プロ野球を生で観戦

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日本ハムファイターズが市内の小学生に無料招待券を配るということで申し込むことにしました。何度も優勝しているチームの本拠地でありながら,まだ生で試合を観たことがなかったので,いい機会だと思ったのです。息子もまあ勉強だろうと。

ぼく自身,プロ野球観戦は人生で2度目です。最初は中学生の時,先輩と一緒に東京ドームに巨人戦を見に行きました。あれから二十余年。

野球を観るにあたって,やろうと思っていたことがありました。それは,「売り子のお姉さんが背中に背負ったビールサーバから注いでくれたビールをがぶがぶ飲みながら観戦すること」です。なんかあれ,子どもの頃からの憧れなんですね。そのためには車で行くのは御法度なので,今回は地下鉄を乗り継いで札幌ドームへ。

日曜の昼からの試合のせいか,家族連れやご高齢の方が球場には多かったような気がします。日ハムはファンサービスが手厚く,選手のユニフォームを着た情熱的なファンがやたらたくさんおりました。

ぼくら親子はなんてことのない普段着で,応援用のグッズも何ももたず,ライト側ポールそばの内野自由席へ。すぐ横ではビジターのライオンズファン軍団が気炎を上げています。

試合は一方的な展開で,日ハムはいいところなしでした。息子は5回くらいで「もう飽きた」と言い出す始末。試合終了までいたら帰りの地下鉄が混むことは目に見えていたので早めに切り上げるつもりでしたが,こんなに早く帰ることになるとは。

そう,例のビールですが,たっぷり3杯飲みました。昼酒が堂々と飲めたことはとても良かったです。

自転車に乗れた日

息子が1年生になったのを機に,少し大きめの自転車を買ってあげたのはいいのですが,まだ彼は自転車に乗れず。見切り発車でした。

4月に一度,近所の公園で特訓をしたのですが,あわあわしてこけてばかりで乗れず。

5月も半ばを過ぎてだいぶ暖かくなってきたので,昨日,琴似の農試公園に行き,再チャレンジ。

4月のことがあったのでまあダメだろうなと思ったのですが,近所の公園よりも広いのがよかったのか,地面が柔らかな草地だったのが幸いしたのか,後ろからちょっと支えてやっただけですんなりと乗れてしまいました。

走り出す際にまだおぼつかないところがあって,そこだけ苦労していますが,まあそれも練習次第でしょう。

明けて今日,「サイクリングする」というので,再び農試公園へ。

この公園には,交通コーナーという,子ども向け自転車教習所のコースのような場所があって,そこで走らせてみました。他の子たちがまわりをびゅんびゅんと走っているところではまだうまく避けきれなかったり,ギアを変えながら坂道を登れなかったりと,課題はまだたくさんありそう。公道で走るのはまだ早いかもしれません。

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入学式

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息子の下の前歯のうち1本,ぐらぐらしていたのがぽきっと抜けました。「下の歯が抜けたら屋根に放り投げて,上の歯が抜けたら縁の下に放り込む」という,絵本で仕入れてきた知識をかたくなに主張する息子は,マンションの最上階に非常階段を使って登ろうとしましたが15階のうち7階に着いたとたん,怖くてやめました。

小さな下の歯をきれいに洗い,雑貨屋でちょうど見つけて買ってきた「乳歯入れ」に入れておきました。赤い帽子が上の歯用,緑の帽子が下の歯用です。

赤ちゃんの頃からのつきあいだった歯が抜けたちょうど次の日,小学校の入学式がありました。

学校の研究をしているので,これまでに入学式には参加させていただいたことはあります。でも,当事者,もとい,当事者の父親としてその場にいるのは初めてです。

教室の一番後ろの席に緊張して座って周りをきょろきょろと見渡しているのを廊下から眺めていますと,頼もしいような,不安なような。

体育館に移動して,保護者席に座って待っていますと,入り口のドアが開き,1組から順に新入生が入場してきました。つい昨日まで保育園や幼稚園の卒園式に着ていた一張羅をもう一度着て,真っ正面を見ながら行進してきました。

校長先生がうまくリードしてくださったので,大騒ぎになることなく,式はスムーズに進みました。

学級全体と保護者とで記念写真を撮って,教室にいったん戻り,次週からの予定を簡単に担任の先生から受けて終わりです。あっという間でした。

その日の夜は,晩ご飯を食べた後少し気持ち悪そうにしていました。やはり緊張していたのでしょう。床についたとたん爆睡。

これからの(おそらく)12年間,学校という枠の中でどのように暮らしていくのでしょうか。仕事柄,いろいろな話を聞くだけに,考えてしまうことも多々ありますが,それ以上に,なんとかする体勢が社会的に整えられていることも知っているわけで,その意味では安心もしています。

がんばろうな。

卒園

週末は風邪を引いて伏せっておりました。

さてその直前,金曜日にアマネの卒園お祝い会があり,参加してきました。

2008年からお世話になっていたので,保育園には4年間通ったのですね。あっという間のような,長かったような。

ちょうど4年前,保育園に行く直前のアマネ(2歳)はまだおむつも取れていない文字通りのひよっこでした。

明日から保育園

それが,給食に出てきた食べ物もぱくぱくと食べられるようになり,いろいろな遊びも覚え,「年長らしい」ふるまいもだいぶできるように。お祝い会では,自分の得意な「技」を披露するパートがあったのですが,アマネは折り紙で三方を作って見せてくれました。

特に悩みを抱えることもなく,のんびりと過ごすことができたのも先生方のおかげ。特に,入園当初の面倒を見ていただいた先生には,年長組の担任にもなっていただくことができ,すっかりお世話になりました。

小学校は学区の違うところに行くので,年長組の友達とは別れてしまいますが,そこでものんびりやってくれるでしょう。

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なにはともあれ,卒園おめでとう。

ランドセル

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来年4月の入学をひかえ、気が早い話なのですが、息子のランドセルを買いました。

最近はA4サイズがすっと入るような大きさなのですね。ぼくらの頃はプリントはなんでもB5が基本だった気がします。

そのせいか、やたらとでかい。ランドセルが子どもを背負っているような感じ。

札幌の小学校は制服もなく、指定の靴や運動服もなく、他の子とおそろいなのはたぶんランドセルくらいだろうと思います。見てるとほんと自由なんですよ。

先週末の出来事

6月も半ばを過ぎて外遊びが楽しい時期になってきました。この機を逃してはもったいないので,週末はあちこちに出かけてます。

土曜は,京極に行ってきました。ふきだし公園で水を汲むのも目的の一つでしたが,今回は札幌から走った途中の道ばたにある,ずっと気になっていたうどん屋に入ることを最大の目的としました。「野々傘(ののさん)」と言うのですが,前を通るたびに店の前の駐車場が車でいっぱいで,そんなに人気ならばと行く気になったわけです。

11時オープンなのでそれに合わせてたどり着くとすでに店の中はいっぱいでした。お店の方に名前を告げてあらかじめ食べるものを注文しておきます。携帯の番号を伝えておけば,席が空いたときに連絡をしてくれますので外で待っていても大丈夫。

待つこと30分ほど,ようやく座敷に。季節ものということでアスパラ天をのせた冷やしうどんをいただきました。まあなかなかおいしかったです。公園で水を汲んで帰りました。

明けて日曜,朝からいい天気なので,簡易テントと弁当をもって野幌森林公園まで行ってきました。ここは初めてです。

まずは,遠くからでもよく見える,例のあの塔に登ってみました。

P1070938.jpg ←例のあの塔(百年記念塔というのが正式名らしい)

そのまま,開拓の村にでも行こうかと思ったのですが,何を思ったかアマネが森の中を歩くと言いだし,遊歩道に分け入ることに。人工林と原生林の入り交じった中に細い歩道が造られています。30分ほどわさわさと歩くと,開けた場所に出ました。そこに簡易テントを置いて,一休み。

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平坦な道だったとはいえ,30分も大人にひっついて歩いていられるようになったのが父親としては嬉しいもの。

その日の夜は,家内の誕生日ということで,近所にあるイタリア料理屋「TATSUMI」で夕食を楽しみました。

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ここは,料理の味がいいのはもちろんのこと,子連れでも気兼ねなく入れるようにいろいろと工夫してくださっているところです。小さな子どもがいるご家族には絶対のおすすめ。

手伝いの効用

息子もなんだかんだでこの8月で6歳である。まだまだ子どもだと思っているが(実際子どもなのだが)もういろんなことが自分一人でできるようになっている。

最近は手伝いを頼むようになった。6歳児の能力で十分できること、しかも家庭の中だけにとどまらない、社会的広がりをもつ仕事を任命している。

例えば、ゴミ捨てとか回覧板回し。こういうところから社会のルールというのがあるのだということをぼんやりと知ってほしい、と思ってのことなのだが、まあ親の心子知らずで、それでよろしい。何かに教育的付加価値を見出そうとすること自体がやましいのである。仕事はそれ自体で重要で価値があることなのだから。

では手伝いの効用は何かというと、それが子どものためになる、というのは一種の言い訳で、とにかく親が楽になるのが一番の効用である。手が足りないときに、「あ、ここに『手』があるじゃないか」と気づいた安堵感。

今息子は「お遣いをする」と息巻いている。タイミングよく、大きな道路を渡らずにすむ場所にコンビニが新しくできた。そこに何か買いに行ってもらおう。

最後まであきらめない

雨上がりの日曜、近所の公園にアマネと散歩に出る。

一通り遊んだ後、ふと、山桜の木につぼみがついているのを見つけた。植えられて間がないのか、さほど高い木ではない。

大人の胸ほどの高さのところで木の幹が二股に別れている。それを見たアマネがそこに登ろうとし始めた。彼にとっては頭の高さよりもほんの少し高く、手を伸ばせば届く。幹を両手でかかえ、足をばたつかせる。雨上がりでなくとも山桜の幹はつるつるとして登りづらい。足をかける場所もそれほど多くない。

二股のところにアゴがかかるも、その瞬間足が滑り、歯で唇を盛大に切ってしまった。口の中が赤く染まり、涙がぼろぼろとこぼれる。ちょうど雨が降ってきたこともあり、「帰るか?」と聞くと、「最後まであきらめない!」と言って首を横に振り、もう一度登ろうとする。

もう服は泥だらけ、顔に血が上って真っ赤になり、鼻水だか涙だか分からないものが鼻提灯を作っていた。

何度も足をかけているうちに、手と足を踏ん張ってそのまま体を浮かび上がらせることを覚えたようだ。あと少し体をずらせば幹の二股に体を引っかけることができる。落ちてしまっては大けがのもとなので、ここで大人が手を貸してやる。それまでは、手伝おうとすると大声で「一人でやる!」と手をはねのけていたのである。

そうこうして、二股のところに腰をかけ、幹にしがみつく体勢を取ることができた。そこから降りてからも泣いている。最後の最後で大人の手を借りて一人で登れなかったのが相当くやしかったようだ。家までおんぶして帰ることにした。背中で道中ずっとひくひく言っていたのを聞きながら、成長を頼もしく思う。

ちなみに、「最後まであきらめない」という台詞は、一代前のスーパー戦隊、ゴセイジャーに出て来るゴセイレッド・アラタのものである。幼児期のパーソナリティ形成にスーパー戦隊が及ぼす影響というのも、このご時世にあって無視できないのではないか、とちょっと思ったりもした。

子どもの特権

ケータイで撮った写真を整理していると、昔の子どもの姿がぞろぞろ。

多いのは、何かの衣装を着ているもの。ショッピングセンターとかで開催されるイベントに顔を出すと、だいたい決まって警察や消防署の方々が来ていて、PR活動をされている。その一環で、子ども用の衣装を着せてくれるのである。

親はバカなので、まんまと子どもにそれを着せてもらい、にやにやと写真を撮る。そんなコスプレ写真をどうするというわけでもないのだが、なんだか撮りたくなってしまうのである。

たとえば、こんなふうに。アリオにて。

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あるいは、こんなふうに。雪まつり・つどーむ会場にて。

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これは、キドキドという遊び場に置いてある衣装。イーアスにて。

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七夕飾りの将来の夢に「八百屋になる」と書いていた(代筆で)時代。なじみの居酒屋のおばあに着せてもらう。居酒屋ごーやちゃんぷるにて。

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ミュージシャンが来れば、楽器を奪い取り、マイクも奪い取り。居酒屋ごーやちゃんぷるにて。

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最後はちょっと違うけど、貴重なので。夕張市のキャラクター、夕張夫妻。負債とかけてるわけで。メディア芸術祭巡回展にて。

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衣装を着せてもらうのだって、楽器を貸してもらうのだって、着ぐるみのそばに行くのだって、実は大人もやりたいかもしれない。少なくともぼくは、着ぐるみの肌触りを確かめたくなることがよくあるし、コスプレだってたまにはしてみたい。

しかし、子どもたちが集まって手を出そうとするそれを大人である自分が奪うわけにはいかないし、なにより大人の目がある。それは許されない。そう考えると、子どもには大人が持っていない特権があるのだ。

まあいまのうちに存分にその特権を行使しておいてくれ。大きくなったらできなくなるんだから。