Nスペ

 現在NHKに対する視聴者の風当たりが強まっているようだが、ぼくはいくつかの理由で、なんとかNHKにはがんばっていただきたいと思っている。

 理由のひとつが、タイトルに挙げたNHKスペシャルをはじめとするドキュメンタリーを見たいからである。受信料を投げ銭と考えたら、払うに値する、良質なものを観ることができると思う。

 先日放送された、免疫学者の多田富雄さんの現在を取材したNスペもよかった。脳梗塞で倒れてから右半身不随に。喉の辺りの麻痺も残ったようで、言葉も出ないし、食べ物を飲み込むのも難しいようだ。よだれをたらした姿はお世辞にも格好いいとは言えなかった。

 それでも多田先生は(謦咳に接したことなどあるはずもないが、あえて先生とお呼びしたい)倒れるまでは使わなかったというパソコンを覚え、それから6冊も本を書き、新作能も(この方は能もするのだ)数本書いた。

 5年越しの原稿がどうだとか言ってる場合じゃない。俺はこんなことでいいのか。泣けてくるよまったく。

 そのあとで観たNHKアーカイブスの宮沢賢治もよかった。1992年の放送だそうだが、賢治の教え子さんが矍鑠としておられ、農学校時代に賢治が作って学生と歌ったオペレッタを再現してくださっていた。『星めぐりの歌』など、賢治は歌もいいのである。

社会と心理学の接点

 以下の文章は、10月30日に開催される北海道心理学会で行われる予定のシンポジウム「心理学が社会にできること」にて話そうとしていたものである。

 書いていてなんだか面白くないし、話が抽象的だし、結論もありきたりだし、将来の具体的な道筋も描けていないので、棚上げすることにした。ただ、ふくらませられれば面白くなる可能性はあるような気もする。そこで、議論のたたき台にでもなればと、人目にさらすことにした。何かご意見がある方はコメントいただければさいわいです。


 心理学は社会にたいしてどう貢献できるのか?この問いを向けられてどう答えるか。

 そもそも心理学も社会の大きな営みの一部だと考えれば、この問いは、研究者集団とそれ以外の人びととの分業体制をどのように調節するのか、と読み替えることができるだろう。

 この分業体制のあり方にはいくつかの種類があるだろう。少なくとも3つ挙げられると思う。

(1)社会からの要請とそれへの応答
 研究者集団がなんらかの社会的課題を解決するという依頼を受け、そのための基礎研究を実施。研究結果を社会的課題を抱えた現場へ還元する。

(2)心理学概念の社会的普及
 研究者が説明に使用する概念を、研究者以外が使用する。日常的経験で得られた知を体系化するうえで不可欠である。

 私的な経験だが、子育てサークルに参加したときのこと、3ヶ月くらいの子どもを連れてきた母親が、子どもの成長の程度を紹介する際に「喃語」という言葉を用いた、ということがあった。

「喃語」という言葉は、現在では一般的に使われることは少ないが、そもそもは、ぺちゃくちゃしゃべること、男女がいちゃいちゃしゃべることを指す。
 くだんの母親は明らかに発達心理学用語としてこの単語を用いていた。子どもの成長の説明に心理学概念が入り込んでいる例といえるだろう。

 (1)(2)はいかにも成功した分業体制であるように思われる。知を得たいものの道具も時間もない人びとと、知を得ることに道具と時間をかけている人びととが相補的関係にある。

 しかし、これら2つの集団には、分業しているがゆえに、互いに見えない部分がある。成果を求める側は知見が生産された現場を見ていないし、知見を生産した側は成果が用いられることに無力である。その結果、次の(3)のような接点を考えねばならなくなる。

(3)心理学概念の暴走
 研究者の使用する概念が普及する一方で、概念の埋め込まれていた作業仮説や理論が失われ、概念のみが先走ってしまうこともある。

 たとえば、現在、脳の研究から得られた知見を教育に活用しようとする動き、あるいはそのような要請がある。ためしにAmazonで「脳」「教育」をキーワードとしてAND検索してみた(2005年10月28日調べ)。157点のヒットがあったが、1980年から2001年までは年間10冊以下の出版点数で推移していたものの、2002年以降、2003年を除いて、出版点数が年間20冊を超えていた。近年の出版界での「脳と教育」ブームを示す結果と言えよう。

 このことについて「世界」2005年11月号が、伊藤正男、榊原洋一、柳沢正史、河原ノリエ各氏による討論を掲載している。
 討論の趣意は、こうである。現在脳科学では分子的レベルとより高次の意識や心のレベルという2つのレベルでの議論がおこなわれている。分子的レベルでの知見は確実に積み上げられているが、それと意識のレベルとをつなげるブレイクスルーはいまだ見えない。ただ、研究者は橋渡しはいつか可能と信じて研究を続けている。

 この段階では実にさまざまな作業仮説が生まれる。たとえば、同性愛者と異性愛者のあいだで、脳内のある部位の活動や神経伝達物質の多少に差異が見られたとする。すると、当の物質が同性愛の原因である可能性はある。

 この研究結果はあくまでも相関に基づくものであり、因果関係をつきとめたわけではない。なぜならクリティカルな原因が別にあるかもしれないからだ。研究者はそのことを重々承知しており、可能性の指摘にとどめる。研究はこの可能性の確からしさを上げていくことにターゲットをしぼっていく。

 一方で、作業仮説を独自の文脈で読み解こうとする人びともいる。討論で主として挙げられていたのは、教育学、ジャーナリズム、そして一部の企業である。これらにかかわる人の中には、作業仮説にすぎなかったものを科学者お墨付きの結論として採用し、広報に努める。仮説はいつのまにか事実となるわけで、その際には科学的言説が一種の権威として用いられるのである。

 では、研究者は、果たしてこの状況を指をくわえてただ眺めているだけでよいのかだろうか。

 何がどこまで分かっているのか、それはどのようにして分かったのか、結局のところ何が分かっていないのか。少なくとも、これらのことを真摯に伝えようとする努力は必要だろう。そのためには研究者集団とその他の集団とのあいだを橋渡しする良質の翻訳者が必要だ(優秀な翻訳者が優秀な研究者であるケースもあろう)。流布する知を批判的に眺めるサイエンス・リテラシーの教育もそれを下支えするはずだ。

 都合のいい概念を得て先走ろうとする社会的動向がどこかにあるならば、それをなだめることはいかにして可能か。おそらく、分業のあり方を見直す作業から明らかになるだろう。

若手とは

 野暮用で非常勤先の大学へ。偶然、知り合いのM先生に遭う。

 十月末に開かれる小さな学会で、M先生とともにシンポジウムのスピーカーになっているのだが、話す内容について相談。学会の実行委員会が企画した(のだと思うのだが)シンポだが、提案されたたたき台には「若手研究者からの発信」というサブタイトルがついていた。

「なんでわざわざ若手であることを強調するのだろう」とM先生は疑問に感じてらしたようだ。

 夕方過ぎから、学部で研究交流会。

 この9月に転出される同僚に、これまでの成果を発表してもらい、そのあと壮行会を開こうという趣旨。

 集まったのは発表者含めて6名。2000年以降に赴任した「若手教員」というくくりで集めた。

 S先生のフィールドはインドで、初等教育にかんしてどのような問題があるのか、これから自分の手で掘り起こしていくのだという決意表明として聞いた。

 発表終了後、場所を移して札幌駅北口の飲み屋へ。幹事をしていたのと、酔っぱらってしまったのとで、何を話したのかあまり覚えていない。安心して酔っぱらえたのは、緊張していなかったからだろう。年の近い「若手」の集まりだったからこそ。

 「若手」の意義について考えた1日であった。

 翌日、宿酔でトイレと布団を往復したのも、まだ自分が若造であることの証か。