牛久大仏

 連休中は茨城の実家に帰っていました。今年は連日の行楽日和でなによりでした。

 私たち家族に父母を加え、実家近くにある牛久大仏に行ってきました。ふだんは霊園なのですが、なぜかGW中、大道芸人が来たり屋台が出たりするのです。

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 この大仏、世界一の大きさだそうで、ときおりテレビにも紹介されますのでご存じの方も多いでしょう。実家の辺りを車で走ってますと、かなたにぬっと建っているのが見え、一瞬、スケール感を失います。

 せっかくなので、拝観料を払って大仏の中に入ってみました。入る?そう、この大仏は中が空洞になっていて、供養する小さな仏様がおさめられているのです。それだけでなく、エレベーターで仏像の胸の辺りまで登ることができて、展望台のように内部から外の景色を眺めることができるのです。

 キッチュなものが好きな人間としては、ゆっくり見て回りたかったのですが、アマネが見るからに嫌そうでしたので、早々に退散。彼は、大仏の足下にあるちびっ子広場と動物ふれあい広場の方に夢中になっていました。アマネは特にヤギにご執心で、「ワンワン、ワンワン」と言っておりました。

 そうそう。実家では父も私もどちらも「ジッジ」と呼ばれていました。男はみな「ジッジ」なのだろうか。

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男子3週間会わざれば刮目して見よ

 大人になってから振り返れば3週間などあっという間の出来事に過ぎない。しかし、1歳8か月の子どもにとっての3週間とは行動の変化が起こるには十分な時間のようだ。アマネが3週間ほど妻の実家にいたあいだに、びっくりするような変化が彼に起きていた。

 まず、言葉が増えた。とは言っても「ジッジー」(遊んでくれる男の人)「クック」(クツ、転じて外に行くこと)「コッコ」(鳥一般)「バーバイ」(バイバイのこと、遊びを止めるときには遊具に向かって言う)「プップー」(乗り物一般)くらいだが。

 ごはんの食べ方が変わった。食べられるものが格段に増えた。ちょっと前は口に入れてもべえっとはき出していた肉やイモのたぐいもモグモグ噛んで飲み込んでしまう。ご飯もスプーンを手に持ってそれですくって口に運ぶことができるようになっていた。

 もちろん、食事を作る側のなみなみならぬ努力というものもある。アマネは、大根とニンジンと里芋の入った味噌汁が好物で、ほぼ毎日食べている。かつては、3つの食材すべてイチョウ切りにしていた。ただ、それだとなぜかニンジンには手を伸ばさないことが多かった。

 実家にいる間に、大根とニンジンの切り方をイチョウ切りから拍子木切りへと変えてみたらしい。すると、どうもつるつると口に入っていくのが楽しいようで、自分から手を伸ばしてパクパク食べるようになっていた。ニンジンを残さずに食べてくれるのは嬉しいことである。

 一番の変化は、外遊びがむちゃくちゃ好きになった、ということである。もちろん札幌では3月まで雪が降っていたわけだから、外に出て遊ぶということは1歳半の子どもには難しい。難しくないのかもしれないのだが、雪国育ちでない親には雪の中での遊ばせ方が分からない。

 雪がないとなると、それこそイヌのように走り回る。なんでも実家では食事のときと寝るとき以外はずっと庭にいたそうだ。おかげで真っ黒になって帰ってきた。札幌もこれからいい季節になるので、ちょうどよかったのかもしれない。

 クレヨンを使って絵(というか軌跡というか)を描くことも覚えた。さっそく、水で消えるクレヨンを買ってきて、生協でもらってきた「母の日似顔絵コンテスト」用紙を手渡した。

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パパ→ジージ

 先月末から3週間ほど、妻の実家に帰っていた妻子が、土曜に戻ってきた。空港まで迎えに行ったのだが、
ちょうど名残の大雪が降った日で、滑走路は除雪が間に合わず、乗った飛行機が1時間ほど遅れて到着した。

 長崎ではほんとうによく食べたそうである。思うに、野菜や果物は北海道よりもずっと美味しいし、安い。だからか、
空港の到着口で抱き上げた身体はずっしりと重かった。帰宅するまでずっと抱き上げていたが、左腕がぐんなりとだるくなってしまった。
これは3週間で身体が抱きを忘れた、というだけではなく、素朴にアマネが重たくなったということだろう。

 長崎では楽しく過ごしていたようだ。外遊びが習慣になって、朝ご飯を食べた後も、昼寝から目覚めた後も、ことあらば玄関を指さし
「クック」と言う。「靴を履いて外に行こう」と誘っているのである。

 そんなぼくは、今は「ジージ」と呼ばれている。義父がずいぶんめんどうを見てくれたそうである。ありがたいことです。

 GWには茨城の実家に1週間ほど戻ることにした。父とぼくと、「ジージ」候補が2人いることになるわけだが、
彼はどう使い分けるのだろう。

カネゴン現る

 お金が好きです。あ、ぼくの話ではなくて、アマネです。もちろんぼくも好きですが、好きの意味が違う。

 彼は、小銭を持ってくわえてみたり、貯金箱のスロットに入れてみたりといった行動をとります。そうした行動をとっている最中に小銭を取り上げると、取られた小銭を要求する行動をとります。こうしたことから私は彼のお金好きを判断するわけです。

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 彼のお金好きは、何によるものでしょう。モノとして好きなのだろうということが一つ考えられることです。手で持つにはちょうど良い大きさだということです。その証拠となるのかもしれませんが、彼はあまり500円玉には手を伸ばしません。10円玉か100円玉あたりがお気に入りです。ちょうど、そのくらいの大きさが彼の手にフィットするということなのかもしれません。

 もう一つ考えられるのは、親がそれを使って何らかの目的を達するから好き、ということです。最近とみに親のまねをしたがり、食事時にはスプーンを、風呂上がりには歯ブラシを、洗面台の前に立てばヘアブラシを持ちたがります。これらは親が手段として用いているモノです。小銭も同様に手段として用いられていることを考えると、アマネのお金好きは親のなんらかの行動のまねなのかもしれません。

 それにしてもまったく、お金に執着してると、カネゴンになっちゃうよ。

書き初め

P1000812.jpg イノシシとったどー

 新年明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 さて、年末年始はとにかくひたすら子どもたちと戯れておりました。あと2,3年もすれば彼らだけで勝手に遊んでくれるのでしょうが、まだまだそうもいかぬ年頃のゆえ、一緒に遊んでやらねばなりません。

 アマネはすべり台に夢中でありました。近所の公園に行くとローラーコースターがあるのですが、こちらはそれなりに楽しそうなものの、あまり興味を示さない。むしろ、実家にあるお子様用の小さいヤツにご執心で、何度も何度もやってくれとせがみます。 

 それと、車の運転に興味をもつようになりました。札幌では車に乗っていないのですが、実家に帰れば移動はどこでも車です。後ろの座席から運転中の私をながめていて、どうもハンドルに触ってみたくなった様子。本物は無理ですが、少しだけ夢をかなえてあげました。

 遊び疲れた大人は、酒をあおって9時前にさっさと就寝する毎日でありました。おかげで、除夜の鐘も紅白もなーんも知りません。

概念とスクリプト

 先のエントリーにも書きましたが、札幌から茨城へやってまいりました。

 帰省前日の関東地方を季節はずれの暴風雨が襲っていたらしく、着陸を目前にした飛行機に名残の横風があたって機体はぐらぐらと揺れていました。うう、気持ち悪い。

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 ちょうど妹と甥っ子が遊びに来ており、実家に豆台風が発生してしまいました。

 甥っ子はちょくちょく遊びに来るので、実家には子ども用のままごとキッチンがしつらえられていました。それを見たアマネも我が物のように遊びはじめました。

 本格的なキッチンセットで、ガスコンロのスイッチをひねると「コココ、ゴー」と音がして五徳の下が赤く光るのですね。さらに、専用の鍋をその上に載せると、「くつくつくつ」と音が鳴ります。ふたりとも大のお気に入りのようで、並んで遊んでいました。

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 アマネの遊んでいる様子を見ていると、面白いことに気付きます。鍋におもちゃのニンジンが入っているのですが、鍋の蓋を取ってから、シウマイ弁当の醤油さしを右手に持って鍋にその中身をふりかけているようなのです。あたかも、料理に調味料を入れているかのように。かのように、ではなく、当人にはそうなのでしょう。なかなか堂に入ったものでした。

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 さて、ここで気になるのは、彼はいったい何を手掛かりとしてこうした一連の行為を行なっているのだろうか、という問題です。

 醤油さしに入っているのが、鍋にふりかける物、すなわち鍋には入れないもの(つまり、食材でないもの)だと考えているのか。鍋にはニンジンが入っており、醤油さしをそれと同等の物と扱って良いはずですが、そうはしていない。逆に、おもちゃのニンジンやピーマンを使って、醤油さしでしたのと同様の行為をすることはない。

 仮に、彼が実際、醤油さしを鍋の上で振る物と考えていたとして、料理中に調味料をふるという手順がここでは再現されていたことになります。料理スクリプトとでも呼べばよいでしょうか、彼はそのスクリプトを再現していたようにも見えます。

 ここから推測するに、目の前にいる16ヶ月児は、自分の手に持っている物が「調味料」の代替物であり、それを鍋の上で振るということが「料理」の一工程であると認識していた、と言えそうです。そしてこれまでの認知発達心理学はそのように記述することが多かったように思います。

 さて、この見方をどう崩していくか。彼の行動をずっと見つめなければ、概念とスクリプトによる説明(これは実際のところ、言い換えをしただけで説明にはなっていないのですが)を越える何かは見えないのだろうなと思いました。

卒論と火傷

 25日の陽が落ちた頃、卒論を書き上げた学生たちはまるで悪鬼に追いかけられる夢から覚めたかのごとく安堵の表情を浮かべながら研究室から去っていった。

 提出先の教務課の前には晴れやかな顔で論文を胸に抱えた学生がたむろし、なかには抱き合う者もいた。

 お互い、半年間の肩の荷が降りたわけで、これでようやく落ち着いて正月が迎えられそうである。

 その25日の昼間、研究室にアマネをつれてきていたのだが、ふと目を離したすきに彼がストーブに手を触れてしまった。左手の平が赤く腫れ、大きな水ぶくれができてしまった。火傷の後がズキンズキンとするのだろう、その後1時間ほどぎゃああああああと泣き通しであった。

 アマネには最悪なクリスマスとなってしまった。監督不行届である。

サンタさんへのお手紙?

 もうすぐクリスマス。25日は学部の卒論〆切日とあって心中穏やかでない人もちらほらいるものの、世間的にはクリスマスです。

 我が家は特に何をするわけでもないですが、ケンタッキー揚げ鶏を買うことと、アマネに絵本を買ってあげることは決めてあります。

 そんな親の心中を知ってか知らずか、エアメールを書こうとする場面を発見してしまいました。サンタさんへのお手紙でしょうか(親バカ)。

書けたよー(mov形式、9,768KB)

もう10月

 原稿やら授業の準備やらを積み残しながら、ついに夏休みが過ぎた。

 帰省から帰ると札幌はすっかり寒くなっていた。

 書くべきことは山とあるものの、ブログを更新する暇があるならすることがあるだろう、と某所よりお叱りを受けそうなので控えている次第である。

 であるものの、久々に面白い写真を撮ったので載せておく。アマネは1歳2か月に入り、たまに風邪をひくものの、ますます元気である。

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カテゴリーは食えない

 まだ帰省中。

 一昨日昨日と、那須に一泊してきた。父母、妹とおいっ子といっしょである。

 帰りがけに寄ったりんどう湖ファミリー牧場で、ソフトクリームを食べた。入り口から入ってすぐのレストランのそばで1つ買って、アマネにも少しあげたところ、あまり欲しがらない。スプーンにすくって顔に近づけても、ぷいとそっぽを向く。

 牧場に移動してそこでも買ってみたところ、こちらのソフトクリームは喜んでぱくぱくと食べる。自分から口をもっていくのである。

 「同じソフトクリームなのにねえ」「あんまり味の違いは分からないけどねえ」

 と顔を見合わせてみるが、当人にしてみれば、まずいものは食いたくない、うまいものならもっと食いたいと、単純なことなのだろう。「ソフトクリーム」というカテゴリーを食っているわけではないのである。

 とすると、ぼくらはいつからカテゴリーを食うようになったのか。とても面白い問題だと思う。

P1000247.jpg これはでかくて食えんなあ