015-ある幇間の語り

悠玄亭玉介 小田豊二(聞き書き) 1995 幇間の遺言 集英社

 幇間,と書いて,たいこもち,と読むこともあるね。だけどそもそも幇間ていうのは「間(ま)を幇(たす)ける」ことだ。宴席の間をもたせることだけど,これが実に難しい。我を出し過ぎちゃいけない,しかし引きすぎてもいけない。この妙が,幇間の芸の髄なんだ。

 芸者をあげての遊びなんかしたことがなけりゃ,いや,そもそも郭に大人の遊びが残ってた時代から外れてしまってるのが今だから,幇間の芸を見る機会はないだろうね(世の中が,磊落な大人を許さなくなってる,ってこともある)。そんなやつからしたら,幇間はたいこもちで,落語「愛宕山」に出てくる,「旦那,いよン,こんちまたまた,立派なお召し物を…」てな具合でいやにまとわりついてくる,ああいう人をイメージするだろうね。そうそう,漱石の「坊ちゃん」に名が出るので有名な「野だいこ」は,見番(けんばん,芸者や幇間の取り次ぎをするところ)に所属しないで,道を歩いてつかまえた旦那衆に取り入るやつのことをいうんだ。いや,芸を見る機会のないのも当然かもしれないよ。なにしろ,明治大正の頃は400はいたという幇間も,いまでは十指に足りないほどだっていう。

 郭がなくなったり,当の幇間が死んだりやめたりってこともあるけど,このせいばかりじゃないよ。芸を味わう客もいなくなった。芸人と客の関係がなれあいになった。これじゃあ,若い芸人が育つはざない。芸は血じゃあない(のだよ,花緑さん),育ててもらうもんなんだ。今はまず,客を育てなきゃあならない。なれあっちゃいけないからって,じゃあ勝負なのかといえば,そうでもあるし,そうでもないね。どうしてか。

 芸人は最後には必ず負けなければならないって,あらかじめそう決まっているからだ。始まる前から勝負はついてる。この,どうやって負けるかってのが芸なんだ。反対に,勝つってことは実はみじめなことなんだ。美しくない。いい客ってのは,美しく勝つことに腐心するやつのことなんだ(たとえば歌舞伎でも観に行ってみな,「おたァやッ」て大向うからいいタイミングで声でもかかれば,役者ものるってもんだよ)。だから,負けるまでが見事なら,これは芸人の勝ちなんだ。

 ん?言ってること,分かりにくい?そう,分かっちゃいけない。分けられないことも,世の中多いからね。

014-言葉、言葉、言葉

柳瀬尚紀 2003 言の葉三昧 朝日新聞社
柳瀬尚紀 2002 猫舌三昧 朝日新聞社
McHugh, R. 1980/91 Annotations to Finnegans Wake. Baltimore : John Hopkins University Press.

 私は将棋も競馬も知らない。美味い物と猫とシェイクスピアは少々。ジョイスとキャロルは下手の横好き。この横好きが高じて柳瀬さんの本に目を通す。辞書はどれも「一長一長」と言い切るのは,「自分があまりにも無知だから」。無知にかけてはひけをとらぬ当方,度が過ぎるので無知や朽ちやと念願するばかり。

 このエッセイ,朝日新聞夕刊ですでに連載100回を越えたとあり,単行本も2冊出た。買ってきたらすぐに頁を開き一気に読みおおす。読みやすいのは著者がいつも音楽を背景にリズムよくキーボードをたたいているからだろう。リズムある文体なのである。ご本人も井上ひさしを引いて言う,「文体がないと書けない」。うむ,まさにその通り。

 さて近刊の帯にはDemoncracyなる単語が見える。Democracyも魔が差せばDemoncracyか,Finnegans Wakeに一度だけ出てくる,とあるな。どれどれ…あ,あった。167頁。 My phemous themis race is run, so let Demoncracy take the highmost! 柳瀬訳では「わが演題なるテミスの掟の命のつきたれば,悪魔クラシーの至高の座におさまらん!」 McHugh(1980/91)の注釈によれば,phemisはギリシャ語で演説,Themisは神罰を象徴するギリシャの女神で,これがラテン語になると法律の意。let Demoncracy take the highmostには,英語のことわざThe devil take the hindmost.(遅れた者は知ったことじゃない,転じて早い者勝ち)が隠れている。正義が失われるとき,民主主義万歳と言うその裏で弱き者は去れ,と演説する悪魔が現れるのだな。

013-たまにはSFも

ケン・グリムウッド 杉山高之(訳) 1990 リプレイ 新潮社

 何の気なしに古本屋に入り,暇つぶしできそうな文庫本を探していると目に飛び込んできたのがこれ。確か吾妻さんが「不自由帳」で絶賛してたなあと思い出して買ってみた。土曜の昼からぱらぱらとめくり始めたらもう止まらない。ソファに身を沈め,外の暗くなるのも忘れ,ふと気がついて部屋の明かりを点けた。読み終えた今もまだすこし頭の後ろに痺れが残っている。それくらい面白かったのだ。

 主人公ジェフリー・ウィンストンが冷え切った仲の妻と電話口で口論の途中,心臓発作で「死ぬ」ところから話は始まる。気がついてみると,18歳の自分が通っていた大学の学生寮に寝ていた。その後25年間の記憶をもったまま。こういうとき人間は何をするかというと,やっぱり賭け,である。ご多分に漏れずジェフも,ケンタッキー・ダービーの勝ち馬や,ワールド・シリーズの優勝チームを(もちろん知っているのだから)ずばずば当て,大金持ちになってしまう。金持ちのお嬢様と結婚し,娘も生まれ,その成長を楽しみにしていた1988年,再びジェフは死ぬ。気がつくとまた18歳。

 なぜジェフは過去に何度もさかのぼってしまうのか?はっきりとした答えのないまま,かれは一人の女性と出会う。映画プロデューサーのパメラ・フィリップス。物語後半は,このふたりを中心に話が進んでいく。ふたりが約束をし,そして邂逅する場面(詳しくは述べないが)はただもう嬉しくなる。

 ジェフは何度目かのリプレイで,追放と孤独をテーマとしたノンフィクションを書くこととなる。記憶を共有できない他者と同時代を生きねばならない孤独。同じ孤独を共有できる者と出会うことの恐怖と安らぎは想像するにあまりある。

 13年前と少し古い本だし,評は出尽くしているようだ。自分も少し若い頃に戻って文庫本を読み漁ろう。

012-モンティ・パイソンを観る前から後からなんてイヤったらしいんだから、このド助平が

須田泰成 1999 モンティ・パイソン大全 洋泉社
デヴィッド・モーガン 須田泰成(訳) 2003 モンティ・パイソン・スピークス! イースト・プレス

 広川太一郎のモノマネをする人は必ず「ちょんちょん,このォ!」って言う。このセリフの主はエリック・アイドル。パブでビールを飲むテリー・ジョーンズを肘でこづくスケッチ(日本で言うところのコントのこと)で,エリックが”Nudge nudge!”って言うのを「ちょんちょん」と吹き替えた広川さんはエライ(どうもアドリブではないらしいのだけど)。ついでに言うと,テリー・ジョーンズは飯塚昭三,ジョン・クリーズは納谷悟郎,グレアム・チャップマンは山田康雄,マイケル・ペイリンは青野武,テリー・ギリアムは古川登志夫,エリックをアテた広川太一郎を入れて,これがパイソンズを吹き替えたオリジナルメンバー。

 1969年からBBCで放送されたコメディ番組「モンティ・パイソンズ・フライング・サーカス(第1~3シリーズまでこのタイトルで,第4シリーズは単に「モンティ・パイソン」だった。以下,モンティ・パイソン)」が最初に日本で放送されたのは1976年のこと。以来,ビデオやLD,DVDという媒体を通じて,われわれはパイソンたちのスケッチを楽しむことができるなんて,なんて素晴らしい時代か!

 モンティ・パイソンって何?そう言う貴女,こんな本なんか読まずに,まずはかれらが生きて動いて叫んで走る映像をご覧になっていただきたい。この二冊を手に取るのはそれからです。ブラックユーモアが嫌いでクレームばかりの貴女も,ぜひともご覧になっていただきたい。なにがユーモアで,なにがユーモアでないかは,合理的思考からするといつまでたっても謎なのですよ。筒井さんのてんかんも,岡林さんの放送禁止歌も,便器になった王監督も,なにがユーモアであり,なにがそうでないか,よっく感じ取ってほしいのだなあ(考えて,ではない。たぶん考えても答えは出ない)。

 DVDを観て,ユーモアの粋を楽しんで,さてもうちょっと,という人のために,この二冊があるのです。須田さん,あなたは広川さんの次にエライ!

011-普遍を生み出す根源

甲野善紀・前田英樹 2001 剣の思想 青土社
前田英樹(編・訳・著) 1989 沈黙するソシュール 書肆山田

 潜在して普遍なるもの,すなわちすべての多様性がそこから派生する根元的体系の実在を確信する,前田英樹の文からはそのような印象を受ける。これはぼくには不可能な発想だった。構造主義の祖ソシュールと新陰流の祖上泉伊勢守信綱が前田の手によってやすやすと結びつけられる。この編集感覚。ソシュールの根元が言語,伊勢守の根元が身体運動だっただけのことである。

 四足歩行から二足歩行へ至る自然の造形の結果としてわれわれ人間の身体運動はある。しかし剣士前田英樹と剣士甲野善紀が信じて目指すのは,自然の造形を脱した運動のなにかしら普遍的な体系であった。二人の往復書簡の体裁を取る甲野・前田(2001)は,足捌きから話が始められ,鞘を作る職人のわざに触れて筆が擱かれる。ここでは前田の手紙にしぼって身体運動の普遍性とは何かを自分なりのことばにしておきたい。

 さて,戦国の世を生きた上泉伊勢守信綱が愛洲移香斎の陰流を引き継ぎ発展させて新陰流に開眼したのは一五四〇年頃のことだったという。新陰流の極意は,自己の刀=身体と相手の刀=身体の融合したシステムの創造と実践にあった。自分と相手双方の身体の軸が空間を切り結んで必然的に現れる「太刀筋」はただひとつしかない。この,ただひとつしかない太刀筋を伊勢守は燕飛六箇之太刀と呼んだ。「燕飛,猿廻,山陰,月影,浦波,浮舟」の六点すべてを通る一本の軌跡は,身体の軸を一つに定めることによって必然的に生まれる始発から収束までの運動の円環である。

 重要なことは,刀と身体とのシステム的な統一関係である。身体は中心の軸と両肩から両膝にかけて通る軸の3本の移動によって表現される。この「移動軸のわずかな前進に要する時間と,太刀の斜め下への斬り下げに要する時間とは,完全に一致していなくてはなりません。そうすることによって,移動軸の前進に太刀の斬りが厳密に接合される。つまり,斬りは単なる斬りではなくなり,吊り腰の姿勢によって特殊に存在させられる身体軸の移動そのものと融合した何かになる(p.138)」。こうした「<刀=身>の独特の融合体(p.140)」は,新陰流においてすべての技の基礎である。そしてこのことは相手にとっても同じであるため,闘う前からすべての結果は一度に与えられている。勝つか,負けるかではないのだ。すべての結果を生み出しうる根元的な身体のシステムを完成させることが求められるのである。これを前田は型(太刀)の持つ「<制度>としての根元性(p.165)」と呼ぶ。

 新陰流の記された柳生宗矩「兵法家伝書」と剣の極意書として双璧をなすのが宮本武蔵「五輪書」だろう。前田も武蔵に触れている。普遍なるものは宮本武蔵も追い求めたものであった。諸芸諸能の底流を貫き,なお兵法(剣術はかつてこうも呼ばれた)がその典型となる普遍である。しかし武蔵において普遍なるものは,師を持たずに諸芸諸能を鍛錬して自ら開眼する「実の道」,すなわち「至極」であった。一方,伊勢守において普遍なるものとは,刀と身体とがひとつに融合して生まれる太刀(かた)の唯一の体系であって,これは実際に動作する前からの実在である。そう,ふたりの発想の差は,多様からの帰納と唯一からの演繹の違いだったのだ。実際伊勢守は,両手太刀も片手太刀も,ときには無刀(素手)の場合も,すべての動きには共通の基礎があると考えていた。猿廻に始まり浮舟に終わる円環である。

 この,すでにあるただ一つのものの希求,そして実際にそれを発見し得た人物の言動は,何を論ずるにせよ,前田を貫く関心である。ソシュールの場合それはラングであったし,伊勢守の場合には太刀筋の円環的世界であったのだ。

010-歌はストリートから流れる

鈴木裕之 2000 ストリートの歌:現代アフリカの若者文化 世界思想社

 街にくりだして人びとの営みを描くフィールドワークには,アウトローに目を向ける仕事が案外ある。たとえば,ポール・ウィリス「ハマータウンの野郎ども」,ウィリアム・ホワイト「ストリート・コーナー・ソサエティ」,佐藤郁哉「暴走族のエスノグラフィー」が頭に浮かぶ。なぜ,アウトローが対象に?研究者自身ワルガキではなかったから珍しいのか?答えはそれぞれだろうが,著者の理由は音楽であった。レゲエやラップ。これらが生まれた場所であるところの「ストリート」,そして歌い始めたひとびとであるところのアウトロー,すなわち「ストリート・ボーイ」に目が向けられたのである。

 本書の舞台はアフリカ西海岸に位置するコート・ジヴォワール共和国の首都アビジャン。この都市の道ばたにたむろする若者たちを,当人以外のひとびとは「ヌゥシ」と呼ぶ。かれらは確かにストリートを生活の拠点としているのだが,そこに寝泊まりしているのではなく,経済活動と情報交換を主にストリートで行っているという意味である。たとえば,自動車見張り番という稼業がある。路肩に停めた車の運転手が用事を済ませて帰ってくるまで,誰かにいたずらされないように見張ってその手間賃を請求するというものであるが,その運転手がかれに直接頼んだわけではない。かれが勝手にやっていることなのである。したがって運転手は見張る手間賃を払う義務はない。本質的に,浮き草のような心許ない商売なのである。

 あるとき,自動車見張り番を稼業としていたヌゥシからひとりのスターが生まれた。ロッシュ・ビー。「自動車見張り番のボス」という歌をラップにのせ,アビジャン都市部の高層ビルを背景に,Tシャツとスニーカーを身にまとってアスファルトの上で踊るかれのPVに描かれていたのは,まごうことなきヌゥシの日常であった。

 ヌゥシの考え方,ヌゥシのスラング,ヌゥシのファッションを,音楽のマーケットにもちこんだのは,アビジャンではロッシュ・ビーがはじめてではなかった。かつて,ジャマイカで生まれたレゲエがボブ・マーリィの登場によって一気に世界的マーケットに流れたのにともなって,アビジャンにもそれが入り込んできた。アビジャン・レゲエが単なる舶来の音楽で終わらなかったのは,ストリートにたむろする若者の視点から,かれらのことばを織り込んで歌う者が現れたからである。かれこそアルファ・ブロンディであり,その成功によって,レゲエはアビジャンのポップミュージックを席巻することとなる。ロッシュ・ビーのラップは,そうした土台と若者たちにあるアメリカ黒人のファッションへの憧憬とがあって,はじめて受け入れられたと言える。

 しかし,ヌゥシというストリート・ボーイのことばで歌い,かれらの日常を描いた歌とその成功は,ストリートに根ざしていない。ここに注意しなければならない。本書にはロッシュ・ビーを写した写真が三枚出てくる。最初のは,自分が見張り番をする自動車に寄りかかって腕を組み,カメラを睨め付けるようにして自信に満ちあふれた姿。次のは,大ヒットしたテープのジャケ写であり,やはり背後に見張る自動車を置いて腕組みをする姿。しかし最後の一枚は,両手をポケットに入れて壁によりかかり,憔悴しているのかぼんやりと中空を見つめる姿であった。

 述べたように,ヌゥシの生活の場はストリートであり,そこには独自の生き方がある。また,ヌゥシのなかにもさまざまなひとびとがいる(そもそもヌゥシと名付けて多様なかれらをまとめ上げるのは,非ヌゥシのひとびとなのである)。当然,ストリート以外の世界で上手く渡り合っていくことのできるヌゥシもいるだろうし,「ルバ」と呼ばれる一団のように体を武道で鍛えることで用心棒としての位置を得る者もいる。しかし,やはりストリートでの作法しか操れない者もまたいるのだ。それがロッシュ・ビーだった。かれは自分を成功に導く商品としてのラップを流通させる音楽業界にたいして,ストリートの作法を適用しようとしたがため,業界人から恐れられたのだという。音楽プロデューサーにとって,「ストリートにたむろする不良」というイメージは歌の世界だけでよく,歌う本人にはビジネスの作法を求めたのだった。それができなかったロッシュ・ビーは,結局ヒットしたデビュー曲の次にきちんとしたプロデューサーを見つけることができず,もとの自動車見張り番に戻ったばかりか,ドラッグに手を出して廃人同然となったのだという。三枚目の写真とは,プロデューサー探しに奔走する時期のものだったのだ。音楽マーケットは,ストリートという商品が欲しかったのであり,決してストリート自体と接触しようとしたわけではなかったのである。これが,「ストリートに根ざさない」ストリート音楽という意味である。

 だが,ストリートに根ざした音楽もあると思うのだ。そしてそれは,音楽データだけが流通するマーケットとは異なる形で,ネットワーク化していくと思うし,それによって(マーケットが約束する契約金や印税という報酬に限らず)望む成功を手に入れることも可能だろう。ロッシュ・ビーは何をすればよかったのか,かれはどういう成功を手に入れられたのか。既存の流通網にたいするオルタナティヴを想像することは,ストリートと音楽とを考える上で必要だろうし(少なくともロッシュ・ビーを廃人の道から救うには必要だった),それを既存のマーケットといかにして摺り合わせるかを問うべきだと思うのだ。

 その意味で,ストリートで音楽を鳴らすチンドン屋のネットワークというのはヒントになると思うのだが,わたしの思考はそこでいつも立ち止まり,チンドンの音色に聞き惚れてしまう。

009-対話を読む

上野直樹・西阪仰 2000 インタラクション:人工知能と心 大修館書店
吉田研介(編) 1997 建築家への道 TOTO出版

 本を読む早さは遅い方だと思う。ところが不思議なことに,対談や講演をそのまま書き起こしたような形式だと,あっという間に読めてしまう。話しことばだからだろうか?あるいは,書きことばだと,いきおい漢語が増えたり,言い回しが複雑になってしまったりするからだろうか。

 話しことばの書き起こしには,本筋とは関係のない脱線も多く含まれる。もちろん,本当に関係のない枝葉末節は編集段階で省かれるのだろうが,たいていは(笑)マークなどとともにそのまま残される。この脱線が,読むリズムを作ってくれているのかも,と思う。そもそも読書とは直線的なものばかりではなく,退屈ならとばしたり(あまりしない),少し戻って読み直したり(あまりしない),あとがきから読んだりと(これはよくする),さまざまな道順が可能な営みなのだ。読むリズム,テンポ,シークエンスを作為するのは書き手や編集者であってもよいが,読み手であってもよいのだ。

 ところが話しことばの書き起こしであれば,そこには話し手と聞き手とのインタラクションというリズムが保存されている(かもしれない)。読み手は聞き手となり,テクストのリズムに身を任せればよいのだ。それだから読むスピードが,ほかの本と比べて速くなるのだろう。

 で,掲題二冊はどちらも上の話に当てはまった。ので,午前と午後とで一冊ずつ,一日で読み終えた。

 上野・西阪は,業界の先達二人の(あとがきによれば)疑似対話集。エスノメソドロジーと状況論の概念や必読本をざっと見通すのにはよいかもしれない。大学1年に読ませても。

 吉田は,個人で設計事務所をかまえる若手から中堅の建築家7人(内藤廣,北山恒,新井清一,小嶋一浩,妹島和世,鈴木了二,坂茂)を招いた講義や対談の記録。建築を学ぶ学生に向けた話である。学生の質問がこの世界で食っていけるのかに終始するのに対して,講演者の方はなんとかなったって言うばかり。おもしろいのは,小嶋,妹島を除く5人の大学時代が学生運動とぴったり重なっていたというところ。思想で社会を変えられなかった人たちが,今,住居というインフラから変えようとしているとも言える。そしてそちらの方が成功しているように見えるのだ。

008-Under Construction

伊東豊雄建築設計事務所(編著) 2003 建築:非線型の出来事 smtからユーロへ 彰国社
畠山直哉・伊東豊雄 2001 Under construction 建築資料研究社
川俣正 2001 アートレス:マイノリティとしての現代美術 フィルムアート社

 ロンドンの安ホテルで最初に通された部屋は改装中だった。シンナーのにおい,ひっくり返されたベッド,貼りかけの壁紙。フロントに怒鳴り込もうと息巻いて歩く廊下でなんて言おうか考えながら思いついたことばが”That room is under construction.”だった。

 Under construction(ただいま工事中)ってのは完成型からのマイナス状態だと一般的には考えられるので,ロンドンの私はバカにされたような気になったのだ。ホテルだったら泊まらなければよいのでまだ許せる。しかし,税金を使って建てる公共施設がunder constructionだったら?しかも半永久的に。建築家の伊東豊雄さんは,しかし,これをデザインのひとつのありかたとして強く提起する。考え方を変えてみたら,と言っているのだ。

 建築がおもしろいなとしばらく本を漁り,目を通していたら,どうも伊東豊雄という人がすごいらしい。そこで掲題の本を入手したのだが,やはりおもしろい。タイトルにある「smt」とはせんだいメディアテークという図書館兼美術館兼映画館兼カフェである。仙台市が発注し,磯崎新らが審査員となったデザインコンペで伊東豊雄建築設計事務所のプランが採用されたのが1995年のことだった。

 折しも公共事業入札の不正が指摘されはじめた頃(今だってそうだが),とにかく計画の初期段階からオープンにしようと,利用者になるはずのひとびとが参加して要望をデザインのなかに埋め込む作業がなされた。しかし結局,市民団体の利害争いの場にしかならなかった。暴露されたのは剥き出しのエゴである。ならば,解決の道は,全員の妥協点を見つけ出し,「最適解」を作ることか?否,どのような目的にも使えるようにすみずみまで決定された箱は,結局中途半端な役立たずの箱にしかならない。ここに考え方を転換させるきっかけがある。

 キーワードは,under constructionである。一般に建築工事には竣工という瞬間があり,そこを時間的な境として計画段階と「実際の」使用とが峻別される。それはひとびとの活動自体も区分けする。ある者は設計者・製作者でしかなく,ある者は使用者でしかない。他者の役割領域を侵犯することは許されない。眼に見えない関係性を可視化するために,竣工という境界があるのだ。しかし伊東豊雄はこのような関係性の「壁」を取り払おうとする。そのためのキーワードがunder construction,ちょっと言い換えて,「住みながらつくる(伊東,2003,p.14)」ということだ。それは,どこかにある完成型をめざしつつも未だ途上にある状態ではない。未完成/完成という二項対立ではない地平でデザインを考えましょうという提案なのである。

 完成は誰かが宣言しなければならない。竣工は市長などお偉方が最後の釘を打ち込んだりテープを切ったりすることで成立する。プロセスを断ち切る作業は,そのまま,製作責任を固定する作業でもある。だから,使用者から後で文句を言われないよう,設計者はできるだけあたりさわりのない設計を作りたがる。あるいは,使用者がおこないそうな危険な行為をあらかじめ禁止する。だが,「<創る>とは,未知のものを発見する行為である。そのプロセスに立ち会うためには,流れを外側から客観的にコントロールするのでなく,流れの中に身を投じて,不可視な関係の中で決断しなくてはならない(伊東,2003,p.10)」。文句を出し合って,使い勝手がよくなるように,ちょっとずつ直していけばよい,それだけの話なのだ。このプロセスを前提とするなら,設計者/使用者という関係性は交代しうるし,ともするとまた別の関係性が生まれるかもしれない。しかしそれがなかなかできないでいるのが現状。だったら,とりあえず,みんな使用者だって考えたらどうか?

 伊東豊雄は,「住みながらつくる」ことを理論的に支えるために,見えざる対象を「使う」ことはいかにして可能かと問う。提案,設計,製作という段階において,通常言う意味での「使用」の対象たる建物は通常言う意味で「実在」しない。だから,「使う」ではないことばでそれらの作業を名指しするしかない。だったら,実在してるよ,って言い張ればいいのだ。3つの現実感覚,すなわち,リアル,アクチュアル,ヴァーチャルがここに登場する。ドゥルーズを引用しながら伊東は述べる。ヴァーチャルはリアルには対立しない。それは,観念的なものではあるが,抽象的なものではない。このヴァーチャルなものを「使用」すればよいのである。決して,現前(アクチュアル)しているものだけが,使用できるものなのではない。

 建築においてヴァーチャルなものをめぐる活動は,実にさまざまだ。免震構造計算,構造評定,モックアップ,実験,新聞の報道,広報,ワークショップ…。また,そこで用いられる道具も多様である。設計図,施工図,スタディ模型…。これらはいずれも,ヴァーチャルなものをひとびとが「使用」するプロセスを構成する。

 プロセスは,決してスムーズには進まない。行きつ戻りつ,でこぼことした経緯をたどる,「非線型」なプロセスなのである。行く道の決断は何度も,誰にとっても起こる。そうした出来事として,建築を考えようというのが伊東豊雄という人なのである。

 美術家の川俣正もまた,完成したもの,それ自体完結したものとしての美術作品という見方に異議を唱える。彼と豊田市とがコラボレイトして,コミュニティを横断するウォークウェイ,テラス,テーブルを作るワークショップが開かれたとき,それにつけた名前がWork in Progressだった。製作者/観客,設計者/使用者,行政/市民といった作品をめぐる対立関係を流動化させること,それは完成という時間の壁を設けないことによって可能になる。つまりは,「進行中の作品work in progress」である。

 なんだか,工事中だったり,進行中だったり,実にこれは心許ないし,たよりない。しかしたよりないところにこそ,つながりは作られるのだ。案外,たよりないものがつながると強くなるかもしれない。

007-エスノメソドロジーの問いとは何か

ジョージ・サーサス他 北澤裕・西阪仰(訳) 1989 日常性の解剖学:知と会話 マルジュ社
西阪仰 1997 相互行為分析という視点:文化と心の社会学的記述 金子書房

 問題とされることへのアプローチにはいくつかある。解決を目指すことはそのひとつだ。この場合,問題そのものは自明視されるために,何がなされれば解決されたことになるのかが新たな問いとして立つ。それが明らかになれば,問題を取り巻く情勢の分析,および介入による現実的な解決がおこなわれる。

 問題が問題として成立する条件を探るというのもある。この場合,問題は自明視されない。問題が浮かび上がってきた歴史的背景,ひとびとの言説,条件が成立するための形式を明示することなどがなされる。そして,表題の本2冊はこちらをアプローチとして採用する。

 社会学の一流派であるエスノメソドロジーをはじめて提唱したハロルド・ガーフィンケルが出した問いは,いかにして現在において過去が生まれるかということだった,と,今にして思えばそう読める。なぜエスノメソドロジーが時間論?こう考えてみたらどうだろう。

 先の問いを強引に,「常にあるもの」が,今・この場においていかに編成されるか,と言い換えてしまう。「常にあるもの」,たとえばエスノメソドロジーや相互行為分析が相手にしてきた知識や制度,同一性,そして「文化と心」といったもの,これらが過去に相当するわけだが,なんで「常にある」のに過去なの,と疑問がわく。書いている私にもわいた。

 過去の話をする少し前に現在について考えてみよう。そもそも定義上,過去を直接知覚することはできない。できることはただ,現在を「過去・現在・未来」の三つ組で計測し続けることだけである。この二つの現在,すなわち身体の依って立つ現在と,いわば定規の原点としての現在は異なるものだ。「常にあるもの」は,定規の方と同じレベルにある。常にある,ということは,「これまでもあった」「今ある」「これからもあるだろう」という三つ組を満足させなければならないからだ。身体の現在からすればこの三つを同時に満足させることはできないから,少なくとも常にあるものは身体の現在と同じレベルにはない。ということで,とりあえず定規の{過去・現在・未来}と同じレベルにあるとしておく。

 すると,身体の現在が「常にあるもの」を対象にすると言うとき,それは定規の{過去・現在・未来}を相手にしているのだ,ということになる。注意したいのは,定規の{過去・現在・未来}はばらばらにあるのではなく,いっぺんにあるということである。原点の部分が欠けた一本の定規なるものは存在し得ない。定規上にあるものは同時にすべてそろっていなければならない。過去が現在作られるとは,「身体の現在において,いかにして定規の{過去・現在・未来}が作られるか」という問題だと言える。過去が作られると言っても単純に過去だけが作られるのではなく,いっぺんに定規上の現在や未来も作られている。身体の現在において。

 したがって,知識を例に出すならば,エスノメソドロジーの問いとは,今あり,これまでもあり,これからもあるだろう,「知識」なる常にあるものが,今ここという相互行為の場からいかにして紡がれていくか,これである。なんとか着地できたかな。途中無理があるような気もするけど。

 ところで。自分で考えておいてナニであるが,この{過去・現在・未来}という定規は普遍的なのだろうか?ヨーロッパ神話には運命の三女神として,紡ぐ者,割り当てる者,切る者がいる。ギリシャにはクロートー・ラキシス・アトロポスがおり,北欧にはウルド・ベルダンディ・スクルドがいる。それぞれ過去・現在・未来にあててよいのだが,この定規は神話(文化,ではなく)固有なものだということもありえる。他の地域に類似した三柱がいるのかどうか,このへんはよく分からないのだが,ちょっとおもしろいテーマになるのかもしれない。

 さて,はじめの話に戻ろう。心理学は「心とは何か」という問いを設定し,何がなされれば解決と見なされるかをずっと議論してきたし,そうして提案されたさまざまなプログラムは幾多の研究を産み出してきた。これをエスノメソドロジーは,「心とは何か,という問いはいかにして成立するのか」あるいは「いかにして達成されるのか」と問いを向け直すのである。心の様態を問うとは,常にある心を前提にしなければできないことだ。常にある心が今ここでいかにして作られるか,それを明らかにすることは,心が本当に常にあるのかと懐疑にかけることではなく,あくまでも心が「常にある」ように構成されるその仕方を問うことなのである。なぜなら,われわれは心が常にあるものと,必要があれば,実際のところ思いなすことができるのだから。

006-巴里のアメリカ人

シルヴィア・ビーチ 中山末喜(訳) 1974/92 シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店 河出書房新社

 大学のそばにある古本屋で偶然見つけた回想録。著者のシルヴィア・ビーチは知る人ぞ知るって人なんだけど,ひとまずはジョイスの『ユリシーズ』をパリで出版したってことが有名。20世紀初頭のアメリカ文学界を牽引したいわゆる「ロスト・ジェネレーション」を育てるのに一役買った人でもある。

 ビーチが開いた書店,シェイクスピア・アンド・カンパニイは,はじめパリのデュピュイトラン通り,後にはオデオン通りにあった。この書店が変わっていたのは,パリにありながら英米語で書かれた本ばかり扱っていたということ。自身アメリカ人であったビーチは,すでに書店を経営していた友人アドリエンヌ・モニエの助けを得て,書店兼図書館兼出版社を作り上げた(出版社とはいえ,出したのはジョイスの作品だけだった)。

 当時のパリは,作家の武者修行場のような活気に満ちていたようで,フランス国外からも作家志望の若者が集まっていた。そうしたなか,フランス語の話せない英語圏の若者が自然集まるサロンが,ビーチの書店だったわけだ。ヘミングウェイやフィッツジェラルドなどの若者が集まり,また,ジイドやガートルード・スタインやヴァレリーといった作家はここで英語圏文学に親しんだ。

 ビーチの鑑識眼も確かなものであったらしく,はやくからジョイスに注目していたのもその現れだ。興味をひかれたのは,『意味の意味』で知られるチャールズ・オグデンがジョイス自身によるALPの朗読を録音したってこと。ここのところをビーチはおもしろく語っている。引用してみようか。「こうして私は,二人の人間,英語を解放し拡大しようとする人間と,五百語の語彙に濃縮しようとしている人間の二人を,一緒にさせました。彼らの試みは正反対の方向に進んでいたわけです(p.237)」。

 オグデンは,知っての通り,ベーシック・イングリッシュの考案者だ。書き言葉を増殖させる作家と,削減させる学者との出会いが,話し言葉の録音を通してだったというのがおもしろい。