ICMPC10

 ただいま,北海道大学にて国際音楽知覚認知学会第10回大会(International Conference on
Music Perception and Cognition)が開催されている.

 国際音楽知覚認知学会
 第10回大会公式ウェブサイト

 大会を取り仕切られているのは文学部の安達真由美先生.安達先生には,学部は違えど,いろいろとお世話になっていることもあり,
「何かあったらお手伝いしますよ」と伝えておいた.これには下心があって,参加費を払わずに発表を聞くことはできまいかという,
非常にせこい動機によるのである.

 そんなわけで,少ない時間数ではあるものの,月曜,木曜とお手伝いとして参加した.

 機材係として参加したオーラルセッションのテーマはsocial interaction.ある研究者は,
ひとりのオペラ歌手にとって音楽とは何なのかをインタビューから解釈していた.またある研究者は,
音楽家が音楽家としてのアイデンティティを構成するにいたるのに寄与していた出来事は何かを,これまたインタビューから分析していた.

 音楽知覚認知というからもう少しゴリゴリしたものを想像していたが,さにあらず.学会としては,
さまざまな領域を広く取り込んでいるようだ.

 水曜日,手伝いの出番はないものの,会場に顔を出す.ポスターをひととおりながめていると,
ぼくの研究室に以前取材に来てくださった某音楽研究所のYさんとお会いする.所長さんとも知己を得ることができた.

 学会は明日から会場をモエレ沼公園に移す.ガラスのピラミッドでシンポっていいね.一方,北大会場は撤去することになるのだが,
その撤去作業を本日の午後いっぱいしてきたのでもうヘロヘロ.アルバイトの学生の皆さんもお疲れ様でした.

 明日から名古屋.11時には市内に入れるので,どこかいいところでメシを食おうか.あ,そーだ.鶴舞に行ってみよう.

ハーバーマス読書会終了

 もう先週の話ですけどね,ハーバーマス『コミュニケイション的行為の理論』読書会を開きました。

 参加者は,私含めて4名。ハーバーマスを専門に読んだことのないメンバーは誰もいなかったので,
群盲象をなでるがごとくに大著に挑みました。

 当初は2日間で3冊制覇などと目論んでおりましたが,やはり無理で,上巻の1章を何とか腑に落ちるまで読み込んでタイムオーバー。

 せっかくなので続きを読みましょうという話になり,次回11月1~2日,大阪での開催の運びとなりました。ので,
ご関心のある方はどうぞ。

ハーバーマス読書会のお知らせ

 下記の要領で読書会を開きたいと思います。神吉宇一さんの発案を受けまして,
共同で開催するものです。

 ハーバーマス読書会

 読む本: 「コミュニケイション的行為の理論」
 日時: 7月20日13時~ 21日9時~
 場所: 北海道大学 人文・社会科学共同教育研究棟 W518 地図

 2日間かけて,ハーバーマスの主著「コミュニケイション的行為の理論」を読みます。

 ご関心のある方はどうぞおいでください。その際は,レジュメを準備する関係上,下記連絡先までご一報くだされば幸いです。

 また,レポーターを引き受けてくださるという方を熱烈歓迎いたしますので,同じく下記連絡先までご一報ください。

 伊藤崇: tito [at] edu.hokudai.ac.jp (メールされる場合は[at]を@に直してください)

 以上でした。

楽しみ

 楽しみにしていた,島本和彦先生の第2回講義が順延された模様,残念!

 島本の感想文 2008.5.21 Wednesday

 北大関係者のみに限定…って,私もいちおう,大丈夫なんだよなあ。

 そうそう,楽しみといえば,今年開かれるとある学会にて,ある仕事を引き受けたのだけど,それがまたひどく楽しみ。
人生で三本の指に入るくらいの楽しみ。それが何かは,お相手もいる話なのでまだ詳しく書けませんが,確定し次第宣伝します。
お声をかけてくださった先生方に深く感謝申し上げます。

 ランシエール『不和』,カタツムリのような速度で読んでいるところ。不和の概念とか,政治の3つの形態とか,
とてもおもしろそうな個所は頻出するのだけど,全体としてはいったい何を議論しようとしているのか,まだピンとこない。というか,
ひどく読みづらい。要旨だけ取り出せば4ページくらいにおさまるんでないかな。

 東浩紀と北田暁大が編集した雑誌(ムック?)『思想地図』。第1巻の特集は「日本」。冒頭のシンポジウム記録と何本か論文を読む。
シンポに参加されていた方の発言にあった,かつて官僚は宦官や外国人などマージナルな人びとがになっていたという指摘,
マジョリティが官僚に就けるのは「去勢」されているからだ(とんがったことはしない)という指摘は興味深いなと思った。

「社会化」って何だ?

 臨床発達心理士会の北海道支部主催の講演会(?)でお話しさせていただくことになったようだ。

「ようだ」というのは,日程以外とんと詳しい情報が分からないため。6月22日(日)に北大でやるらしい。

 さて,どんな話をすればよいのやら。たとえばディスレクシアまわりの話をしたところで一般的な話しかできないし。

 そんなこんなでなんとか絞り出したのがこれ。

 「社会化」とは何だろうか
 非社会的存在の社会化は,これまでの心理学研究やその結果を利用した実践においては常に重要な目標とされてきた。政治的文脈では,子育て支援,発達障害支援,若者支援などの形ですすめられており,今なお多くのリソースが投入されている。では,社会的な存在とはそもそも何だろうか?心理学者はこの問題を棚上げにしたままで研究を行なうことはできるのだろうか?これらの問いについて,哲学や政治学でなされた議論をふまえながら,子どもを含む人びとの会話のマイクロエスノグラフィーに基づいて考えてみたい。

 うーん。風呂敷を広げすぎたろうか。

 でも,このテーマで準備をするのがなんだか楽しくなってきた。ジャック・ランシエール『不和あるいは了解なき了解』,Gianni Vattimo “The Transparent Society”をただいま読んでいるところ。このあたりからどういう結論が出てくるのか。

講義の外をどうするか

 発達心理学会2日目に開かれた講習会「こうすれば心理学の授業は面白くなる-あなたのFDのために」に参加。

 講師の澤田匡人君は大学の同級生,大学院の1年先輩(ぼくが大学を5年で出たため)。講演会に誰も来なかったらひやかしてさしあげようと思って会場へ行ったら,杞憂であり,満員の入りであった。このあたりさすがと言えよう。

 心理学について何も知らず,教養として心理学を学ぼうとする大学1年生向けの講義を念頭に置いた講習と理解したが,基本的なところはあらゆる講義に通用するだろう。主な内容は講義の組み立てとプレゼンテーションの具体的な方法についてだった。PCでのスライド作成に全力を懸けているとは聞いていたが,これほどとはと感嘆する美麗さ。言うことにはいちいち頷ける。

 見た目の力は,デパートの実演販売を思い起こせば分かりやすいが,人を魅入らせる第一歩である(当たり前か)。そう,大学1年向けの講義ですべきことはデパートの店員がすべきことに近い。デパートにいる人々とは,はっきりとした買い物の目標があるが,店内をぶらぶらしてそれ以外にもいいものがあれば買って帰ろうという人々である。大学も同様で,取りたい資格や卒論のテーマとしたいことは漠然とあるにはあるが,それ以外にも教養として単位を取りたい(あるいは取らねば卒業できない)人々がお客さんなのである。

 そういう人々を引きつけるために,まず実物を見せる。その次に「実物を手に入れた未来のあなた」を見せるというのがデパート的なやりくちである。であるから,館内に置く鏡はなるべく少ない方がよく,歩いていて見かけるのは化粧品売り場と試着室,それにトイレくらいである。ディズニーランドには鏡がないと聞いたこともある。

 大学も同様であり,大学が発行するパンフレットのたぐいを見れば一目瞭然であるが,そこで学べることとともに,「学んだ結果としての未来のあなた」が示される。○○になりましょう,○○で夢を叶えましょう,○○就職率100%。デパートと大きく違うのは,どこを歩いても大学が鏡だらけだということ,つまり,現実が学生自身に否応もなくつきつけられるという点である。

 だいぶ脱線したが,澤田君からは講義中に誰も眠らない眠らせないJOCX MIDNIGHT-TV的プレゼンの方法を教えてもらった。すぐにも真似できるヒントももらった。

 ところで。講義は講義だけで完結していない。大学の単位の数え方は,半期で1コマ2単位というのが通常であるが,講義への出席だけでなく予習復習も含めて2単位なのだと聞いたことがある。言い換えれば,講義でこれから触れることを確認し,大学に行って教員の話を聞き,その内容をおさらいするというサイクルを毎週繰り返して2単位なのである。そんなことを律儀に遵守していては寝る暇も稼ぐ暇もなくなるのだから,期末試験前にノートをひっくり返すだけでも十分だと思う。(そうすると試験の1週間前になって学生さんが大挙して質問にやってくるわけだが)

 ただ,講義の時間だけで必要なことすべてを伝え切るのは不可能なことは当の教員自身が知っている。学習とは,ポケットからポケットに物を移し替えるようにはいかない。学生になんらかの知識を作り上げることの困難さは,学習科学が扱う大問題である。

 少人数の演習形式や実験形式であれば,なんらかの対応はできよう。しかし100名規模で行われる座学式の講義でできることは限られてくる。いきおい,時間外になんらかの形で学生みずから学ぶ姿勢を求めたくなってくる。たとえばフロイトについて興味が出れば,本を借りるなり,ググるなりしてくれればと願うものである。しかし,そこまでもっていくことはなかなか難しい,少なくともぼくはそうだ。

 これはものすごく難しい問題だと思うのだが,思いつく方策にはいくつかある。

1 教科書を指定し,買ってもらう
 よい教科書であれば,語句の定義から重要な図表まで載っているものであるし,読みやすい参考書も紹介してくれているはずである。教科書のここを見ておくようにと講義中に指示することにより,時間外学習へ導く。
 ただぼく自身は,一般的な講義で教科書を指定したことはない。

2 参考書を紹介する
 たまにぼくがやるのだが,講義の終わり頃に参考書を紹介する。何のことはない,講義を作るのにぼく自身が参考にした本を紹介するだけである。

3 ネットへ誘導する
 ググれと言う。

4 テレビやマンガの見方を変える
 本は読まないがテレビやマンガならという学生もいるだろう。そういう人向けに,それらを心理学的な観点から見るためのコツを伝授するというのもありだと思う。たとえば,教育心理学的に金八先生を見るとか。言説に批判的になるためには必要なことかもしれない。

 思いつくままに挙げてみた。授業を充実させることがFDの目標だとして,個々人の教員ができることにも限界がある。そうしたとき,教員だけが学生を変えるわけではないと気楽に構えること,そして外部のリソースにうまく誘導することも必要かもしれないと思った。

発達心理学の過去をどうするか

 発達心理学会初日に開かれた「発達研究の未来を考える」と題された座談会に出席。藤永保先生,岡本夏木先生といった,日本の発達心理学そのものと言っても過言ではないくらいの大御所の先生方がそろってお話しされるというので出席。ただし,前半だけ。

 両先生の院生時代から語り起こされる思い出。すでに事典にお名前が掲載されるくらいのビッグネームが次々と出てきてくらくらする。

 まだ子どもを対象とした心理学がマイナーもいいところという時代にあえてその道を究められた背景となるものについて語っていただいたように思う。

 未来を語る前に過去をきちんと総括する,ということなのだろう。

 そういう気運は最近目立って現れてきたように思う。最終日に開かれたシンポジウム「『母親の態度・行動と子どもの知的発達 日米比較研究』を読む」はその一つだろう。白百合のSさんに薦められて参加したのだが,ある意味で感慨深く先生方のお話をうかがった。

 日本の心理学を牽引されてきた大家,東洋先生らが中心となって進められた,日本とアメリカ間の文化比較研究について,当時プロジェクトに参加された方々-もちろん東先生も-や,若い方々に語ってもらうという趣旨。

 取り上げられた問題に,比較をする物差し自体を作りながら研究を進めることの難しさや,そもそも研究をする風土に日米で大きく差があること(アメリカはプロジェクト型,日本は趣味(?)型)があった。その悩みは共有できるものであるし,苦労を超えて当初の目標をなんとか完遂しようとされた先輩方の努力には頭が下がる。

 私自身感慨深いのは,そのプロジェクトの中心メンバーのお一人,北大の三宅和夫先生とその研究室の方々が研究の舞台とされていたのが,現在私が部屋を置かせておいていただいている施設だからである。乳幼児発達臨床センター(現・子ども発達臨床研究センター)がそれである。

 そういう日本の発達心理学史に大きな足跡を遺された方々がかつて熱心に議論されていた場にいることにあらためて気づかされ,身の引き締まる思いであった。

 実はこのセンターには,そうしたプロジェクトによって生まれた実質的な財産,すなわちデータの原票や映像資料,その他機材などが実は今もなお残っている。あちらの部屋の棚,こちらの部屋の段ボール箱,あるいは廊下に置かれたロッカーの中,いたるところにプロジェクトの遺産がある。

 日常的にセンターの中で暮らす者にとって,これらは捨てるに捨てられない,正直なところ扱いに困るものである。たとえば将来的にセンターが改築されるとして,そうした際には,誰かが整理しなければ,おそらくポイポイと捨てられていくに違いない。

 日本の発達心理学の歴史を作った偉大なプロジェクトを支えるデータがこのような扱いを受けるのはどうだろうと思う反面,では誰が整理・管理するのかという問題には及び腰になってしまう。今のところの私の立場がまさにその整理・管理をする正統的な立場だからである。また,これらは実験や調査に参加していただいた方々の私的な情報そのものであり,それを遺すことには倫理的な問題もある。

 どうしたらいいのだ。いやほんと,どうしたらいいんだろう。教えてください。

サンボア

 大阪で開かれた発達心理学会に参加してきました。

 18日の夜に関空から大阪入り。宿は梅田そば兎我野にある怪しげなビジネスホテル。

 さてさて,夜ともなれば酒場をうろつかねばなりませんね。ホテルのそばにはお初天神があります。その周りはちょっとした盛り場になっていて,天神さまから抜ける小路に小さなお店が軒を連ねている一角があります。そこをふらふらして,鹿児島料理を出すお店にまずは入りました。刺身に揚げたての薩摩揚げ,ビールに焼酎を楽しみます。

 お店を出て二軒目へ。行きたい行きたいと思っていたバー,「北サンボア」へ入りました。外見からして歴史を感じさせる趣。というか看板がなければ崩れかけの民家のような。

 ドアを開けると右手にはテーブル席がいくつか,左手にカウンター。カウンターには手すりと足置き用のバー(何て言うんでしょうかね)がつけられていて,立って飲むようになっています。太田和彦先生曰く,これが本式だとのこと。

 ジントニックをもらいます。おつまみはピーナツ。

 カウンターの中には蝶ネクタイを締め,口ひげを生やしたご高齢のマスターと,その息子さん。息子さんの方に話しかけます。

「サンボア」と名のつくバーは,北新地や京都,銀座にもありますが,その源流は神戸にあったそうです。神戸のサンボアはもうなくなってありませんが,そこで修行をされた方がのれん分けをされて,最初に3つの「サンボア」が各地に開店しました。そこからさらに何人かが独立していき,現在のようになったとのこと。最初にのれん分けされた3軒のひとつが北サンボア。ここを始められたのは,現在のマスターのお父様,話をしてくださった息子さんのおじいさんだそうで,三代にわたってお店を守ってきたことになります。

 サンボアの名の由来もうかがいました。なんでも,神戸の最初のお店の名を,柑橘類の「ざぼん」の語源となったオランダ語「ザンボア」にする予定だったそうなのですが,「Zamboa」の”Z”を看板屋が”S”とひっくり返して書いた。それを神戸の初代がおもしろがり,そのままお店の名としたとのこと。

 現在のお店は建ててもう60年ほどになるようで,店全体も中の調度もほぼ開店当初のままだそうです。可能な限り,残していってもらいたい,貴重な文化遺産のようなお店でした。

UKさんと飲む

 ちょっと前のこと。東京よりUKさんがいらっしゃるとのことで、飲みましょうという話になった。

 UKさんとは大学院時代にいろいろと研究会などでお世話になった。大阪の大学院で日本語教育の勉強をされた後、あちらこちらに行かれ、今は経産省関連の団体にお勤めを始められたそうである。今回は、とある用事で札幌と北見を視察されていくとのこと。

 さて、どこにお連れしようか。

 メールには、時計台そばで5時まで仕事です、とあった。時計台のそばで知っている美味しい店は「こなから」くらいしかない。5時半から予約した。

 スーツ姿のUKさんと待ち合わせ。

「こんな格好でねえ」

 お互い、院生時代の姿しか記憶にないので、苦笑しながら歩いた。

 ビルの細い階段を上った2階に店がある。引き戸を開けると、どうも我々が口開けのようだ。「こなから」は3度目。以前食べた亀の手が忘れられない。

「さて、なんにしましょうかねえ」

 メニューからUKさんに選んでいただく。鮭児のハラス、それに鰯を刺身で。コマイの卵の醤油漬けなんてのもいきましょう。北海道らしいし。

 ジョッキを打ち合わせ、ぐいぐいと飲み干しながらお互い近況報告。なるほどそんなお仕事をされているのですか。お、空きましたね。では酒にしましょう、これとこれね。つまみはと、酒盗クリームチーズとタチぽんをお願い。

「相棒が今、今日の仕事先のみなさんと飲んでいるんですが、いっしょにどうですか」

 飲みながら、UKさんからお誘いを受ける。おもしろそうなので、一も二もなく賛同。ごちそうさまでした。

 そんなわけで二次会は、札幌駅西口高架そばのJR55ビル内にある「Suntory’s Garden 昊」。すでに盛り上がっていたところ、UKさんといっしょに紛れ込む。

「北大の伊藤と申します」
「はじめまして、○○の○○と申します」
「どうぞよろしく」
「こちらこそ」

 名刺のやりとりのあと、ようやく落ち着いてビールを乾杯。

「教育学部でしたら○○さんはご存じですか」
「はいはい」
「実は○○さんにはこれこれでお世話になって」
「ええ、そうなんですか?」
「よろしくお伝えください」
「いやあ世界は狭いですなあ」

 大学にいると見えない世界が厳然とそこにある。商売をされる方のフットワークの軽さ、行動力、先を見通す目、覚悟。北海道という不況のただ中からなかなか抜け切れない地で商売をするということ。

 お開きになった後、UKさんと落ち着いて飲み直しましょうということですすきのまでてくてくと歩く。大通公園には雪像を造るための枠組みができていた。

 ふところもいよいよ心許なく、こういうときは最近通わせてもらっている「金富士」である。とにかく安い。キャバクラの入ったビルの入り口を開けて地下に潜ると紺地に白字の暖簾が待っている。

 相も変わらず盛況の様子だが、カウンターがすいていた。並んで座る。ここに来たら酒は男山しかない。UKさんは冷や(常温のことである)、私はお燗してもらう。

 妙な具合に盛り上がり、深夜1時まで話し込んだ。

「研究会をやりたいですね」
「やりましょう」
「やっぱりこういう仕事してると勉強する時間が」
「そうそう」
「読みたいのがあるんですよ」
「なんでしょう」
「最近はハーバマスですね」
「いいですね、やりましょう。いやいや、ぜひやりましょう。決めましたからね」
「温泉につかりながら」
「いいですなあ」
「実は2月頭が空いているんです」
「手帳に書いちゃいましたよ」
「絶対ですよ、やりますからね」

 堅く手を握りあい、次の日北見に行くというUKさんと別れた。それぞれお銚子2本ずつ飲み、焼き物もひととおり頼んで、勘定は二人で二千円ちょっと。やはり安い。

 1日たって、酔いの覚めたUKさんから、6月か7月にしませんかとメールが。私もそれがいいと思います。

 というわけで、今年の夏は北海道でハーバマス『コミュニケイション的行為の理論』を読むことにしました。興味のある方はぜひご参加ください。

北海道心理学会

 7日、北海道心理学会が北海道教育大学旭川校で開かれました。私は同学会の事務局を1人でつとめている関係で、出席することとなりました。

 予定よりも早く会場に到着。旭川校で大会準備委員会をされている、久能先生、懸田先生、宮崎先生、江上先生とご挨拶。これまでメールでのみやりとりをしてきたので、久能先生以外の方とお目にかかるのははじめて。アルバイトをなさる旭川校の学生さんがリクルートスーツを着て三々五々朝靄の中をやってきました。

 参加受付ブースの隣に学会事務局ブースを設営してもらい、年会費の徴収をおこなうのが、今回のメインの仕事であります。参加者のみなさんが今回ばらけて来場されたので、危惧していたほど混雑もせず、なんとか無事に波を乗り切ることができました。

 昼からの理事会には事務局として進行と説明を担当。お偉い先生方に混じって仕出し弁当をかきこんでから、冷や汗をかきながらも、恙なく理事会を終えました。

 引き続き総会ですが、こちらは理事会の内容とまったく同じなので、特に問題なくクリア。

 大会の最後は、名誉会員の相場覚先生による記念講演。視覚障害者の形態認知に、もしも法則のようなものがあるなら、それはどのようなものかをこれから調べていきたいとの決意表明とうかがいました。

 これにて大会は終了。ひきつづき懇親会です。駅前のホテルに荷物を置いた後、旭川グランドホテルへ移動。すでに始まっていました。もう料理はひととおり消え失せており、残された海苔巻きをぽそぽそと食べます。

 7時に会場をあとにし、投宿しているホテルへ。ここのロビーで、教育大旭川校におつとめの高橋亜希子さんと合流。高橋さんは昨年旭川に赴任されたのですが、それ以来、年に1、2回はお会いしています。

 高橋さんからお二方をご紹介いただきました。おひとりは、札幌で保育士をつとめられた後、海外青年協力隊でアフリカに行かれ、現在旭川校で学生をされている女性。元気な方でした。卒論のため、札幌の保育園でフィールドワークをされているとのこと。

 もうひとかたは黒谷和志先生。教育方法学をご専攻とのことですが、リテラシー教育を特にテーマとしてこられたとのこと。活動理論などにも関心があるとのことで、飲みながらお話をさせていただきました。

 ホテルに戻ってばったりとベッドに倒れ込みました。これでここ2ヶ月のバタバタが終わるかと思うと、ホッとしましたよ。