036-正しさのない辞典

エリザベス・マレー 加藤知己(訳) 1980 ことばへの情熱:ジェイムズ・マレーとオクスフォード英語大辞典 三省堂

(以下の文章は、かつてウェブ日記にさらりと書いたものの再掲です。にぎやかしに。)

オックスフォード英語大辞典(OED)の初代(正確には二代目,ということは本書で知ることとなる)主任編纂者である,ジェイムズ・マレー(James Murray)の伝記である。日本でいえば,大槻文彦か新村出か。

著者はジェイムズの孫で,彼にはあたたかく,彼をとりまく人々には冷たく,筆致はいかにも身内らしい。

OEDの最大の特徴は,「歴史主義」と呼ばれるもので,ある単語の用例をAD1150年にまで遡って探し,意味の変遷を実証することにあった。

簡単に言うが実際にはこの基準がマレーや続く編纂者たちを苦しめた。単語の歴史と言っても「語源」ではなく,あくまでも使用例の変遷である。マレーは頑固にも,当時(今もか?)通用していた他の辞書からの意義,語源説,用例の孫引きをいっさい認めず,すべて自分の目で確認してから,紙に意義を書き残した。編纂者による作例もほとんどない。

OEDを辞書の最高峰たらしめているのは,「現在」を書き留めるという,マレーが残した方針である。当時の辞書とは,古典に書かれた用例のみを「良い意義」として,それを英語に残すべきだと考えていた。現在の「日本語の乱れ」論に通じる論旨である。

しかしマレーは,そうした意見に耳を貸さず,”Times”などの新聞や雑誌の記事も積極的に用例リストに加えた。現在がなければ過去もない。あくまでも辞書は,意味の歴史的変遷を列挙するのが目的だ,というのが彼の主張だったのだ。

そのときにマレーを突き動かした最大の疑問,それは「英語とは何か?」だった。マレーは答える,英語と他の言語とのはっきりとした境界などない,と。また,「良い言葉」「良い意義」などない,と。すべての言葉は歴史というひとつの軸をめぐり,あらゆる場所で話されていた,記すに等しい価値を持つものである。

マレーはスコットランドとイングランドの境界地方出身,つまり方言話者なのだった。クイーン・イングッリッシュのネイティブスピーカーでないがゆえに,持つことのできた見識なのかもしれない。

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