037-短歌への武装解除命令

 穂村弘 2007 短歌の友人 河出書房新社

 歌人、穂村弘が2000年から2007年までに発表した論考を集めた歌論集。朝日新聞の文芸時評で加藤典洋が採りあげていたのを見て買った。

 元は『國文學』からウェブにいたるまで幅広いメディアに掲載されていた文章だが、そのテーマにはさほどの変化はない。2000年以降の現代短歌に起きているある一つの動向に注目し、それに対して起きたとまどいと、そのとまどいの起きた理由を書いているのである。

 その動向の一つの側面は、穂村の言う「棒立ち感」である。これは、詠み人の想いとその表現とのあいだの段差のなさ、フラットさを指す。

 たくさんのおんなのひとがいるなかで   今橋 愛
 わたしをみつけてくれてありがとう

 きのうの夜の君があまりにかっこよすぎて私は嫁に行きたくてたまらん   脇川飛鳥

 あの青い電車にもしもぶつかればはね飛ばされたりするんだろうな   永井 祐

 引用したのは、穂村弘が「棒立ち」を例示するときに挙げたもの数首である。最初の歌は加藤典洋の時評にも採りあげられていて、僕はこれを見て驚いて本書を手にした次第である。

 正岡子規にはじまり、アララギ派に流れ込んだ「普段着の私語り」的な歌風は、戦後の歌人たちによる技法の変革、すなわち「妙な位置での句切れ」や「口語体の使用」や「虚構を詠むこと」を呼び込んだ。そこには、穂村によれば、文語体という形式の惰性にあらがおうとする詠み人の「私」の力強さがあった。

 一方で、先に引用した現代短歌には形式に対する自覚のようなものは感じられない。僕の印象では、ひとりごとを数えてみたらたまたま三十一文字になってしまっただけという感じ。では挙げられた歌人たちが伝統について無知なのかというとそうではなさそうだ。かれらの歌集には文語体のものもあり、また戦後短歌特有の技法も用いられているという。つまり、意図的なものなのである。これを穂村は「短歌的武装解除」(p.70)と呼ぶ。短歌の伝統が編み出してきたさまざまな武器を捨てた、というのである。

「棒立ちの歌」の他方で、穂村が指摘する動向のもうひとつの側面は、「現在」への嫌悪感である。

小さめにきざんでおいてくれないか口を大きく開ける気はない   中澤 系

徘徊老人を人工衛星に監視しゆくを「進歩」といふ   小池 光

あそび子が夢中か否か評価する名門私立幼稚園あり   池田はるみ

 いずれにも、詠み人のいらだち、諦め、皮肉を読むことができる。それも、直接的に。ここにもやはり、そうした想いとそれを表現する言葉の段差がまったく欠けている。

日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも   塚本邦雄

 1958年に出た塚本邦雄の歌集に見るこの歌の背後には、戦争の影を強く感じる。と同時に日本人を「飼育係り」とあえて呼び(何の飼育をしているのかはあえて書かないが)、「おまえらそれでいいのか」と檄を飛ばしているかのような印象も受ける。現状への抵抗のための武器、それが強靱な主体であり、形式の破調であった。まずはしっかりとした、怒れる軸足たる主体があり、それがあるからこそ、技巧も成り立つ。逆に言えば、技巧の顕著さが目立つほど、背後に確固とした想いを感じさせる。

 2005年の塚本邦雄の死、は、戦後と現代を対比させる穂村の動機のひとつくらいにはなっているだろう。しかし、ただ一人の人間の死が動向のすべての決定づけることは現実的にありえない。すでに変化は起きていたのである。それが、先に挙げた動向の二つの側面である。すなわち、現状への怒りではなく嫌悪、その技巧的表現ではなくフラットな表現である。

 言葉の主人として使いこなそうとする強靱な意志を持つ「私」は退場した。いまや現れたのは、言葉の友人として、フラットな関係を結ぶ「私」である。しかし穂村が指摘するのは、まずはオトモダチにならねば生きていけない現代の人づきあいのありようであり、それに疲弊し口をぱくぱくさせている私たち自身のありようである。歌人として、そうした現代をどうこうしようとは考えていない。ただ、そういうものところから生まれたものとしてある歌の鑑賞の作法が示されているのである。

たすけて枝毛姉さんたすけて西川毛布のタグたすけて夜中になで回す顔   飯田有子

としとってぼくがおほねになったとき   今橋 愛
しゃらしゃらいわせる
ひとは いる か な

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