若手とは

 野暮用で非常勤先の大学へ。偶然、知り合いのM先生に遭う。

 十月末に開かれる小さな学会で、M先生とともにシンポジウムのスピーカーになっているのだが、話す内容について相談。学会の実行委員会が企画した(のだと思うのだが)シンポだが、提案されたたたき台には「若手研究者からの発信」というサブタイトルがついていた。

「なんでわざわざ若手であることを強調するのだろう」とM先生は疑問に感じてらしたようだ。

 夕方過ぎから、学部で研究交流会。

 この9月に転出される同僚に、これまでの成果を発表してもらい、そのあと壮行会を開こうという趣旨。

 集まったのは発表者含めて6名。2000年以降に赴任した「若手教員」というくくりで集めた。

 S先生のフィールドはインドで、初等教育にかんしてどのような問題があるのか、これから自分の手で掘り起こしていくのだという決意表明として聞いた。

 発表終了後、場所を移して札幌駅北口の飲み屋へ。幹事をしていたのと、酔っぱらってしまったのとで、何を話したのかあまり覚えていない。安心して酔っぱらえたのは、緊張していなかったからだろう。年の近い「若手」の集まりだったからこそ。

 「若手」の意義について考えた1日であった。

 翌日、宿酔でトイレと布団を往復したのも、まだ自分が若造であることの証か。

常磐新線開業

 本日、常磐新線が営業を始めた。

 現在は「つくばエクスプレス」という名前で呼ばれているようだが、元・地元民としては、土地の買い取りや工事の様子を眺めていた頃の呼び名、「常磐新線」が落ち着くのである。

 平成17年開業、ということは相当以前から言われていた。確か十年前にはもう開業年度は決まっていたのではないか。聞いた時には、ずいぶん先のことと感じていた。

 いまや「そのとき」が来たったのである。大げさかもしれないが、1999年7の月に感じたのと同じくらいの、「ついにきた」感なのだ。

 今度里帰りしたときにでも、話の種に乗ってみよう。個人的には、秋葉原ではなく、浅草に降りて、ぶらついてみたい。

FW1 12-14

     Rot a peck of pa’s malt had Jhem or Shen brewed by arclight and rory end to the regginbrow was to be seen ringsome on the aquaface.

 ジェムかシェンがアーク光のもとでパパのモルトをたっぷり腐らせ醸造し終えると、真っ赤な虹が水面に円く見えようとしていた。

 a peck of … malt: "O, Willie brew’d a peck o’maut"という歌*1

 Jhem or Shen: Jameson
 Shen: shen(中国語の「神」)*1

 brewed: ウィスキーは醸造しない(distillする)。醸造するのはビールだ。ここにはJamesonと並んで知られるアイルランドの酒工場、Guinness breweryが入っていると言うが*1

 arclight: アーク灯。この文の後半にrainbowが見えるので、arc(弧) + light(光)。

 rory: アイルランド語で「紅(red)」*2。roridus(ラテン語で「露でじっとりした」)*1

 rory end to the … :アングロアイリッシュの言葉で、bloody end to the lieは、no lie(本当だよ)*1

 rory end to the regginbrow: At the rainbow’s end are dew and the colour red*2

 regginbrow: Regenbogen(ドイツ語で「虹」)*1、rainbow

 ringsome: ringsum(ドイツ語で「囲んで」around)*1

 この1文には、創世記第9章のイメージがかぶせられている。Joyceはここに関連して、"When all vegetation is covered  by the flood there are now eyebrows on the face of the Waterworld"と書いている。水の世界の顔に眉?水面に映った虹のメタファであろうか。
 ノアは洪水がひいた後、葡萄を作ってワインを醸造(brew)する。
「爰にノア農夫となりて葡萄園を植ることを始しが 葡萄酒を飲て醉天幕の中にありて裸になれり」(創世記第9章20節~21節)
 arclightにはArk(ノアの方舟)が見える。
 rainbowは、神とノアとの契約の証でもある。
「神言たまひけるは我が我と汝等および汝等と偕なる諸の生物のあいだに世々限りなく爲す所の契約の徴は是なり 我わが虹を雲の中に起さん是我と世とのあいだの契約の徴なるべし」(創世記第9章13節~14節)
 aquafaceは洪水の水面でもある。


*1 McHugh, R. 1980/91 Annotations to Finnegans Wake. Johns Hopkins University Press.
*2 Ellman, R. (Ed.) 1976 Selected letters of James Joyce. Faber and Faber. pp.316-7

FW1 11-12

     not yet, though all’s fair in vanessy, were sosie sesthers wroth with twone nathandjoe.

 ヴァネッサにしたらなんでもありだが、双子姉妹が二人で一人ジョナサンに怒り狂ったのもまだのこと。

 all’s fair in … : All’s fair in love and war.(ことわざで、「恋と戦は手段選ばず」)。

 fair in vanessy: ウィリアム・サッカレー"Vanity Fair"(『虚栄の市』)*1

 vanessy: Vanessa(後述)

 sosie: フランス語で「瓜二つの人間」、saucy(生意気な)

 sesthers: sisters(姉妹)
 また、ここにはEstherも読める。これは、ジョナサン・スウィフトをめぐる二人の女性、エスター・ジョンソン(Ester Johnson、愛称ステラStella)とへスター・ヴァナミリー(Hester Vanhomrigh、愛称ヴァネッサVanessa)を指す。

 twone: two-one 「二人で一人」の意味ならば、エスターの名を介してステラとヴァネッサが一人であること、「一人で二人」の意味ならば、一人のスウィフトが二股かけることだろう。

 nathandjoe: スウィフトのファーストネーム、Jonathanの転倒。スウィフトの名前を使ったこうした遊びはヴァネッサもしていたようだ*1


*1 McHugh, R. 1980/91 Annotations to Finnegans Wake. Johns Hopkins University Press.

FW1 10-11

     not yet, though venissoon after, had a kidscad buttended a bland old isaac:

 小憎が老盲凡アイザックを突っつきだましたのも、もうすぐあとだが、まだのこと。

 この一節について、Joyceはこうメモしている。
 The venison purveyor Jacob got the blessing meant for Esau*2
 鹿肉を調達してきたヤコブが、エサウに与えられるはずの祝福を得た。
 これは、創世記第27章のエピソードである。アブラハムの息子イサクとその妻リベカには、エサウとヤコブという双子の兄弟がいた。年老いて目も見えなくなったイサクは、父アブラハムから受け継いだ神の祝福を受ける権利(すなわち、族長の地位)を長子エサウに渡そうとしていた。鹿肉で作った料理を食べさせてくれればその権利を渡そうと約束し、エサウは勇んで狩りに出かけた。
 ところが妻リベカは弟ヤコブにその権利を与えたかったため、一計を案じた。

「而してリベカ家の中に己の所にある長子エサウの美服をとりて之を季子ヤコブに衣せ 又山羊の羔の皮をもて其手と其頸の滑澤なる處とを掩ひ 其製りたる美味とパンを子ヤコブの手にわたせり 彼乃ち父の許にいたりて我父よといひければ我此にありわが子よ汝は誰なると曰ふ ヤコブ父にいひけるは我は汝の長子エサウなり我汝が我に命じたるごとくなせり請ふ起て坐しわが鹿の肉をくらひて汝の心に我を祝せよ」(文語訳聖書 創世記 第27章15節~19節)

 したがって、以下のように読める。
 venissoon: venison(鹿肉) + son(息子)
 kidscad: kids(子ヤギ) + cad(卑劣なヤツ)。McHughはkidscadにtrickを読んでいるが?
 a bland old isaac: a blind old Isaac(盲目老人イサク

 同時に、この一節は19世紀のアイルランド独立運動の文脈で読むこともできる。
 まず、old isaacとはアイザック・バット(Isaac Butt)のこと。そう言えば、buttendedが見える。
 バットは、アイルランド自治を訴えた自治連盟(Home Rule League)の創設者。
 彼に代わって二代目リーダーとなったのがチャールズ・スチュワート・パーネル(Charles Stewart Parnell)。彼の子どもの頃のあだ名がButthead(頑固者)*1。バットを追い出したからbutt-endということでもある。

 venisoon: very soon*1

 buttended: buttendには「バットの先で突く」という意味もあるらしい。


*1 McHugh, R. 1980/91 Annotations to Finnegans Wake. Johns Hopkins University Press.
*2 Ellman, R. (Ed.) 1976 Selected letters of James Joyce. Faber and Faber. pp.316-7

FW1 9-10

     nor avoice from afire bellowsed mishe mishe to tauftauf thuartpeatrick:

 遠くの炎より声が、泥炭洗礼ペトリックに、我へ我へモーセと鳴りひびいたのもまだ。

 この一節についてJoyceはこう説明している*2
 "The flame of Christianity kindled by St Patrick on Holy Saturday in defiance of royal orders"
 「王の命令に抵抗して、聖土曜日に聖パトリックがキリスト教信仰の炎をあげた」。
 これは以下の逸話を指すと思われる。「ターラの丘で諸王が集う祭りの日には王宮に灯りがつくまで何人も火を焚いてはならないという決まりごとがあった。セント・パトリックはこの掟を破ってターラの丘の向かいにあるスレーンの丘で火を焚いた。これに怒った王は彼を殺そうとしたのだが、次々と奇跡が起こった。彼が焚いた火は消そうとしても消えず、ドルイドとの対決にも勝った。恐れた王たちはついにキリスト教に改宗したのだそうだ」(海老島均・山下理恵子(編著) アイルランドを知るための60章 明石書店 p.173)。(9/4追加)
 聖パトリックによるアイルランドへのキリスト教の布教がモチーフとなっている。キリスト教と聖書はFWの背後に常に見え隠れする要素だ。

 avoice: a+voice、avoid?

 afire: a+fire、from afar(遠くに)

 bellowsed:
 bellows(ふいご)。火をおこす道具であるが、アコーディオンやパイプなど共鳴楽器に風を送り込む装置でもある。
 bellow(どなる、とどろく)。Joyceは何がbellowしたのかについて、以下のように注釈を加えた*2。"the response of the peatfire of faith to the windy words of the apostle "。伝道者の虚言に対する、信仰の熾き火による応答、ということか。

 mishe mishe: mise(アイルランド語で「私をme」)。

 tauftauf: turf(泥炭)、taufen(ドイツ語で「洗礼baptise(pdf)」)。

 thuartpeatrick: "Thou art Peter and upon this rock etc"を1語に圧縮。
 thou artは古い英語でyou are。引用したのは新約聖書マタイ福音書16章18節の、イエスの言葉である。ラテン語で"Tu es Petrus et super hanc petram aedificabo Ecclesiam meam."「汝はペテロなり、我この磐の上に我が教會を建てん」(文語訳新約聖書より)。
 原文では、Petrus(ペテロ)とpetram(岩)の語呂合わせがなされている。ペテロはイエスの12使徒のひとりであり、カトリック初代教皇。

 thuartpeatrick: 聖パトリックSaint Patrick。アイルランドの守護聖人で、彼の地へキリスト教を伝道したことで知られる。

 fire … bellows … taufと、炎のイメージが続くが、thuartpeatrickにはpeat(泥炭)が見える。ということは、mishe misheにはmoss(こけ)もひびくか。
 McHughはmishe misheにMoses, Moses(モーゼ)を読み取る*1。というのも、モーゼにとってburning bush(燃えても燃え尽きぬ柴)は神の隠喩であり、アイルランド人にとって燃える柴とはすなわち泥炭にほかならないから。


*1 McHugh, R. 1980/91 Annotations to Finnegans Wake. Johns Hopkins University Press.
*2 Ellman, R. (Ed.) 1976 Selected letters of James Joyce. Faber and Faber. pp.316-7

マーネと愉快な仲間たち

 やあ、ぼく、マーネ。尾張生まれの絞り染めグマなんだ。まあね、が口グセだから、マーネって言うの。

 まあね、しばらく前に北海道に引っ越してきたんだけど、来て早々、我が家に新しい住人がやってきたよ。

 たいてい寝てばかりでいるけど、まあね、ときどき、もぞもぞ手足を動かしたり、くしゃみしたり、泣きじゃくったりする、変なヤツなんだ。

 ぼくの方が今の家に先に来んだから、まあね、ぼくがアニキで、おまえは弟分だな。でも、弟分のくせに、今じゃあこいつが殿様みたいな扱いをされてる。ほんと、腹たつなあ。

 まあね、変なヤツだけど、ずっと「ヤツ」なんて呼ぶのも、粋じゃないよね。だから、ぼくが名前をつけてあげよう。

 よし、弟分だから、ぼくの名前にちなんだのにしてあげよう。

 「あまね」はどう?「まあね」じゃなくて、「あまね」。まあね、なんだかいいじゃない?

 よろしくね、あまね。

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FW1 6-9

     nor had topsawyer’s rocks by the stream Oconee exaggerated themselse to Laurens County’s gorgios whole they went doublin their mumper all the time:

 オコネー川の流れに臨むトップソーヤー岩が積み上がり、ローレンス州のジプシーでない人々がいつもジプシーを倍々にしたのもすでに先のこと。

 この節について、Joyceは次のメモを残している*2
 Dublin, Laurens Co, Geogia, founded by a Dubliner, Peter Sawyer, on r. Oconee. Its motto: doubling all the time
 アメリカ合衆国、ジョージア州Georgiaローレンス郡Laurens Countyにはダブリンという街がある。ジョイスは、この街の創始者をPeter Sawyerとしているが、こちらではJonathan Sawyerだとされている。Oconeeもアイルランド起源の名だろう。
 前節とのつながりから言えば、海を渡る人々はついに北アメリカNorth Armoricaに到達、生まれ故郷の名をその地に残した。Laurensは、Sir Tristramの別名でもある。

 topsawyer’s rock: オコネー河岸の地層*1。オーストラリアのエアーズロックAyer’s Rockを読み込む向きもあるが、どうだろう?
 top sawyer: 通常の意味では、「上役」「木挽きsawyerの棟梁top」。しかし、トウェインの書いたトム・ソーヤTom Sawyerでもある。その友だちはおなじみHuckleberry Finn。彼もFinn-egansのひとりだ。
 rocks: 複数形で「睾丸」。身体のレベルで読めば、topは「頭」を指す。

 exaggerare: ラテン語で、「土手を築くことto mound up」*1

 themselse: them+else他の彼ら、themselves彼ら自身。自分自身でありつつ他の誰かでもある。Joyceは"themselse= another Dublin 5000 inhabitants"*2とメモを残している。つまり、もうひとつのダブリンに住む別の人々のことでもあるだろう。

 mumper: 俗語で、「混血のジプシー」。*1

 doublin: Dublin、倍増doubling、babbling?

 gorgios: 華麗なgorgeous、ジョージア州Georgia。Laurens County’s Georgiaと、行政レベルが逆転している。
 gorgo: イタリア語で、「渦巻き、混乱、騒ぎ」。*1
 gorgio: ジプシーのことばで、「非ジプシー」。*1


*1 McHugh, R. 1980/91 Annotations to Finnegans Wake. Johns Hopkins University Press.
*2 Ellman, R. (Ed.) 1976 Selected letters of James Joyce. Faber and Faber. pp.316-7

こんなサイトが

 検索サイトで調べものをしていると、多くの場合、検索結果の上位にWikipediaの項目が引っかかってくる。

 詳しいし、便利なので、リンクを張りたい衝動に駆られるのだが、なんだか負けたような気がして、なるべくそれはしないようにしている。読みにとって、語の定義や百科辞典的知識が重要なのではなく、連想が重要だからだ。

 そんななか、こんなサイトを発見してしまった。

 Finnegans Wiki

 うひー。便利な世の中になったものだ。

FW1 4-6

     Sir Tristram, violer d’amores, fr’over the shot sea, had passencore rearrived from North Armorica on this side the scraggy isthmus of Europe Minor to wielderfight his penisolate war:

 Sir Tristram…had passencore rearrived from North Armorica on this side the scraggy isthmus of Europe Minor to wielderfight his panisolate war: トリストラム伯爵が、半島戦争を支配すべく闘うために、北アルモリカからこちらがわヨーロッパ・マイナーのごつごつした地峡へ、ふたたびやって来たのはまだ先のこと。

 Sir Tristram: サー・アモリー・トリストラムSir Amory Tristramは初代のホウス城伯爵。アルモリカの北、すなわちブルターニュ地方に生まれ、後に聖ローレンスと名前を変えた。
 トリストラムはトリスタン(pdf)も連想させる。ワーグナーの歌劇で知られる、トリスタン物語の主人公。彼はブルターニュで育ち、コーンウォールに戻る。その後叔父マルケ王(King Mark)の妻となるべきイゾルデを迎えにアイルランドへおもむく。
 この一節は、海を越える人々のモチーフ。

 violer d’amores: viola d’amoreヴィオラ・ダモーレ。7本の弦がはられた擦弦楽器。
 violer: フランス語で「侵犯するviolate」*1
 d’amore: イタリア語で、「愛のof love」。

 fr’over the shot sea:
 shot sea: short sea。航海用語で、「短距離海路」。たとえば、short sea shippingは「短距離水上交通」。
 short seaは「不規則に波打つ海面」という意味でもあるようだ。また、上に書いた「short sea = 短距離海路」はちょっと怪しくなってきた(8/16追加)。

 passencore: pas encore(フランス語で、not yet「まだ~しない」)
 passencore: "pas encore and ricorsi storici of Vico"*2 ricorsi storici(ヴィーコの歴史循環説との関連)
 had … rearrivedとpassencoreは矛盾する。すでに起きたことが、これからもう一度起こるという歴史の循環。

 North Armorica: アルモリカはフランス北西部、ブルターニュあたりの古い名。同時に、North Americaも指す。

 Europe Minor: 小アジアAsia Minorではなく、「小ヨーロッパ」。小アジアは、現在言うところの、ボスポラス海峡を挟んだトルコの東側、アジアの西端。したがって、ヨーロッパの西端、ブルターニュ、ブリテン、アイルランドあたりを指すものと思われる。

 isthmus: Isthmus of Sutton*2。サットンとは、ホウス岬の付け根にあるあたり

 weilderfight: 振りかざすwield+闘うfight。
 wiederfichten ドイツ語で、「再戦refight」*1

 penisolate war: ナポレオンの起こしたイベリア半島戦争のこと。この半島は、同時に、トリストラム伯のいるホウス岬や、トリスタンのいるコーンウォールも示す。
 penisolate: ペンpen+孤立したisolate。孤独にペンを走らせる戦い。ジョイス自身の像かも。

 この節全体が、いくつかのレベルで読める。上に書いたのは地誌的、歴史的、神話的レベルでの読みであるが、viola d’amoreで音楽のイメージが沸くと、Minorは「短調」の意味にとれる。また、セクシャルなレベルは常に考えておかねばならないから、penisolate warにペニスの戦いを見て取ることもできる。


*1 McHugh, R. 1980/91 Annotations to Finnegans Wake. Johns Hopkins University Press.
*2 Ellman, R. (Ed.) 1976 Selected letters of James Joyce. Faber and Faber. p.317.