046-ソシュールのアナグラム

ジャン・スタロバンスキー 金澤忠信(訳) 2006 ソシュールのアナグラム:語の下に潜む語 水声社

 現在記号学の祖として知られるフェルディナン・ド・ソシュールが晩年アナグラム研究に携わったことが知られている。アナグラムとは言葉の文字を入れ替えて別の新しい言葉を作り出す一種の言葉遊びである。

 ソシュールといえば『一般言語学講義』であるが、これはタイトルの示すごとく、ソシュールが講義した内容を学生のつけたノートをもとに復元、編纂したものだ。現在では、最初に出版されたバイイとセシュエによる編集本には曲解が混じっていることがある程度分かっており、その他の学生のノートと照らし合わせながら、ソシュールが講義で示したポイントを再検討する作業が続いている。

 それに比べると、ソシュールのアナグラム研究には検討の手があまり入らない。入っていないことはないのだろうけれど、大きく取り上げられることがないように思う。それに注目した数少ない研究者には丸山圭三郎がいた。

 ソシュールがなぜ言葉遊びに向かったのかどうも気になっていて、ちょっと前に本書を読んだ。

 スタロバンスキーの結論は以下である。

われわれは、フェルディナン・ド・ソシュールのすべての研究の前提となっている次の考えを、結論として確認できるだろう。すなわち、作品の言葉は、これに先立つ他の言葉から生じるものであって、創作する意識により直接に選ばれたものではないのである。(スタロバンスキー,1980,p.185)

 そもそもアナグラム研究は何のために行なわれたのか。詩を読むと、詩人はみなパロールに潜在する「無意識」にしたがっているように見える。ソシュールはそう考えた。しかし、詩人はそれを特別な技法として説明していない。ソシュールは詩人が詩作過程においてしたがっている「無意識」を探そうとした。

 無意識が現れるのは選ばれた語の意味内容にではなく、その形式的な配置ではないか。ソシュールはそう考えたようだ。というのも、ある詩の一節に含まれる文字をところどころつなげて読むとある語が浮かび上がってくるからだ。

 何を馬鹿な、と思われると思う。そもそもソシュールが相手にしたヨーロッパ書記言語体系を構成するのはせいぜい三十弱の文字に過ぎず、それらを組み合わせてしか表現することはできない。ならば、その限られた文字から成る文章から数文字を抜き出しても、別の単語ができあがる公算が高いのは当たり前ではないか。

 しかし、この点は重要ではない。むしろなぜソシュールがそのようなことをしたがったのか、ということが問題なのだ。

 おそらくソシュールは、言語は借り物であり、それは誰からどのようにして借りたものなのか、ということを知りたかったのではないか。その、「誰か」と「どのように」を、文字の組み合わせの痕跡から推測しようとしていたのではないか。

 一見すると単なる神秘主義にも思えるアナグラム研究だが、そのように考えると、実は、社会文化的アプローチの心理学理論のなんらかの源流をソシュールも受け継いでいると考えられるのではないか。

 バフチンは、ソシュールの記号学を静的な言語観として退けているが、彼が参照したのはあくまでもバイイとセシュエによる編集本である(『一般言語学講義』の初版は1916年のフランス語版だが、『マルクス主義と言語哲学』の文献リストによれば、バフチンは1922年に出た仏語の第二版を持っていたようだ)。反目しあうと考えられていた彼らに通底するものを探り出し、それを今後の研究の枠組みに反映させるというのがわれわれの仕事だろう。

文献

ジャン・スタロバンスキー 工藤庸子(訳) 1980  ソシュールのアナグラム・ノート 現代思想 10月号 pp.175-188.

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