散々

 新千歳からの飛行機が遅れて、指定を取っていたひかりに乗れず。「飛行機が遅れたんですが」と、品川で窓口に聞いてみると、「ちょっとまってください」と係員がいったん奥に引っ込む。ふたたび出てきて、指定を取り直してくれた。よかった。

 そんなんでただいま「こだまの喫煙車両」に乗っている。居酒屋ではたばこを吸う人がたくさんいるわけで、その中で酒を飲んでいるときはまったく気にならないのだが、ただ居合わせるだけでこのにおいをかぐのはつらいということが分かった。

 それと、飛行機に乗っているときから、左耳が痛い。気圧の変化に対応できなかったようだ。普段はこんなことほとんどないのだが、たまたま前の日に風邪を引いていて、そのせいで耳管がうまく通らなかったようだ。航空性中耳炎というらしい。おかげで、左耳はずっと水が詰まったような感じでほとんど聞こえない。困った。

 風邪には、陸別に行っていたときにかかったらしい。声が出にくくなり、関節が痛くなっていた。用事を済ませ、100㎞の道のりを運転し、帯広から列車で2時間かけて札幌にたどり着いて、帰宅して熱を測ったら38度だった。すわ、これが噂の、とも思ったが、咳がまったく出ないので単なる風邪だろうと判断。葛根湯を飲んで風呂に入り、布団二枚重ねで汗をだらだらかきながら一晩寝たら治った。

 どうか静岡ではいいことがありますように。

子連れ学会

 北海学園大学で質的心理学会が開かれていた。

 ぼくはこの学会の会員ではないのだが、浅からぬ因縁があって去年から顔を出している。

 今年はうちの近所(地下鉄で2駅!)での開催とあって、子どもを連れて散歩がてら行ってみた。

 以下、子連れで初めて学会に参加した感想。

・子どもは無料で参加できる。(うらやましい)
・落ち着いて話を聞くことはできない。(当たり前)
・人とゆっくり話をすることもできない。(当たり前)
・通りすがりの人がニコニコしてくれる。街中を歩くよりもニコニコ率高し。
・スタッフの方がお菓子をくれる。
・シンポジウムにて。スクリーンを見ると「映画かな?」と思うらしく最初はおとなしく座っている。
・しかし、画面がちっとも動かないのですぐに飽きる。

 子どもを連れていて初めて気づくことも多いものである。

教師力Brush-upセミナー

 帯広で開かれた掲題のセミナーに参加してきました。小中学校の先生方が自主的に開催しているようで、今回で19回目になるそうです。

 セミナーに参加した目的は大きく3つありました。1つは、
これから始めようとする研究にご協力いただけそうな方を探すためになんとか現場の先生方とコネをつくるため。2つめは、
小中学校の先生方がどういったことを「問題」として考えているのかを探るため。これは、
自分の研究の問題設定のピントがずれていないかどうかチェックするためでもあります。そしてもう1つは、自分自身の「教師力」を上げるため。

 今回ご登壇された4人の先生方は、勤務されている場所も、それぞれの置かれている状況もさまざまでしたが、授業を「楽しい」
ものにしようという熱意がありありと感じられる方ばかり。はっきり言って、私が行っている授業の準備なんてぬるいもいいところ。

 能力のある先生って、会うとすぐに分かるのですが、独特のオーラのようなものを放っておられます。そしてとても話しやすい。
聞く時にはだまってうなづきながら聞いて、話す時には簡潔に、すぱっとタイミングよく切り出されるからでしょうね。
そういうクセがついているのだと思います。

 大学生向けの授業ですぐにでも取り入れられそうなネタも仕入れてきました。今度、試してみようと思います。

 休憩中の雑談で、道内の小中学校の現状について、いろいろとお伺いしました。子どもの人数が少なくなるのにともなって、
教師の数も減り、同じ教科を担当する教員相互の教えあいが難しくなっているとのこと。札幌にひきこもっていると、感覚的に分からない点です。

 セミナー修了後、世話人をされていた先生から「いつでも連絡ください」と心強いお言葉をいただきました。たいへんありがたいです!!

アートの分析から得るものは

 9月に静岡大で開かれる教心に行くことになりました。発表はしないですが、シンポジウムの討論者に指定されたので行くことになりました。

 東大の丸山慎先生の企画で、芸術教育、特に音楽の教育を再考するというもの。詳細はプログラムが出てから案内することになります。

 指定討論なのですが、「何か書いて」というお達しをいただきましたので、シンポジウムの企画趣旨のみを読んでから以下のような文章を書きました。

■芸術教育の分析から「武器」は得られないか 伊藤 崇(北海道大学)
 教育の本質が、人・モノを含む「リソースとの動的な対話」にあるという見方は、社会的構成主義に立つ教師・研究者が共有する一般的な観点である。したがって、国語科教育や科学教育などにもこの観点を採用できるし、実際に多くの研究がなされてきた。では、芸術教育から得られる固有の観点はないのだろうか。その観点から、科学教育などをあらためて分析し直すことは有用なのではないだろうか。
 芸術を学ぶ者はまずもって芸術を楽しむだろう。楽しい、気持ちいい、面白い、といった感覚的な側面は、社会的構成主義に立つ従来の教育研究がすっかり見落としている点である。芸術教育の分析から得られた何らかの概念や枠組みが、他の教科における「感覚的体験」(aesthetic experience; Wickman, 2006)に迫るための武器とはならないか。そのあたりを問うてみたい。

 上記文中のWickman(2006)とは、字数制限で詳細にできませんでしたが、この本のこと。

 Wickman, P.-O. (2006). Aesthetic experience in science education: Learning and meaning-making as situated talk and action. Mahwah, NJ.: Lawrence Erlbaum Associates.

 エステティックという言葉をあえて「感覚的」と訳しているのは、次の本を参考にして。

感覚学としての美学
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 シンポの話に戻りますが、発表される方々の話を聞いて理論的に枠づけてみてくださいとのこと、悩んだ末にひねりだしたのが上の文章。何かデータを発表するわけでもなく、ものすごく不安ではありますが、これを機にたまっていた美学関係の文献を読むことができるからよしとしましょうか。

知多でメルポン

 もうしばらく経ちましたが、今週の日月と、愛知県は知多半島で研究会をしてきましたので、そのことを書きます。

 メルロ=ポンティの『意識と言語の獲得』(みすず書房)を輪読しました。ソルボンヌでの講義を学生がノートにとったものを編集した本です。

 意識にせよ、言語にせよ、西欧の哲学においては、あたかも「ふってわいたもの」のように扱う伝統が一方にあり、そちらが主流だった時代が長かったわけです。

 それを、「ありもの」の世界のなかの出来事として記述することが可能なのか、可能だとすればどのようにしてか。これがメルロ=ポンティの考えたかったことなのでしょう。

 彼が頻繁に用いる概念に「スティル」というのがあります。英語で言うとスタイルなので「文体」「様式」とか訳したくなりますが、もう少し一般的に捉えた方がいい。要するに、なにがしかの関係です。文体というのは単語単独ではありえず、それの並べ方によって生まれるものですし、様式も然り。

 意識や言語は、メルロ=ポンティの考え方を察するに、ありものの世界のなかでのスティルのありようにつけられた名なのでしょう。なかなかなじめない発想ですが、彼はさらに、言語の獲得を説明する際には、身体の動かし方の変化(あるいは習慣化)として記述しようとします。つまり、各部位の関係の変化というわけです。

 意識の説明の仕方もやはり変わっています。身体をふたたび例にとれば、ある仕方で身体を動かすことができてはじめて、そこに身体が現れてきます。身体がまずあって、それを中枢が意識し、運動せよという命令をするという図式ではなく、運動できて初めて身体が現れるとするわけです。意識、言いかえれば自分自身についての自覚のようなものは、動いたり、習慣として身につけている言語を発することによってはじめて現れるとするのが、メルロ=ポンティの考え方なのだと理解しました。

 この方向で研究を突き進める自信はありませんが、おさえておきたい発想であることは間違いありません。

 ちょうど、細見和之の『ベンヤミン「言語一般および人間の言語について」を読む』を読んでいて、ベンヤミンの言語論をうーうー言いながら考えていたところでしたが、彼とメルロ=ポンティとを対比させると、言語について面白い発想が浮かんできました。このことについては、時間があれば何かの形で論考したいと思います。できるかどうか分かりませんが。

 そうそう、今回宿泊した知多の民宿は料理が大変すばらしくて、とても満足でした。宿泊費も安かったですし。コーディネートしてくださったMさんはじめ、参加者の皆さんいろいろありがとうございました。

事務局の引き継ぎ

 北海道心理学会という、研究者・実践者のローカルな集まりがあります。

 2年間、そこの事務局をひとりで務めていたのですが、つい先日、隣の学部の先生に引き継ぎをしてきました。これで晴れてお役御免です。

 300人程度の小さな会で、予算規模も100万円ちょっと。下手をするとどこぞの田舎の中学校の同窓会の方が規模がでかいくらいのもんですが、それでもやることはそれなりにありましたね。

 名簿管理、会費受付、学会誌編集、エトセトラ。

 ほとんどがルーチンワークで、たいしたことはしていませんが、仕事したなあと言えることがあれば、幽霊会員の整理くらいですかね。年2000円の会費で、2万円以上滞納している方もいました。

 私もいくつかの学会に入っていて、事務の方にお世話になっているはずですが、普段はそんなこと考えたこともないです。ですから、事務作業の苦労を誰もねぎらってくれないことについてはそれが当然だと思っていました。自分がそうですから。

 そんなものですから、最後の大会と先日の引き継ぎのときに声をかけてくださる方がいたのは嬉しかった。嬉しかったですが、もう一度やろうとは思いません。ほんとに疲れました。

北海道心理学会

 北海道心理学会第55回大会が、勤労感謝の日、市内の北星学園大学にて開催されました。昨年に引き続き、
私は事務局を務めている関係上、朝からずっと張り付いて参加していました。

 理事会および総会の進行、会員からの年会費徴収、その他雑用が事務局の業務です。アルバイトの学生さんに手伝ってもらいながら、
なんとかこなしました。

 最大の懸案は、総会で実施された次期会長選挙をつつがなく終わらせることでありましたが、無事に乗り切り、
スムーズに次期体制につなげることができました。よかった。

 懇親会では何人かの先生方より、2年間のねぎらいのことばをいただきました。ありがたいことです。

 ただ、仕事はこれで終わりではありません。2月までに雑誌の発行、会計の締めをして、ようやく次の事務局に引き継ぎです。

 もう一息。

日本質的心理学会第5回大会記念シンポジウム「アートな学び」

 本年度の質的心理学会大会は筑波大学にて開催されます。大会にて、掲題のようなシンポジウムが開催されます。詳しくは以下をご参照ください。

 日本質的心理学会第5回大会(明和電機代表取締役社長の講演とシンポ) (筑波大学サイト)

 日本質的心理学会第5回大会オフィシャルサイト

 不肖私はそのシンポジウムにて司会を務めるのですが、それはおいておくとして、スペシャルゲストに、アートユニット「明和電機」の代表取締役社長、土佐信道氏が来られてご講演されます。

 明和電機オフィシャルサイト

「たけしの誰でもピカソ」「デジタル・スタジアム」などアート系のテレビ番組によくご出演されるのでご存じの方も多いかと思います。

 土佐氏は本業の作品製作・発表のかたわら、近年、子どもや一般の方を対象としたアート・ワークショップを精力的に開催されています。それとの関連で、同じくアート活動を通して心理のご研究をされているお二方を交えながら議論していく予定です。

 質的心理学会会員の方も、そうでない方も、ご都合がつけばぜひお越しください。ちなみに私は非会員です。

教育心理学会にて

 先週末に東京学芸大学にて開催された日本教育心理学会に参加した。

 初日の午前中は、名古屋短大の松本博雄さんとともに行っている研究のポスター発表。

 伊藤崇・松本博雄 (2008). 音韻意識の形成過程の多様性を探る試み
(3) 日本教育心理学会第50回総会論文集 p.10.

 在籍責任時間中に3人の方にいらしていただき、議論することができた。おいでくださった方に感謝申し上げます。

「この先どうしようか」と2人で悩んでいたところだったのだが、関心を持ってくださるかたがいて勇気づけられた。
もう少し話を広げてやってみようということになった。

 翌日は午前中のみ、2つのシンポジウムをかけもちして聞きに行く。ひとつは、ある小学校で行われた算数の授業を題材に、
教育心理学者が分析したり語り合ったりするもの。もう一つは、教育実践を記録していくことの意味についてのシンポ。いずれも、
授業中の相互作用を分析した研究について最近あまりフォローできていなかったので、情報を収集するために参加した。

 一度は退会しようかと思っていた教育心理学会だが、ここにきて実はホームグラウンドなのではないかと思うようになってきた。
もう少し、教育という問題に心理学から何ができるかを考えてみたい。

日心

 先週末、北大で日本心理学会の大会が開催された。文学部の心理関係が主催である。

 2年前より「協力よろしく」と文学部の先生から頼まれていたので、開催日近辺はばっちりと予定を空けていた。が、
開催3日前になっても何の連絡もないので、知り合いの先生に尋ねてみると、「ああ、特にすることはないですよ」。そうですかそうですか。

 初日の午前中、ポスターで発表。知り合いを除いて1人の方が聞きに来てくださった。

 大学院のときの同級生とばったり会い、そのまま昼食へ。話は偽装食品問題から政治へおよび、「心理学なんかやってる場合じゃないよ」
とうなづきあう。

 夕方から、その同級生にもう一人加え、すすきのに出没。「ジンギスカンが食べたい」というのだが、いかんせんうまい店を知らない。
ネットで調べた「ひつじや」へ行こうと思うものの、場所が見つからず。仕方なく、「名前がいいから」ということで「しまだや」
なるジンギスカン焼き肉屋へ。あのジンギスカン鍋を使わず、網の上でラム肉を食う形式のようで、ちょっと申し訳なく思う。

 某大学では教員一人で使える研究費が5万円だそうで、愕然とする。うちは恵まれている。ひとしきり、
どうやって金を取ってくるかで盛り上がる。酔っぱらい、「明日は温泉に行こう」とうなづきあう。

 2日目の日中は、アマネの運動会に参加。このところの寝不足がたたり、昼寝。

 3時から動き出し、約束通り同級生2人をホテルからピックアップして、温泉へ。とはいえ、遠出する時間もなく、
JR苗穂駅前のスーパー銭湯「蔵ノ湯」へ。小1時間ほど湯につかる。腰にタオルをひっかけながら大学の人事について話し合う。

 3日目、名古屋のMさんと落ち合う。ご息女二人と邂逅。研究打ち合わせは遅々として進まず、その代わり、
研究会のあり方について議論が進む。

 夜は家内とアマネを呼んで、札幌駅北口の「焼き鳥ダイニングこっこちゃん」にて。子ども用のグッズがたくさん置いてあり、
いたれりつくせりであった。おかげで子ども3人連れの一行は比較的ゆっくりと食事をすることができた。

 今回は、インプットほとんどなし。学会期間中、会場のそばに研究室があるとそこで仕事をしてしまうということが分かった。