日曜から家族で茨城に来ています。
アマネは、羽田までの飛行機では寝ていてくれたのでゆっくりできましたが、空港から実家までの車のなかでは元気でした。
最近磨きをかけているがに股歩きをさっそく父母に披露しております。芝生の上も大丈夫。
25日に札幌に戻ります。こちらにいるあいだに、たまった作業を片付けなければなりませんが。
クリックすると、別ウィンドウで動画が見られます。(Quicktime)
Finnegans tavern Annex
日曜から家族で茨城に来ています。
アマネは、羽田までの飛行機では寝ていてくれたのでゆっくりできましたが、空港から実家までの車のなかでは元気でした。
最近磨きをかけているがに股歩きをさっそく父母に披露しております。芝生の上も大丈夫。
25日に札幌に戻ります。こちらにいるあいだに、たまった作業を片付けなければなりませんが。
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アマネは1歳1か月目に入り、いろいろなところで自分の身体に出会っている。
だいぶ歩けるようにもなってきた。部屋から部屋へ、両手をバンザイの形にして、がに股でのしのしと歩いている。ただ立つだけなら、
5秒といわずしばらくの間立ち続けることもできるようになった。
11か月頃から始まった指さしは、当初は食事の際に、自分の食べたい(らしい)ものを指すという機能をもっていたが、
現在ではさまざまなものの要求に使われている。だっこしてほしいときには、父母の顔を指すといったように。
おむつを替えるときや風呂にはいるときなど、股間がむきだしになるときには必ずといっていいほど、ちんちんに触るようになった。
その手はたいてい左手である。
「自分の体って、こんなに便利なんだ、へー」、とか、「おお、こんなところにこんなものが(たとえば、ちんちん)」、
といった気づきがあるわけではないだろう。指先や手足を動かしているうちに、じょじょに組み替えられていった結果なのだろう。
もう少しすると、自分の体が一番の遊び道具になるんだろうな。
妻は、ずいぶん暑かったと言っているが、ぼくはよく覚えていない。ただ、病院の中でコトがどのように進んでいたのかはおぼろげに覚えている。
前日から陣痛室に泊まり込み妻の背中をぐいぐい押していた。陣痛の間隔が空いてしまったため、促進剤を点滴で入れた。だいぶいい感じになってきた午後2時頃、分娩室に入った。それから1時間くらい台のまわりをうろうろと歩き回り、助産師さんの手際を妻の肩越しに食い入るように見ていた。
そうしてアマネが生まれたのだった。
1年たち、あの日のふにゃふにゃした人は、しっかりと自分の二本の足で地面を踏めるようになった。ご飯もぱくぱく食べるし(今日の夕食など用意したものでは足りなかった!)自分で今したいことを要求できるようになった。
近い将来、さらに1年たって今日のことを振り返ったときによく思い出せるように、ぼくたちはふだんとはちょっと違うことをした。世間では、それを誕生日のお祝いという。
ところで、アリスのハンプティ・ダンプティは、ベルトではなくネクタイを、 非誕生日の贈り物として白の王と女王からもらったのだった。困ったアリスはこう言う。
`I mean, what is an un-birthday present?'
`A present given when it isn't your birthday, of course.'
Alice considered a little. `I like birthday presents best,' she said at last.
ぼくもアリスに同情します。364日の非誕生日よりも、たった1日の誕生日の方がプレシャスだよね。
誕生日写真集
札幌の自宅から歩いて20分くらいのところに、アサヒビール園がある。ビール工場とビアレストランの隣接する施設である。札幌の観光ガイドにも1/8ページくらい割かれている観光地だ。
昼間家族で散歩がてら行ってみた。
爽やかな風のそよぐなか、ベビーカーを押しながら歩く。途中でアマネは力尽きて船をこぎ、沈んだ。
沈んだ赤ちゃんを脇に置いて、レストランで食事。昼食バイキングをいただく。アサヒビールはふだんあまり飲まないのだが、琥珀の時間と熟撰があったので、メンチカツ、アジフライとあわせていただいた。
30分くらいでアマネが目を覚ます。妻のとったきつねうどんから麺を分けて口に運んでやる。彼の最近のブームはうどんである。前世は香川県人ではないかと思うくらいだ。彼の地の人に「1日3食うどんなんじゃないの」と言うと、「とんでもない。一日5食が基本やろうが」と怒るらしい。たぶんアマネは3食うどんでも満足するだろう。それくらい食いつきが違う。
ビール工場でも見学して(無料で試飲もして)帰ろうかと受付に行くも、予約なしだと2時間待ちだそうで、断念して帰途につく。
ここ三四日ほど、自分も含めて家内の者の体調が思わしくない。
まず妻が8度強の熱を出してダウンし、いまだに頭痛に悩んでいる。次いで自分が腹を下し、こちらは晩酌のできるまでに回復した。
そして最後にアマネが熱を出し、いっとき9度に迫ろうかというところまでいった。が、機嫌が悪いものの本人はいたって元気である。顔に湿疹らしきものもあるようで、少し心配ではある。ただ、ごはんは食べるし(一時期に比べればびっくりするほど食べるようになった)、遊んでやらないと文句を言うしで、大事ではないと高をくくっている。
体調が悪いながらも最近のアマネはいくつか新技を覚えた。「5秒スタンディング」と「うっちー」である。
5秒スタンディングとは、つかまり立ちをした後でつかまっていた手を離し、直立することである。せいぜい5秒しかもたないのでその名をつけた。親は「立っちしたね」と大喜びである。
うっちーとは、首を横にかくんと倒し、対面する相手に向けてにこ~っと微笑むというもので(図1)、一種の懐柔策だと見ている。うっちーという名は妻がつけたものだが、理由は知らない。
もう10か月になった。8月には1歳である。
日曜の夜、サッカーW杯日本代表戦がおこなわれているちょうどその頃、私は救急車の中にいました。
生まれて初めて乗る救急車でした。が、わりと落ち着いていました。それもそのはずで、私は付き添いだったのです。
当事者はアマネでした。
日曜の昼間、妻の友人の結婚式に出ていたアマネは、どうもひどく疲れていたようで、風呂上がりに飲んでいたおっぱいを、
夕食とともにすべて吐いてしまいました。それはもう、温泉の湯の吹き出し口のよう。
これで親がとても心配になってしまいました。寝かしつけてもすぐに泣いてしまいます。あやすと、しばらくは落ち着くのですが、
しばらくするとまたひどく泣き出します。
「腸重積かもしれない…」
妻が心配そうにアマネを抱きかかえてそう言います。腸重積とは、腸同士が入れ子になってしまう病気で、
へたをすると入り込んだ部分が腐ってしまいます。「家庭の医学」などを読むと、親が知っていなければならない病気の1つなのだそうです。
こうして、電話をかけて5分後に到着した救急車に、親子3人で乗り込んだのでした。行き先は、札幌市夜間急病センターです。
深夜の札幌の街を救急車は特急のごとく駆け抜けます。3人の救急隊員は事細かにアマネの病状を尋ね、妻がそれにてきぱきと答えます。
で、当のアマネはというと、目をまん丸にして親や隊員、救急車内の設備をかわるがわる見ています。泣くのはとうにやみ、
なんだかおとなしくなってしまいました。
「元気だね」「ひきかえす?」「ここまできたのに」
家の中ではあんなに心配していた両親ですが、車内できょとんとしているアマネを見て、急に力が抜けてしまいました。
10分ほどでセンターに到着しました。
隊員の先導で、センター内の待合に入ります。5分ほどで小児科に呼ばれました。小太りの、
優しそうな感じの先生が机に向かって座っていました。これまでの経過をひととおり説明した後、聴診をしてもらいます。
すでに何度か注射を経験していた彼は、何かされると思ったのか、ぎゃあと泣き始めました。
「まあ元気だね、よかったよかった」
けっきょく、なんでもなかったようです。親の早とちりに呆れることなく対応してくださったお医者さんや救急隊の方々に深く感謝です。
タクシーで帰宅すると、まだサッカーの試合が続いていました。夜中に救急車にタクシーと、2つも乗り物に乗ったためかどうなのか、
アマネはずっと興奮し通しで、けっきょく寝ついたのは日が変わってからでした。
ところで、子どもの不調が果たして病院にかからねばならない程度のものかどうか判断つかない場合など、
札幌市には電話で看護師と相談するための窓口があります。「小児救急電話相談」
がそれです。こういうものが存在することを、恥ずかしくも、センターの待合室で知りました。
…今度からは、最初にこれを利用します。
この土日は我が家とその近所で過ごした。
土曜。翌日に妻のお友達の結婚式をひかえ、午前中、彼女は式に着ていく服を貸衣装屋に借りに行った。その間、アマネと二人きりで留守番である。
ベビーカーを押して買い物がてら近所を散策する。大福とコーヒー豆を所望する。いつのまにかアマネはベビーカーの中で寝ていた。
アマネ、夕食食べず。しかし、テーブルの上の皿にのっているものには興味があるらしく、大人が食べていると脇から触ろうとする。こちらは触ってほしくないので腕でバリゲードを作ったり、アマネを抱えて脇へどけたりする。すると、びええと喉をからさんばかりの泣き声で抵抗する。
どうも最近、意のままにならないことがあると泣いて不機嫌さを表す。「やりたいこと」が出てきたのだから、発達の証として喜ぶべきなのだが、見ている方はどうにもほとほと困る。
日曜。朝から妻とアマネは結婚式へ。
こちらはひとりで黙々と家事をこなす。天気もよいので、布団を干し、洗濯物を干し、部屋に掃除機をかけ、風呂を掃除する。
掃除機をかけているとチャイムが。佐川急便。注文しておいた、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットの3rdアルバム『デラシネ・チンドン』届く。早速聞いてみる。あいかわらず、よい。
昼食は、近所のラーメン屋で。もうすぐ80になろうというおばあちゃんがひとりで切り盛りする小さなお店で、曰く「1週間にひとりも入らないこともある」ようなところであるが、スープが美味しいのでたまに行くのである。予想通りお客さんは私以外誰も来ないので、ラーメンを食べ終わった後、カウンターに座り込んで1時間ほど世間話をしてすごした。
夕刻、妻たちが帰宅。夕食の準備をした後で、アマネを風呂に入れる。おっぱいをあげて寝かそうとしたところ、噴水のように吐いた。落ち着かせてからあらためておっぱいを飲ませて寝かせる。(おっぱいをあげているのは妻である、為念)
これから、本を読みながら横目でW杯を観る予定。さてどうなることやら。
そんなわけで、きびきびとはたらいた土日なのであった。
トマセロは9か月革命とのたまわったけれど、我が家の革命には、かのバスティイユ牢獄襲撃に比肩するような記念日は訪れていない。ただ、じわりじわりといろいろなことが変わりつつあるのは分かる。おそらく本家革命でもバスティイユは単なる象徴に過ぎず、変化は伏流として常にあったのだろう。それがある日を境に相転移した、と考えるべきか。
さて我が家の革命。部屋の中にあるもの、たとえばリモコンや電話の子機などボタンがたくさんついているものは特にお気に入りだが、それをいじくっているときに脇から親にそれを取られると、「うーうー」と怒り、手足をじたばたさせる。これは、「ある」しかない世界から、「ある/ない」の二値的世界に移行したと推測される出来事である。あるいは、残像に恋焦がれるようになったわけだ。
とともに、「隠されたもの」への憧れも出てきた。我が家ではビデオデッキ一体型テレビを使っているのだが、そのビデオスロットの蓋をこじ開けて中を手でまさぐろうとするのである。「こちら側」の世界に「あちら側」が加わったのだろう。そういえば、丸めた紙おむつを入れるゴミ箱の蓋を一生懸命たたく姿も見られる。きっと、中を見たいのだ。
そう考えると、9か月の革命には、消失と遮蔽という出来事が関わっているのかもしれない。しかしこれら2つの性質は少し異なるようにも思われる。前者には残像への思慕が、後者には彼岸への憧憬がある。
あっ!過去と未来か!今、彼には時間が生まれつつあるのだ。
そう思いを新たにした我々の手元に、ビデオデッキの中という未来へ向けて立ち上がらんとする彼の連続写真が届けられた。シャッターの間の時間間隔は同じである。ゆえに、立ち上がるとは瞬間的なことであり、むしろ準備的な運動の方に時間がかけられていることが分かる。