046-ソシュールのアナグラム

ジャン・スタロバンスキー 金澤忠信(訳) 2006 ソシュールのアナグラム:語の下に潜む語 水声社

 現在記号学の祖として知られるフェルディナン・ド・ソシュールが晩年アナグラム研究に携わったことが知られている。アナグラムとは言葉の文字を入れ替えて別の新しい言葉を作り出す一種の言葉遊びである。

 ソシュールといえば『一般言語学講義』であるが、これはタイトルの示すごとく、ソシュールが講義した内容を学生のつけたノートをもとに復元、編纂したものだ。現在では、最初に出版されたバイイとセシュエによる編集本には曲解が混じっていることがある程度分かっており、その他の学生のノートと照らし合わせながら、ソシュールが講義で示したポイントを再検討する作業が続いている。

 それに比べると、ソシュールのアナグラム研究には検討の手があまり入らない。入っていないことはないのだろうけれど、大きく取り上げられることがないように思う。それに注目した数少ない研究者には丸山圭三郎がいた。

 ソシュールがなぜ言葉遊びに向かったのかどうも気になっていて、ちょっと前に本書を読んだ。

 スタロバンスキーの結論は以下である。

われわれは、フェルディナン・ド・ソシュールのすべての研究の前提となっている次の考えを、結論として確認できるだろう。すなわち、作品の言葉は、これに先立つ他の言葉から生じるものであって、創作する意識により直接に選ばれたものではないのである。(スタロバンスキー,1980,p.185)

 そもそもアナグラム研究は何のために行なわれたのか。詩を読むと、詩人はみなパロールに潜在する「無意識」にしたがっているように見える。ソシュールはそう考えた。しかし、詩人はそれを特別な技法として説明していない。ソシュールは詩人が詩作過程においてしたがっている「無意識」を探そうとした。

 無意識が現れるのは選ばれた語の意味内容にではなく、その形式的な配置ではないか。ソシュールはそう考えたようだ。というのも、ある詩の一節に含まれる文字をところどころつなげて読むとある語が浮かび上がってくるからだ。

 何を馬鹿な、と思われると思う。そもそもソシュールが相手にしたヨーロッパ書記言語体系を構成するのはせいぜい三十弱の文字に過ぎず、それらを組み合わせてしか表現することはできない。ならば、その限られた文字から成る文章から数文字を抜き出しても、別の単語ができあがる公算が高いのは当たり前ではないか。

 しかし、この点は重要ではない。むしろなぜソシュールがそのようなことをしたがったのか、ということが問題なのだ。

 おそらくソシュールは、言語は借り物であり、それは誰からどのようにして借りたものなのか、ということを知りたかったのではないか。その、「誰か」と「どのように」を、文字の組み合わせの痕跡から推測しようとしていたのではないか。

 一見すると単なる神秘主義にも思えるアナグラム研究だが、そのように考えると、実は、社会文化的アプローチの心理学理論のなんらかの源流をソシュールも受け継いでいると考えられるのではないか。

 バフチンは、ソシュールの記号学を静的な言語観として退けているが、彼が参照したのはあくまでもバイイとセシュエによる編集本である(『一般言語学講義』の初版は1916年のフランス語版だが、『マルクス主義と言語哲学』の文献リストによれば、バフチンは1922年に出た仏語の第二版を持っていたようだ)。反目しあうと考えられていた彼らに通底するものを探り出し、それを今後の研究の枠組みに反映させるというのがわれわれの仕事だろう。

文献

ジャン・スタロバンスキー 工藤庸子(訳) 1980  ソシュールのアナグラム・ノート 現代思想 10月号 pp.175-188.

045-社会文化的アプローチにおける人格

レフ・ヴィゴツキー 柴田義松・根津真幸(訳) 1971 芸術心理学 明治図書出版

 社会文化的アプローチに基づいた心理学は、人間に固有な精神のはたらきを明らかにすることを目的にすえる。この目的を達成するうえで社会文化的アプローチが前提とするのは、そうした精神のはたらきは人びとの社会的な結びつきに発生的起源をおくというアイディアである。まずこのことを確認しておきたい。

 ポイントは3つある。第一に、人間固有の精神機能は自然の用意した要素同士が発生的に新しく結びついた結果として生まれたものであること、第二に、そうした結びつきは人為的に利用されるということ、第三に、ある人が人為的に利用した結びつきは、また別の人によって再利用される可能性があるということである。

 精神のはたらきにもいろいろある。系統発生を前提すれば、他の生物種と共通する基盤から生まれたグループがまず考えられる。さらに、人間という種においてはじめて現れた精神のはたらきのグループもあるだろう。ひとまず、前者のグループを低次精神機能、後者を高次精神機能としておさえておく。

 ヴィゴツキーは、高次精神機能について、物質的客体相互の新たな関係の出現にともなって生まれるというモデルで考えた。高次精神機能とは、歴史的に新しく生まれたものである。しかし、この世界にはこれまでに自然が生み出したものしか存在しない。ならば何が新しいのかというと、組み合わせである。すでに存在していたもの同士が結びつきあい、新しいプロセスが生じる。たとえば、A、B、Xという3つのノードを想像しよう。ノードAとBのあいだには1本の線でリンクがはられているが、Xは孤立している。なんらかの変化により、両者がXという別のノードと結びつくと、AとBのあいだにはXを「媒介」とする新たな経路が生まれたことになる(ヴィゴツキー、1925/87)。

 二つ目のポイントは、人間は新たに生まれる媒介ルートを道具的に利用することができる、ということである。ヴィゴツキーの考えによれば、媒介項との新たなリンクが生まれたとき、人間はそれを用いて自分自身にはたらきかけることができる。ヴィゴツキーはこの自分自身へのはたらきかけに自覚的な意識の発生を見た。自然が用意した条件(各ノードの数や性質など)を人為的に接続し直すことによって、人間は自然を乗り越えることができる、これが文化的発達だ、というわけである。このような考え方をヴィゴツキーは「道具主義」と呼び、人間が精神内過程において自分自身の行動を調整するために用いる媒介項を「心理的道具」と呼んだ(Kozulin, 1998;ヴィゴツキー、1925/87)。言語をはじめ、人間の記号作用に介在するものはすべて心理的道具である。

 言語にもとづいた思考も、個体発生の過程で新たに媒介が起きて生まれた高次精神機能のひとつである。しかも人間の文化的発達にとってもっとも重要なものである。『思考と言語』では、社会的なコミュニケーションの道具であった音声が、自然的な行動調整のプロセスである思考と結びつき、心理的道具として用いられることによって、個体発生的に新しく言語的思考が生じることが主張される。音声でのコミュニケーションは鳥もおこなうし、思考はケーラーのチンパンジーにも見られる。他の動物種で両者が結合することはないが、それが起こったのが人間という種だ、というのがヴィゴツキーの考えであった。

 最後のポイントは、媒介された精神機能のうち、外的な物質的客体によって媒介されたものは、その客体の相互利用を通して別の人間にも発生しうるということである。代表的なものとして、ふたたび言語を挙げることができるだろう。人間の子どもの場合、すでに言語的思考をおこなう大人と話し言葉を交換することを通じて、かれらの内面に言語的思考が発生しうる。

 言語的思考などの高次精神機能は、人間という種の歴史において発生した、具体的な経歴を持つものである(Scribner, 1985)。高次精神機能には言語的思考のほか、記銘や反省的思考などが挙げられるが、われわれはこれら高次精神機能のレパートリーがすでにいくつか出揃っている時空間にたまたま生きている。研究者によってはこのレパートリーをツールキット(Wertsch, 1991)、レンチキット(エンゲストローム, 1999)などと呼ぶ。おのおの特殊な機能を果たす道具の雑多なまとまりという意味である。現代に生きるわれわれは、先人の生み出してきたレパートリーを独自に利用するとともに、同時にそれを次世代の人びとに伝えるような工夫をしているのである。

 したがって、以上の3つのポイントを総合すれば、現代に生きるある個人において個体発生の過程で発生する高次精神機能は、その起源をその個人以外の人びととの社会的なやりとりにもつということになる。「記号は、つねに最初は社会的結合の手段であり、他人へのはたらきかけの手段であって、その後でのみ自分自身へのはたらきかけの手段となる」(ヴィゴツキー、1930-31/70、p.206)。

 ヴィゴツキーの著作やその解説に多少なりとも親しんだことのある読者ならば、ここで述べたことはすでに馴染みのあるものだろう。高次精神機能が本質的に社会的起源をもつというこの命題をあえて繰り返して述べたのには、ふたつの理由がある。ひとつには、これはヴィゴツキーが心理学理論を構築する出発点であったからである。すなわち、この命題を前提として、ヴィゴツキー心理理論を構成するさまざまな派生的命題が帰結するのである。たとえば、この命題が学校での教育実践に適用された場合、こんにち「最近接発達領域」の名で知られる説明概念と、他の子どもと協働して達成できた成果から子どもの潜在的学力を評価するという実践方針とが得られる(ヴィゴツキー、1956/2001;Lidz, 1987)。

 もうひとつの理由は、高次精神機能の社会的起源という命題に不可欠な「他者」や社会的なやりとりの概念が明らかでないからである。とりわけ、その他者はある個人にたいして結局のところ社会的やりとりとして何をするのか、そこで何ができるのかということが、ヴィゴツキーの著作では必ずしも整理された形では明らかにされていないからである。

 ここで少し視点を変えて、「他者」側に自分の身を置いてみよう。たとえば、教育実践に参加する人びとは、「教師」と「生徒」という社会的役割の配置を取る。生徒にとって教師は端的に他者である。ヴィゴツキーの心理学理論を基礎とするある種の実践方法は、生徒の日常的生活から自発的には生み出されなかったであろう、その者にとって新しい心理的道具が、他者=教師との社会的なやりとりを通じて、生徒の内面に形成される、と考える(Kozulin, 1998)。ここでは、自分自身は生徒にとって「他者」としてしか現れることのできない教師は、なんらかの社会的なやりとりを手段として、生徒になんらかの変化を起こすことができる、と前提されている。

 しかし、現実に教育実践に携わる者にしてみると、上に示された図式に基本的にはうなずけるとしても、どこかはっきりしないもどかしさを感じるのではないか。「本当に教師の望むものが生徒の内面に形成されているのだろうか」と。

 そのもどかしさは、おそらく次のことに由来する。高次精神機能の社会的起源という命題が主張することは、もしもある個人の内面において心理的道具を媒介とする発生的に新しい精神機能が存在するとすれば、それは外的な活動を通して形成されたものだ、ということであって、それ以上でもそれ以下でもないのである。慎重にならねばならないのだが、ある特定の社会的やりとりにおいてある個人がある特定の外的行為をすれば、その個人の内面にある特定の高次精神機能が必ず発生する、ということはこの命題からは保証できない。このことについてヴィゴツキーは、親子で使う言葉が形式的には一致していても、そこに親子それぞれが見出す意味には常にズレが生じうることを指摘している(ヴィゴツキー、1956/2001)。

 このように、人間の文化的発達の重要なモメントである社会的なやりとりについて、ヴィゴツキーはそれが非常に困難なこと、なんらかの不自由を含むものとして描いているように思われる。しかし同時に彼は、それが文化的発達の起源であるとも言う。つまり、多くの人間は個体発生の初期においてそれをやすやすとやり遂げている、というわけである。

 以上から、ヴィゴツキーは高次精神機能の社会的起源を前提として独自な心理学理論を構築したにもかかわらず、その大前提となる、そもそも二人の個人においていかにして社会的なやりとりが成立するのかという点については、まだ残された検討課題のあることが分かる。では、ヴィゴツキーは二人の個人のあいだにやりとりが成立することについて、何を考えていたのか。

 この点について本章では、ヴィゴツキーがまだ本格的に心理学研究を開始する前に書いた文芸批評とを通して、自己、他者、そして両者の関係についてヴィゴツキーが考えていたことを示す。これらの文芸批評は、ヴィゴツキーの思想の発展の歴史からしても、1924年以降に書かれた心理学理論に先行するものであり、高次精神機能の社会的起源という命題を基礎づけるなんらかの前提が含まれているものと期待できる。特に、彼が学生時代に書いたという『デンマークの王子ハムレットの悲劇』と、1926年に出版された『芸術心理学』での議論を基に検討を進める。これらの論文は、ヴィゴツキーが心理学という文脈で研究を始めるにいたるまでの問題意識が書かれている(van der Veer & Valsiner, 1991)とされながら、これまで検討されることの少なかったものである。このことからも、上記論文を検討することには、ヴィゴツキーの学説史にこれまで当てられることの少なかった一面を見るという意味があると考えられる。

 ヴィゴツキーの芸術に対する造詣は深く、特に演劇にかんしては並々ならぬ関心を寄せていたことが知られる。たとえば大学卒業後、彼は郷里の演劇団体の指導にあたっていた(van der Veer & Valsiner, 1991)。また、日本から歌舞伎が公演にロシアを訪れた際には一週間かかさずに観劇したという(森、1962)。死の直前に書かれた論文には、舞台俳優の創造性というテーマのものもあった。

 演劇にとどまらず、ヴィゴツキーは文芸作品全般について学生時代から多くの論評を遺しており、単なるディレッタントではなかったことが分かる(エトキント、1997)。アンドレイ・ベールイ『ペテルブルグ』への書評を嚆矢として、1923年までのあいだに文芸評論が数多く書かれた。そのなかでとりわけ大部なのが、1915年と16年に書かれた『デンマークの王子ハムレットの悲劇』(以下、『ハムレット論』)であった。ここではシェイクスピアの悲劇『ハムレット』の分析を通して、悲劇が成立する基本原理の解明が目指されていた。また、当時の最先端の芸術理論であったシンボリズムやフォルマリズムに対する応答として書かれた『芸術心理学』では、主に文芸・演劇を題材としながらも、芸術作品一般に向かい合う際に人びとの内面に起こる感動--ヴィゴツキーは美的反応と呼ぶ--についての科学的客観的研究の方向性を提示した。

『芸術心理学』の前書きを書いたア・エヌ・レオンチェフや、ヴィゴツキーの評伝(van der Veer & Valsiner, 1991)によれば、ヴィゴツキーは『芸術心理学』を書き上げた後、心理学研究の量産体制に入ってからは、美的反応についての研究に立ち戻ることはなかったという。その後の彼の研究対象となったのは、美的反応も含めた人間の心理過程全般であった。言ってみれば『芸術心理学』を踏み台として、関心の向け先を変えたというわけである。

 その一方で、彼の芸術研究と心理学研究とを連続的なもの、あるいは、背景に共通するひとつの問いを持つものと考える研究者もいる。ア・ア・レオンチェフ(2003)によれば、実際のところヴィゴツキーは、同時期に芸術と心理学の両方に興味をもっていたという。また、キャリル・エマーソン(1997)は、ヴィゴツキーが研究した文学理論と心理学理論(さらには言語理論)は親和性があり、そこでは共通する問題が提起されていたことを指摘している。

 芸術理論が心理学研究への踏み台だったのか、その両者が同時に研究されるべき対象だったのか、そのどちらかをはっきりと選ぶことはここではできない。しかし、ヴィゴツキーの初期の文芸批評を読む限り、前節で提起した問題、すなわち自己と他者、そしてその間の関係についてのモデルはできあがっていたように思われる。

 そのモデルは『芸術心理学』で定式化され、「美的反応の理論」と呼ばれた。『ハムレット論』は、それをごくナイーブな形で提示している。以下、『ハムレット論』と『芸術心理学』でヴィゴツキーが主張したことはいったい何だったのか、検討していく。

 まずは、1916年に書かれた『ハムレット論』に注目したい。この論文で若きヴィゴツキーは、ハムレットに仮託して何を言おうとしていたのか。

『ハムレット』はシェイクスピアの戯曲の中で最高傑作の呼び声高く、彼の四大悲劇のひとつにも数えられている。その一方で、失敗作と断言されることもある。中野好夫は「ある意味で『ハムレット』は支離滅裂なのである。近代劇や近代小説観からいえば、およそこれほど破錠だらけ、矛盾だらけの芝居もない」(中野、1967、p.7)と述べる。

 このように相反する評価を受ける理由のひとつが、登場人物の、特に主人公であるハムレットの、謎に満ちた行動にある。

 端的なのが、ハムレットがあえて復讐の好機を逃すという場面であろう。その一方で、叔父の秘密を暴くために御前劇を設定したり、王妃の部屋に潜んでいた廷臣を殺し、遺体をすみやかに処理したりと、行動的な面もある。要するに、ハムレットの性格は観衆にとって分かりにくく、一貫していないのである。この揺れの大きさが、これまでハムレットの性格の謎とされてきたものである。

 単純に考えれば、復讐を描くなら一貫して行動力のある人物像を描くのが直接的で観衆にはわかりやすい。しかしシェイクスピアはそうしなかった。実際のところ、ハムレットの元ネタとなったデンマークの伝説では、王子は周囲を油断させるべく慎重に狂気を装い、計画的に準備を重ねた後ついに本懐を遂げる(*1

 伝説は改変されたわけだが、この復讐の逡巡について、批評家の中には、上演時間を引き延ばすためと説明したり、ハムレット自身が優柔不断な性格の持ち主だからと説明したりする者がいた。一般的な解釈では、主人公が悲劇的状況に置かれたのは、内側からの障害(つまり性格)、あるいは外側からの障害(つまり運命)と、主人公の自由意志とが衝突するからだ、という説明がなされる。

 しかしヴィゴツキーはいずれもしりぞける。ヴィゴツキーによれば、ハムレットとは、運命の悲劇でも、性格の悲劇でもない。特に後者はとうてい受け入れられない議論なのである。それは、行動と性格の一致を前提とする。ヴィゴツキーが『ハムレット』分析を通して主張するのは、「異常な行動を取る者は異常な性格の持ち主である」という理解の図式の否定である。

 このことはハムレットに限らない。『芸術心理学』では、同じくシェイクスピアの書いた『オセロ』のテーマが嫉妬による破滅であるにもかかわらず、登場人物が嫉妬深い性格には描かれていないことが指摘されている(ヴィゴツキー、1925/65/71、p.322)。逆に、嫉妬深くない人物が、嫉妬を起こさせないような人物のことを、嫉妬から殺してしまうことが、悲劇の成立には重要なのである。

 登場人物の言動や行動の内部に見られる矛盾や、その結果としての性格の謎といったものが、どうやらヴィゴツキーが悲劇を分析する上での入り口にしたもののようである。 

『ハムレット』に見られた性格の謎は、いったい何に由来するものか。ここが『ハムレット論』のポイントとなる。ヴィゴツキーは、悲劇の基礎には2つの契機が潜在していると述べる。(1)二重性と(2)隔絶である。

 分析の第一のポイントは、『ハムレット』を二重性をもつ構造としてとらえることにある。ヴィゴツキーの議論は、戯曲の内容レベルから始まり、次いで、劇から発生する悲劇的作用のメカニズムへと移行する。戯曲に書かれた内容の二重性が、戯曲そのものの構造の二重性を象徴する、というように。

 内容レベルでの二重性とは、『ハムレット』の時間設定や登場人物が、昼と夜、此岸と彼岸といった、互いに相容れない二項的な性質をもっていることを指す。たとえば、戯曲冒頭で、ハムレットに復讐を命ずる亡霊が現れるシーンは明け方を舞台とする。夜と昼とのあわいである明け方に、彼岸を象徴する亡霊という存在が此岸のハムレットと混交する。ヴィゴツキーは、こうした内容レベルでの二重性を「両世界性」(ドヴウミールノスチ、ヴィゴツキー、1916/70、p.120)と呼んだ。

 しかし彼が分析によって取り出した最も重要な二重性とは、「言葉」と「沈黙」という2つの言葉の対比として指し示されるものである。

「悲劇の《物語》のすべて、悲劇を読むことのなかにあるもの、その芸術的な知覚に属するもの、すべてこうしたものは、悲劇の言葉、言葉、言葉であるからである。あとは、沈黙なのである」(ヴィゴツキー、1916/70、p.247)(*2

 字義通りにとらえると、上で戯曲から引用された「言葉」とは、ハムレットの読む本に書かれたそれのことであり、「沈黙」とは彼の死の隠喩である。また、一般には沈黙とは言葉の不在を指す。音声言語を考えるなら、話者が口を閉じた瞬間に沈黙は訪れるのであるから、両者は時間的に共起しえない排他的関係にある。しかしヴィゴツキーの主張によれば、「沈黙」と「言葉」がそれぞれ象徴するものは、排他的な関係にはない。むしろそれは同時的に生起し、混じり合ったものとして知覚されるのである。

 ヴィゴツキーの分析で注目すべきは、この「言葉」と「沈黙」という内容レベルでの両世界性=二重性が、そのまま戯曲全体の構造を象徴している、とすることである。では、「言葉」と「沈黙」にヴィゴツキーが見いだしたものとはそれぞれいったい何か。

 このことを考えるには、第二の契機である「隔絶」をおさえておかねばならない。

 そもそも、ハムレットが発する言葉は、彼の精神過程を直接表現したものなのだろうか。もしもそのように考えるなら、批評家はハムレットの行動の一貫性のなさを、彼の発言に探ればよい。言葉は行動の動因たる内的過程の写しだ、というわけである。しかしヴィゴツキーはその考え方を拒否する。かわりに、本当の苦悩は「測りえぬほど深い魂の深所」(ヴィゴツキー、1916/70、p.81)、すなわち「沈黙」のうちにあるとしたのである。

 ここでヴィゴツキーが言おうとしていたことは二点あるだろう。第一に、劇中で語られるハムレットの独白は彼の内面の正確な写像ではないこと。第二に、独白は彼の内面が部分的にでも推測できる「幕」であることである。

 ハムレットの語る言葉は本当の苦悩の存在をほのめかす記号であり、観衆からその存在を隠すと同時にその姿を映し出す「幕」のようなものとして捉えられる。観衆が直接見ることができるのは、幕に映し出されたものだけだが、そこに何かが映し出されているという事実は、幕の向こう側に被投影物があることを間接的に指し示す(ヴィゴツキー、1916/70、p.85)。観衆が知覚することができるのは戯曲の「言葉」だけである。当然であるが、観衆は語られなかったものの明瞭な姿を直接知ることはできない。その姿は、「おそらく存在するであろうもの」として知覚されるのである。観衆にとって可能なぎりぎりのことは、沈黙の裏側を「言葉のなかに触知する」(ヴィゴツキー、1916/70、p.245)ことだけである。あたかも、月の表側を見て、その裏側の存在を空想する者のように。

 ヴィゴツキーが悲劇の基礎に挙げた第二の契機、すなわち「隔絶」とは、このように観衆と劇の登場人物のあいだに永遠に横たわる、内的平面で起きていることのお互いの不可知性のことを指しているものと思われる。

 言葉とは、ハムレットが舞台上で語り、観衆が聞くこととなる話し言葉のことである。そして沈黙とは、ハムレットが舞台上で語らなかったこと、観衆が直接的には聞くことのできなかったことである。これら、語られたこと=聞いたこと/語られなかったこと=聞くことのできなかったことという四つ組が、観劇という場において一度に生起すること。これが、ヴィゴツキーが悲劇の基礎に据えた2つの契機である、二重性と隔絶から帰結するところだろう。

 とは言えやはり、聞くことはできないものの触知することは可能な、「語られなかったこと」のありようは、まだあいまいである。語られなかったのなら、それは端的に存在しないことなのではないか。単なる神秘として片づけられてしまうようなことなのではないか。

 そうではない。語られなかったことは、はじめから言葉のうちに含み込まれているのである。このことは『芸術心理学』において、当時の文芸理論で提出されていた諸概念を用いて述べられている(*3

「事柄と筋の二重性-出来事が明らかに二つの面で進行すること、終始本筋とそれからの脇道についての確実な意識--内的矛盾--がこの戯曲のそもそもの基礎にあるのである」(ヴィゴツキー、1925/65/71、p.266)

「事柄」とは物語の素材となるあらゆるものを指し、「筋」とは作者による構成を経た、「事柄」の最終的な結合の仕方のことを指す。絵画でたとえるなら、事柄とは絵の具そのもの、筋とはその配色のことである。

 ここでのポイントは、観衆は同一の客観的対象(つまり、「言葉」)を手がかりとして、事柄と筋の知覚をおこなうということである。シェイクスピアが創作にあたって利用した伝説、すなわち事柄では、王子の行動は復讐に向けて用意周到に準備され、一直線上に整然と並んでいた。伝説を知る観衆は、復讐の達成をあらかじめ知っているのだから(そして実際、この伝説は当時よく知られたものであったらしい)、かれらにとってはそこへの最短経路を通る物語こそが、きわめて合理的でわかりやすいものであろう。しかし、実際に演じられる戯曲では、事柄と筋が正反対の命題をもつ。すなわち、「事柄の公式は、ハムレットが父の死に復讐するため、王を殺すということである。筋の公式は、ハムレットは王を殺さないということである」(ヴィゴツキー、1925/65/71、p.265)。これら矛盾する2つの物語構造を、観衆は一度に知覚する。

 これでようやく、ハムレットの性格の謎に近づくことができるようになった。
 ヴィゴツキーは、このように矛盾をうちに含んだ統一的契機を「登場人物」と呼んだ。彼によれば、悲劇は、事柄、筋、そしてそれを統一する契機としての登場人物という三項から発生するのである。「悲劇の根底によこたわる三重の矛盾、すなわち事柄と筋と登場人物の矛盾として公式化出来るだろう」(ヴィゴツキー、1925/65/71、p.273)(図1)。

(語られた構造)  (語られる素材)
 筋      -    事柄
   \              /
    \             /
 登場人物(筋と事柄の統一する場)

   図 1

 そもそも、ハムレットの精神は終始ひとつである。ハムレットの逡巡も行動力も、どちらも「同じ精神状態の二つの面」(ヴィゴツキー、1916/70、p.143)なのである。ハムレットはけっして分裂していたわけではない。ひとつの思考実験をしよう。もしもシェイクスピアが登場人物を1人増やし、復讐を果たそうとする血気盛んな青年ハムレットAと、それを冷静にとどめる青年ハムレットBとを登場させたらどうだっただろう。『ハムレット』に従来浴びせられてきたような、「登場人物の性格が分かりにくい」という批評家の非難はだいぶ軽減するのではないか。ハムレットAは事柄の構造に、ハムレットBは筋の構造にそのまま直接的に対応し、それぞれの「性格」として理解されるはずだ。

 しかし実際のハムレットは1人である。ハムレットは矛盾する動機をそのうちに含み込んだまま行動していることになる。ヴィゴツキーによれば、言行の矛盾は、二つの矛盾する動機のあいだでの揺れ動く登場人物として理解しなければならないのである。

 ここで、文芸作品や戯曲をこえた一般的な議論をするときのために、登場人物を「人格」と呼び変えておこう。つまり、戯曲全体の二重の構造は、登場人物の人格において一つに統合されているのである。「主人公の性格そのものが、この悲劇にあっては、二つの対立した感情を統一するモメントの経過にすぎない」(ヴィゴツキー、1925/65/71、p.322)。

        表面的一致
行動  無行動 無行動 行動
  ↑    ↑     ↑     ↑
   人格A       人格B

    図 2

 表面的には行動を起こそうとしない主人公2人を想像したとき、以上に述べたことはもう少し分かりやすくなる(図2)。図に示したように、無行動は人格Aからも、それとは別の人格Bからも発生しうる。たとえ表面的レベルで無行動という行動が一致していたとしても、それを生み出した起源は異なる可能性がある、ということをこの図は意味する。逆に言えば、行動も無行動も発生させうる統一的客体として、人格が措定されるのである。 

 ヴィゴツキーが「悲劇の基礎」と呼んだ2つの契機から、観衆が悲劇を観る際に起こりうるプロセスについて、次の2つを取り出すことができた。すなわち、戯曲の言語の内側に潜在する矛盾する2つの構造を措定すること、および、それを登場人物として統一的に知覚することである。

 しかしこれら2つのプロセスだけでは、悲劇を説明するには不十分である。なぜなら、芸術作品の最終的な目標であるところの、観衆になんらかの感動が起こるのはどのようにしてかということについて、直接的には説明できないからである。なぜ人格のうちに矛盾する動機を知覚することによって、観衆に悲しみの感情が起こるのか。また、なぜ作者シェイクスピアはそうした感情を聞き手に起こすことができたのか。われわれは、美的反応過程の分析、すなわち、他者の言行によって情動の変化が起こることを理解しなければならない。

 そもそもヴィゴツキーにとって、芸術とは何だったのか。それは、「社会的な感情技術」(ヴィゴツキー、1925/65/71、p.21)、すなわち「人間に情動をよびおこすように組み立てられた美的記号の総体」(ibid.)である。『ハムレット』の場合、シェイクスピアの創造は、事柄を組み立て直して新たな筋を作りだしたことにある。

 ここからが重要だが、シェイクスピアの創造はそこまでなのである。この劇を観た者においてどのような情動的変化が起こるのか、シェイクスピアには知ることもできないし、予想することもできない。この事情は観衆にとっても同様である。ある戯曲が与えられたとして、それが何のために作られたのか、創造の瞬間にシェイクスピアが感じていたのはいったいどのような情動なのかは、観衆にとって知ることもできないし、振り返ってみることもできない。しごく当然のことであるが、おさえておきたい。ヴィゴツキーは、悲劇の基礎をなすこととして、登場人物と観衆とが隔絶されていることを挙げたが、同じ図式が作者と観衆のあいだにもあてはまるのである。

 このことは、ヴィゴツキーが『ハムレット論』の序論において主観を「書く」ことの困難さについて述べている箇所から読み取れる。

 ヴィゴツキーは、芸術作品に触れた際に起こる感動には、本質的な表現しがたさが2つあると述べる。1つは、作品そのものが曖昧であり、正確な表現を許さないという性質である。もう1つは、読者が作品について正確に分かったとしても、それは理解ではなく感知にもとづくものであるがゆえに、言語化できないという性質である。まとめると、前者とは、作者の感じていたこと、考えていたことがどのようなものかは知り得ず、観衆はただそれのあることを言語において感知するのみだということであり、後者は、みずからのうちに起きた情動の変化を表現するに適した言語的手段を観衆はもたないということである。

 ここで述べられていることは、言語の不自由さの指摘である。前者はすでに述べた作者と観衆の隔絶を指しているだろう。ただそれは永遠のすれ違いとしてではなく、言語を壁にはさんだアパートの隣同士のような関係として理解すべきである。つまり、壁の振動を通して互いが部屋にいることは分かるが、実際に何をしているのかは分からないという隔絶のありかたである。一方で後者は、情動的な変化の起きた当の本人ですら、それを言語的思考において自覚することができないということである。ヴィゴツキーは精神分析学の用語を用い、情動の変化とは、定義上自覚の不可能な精神の無意識の領域で起こることだと指摘する。

 すでに述べたが、ヴィゴツキーは、言語をハムレットの内面に対応物を持つ写像ととらえる見方を否定した。そのかわりヴィゴツキーは、ハムレットの内部で沈黙のうちに起きている動機の葛藤の「痕跡」として言語をとらえたのである。

 美的反応の科学的研究は、以下の前提に基づいてなされるという。「科学は、直接的に与えられる意識的なものだけでなく、間接的に、痕跡・分析・再生を通して、また研究の対象からまったくかけ離れているだけでなく、ときにはわざとそれ自身はにせのまちがっているような素材を使って研究することのできる一連の現象や事実をも、研究するものであるということを示した。まさにそうしたわけで、無意識的なものは、それ自体としてでなく間接的方法を通して、ということは、それがわれわれの心理にきざむ痕跡の分析という方法を通して、心理学者の対象になるのである」(ヴィゴツキー、1925/65/71、p.102)。

 たとえば古生物学は直接的に観察することのできない古代の生物の生態について、その生物が砂地を這った痕跡から推測する。あるいは物理学は直接的に観察することのできない素粒子の動きをとらえるために巨大で精密な装置を開発してきた。

 表に現れたものから潜在する過程を推測する。こうした「客観的な間接的方法」(中村、1998、p.34)によって、心理学者は他者の美的反応を推測することができるのである。

 以上に述べた美的反応の理論とその方法論は、すでに『ハムレット論』においてほぼ確立していたものだと推測できる。ヴィゴツキーは以下のように書いている。「外的なものから内的なものへ、形式(《言葉》)から意味(《沈黙》)へ、作劇方法から劇全体-部分的にも全体的にも-の本質の解明へ、芸術家である作者だけでなく、主として批評家である読者が戯曲の本質を解明する方法とはこのようなものである」(ヴィゴツキー、1916/70、p.57)。直接触れることができるのはあくまでも形式であるが、読者はそこに潜在する内的な意味へと入り込んでいかねばならない。ヴィゴツキーのこの基本的な方針は、その後ぶれることなく心理学研究へと受け継がれていったと考えられる。

 読者も心理学者と同様である。与えられた言語形式を作者あるいは登場人物の内的な精神過程の「痕跡」ととらえる。その痕跡が、読者において起こる情動変化のきっかけとなる。作者にしてみれば、劇作の過程で唯一可能なことは、痕跡を残していくことだけである。その痕跡の残し方を一種の装置として、観衆の情動に変化を起こすことをたくらむのである。

 さて、最後にひとつの作業が残された。観衆に起こる情動変化の過程の分析である。
 これについてのヴィゴツキーの分析はよく分からないものである。確かに、『芸術心理学』でヴィゴツキーは感動の生起過程の分析をしてはいる。

 そもそも、観衆が知覚する戯曲とは、そのように配置された物の総体である。つまり、徹底的に外在的な物である。すると、感動の問題とは、これら外在的な物がいかにして内側で起こる感情とかかわりあっているのか、という問題にむすびつく。ヴィゴツキーが『芸術心理学』で言うところでは、感情のもとは外にあるわけではない。また、内面から自発的にわきあがってくる感情を外のものに投影しているわけでもない。ヴィゴツキーの説明では、観衆において複数の対立する情動が同時に生起し、その衝突が外的表現をともなわずに空想と結び付いた形で生起すること、これが美的反応の原理だとされる。しかしこれだけでは、そもそもなぜ対立する情動が生起するのかということは説明できないのではないか。

 この点については、筆者は確信が持てずにいるのだが、観衆にとって作者あるいは登場人物が「わかりにくい」存在であることが必要条件だと考えておくべきではないかと思う。ヴィゴツキーはこう述べている。「神秘性とわかりにくさは、…(中略)悲劇の核心そのもの、内的中心なのである」(ヴィゴツキー、1916/70、p.27)。

『ハムレット』という作品について、これまでに様々な評論家がわかりやすい筋を見つけようと努め、無理に合理化したり、作者の真の意図を見いだそうとシェイクスピアのバイオグラフィを追跡した。つまり、わかりにくさを取り除こうとしてきたのである。

 しかし、ヴィゴツキーはわかりにくさをそのままにしておく。むしろ読者がただひたすら解釈すべきものとして、一種の神話や聖書としてハムレットという作品を取り扱った。このことが重要なのではないか。

 観衆にとって作者あるいは登場人物は「わかりにくい」存在だとしてヴィゴツキーはとらえていた。考えておきたい点なのだが、わかりにくいとは「まったくわからない」でもないし、「完全にわかる」でもないという、中途半端な状態を指す言葉だということである。確かにヴィゴツキーは「われわれの一人一人が永遠に孤独である」(ヴィゴツキー、1916/70、p.242)とも言う。しかしそれは、他者が「語られたこと」とともに「語られなかったこと」を本質的に含み込んでしか現れないこと、すなわち、変な言い方だが、他者を「わかりつくす」ことなど不可能だという諦念の表明なのではないか。

 われわれが陥りがちなのは、他者は絶対に知り得ないという議論である。そのような前提から導かれる帰結はおなじみのものばかりだ。たとえば他者は認識のうちにおいて構成されるのであり、認識する主体が消滅すれば他者もまた消滅する。

 ヴィゴツキーも、他者の内奥は直接的には知り得ないとあきらめる。それは「沈黙」であり、彼岸であり、絶対的な「あちらがわ」である。しかし、言語形式を精神過程の痕跡としてとらえる間接的方法を採用することによって、他者に起きている動機の運動について推測することが可能となる。推測した結果が他者において実際に起きていたことと一致するかどうかは問題ではない。推測を可能とする基盤が与えられていることが重要なのである。したがって他者とは本質的に可能的な存在である。最初にヴィゴツキーが『ハムレット論』において「わかりにくさ」「あいまいさ」にこだわったのも、どうやらそこにありそうだ。

 このようにして、美的反応の理論は、とりあえず以下のように図式化できるだろう(図3)。

 矛盾する動機Aと動機Bの葛藤が行動のゆらぎを作る
     表現↓          ↑推測
 痕跡としての言語には、葛藤が刻印されている
                    ↑推測
 観衆は刻印から登場人物の内面を推測する → 推測した結果としての「人格」
    精神過程↓
     情動の変化

  図 3

 ヴィゴツキーの認識の出発点は、他者とはわかりにくい存在だ、ということだった。結局のところヴィゴツキーはそこにとどまることなく、間接的方法の哲学的原理と科学的方法論を洗練させることによって、他人の内面においてはたらく精神過程を研究する心理学プログラムを構想したのである。

 ただし、このプログラムにもできないことがある。ある現象、たとえば他者において情動変化が引き起こされるにいたる内的な過程がどのようなものかが最終的に分析し尽くされたとしても、ある出来事に続いて次に何が起こるのかということまではわからないのである。

 すでに述べたように、作者シェイクスピアができることは痕跡を残すことだけであり、観衆にできることはそれに反応することだけである。シェイクスピアにとって観衆にある特定の感情を一意に引き起こすことは不可能だ。また、観衆にしても、情動的反応過程の根源は無意識の領域にあるのであり、その運動を直接的にも、言語的思考によっても、統御することはできない。ヴィゴツキーの言う間接的方法とは、あくまでも運動が起こった跡をもとにして運動の単位を抽出するためのものである。

 問題は切り分けられた。すでに起きた心理現象について「なぜ」や「いかにして」を問うのは適切である。つまり、原理的に、他者の心理過程は推測の対象となりうる。しかし、これから生起する心理現象とは「何か」はを問うことは適切でない。つまり、原理的に、他者の心理過程は予測不可能なのである。

 まとめよう。表に現れた言葉や行動という媒体に潜在する動機の矛盾として、私は他者において人格を見出す。ただし、現実の他者の内奥で実際に起きている動機の運動がいかなるものかは、私にも、当の他者にも理解できない。それは言語に射影されないものだからである。したがって、自己にとって他者とは、知覚した言葉から推測してそのつどごとに仮構する人格のことである。これが、ヴィゴツキーが研究者としての初期に提案した美的反応の理論から帰結する、他者と自己との関係についての命題である。

 美的反応の理論を一応の完成にこぎつけたヴィゴツキーは、1924年にモスクワ大学にあった心理学研究所に職を得て、心理学研究に邁進した。それにともない、他者と自己の関係にかんする議論も発展を見せた。ここではその展開を追ってみたい。

 心理学者としてのヴィゴツキーがまず問題にしたのは、意識の科学的研究はいかにして可能か、ということであった(ヴィゴツキー、1925/87)。この問いに答えるためにまず彼が踏み台にしたのは、自分自身の直接的な経験をもとにして分析用語を作りだし、それを意識のメカニズムの説明に当てる、いわゆる経験主義心理学の考えであった。かれらの採用する方法は内観法であった。しかし、そうして得られた説明概念によって観察される自分の心的過程は分析可能だとしても、その観察する自分は説明できない。ヴィゴツキーは、ここに形而上学が入り込んでいるとみなし、意識を本当に科学的に研究できる方法ではないとして批判した。

 ただし、われわれが直接経験できるのは、やはり自分自身のそれだけである。わたしが他者の内面において起きていることを理解する際には、自分の経験は最良の手がかりとなる。したがって問題の焦点は、経験主義心理学がつまずいた点、すなわち、自分が自分を認識することはいかにして可能かという点に向けられる。

 これに対するヴィゴツキーの答えは、自己の認識、すなわち意識は、他者の認識をもとにして形成される精神機能だ、というものであった。「意識のメカニズムと社会的交渉のメカニズムとの同一性」(ヴィゴツキー、1925/87、p.88)として示されるこのアイディアは、ある個人が他者を認識することと、その者が自分を認識することとが、同一のメカニズムのうえに成り立っていることを言うものである。すでに自己を認識可能な主体が外部の他者を認識するのではない。まず外部の他者を認識するという思考の運動があり、そうして形成された他者のモデルを媒介として意識が形成されるというわけである。

 心理学理論においても、他者はわかりにくいものとして示されている。たとえば、『思考と言語』の第7章は、内言と外言の関係についての考察にささげられている。ヴィゴツキーは、自己中心的言語の検討を経由して、内言と外言はそれぞれ独自の機能と構文法を持つ言語形式であることを明らかにした。その上で、内面で機能する内言は、観察者からは「不可解」(ヴィゴツキー、1956/2001、p.419)だと述べる。というのも、内言とは自分自身に向けられた言葉、自分にだけ意味が通じればよい言葉であるからだ。

 不可解な内言の推測を可能にするのは、外言である。ヴィゴツキーは、トルストイの『アンナ・カレーニナ』における登場人物の会話を例に出して、単語の頭文字を羅列したものだけで頭に浮かんだ文章を相手に伝えることの可能性を指摘している。「対話者たちの頭に共通の主語が存在する場合は、極度に単純化された構文法の最大限に省略されたことばでも、理解は完全に実現する。反対の場合には、ことばはどれほど完全であっても、理解はまったく成立しない」(ヴィゴツキー、1956/2001、p.402)。

 したがって、ここでの他者も、美的反応理論で述べられていたように、「まったくわからない」でも「すっかりわかる」でもない存在なのである。

 美的反応理論における人格としての他者と、心理学理論における自己認識の源泉としての他者との関係について、もう少し検討を進めておきたい。実のところ、上に挙げた『思考と言語』第7章は2つの理論をつないでいる。

 美的反応理論における人格とは、「語られたこと」と「語られなかったこと」の同時的知覚が生みだしたものだった。この、出来事を同時的に知覚し、全体として統一するのは思考の特徴であると、ヴィゴツキーは『思考と言語』において述べている。「私は今日、青いジャンパーで裸足の男の子が街を走っているのを見た、という思想を私が伝えようとするとき、私は個々別々に、男の子、ジャンパー、それの青色、かれのはだし、彼が走っていることを、見るのではない。私は、それらをみんないっしょに、思想のひとつの行為のなかで見るのである」(ヴィゴツキー、1956/2001、p.426)。

 その一方で、言葉は単語を継時的につなげていくという特徴を持つ。したがって、「思想のなかでは同時に存在するものが、言語活動のなかでは継時的に展開する」(ヴィゴツキー、1956/2001、p.426)。つまり、外言にせよ、内言にせよ、言語活動とは、同時的に与えられた思考に「語られなかったこと」を作りだしながら「語っていく」という行為だということができる。

 ここで、ヴィゴツキーがこう言っていたことを思い出そう。「子どもと大人で同一の言葉の意味は、同一の具体的事物の上でしばしば交叉する。大人と子どもとの相互理解には、これで十分なのだ」(ヴィゴツキー、1956/2001、p.168)。原初的なコミュニケーションにおける相互理解は、具体的な事物を支えとして、言葉が二者間で機能的に等価である(意味的な一致が保証されていないのはすでに述べたとおりである)である限り成立する。

 ところで、大人と子どものいる空間には、言葉が指し示す具体的事物のほかにもたくさんの具体的事物があることだろう。このとき大人は、あるひとつの具体的事物を言葉によって機能的に前景化することにより、残りのものを一度に後景化する。言ってみれば、「語られなかったもの」を作りだす。一方、子どもは大人が知覚していたのとほぼ同じ空間とそこにある具体的事物を、同時的に知覚していたはずである。すると子どもは、ある具体的事物については語ったけれども、それ以外のものについては語らなかった存在として、大人を知覚することになるだろう。

 このようにして「語られたこと」と「語られなかったこと」を同時に作りだす存在である大人は、子どもにおいて人格と認められる。美的反応理論と心理学理論をつなげると、このように考えられるのである。とすると、子どもは、(そんな存在がいるとすればだが)すべてを一度に語ってしまう存在や、(これは十分ありそうだが)何も語らない存在については、そこに人格を認めないだろう。また、さらなる憶測を許していただけるなら、小さな子どもがさかんに「これは何?」「どうしてそうなの?」と大人を質問攻めにするのは、大人によって「語られなかったこと」をどうにかして言葉で埋めようとしていることのあらわれと考えられるかもしれない。

 最後に、冒頭で掲げた教師と生徒の関係に触れよう。さらに、現代の教育実践へのインプリケーションとして何が言えるのか、社会文化的アプローチを採用する先行研究をもとに簡単に検討しておきたい。

 ここまでで検討してきたことから類推すると、原理的に、生徒の思考がいかなる動機に由来しているのかも、いかなる内言と結び付いているのかも、他者である教師にとっては不可解である。したがって、「本当に教師の望むものが生徒の内面に形成されているのだろうか」という教師の悩みは、解決することがない。ただし、教師と生徒は、お互いにわかりにくいものとして現れる。お互いに、言葉や行動という痕跡によって「語られなかったもの」を推測した結果である人格として相手を理解するはずである。

 ということは、生徒は教師の語ったこと以上のものを、教師において理解するということでもあるだろう。生徒は、「教師が語ったこと」について知るとともに、「教師が語っていないこと」も知る。たとえば、「『本当に自分の望むものがかれらの内面に形成されているのだろうか』という悩み」も、生徒は教師において見出すかもしれないのである。

 もちろん、生徒が教師において見出したことが、教育的な目標と照らして望ましいものであるならば問題はない。しかし、教師が語らなかったことは、実際に語り得たことに比べ、膨大である。その中から、教育目標からは不適切であるにもかかわらず、教師が予想もしなかった読み解きがなされてしまう可能性は大いにあるだろう。したがって教師は、自分が「語ったこと」には、なんらかの「語られなかったこと」が関連してくるということ、そしてどのようなことが関連してくる可能性があるのかを知っておく必要があるだろう。

 実際のところ、語られた言葉にはなんらかの「語られなかったこと」が潜在するという考え方は、こんにち、教育実践におけるコミュニケーションを対象とした研究が積極的に取り入れているものである。そうした研究の背景には、もちろんヴィゴツキーの心理学理論が大きな位置を占めているものの、たとえばミハイル・バフチンやデル・ハイムズ、マイケル・ハリディといった研究者の、記号の社会的性質について述べた言語理論が強く影響している(Cazden, 1993; Wells, 1999; Wertsch, 1991)。

 これらの言語理論はいずれも、ある単語には辞書的、表面的意義だけではなく、それを用いる人びとの社会的な活動の総体が潜在すると考えている。たとえばバフチンの言う「ことばのジャンル」を考えてみよう(Wells, 1999; Wertsch, 1991)。ジャンルとは、言語的コミュニケーションの典型的パターン(たとえば、フォーマルな場でのパターン、宗教的儀礼でのパターンなど)と結びついた、発話の形式である。ある言葉、あるいはある慣用句を言うことは、間接的に、それをかつて発した誰かの「声」を自分の言葉に重ね合わせることである。

 そうした「声」が、目の前の話し手の表面的な言語形式の背後に聞き取られた場合、発話が置かれた状況全体を解釈するある特定の構えが聞き手に作りだされる。例えば多くのパロディがそれによって説明される。また、ある特定の言葉を使えるようになることとは、その背後に潜在するジャンルと自分とを関係づけるということでもある。たとえば、Wertsch(1991)が挙げていた事例では、生徒が拾ってきた溶岩について彼がクラスメイトに説明する際、教師はちょうど鉱物学が溶岩を分類する際に用いるような言葉(「それ、ざらざら、それとも、つるつる?」)で介入していた。最終的に生徒は、溶岩の説明を、自分の生活のジャンルではなく、教師の導入した科学的実践のジャンルを用いておこなったという。

 しかし、ジャンルの使用はこの事例のように常に平穏な結果をもたらすわけではない。Cazden(1993)は、論文に書く表現についてアメリカに住む2人の大学院生が相談する事例が紹介されている。博士課程の白人学生が修士課程の黒人学生を指導する場面である。黒人学生は、論文の読み手が要求するような言葉遣いをしなければならないことを認め、それを使うことを承諾しながらも、不平を言う。彼の不満は、論文のジャンルと関連する科学的実践や科学共同体に対するものではない。そうではなく、自分の言葉を使えないことについての不満であった。正確には、一部の黒人の困窮が、かれらがまさに論文にふさわしい言葉遣いを使わないことに由来しているということを告発するはずのみずからの論文が、論文調でなければならないということのジレンマに悩んでいたのである。ここでの黒人学生は、アメリカにおいて黒人がある社会階層を形成してきた経緯や、それに対して黒人内部から作り上げられてきた対抗の言語といった社会歴史的文脈を引き受ける人格としてみなせるだろう。

 このように、ある語やその組合せで作られた文は、それらが使われてきた社会的、そして歴史的な文脈を含み込んでおり、それを言語表現の中で用いるということは、そこへの回路を開いていくことでもある。教室の中で生徒に向かって何かを語る教師は、そのとき、そこにいない誰かの代弁者としても現れる。そこに生徒が何を見るのかはやはり外から知ることはできないが、話した言葉によって社会歴史的な意味のネットワークが間接的に開かれ、それを具現する人格としてみずからが受け取られる可能性のあることを、教師は知っておくべきだろう。


*1  デーン人に伝わる伝説とは、このようなものである(サクソ・グラマティクス、1993;グレンベック、1971、pp.161-5)。

 デンマーク王ホルヴェンディルは弟フェンゴに殺され、王位を奪われる。父が叔父に殺されたことを知った王子アムレートは、復讐を遂げるまでのあいだ叔父らの目を欺くために愚鈍なふりをし始める。

 彼の抜け目なさを疑った王らは、本当の姿を見破るべくさまざまな罠をしかける。しかし、王の一味に混じっていた友人の助けも借りて、アムレートは馬脚を現わさずに切り抜ける。ますます甥を恐れた王は彼を友人であるブリタニア王のもとに、彼を処刑するよう依頼する書簡とともに送った。しかしアムレートは書簡を書き換えて処刑を免れたばかりか、ブリタニア王の娘を妻に娶ることとなる。

 ブリタニアで1年過ごした後、デンマークに戻るとそこでは彼の葬式が行なわれていた。アムレートが生きて帰ってきたことに一座は驚くが、すぐに宴会へと変わった。王の側についた貴族らを酔わせ、寝込んだところを館に火をつけて殺したのち、アムレートは寝室の王を殺す。こうして彼は父親の復讐を果たした。こうして彼は王位に就いた。

 一方、『ハムレット』のあらすじはこのようである。

 デンマーク王クローディアスは、兄王の死去にともなって即位し、その妻ガートルードを王妃に迎えた。しかし、前王の子ハムレットにはこれが不満であるらしい。そのころ、城には夜になると亡霊が現れていた。友人ホレイショーとともに亡霊を見たハムレットは、それが亡父の霊であることを知る。亡霊は、自分が弟に暗殺されたことを語り、ハムレットに復讐を命じる。

 亡霊と出会って以降、ハムレットはあたかも乱心したかのようにふるまいはじめる。王や廷臣ポローニアスはそれを不審に感じるが、確信を持てないままでいた。そのとき、王の前で芝居をしに旅回りの一座がやって来る。ハムレットは彼らに、弟が兄を殺す筋書きで劇を演じるよう命じる。これを観た王がどう反応するかで、亡霊の告白を確認するつもりであった。

 劇を観た王は怒り、ハムレットをイギリスへ送ることにする。一方、本心を問いただそうとする王妃の部屋に呼ばれたハムレットは、そこに隠れていたポローニアスを刺し殺す。

 イギリスへの船中、自分を殺すようしたためられた書簡を見たハムレットは、それを書き換えて身の危険をかわし、ふたたびデンマークへ戻る。一方、ポローニアスの娘オフィーリアは父の死に乱心し、あやまって川に落ちて命を落とす。フランスに留学していたその兄レイアーティーズは父の復讐を果たすため帰国する。

 帰国したハムレットはレイアーティーズと決闘することとなる。決闘の前、王とレイアーティーズはハムレットを殺すために毒杯と毒の塗られた剣を用意する。ところが偶然、王妃が毒杯を飲んでしまう。レイアーティーズの毒剣はハムレットに傷を作るが、途中で剣が入れ替わり、ハムレットは王とレイアーティーズをそれで刺す。毒の回ったハムレットは倒れる。そこへ、ノルウェイ王子フォーティンブラス一行が訪れ、ハムレットは彼に王位を譲り、息を引き取る。 【本文に戻る↑

*2   ここで3度くり返される「言葉」(words)とは、劇中第二幕で、乱心の裏を探るため近づいたポローニアスに対してハムレットが答えて言う台詞である。 

Polonius …What do you read my Lord?
Hamlet  Words, words, words.

 また、「沈黙」(silence)とは、最終場でハムレットが語る臨終の言葉である("… the rest is silence.")。 【本文に戻る↑

*3  ここで彼の主張に持ち込まれた「事柄」(ファーブラ)や「筋」(スジェート)という用語は、フォルマリズムに由来するものである。フォルマリズムとは1910年代のロシアに生まれた、シクロフスキイやヤコブソン、エイヘンバウムらを主導者とする芸術運動である。

 ただし、ヴィゴツキーがここで言うファーブラ、スジェートという用語には注意が必要である。

 ヴィゴツキー(1916/70)は、「ファーブラ」を物語のプランという意味で用いており、邦訳では「筋」という訳語があてられている。

 一方、ヴィゴツキー(1925/65/71)では、シクロフスキイらフォルマリズムの概念が踏襲されており、それにしたがえば、「ファーブラ」とは物語を構成する出来事や登場人物などの素材のことを、「スジェート」とは物語におけるそれら素材の構成の仕方を、それぞれ指す。邦訳では、ファーブラに「事柄」、スジェートに「筋」という訳語があてられているため、混乱してしまうかもしれない。

 フォルマリズムは、素材と形式という2つの要素から作品を説明する伝統的文学理論を批判したのであるから、ファーブラ=素材、スジェート=形式と捉えるのは、厳密には本来の趣旨にそぐわないこととなる。しかしヴィゴツキーはこれら2対の概念をはっきりと等号で結びつける(ヴィゴツキー、1925/65/71、pp.202-3)。

 本論はヴィゴツキーの議論を追跡することが目的なので、ここでは、概念にかんするシクロフスキイらとのずれについて、これ以上考察しないが、ロシア美術史というより広いコンテクストからすれば、興味深い問題だろう。

 また、ヴィゴツキーはフォルマリズムに全面的に賛意を示していたわけではなかった。Wertsch(1985)は、フォルマリストとヴィゴツキーとの違いについて、こう述べる(p.83-)。フォルマリストの目指したところは、文芸作品に用いられた記号装置を並べ上げて分析することである。一方でヴィゴツキーの目的は、文芸作品を美しいと感じる心理機能を分析することであった。

 ヴィゴツキーはこう述べる。「われわれの課題は、ある手法の技術的必要性を明らかにすると同時に、その美的合目的性をとらえることにある」(1925/65/71、p.244)。フォルマリズムは技術の解明に走りすぎた、というのがヴィゴツキーの所感であっただろう。 【本文に戻る↑


文献

・Cazden, C. B. 1993 Vygotsky, Hymes, and Bakhtin: from word to utterance and voice. In Forman, E. A., Minick, N., & Stone, C. A. (Eds.) Contexts for learning: sociocultural dynamics in children's development. New York: Oxford University Press. pp.197-212.
・キャリル・エマーソン 井上徹訳 1997 外言と内言:バフチン、ヴィゴツキー、そして言語の内化 ミハイル・バフチンの時空 せりか書房 pp.186-203.
・ユーリア・エンゲストローム 山住勝広・松下佳代・百合草禎二・保坂裕子・庄井良信・手取善宏・高橋登(訳) 1999 拡張による学習:活動理論からのアプローチ 新曜社
・アレクサンドル・エトキント 武田昭文(訳) 1997 文芸学者ヴィゴツキー:忘れられたテクストと知られざるコンテクスト 現代思想、25.4 214-241.
・ウィルヘルム・グレンベック 山室静(訳) 1927/65/71 北欧神話と伝説 新潮社
・Kozulin, A. 1998 Psychological tools: a sociocultural approach to education. Cambridge, Mass. : Harvard University Press.
・ア・ア・レオンチェフ 菅田洋一郎(監訳)・広瀬信雄(訳) 2003 ヴィゴツキーの生涯 新読書社
・ア・エヌ・レオンチェフ 西村学・黒田直実(訳) 1975/80 活動と意識と人格 明治図書出版
・Lidz, C. S. (Ed.) 1987 Dynamic assessment: an interactional approach to evaluating learning potential. New York: Guilford Press.
・森徳治 1962 ヴィゴツキーの想い出 ソビエト教育科学 5, 131-4.
・中村和夫 1998 ヴィゴーツキーの発達論:文化-歴史的理論の形成と展開 東京大学出版会
・中野好夫 1967 シェイクスピアの面白さ 新潮社
・サクソ・グラマティクス 谷口幸男(訳) デンマーク人の事績 1993 東海大学出版会(J. Olrik et H. Raeder (Eds.) 1931 Saxonis Gesta Danorum. Copenhagen.)
・Scribner, S. 1985 Vygotsky's use of history. In J. Wertsch (Ed.), Culture, communication, and cognition: Vygotskian perspectives. Cambridge University Press. pp. 119-145.
・van der Veer, R., and Valsiner, J. 1991 Understanding Vygotsky: A quest for synthesis. Oxford, UK.: Blackwell.
・レフ・ヴィゴツキー 峯俊夫(訳) 1916/70 ハムレット:その言葉と沈黙 国文社
・レフ・ヴィゴツキー 柴田義松・根津真幸(訳) 1925/68/71 芸術心理学 明治図書出版
・レフ・ヴィゴツキー 柴田義松(訳) 1930-31/70 精神発達の理論 明治図書
・レフ・ヴィゴツキー 柴田義松・藤本卓・森岡修一(訳) 1925/87 心理学の危機:歴史的意味と方法論の研究 明治図書
・レフ・ヴィゴツキー 柴田義松(訳) 1956/2001 思考と言語 新読書社
・Wells, G. 1999 Dialogic inquiry: toward a sociocultural practice and theory of education. Cambridge : Cambridge University Press.
・Wertsch, J. V. 1985 Vygotsky and the social formation of mind. Cambridge, Mass.: Harvard University Press.
・Wertsch, J. V. 1991 Voices of the mind: a sociocultural approach to mediated action. Cambridge, Mass. : Cambridge University Press.

044-オコウシンとユサンコと選挙

宮本常一 1984 家郷の訓 岩波書店

庚申講は六十日目ごとに行なわれるもので、やはり仲間の家を順々にまわって行くのであるが、庚申様は話好(はなしずき)の神様であるからとて、その夜は神様への御馳走にと言って夜の更けるまで愉快な笑話をしたという。(宮本常一『家郷の訓』p.194)

 子どものころ、両親の口から「オコウシン」という言葉を何度も聞いた。確かそのオコウシンと呼ばれた催事の日だったと思うが、床の間と仏間を隔てる襖を開け放ち、普段はしまわれている卓をながながと並べた。母親は天ぷらやらポテトサラダやら食事を作り、卓上に並べた。

 夕方過ぎ頃から近所の大人たちが集まってきた。酒を飲み、用意された皿のものを食べ、なにやらしゃべっていた。それは賑やかだったものである。今では我が家も含め、近所の家でももうやっていないが、小学生頃まで、だから時代が平成に移る直前くらいまでは、近所の家々が持ち回りでこうした集まりを開いていた。

 子どものころに何度も聞いた「オコウシン」という言葉と、後に知った「庚申講」とが頭の中で結びついた時には、ああ、と思った。自らのルーツがはっきりしたようで、安心したのである。

 庚申講とは、「庚申待」をするための集まり(講)のことである。庚申待とは、庚申(かのえさる)の日に行なわれる習俗で、夜寝ずに過ごすことを言う。もとは中国の習俗であるらしく、寝ずにいる理由については、腹の中にいる「三尸(さんし)」という虫が、腹の主の悪事を閻魔に告げに、主の寝入ったすきに抜け出すのがこの日で、そうさせないためにずっと起きているのだ、という話がある。ちなみに「腹の虫がおさまらない」の虫とは、この三尸だと考えられている。

 宮本常一は、故郷の庚申講について書きとどめている。そこでは、寝ずにいる理由を、神様の話好きのせいにしている。我が故郷では、徹夜まではしていなかったように思うが、いずれにせよ、山口県の小島と、茨城県の田圃の中の集落とが、同じ習俗を生活の背景にもつところが、ある種の文化圏の実在性を感じさせる。

 庚申講は大人の集まりであったが、そういえば、子どもの集まりもあった。「ユサンコ」と呼んでいたが、おそらく「遊山講」の訛りではないかと思う。学校が休みの日の午後、女親と子どもが地区の公民館に集まり、ひとしきり外で遊んで、夕食を食べるというものだった。たいていカレーだったが、みんなで食べるのがよかった。

 集まる子どもは小学生で、上級生が指揮をとって度胸試しみたいなこともした。夕食を終えて、日も暮れたころ、公民館の中にある小部屋を真っ暗に締め切って、下級生から一人ずつ中に入っていくのである。中にはお菓子の入った紙袋が置いてあり、子どもはそれを手探りで探さねばならない。ところが上級生が座布団を丸めたのを持って中で待機しており、入ってきた子どもらをそれでひっぱたくのである(どこぞの高校野球部ならば、親が目を三角にして怒鳴り込んできそうなものだ)。3年生くらいまでには手加減をするが、4年生以上になると容赦がない。当然、泣いてしまってどうしようもなくなることもあった。ぼくも何度も部屋に入ったが、2、3度泣いたのではなかったろうか。

 「ユサンコ」も、中学に入ったらもう卒業である。だから今でも続けられているのかどうか、分からない。面白いことに、通学区ごとに「子供会」もまた別に結成されていて、そちらではバスを借り切って遠足に行ったりもしていた。地域の生活共同体を単位とした古い集まりと、近代以降に根付いた学校を拠り所とする集まりとが、子どもの生活の中に、二重に存在していた。

 なにぶん古いことだし(それでも平成に入るちょっと前の出来事だ)、記憶のみに基づいて裏をとっていないので怪しいことも多い。しかし、我が家の近所に「講」という集まりがきちんと機能していたときがあった、ということは確かだし、記録しておかねばならないことだとも思う。たぶん持ち回りの大福帳のようなものが区長の家にあると思うのだが、散逸しないうちに保存しておきたい。

 ところで、現在、国政に代議士を送り込むための地方の基盤とは、実はこのような講に端を発しているのではないか。そしてまた、そうした集まりの力は強い。今度の衆院選で、果たして落下傘で地方にやってきた候補がどれだけくいこめるのか、それは日本の伝統的生活共同体がどれだけ消滅しているかの、指標にもなると思う。消滅することが悪いことだと言っているのではない。ただ、そういう見方もできるだろうということだ。

 ちなみに茨城の農村部で革新系が当選することは、まず、ない。

043-なんとなくのハビトゥス

ピエール・ブルデュー 原山哲(訳) 1993 資本主義のハビトゥス:アルジェリアの矛盾 藤原書店
ピエール・ブルデュー 石崎晴己(訳) 1988/1991 構造と実践:ブルデュー自身によるブルデュー 藤原書店
ジーン・レイヴ・エティエンヌ・ウェンガー 佐伯胖(訳)・福島真人(解説) 1993 状況に埋め込まれた学習:正統的周辺参加 産業図書

 ハビトゥス。ちょっとでも社会学に関心があれば誰しも一度は聞いたことがある概念であるが、その指すところはいまいちつかみづらい。

 ちなみに、オックスフォードの社会学事典では次のように解説されている。

A set of acquired dispositions of thought, behaviour, and taste, which is said by Pierre Bourdieu (Outline of Theory and Practice, 1977) to constitute the link between social structures and social practice (or social action).

The concept offers a possible basis for a cultural approach to structural inequality and permits a focus on the ‘embodiment’ of cultural representations in human habits and routines.

Although seen as originating in the work of Bourdieu, the concept was first used by Norbert Elias in 1939. Anthony Giddens attempts a similar task with his concept of ‘structure’. The best exposition will be found in Richard Jenkins’s Pierre Bourdieu (1992).

“habitus” A Dictionary of Sociology. John Scott and Gordon Marshall. Oxford University Press 2009. Oxford Reference Online. Oxford University Press. Hokkaido University. 14 July 2010

 ブルデュー本人はどう言っているか。これが実に様々に言及している。

主体に内面化された客観性であり、状況において、状況の影響のもとで獲得された持続的な性向(1993、p.155)

規則に対するいかなる参照とも無関係なところで、調整された規則的な行動を生み出すべく調整されている性向(1988/1991、p.106)

絶えず変わっていく状況への即興的な対処の中に明確に姿を現す、生成的自発性(同、p.126)

 要するに、ごくごく簡単に言えば、「学習された”なんとなく”」である。”なんとなく”であるから、言語ではつかみづらいのだ。

 ただ、この”なんとなく”は、単なる”なんとなく”ではない。それはなぜかある社会的集団によって共有されていて、あたかもその集団が「規則」に従っているかのように見せるものでもある。しかし同時に、ただひたすら規則に縛られるのではなく、「変わっていく状況への即興的な対処」を可能にするものでもある。

 なんだろうそれは。

 福島正人は、レイヴとウェンガーによる『実践に埋め込まれた学習』の邦訳(佐伯胖訳、産業図書、1993)に寄せた解説において、ハビトゥスという概念を提出したブルデューが、「身体の中心性とその学習能力」(p.148)を前提としていたことを指摘している。

 福島によれば、ハビトゥスとは「身体が構成する、認知・判断・行為の全体的なマトリックス」(p.149)のことだというが、「身体の中心性」とはこのことである。言い換えれば、右と左、善いか悪いか、すべきか否かといったことを、じっくり考えるよりも先にまず感じとるための準拠枠である。

 では「学習能力」とは。その準拠枠は「ちょうど知らず知らずの内に歩き方や喋り方が学習されるように、明示的というよりは暗黙の内に学び取られ」るのだと福島(前掲書、p.149)は言う。このあたり、言語獲得を身体の動き方の転調過程としてとらえたメルロ=ポンティを想起させる。文字通り、身体には徐々に「折り目」がついていくのである。

 しかしその折り目はどのようにできていくのか。文字通り「暗黙の内」に学習されるのであれば、それは事後の反省によっては知り得ない。私はどうやって日本語を習得したのか?それは誰にも思い出すことはできない。まさに「熟練の身体化の過程は、きわめて曖昧なまま残され」(福島、前掲書、p.154)ているのである。

 ”なんとなく”を言葉によって記述すること。とりあえずはそれがブルデュー的な社会学の目標だろうし、さらには、社会化過程を対象とする発達心理学の課題だろう。

042-内的独白について

エドゥアール・デュジャルダン 鈴木幸夫・柳瀬尚紀(訳) 1970 内的独白について:その出現 起源 ジェイムズ・ジョイスの作品における位置 思潮社

 不遇を託ちつつこの世を去り、死後の名声の恩恵にあずかることのない作家もいれば、生前より大家としての高い評判をほしいままにする作家もいる。本書の著者エドゥアール・デュジャルダンは、小説家としては前者の路線にあったフランスの文筆家である。

 1887年に小説『月桂樹は切られた(Les auriers sont coupes)』を雑誌「ルヴュ・アンデパンダント」に発表し、翌年に単行本として出版した。初刷420部のうち売れたのはわずかであり、作品が人々の話題に上ることもほとんどなかったという。忘れられた作家だったのである。

 しかし、ある出来事をきっかけとして、彼の名とその作品『月桂樹は切られた』はフランスのみならず、世界の文学史にしっかりと刻まれることとなった。なぜか。ジェイムズ・ジョイスが『ユリシーズ』に用いた手法の創始者として、ジョイス自身が彼とその作品を名指ししたからである。その手法が「内的独白」である。

 内的独白とは何か。本書のデュジャルダンの言葉に従えば、「内的独白は、詩の秩序のもとにある、聞き手のいない、言葉として発せられない語りであり、それによって登場人物が、自己の最も内奥の、無意識に近い思考を《生まれてくる》印象を与えるために文としての最小単位に還元された直接的語句を使い、あらゆる論理的組み立てに先立って、すなわちありのままに表現するものである」(p.56)。要するに、未整理の思考の奔流がそのまま記述されているかのような文体のことである。

『ユリシーズ』から例を挙げよう。主人公ブルーム氏は朝食に食べる腎臓を買いに肉屋へ行く。その道中を描写するためにジョイスが選んだ手法は、「歩きながら考えること」を書くことだった。以下は『ユリシーズ4~6』(柳瀬尚紀訳、新潮社刊)の8~9ページからの引用である。

陽の当たる側に渡り、七五番地のゆるんだ揚げ蓋をよけて歩く。太陽はジョージ協会の尖塔に近づいている。

 パラグラフ最初の2文であるが、主語はないものの、ブルーム氏の行動や周囲の環境を外部から観察した記述だと理解できる。これは小説にありきたりな、いわゆる「地の文」である。ところがその直後から文体が一変する。

今日は暑くなりそうだ。とくにこんな黒服を着ていちゃなおさら。黒は熱を伝導し、反射する(屈折するだっけ?)。かといってあの明るいスーツを着ていくわけにもいくまい…

 上記の文章が、先の引用の直後に何の断りもなく唐突に入り込んでいる。行動や環境の記述ではないし、誰かへの話し言葉でもない(なにしろブルーム氏は”ひとりで”歩いている)。これはブルーム氏が口に出さずに歩きながら考えていることそのものだと解釈するのが妥当である。私たちはブルーム氏の歩調にあわせて流れる意識を目の当たりにすることになる。主人公の「歩行」を表現するのに、「思考」が描写される。

 これが「内的独白」である。意識の流れの脈絡を支配するのは、物語の構造でも論理の構造でもない。連想である。

なんだか若者気分になってきた。どこか東方の地、朝まだき、夜明けとともに出立。太陽より一足先にぐるりと一周、一日分先回りする。それをいつまでも続ければ、理論上は一日も年を取らない。砂浜を、異国の地を歩いていき、市の城門へ着くと、そこに歩哨がいる。…

 さらには、歩きながら目や耳に入ってくることが唐突に意識の流れを寸断し、あらたな連想を生み出す。たとえば次の引用では、店を見たり、辺りの臭いをかいだりした後に、それをきっかけにわいてきた思考が描かれる。

ラーリー・オロークの店まで来た。地下の酒蔵の格子から黒ビールのぶよんとした余臭が漂う。開け放った戸口の奥から酒場が生姜や茶がらやふやけビスケットのにおいをぷんぷん吐き出す。繁盛してるんだ、とにかく。市の交通のちょうど終点だからな。たとえばこの先のマッコーリーの店なんかは、場所がダメ。もちろん北環状線沿いに家畜市場から河岸まで電車が走ることにでもなれば値は一気に跳ね上がるだろうが。

 たった2ページの断片的な引用であるが、内定独白という手法のなんたるかが理解できるだろう。現在ではもはや新しくはない手法かもしれないが、1920年代当時は画期的だったのだろう。ジョイスの名をぐっと高めることに貢献した。ジョイスは冒頭の作家の2タイプで言えば後者だったのである。

 ではなぜ、無名のデュジャルダンと高名なジョイスとのつながりが明るみに出たのか。答えは簡単、ジョイス自身がばらしたのである。ヴァレリー・ラルボーという作家が1921年、ある会合でジョイスと会う。会合の出席者たちのあいだで『ユリシーズ』にちりばめられた手法が話題に上る。ジョイスはその手法がフランスのある作家による忘れられた作品から着想したものであることを告白する。

 それを聞いたラルボーは、後にその作品を出版社から取り寄せて読む。なにしろ初版で420部しか印刷されていないのである。かつての巷間の評価も低く、実物そのものもほとんど出回っていない。読む機会がなかったとしてもおかしくない。ラルボーはそれをはじめて読み、高い評価を与えた。ラルボーがデュジャルダンとジョイスのつながりを公言したことが、結果的にデュジャルダンの再評価につながったのである。

 ジョイスから「内的独白という手法の第一人者」としてお墨付きをもらったデュジャルダンがおそらく照れながら書いたのが本書である。第一人者はなぜ内的独白という手法を産み出したのか、どのようにして生まれたのか、それはその後の文学界でどのように扱われるのかといったことが書かれる。

 先にデュジャルダンによる内的独白の定義を挙げたが、もう少し細かく見ていく。内的独白そのものの形式的な特徴は、3点にまとめられる。すなわち、作者ではなく登場人物自身による語り、聞き手のいない語り、言葉として発せられない語りである。

 しかし、それならば、たとえばハムレットのように、劇などでも伝統的に用いられてきた。それと内的独白は何が異なるのか。デュジャルダンは、内的独白の本質的な新しさを次のように指摘する。「登場人物の意識をよぎる思考の不断の流れを、それが生まれるにしたがって、生まれるままの順序で、その論理的つながりを説明せず、そして《生まれつつある》(tout venant)印象を与えながら喚起することを目的としている点にある」(p.65)。

 思考の流れの生まれつつあるとはどういうことか。デュジャルダンが重視するのは論理的なつながりをもたない点である。伝統的な独白の特徴は、登場人物の思考を「説明する」ところにある。そのために、論理的な関係性を明示するといったことがなされる。たとえば、プルーストは想起の内容を記述するので一見内的独白を用いているように思われる。しかし、よく見てみると「~なので(parce que)」といった接続詞が出てくることがある。文と文のつながりが誰にとっても分かるようになっていること、それが論理である。

 しかるに、内的独白においては、つながり方がどうなっているのか誰にも分からない。おそらくは語る本人にも分かっていないのである。そういうつながり方は、パースがアブダクションという概念で指摘しているものと考えてよい。デュジャルダンはこれを「《詩的》性格」(p.49)と呼ぶ。

「詩的」ということのここでの意味は、「論理の束縛を受けずに生まれてくる思考を表現する」(ibid.)ことである。表現する対象は「無意識に最も近い思考」(p.55)であり、それを何の加工もせずに「ありのままに、生まれてくる相において」(ibid.)つかみとられたかのように表現する。表現するために「文としての最小的単位にまで還元された直接的語句」(p.56)が用いられる。

 さて、このような内的独白という形式はどのようにして生まれたのか。デュジャルダンの言葉にしたがえば、2つの源があった。1つはワーグナーのライトモチーフという手法、もう1つは象徴主義である。

 ワーグナーが楽曲に持ちこんだ「ライトモチーフ」(Leitmotiv)とは、ある人物や状況、人物の情動などを表現する短いフレーズである。この手法を小説に持ちこんだものが内的独白であるとデュジャルダンは言う。「ワーグナーの作品は発展しないモチーフの連続で、そのひとつひとつはたいていの場合精神の動きを表現しているのだが、同様に内的独白は短い語句の連続で、そのひとつひとつが等しく精神の動きを表現し、それらは論理的秩序ではなく純粋に情緒的な秩序に従って結合し合い、まったく知性化されていないのである」(p.52)。

 内的独白を準備したもう1つの源が、象徴主義である。フランス文学における象徴主義とは、デュジャルダンによれば1885年頃に端を発する文学思潮である。マラルメ、ランボーが代表的な作家である。象徴主義の一番の特徴は、表現されたものを「見えないもの」の「あらわれ」と見なす点にある。この立場では、詩とは「内的生」「精神」「無意識」(p.87)の表出に他ならない。これらはみな外側からは「見えないもの」である。それにかりそめでもよいから形を与え、「見えないもの」になんとか触れようと試みるのが象徴主義である。

 見えるものを、「見えないもの」の「あらわれ」とする考え方は、フロイトを思い出せばわかりやすい。無意識とは定義上意識できないものであるから、それがどのような姿を取っているのか分からない。フロイトは表に現れた患者の言葉や動きを観察して、無意識の領域に押し込められた「見えないもの」を推測した。言いかえれば、患者の言葉や動きは、抑圧されたものの象徴である。フロイトにとっては、表現された言葉や動きが大事なのではなく、その裏にあるものが重要なのだ。

 結局、ワーグナーにしても、象徴主義文学にしても、重要なのは論理以前の「内面の生」(p.90)である。それをライトモチーフのように短いフレーズの奔流によって具体化することが、言ってみれば小説に詩を持ちこむことが、デュジャルダンのねらいだったのである。

 では、このように文学の最先端をねらったはずの『月桂樹は切られた』が無視され、『ユリシーズ』(1922年刊)が注目されるという事態はなぜ起きたのだろうか?理由は定かではないが、両者の間にある約30年という差はやはり無視できないのではないか。その間にはジェームズもいたし、フロイトもいた。要するに、「意識」なるものが社会的に対象として浮かび上がってきていたのではないか。

 もちろん、端的に『月桂樹』はおもしろくなかったのかもしれない。斬新な手法を十分に活かしきれなかったのかもしれない。分からないが、「機が熟していなかった」と考えてみるのも、心理学的にはおもしろいのではないか。というのも、心理学の対象であるところの「意識」が、歴史的にどう立ち現れてきたのかを考えておくことは重要だからである。

041-意外なところでヴィゴツキー

小島信夫 2009 演劇の一場面:私の想像遍歴 水声社
ヴィゴツキー,L.S. 峯俊夫(訳) 1970 ハムレット:その言葉と沈黙 国文社

 ヴィゴツキーは学生時代にシェイクスピアの「ハムレット」についての小論をものしている。そこでの議論の一部は後の「芸術心理学」に組み込まれたが、組み込まれなかった残りも十分におもしろい。

 当然と言えば当然であるが、教育学や心理学の文脈では、彼の「ハムレット」論は顧みられることはない。私もかつて、心理学における彼の思想と、若き日の「ハムレット」論とのつながりについて考えてみたことがあったが、牽強付会の感があった。

 ただ、芸術というものを一般にどのように考えるか、そうした思索を支えるひとつの議論であることは間違いないし、芸術はひとえに心理的な現象なのであるから、やはり心理学の文脈に置いてみてもう少し検討する余地はあると考えるのである。

 ヴィゴツキーの「ハムレット」論が顧みられることはないと述べたが、数少ない言及が、小説家、小島信夫による演劇論をとりまとめた「演劇の一場面」という本の中にある。掲載されている文章の初出は1986~7年発行の「ユリイカ」誌であるから内容自体は古い。

「ヴィゴツキーの『ハムレット』論」と題されたその短い文章は、彼の「ハムレット」論を一番のお気に入りとする。ハムレットを観た後の観客に残る「もやもや」とした感じを突き止めようとしているところがいいようだ。

「ハムレット」には作劇にかんして、一見したところ不可解な話の流れがあり、そこでの一連の出来事はありえない形で進行する。たとえば、登場人物たちは「父の復讐」という基本的なテーマをまるで忘れているかのようにふるまう。ヴィゴツキーの言を借りれば「出来事はありそうもないように進み、ばかばかしく見えるおそれもある」。

 しかし、その「ありそうもなさ」が、かえって現実らしさを観客にもたらすのかもしれない、そうヴィゴツキーは考えている節があり、小島もそこに自分の小説観を重ね合わせるのである。

「ありそうもなさ」とは、物語のわかりやすさにあえて背くことで現れるものだろう。認知心理学の概念で「代表性ヒューリスティクス」というのがある。たとえば、質問してみよう。サイコロを6回振ったときの出目の並びとして、「ありそう」なのは、ABのうちどちらか。

 A: 1、1、1、1、1、1
 B: 4、1、2、2、6、3

確率的にはABどちらも同じくらい「ありえる」出目である。しかし私たちは、AよりもBの方が、「ありそう」と感じてしまう。というのも、私たちが「サイコロを振る」と聞いたときに、「ランダムさ」をよりよく代表するような出目の並びを直感的にイメージしているからだとされる。これが代表性ヒューリスティクスである。

 この概念にならえば、「ハムレット」のストーリーは、サイコロを6回ふって6回とも1が出るように「ありそうもない」運びをするわけである。しかし、ヴィゴツキーと小島は、むしろその方が現実味が増すのだと言うわけである。

 これはどう考えたらよいのだろう。私たちの生活は、もちろん予定調和というわけにはいかない。しかしどこかで、予定調和的な物語として理解したがっているのかもしれない。現実はそこから絶えずズレ続けている。というよりも、私たちは常に現実を予定調和からの差分として理解している、ということになるかもしれない。私たちはどんなときでも自分の現実を「うまくいかない」「こんなはずではない」という形で理解しているのだと言えるだろうか。小説や戯曲の良さは、予定調和的な物語からどれほどずれることができるか、そのコントロール加減にあるのだろう。

040-発達障害をめぐる違和感

杉山登志郎 2007 発達障害の子どもたち 講談社

 私は「発達障害」を問題として扱ったこともなければ,それを問題として抱えた人の支援に携わったこともない。また,自らそこへ赴こうとも思わない。

 私は「発達障害」を問題として扱う人がいることを知っているし,それを問題として抱えている人がいることも知っているし,そうした人やそうした人を支援する人が懸命にその問題に取り組んでいることも知っている。

 自らとかかわりをもたない問題についてそのような知を,きわめて断片的ながらも形成することができたのは,なんらかの形で教えてくださった方がいたからである。直接に,あるいは間接的に。会話のなかで,あるいは本を通して。

 ほんとうにありがたい。

『発達障害の子どもたち』もまた,私にとって最良の教師の一人であった。

 特に,特別支援教育に対する誤解や,その誤解に翻弄される子どもたちの事例について,知ることができた。長年支援に携わってこられた著者の言葉の重さにただただ感じ入るとともに,それを受け止めきることのできない我が身の不明を恥じるばかりである。

 ただ。2点だけ,違和感をもった言葉があった。

 ひとつは,「発達障害」という言葉の定義についてである。45頁に,「発達障害とは,子どもの発達の途上において,なんらかの理由により,発達の特定の領域に,社会的な適応上の問題を引き起こす可能性がある凹凸を生じたもの」とある。

 疑問を持ったのは,「社会的な適応上の問題」という個所。その前の頁で,発達の目標として,「自立」が挙げられている。自立とは,自活でき,迷惑をかけず,社会の役に立つことができる状態のことであり,そこへいたる過程が「発達」であるという(p.32)。自立できていれば,社会的な適応ができたことになる。なんとなくもっともだと思う。

 思うが,なぜ自立なのだろうか,とも思う。それに,発達に目標があるのだろうか,とも思う。発達に目標を設定し,それを自立とするような考え方の背後には,ある価値観があるだろうし,それを支える現在の日本の社会経済的基盤も,文化的背景もあるだろう。

 発達障害をもつ個人を,その価値観のもとで,ある目標に向かわせるよう強いることもひとつの解法であろう。もう一つの解法として,その価値観を発達障害を持つ個人にあわせて変えるということも考えられる。なぜ後者が問題にされず,前者が採用されるのか。これが第一の違和感である。

 第二の違和感。

 本書の冒頭に,筆者がかかわったという2人の青年の子どもの頃からの生育歴が紹介される。この2人は対照的に描かれる。A君は学習障害との診断を受けたが,普通学級に通った。授業についていけないA君はドロップアウトし,社会とのかかわりももちにくくなった。まさに「自立」が障害によって阻まれたケースである。

 他方のB君は自閉症という診断を受け,中学校に入ってからは特殊学級,高校からは特別支援学校へ通った。そうした場所で彼は,技術を習得し,グループ活動に参加して社会性を涵養した。そのかいあって卒業後は一般企業へ就職,まさに「自立」が達成されたケースとして描かれる。

 筆者はA君について,筆者にとっての「治療の失敗例」(p.14)と書く。筆者は過去の自分の対応を反省したのち,その後の人生において社会に出ていくことを望む。

 確かにA君の治療は失敗かもしれない。記述を読む限り,私も,介入がうまくいけば彼はもっと「いい人生」を若い時期に過ごすことができたかもしれないと考えてしまう。しかし彼の人生は彼のものだ。いい人生かどうか,人がとやかく言うことではない。彼自身にとってその人生がどうであるかを,まず考える必要があろう。

 確かに障害に由来する苦しみ,悩みは人一倍なのかもしれない。それは取り除いた方がいいのかもしれない。しかし同時に彼には,生活のどこかでささやかながらも幸せや楽しさを味わった瞬間もあっただろう。その幸せは,苦しみを生み出したのと同じ原因に由来するのかもしれない。たとえば教師をなぐるようそそのかした「悪い同級生」といっしょにいるとき,彼は楽しかったかもしれない。少なくとも,親や,あるいは教師よりは,よっぽど人間味のあるつきあいができていたかもしれない。分からないけれど。

「失敗」という言葉に対して,私が必要以上に警戒しているだけなのかもしれない。単なる誤読なのかもしれない(その危険性はおおいにある)。ただ,その「失敗」は筆者にとってのものだという記述にはやはりひっかかりをおぼえる。

 筆者はいくつもの人生をながめており,そこには筆者の目から見て治療が成功した例も失敗した例もあろう。しかし,ながめられていたそれぞれの人生は,それぞれの生を生きており,そこには成功も失敗もない。そのときどきの選択と結果があるのみだ。ただ生があるのみだ。ということは,成功/失敗の線引き,第一の違和感で取り上げた言葉を使えば,自立の達成/未達の線引きは,誰か他者の目から見た判断に基づく。

 その他者とは誰か,そして,その線引きとはどのようなものなのか。線を動かすことはできないのか。

 線引きを行う他者の中に,発達障害者・児当人は含まれるのか。含まれないのか。含まれるとしたらどのような実践となるのか。

 この問いには,残念ながら本書は答えてくれない。

 そこで私は,他所に教師を求めたのである。

039-被験者ってぼくのこと?

マイケル・シーガル 鈴木敦子・鈴木宏昭・外山紀子(訳) 1993 子どもは誤解されている:「発達」の神話に隠された能力 新曜社

(以下の文章は、かつてウェブ日記にさらりと書いたものの再掲です。にぎやかしに。)

 子どもの認知発達研究を開拓したピアジェとその後継者たちの実験方法について,語用論的な視点から批判を加えたもの。

 たとえば子どもに2つのビーカーに入った水を見せる。ビーカーは同じ形,水量も同じ。続いて,底面積が小さいが背は高いビーカーと,底面性が広く背は低いビーカーにそれぞれ移し替える。ここで子どもに,どちらの方が水の量は多いかと尋ねる。すると子どもは,同じ量だった状態を見ていたにも関わらず,「こっち」と一方を指さす。

 これは「ピアジェの保存課題」として知られるもので,この結果から,ピアジェ派心理学者は,子どもは量の保存ができずに主観的な見かけに判断が引きずられてしまう,ひいてはアタマの中での操作が困難だ,と解釈してきた。

 ところが,われわれが日常的に行なう会話では,こうした質問は何か特別な意図があってなされたものだと判断してしまうようなものだ,というのがシーガルの指摘だ。

 シーガルはこのような実験場面で子どもが失敗する原因について,5つのあり得る候補を指摘する。

 (1)不確かな場合は反応を変更する(大人はなんでも知ってるはずなのに,質問をするということは,きっと自分の考えていること(それが実は正解かもしれないのだが)を越えた何かがあるのかも…,と子どもは思う)
 (2)不誠実さ(実験がいやなので,適当な答えを言って切り上げようとする)
 (3)面白すぎる課題(大人がこんなばかげたことを聞くなんて,きっと子どもっぽい答えを期待しているに違いない,と子どもが思う)
 (4)実験者への信頼(大人は間違ったことや子どもを害するようなことを言ったりしたりしない,と子どもは考える)
 (5)使われる言葉(「同じ」という言葉の意味が,大人と子どもとで共有されていない)

 実際に,これら(1)~(5)の可能性を排除した実験をした場合,子どもは適切な回答をするようになったという。被験者は実験者の思惑の内側だけで行動するわけではないという,言われてみれば実に当たり前なことだが,それを再認識させられた。

 そもそも,実験者と被験者というカテゴリーは,ある状況を「実験」としてとらえている人間が,そこに参加する人びとを同定するのに用いる言葉だ。その状況を実験とは見ない人間からすれば,そこにいる人びとは「大人と子ども」であったり,「先生と生徒」であったり,「男と女」であったりするかもしれない。そして,私たちは自分の行動をそうした社会的カテゴリーにふさわしいものとなるように常に気を遣っている。

 とすれば,実験に参加する子ども自身がその状況をどのように捉えているのか,そのこと自体をもう一度問い直す必要があるのである。なぜなら,子どものパフォーマンスが,果たして認知能力の反映なのか,それとも社会的な役割カテゴリーに適切な行動の選択の結果なのか,このままでは決めかねるからだ。

 紹介されている実験自体はシンプルで,それでいて結果が見事に出ているものばかり。非常に参考になる。

038-マンガと心理学におけるキャラとキャラクター

伊藤剛 2005 デヅカ・イズ・デッド:ひらかれたマンガ表現論へ NTT出版
伊藤剛 2007 マンガは変わる 青土社

 マンガ評論の領域がとても元気である。そうした中で「萌えから生まれた新しいパラダイム」(東浩紀)としてとりわけ名高い伊藤剛の2冊を読む。

 マンガはなぜ面白いのか。従来,この問いにはマンガのストーリーの解題が充てられていた。ストーリーが,登場人物が,読者にとってある種のリアリティを持つがゆえに面白いのである,と。

 確かにそうだろう。しかし,ストーリーや登場人物は,文学にも演劇にも映画にも現れる構成要素だ。それをマンガに固有の面白さの根本的な起源とすることはできない。私たちは他のメディアでは得られない面白さを求めてマンガを読むのではないか。それは何か。伊藤は,この問いに対して,マンガ固有の表現論を打ち立てることによって答えていく。

 マンガはただの絵ではない。マンガは絵の連続をある手法で見せ続けることにより,そこに時間を生みだす。生みだされた時間が,絵の連続にストーリーを「読む」ことを可能にする。そうしたことができるのは,マンガが「コマ」,「言葉」,そして「キャラ」の3つの要素から構成されているからだという。そのようにとらえた上で,伊藤はそれぞれがマンガのリアリティを担うものとする。

 伊藤(2005)における論の見通しは,以下のようにまとめられるだろう。すなわち,日本の近代のマンガは,「キャラ」のもつリアリティに頼らずに,「コマ」と「言葉」によってストーリーと登場人物のそれぞれにリアリティをもたせようとしてきた。言葉はそれを語る登場人物に内面を形成し,コマによるフレームの切り方は背後に一台のカメラが存在するかのような読みを生みだした。一方で,いがらしみきお『ぼのぼの』を分水嶺として,最近では「キャラ」のもつ特質からストーリーを作りあげていくという手法が現れている。

 論の中で重要な位置を占める概念である「キャラ」という言葉。キャラとは何か。「キャラクター」と何が違うのか。キャラとキャラクターの区別,ここが伊藤の議論のポイントとなる。

 キャラは以下のように定義される。

多くの場合,比較的に簡単な線画を基本とした図像で描かれ,固有名で名指されることによって(あるいは,それを期待させることによって),「人格・のようなもの」としての存在感を感じさせるもの(p.95)

 キャラは,複数のエピソードにまたがって登場する人物が同一であることを指し示す機能を持つ。読み手は異なった絵を同一のものとして認識する。これにより,非連続的なものに連続性が与えられる。ちなみに,月刊IKKI(小学館)連載中の相原コージ・竹熊健太郎『サルまん2.0』では,キャラとは「キティちゃんだーっ」と看破されていた。

 キャラは図像としての「強度」をもつ。同じ作品の異なるコマに現れても同一の対象を描いていると分かるような存在感。さらには,作り手の異なる複数のテクストに現れても,要は描かれ方が変わってしまっても「それ」と分かるような「同一性存在感」。それが強度である。存在感が強ければ,二次創作やパロディ,アイコンとして利用可能となるわけだ。最近では「初音ミク」が強度の強いキャラであろう。なにしろ,緑の髪を両脇で結んでいればなんでも「ミク」なのである。

 さて,キャラに対して,キャラクターは以下のようなものとして示される。

「キャラ」の存在感を基盤として,「人格」を持った「身体」の表象として読むことができ,テクストの背後にその「人生」や「生活」を想像させるもの(p.97)

 重要な点は,キャラを定義してはじめてキャラクターがどういうものかが分かる,という順序である。言い換えれば,キャラクターとキャラの関係は,キャラの上にキャラクターが成立するといったものである。

 マンガをめぐって私たちは,登場人物について語り,登場人物の生き方に影響され,さらには登場人物を生身の人物のように分析する。これはキャラクターのレベルで可能なことである。そして,このレベルで従来のマンガ評が書かれてきた。伊藤によれば,こうしたキャラクターのレベルでの読み解きを下支えするのがキャラである。

 キャラにキャラクターを読み込むこと。私たちがマンガを読む際に無意識的に行っている作業を,伊藤はこのように定式化し,その起源を手塚治虫『地底国の怪人』に見いだした。

 手塚治虫による『地底国の怪人』は,「「記号的身体」を用いながら「傷つく心」と「死にゆく体」を描き得る」(p.130)ことを示した最初のマンガだとされる。死にゆく記号的身体を最初に具体化した「キャラ」こそ,二本足で動き言葉をしゃべる「ウサギのおばけ」,耳男である。

 耳男は変装をして活躍する。浮浪児として,大学の技師として。変装のためのアイテムは,帽子にカツラである。他の登場人物たちは「どうもおかしいなア」と訝しみながらも耳男=浮浪児=技師とともに活動する。

 こうしたプロットが可能となるには,キャラのもつ「簡単な線画」という特性が利用されていなければならない。伊藤は,写実的に描かれた耳男の顔にはおそらく毛が密生しているだろうとし,キャラであるからこそそれが描かれずに済み,そのことを利用して帽子やカツラのみの変装が通用していたのだと主張する。

 このように徹頭徹尾キャラであるはずの耳男は,「人間なのだろうか」という苦悩を抱え,「人間ではない」という迫害を受けながら,「人間たろう」と努力し,「ぼく人間だねえ」と言いながら死ぬのである。キャラがかかえる矛盾をリアルに引き受けながらそれをストーリーに組みこむ,するとそこから悲劇が生まれた。

 耳男の死以降,マンガを読む者に起こった不可逆的な変化とは,キャラの強度を否認した上でそこにキャラクターを読むという知覚の成立であったのである。ウサギを写実的に描くことによってウサギのリアリティを引き出すことはできない。読者は,すでにそう読めなくなっている。そこで,コマと言葉だったのである。コマと言葉という表現技法によるリアリティ獲得の道はこうして始まったというわけだ。

 この議論と関連して,伊藤が掲題2冊では触れていない点がある。手塚治虫のいわゆる「スター・システム」である。手塚のマンガを多く読んだ者ならすぐに分かることだが,彼は同じキャラを別の作品の中で別のキャラクターとして登場させることがたびたびある。たとえば,ロック・ホームや,ハム・エッグや,アセチレン・ランプや,スカンク草井や,ヒゲオヤジ。かれらは,どのような登場人物(キャラクター)にもなりうる,同一の図像(キャラ)である。ただ,「どのような人物にもなれる」というのはおかしい。それぞれのキャラにはそれぞれ「ふさわしい配役」が与えられる。たとえばスカンク草井はたいてい悪役だし,ハム・エッグはたいてい小悪党だし,ヒゲオヤジはたいてい人のいい助言者,あるいは狂言回し役だ。そしてそれぞれのキャラはそういう役に「ふさわしい風貌」をしている。

 キャラをこのような形で利用する漫画家は手塚以外にもたくさんいる。藤子不二雄の小池さん,吾妻ひでおの三蔵や不気味が思い浮かぶ。

 さて,スター・システムという謂いは,キャラを「俳優」,キャラクターを「役」と見なすたとえだと言うことができる。木村拓哉というキャラが,新海元(パイロット)や久利生公平(検事)や万俵鉄平(財閥令息)といったキャラクターを演じるのと同じ構造である。ちなみにぼくはテレビドラマをまったく見ない。ここに挙げた役名はWikipediaで調べたものだ。

 マンガにおいて,スター・システムはキャラにキャラクターをかぶせることを自覚的に行うことではじめて可能になる製作技法である。これはドラマ,あるいは演劇と言い換えてもいいだろうが,それと同じ構造となっている。製作者の立場でもそうだが,それを受け止める観客の方も,おそらく同じ心理機制でマンガにも演劇にも感動するのだろうと推測される。演劇を観るわたしたちは,キャラ(=役者)があるキャラクターを演じるものとしてそれを観,また,感動する。同時にわたしたちは,キャラクターを離れたキャラ(=役者)の善し悪しについて話すこともできるわけである。

 そう考えると,マンガについての議論を,演劇に敷衍することはできないか,と思えてくる。ひいては,人が人について判断するその心理的なしくみについてモデル化するのに利用することはできないか。これが,現在ぼくが関心を持っている問題である。

 人間をマンガにたとえるとは不謹慎甚だしいと思われるかもしれないが,現実を考えてみよう。キャラにキャラクターを読むというマンガの読み方を,わたしたちは誰かに教わっただろうか?教わるということはないだろう。それは,わたしたちが自分なりの理解の文法として発見し,学習したもののはずである。そうした発達を可能にする条件が,人間に人格を読むという対人認知のしかたの形成にも寄与していると考えるのはあながち間違いでないように思う。

 マンガとは異なり,実際の人間は姿形がころころと変わる。髪を切ったり,ひげを生やしたり,太ったりやせたり。なにより,赤ちゃんから老人まで成長してしまう。だから,「キャラ」としては本当は失格である。マンガの場合でも確かにキャラが成長することがあるが,そうした場合,ある特徴を残す場合が多い。たとえば『ドラゴンボール』では,孫悟空の髪型は終生変わらなかった(超サイヤ人変身時除く)。

 人間の相貌は変わる。にもかかわらず,わたしたちはころころと姿を変える存在に一貫した人格(=character)を容易に見て取っているではないか。そうしたことが可能ならば,マンガのキャラにキャラクターを見いだすことはだいぶ簡単なことだと想像できる。

 わたしたちは何をもって他者の人格を構成しているのか?こうした問いに,マンガ評論から現れた概念は何かをもたらしてくれるのではないかとちょっと期待している。

037-短歌への武装解除命令

 穂村弘 2007 短歌の友人 河出書房新社

 歌人、穂村弘が2000年から2007年までに発表した論考を集めた歌論集。朝日新聞の文芸時評で加藤典洋が採りあげていたのを見て買った。

 元は『國文學』からウェブにいたるまで幅広いメディアに掲載されていた文章だが、そのテーマにはさほどの変化はない。2000年以降の現代短歌に起きているある一つの動向に注目し、それに対して起きたとまどいと、そのとまどいの起きた理由を書いているのである。

 その動向の一つの側面は、穂村の言う「棒立ち感」である。これは、詠み人の想いとその表現とのあいだの段差のなさ、フラットさを指す。

 たくさんのおんなのひとがいるなかで   今橋 愛
 わたしをみつけてくれてありがとう

 きのうの夜の君があまりにかっこよすぎて私は嫁に行きたくてたまらん   脇川飛鳥

 あの青い電車にもしもぶつかればはね飛ばされたりするんだろうな   永井 祐

 引用したのは、穂村弘が「棒立ち」を例示するときに挙げたもの数首である。最初の歌は加藤典洋の時評にも採りあげられていて、僕はこれを見て驚いて本書を手にした次第である。

 正岡子規にはじまり、アララギ派に流れ込んだ「普段着の私語り」的な歌風は、戦後の歌人たちによる技法の変革、すなわち「妙な位置での句切れ」や「口語体の使用」や「虚構を詠むこと」を呼び込んだ。そこには、穂村によれば、文語体という形式の惰性にあらがおうとする詠み人の「私」の力強さがあった。

 一方で、先に引用した現代短歌には形式に対する自覚のようなものは感じられない。僕の印象では、ひとりごとを数えてみたらたまたま三十一文字になってしまっただけという感じ。では挙げられた歌人たちが伝統について無知なのかというとそうではなさそうだ。かれらの歌集には文語体のものもあり、また戦後短歌特有の技法も用いられているという。つまり、意図的なものなのである。これを穂村は「短歌的武装解除」(p.70)と呼ぶ。短歌の伝統が編み出してきたさまざまな武器を捨てた、というのである。

「棒立ちの歌」の他方で、穂村が指摘する動向のもうひとつの側面は、「現在」への嫌悪感である。

小さめにきざんでおいてくれないか口を大きく開ける気はない   中澤 系

徘徊老人を人工衛星に監視しゆくを「進歩」といふ   小池 光

あそび子が夢中か否か評価する名門私立幼稚園あり   池田はるみ

 いずれにも、詠み人のいらだち、諦め、皮肉を読むことができる。それも、直接的に。ここにもやはり、そうした想いとそれを表現する言葉の段差がまったく欠けている。

日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも   塚本邦雄

 1958年に出た塚本邦雄の歌集に見るこの歌の背後には、戦争の影を強く感じる。と同時に日本人を「飼育係り」とあえて呼び(何の飼育をしているのかはあえて書かないが)、「おまえらそれでいいのか」と檄を飛ばしているかのような印象も受ける。現状への抵抗のための武器、それが強靱な主体であり、形式の破調であった。まずはしっかりとした、怒れる軸足たる主体があり、それがあるからこそ、技巧も成り立つ。逆に言えば、技巧の顕著さが目立つほど、背後に確固とした想いを感じさせる。

 2005年の塚本邦雄の死、は、戦後と現代を対比させる穂村の動機のひとつくらいにはなっているだろう。しかし、ただ一人の人間の死が動向のすべての決定づけることは現実的にありえない。すでに変化は起きていたのである。それが、先に挙げた動向の二つの側面である。すなわち、現状への怒りではなく嫌悪、その技巧的表現ではなくフラットな表現である。

 言葉の主人として使いこなそうとする強靱な意志を持つ「私」は退場した。いまや現れたのは、言葉の友人として、フラットな関係を結ぶ「私」である。しかし穂村が指摘するのは、まずはオトモダチにならねば生きていけない現代の人づきあいのありようであり、それに疲弊し口をぱくぱくさせている私たち自身のありようである。歌人として、そうした現代をどうこうしようとは考えていない。ただ、そういうものところから生まれたものとしてある歌の鑑賞の作法が示されているのである。

たすけて枝毛姉さんたすけて西川毛布のタグたすけて夜中になで回す顔   飯田有子

としとってぼくがおほねになったとき   今橋 愛
しゃらしゃらいわせる
ひとは いる か な