を以て回転し した。 回転するに従つて の様にほて つて た。 是で半日乗りつゞ けたら焼き尽す事が出来るだらうと思つた。
 忽ちあか い郵便筒が いた。 すると其赤い色が忽ち代助の あたま なかに飛び込んで、くる/\と回転し始めた。 傘屋かさやの看板に、 赤い蝙蝠傘かうもりがさ を四つかさ ねてたか るしてあつた。 かさ の色が、 又代助のあたま に飛び込んで、くる/\と うづ いた。四つ かどに、大きい真赤な風船玉を売つてるものがあつた。 電車が急にかどまが るとき、風船玉は追懸 おつかけ て、代助の あたまに飛び いた。小包 こづゝみ郵便を せた赤い車がはつと電車と れ違ふとき、又代助の あたま なかに吸ひ込まれた。烟草屋の暖簾が赤かつた。 売出しの旗も赤かつた。電柱が赤かつた。赤ペンキの看板がそれから、それへと つゞいた。 仕舞には世の中が真赤まつかになつた。さうして、代助の あたまを中心としてくるり/\ とほのほいき を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きる迄電車に乗つて行かうと決心した。

 はじめてこの箇所を読んだとき、ちょっとこれはすごいなと慄然としたことを覚えている。そして代助の赤とぼくのクルマはおそらくはおなじ枠組みでうまく説明できるのではないか。そんな気がしている。