056-対話という方法

 対話は方法である。

 ソクラテスがアテナイの街角に立って以来,2人の間で交わされる問答は真の知へいたるための方法であった。問答という単位はすなわち対話を意味する。問うことによってはじめて,問われるべき対象が作り出される。そして,それに答えようとすることは,問いの対象を認めることである。ならば,問う者があらかじめ真の解答を知っていると言うことはできない。答える者が応答してはじめて,自己の問いの有効性に気付くからだ。

 こんにちわれわれの社会で,問答が会話の方法として頻繁に用いられる場のひとつは学校だろう。教室の生徒たちは,かれらなりに知を目指し,教師や教科書などのさまざまなリソースと問答するよう期待されている。しかし,授業研究が具体的な実践の詳細な分析から学びの過程を明らかにしたところによれば,教師と生徒の認める問いの対象が一致していないことがある。

 一例に,教師の行なう「既知情報の質問」(known information question, cf. Erickson, 1996)がある。一般に質問は,未知の情報を取得するという機能を果たす。ところが既知情報の質問,すなわち質問者は当然知っているはずの情報をわざわざ相手に問うことには,それとは別の機能がある。たとえば,授業中に「いま何時ですか」と問うことは多様な機能を持ちうる。遅刻した生徒に投げかけられたそれはかれにとって叱責であるかもしれないし,時計の読み取り方にかんする授業では,生徒にとって自分を評価するものかもしれない(Mehan, 1979; 茂呂, 1997)。日常的な会話ならば,「いま何時ですか」という問いの対象とするところは,質問者と応答者のどちらにとっても「いまは何時か」であり両者で一致する。ところが授業における既知情報の質問では,表面的な形式は日常的な会話でのそれと同じであるにもかかわらず,応答すべきものとして生徒の認めた対象は,「いまは何時か」ではない。おそらく,「あなたは遅刻すべきだったのか」「あなたはわたしの正しいと認める答えを言えるか」が,生徒にとって問いの対象となりうるものであろう。

 2つ目に挙げた「あなたはわたしの正しいと認める答えを言えるか」が生徒にとって問いの対象となることは,研究者によっては問題視されるものである。エリクソン(1996a)は,生徒の注意がこの問いの対象に向けられると,次のような仮定が生じるという。すなわち,「習得すべき知識の総体がどこかにあり,教師はすでにそれを習得している。それゆえ,教師は教室のなかで権威をもつことができる」(p.60 n.3)。すると,この仮定のもとにある生徒の目指すべきは,なんらかの権威によって真であることの保証された知を探ることとなる。

 たとえば数学は,生徒の提出する答えが「教師にとっての正しさ」の点から評価されやすい分野だろう。この経験の果てに生徒が身につける習慣はどのようなものか。数学という実践が意味するのは,教師の決めたルールにしたがうことや適切なときにそのルールを想起することであり,数学的な真理とは教師の定義したこととなる(Lampert, 1990)。しかし,そこでの数学的真理はあくまでも教師にとってのそれである。

 問答という方法で近づこうとする真の知が教師=質問者と生徒=応答者の双方にとって等距離にある共通の問いの対象であるとするなら,既知情報の質問が念頭に置く数学的真理は教師に近すぎるばかりでなく,実は共通の問いの対象でもない。教師が知りたいこと,すなわち問いの対象とは生徒の知識であり,一方で生徒の認めた答えとは,自分を知識もつ人格として呈示することにほかならないからだ。

 もちろん,教師の用意する正答がなんらかの知の形であることは疑いない。とすると,授業の目標を「教師の用意する所与の知」と「誰も知らない真の知」のどちらに置くかが教育実践上の課題となることも考えられる。もしも実践上の課題が方法の選択にあるならば,どちらかを臨機応変に選べばよいだけの話だろう。

 しかし,現代という混迷の時代に住むわれわれは,新たに発生する多様な問題状況から解決すべき問いの対象を発見して,すみやかに対処するように強いられている。そうした時代に必要となる教育実践は,再生産される所与の知を引き受けながら,新たな問いの対象とそれへの答えを協働的に創造することを目標に掲げるはずだ(Kozulin, 1998, p.154)。とすると,教育実践上の課題は,異質な2つの知を選択することにあるのではなく,いかにしてそれらを織り合わせるかにあると言える。この課題の達成には,やはり対話としての問答に注意を払わなければならない。

 では,当面のところ,何が実践上の課題となるのか。ここで,先に触れたエリクソン(1996a)に戻ろう。「習得すべき知識の総体がどこかにあり,教師はすでにそれを習得しているがゆえに,教室のなかで権威をもつことができる」という仮定が,生徒の問いの対象をずらしたのだった。さて,「習得すべき知識の総体」と「教師の権威」とは,授業を構成する課題内容と,授業に参加する人々の関係性に,それぞれ該当する。別の論文でエリクソンは,両者を授業の進行を制約するものとして捉え,それぞれ課題構造(task structure)と参加構造(participation structure)と呼んだ(Erickson, 1982, 1996b)。

 課題構造には,教師が用意する問題の論理的構造や難易度,解くのに要求されるスキルや回答の形式(クローズドエンドか,オープンエンドかなど)などのことがらが含まれる。一方の参加構造に含まれるのは,援助の要求に応えたり,発言権を得ようとしたり,一人あるいは集団で作業をするといったときに,生徒と教師が相互行為を展開するのに用いる機能的な方法である。

 これら2つの概念が必要なのは,同じ課題構造でも参加構造が変わることによって,生徒の学習することの内容に変化が現れるからである(Erickson, 1996b)。これは,相互行為の構造次第で生徒の認める問いの対象が変わりうることを示唆する。この示唆にしたがうならば,問いの対象の協働的な創造という教育実践上の課題にとって,参加構造に注目することは有効だろう。オコナーとマイケルズによれば,実際に教師は,課題構造を構成する活動へ生徒をまきこむために,授業の参加構造を慎重に調整しているという(O’Connor & Michaels, 1993, 1996)。

 授業の参加構造に注目する研究の歴史は70年代初頭の米国に始まり,今日に至るまで続けられている(レビューとして,Cazden, 1986; 金田, 2000)。その中には,参加構造に介入して授業の改善を目指した試みがいくつか見られる。そこでは,教師と生徒の相互行為上の役割や(Herrenkohl & Guerra, 1998; Herrenkohl, Palincsar, DeWater & Kawasaki, 1999; Lampert, 1990),やりとりに用いられる言語形式(Wells, 1999)が取り上げられてきた。以下では,課題構造と参加構造のうち,特に後者について分析と介入を行なったいくつかの試みから,授業の問答=対話がいかにしてデザインされてきたのか紹介していく。この作業を通して,社会文化的アプローチにおける対話概念のこれまでとこれからの見通しをつけてみたい。

 手始めに先ほど挙げた数学の例から入ろう。教師の設定する正答の発見が生徒にとっての問いの対象となるとき,かれらにとって数学の実践とはこの経験にほかならない(大谷, 1994)。しかし,ランパート(1990)によれば,正答やそれを導くための定理もひとつの仮説だと疑う勇気と慎重さこそ,数学的実践に求められるものである。かれはこの実現に向けて,授業の参加構造へ介入したのだが,それは具体的には相互行為における教師と生徒の役割配分を再定義する試みであった。

 ランパート自身が数学を担当する小学5年生のクラスに出した問題は,「累乗」をどのように理解すればよいかというものであった。累乗を計算するには,ある数を指数ぶんだけ掛ければよいのだが,授業の目標は,生徒がそれを数学上の知識として習得することだけではなかった。ランパートは「取り組むべき問題(problems)は生徒に出したが,答え(answers)にいたる道は説明しなかった。答えてほしい問い(questions)は,単に解答(solutions)が得られるかどうかのほかにもあった。数学における前提や方法の正統性を問いとして,それに答えてもほしかったのである」(Lampert, 1990, p.38)。

 1時間半ほど続いたという教師ランパートと生徒たちとの議論は以下のように進められた。たとえば「5の4乗の下一桁はいくつか。その理由は?」という教師の質問に対してある生徒が提出した解答が,その名前とともに黒板に書かかれる。書かれた解答はあくまでも「誰かの提案した仮説」であることが確認されるので,他の生徒は根拠を示した上でそれに対して疑問や反論を述べることができる。もちろん,はじめに答えた生徒はそれらに解答しなければならない。こうして,仮説の提出→反論→再反論というプロセスが,教室全体で展開されたのである。

 ここでの教師と生徒の役割について検討してみよう。ランパートによれば,教師の役割は以下のようであったと見なせる。すなわち,どのような活動が適切かを生徒に示すこと,自身が生徒の担うべき役割のモデルとなること,その場その場で数学的な議論展開の模範を示しながら再創造することである。一方で生徒の役割は,教師の想定する正答や方略を発見するばかりでなく,他の生徒が提出した仮説を評価して,それに応じて自分なりの仮説を発表することでもあった。教師が正答を定義していた従来の授業と比べて異なる点は,解答を評価する役割が教師だけでなく生徒にも配分されていたことである。

 これにより,教師と生徒との間で問いの対象が共有される可能性が開かれる。論文のタイトル(When the problem in not the question and the solution is not the answer)から推し量られるように,ランパート(1990)にとって「問題と解答」「問いと答え」は異質な対であった。それはちょうど,従来の数学的参加構造で展開される相互行為と,新たなそれとの違いとに対応する。すなわち,教師=出題者と生徒=解答者という非対称的な役割で構成された参加構造と,教師と生徒のどちらも問う者という対称的な役割から成るそれとの違いである。

 ところで,ランパートが生徒に示した討論の方法は,日本の学校でも見られるものだ。オコナーとマイケルズは,教師ではなく生徒が「○○さんが言った意見は,××だと思う」などの形式で他の生徒の解答を引用しながら推論を進める事例を日本の学校の授業から紹介している(O’Connor & Michaels, 1996)。また,クックはこのような参加構造を日本における授業の1つの特徴として挙げた。そして,生徒同士で互いに引用したり評価をしたりするこの参加構造を経験した結果,他者の発言をよく聞く習慣が身につくのだと示唆している(Cook, 1990)。

 この示唆がどこまで一般化できるか,そもそもこの参加構造が日本の学校に特徴的なものなのかは不明であるが,評価するという社会的役割が,具体的な相互行為においては聞く姿勢を前提としているという部分は確かだろう。すなわち,評価するという役割を引き受けるには,まずその前に相手の話をよく聞くという行為が求められるのである。本節で注目したのは発言する際の役割だったが,次節では他者の発言を聞く際の役割について取り上げる。

 相互行為の民族誌的研究が明らかにしたように,「聞き手」という役割を引き受けるためには,ただ話し手の近くにいればよいのではない。会話の場に参加する人々に対して,自分を「聞き手」として提示する必要がある(Goffman, 1981; Goodwin, 1981)。さらに,いかにして「聞き手」となるかということは,話し手の話し方をも規定していく。たとえば病院では,診察室に入ってきた患者が「診察を受ける者」として医者の方に目を向けたときに,医者が話し始めて診察が開始される(Heath, 1986)。このように,相互行為に「聞き手」として参加することは決して受動的な態度ではない。すると,いかにして聞くかという点が,相互行為の展開を左右する。

 小学4年生を対象に理科の実験授業を実施したヘレンコールとグェルラ(1998)が検討したのは,生徒が「聞き手」という相互行為上の役割を担うことによって,授業中の議論の質が変化するかどうかという点であった。手続きは以下の通りである。まず平均的な成績の生徒たちがランダムに2つのクラスに分けられた。両クラスとも,各班で「記録係」と「報告係」に分担したうえで実験を行ない,得られた結果を実験前の予測と結びつけて理論をとりまとめ,それをクラス全体に対して報告するよう求められた。ただし一方のクラスのみ,結果発表の際に,報告を聞く側の生徒がその内容をチェックし,あらかじめ用意した問いのリストにもとづいて適切な質問をするよう教示された。

 発言内容の確認や反対意見の表明など,議論を進める機能を果たす発話について報告中に現れたものを数量的に分析したところ,発話量ではいずれにおいても聞く側の生徒に質問者としての役割が与えられていたクラスの方が発話量の多かった。これより,科学的な推論をクラス全体で進めていくには,実験者=報告者が「予測→実験→理論化」という手順をふむだけでは十分でなく,後に質問するために報告を批判的に聞くという社会的役割の存在の重要性が示唆されたのである。

 このことは,別の授業の観察からも補強される(Herrenkohl, Palincsar, DeWater & Kawasaki, 1999)。授業構成は先ほどと同様に,班ごとの実験の後で結果と理論を報告するというものであった。ここでの分析の中心は,実験結果を統一的に説明する枠組(すなわち「理論」)を生徒たちが定義し直し,それ自体を問いの対象とするにいたった議論の過程にある。はじめは,教師と生徒の間で,また生徒同士の間でも,「理論」の指し示すものにズレがあった。ある生徒にとっては「かつて経験したこと」や「いつも起こるはずのこと」が,またある生徒にとっては学校の文脈における「正答」が理論であった。いずれにせよ,変更可能な仮の説としては捉えられていなかったのである。

 ヘレンコールら(1999)が観察した5年生クラスの事例から変化をたどってみよう。授業のテーマは「液体に浮かぶものと沈むもの」であった。「理論」が問いの対象となったきっかけは,報告者が「(実験材料の)プラスチックの立方体には中に空気が入っているので,それは水に浮かぶ」という仮説を立てたところ,実際の実験では沈んだことであった(Herenkohl et al., 1999, 477)。この事態に際して「聞き手」の生徒から「理論は変えてもよい」という理解のしかたが提起された。これ以降,自分なりに「理論」を定義する生徒が現れ始めたという。

 ここでは,報告する「話し手」と質問する「聞き手」とのやりとりにおいて,「理論とは何か」を問いの対象とする問答のようなものが成立したと考えられる。経験的な知識や学校での正答を「理論」と呼ぶならば,それらは不動である。過去は変えようがないし,正答は固定された文字として教科書に書かれているからだ。「変わらないもの」から「変わりうるもの」へと定義し直したことは,生徒にとって重要な転換点となる。

 以上で紹介したヘレンコールら(1998, 1999)の授業は,責任と義務の配置として実現する参加構造を意図的に作り出そうとするものであった。本節の冒頭で述べたように,報告する声が耳に届く範囲にいればおのずから「聞き手」となるのではない。ここでは,質問する者という具体的な行為の必要性が「聞き手」としての役割を意味あるものとしていたと考えられる。科学的議論という活動に参加する「聞き手」とは,みずからの問いの対象を「話し手」の報告から発見する能動的な行為者のことである。本章のことばで言いかえれば,実験結果に基づいて理論を導く科学的推論の方法が,あるいは「理論」ということばの指すものそれ自体が,すべての生徒にとって問いの対象となるようにしむけられていたのである。生徒が目指すべき問いの対象は,教師の提供する「正解」でも,かつて生徒自身が経験した「事実」でもなかった。それは問答を通して発見され,生徒たち自身によって引き受けられたのである。

 前節で見た授業には多様な道具が導入されていた。たとえば,報告された理論をクラスで共有するための表や,質問するのに用いられたリストがそうだ。また,ヘレンコールら(1998,1999)は,「予測→実験結果→理論化」という科学的推論の手続きも「知的道具(intellectual tools)」と呼んだ。ワーチ(1998/2002)は,人間の知的な行為を道具による被媒介性から捉えるなかで,これらの道具をただ単に使ってみるだけでなく,ひとが自分の行為のレパートリーに組み入れて使いこなすようになることの重要性を一方で指摘した。さらに,道具をよりよく使いこなすようになるためには,ヘレンコールらの観察における報告に対する質問などのように,なんらかの社会的な参加構造に埋め込まれることが必要だと述べている(邦訳, p.151)。

 だが,道具はいかにして参加構造に埋め込まれるのだろうか。たとえば「理論」ということばは,音声言語や図表の形をとって,確かに授業を通して生徒の周囲にあっただろう。また,報告や質問を通して実際に使われてもいた。では,このとき「理論」ということばは,参加者それぞれにとって何のための道具だったのだろうか。

 参加者一般を主語とするならば,道具はかれらにとって「利用可能だった」などの一般的な言い回ししかできない。だが教室にいるのは参加者一般ではなく,具体的な個々人である。かれらの目指すことが異なるならば,それぞれにとって道具の持つ意味も違うはずである。すると,授業のような協働的活動において,何が道具となりうるか,何のための道具かといったことを,参加者は相互に確認し合わなければならない。これはちょうど,ヘレンコールら(1999)が観察した授業で,「理論」ということばの定義が,生徒たちの間で共通の問いの対象として認められたこと,それが実際に問われたことに相当する。教師や生徒たちが各自が道具とするものやその意味を確認できる参加構造において,道具の使用が促進される(ワーチ, 1998/2002)のもこのためだろう。

 道具が埋め込まれた参加構造とは,あるモノが道具として成立するための相互行為上の配置のことである。それ自体で独自の意味を持つ道具が,それとは独立に存在する参加構造に挿入されることではない。むしろ,道具が独自の意味を持つと見なされるとき,それはある特殊な参加構造において成立しているのである。道具の意味が不定であることを確認できる参加構造が成立し,その意味の確定が参加者の共通の目標となった教室こそ,問いの対象を共有する人々が対話を続ける「探求のコミュニティ」(community of inquiry, Wells, 1999)と呼ぶことができる。

 ウェルズ(1999)がデザインする「探求のコミュニティ」としての教室では,知を目指す協働的な対話が目指される。かれによれば,知識(knowledge)とは知ること(knowing)の生起する個々具体的な状況から離れてなお存在しうる物質や観念ではない。あくまでもある個人が,他者との協働を通して焦点を当てるべき問いを構築し,それに対して自分なりに意味づけ常に更新し続けるもの,それが知である。ともするとわれわれは,書かれたことばなどに知がすでに用意されていると考えてしまうが,そうではない。あくまでも,書かれたことばが埋め込まれた社会的な実践において,それを意味づけ直す行為として「知ること」がある(pp.88-92)。かれの提起する知の探求とは,あるコミュニティで協働的に実践することと,そこから歴史的に新しい意味が発生することから構成される,具体的なプロセスなのである。ここでの授業実践が「探求」と呼ばれるのは,知識の伝達・所有説への代替案としてであり,問いは誰に対しても常に開かれているということへわれわれを注目させるためである。以上から分かるように,「探求のコミュニティ」とは,これまで述べてきたいくつかの授業実践が目標とするところをまとめてくれる概念である。

 では,教室を探求のコミュニティとするにはどうしたらよいのだろう。そのためにウェルズが注目したのが,対話を構成する最も本質的な要素,すなわち言語であった。ただし,ここでの言語とは,さきほどの道具についての議論からも分かるように,おのずから意味を内在させる安定的なものではない。ハリディ,バフチン,そしてヴィゴツキーを理論的な背景としながらウェルズ(1999)が意味と呼ぶのは,一般性と個別性とが一回きりの行為において出会い,その場から創発するなんらかのものである。どういう形式の言語を,どのような場で誰が誰に向かって言うか,すなわち,形式と文脈と行為の結びつきから生まれる何かを,かれは意味と呼んだのだ。

 先ほど述べたように,誰にとっても同じ意味を持つ道具はない。ヴィゴツキー(1930/87)が心理的道具と呼んだところの言語も同様である。ある1つの単語が誰にとっても同じ意味を持つことは,原理的に保証されていない。この不思議なズレは,原理的に解消できない。なぜなら,コミュニケーションする二人は別人だからである。

 しかし,ズレは解消すべき何かではないだろう。すでにわれわれは,互いにどこかずれながらも,実際の行為として,コミュニケーションできているのだから。むしろズレは,形式・文脈・行為の一回きりの結びつきという意味創発の原理によって導かれる,必然的なものであろう。ここで,対話とは何であったかを思い出してみたい。対話とは問うこと,およびそれにより発生した対象を認める,すなわち答えることの対であった。このズレそのものが問いの対象となるとするならば,それはどのような事態を指し示しているのだろうか。おそらく,互いに独自の意味で「理論」ということばを用いながらも,形式の上では一致しているがために議論という行為は可能である,そのことを問いの対象とした5年生の事例(Herenkohl et al., 1999)が該当するのではないか。

 コミュニケーションのズレをなくすこと,すなわち意味を共有しつくしてしまうことが対話の究極の目標なのではない。ズレは永遠になくならない。このズレそのものを問いの対象として参加者が相互に認めるという方法,それが対話なのである。


文献

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 レフ・セミョーノヴィチ・ヴィゴツキー 心理学における道具主義的方法 柴田義松・藤本卓・森岡修一(訳) 心理学の危機:歴史的意味と方法論の研究 明治図書 pp.51-9.

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055-ラディカルに、心理学を

イアン・パーカー 八ッ塚一郎(訳) 2008 ラディカル質的心理学:アクションリサーチ入門 ナカニシヤ出版

 もう先週になりますが、筑波大で開催された質的心理学会に行ってきました。明和電機代表取締役社長、土佐信道さんをお迎えしてのシンポジウムに司会として参加するためです。

 シンポジウム会場は盛況だったかと思います。個人的には、土佐社長とゆっくりお話しすることができたことがなにより嬉しい出来事でした。

 ところで、会場の廊下にて熊本大の八ッ塚一郎先生と少しお話しする機会がありました。とある研究会で数回お会いしただけなのですが、私のことを覚えていてくださっていました。

 先生もこの大会でシンポジウムを企画されていて、私もそれにちょこっと顔を出していたので、それについて話を振りました。そのシンポは、先生が最近翻訳された、イアン・パーカーの『ラディカル質的心理学』に関連したものでした。

「新しく本を出されたんですね」
「はい、ああ、送りますよ」
「いやいや、そんなつもりじゃ」
「いや、ぜひ」

 そんなやりとりがあって、ご恵贈くださいました。謹んでお礼申し上げます。

 訳者である八ッ塚先生のあとがきによると、イアン・パーカー(Ian Parker)はイギリス生まれ、マンチェスターメトロポリタン大学の教授で、ラカン派の精神分析家でもあるそうです。

 本書は、研究方法について書かれた入門書です。ラディカルというくらいですから、本書で推奨される方法は、心理学における従来のそれとはまったく異なる考え方に基づいています。

 その考え方とは、以下のようなものと言えるでしょう。すなわち、心理学研究がすべきことは現象の分析や予測にとどまらない。最も重要なのは、わたしたちの社会について「未来的に構想」(p.2)することである。どのような社会を構想するかは自由でしょうが、落ち着く先は、人々にとってよりよい社会でしょう。

 ここからいくつかの原理が導かれます。たとえば、構想するにあたっての唯一の媒体である言語に注意すること、人々の中に潜在する視点の多様性を前提とすること、心理学の政治性について自覚すること、などなど。

 本書ではこれらの原理にのっとって研究することが可能な6つの研究方法が掲げられています。エスノグラフィ、インタビュー、ナラティヴ分析、言説分析、精神分析、アクションリサーチです。いずれもそれほど新しい方法ではありません。精神分析やアクションリサーチはほとんど前世紀の遺物として扱われてきたものでもあります。

 しかしパーカーは、これらを遺物としてではなく、自らも社会の一員である心理学者が、その住む社会を変えていくために必要なツールとして取り扱っています。社会の趨勢の変わっていくのをただぼんやりとながめているのではなく、むしろ積極的に介入し、変革していくこと。ここにパーカーの言う、ラディカルな質的心理学の矜恃があるのだと思います。

 翻訳は大変こなれていて、安心して読むことができます。訳注も豊富。巻末の文献一覧で、邦訳のある文献については邦題を併記していただけるとよかった、というのは一読者のわがまま。

054-半径300メートルの文化心理学

有元典文・岡部大介 2008 デザインド・リアリティ:半径300メートルの文化心理学 北樹出版

 常日頃よりお世話になっている、有元典文先生と岡部大介先生の新刊が出たようです。

「ようです」と書きましたけど、今、手元にありますので、確かな事実です。手元にあるのは、著者よりご恵送いただいたためであります。謹んで御礼を申し上げます。

 本書は、いわゆる、心理学における社会文化的アプローチや状況論といった理論的立場を踏襲して書かれた、心理学の専門書です。ですが、表紙からしてなにやらカッコイイ。また、ページをめくってみましても、随所に楽しい仕掛けがしてあります(17ページや、奥付の著者略歴をご覧あれ)。イラストも楽しく、それだけ眺めていてもいいくらい(148ページのイラストはキョーレツ)。おまけに、答えのない練習問題つき!

 サブタイトルに「半径300メートルの文化心理学」とあります。半径300メートルが指すところは、本書で扱われる対象が(「自分自身」を含めて)ごく身近にあることを指すのでしょう。なぜ100や200ではなく300メートルか?というのはさておき(たぶん、ここにも何らかの仕掛けがあるのでしょう)、対象の雑多さにまず目が引かれます。スタバや焼肉屋の店員、ケータイやプリクラで撮る写真、コスプレや腐女子のコミュニティ、そして、童貞。これらはいずれも、わたしたちがある程度の確信をもって日々行なう実践です。

 こうした実践にたいして目を向ける際の切り口が、「文化心理学」の指すところのものです。「文化とは現実の見え方のデザイン」(p.216)だというのが、著者らの立場です。わたしたち人類は、環境を変化させ、意味のある対象とすることを通して生きてきました。そうした変化が積もり積もったのが現在のわたしたちの生きる世界です。ですから、この世界には、先祖たちや同時代を生きる他者が仕込んだ仕掛けが満ちあふれています。

 ある仕掛けがあったとします。それを手がかりに生きる人もいれば、それが手がかりにならない人もいる。この二人の間では、「現実の見え方」がそもそも異なることになります。本書の例を使えば、「コスプレ者のルール」というのが仕掛けであり、コスプレコミュニティへの参加を通して、人はそれを手がかりとするようになっていきます。もちろん、この仕掛けも突然誰かが決めたわけではなく、社会的なすりあわせの帰結として生まれたものでしょう。

 本書を読む前に、ヴィゴツキーやレイヴ&ウェンガーといった理論書をとりあえず読んでおくことをおすすめします。そこで頭を悩ませ、学問の門の狭さに困惑したあと、本書を取り出してみてください。「研究って何を対象としてもいいんだ」「こんなことでも対象になるんだ」と、ぱあっと視界がひらけてくると思います。

053-ランシエールひとり読書会

ジャック・ランシエール 松葉祥一・大森秀臣・藤江成夫(訳) 2005 不和あるいは了解なき了解:政治の哲学は可能か インスクリプト

 少し前にジャック・ランシエール『不和あるいは了解なき了解』(インスクリプト)を読み終えた。思うところあって,1章ずつここにまとめていくことにする。

 本書はランシエールが1995年に出した単著の邦訳である。ランシエールは1940年生まれのフランスの哲学者。アルチュセールに師事したあと,独自の政治哲学や美学に関する論考を出し続けており,最近では映画についての仕事も多いようだ。

 彼の書いた『何も知らない先生』(Le maitre ignorant)が,私の参加した研究会で取り上げられたことがあり,それで名前だけは知っていた。今回,ちょっと調べ物をしていたところ,彼のこの著書がひっかかってきた。邦訳があるので早速読んでみた,というのがいきさつである。

 政治とは何だろうか。ランシエールは,この問いを古代ギリシャにさかのぼって考える。

 古代ギリシャにおいて,「害(仏語 トール)」とは誰かが他の誰かに与える損失である。誰かが利益を得て,他の誰かがそれに相応した損失を被る。これもまた害のひとつのありようであるが,プラトンやアリストテレスは,これを「間違い(仏語 トール)」とし,間違いのない共同体が公正であり,正しいのだとした(pp.22-3)。

 正しさを実践することが問題となるのは,共同体内で共有されているものを配分するときである。

 どのように配分するか。第一の原理は,ランシエールが「幾何学的平等」(p.25)と呼ぶもの,つまり,共有されている利益を生み出す仕事に貢献した割合でもって配分するというものである。たとえば,20の利益を生むのに,Aさんは8の仕事,Bさんは2の仕事をしたとしたら,全利益のうちAさんには16,Bさんには4を配分するというやり方である。このとき,かれらはそれぞれそれだけの権利をもつと正当化される。

 しかし実際には,このように簡単にはいかない。そこにはいくつもの複雑な計算過程がある。まず,共同体の利益全額を算定しなければならない。次に,各メンバーが共同体に対して行なった仕事の価値(希語 アクシア)を正確に算定しなければならない。最後に,算定された比率に応じて各メンバーが共同体に対して有する権利を算定しなければならない。すると「計算があまりに複雑なためおそらく根本的な計算違い」(p.25)が生じる可能性が出てくる。ランシエールは計算違いについてアリストテレスを引き合いに出して説明する。

 アリストテレスが例示する価値は3つである。善き人びと,すなわち血統によって地位の保証された貴族は卓越性をもち,少数の金持ちは富をもち,民衆(希語 デモス)は自由(希語 エレウテリア)をもつ(pp.26-7)。ただ,アリストテレスが別の個所で言うように,古代より貴族とは金持ちの別名であった。また,ここでの民衆とは,金持ちという明確な権利をもたない「その他大勢」であり,金持ちと対比されるときには「貧しい者」である。

 では,自由をもつとされる民衆の「自由」とは何か。金持ちに対する負債をもつがゆえに堕ちた奴隷状態からの自由,すなわち奴隷制の廃止という事実から生まれた自由である。金持ちや貴族はそれぞれ共同体に参画するための固有の資格をもっている。その他の人々にとっては,ただかれらが「自由」であるということだけが,共同体に参画する必然性だったのである。しかし,誰にも縛られていないという意味での自由ならば,貴族も金持ちももっているではないか。したがって,自由とは民衆にとって固有の性質ではない。にもかかわらず,自由という価値に基づいて民衆は全利益からの配分を受ける。

 ここに計算間違いがある。第一に,民衆は共同体のメンバー全員に平等に配分されていたはずの自由という性質を,固有の価値として手に入れる。自由とは,ある集団に固有な性質ではない。そもそも民衆は,固有の価値をもっていないのであり,したがって共同体に対する権利のない,要するに分け前なき者なのである。貴族や金持ちならば徳や富が入る固有の価値の位置は,本来空白なのだ。その空隙に共通の性質である「自由」がすべりこむことが第一の間違いなのである。このことを下図のように整理しよう。

        貴族・金持ち 民衆
固有の価値 徳   富   (空欄)←自由
共通の性質 自由 自由  自由→→↑

 第二の計算間違いは,民衆が全体と一致するというものである。民衆とは自由をもつものだ,という命題を誤解すると,自由をもつならば民衆である,と考えてしまう。全員が自由をもつのだから,共同体=民衆ということになる。「民衆とは,… 全体としての部分である」(p.32)。

 そもそもこの計算間違いはなぜ起こったのか。それは,共同体において利益の配分を受ける価値のなかった者,すなわち分け前なき者がいないようにされたからである。分け前なき者に分け前を与えるには何らかの価値をもっていると想定されなければならない。そこで出てきたのが自由である。

 これにより民衆は,固有な価値をもたないと同時に,共同体と同一であるような集団となる。固有な価値がなく,分け前を得る権利がないはずの民衆が,にもかかわらず,共同体を代表し,共同体の分け前を得ようと過分に権利を言い立てるとき,分け前を自然に得る者との「係争(仏語 リティージュ)」が起こる。この係争によって政治のあることが明らかとなる。

 ランシエールによれば,政治が存在するのは,「分け前なき者の分け前が制度化されることによって支配の自然的秩序が中断されるときである」(p.34)。自然的秩序とは何か?共同体のなかで成立している社会的秩序のうち,富や血統や武力を有する者による支配と,それらをもたない者(=民衆)の服従という関係性である。

 他方,ランシエールによれば,共同体が依拠する秩序にはもうひとつあり,それは「平等」である。この平等もまた自然的秩序を破壊するものである。いかにしてか。あるメンバー同士が命令-服従にあるとき,ここには自然的な支配に基づく社会秩序が成立している。しかし,命令が命令として成立するには,服従する側が命令を命令として理解できなければならない。その点で,服従する者と命令する者は同じコミュニケーション・コードを共有しており,その意味で対等である。対等であるからこそ,支配-服従関係が成り立つ。であるから,その関係はまったくの対等という混沌から偶然に生じたと考えられる(p.42)。不平等は平等を前提とする。

 自由とは誰もが有する性質であり,平等とは共同体の根本的な原理である。そしてどちらも自然な社会的秩序を「中断」させる。民衆は,みんなのものである自由をもつがゆえに全体を代表する。平等は現在の支配-服従関係の無根拠性を暴く。

「なぜこの問題にお前が口を出すのだ」「それは俺の自由だろう」
 このような争いを耳にしたとき,どちらに与すればよいか。「俺」は誰にでも与えられている自由を自分だけのものとして,それを権利として口を出す。これは他者のものを奪っている点で害(トール)であり,と同時に端的に間違い(トール)なのである。プラトンは,誰もが発言できる状態を「悪」とした。それにはこのような事情があった。

 以上が,1章「政治のはじまり」のまとめである。

 古代ギリシャにおいて,ロゴス(=知性)とは善き人々(=貴族)の所有(希語 ヘクシス)するものであった。その一方で,所有という意味では,ロゴスは奴隷のものではなかった。その代わり,かれらはロゴスを理解(希語 アイステーシス)できる。というのも,ロゴスは支配-服従という関係の前提として機能しているはずだから。このように,支配の秩序はロゴスの共有を前提としている。

 まさにこのことが,支配の秩序を崩すのである。「すべての社会秩序が備える純粋な偶然性以外に,貴族の支配には基盤がないことが示される」(p.54)。支配の秩序が頓挫すること,ランシエールはこのことを,このことのみを,「政治」と呼ぶ。もう少し詳しく見ていこう。

 古代ギリシャの考え方によれば,貴族の口から出るのは言葉(=ロゴス)である一方で,民衆の口から出るのは単なる鳴き声,うめき声である。したがって,両者のあいだで「言語をやり取りする状況が形成される可能性はなく,討論のための規則もコードもない」(p.52)。これが,貴族による支配を秩序づける「感性的なもの(le sensible)」,すなわち,思考によらない感覚的な理解であり,知覚の様式である。ちなみに「感性的なもの」は,ギリシャ語で「アイステーシス」と呼ばれる。「理解」とも「感覚」とも訳される。英語のエステティクス(aesthetics)の語源であり,一般には「美学」と訳されるので,美術・芸術の哲学としてとらえられやすいが,原義で理解しておくと読みやすい。

 さて,貴族の口から出る言葉が思慮ある正しい言葉として,民衆の言葉が単なる快苦の動物的表明として聞き取られるのだが,実際には,貴族と民衆の口から発せられる言葉は同じコードに基づいている。同じコードに基づいているからこそ,そこに支配が成立するのである。ということは,両者の言葉を区別し,そのように知覚してしまう感覚の様式が,前提としてあるということである。文字通り,貴族は民衆の言葉を「聞く耳持たない」のであり,民衆も「やつらは聞く耳持たないはず」と思う。そのような感覚の様式に基づいて人びとがなんらかのグループに分割され,その分割のしかたが共同体のメンバーのうちに共有される。ランシエールはこの状態を「分割=共有(パルタージュ)」と呼ぶ。

 貴族は「聞く耳持たない」のであるから,ただちに,貴族と民衆という格差があることが政治的問題になることはない。貴族にしてみれば,窓の外で大声を出すのはロゴスではないただの「声(フォネー)」を発する音声的動物である。議論するロゴスをもつ相手はそこにいない。そのように仕立てられている「感性的なもの」に基づき,かれらは世界を知覚する。したがって,単に貴族と民衆という格差が存在するということは,共同体の中で政治的問題として取り上げられないのである。民衆にしてみればくやしいだろうが。

 では,いつ,政治が存在するようになるのか。

 ランシエールは次のように言う。「政治とは,まず共通の場面を実在させることをめぐる衝突であり,その場面にいる人々の実在と身分に関する衝突である」(p.56)。衝突以前には,民衆という存在の声そのものが,貴族の耳に届いていない。もちろん,確かにそこに民衆はいる。しかし貴族は,あたかも民衆がいないかのようにふるまう。いや,ふるまうというのではない。端的に,「見えていない」。そのように様式化された知覚において貴族は世界を見る。他方,民衆は自らと貴族とのあいだに何らかの対立があるものとして世界を知覚する。政治は,こうした世界観の矛盾の上に成り立つ。政治とは,階級間の対立をどうこうすることなのではなく,そもそも対立があるのかないのかということをめぐる問いから始まるのである。

 この点をもう少し詳しく見てみよう。

 ランシエールは,共同体の社会的秩序には2つの様式がありうるという。ひとつは,人々の固有性,すなわち共同体に対して個々人が有する独自の価値に応じて分け前が受けられるよう社会が秩序化され,そのように「分割=共有」される様式がある。そのような分け前の分け方についての理解が共有されているという様式である。

 もうひとつは,2つのロジックが続けざまに出現するという様式である。2つのロジックとは,第一に,人々を可視性と不可視性の空間に配置するロジックである。言うまでもなく,貴族が前者に含まれ,民衆が後者に含まれるのが,古代ギリシャの感性的な空間配置である。第二に,あなたもわたしも同じ言葉を話しますよと言うことにより言語的平等を申し立て,それによって可視性と不可視性の空間が実際には偶然的に成り立っていることをつまびらかにするというロジックである。

 ランシエールはこれら2つの様式のうち,前者を「ポリス」,後者を「政治」と呼んで区別することを提案する(p.58)。

 ポリスをもう少し具体的に言うとどういうことか。「ポリスとは,本質的に,当事者の分け前があるかないかを定義している,一般的には不文律の法である。…ポリスとは,まず第一に身体の秩序であり,それはある身体にその名前に応じて何らかの地位や役割を割り当てるような,行為の仕方,存在の仕方,話し方のあいだの分割=共有の数々を定義する」(pp.59-60)。何が見えて,何が見えないのか,何が言葉として認められ,何が認められないのか。そうした感性的なものの布置の静的な秩序を,ランシエールはポリスと呼ぶ。この言葉のこのような使い方はランシエール独自のものだろう。

 では,政治についてもう少し詳しく言うとどうか。ランシエールはさしあたりの定義としながら,次のように言う。それは,誰が当事者であり,誰が非当事者であり,誰に分け前があり,誰にないのかを決める「感性的なものの布置」(p.60)をいったん無効化し,そのうえで再配置しなおす過程全体のことである。この再配置実践を支えるのは,誰もが言葉を話す者であるという平等性である。

 要するに,あらかじめ定められた当事者と非当事者の布置をポリスと呼び,その布置の再構築過程を政治と呼ぶのである。

 政治は「ポリス的論理と平等の論理の出会い」(p.64)を生み出す。まったく同じことだが,ポリス的論理と平等の論理とが出会うような出来事は,すべて政治的だということができる。たとえば,共同体における女性の分け前をめぐる係争,それはきわめて政治的である。

 政治が出現する状況を図式化すると下の図のようになろう。

           貴族   民衆
 ポリス的論理 当事者  (平等)←← 
 平等の論理  平等    平等 →↑

 ここで確認しておくと,ポリス的論理とは「感性的なものの分割=共有における社会的な身体の不平等の秩序」(p.80)であり,平等の論理とは「話す存在一般の平等な能力の秩序」(p.80)である。

 上図のように,民衆はポリス的論理のなかでは分け前を得る価値を持たない。そこに,平等の論理によって与えられている,民衆に固有でない価値としての平等がすべりこむ。このすべりこみが,ポリス的論理と平等の論理の出会いと呼ばれるものだろう。これにより,ポリス的論理は揺さぶられ,その治療(=再配置)が実践的に要請される。それが政治である。「政治とは,平等を特質とする論理が間違い(トール)の治療という形式をとるような実践である」(p.69)。

 ポリス的秩序のなかで分け前なきものとされつつ,政治的係争を起こす主体としてカテゴライズされた人びとはこれまでに何人もおり,そうしたカテゴリーはいくつもあった。民衆が最初のものである。現在では,労働者,女性,移民,障害者,子ども。そこに含まれるはずの個々人は,はじめから政治的主体であったわけではない。そもそも当該のカテゴリーには,見た目や出自といった表面的特徴ではまとめきれないくらい多様な人々が含まれることもある(たとえば「労働者」「障害者」のように)。かれらは,係争という過程を通して,はじめてひとまとまりの政治的主体として一個のカテゴリーに含み込まれるのである。「…プロレタリアートという階級は,決してある社会集団と同一視しえない。プロレタリアートとは,手工業労働者でも,工場労働者でもない。それは,宣言そのもののなかにしか実在しない計算されないものの階級であり,この宣言によって彼らは計算されないものとして計算されるようになるのである」(p.73)。であるから,ブルジョワジーとプロレタリアートといった名称は実体ではない。それは,「間違い(トール)」が世界に現れたときにとられる様式である。

 以上が,2章「間違い-政治とポリス」のまとめである。

 ある自治体の土地に,空港をつくることになった。そんな状況を想像していただきたい。その土地に元から住んでいた人々は猛反対であった。他方,同じ自治体に住みながら,この計画に賛同する人々もいた。行政側はこの計画を進める側であった。

 ある日,地元民への説明会が開かれた。公民館のホールのような場所に机とイスが並べられた。前にはスーツの行政担当者,イスにはジャンバーを着たおじさん,おばさん。意見を異にする両者がちょうど向き合うように座り,対立が図式的に示される。やおら担当者はマイクを持ち,「皆様方におかれましてはなにとぞご理解ください」と発言した。一人のおじさんが「そんなんじゃ,とうてい納得できんぞ」と声を荒げた。結局両者は物別れに終わり,反対運動むなしく,空港は彼の地に完成したのであった。

 これまで,日本のどこかで見てきたような風景である。私の場合は,いずれもテレビのディスプレイ越しでではあるが。

 ランシエールによる『不和あるいは了解なき了解』の3章は,「不和はなぜ生じるのか」と題される。タイトルにある「不和」の示すところが明らかとなる章だ。

 ランシエールの言う「不和」(la mesentente)は,冒頭に想像した場面に出てきた行政担当者の言葉と,実は関係がある。「ご理解ください」。私は,この言葉を聞くたびにそこには命令の語調しか感じ取ることができずにいた。理解せよ,とは,服従せよ,という意味なのか。ランシエールは,どう答えるのだろう。では,詳しく見ていこう。


 ランシエールのここまでの議論によれば,政治とは,対話の場において起こる出来事である。対話の場において,何がロゴスで何がロゴスでないのかについての係争が起こり,線引きがし直される。

 このような見方は,政治的合理性にかんする次のような考え方に対する批判になっている。すなわち,利害の一致しない私とあなたが「互いに言表を聞き,そう言表させた行為を理解し,この理解を支える間主観的関係を引き受ける」(p.82)ような対話の場を通して政治的な合理性(=ロゴス)が達成される,といった考え方である。冒頭の話に登場するおじさんが行政担当者を「あんたも立場上,そう言うしかないよねえ」と理解し,反対に行政担当者がおじさんのことを「住んでる所が騒々しくなるのはいやだよねえ」と理解する。それぞれの感覚を両者が信じることを通して,合理的な解決へと前進するというわけである。

 こうした考え方とは異なり,ランシエールの考える政治的対話とは,その場にいる人々が「理解する」という言葉を通して理解することの「ずれ」によって基礎づけられる。「理解」という言葉の「ずれ」を通して支配関係があらわになることもあれば,そこからオルタナティヴな状況が生み出される可能性もある。そうランシエールは言う。

 たとえば冒頭の行政担当者の「ご理解ください」を例にとってみよう。本来,「事情を理解すること」と「理解した上で,同意もしくは反対すること」は別のことがらである。しかし,担当者の発話は語用論的には「有無を言わさぬ命令」として機能する。そして実際にこの発話が語用論的にうまく機能したとき,そこではすでに,ロゴスを所有する人と,それを理解するが所有しない人のあいだの分割=共有が達成されていたことになる。おじさんの意見がどうであれ,担当者は聞く耳持たない。

 一方で,行政担当者の発言に対し,もしもおじさんが「よし,わかった」と言うとすると,それもまた語用論的に複数の機能を持つ。まずそれは,「あなたの発話を聞き取れたこと」の表明である。ランシエールはその他に,ざっと4つの機能を挙げている。私なりに言いかえると次のようになる。(1)「私とあなたは同じ言葉を共有していることを理解していること」の表明,(2)「あなたの発話が命令であることを理解していること」の表明,(3)「あなたは自分の言葉が私にも通じると信じている,そう私は理解していること」の表明,(4)「あなたは私が「うん」と言うことしか期待していないはずなのに,「いいえ」とも答えられるような質問形式を用いることによって,あたかもその返答が私の自由意思で選ばれたものであるかのようにしむけている,つまりあなたは私をだまそうとしている,そう私は理解していること」の表明。

 要するに,お互いに「理解する」という言葉を使い,合意が形成できたかのように見えるその場が,実際には「理解する」という言葉にかかわる食い違い,すなわち「不和」として成り立っているのである。このように「あらゆる政治的議論と討議的係争の核心には,言語の了解が何を含意するかについての第一の争いがある」(p.90)。この係争は,くり返すが,互いの「話す存在としての平等そのもの」(p.91)に基づいて起こるものである。ゆえに不平等は平等から生まれる。このように主張する点で,ランシエールは「不平等であるから係争が起こるのだ」といった単純な論理とは一線を画する。問題は,言語的に不平等な主体同士のあいだに相互理解をつくれるのかどうかはない。問題は,その主体の口から出る音が言葉かどうかという点にある。それが係争の焦点である。

 そもそも,冒頭の例のような「説明会」という場は対等な討議の場ではない。少数の役人と,大勢の住民とが相対する配置は,顔の見える前者の主体性に対して,後者の有象無象さを際だたせているように思われる。ではそもそも,行政と住民とがそれぞれ政治的主体として平等に相対することのできる対話の場をつくることは可能なのか。可能ならば,どのようにして?

 これら二者が平等な存在だという感覚をもつ人はいない。というのも,そういう世界観そのものがこれまでになかったからである。二者のあいだに共有されているのは,二者が分割されているという感覚である。

 であるから住民は,あたかも平等な主体としての「住民」が存在する「かのように」語るのである。この「かのように」は,次のようになされる。すなわち,支配関係を成立させる言語的な平等性は共同的な対話の場の存在を証明する。にもかかわらず,そのことをあなたは認めない(上述した「理解した」のコノテーションの(4)にあたる)。要するに,「あなたが私を計算に入れないことが間違い(トール)なのだ」と主張するのである。このときに現れる「私」なるものは,そこではじめて,支配者と平等な政治的主体として立ち上がる。

 したがって,私とあなたのあいだに討議すべき問題があるのかどうか,ということがまず討議の対象となる。このことは,社会におけるさまざまな存在のありかた,行為のありかたについての「感性的なもの」を再び配置し直すことにつながる。というのも,この事態は発せられた言葉の社会的な受けとられ方をずらし,変えることを意味するからである。このことは,ロゴスの内部においては達成し得ない。必然的に,ロゴスと感性的なものとの結びつきを解きほぐし結び直すような行為として成し遂げられる。「政治的対話の証明の論理は,不可分に表出の美学でもある」(p.103)。言いかえれば,政治的な対話とは「これまでになかった世界観を言葉を通して作り出す」ことに他ならず,その意味で詩的なものでもある。「政治は原理において美学的なのである」(p.104)。

 以上が,3章「不和はなぜ生じるか」のまとめである。

 第4章「アルシ・ポリティークからメタ・ポリティークへ」は,『不和あるいは了解なき了解』のなかで最も長い,山場とも言うべき章だろう。

 前章で述べられたように,政治とはそもそも不和にはじまる。したがって,政治の哲学とは「ある出会いの-そしてある論争的な出会いの-名である」(p.109)。

 ところが従来の政治哲学は,共同体のメンバーが一体化できるなんらかの同一性,あるいは「政治の本質」なるものの探求としてあった,とランシエールは言う。そうした考え方の源流には,プラトンがいる。彼の言う国制(ポリティア)とは,共和制(republique)のことである。共和制においては,共同体は一種の生命体である。メンバーは各々自然な役割に応じて活動する。このような共同体への同一化を少しでも拒否するメンバー(いわば「組織のガン」)がいれば生命体はすぐに滅びる。プラトン流の政治哲学は,共同体の現状を「ガンに冒された状態」として診断し,健全な共同体を回復するために颯爽と登場するのである。

 こうした従来型の政治哲学においては,ある共同体における「分け前なき者の分け前」というパラドクスは,哲学者が診断し,解決策を示すべき問題として扱われてきた。この問題への解決の仕方にはこれまで3つの形があった,ランシエールはそのように言う。すなわち,アルシ・ポリティーク(arch-politique),パラ・ポリティーク(para-politique),メタ・ポリティーク(meta-politique)である(p.115)。

(1)アルシ・ポリティーク
 この政治哲学が構想するのは,共同体の原理を完全に実現すること,実践的にはすべてのメンバーが共同体の法(ノモス)を完全に感性化することである(p.116)。これはプラトンが共和制というモデルとして示したものに他ならない。

 すべてのメンバーの感性を均質にすることを究極の目標とする共和制においては,原理的に,論争が起こらないはずである。つまり,ランシエールの言うところの政治の不在が共和制の究極の形である。これは,論争の火種をあらかじめ取り去ることとして実現される。すなわち,政治に参加し分け前を要求するための民衆の権利である「自由」を取り除くことである。

 どのようにしてか。それは,民衆に固有な価値としての「自由」を,固有の徳としての「節度」(希 ソフロシュネ)に置き換えることにより実現される。つまり,ある身分の人が公共的なことがらに口を出すのは「はしたない」こととして社会的に咎めること,そのような感性を個々のメンバーの性格として内化することとして実現されるのである。このとき,節度もつ人々には自分たちが作り出したものだけが「分け前」として与えられる。逆に言えば,共有物は与えられない。

 このような共和制では,法とは共同体の外からそのメンバーを拘束するものではない。むしろ法は共同体を運営する精神として,メンバーのあらゆる行為の原因として機能していなければならない。「プラトンが創案したのは,そこでは法がエートスの調和であり,個人の性格と集団の習俗の一致であるような共同体の内在性の制度である」(p.120)。したがって,共和制に必要なことは,集団の法を個人の性格へと一致させるべく,たえず教育をし続けることである。共同体という一つの生命体は,このような均質化をもたらす一個の「魂」のもとで,はじめて有機的に機能するというわけだ。

(2)パラ・ポリティーク
 アルシ・ポリティークはプラトンが提案したモデルであった。プラトンの共同体では,善きものが劣るものに命令を与えるという社会秩序が感性的に維持される。そこでは不和はありえず,当然政治もない。

 他方,パラ・ポリティークはアリストテレスが提案したモデルである。ランシエールが「ある人間が他の人間を支配することには,どのような自然的原理もない」(p.137)と言うように,アリストテレスは,政治とは平等という固有の原理を実現することだとする。ここで言う平等とは,共同体のメンバー全員が全員に対して等しく命令をする権利を有することである。政治が固有に持つ力とは,「命令することも命令されることもできる平等な能力」(p.124)すなわち,「交代可能性」(p.125)である。

 しかしこのとき,共同体を誰が導くのか,なんらかの係争に対して誰が最終判定を行うのかが問題となる。プラトンにとって,それは善き人の命令という形で行われる。しかし,平等に基づくアリストテレスにとっては誰が判定を行ってもよいわけだ。彼が用意した解決方法,それは,係争にかかわる当事者たちの関係性を,そのままポリスの秩序に置き換えることであった。

 ある共同体においてポリス的な制度によって保証された命令者の地位,これを役職(希 アルカイ)と言うが,そこに誰が就くかをめぐってメンバーが争う過程を政治ととらえたのである。こうして実現された命令する者とされる者の構成する支配関係は,近代に入って「権力」と呼ばれることとなる(p.126)。「分かった」という言葉がずれている当事者たちの出会いは,このようにして権力をめぐる実践的な統治の問題へとずらされる。

 ところで,ある当事者が命令の権限をもつとき,その根拠は平等という政治の原理にある。したがって,みずからの現在の立場を保証するものが,同時にそれを危うくする。すなわち他の当事者による役職の簒奪を招くことにもなる。これを避けるために権力持つ当事者は,他の当事者を利する行動を取らざるを得ない。あるいは利する行動をする「ふり」をし続けなければならない。というのも「政治は美学的なものであり,見せかけの問題だからである。よき政体とは,寡頭制の支配者たちには寡頭制であるように見せ,民衆(デモス)には民主制であるように見せる政体である。したがって,富める者の当事者と貧しい者の当事者は,同じ「政治」をせざるをえないことになる」(p.129)。

 近代における「見せかけ」の例は,ホッブズである。ホッブズは,「権力の起源」(p.134)という物語を持ち出した。彼は,民衆が王に支配される現状について,共同体のメンバー個々人がそもそも持っていたはずの他者に命令する権限を王に譲渡すべく契約した結果として読み解いた。さもなくば「万人の万人に対する闘争」が起こる,というわけだ。

 重要なのは,ここでホッブズが想定する政治的主体が,あくまでも個人だ,という点である。命令する権限の譲渡という行為は,この個人が所有する自由においてなされる。すると自由とは,ある当事者集団が政治に参加するための価値(=分け前なき者の分け前)ではない,ということになる。

 そのかわりに現れるのが,個々人の所有する「権利」(仏 ドロワ)である。ホッブズ以降の政治哲学では,ランシエールは「致命的」(p.136)であったと診断するのだが,民衆が個々人へ分割され,その個々人に権利が与えられる,と見なされる。この権利は,たとえば,生存権であり,被選挙権である。自由もまた,権利に置き換えられる。このようにして,一人ひとりが主観的に感じる不幸や生きづらさは,権利の侵害や剥奪として,つまりあるべき状態からの「ずれ」として表象されるのである。

(3)メタ・ポリティーク
 ランシエールの言う政治の第三のタイプであるメタ・ポリティークは,過剰な不平等という「間違い」の告発を旨とする「政治の誤謬についての言説」(p.142)である。 

 ここで言う「メタ」とは,政治を「超えたもの」を意味するとともに,「メタ」理論のようにあらゆる現象をその視点のもとで語れてしまうことを意味する(p.147)。要するに,何に関しても「本当は○○なのに,実際は△△だ。お前はだまされている」と告げて回るのが,メタ・ポリティークなのである。

 このようなメタ・ポリティークの発想によれば,政治の真理は政治の中にない。メタ・ポリティークは,たとえば政治的に宣言されている「見せかけの平等」が「真理としての平等」を隠蔽していると考える。その上で,「見せかけ」を排除して真理を実現することが政治だという。「かつてあったはずの政治」を取り戻すアルシ・ポリティークも,政治を社会的秩序として実現するパラ・ポリティークも,政治それ自体に政治の本質を見いだそうとしているが,メタ・ポリティークでは反対に,政治が隠す本来的な真理を暴くことがねらいとなる。

 このような認識からすると,現状は真理に対して常に「ずれ」ている。逆に,現状に「ずれ」が見いだされるならば真理の実在が証明される。真理を求めるならば,したがって,現状を何かからの「ずれ」として診断すればよい。その「何か」が真理なのだ。メタ・ポリティークは,こうした一種の否定神学的な論法に支えられている。すると,重要なのは,「ずれ」のありようであり,それを指し示す言葉である。なにしろ,無からの「ずれ」なのだから,それが「無そのもの」を指し示すとも言える。

 マルクスは,この「ずれ」に対して「階級」や「イデオロギー」という言葉を与えた。例えば「階級」について見てみよう。プロレタリアートという階級概念は,ある人々がその名のもとで社会を変革しようとする限りにおいて,政治的な実効力をもつにいたるし,その限りにおいて社会において実体をもつ。が,同時に,その変革は結局のところ階級の無効化を目指すものである。

 あるいはこうも言われる。「イデオロギーとは,政治的なものの産出を政治的なものの撤去に結びつける名前であり,つねに政治の誤謬に変形されうる,政治のなかの誤謬として,言葉とものの距離を示す名前である。しかしまた,それによってどのようなものでも政治に関連のあるものとして,すなわちその誤謬の「政治的」証明に関連のあるものとして宣言される概念でもある」(pp.148-9)。

 上記引用を解説すると,「政治的なもの」とは,2人のあいだにおけるたとえば「平等」という言葉についての理解の「ずれ」(すなわち「不和」)に起因する状況のことである。この「ずれ」から政治的なものが生まれるが,メタ・ポリティークは,この「ずれ」を無からのずれとする。空虚なものからの「ずれ」なのだから,結局あらゆるものに「ずれ」があることになる。2人のあいだの相違が,未到の真理と現状との相違にスライドするのである。これをランシエールは「政治的なものの終焉」(p.149)と呼ぶ。あらゆるものに「ずれ」があり,その「ずれ」が政治的であるならば,結局,政治的なものはどこにもない,というわけである。

 人々が「われわれは民衆である」と叫ぶとき,そこにおいてすでに「われわれ」と「民衆」はずれている。ずれているからこそ言葉を異にして等置しなければならない。「民衆の民衆自身との差異」(p.150)とはそういうことである。叫ぶ「われわれ」は苦しむ労働者であり,他方の「民衆」は主権持つ人々である。メタ・ポリティークは,この不一致を「労働者としての民衆」と「法的代表としての民衆」という2つの陣営の対立として解釈する(労働者と代議士の対立として読めばよいだろう)。その診断によれば,このような現況は真理としての理想的状況から「ずれ」ている。この「ずれ」を解消するためには,現況を否定すること,すなわち「われわれ」と「民衆」は等しくない,と叫ばねばならない。したがって,メタ・ポリティークからすると「見せかけの平等」は排除されるべきものなのである。

(4)メタ・ポリティークを越えて:「政治」の再演
 ここまで述べてランシエールは,「われわれ」と「民衆」のずれを解釈する,もうひとつのやり方を提案する。前章までに述べられてきた,「政治」の論理である。この論理によるならば,「見せかけの平等」は排除されるべきものではなく,むしろ,政治的状況を常に作り出し続けるべく,維持されるべきもの,「演じる」(interpreter)べきものである(p.152)。

 法に書かれた人間の「平等」は単なる御題目でいいではないか,とランシエールは言う。御題目でもいいから,そこにそう書かれていること,それを人々が同じように読むことができること,そして書かれてある通りに「演じる」こと。こうしたことにより「その登録がどれほど脆く一時的なものであろうと」(p.151)「分け前なき者の分け前」をめぐる政治的な場が生み出されるのである。

 ランシエールは次のような例を挙げる。「「フランス女性は,普通選挙の資格をもつ『フランス人』に含まれるか」という問いを立てるとき,…法による平等の登録と,不平等が支配している空間とのあいだのずれから出発している」(p.154)。このように問う人々は,「法に書かれた『平等』は虚偽だからその文言を削除しよう」とは叫ばない。彼/女らは,法に書かれた「民衆」として舞台に登場する。舞台にあがった「民衆」の発する音は,聞かれるべき「セリフ」としての意味をまとう。このようにして政治的な対話の場がしつらえられるのである。言ってみればこの舞台は「平等と平等の不在をともに維持する証明の論争空間」(p.154)となるのである。

 まとめよう。「分け前なき者の分け前」というパラドクスについて,これまでに挙げられてきた従来型の3つの政治哲学では,おそらく次のように解くだろう。アルシ・ポリティークにおいては,ある人が分け前をもつかどうかは自然的秩序のもとで判断される。その上で「分け前なき者」と判断されたならば,その人々に「節度」を内化させることを通して,「共同の分け前」を自主的に返納させようと目論む。

 パラ・ポリティークにおいては,分け前をもつかどうかはポリス的秩序のもとで判断される。その上で,分け前にあずかれる「役職」に誰が就くかの争いの過程を政治ととらえる。争いを通して,あるいは仮想された過去の争いを鏡として,係争の主体は個々人にまで分割される,というのがランシエールによるホッブズの読みであった。

 メタ・ポリティークにおいては,分け前をもつかどうかは「真理」のもとで判断される。この真理は,現状の診断によって得られた「ずれ」によって測定される。メタ・ポリティーク的な社会運動は,この「ずれ」を解消しようとするために,「ずれ」を生む見せかけの真理をも排除しようとする。

 ランシエールの言う「政治」のロジックは,この見せかけの真理に依存する。「分け前なき者の分け前」というパラドクスは,「分け前なき者」である「われわれ」と,「分け前もつ者」である「民衆」とを関係づける一種の「論拠=筋立て」(p.152)である。この筋立てを,愚直になぞり直すこと,つまり「演じること」によって,そこに舞台がしつらえられる。

 前章の紹介で例示した,役所の職員と住民は同じ舞台に載っていなかった。両者が同じ舞台に登場し,議論をすること。そのような舞台を担保するために,両者の役名が書かれたテクストを発明すること。ランシエールはこのテクストの発明を重視しているようである。

052-活動理論とHCIデザイン

Kaptelinin, V. & Nardi, B. A. 2006 Acting with technology: Activity theory and interaction design. Cambridge, MA: MIT Press.

 コンピュータと人間のインタラクション(Human Computer Interacton: HCI)をどうデザインしていくか、活動理論から考えていきましょうという話。現在、演習でケータイを使う人間の行動を分析しているのだが、そのためのヒントがあるかと思って読書会に参加したのだった。

 活動理論から見るとき、HCIデザインは以下のことが課題となる。すなわち、人間と機械の相互作用を理解するには、機械の側で設定されたタスクに対する人間の反応だけを見ていてはダメ。人間が機械を通していったい何をしようとしているのか、すなわち、かれの活動の動機(=object)をとらえなければならない。そのためには、人間がいったいどのような社会的文脈にいるのか、あるいは、機械がそのときどのような用いられ方をしているのかを理解しなければならない。こういった話は、すでに10年以上の議論の歴史をもっている。

 今回、新しい話として理解できたのは、主体としての人間において起こる感情をどううまくすくい取るかという問題。すくい取るというのは2つの意味があって、1つは理論的な問題で、活動理論の中にそれをどう位置づけるか、もう1つはユーザによる実践の背景にあるなんらかの感情的側面をどうデザインに結びつけていくか、ということであった(ような気がする)。

 ヴィゴツキーやレオンチェフが感情について扱っていなかったかと言えば、そんなことはまったくない。むしろ積極的にアプローチしていた。だから、活動理論の中への感情の位置づけという問題は、彼らの思想の展開や補完をいかにするかという問題となる。

 一方の、人間と機械の間のインタラクションデザインという文脈に感情をどう位置づけるかという問題はかなり難しいと思う。 Kaptelininらの主張は以下のようである。すなわち、行為主体性を持って実践を動かしていくのは人間なのだから、その出発点としてのかれらの欲求や感情の変化というものを研究の射程に入れるべきだ、というもの。当日の議論で出た話なのだが、これは、人間とその他のモノを対等に扱うアクターネットワークセオリーとは真っ向から対立する考え方だそうだ。

 どうも本書の議論も生煮えだったようで、感情をうまく扱い切れていないような気もした。具体的な事例をさっとばして読んだのでそう思うのだろうか。

051-発達理論の発達

ハンナ・アレント 志水速雄(訳) 1994 人間の条件 筑摩書房

 発達心理学会で開かれたラウンドテーブルに参加しながら、発達の理論ではなく、理論の発達について考えていた。

 新しい理論の探求が学問の一つの目標であることは言うまでもない。

 探求に当たっては、ただやみくもになされるのではなく、なんらかの方向性や基準が必要だろう。たとえばラウンドのスピーカーの一人だった加藤義信先生にとっては、ご自身にとって、あるいは日本人にとって違和感のない発達理論が目指すところであった、という。

 発展の原動力とでも呼ぶべきものも必要だろう。現実の現象に適合していなかったり、既存の発達理論に対する不満が噴出したり。

 発達理論同士を比較検討する作業も必要だろう。これが過激な装いをまとうと論争となる。論争はあくまでも発達理論を発展させるという学問的課題のもとで意味を持つ。それ以外は無益である。

 実際のところ、論争はあった。ピアジェとヴィゴツキーのそれ、あるいはピアジェとワロンのそれがすぐに頭に浮かぶ。論争はエピゴーネンの手にわたって一部は現在も続いている。

 ところで、加藤義信先生から次のようなことも指摘された。現代とはグランド・セオリー不信の時代であり、また、たくさんの理論が平気で併置される時代である。研究者にとって必要なことはグランド・セオリーへの参加や逃走ではなく、複数のセオリー間の選択である、と。

 先ほどの論争の話にもどれば、おそらくここに論争は起こらないだろう。棲み分けと共存の方策が、学界全体で目指されるだろう。するとわれわれは、発達理論を発展させる機会を1つ失ったことになるのだろうか。

 どうも、発展の機会は失われていないように思われる。では論争の論敵はどこにいるのか。学界内から消えた論敵は、政治や経済といった、人間の発達からはとりあえず区別される原理で動くシステムがその任に就いた、そう考えられる。

 たとえば、同じくラウンドのスピーカーだった川田学さんは、先頃の教基法改定が、人の発達について深く考えねばならない現場にもたらした影響についてふれていた。発達心理学界内に、政治の(おそらく、ひいては経済の)
「理論」(そういうのがあるのか寡聞にして知らないが)と論争しようという人もいなければ、その際に使える理論も弱いというのが川田さんの言ったことだったと思う。

 政治の領域で、あるいは経済の領域で、人の発達という現象がいかなる理論のもとで考えられているのか。
発達心理学はそれに対してどのような理論を出しうるのか。ここに論争の可能性、ひるがえっては発達心理学理論それ自体の発展の可能性が見られるのである。

 そういう意味で、学会に引き続いて参加した発達・理論研究会(通称ぽち研)において途中まで読んだ、ハンナ・アーレント『人間の条件』は面白かった。

 アーレントのこの本はたいてい政治哲学という文脈で読まれる。近代の西欧において発生した全体主義がいかなる歴史的条件のもとで成立したのか。その起源をひもとくことで、そうでない未来を可能性として指し示す。アーレントのおおまかな目論見はおそらくこの辺だったろう。

 私が担当した章を読んだ限りでは、その根本的な起源は「工作人homo faber」としての人間の条件にある。人を含む動物が生を営む上で最も基本的な条件は大雑把に言って生命維持(摂食)と種の維持(性交)であり、アーレントはこれらに関する活動力を「労働labor」と呼んだが、これらはコトが済めばあとかたもなく消えてしまう。がために反復せざるをえない。

 他方で人の活動力には「仕事work」もある。これは、物を作るという人間の側面を示したものである。物を食べるときのように自然を消費するのとは違って、自然から作られた物は消えずに残る。残された物は作った本人のみならず公衆の目にさらされるという可能性を常に持つ。物を見た公衆のなかには、そこに交換価値を見出す者もいよう。ここから一気に、交換市場の発生、そして功利主義の発生が説明されていく。

 功利主義のもとで仕事に意味を与えているのは「役に立つ/立たない」という思考様式である。この思考様式の対象が物作りにとどまっていればよかったものの、そのうち労働や「活動action」といった、人のその他の活動力までもがこの思考様式に絡め取られていった。

 すると、役に立つ摂食/立たない摂食、あるいは役に立つ性交/立たない性交といったものがある、という見方が成立する。前者は栄養学、後者は優生学として発展していったと考えてよいだろう。前者はともかくとして、後者の末路がある人々にとって悲惨な運命をもたらしたことはすべての人の知るところである。(前者は「あるある捏造問題」というもう一つの悲惨な運命をもたらしたのかもしれない。)

 さて。

 アーレントのこの著書は、ある政治的状況を批判するための理論的視座であったわけだが、同時に、人間観でもあった。この視座を、発達心理学における主流の理論にぶつけてみたときにどうなるか。

 われわれは、ともすると役に立つ発達/立たない発達というものを考えてしまうことがある。現在コレクションしている早期教育ダイレクトメールは、子どもに起こるすべての現象を役に立つものに変えてしまおうという、ものすごく乱暴な思想と言説に満ちている。それらは、無駄や回り道といったゆるみを許さない。そして、発達心理学やそこから生まれた理論が、こうしたダイレクトメール型言説の裏付けとして利用されていることもまた事実なのである。

 そうしたことにいかに自覚的になれるかが、発達心理学の理論の発展にとって決定的に重要である。

 ということを発達・理論研究会での議論を通して考えていた。

050-「退化」の進化学

犬塚則久 2006 「退化」の進化学:ヒトにのこる進化の足跡 講談社

 われわれヒトの身体を構成するさまざまなパーツは、もとをたどれば他の生物種においては意外なパーツに由来することがある。たとえば有名なところでは内耳の奧にある耳小骨は、サメの顎に由来するものである。また、デカルトが身体と精神を媒介する器官と指定したことで有名な松果体は、かつての光受容器、すなわち目であった。そのために今でも松果体は日照の変化に反応してメラトニンを分泌する。

 このように本書では、現在のヒトの身体デザインが進化の過程でいかにしてできあがってきたのかを教えてくれる。

 その中にこんな記述があった。身体のデザインのうち、発生の初期にのみ現れるもの、あるいは、種のなかで変異の大きいものは、すでにその種においてはあってもなくてもいいもの、すなわち退化器官なのである。

 ヒトにおいても例外でなく、身体の構造にはけっこうなバリエーションがある。たとえば以下のように。

 第三転子: 日本人で25%に現れる。(転子は大腿骨つけ根近くにある筋の付着点。ヒトには大転子、小転子があるが、第三転子はまれにしかない)

 副乳: 日本男性で1.5%、女性で5%に現れる。

 長掌筋: 黄色人種で3~6%に欠けている。(肘の内側、上腕骨から手のひらにかけてのびる筋。手のひらをパーの形にして、そのまま親指を内側に織り込むと手首に浮き出るのがそれ)

 錐体筋: 日本人で5%に欠ける。(腹直筋の先端を覆う小さな筋)

 一般に「個性」というと、その人の行動傾向の固有性を指すように思う。しかし行動ではなく、すでに身体構造のレベルで、私たちには個性があるのである。

 ヒトという種においてこうした多様性が実際に存在するということは、私たちが進化の過程のただ中にあることをまざまざと教えてくれている。進化論の教材はごくごく身近にあったのである。

049-妻から見たジェイムズ・ギブソン

エレノア・ギブソン 佐々木正人・高橋綾(訳) 2006 アフォーダンスの発見:ジェームズ・ギブソンとともに 岩波書店

 夫ジェイムズ・ギブソンは、表象ではなく実在を基にしたラディカルな知覚-行動論を唱えたことで知られる。かたや知覚理論の基礎を固め、かたや知覚学習の実験的研究を続け、ふたりが両輪としてアフォーダンス理論を作り上げていったさまが本人によって語られる。

 感傷に浸るでもなく、自慢するでもなく、ご本人の目から見た事実をただとつとつと書き連ねる筆致から、最初は退屈だったが、だんだんと人柄なのだろうと感じられてきた。

 素朴物理学の実験で知られるエリザベス・スペルキが、エレノア・ギブソンの院生だったということを、この本で初めて知った。

 赤ちゃんは生まれながらにして(あるいは、誕生後のわずかな間での学習によって)物理的にありうる現象とそうでない現象(たとえば、物が壁を通り抜ける、など)を区別することができる、スペルキが数々の実験で示したのはこのことだった。ここから、生得的な物理知識モジュールを仮定する道へはたやすい。

 一方、エレノア・ギブソンは探索的な行動を重視する。アフォーダンス理論では、意味の可能性はすべて環境に実在する。赤ちゃんは環境のなかを動き回り、行動を通して意味を具体化していく。したがって、強引に言えば、知識なるものは行動において発現するものである。

 かつての師弟は、こうまですれ違うのである。

 巻末のインタビューが楽しい。数いる弟子のなかで、生態心理学の道から外れたのは、どうもスペルキ一人だったらしい。会って二日間議論したこともあるそうだが、インタビューでは、唯一正しいのがアフォーダンス理論であって、他のはどれも大間違いだとすっぱりと切り捨てている。二人の間ではどんな議論が交わされたのだろう。

048-できるけど、やらない

ダニエル・デネット 山形浩生(訳) 2005 自由は進化する NTT出版

 わたしたちは、外に現れた行動の観察に基づいて、他者の思考や感情を推測する。その他者を仮にアマネくんとしておこう。6か月児のアマネくんは両頬を持ち上げ口をぱっと開け、「くくー」と発声した。それを観察したぼくは、きっと彼はうれしいのだろうと推測する。また、アマネくんは仰向けになって手足をバタバタと動かす。今度はなんだろう、おもちゃを取って欲しいのだろうかとぼくは推測する。

 当たり前だが、観察できるのはなされた行動だけである。では、他者がある行動を「しない」とき、わたしたちはどのように思考や感情を推測するだろうか。

 その仕方は少なくとも二通りある。第一に、その者にとってその行動は「できない」。第二に、その者はその行動を「できるけど、やらない」。観察という方法しかもたないわたしたちにとって、これら二つを厳密に区別することはできない。現在のところアマネくんが九九をそらんじることはないが、これは「できるけど、やらない」だけかもしれない。もしかすると親が目を離したすきに指折り数えてブツブツと言っているのかもしれない。

 んなわきゃあない。赤ちゃんは九九を言えるけどやらない、と信じる人はいない。同様に(と言うと語弊があるのかもしれないけど)、石ころは外から力が与えられなくても転がることが「できるけど、やらない」のではないし、タンパク質は一定温度以上で凝固しないよう踏ん張ることが「できるけど、やらない」のではない。アマネくんや石ころやタンパク質には、それらの相談は「できない」部類のものなのだ。

 本書でデネットが俯瞰を示そうとしたのは、自然界に「できるけど、やらない」という性質が生まれたのはどのようにしてか、ということだった(と思う)。デネットの議論を自分の目下の関心(育児であり、発達心理学でもあり)に引きつけて考えると、「自由」ということばはこのように言い換えられるだろう。どのようにして、というプロセスの候補はダーウィン的アルゴリズムである。彼はこれ一本で、自然界を統一的な説明を与える基盤を作ろうとした。

 とりあえず一読して可能な確実なコメントはこれくらいである。

047-水声通信

水声通信 2006 vol.4 特集・ロシア・アヴァンギャルド芸術 水声社

 大学の生協で平積みになっていたのを手に取った。

 特集は掲題の通り、劈頭を飾るのはタチアナ・コトヴィチの手になる「ロシア・アヴァンギャルド、その歴史と理解」(桑野隆訳)。

 20世紀初頭のモスクワやペテルブルグに起きた芸術運動ロシア・アヴァンギャルドをひとことで説明することは難しい。この難しさは何に由来するのか。

 理由のひとつに、絵画から建築、演劇から映画にいたるまで、多様な芸術ジャンルを横断していたことがあるかもしれない。しかしこれは表面的な理由だろう。本当のところは、運動のうちに互いに相反する傾向や世界観が同居していたからではないか、コトヴィチの論文を読み、そう考えた。

 たとえば19世紀末フランスにあらわれた印象派の画家たちを想像してみよう。ジョルジュ・スーラは鑑賞者が光を知覚するプロセスを描画技法に置き換えようとした。一方でポール・セザンヌは、鑑賞者において起こる世界そのものを描こうとした。

 これら、世界を分析的に把握する態度と、逆に世界に埋没していこうとする態度は、一見すると相反するもののように思われる。しかし、コトヴィチは、これらがアヴァンギャルド運動のなかに理論的な交錯を見せていた、と指摘する。これを私は、アヴァンギャルド運動を説明する際に、二つの軸を据えておくと理解しやすいのではないか、という提案として受け止めた。

 第一の傾向は、「合理主義的認識方法の制限枠を超えでて、 自然発生的に非論理的な現象たる存在の本質へと浸透しうる可能性へと向かう-直感を芸術的創造における認識の頂点として優先させる」 (p.20)。というものである。
 第二の傾向は、「芸術の発展の法則性、フォルム形成の法則性、創造と知覚の法則性などを客観的に、科学的・分析的に把握しようとする。 理論的原則の強調への志向。専門的職業としての芸術という問題への関心、技巧への関心、科学的実験の客観主義への関心」(p.20) というものである。

 ごく大雑把に言うなら、直感と理性の両方を区別せずにひとつの方法としていたのがロシア・アヴァンギャルドという運動だったのかもしれない。通常は相異なる二つの意識のモードとして区別されるわけだが、それをなんらかのかたちで統一する契機として芸術が求められたのではないか。

 といったことをつらつらと考えながらぱらぱらとめくり終えた。

 コトヴィチのこの論文は、今春に水声社から出る『ロシア・アヴァンギャルド小百科』の序文であるらしい。新年度に入ってから買う本が1冊決まった。